Is the sky blue.
ひび割れ亀裂の走る土地を見下ろしていた。草木も生えぬ岩肌は街から遠く、人の気配は僅かにも窺えない。そうした僻地を転々と移ろい暮らしている。世俗に関わらぬよう生きている。瞼を伏せ、この数日住処にしている洞穴へと踵を返した。
「アイムグラッジュミーチュー」
薄暗さより漂う楽しげな笑い声に足を止める。洞穴に響く声は軽妙と見せかけ、聞き慣れた者にはその奥に色濃く残る幼さばかりが耳につく。呆れた溜息を喉奥に殺し、静かに暗闇を見定めた。身じろぎに合わせる形で僅かな光を拾った体毛が青に光る。
「Welcome home, shadow. 空は青いか?」
「……」
冷めた視線を向ければ、けらけらと笑う声に合わせて青い針が揺れ動く。Blast。どこで嗅ぎつけてくるのか、彼は不定期に自分の前へと現れ続けている。定住地を持つことなくさ迷っているというのに、何度顔を合わせてもまるで意に介した様子が無い。今や彼の足だけが自分に追いつける。
嘗ての英雄に酷似した容姿を持つ少年は、青年と呼べる姿へと成長しつつあった。
「君はまた……」
「Non non ! お小言はなし! 俺と遊べるのなんてシャドウとシルバーくらいなんだからさ、光栄に思ってくれよ」
並列された名前は久しく耳にするものだった。GUNを除籍された自分と違い、嘗ての教え子は今もかの施設に身を置いている。彼にカオスコントロールを教えたことを、今は後悔している。結果として彼が死んでいたとしても、世界はそれを受け入れるべきだった。シルバー以降、カオスエメラルドを扱える人材は今に至るまで確認されていない。自分が除籍される決定的な原因になったソラリス・プロジェクトについて、彼は恐らく最も適任であり自ら貢献もしていた。
「炎が灯ったんだ、まだ小さいけど。でも、未来を照らす光だぜ」
最後に会った時にそんなことを言っていた。未来への希望。未来を信じる希望。もう長いこと顔も見ていない。
「彼と会っているのか」
「ぜーんぜん。あっちも忙しいみたいで最近じゃ御無沙汰だ。シャドウが寂しがってたって言っといてやるよ」
軽い台詞には応じない。誰に似たのか、口がどんどん達者になって最近では閉口させられることも少なくない。それでも相手は、此方の無反応に機嫌を損ねることなく専らにこにこ笑っている。今もまるで気にすることなく、勝手に歩幅を読んでずいと身体を寄せてくる。新緑の双眸がきらきら光って目に眩しい。
「心配?」
「……君には必要無いだろう」
「オレじゃないさ。な、シャドウが泣いて頼むんなら、シルバーをGUNから連れ出してもいいぜ?」
「そういう口はもっと強くなってからきくんだな」
「手厳しいなァ――じゃ、コレならどうだ?」
台詞と同時にひょいと掌を掲げて翻す。くるりと回した手に捕まれた輝きに、今度こそ瞠目した。カオスエメラルド。思いを力に、時として過ぎた力をも与える至高の宝石。その光が彼の手中にある。新緑の双眸が細くなる。
次の瞬間には、彼の拳を蹴り上げその四肢を組み敷いていた。
白い掌からぽろりと宝石が零れ落ちる。カランと乾いた音が洞窟に響いて消えた。抵抗は全て押さえ込み、意識して感情を殺した声で問いかける。
「使ったのか」
「――-ッ」
押さえる力を強くする。仰向けの心臓に添えた足は確実に肺を圧迫する。見逃すことはできない。彼がシルバーと接触し、その力を教授されたと言うなら、もう彼はただの足が速いだけの針鼠ではない。放浪する自分を彼だけが見つけられた理由も、それが奇跡の力に起因するなら腑に落ちる。
互いの鼻先が触れるほど間近にある瞳を睨みつける。彼の唇が酸素を求めて戦慄いた。
「s――ごめんごめんごめんって!!! からかっただけ! 使ってない!!」
幼く切実な悲鳴に腕に込めていた力を僅かに緩める。ぶはっと息を吐き出す様に、押さえていた足をどけた。逃げるように上体を起こした相手が、涙目に自分を睨む。先刻までの大人びた風情はすっかり剥がれ落ち、幼い顔だけがぜぇぜぇと肩を揺らしていた。
「はー、痛ってェ……」
じたじたと騒ぐ相手を無視し、転がり落ちた宝石を拾い上げる。握った指先から確かな光と力が感じられた。紛い物ではけしてない。
「どこで手に入れた」
「北のちょっと寒いとこ。ここ最近妙に暑かったろ? 涼しい所に行きたいなーって」
息を整えた彼は、氷の洞穴で見つけたんだとあっさり白状する。7つのカオスエメラルドは嘗て人々の願いを叶えた後、各地へと散った。この数年見つかっていないものもある。それが今、このタイミングで“彼”の元へと収まったことに意味があるのか勘繰ってしまう。記憶が定かなら彼はもうすぐ15になる。嘗ての英雄と同じ歳を迎える。
「やるよ、それ。そのつもりで持ってきたんだ」
「……」
「俺が持ってても使えないし、GUNはもう持ってんだろ? だったらシャドウに託すのがフェアだと思ってさ」
「……フェア、か。僕が悪用するとは思わないのか?」
「シャドウはしないよ」
何の迷いもなく断言する。その潔さに此方が何か言う前に、さてと声を上げて相手は立ち上がった。
「用事も済んだし行くよ、じゃーな」
先刻までのやり取りも忘れたかのように言いのけ、少年は足首をぐるりと回す。今にも駆け出しそうな背は何処までも身軽さを思わせた。あまりにも身軽で、誰をも振り返ることはなかった。嘗ての背中に重なる姿が、知らず唇をなぞらせる。
「――英雄になりたいか?」
他愛も無く、それゆえに切実な問いだと誰よりも理解する。見据えた青が振り返り、揺れることのない瞳が自分を見た。曖昧で不確かでままならない、されど確かに眩く光る。彼の答えを知りたかった。今此処で問うには遅過ぎたと分かっていて、それでも。
限りなく近い夢を見る。
「それが――大事な人達の希望なら、な」
「――」
「でもオレ、楽しいこと好きだし自分勝手だからさ。ヒーローなんて重いのぜってームリ。知ってんだろ?」
けろりと笑って同意を求める顔に虚勢や衒いは窺えない。ありのままに言ってのけた針鼠は、此方の渋面など無視してにこにこ目を細めている。いつのまにそんな風になったのか、どうせならもっとよく見ておけば良かった。どうせ離れられないなら、もっとずっと近くにいれば良かった。もう遅い。何もかも遅い。
「君は、今でも彼の名で呼ばれたいか」
「さァ、どうだろ」
苦笑を滲ませて少年は肩を竦める。それから不意に、遠くへと視線をやった。遥か彼方、記憶も届かぬ向こうへと思いを馳せているようだった。
「どっちかっていうと、会ってみたかった。どんな言葉を話して、どんな目をして、どんな風に走ったか――好きなんだ。だから彼がどんな風に生きたか知りたい」
「……」
「シャドウはぜーんっぜん教えてくれないしさぁー。ま、どっちにしたってオレじゃ英雄には及ばないだろ? だったら同じことさ。俺は俺以外にはなれないし、ならない」
それでいいよと穏やかに口角を釣り上げる。その眦の柔らかさに、嘗ての青色が重なっていく。幾重にも重なって、誰の言葉か分からくなりそうで、けして違えないよう忘れないよう口にする。
「ソニック」
「だからもういいって!」
その名前は十分だと彼が笑う。あんなにも切望していた名を、しがみついていた名を手放した。それからの方がずっと、“彼”らしくなっていると本人は気付かない。命あるものの成長は怖ろしく早い。彼の背丈は顔を合わせる度に伸びていき、今ではもう自分と然程変わらない。
今度こそ見定めたいと思う自分の心など永遠に知らないままでいい。ただ自由を謳歌するなら、それだけで君は未来を担う。
空は今日も、青い。