【BSR】政小パラレル4本詰め竜神様のお気に入り 違う、これじゃない、と献上された品々をろくすっぽ見もせず脇へと押しやる竜神に、そうと気づかれぬよう成実は溜め息を逃がす。
退屈を嫌うこの竜が「俺の欲しいモノを寄越したらひとつだけ願いを叶えてやるぜ」と邑の者に告げたのは三日前。
「この邑のモノだ」とご丁寧に手掛かりまで教えるも未だ正解には至らず、かく言う成実も彼がなにを欲しているのかは知らないのだ。
問うたところで素直に口にするとも思えず、また、成実の口から邑の者に漏れてはつまらないと、口角を吊り上げるのも目に見えていた。
更に三日が経ち、もしや『物』ではなく『者』なのではないかと邑で一番と謳われた娘が参るも、竜神は一瞥くれただけで、用はない、と言わんばかりに気怠く手を振って帰らせた。
いよいよもってお手上げであると項垂れる邑の者は、同時に恐怖にも駆られていた。いつまで経っても望みのものが届ぬことに対し、竜神は機嫌を損ねているのではないかと。それは誰が言い出したわけではなく、強大な力を持つ者に対しての根源的な恐怖と言えた。
当の竜神はと言えば邑人の様子に気づいていながら何を言うでもなく、ただ、にやにや、と愉快そうに口端を曲げて厭らしい笑いを浮かべるのみだ。
本当に退屈してるんだな、と成実は呆れの溜め息を飲み込み、邑人を不憫に思ってか「大丈夫だ」「安心しろ」「無体はしない」と言って回るのだった。
この竜神が人前に現れるのは今回が初めてのことではなく、むしろ頻繁に人の形を取っては神社の奥に作らせた自分の庵で、だらだら、と時を過ごしている。
さすがにだらけきった姿を人目にさらすことはないが、常に共にいると言っても過言ではない血族であり従者でもある成実からすれば、弛みきっているとしか言いようがない。
今回、竜神──政宗が言い出したことの期日は二週間。
一日に訪れる人数は減ったとはいえ、やはり望みが叶うというのは大層な魅力らしく、毎日なにかしらが届けられる。普段は静寂に支配されている敷地内が今は昼夜問わず人の蠢く気配に満ちており、正直、成実は落ち着かないのだった。
「なに欲しがってんだかなぁ」
己の発言一つで右往左往する邑人の姿は、一時とはいえ政宗の退屈の虫を満足させているらしい。基本的に臍曲がりだが、悪気のない竜神の退屈凌ぎにまともに付き合っては馬鹿を見ると、成実は気分転換に庵を離れ、敷地内を流れる細い清流に沿って、ぶらり、と足を延ばす。
途中で人為的に作られた支流沿いに進めば、小さいが手入れの行き届いた畑に行き当たる。その更に先には田があるが、今は時期ではないため水は張られていない。
畑に立ち手桶から柄杓で水を撒いている童の姿を目に留め、成実は笑みを浮かべると「小十郎」とその名を呼んだ。
顔馴染みではあるが打ち解けているかと言えばそうではなく、小十郎は一旦動きを止め軽く頭を下げるも、そのまま水撒きの手を止める気配はない。
彼はこの神社の息子ではあるが一度訳あって他所へやられたことがあるせいか、歳の割に口数が少なく表情が乏しいというのが成実の率直な感想だ。
だが、別段嫌われているわけではないので、姿を見かければ声を掛け、手持ちの菓子があれば分け与え並んで口にしたりもする。
柄杓で掬えなくなったか最後に桶の中身を直接畑へ撒き、空になったそれに柄杓を差した小十郎は支流を、ぽん、と跨いで成実の元へとやって来た。
「お饅頭あるよ」
食べよう? と声を掛ければ「ありがとうございます」と頭を下げる。以前、同様に手持ちの菓子を、食べる? と問うたときに「いいえ、結構です」と間髪入れずに断られ軽く凹んだことがあるのだが、それを何かの折りに政宗に話した際「それじゃあダメだ」としたり顔で言われたのだった。
「選択を委ねるな。言い切れ」とその自信は一体どこからくるのかわからぬまでも、政宗は間違ったことは言わぬとわかっているため、成実は翌日に即実行し思い通りの応えを得ることが出来たのだ。
その事があってから成実は注意深く小十郎を観察し、例え些細なことであっても彼は決して自分からは請わぬのだと知った。あれは小十郎のことをよく見てるなぁと感心し、そう言えば小十郎も政宗にはほんの僅かではあるが気を許していると思い至る。
切欠はなんだったかと半分に割った饅頭を口に運びつつ、成実は隣に腰を下ろしている小十郎を横目に見やった。
「そういや小十郎は政宗ンとこになにも持ってこないよね」
お願い事はないの? と首を傾げて見せれば、別に、と全く興味のない声音で返された。欲のない子だ、と成実が僅かに目を眇めれば、それに気づいたわけではないであろうが、小十郎はなにか思い当たったか一瞬動きを止め、あ、と小さく掠れた声を漏らした。
「こめ……」
「うん?」
「今年も病気しないで育ってくれれば、いいな、と」
そう言って顔を巡らせた小十郎の視線の先を追えば、そこにあるのは今は名も知らぬ草に支配されている田で。
小十郎ひとりで耕し、水を引き、苗を植え、収穫されるそれは、竜神へと捧げられる神酒となる。醸造も彼ひとりの手で行われており、子供には荷が勝ちすぎていると思ったものだがなかなかどうして。筋が良いのか要領が良いのか、齢十五の三年目にして政宗から合格点をもぎ取ったのだった。
何度も政宗にダメ出しをされたときに小十郎が一瞬見せた表情を思い出し、成実は「そうは見えないけど負けず嫌いなんだよなぁ」と改めて思う。
政宗は恐らく小十郎の本質を見抜いており、わざと発破を掛けるような物言いをしたのだと、今ならわかる。小十郎は小十郎で無意識であろうが、己を理解してくれる者であると政宗を認識したに違いない。
「あ、これか」
先の疑問に対する答えが、するり、と導き出され、間の抜けた声を上げる成実を小十郎は訝り、黙って首を傾げた。
「いやいや、こっちの話」
なんでもない、と軽く手を振り成実は空を見上げる。近年は天候も安定しており、それは即ち政宗の心が穏やかなことを示している。破天荒さと思いきりの良さで代々の竜神の中でも特に気性が荒いと言われているが、彼とて訳もなく暴れることはなく、血族の贔屓目を差し引いてもどちらかと言えば思慮深く、義理堅く、律儀な方だ。
そんな彼が大暴れをしたのは確か、小十郎が他所へとやられた日だ。当時は顔すら合わせたこともなく、政宗が一方的に小十郎を覗き見ていたような状態であったが、あの子供を見ていたときの政宗は非常に満ち足りた顔をしていた。
「あれは、俺の右目になるぞ」
一度だけ政宗はそう口にしたことがあり、成実は訳がわからないと首を傾げるだけであった。
「それじゃ、そろそろ行くわ」
じゃあね、と手を緩く振り立ち去る成実を送るように、涼やかな笛の音は彼が庵に戻るまで響き続けたのだった。
すとっ、と庵の戸を開ければ、政宗は窓辺に置かれた文机に肘を突き、隻眼を閉ざしていた。障子を閉ざしたまま小十郎の奏でる笛の音に耳を傾けていたか、その旋律が途絶えると同時に、ゆうるり、と瞼を持ち上げ、気怠そうに口を開く。
「やっぱりいいな、あれは」
眠気を誘われたか、どこか蕩けた表情で言葉を紡ぐ政宗の姿に、成実は軽く肩を竦めて見せる。
「間違ってもそのだらしのない面、邑の者には見せるなよ。なけなしの威厳が跡形も無く消し飛ぶからな」
幼少の頃より共に育ったが故に成実から気安さは抜けぬも、公私を弁えていることもあり、政宗は全く気にしていないためお咎めはない。よいせ、と人一人分の間隔を保ち成実が腰を下ろせば、政宗は彼の言葉を特に気に留めることなく、菓子皿から饅頭を一つ取り上げた。
「そろそろネタ切れらしいぞ」
くつり、とひとつ喉を鳴らし囓ったそれも、邑人が持ってきた物だ。どうせ違うとわかっていたからか、お茶請けにとそのまま置いていったのだ。
「あー、間が悪いなぁ。こんなことなら丸々一個くれてやるんだった」
お前も喰え、と押しやられた皿を前に成実がぼやけば、政宗の片眉が、ぴくり、と上がる。
「餌付けしてんじゃねぇよ」
「そんなんじゃないっての」
わけわかんねぇ、と嘆息混じりに饅頭を口に運ぶ成実を暫し半眼で見やっていた政宗だが、ふと、相手が難しい顔をしたことに気づき、なんだ、と言わんばかりに緩く首を傾げて見せた。
「いや、今更言うのもなんだが、四年前の流行病……お前は関わってないんだよな」
綺麗な歯形の付いた饅頭に落としていた目を、すっ、と正面に据え、真剣な眼差しを向けてくる従者に、竜神は一瞬瞠目するもそれは瞬き一つの間に感情を映さぬ眼へと変じた。
「あぁ。一切関わっちゃいねぇよ」
他所へとやられた小十郎が今現在ここに居るのは、四年前にこの邑で流行病があったからだ。
跡取りにと育てられていた長子を病で亡くし、巫女であった母も既に他界しており、代々受け継がれてきた正統な神官の血筋はここで途絶えた。
実際のところ小十郎もこの母の子であるには違いないのだが、父親がわからぬのだ。身籠もった本人が頑なに口を閉ざしたことに加え、神に仕える巫女が不貞を働いたと邑の者に知られるわけにもいかず、この件に関しては皆揃って口を閉ざしはしたが、小十郎に対するよそよそしさは隠し切れていない。
だが、小十郎を正式な跡取りとすることに難色を示していた者達も、背に腹は替えられぬとやむなく彼を呼び戻したのだった。
いらぬからと他所へやられ、大人の事情で再び呼び戻される。そのようなことがあれば幼心に傷付き、感情を押し込めてしまうようになってもなんら不思議ではない。
「血に拘るのはどこでも一緒か。めんどくせぇよな」
するり、と己の右目を覆う眼帯を一撫でし、ぽつり、漏らした政宗はそのまま立ち上がるや障子を開け放ち、すぅ、と目を細めた。その視線の先にあるのは立ち並ぶ木々のみだが、恐らくそれらを擦り抜け神眼は更に先を見ているのだろう。
「目ん玉ひとつで済んだんだからいいじゃねぇか。もしおまえに両の目が揃ってたら今頃、誰も手が付けられねぇくらいの荒神になってたんじゃねぇの?」
命がいくつあっても足りねぇよ、と戯けた仕草で肩を竦める成実に、うっせ、と短く返し、政宗は僅かに眉尻を下げる。
幼い頃から望まぬうちに継承者争いに巻き込まれていた政宗は、裏表無く率直に意見を述べるこの男が血族であり近しい間柄であったことに、何度感謝したか分からないのだ。
愚かな振る舞いをすれば殴ってでも止めてくれる、何者にも変えがたい存在だ。
「それよりもいつまで続けるんだ? いい加減、騒がしいのにはうんざりなんだが?」
「二週間って最初に言っただろ。おまえだってそれで了承したんだから我慢しろ」
「はいはい。全く、ひでぇ神様に好き勝手振り回されて邑の奴らもかわいそーに」
これっぽっちもそうとは思っていない口調で笑い声を上げる成実に合わせ、「俺もそう思うぞ」と政宗も戯けた笑い声を上げたのだった。
今日も今日とて運ばれてくる品を、あっさり、と突き返し、政宗は退屈そうに大欠伸を漏らす。
「だーれも気づいてねぇのな」
落胆の呟きかと思えばその瞳は喜色に満ちた輝きを放っており、成実は僅かに眉根を寄せる。変わり者だとは思っていたが、欲しいモノが当てられないことを喜ぶなど理解に苦しむ。
「そろそろなにが欲しいのか、教えてくれてもいいんじゃね?」
「Ah? おまえもわかんねぇのか。それじゃ他の奴らにわかるワケねぇよなぁ」
くつくつ、と喉奥で低く笑う政宗は心底嬉しそうで、やはり理解に苦しむ、と成実は隠すことなく更に眉根を寄せた。
「それとも、当たり前すぎて今更だからか?」
謎かけでもしようというのか、要領を得ない問いを発する政宗になにか言いかけるも、成実は、はっ、と口を噤んだ。彼よりも一瞬早く、目の前の政宗の隻眼が不快感もあらわに細められたからだ。
瞬間的に膨れ上がった不穏な気は、嫌な空気を辺りに撒き散らし、やがて消えた。
無言で立ち上がった政宗の表情は先までの柔和さは一切無く、柳眉を吊り上げた険しい物へと変じている。
「今のは……」
知らず漏れ出た成実の声など耳に入っていないのか、政宗は開け放たれた戸口の向こうを、じっ、と凝視する。ややあって近づいてくる小さな足音に気づいた成実がその姿を視界に納める前に、
「小十郎」
と、鋭い声が政宗の唇から発せられた。
ぴたり、と止まってしまった足音は、外にいるのが小十郎であると告げている。
「どうした、小十郎。入って来い」
逡巡の気配はあるものの有無を言わせぬ強い口調に観念したか、そろり、と忍ぶように小十郎が姿を見せた。その面を目にした刹那、政宗のひとつしかない眼はこれ以上はないほどに見開かれ、わなわな、と拳が震え出す。
「Hey、そのツラぁどうした」
入り口で立ち尽くす小十郎に向けられた声音は、ぶすぶす、と燻る怒りが抑え切れておらず、地を這うように低く恐ろしい。だが、それは小十郎自身に向けられた物ではないことを、成実はわかっていた。
左頬を腫らし、黙って俯く小十郎は唇を引き結んだままだ。
「なにが、あった」
未だ抑えきれぬ怒りに震える声音ではあるが、先よりは落ち着いているそれに成実は内心で胸を撫で下ろす。互いに動こうとしないふたりに代わって腰を上げ、小十郎に静かに歩み寄ると上がるようにと促し掌を背に添えた。
だが小十郎は、ふるり、と首を横に振る。どうしたのかと成実がよくよく見れば、その足は何も履いておらず土に汚れていた。庵の畳が汚れることを懸念しているのだと気づき、水桶と手拭いを持ってこようとするも、それよりも早く政宗が動いた。
無言で伸ばされた腕に小十郎が反射的に身を竦めるも政宗は意に介さず、歳の割に痩せぎすな身体を抱え上げる。なにが巻き起こったのか思考が付いてきていない小十郎は、大股に戻る政宗に横抱きにされたまま、ぽかん、とその顔を見上げるばかりだ。
どかり、と胡座をかいた足の上に下ろされ、ようやっと事態を把握するもそこから抜け出せるはずもなく。
「暴れたら土が落ちるぞ」
更に先手を打たれては身動きひとつ取れるわけがないのだ。
腫れた頬に掌を宛がい、伝わる熱に政宗の眉が寄る。
「全部話せ」
ゆるゆる、と癒すように頬を撫でながら促せば、小十郎は逡巡の気配を見せるも目を伏せたまま薄く唇を開いた。
「籾が、持ち出されました」
震える唇が紡いだ言葉に、政宗も成実も絶句する。更に続けられた内容に政宗は、ぎり、と奥歯を鳴らした。
神酒を造るための種籾は、神域である神社から持ち出すことは固く禁じられている。一度、外界へと出てしまえば世俗の垢がつき、穢れたそれを神に捧げるわけにはいかないからだ。
邑の者なら決して犯さぬ愚行であるが、事の重大さを理解していない子供であれば、話は別だ。
同年代の子供からすれば、神社からなかなか出てこず滅多に口を利かない小十郎は不気味な存在で、得体の知れない相手はいつしか気にくわない者へと変じ、更にはそこはかとなく大人達から疎まれているのを感じ取っていたか、彼に対する嫌がらせのためだけに神酒を造るための特別な種籾を盗んだのだった。
常であれば特別な用がない限り足を踏み入れることのない神社は、ここ数日頻繁に邑の者の出入りがあり、子供達が敷地内に入り込んでいようとも誰も気に留めていなかった。
子供からすれば他愛のない悪戯であった。
それでも例え悪戯であっても事が事なだけに、咎めを受けるのは邑の子供であろう。
だが、叱責を受けたのは小十郎の方であった。
おまえの管理がずさんだったのだと、問答無用で頬を張られた。小十郎はそれに反論することなく、申し訳ありません、と静かに頭を垂れ畳に伏した。
小十郎の几帳面さ、真面目さを政宗と成実は充分すぎるほど知っている。朝昼夜、毎日欠かすことなく倉の様子を確かめ、掃除も欠かさない。
なんと理不尽な、と成実が拳を震わせれば、小十郎は諦めたように首を横に振った。
「経緯はどうあれ、大切な籾を失ったことに変わりはありません。如何様な罰も受ける所存にございます。この身ひとつでどうにかなるのであれば、どうぞお気の済むようお使いください」
そのために参りました、と真っ直ぐに見上げてくる小十郎の瞳に迷いはなく、政宗は瞠目するも瞬く間に、やわり、と眦を下げた。
「おまえを、くれるのか?」
「そう、なりますか……?」
政宗の問いの意味がわからないのか、小十郎は助言を求めるように成実を、ちら、と見やる。だが、その動きが気にくわなかったか、政宗は頬に添えたままの手に力を込め強引に小十郎を己へと向けさせると、「おまえの意志で、俺の元へ来たんだな?」と重ねて問うた。
「はい」
それには迷うことなく即答し、小十郎は竜が言葉を続けるのを黙って待つ。
「そうか。小十郎、おまえの願いを叶えてやる」
「はい?」
またしても意味のわからぬことを言い出した竜神を見上げ、小十郎は、ぽかん、と年相応の幼い顔を見せる。
「と、言ってもこの状況じゃ欲しい物はひとつか」
くつり、と喉を鳴らし己の懐をまさぐった政宗は、呆気に取られている小十郎の目の前に、掌に乗るほどの小さな巾着袋を、ぷらん、と下げて見せた。
「俺のお宝だけどな」
ほら、と促され小十郎が恐る恐る受け取った袋の口を開ければ、そこに詰まっていたのは黄金色の籾で。
「毎年、収穫前に少しずつ貰ってた」
これは去年のだ、と目を細める政宗に悪びれた様子は欠片もなく、そもそも彼のために米を育てている小十郎が怒るわけもなく。
「でも、なんで俺の願いを……?」
そこまでして貰う理由がわからず戸惑う小十郎に、成実はどう説明したものかとこめかみを押さえる。先のやり取りで政宗が欲しがっていたものがなにであるか、ようやっとわかったのだ。
「あーうん、灯台もと暗しだった」
当たり前すぎて今更、と政宗が言った時点で気づいて然るべきだったのだ。
「小十郎の作る米も酒も、奏でる笛も舞も、そして小十郎自身も全部俺のモノだ」
やっとやっと俺のモノになった! と喜色を隠しもせずそう宣言するや政宗は、ぎゅう、と膝上の子供を抱き締め、突然のことに小十郎は、ぎゃあ、と声を上げることも出来ず、ただただ、足に付いた土が政宗の着物を汚さぬようにと石になるしかなかったのだった。
すっかり舞い上がっている竜神を眇めた目で見やり、成実はひとつ嘆息を漏らす。
「じゃあ、籾のこと話してくるわ。どうせ小十郎が言ったってこじれるだろうし、おまえが言ったら更にこじれそうだからな」
聞いているのかは定かではないが、一応断りを入れてから庵を出ようとした成実だが、これだけは言っておかねば、と肩越しに振り返った。
「元はと言えばおまえのせいで小十郎が痛い思いしたんだからな。それはわかってるよな」
ぴしゃり、と言い放てば政宗の全身から放出されていた陽気が、まるで頭から冷水を浴びたかのようにみるみる消え失せていく。その様に成実は小さく鼻を鳴らし、それ以上はなにも言わず出て行った。
残された政宗は小十郎を放しはしなかったが、耳元で小さく「Sorry」と漏らしたのだった。
すっ、と極自然に寄せられた主の顔に、小十郎は、ふい、と顔を逸らす。
「政宗様……」
「An?」
「いい加減このようなお戯れはおやめくだされ。小十郎はあの頃のような童ではありませぬぞ」
今ではすっかりと成長し政宗の身長を追い越したにも関わらず、小十郎は未だ事ある毎に政宗の膝に誘われ続けている。
「なに言ってんだ。俺からすれば人なんて、いくつになっても童と同じだ」
くつり、と喉を鳴らし眼前に晒された小十郎の耳たぶを柔く食めば、うぐ、と咄嗟に声を飲み込んだ色気のない呻きが漏らされた。懐かしい話を聞かされただけで顔から火が出そうだというのに、これ以上醜態を晒すのは小十郎にとって拷問に等しい。
「なんだよ、昔はもっと素直で可愛かったのによ」
不満を示す言葉とは裏腹に政宗の口角は、にゅっ、と上がっており、ともすれば肩を揺らして笑い声を上げそうな雰囲気ですらある。この状況を楽しんでいるのは誰の目にも明らかだ。
なんだってこう妙なところで意地が悪いのか、と小十郎は溜め息を吐き、どこか疲れた声音を漏らす。
「ですから、小十郎は……」
「わかってる。もうガキじゃねぇって言うんだろ」
不意に潜められた声に小十郎は息を飲み、そろり、と顔を政宗へと戻せば、そこにあった竜神の顔は声音同様、真剣なものであった。
「おまえ、早く嫁娶って子供作れ」
「は?」
突然なにを言い出すのかと小十郎が目を丸くすれば、政宗は暫し口を噤んだ後、再度、ゆるり、と薄い唇を開いた。
「おまえの子供なら俺は愛せるし、おまえが選んだ女ならそいつも愛せる。血を残せ、小十郎。お前の血が代々ここを守るんだ。そうすれば、俺は安心してお前を連れて行ける」
唄うように紡がれる政宗の言葉に小十郎は瞠目し、記憶の中にある若々しい姿とまったく変わらぬ目の前の男を、ただただ見つめるしかない。
「そうすれば、ずっとずっとおまえを俺だけのものにできる」
「俺は……既に貴方だけのものですよ?」
今更なにを、とまるで幼子をあやすかのような、齢を重ねた柔い声音で小十郎が告げれば、政宗は笑みながらも瞼を伏せ、ふるり、と頭を振った。
「おまえの生真面目さを何年見てきたと思ってんだ。俺と邑のことどちらかを選べって言われても、どっちも放り出せないくせによ」
そういうところもひっくるめておまえのこと気に入ってるんだけどな、とどこか誇らしげに言葉を落とす政宗の頬に手を伸ばし、小十郎はそのまま、ゆるゆる、と撫でさする。
「普段は俺の都合などお構いなしなくせに、妙なところで律儀な方だ」
「ばーか。俺を祀ってくれる神社が無くなっちまったら困るんだよ」
本当ならば今すぐにでも、常世から神世へと連れ去りたいのだ。
人はすぐに老いて死出の旅路についてしまう。例え神であろうとも、人の生き死にを己の都合で変えることなどしてはならぬのだ。
だからだから、一日でも早く人の世の因果を断ち切り、此方側の者にしたいのだ。
「……考えておきます」
心中を口には出さずとも、聡い男は政宗の痛切な胸の裡などお見通しであるのか、表情は真面目そのものであったが、触れた指先から伝わるぬくもりと、そこに込められた愛しい愛しいという思いに、政宗は、くしゃり、と相好を崩したのだった。
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初稿 2011.06.25
加筆修正 2011.09.07