波風の唄「は……? 海?」
湯船につかりながら、俺は湯気の向こうの天井を見上げて、オウム返しに聞き返す。
隣で縁に座って手酌しながら、キジュウはぺったりと身体に長い髪を張り付けて苦笑した。
「この国にゃあ季節はそこまではっきりとはしてないがね。けど、国土は広いだろう? それで、ワノクニみたいに四季に合わせて観光地を開放してるんさ」
ばしゃりと水面から上がって隣に座り、ちらりと顔色をうかがう。
キジュウは怪訝そうに眉をひそめた。
「……なにさね」
「いや、まーた酔ってぶっ倒れねえかと思ってよ」
「そうそう倒れたりしないさね……で、お前さんは行くのかい?」
キジュウは以前の事を思い出したのか、ばつの悪そうに頬を掻きながら、問いを返す。
俺はそれに対して、瞼を閉じてしばらく黙考した。
「んー……どうすっかねえ……」
「……へえ、お前さんはこういうイベントは好きかと思ってたけどなあ」
「海だろ? 昔何度か見てるから、特にしたいことが思いつかないんだよな」
水着とかなんの用意もねえしな、と後ろ手を壁につけて上体を逸らす。
肩甲骨を寄せて力を抜けば、風呂の熱でほぐれた筋肉が伸ばされて、心地いい。
そのままストレッチをしながら、俺は黙りこむ。
「ま、何もないなら、ないなりに行ったらきっと楽しみがあるぞ?」
キジュウは空になった猪口にワノクニの清酒を注ぎながら、ちらりと俺を横目に見る。
「……ま、それもそうかもな」
軽く答えながら、俺はキジュウから猪口を奪うと中身を飲み干す。
空になったそれを返すと、キジュウは恨み気味な目で睨む。
「今度奢るから怒るなって……で、あんたはどうなんだよ? その、レプス=リヴァルディには行くのか?」
「そうさねえ……ま、ぼちぼちかね」
「なんだよ、それ……」
曖昧な返事に俺は苦笑する。
キジュウはそんな俺の表情を見て、楽しそうに笑った。
からかわれていると自覚するも、別に嫌な気分ではなかった。
「んじゃ、俺は先に上がるわ。飲み過ぎて逆上せんなよ?」
「へいへい、お節介な女房にゃ逆らえないさね」
「誰が女房だ、こら」
軽口を返しながら、掛け湯もそこそこに風呂場を後にする。
熱風を魔法で起こして、全身の毛から水気を吹き飛ばす。
肩にタオルをかけて、俺は自分の服をつっこんだ籠の前に立った。
「……よし」
行くと決めたらとことんまで楽しむのが俺の流儀だ。
頭の中で今日の予定を考えて、俺はシャツの袖に腕を通した。
線維物を扱う店が多く集まった商業通り。
来たる夏に向けて、各店同士が盛んに新作を売り出す中、もっとも今注目を浴びているのが多種多様な水着だった。
国王、レオストルムから国民に向けて発表された、夏の観光地開放の知らせを受け、国中で海で見栄えする水着の需要が高まったせいだ。
俺はそんな活気あふれる通りに足を運び、そこに集まった人々と同じく、自分に合った水着を求めて軒下を覗き込んでいた。
「……んぎゃー! 引っ張るなー!」
際どい布面積の極端に減らされたビキニ型水着を指先でつまみながら、これじゃあ隠しきれねえだろとツッコミを内心で入れていた俺の【耳】に、通りの方から絶叫が聞こえる。
まあ、他にも客寄せやら値段交渉やらで大声が飛び交うこの通りでは、さして目立ちもしない声だったが、声の主に覚えがあった俺はひとまずそちらに向かうことにした。
入っていた店から出て、【耳】を動かす。
「あっちか」
声を上げていた友人の顔を思い浮かべながら、俺は少し足を早め、人混みを掻きわけた。
通りと通りが交わった交差点の中央。
噴水を中心とした小さな広場に出ると俺は見知った顔を直ぐに見つけることが出来た。
何故かいつもより高い位置に黒兎の顔が見え、俺は首を傾げながら近づき、その理由に気がついた。
「やめろー! このイケメン!! 縮め!!」
「あー? なーに言ってんだこの兎公は」
知り合いの黒兎、エヴァンは背後から大柄な獅子獣人に抱きかかえられ、その長い耳や細い腹を撫でまわされ弄ばれていた。
ワノクニの着物を着こんだ獅子は、整った顔に喜色を浮かべ、黒兎をくすぐる。
しかし、エヴァンも心底嫌なわけではなさそうな様子に、俺は話しかけるのも野暮かと察して黙って消えようかと思ったが、
「あー! ユースさん! 助けて! 助けてー!」
こそばゆさに半笑いの状態でエヴァンが俺に気付き、助けを求めたため仕方なく近くまで寄る。
ひいひいとこしょぐられて笑い声を上げるエヴァンと、にやにやしながらそれを見下ろし、弄ぶ獅子人。
俺は双方の顔を見て、
「……あー、そういうことは往来じゃなくて宿の部屋とかの方がいいと思うぞ?」
「って、ちっがーう!」
俺の指摘に対し、エヴァンは痺れを切らしたのか全身から魔力を放出して獅子人の腕の拘束を弾くと、素早く俺の腰を掴んで背後に隠れた。
「あん? おめえら、そういう仲なのか?」
「いや、そういうわけでもないが……で、あんたは?」
俺はひょいとエヴァンを抱き上げて前に持ってくる。
そして、獅子人と同じようにくすぐるとエヴァンはまたひゃー、と悲鳴を上げて悶え始めた。
それを少し楽しいと思う俺が、内心いる。
「ちょ、や、あはは、くすぐった……もー! なんなんですかこのイケメンどもは!!」
「と、言われても」
「なあ?」
俺と獅子人はどこか互いに通じるものがあるなと、初対面ながら頷き合った。
エヴァンに対する対応を見る限り、俺と獅子人は共通の感情を持っている気がした。
……エヴァンって弄りやすくて面白いんだよな
「で、エヴァン。知り合いなら紹介してくれよ」
苛立ちにそっぽを向いていた黒兎をなだめようと俺と獅子人はとりあえず謝りながら、紹介を促す。
仕方ないなあ、と呟きながらエヴァンは、機嫌を治した。
「この獅子イケメン野郎は吼音武士。まあ、昔馴染みの知り合いです。で、こっちは闘士のユースさん」
「おう、よろしくな」
「こちらこそ」
ブシはにかっと牙を見せて笑いながら手を差し出す。
俺もそれに握手をしながら、笑い返す。
「くっ、イケメン二人が揃うとなんか絵になってむかつく……!」
何故かそれを見ていたエヴァンは羨ましいのか恨めしいのか、複雑な表情で顔色をころころ変えながらぶつぶつと呟く。
俺は苦笑しながら、
「それで、エヴァンは何をしてたんだ?」
「えっとですね……今度、海が観光地として開放されるじゃないですか。騎士団でも観光地での警備任務に駆り出されるんですが、騎士団員にとっても慰安の意味もあるので半分は休暇扱いなんですよ。それで水着を調達しようかなって思ってここに来たら、ブシに出会って苛められてました」
「おいおい、人聞きの悪いこというなよ。ちょっと遊んでただけだろ?」
ブシがにやにやとしながらエヴァンの頭をつつく。
それを振り払おうとエヴァンは腕を振りまわすが、ブシは器用にそれを避けてはつつく、を繰り返した。
「やーめーれー!」
「ああん? なんだ、ちんちくりんがよー」
「誰がちんちくりんだこらー!」
「はいはい、いちゃつくないちゃつくな」
周囲からひそひそ声が聞こえている俺は、とりあえず止めに入る。
はたから見れば、エヴァンには申し訳ないが、大人が子供を苛めているようにしか見えないのだ。
「で、エヴァンはもう水着は買ったのか?」
「あー、はい。買いました買いました」
エヴァンは手に持っていた紙袋を見せた。
しかし、それをひょいとブシが奪い取る。
「へー、どんなの買ったんだ?」
「って、こらー!! 勝手に見るなー!!」
ブシはエヴァンの手をかわしながら、紙袋からまだ新品の水着を取り出して広げて、陽に晒す。
「……うわ、普通」
「普通だな」
爽やかな青色のサーフパンツを広げて、ブシと俺が感想を漏らす。
エヴァンは羞恥に震えながら、水着を取り返すとまさしく脱兎の勢いで駆けだす。
「イケメンなんかみんなショタになっちゃえー!!」
「あ、おい!! お前に用があるんだって!」
魔法まで使用して全力で離脱するエヴァンを、慌ててブシもそれを追いかけて広場から走り去っていった。
「……なんだったんだ」
おいて行かれた俺は、強くなった日差しにうんざりしながら肩を落とした。
紙袋に買った水着を詰め、俺はふらりと線維街とは別の通りの楽器店に足を運ぶ。
相変わらず店にお客はいないが、息を潜めるように棚に置かれた弦楽器達は今にも歌いだしそうな錯覚を覚えるほど、作者の熱意を感じさせた。
好々爺な竜人の店主、グレインは今は工房に引っ込んでいるらしく、店番をしているのは小さな黒い狼の少年だった。
「よ、ラルゴ。元気か?」
「あ、ユース兄ちゃん! いらっしゃいませ! ユース兄ちゃんも元気ですか?」
見ての通り、と俺はくるりとステップを踏んで一回転してみせるとラルゴはくすくすと笑う。
俺もつられて笑みを浮かべ、背負っていた木製のケースをカウンターに置く。
中にはこの楽器店で購入したリュートが入っていた。
「こいつの調整を頼みたくてさ。グレイン、呼んでくれるか?」
「はい、ちょっと待ってくださいね」
ラルゴは椅子からぴょんと飛び降り、奥の工房に向かって小走りになりながら、おじいちゃーん、と声をかける。
しばらくして、奥から無愛想気味な壮年の竜人が顔を出した。
「なんじゃい、お前さんか」
「おう、俺様だぜ。……ていうか、常連客なんだし、もうちょい愛想よくしようとかねえの……?」
冗談めかしながら、少し非難気に眉をひそめるが、グレインは鼻で笑って無視をする。
「無駄な愛想を振りまく歳じゃないからの。愛想を振りまくならラルゴの方が適任じゃしのう」
「あー……まあ、そりゃそうか」
まだ幼いとも言えるラルゴが笑顔を向けるのと、人生酸いも甘いも味わったような壮年のグレインが笑うのでは、確かに前者の方が好意的に受け取る客が多いだろう。
「それに、おまえさんなら適当に対応しても金は落とすからな」
「流石に言って良いことと、悪いことがあると思うんだが?!」
俺の非難を軽く無視しながら、グレインはリュートを手に取って検分する。
「ふん……少し巻き取り部分が固いのう。あとは指板のブリッジが擦り減っとるか」
よくもまあこんな短期間にこれだけ使いこんだものだ、とグレインはほんの少し笑みを浮かべた。
素直じゃねえなと内心で思いながら、作者としては使いこまれれば嬉しいものなのだろうと言葉にはしなかった。
「ま、俺の趣味ってこれくらいだからな。暇があったら基本的に触ってるよ」
「ふむ……まあ、二日後には終わらせてやるよ」
リュートをケースに戻し、蓋を閉じてグレインはスケジュールを確認しながら言う。
「あ、いやその事なんだけどな。ついでにしばらく預かってもらえないかと思ってよ」
「ん? そいつは構わねえが……」
訝しげに語尾を濁すグレインに、俺はレプス=リヴァルディに行くことを伝えた。
その言葉に、以外にも反応したのはカウンターの端でこちらの様子を見ていたラルゴだった。
「海……!」
「ん? ラルゴは海を見たことないのか?」
「えと……僕はジークリアから出たことがないので……写真とか絵とかで見たことはあるんですけど」
「そりゃまあ、そうか」
外壁の外、たとえしっかりと整備され、騎士によって巡回されている街道であったとしても旅をするのは困難がつきまとう。
魔物だけでなく、夜盗に人攫いに精霊災害やら魔法災害やらと上げればきりがない。
その上、やたらと費用がかかる。
食料、武器、その他必要な道具に通行料なんてものが必要なこともある。
それでも旅に魅入られた者や止むに止まれぬ事情をもった者は旅をするのだが……
「普通に暮らしてりゃ、旅なんか縁がねえもんな」
生まれた時からの根なし草。
風に吹かれるまま旅をしていた俺からは少し感覚のズレを覚えた。
俺が感慨深げに物思いにふけっていると、グレインがふと何かを思い出したように顔を上げた。
「なんじゃ、お前さん、レプスに行くのか?」
「おう、行くぜ?」
しばらくカウンターの下をごそごそとあさり、グレインは一枚のチラシと白い便箋を取り出した。
素人目にも高級だと分かるその便箋には騎士団の紋様と現ジークランド王、レオストルムの紋がしたためられていた。
「実はのう、レプスは国民にも招待が来ておってな。しかも国王陛下の好意で、抽選なんじゃが百人位の観光地までの旅代をタダにしてくれとるんじゃよ」
グレインは髭をしごきながら、便箋をひらひらと振った。
「つーことは、まさかこいつは……?」
「うむ、ラルゴが当ておったんじゃ」
俺は手渡された便箋から二枚の紙片を取り出し、読もうとして、諦めた。
するとラルゴが横から、招待券って書いてあるんです、と耳打ちしてくれる。
「おう、二枚も入ってるじゃねえか。ならじいさんとラルゴもいけるな」
「いえ、おじいちゃんは仕事があるんでいけないんです……」
今まで嬉しそうに笑顔を見せていたラルゴはしゅんと尻尾を落とし、耳をぺたりと倒す。
グレインがいけないとなるとラルゴ一人で街の外に出すわけにはいかないだろう。
必然的にラルゴもいけないということだ。
「あー……なるほどな」
しょぼくれるラルゴの頭をそっと撫でてやる。
少しだけラルゴの尻尾が揺れて、可愛いな、と内心で呟く。
「まあ、お前さんも一緒に行くなら、行ってもいいんじゃないかのう?」
グレインは異様にあっさりした口調で提案した。
「……は?」
流石に俺もラルゴも呆気にとられて言葉を詰まらせる。
俺達の顔を視て、グレインは急に快活な笑顔を見せて笑った。
「なんじゃその顔は! 儂は行けんが、お前さんがいいならラルゴも連れてってやってくれんか?」
「いや、俺は構わねえけど……いいのか?」
「お前さんの事は、まあそれなりに信用しとるからな」
「それなりなのかよ!?」
「おじいちゃん、いいの!」
俺のツッコミとラルゴの歓声が重なる。
本心では、初めての海を見たかったのだろう。
招待券まで貰って、きっと心は海への期待でいっぱいだったはずだ。
しかし、グレインの都合もあって行けないと分かれば、物分かりのいいラルゴのことだ。
文句の一つも言わずに我慢していたに違いない。
それが、まさか俺と言う保護者を得て行けるようになるとは思わなかったのだろう。
嬉しさに、尻尾がちぎれんばかりに振れていた。
「……じゃあ、俺と行くか?」
「行きます! じゃあ、準備してきますね!」
溢れんばかりの元気を声に込め、弾けるように自室に荷物を作りに走る小さな狼。
気が早すぎるなあ、と思いながら俺はそれを微笑ましく見送った。
「……んじゃ、ついでにウクレレくらいの小さいのも買わせてくれよ。やっぱ楽器ねえと落ち着かねえからさ」
「ふん。びた一文負けんがの?」
「ちったあサービスしやがれ業突く張りの爺が……っ!」
言葉に反して値段以上の楽器を渡してくれることを知ってはいるものの、俺は苦い顔を隠さなかった。
「あとは……こいつだな」
俺はいつもより小さな楽器ケースを背負い、紙袋を下げたまま、右腰の剣帯を見やる。
そのまま少し柄に触れ、鞘から刃をのぞかせた。
「……海に行くなら、錆止めしねえとなあ」
この無口な剣と同じ位、無愛想な顔をした熊を思い浮かべながら、夕暮れの中、職人通りを歩く。
一番活気のある時間帯をとうに過ぎ、店の中からは静寂が満たされ、工房からは僅かに槌を振るう音が聞こえるだけだった。
相変わらず独特な雰囲気だなあと感想を零しながら、目的の店に到着する。
いつも通り【耳】で店主がちゃんと起きていることを確認して、入り口の扉に手を賭けた。
「よーっす、イェルド。邪魔するぜー」
少し古びたランプが店内をゆらゆらと照らす中、カウンターの椅子に腰かけて肘をついていた熊が顔をこちらに向ける。
傷を化粧で隠した顔は相変わらず迫力満点で、無愛想な表情も相まって初対面では気押される客が後を絶たないに違いない。
季節柄、気温が高く、冷却魔法器もない店内で、イェルドはただただ顔をしかめていた。
その表情のまま、こちらを向いて、
「……なんだ、お前ぇか」
「なあ、毎回俺に対する反応が雑じゃね? 結構上客だろ、俺?」
「金落とすのが上客ってわけじゃねえぞ」
「そいつは同意するけどよう……ほら、愛想よく接客するとかさ」
「お前ぇは、俺に笑顔を向けられて喜ぶ変態か?」
「それ、イェルド自身もディスってるけど、気付いてっか?」
もはや恒例となりつつある軽口を叩きながら、俺は苦笑混じりに腰の剣を剣帯からはずしてカウンターの上に置いた。
「こんど、海に行くことになったからさ……調整してもらうと思ってよ。あと錆止めを多目に欲しい」
イェルドは置かれた剣を眺めながら、少しだけ片眉を上げる。
それが驚きの表情だと、最近ようやく俺にも分かるようになってきた。
「……なんだ。お前ぇも行くのか」
「そう言うってことは、イェルドも行くのか?」
イェルドは黙ってカウンターの上に便箋を放り投げる。
それを、ついさっき別の場所で見た俺は、少しだけ驚きの表情をした。
「……イェルドも当たったのか、この観光招待券」
「いや、店のポストに入ってた」
「なんじゃそりゃ……そんなんでよく行く気になったな?」
「あの辺りは魔物も出るって聞いてな。闘士や騎士がそれを討伐するのも目的らしいってよ。そんなら商売する機会もあるかと思ってな」
「……愛想ない割には商売に積極的だよなあ」
「ああん?」
「い、っでででででっ!! わ、割れるっ!?」
がしりと頭を握り、握力を込める。
俺は悲鳴と共に後ずさって何とか痛みから逃れた。
「つうか、俺の依頼聞いてたろうな?!」
「ふん、こんなもん明日の朝には終わらせといてやる。どうせ海に行くなら明日の闘士組と行くんだろ?」
イェルドは、鞘から抜いた剣を検分しながら問う。
今回のレプス=リヴァルディに行くのは一般客だけでなく闘士や騎士も含まれる。
そのうち、闘士と騎士のほとんどは一般人と混合で旅させるのが難しい連中なため、先遣されることが決まっていた。
俺も闘士として登録されているため、そっちの魔獣車に乗ればタダでレプスまで向かえるはずだった。
「いんや、俺は一般枠の魔獣車に乗るぞ。グレインに代わってラルゴの保護者にならなきゃいけなくてな」
ただでさえ暑苦しい闘士連中と、狭い魔獣車の中ですし詰め状態になりたくない、というのも一因ではあった。
そして、闘士と騎士が先遣される理由の一つに、一般人が到着するまで海の魔物を一掃するという理由もある。
俺は極力肉体労働は避けたい性質なため、願ったりかなったり、というわけだった。
「そんなら、普通に金払うことになるのか?」
「ラルゴが二人分の招待券当ててな。一枚使わせてもらうことになってる」
「そうか」
「つーわけで、一般客の護送が始まる三日後の朝までに頼むわ」
「おう。特急料金はもらうぞ」
「なんで期限伸ばしたのに特急料金なんだよ!?」
「明日の朝までなら超特急料金に決まってんだろ。三日後ならただの特急料金だ」
「……悪徳商法かよ。そんなら、完璧に調整頼むぜ」
「あたりめえだ。仕事に妥協はしねえ……錆止めくれぇはサービスしてやる」
「そうこなくっちゃな!」
商談成立と同時に俺は指を鳴らし、がっしりとイェルドの手を握った。
快晴と共にじりじりと刺すような陽光が、地面と毛皮の表面を焼く。
ジークリア南門前の広場には、多くの旅装束の獣人達が集まっていた。
目の前には車輪のついた大きな箱が、門の正面に鎮座している。
専用の調教された魔物によって牽引させる魔獣車だ。
二階建て構造で向かい合わせのボックス席が一階に16個、二階は前方に突き出す形となっていて18個。
一つのボックスは最大6人が座れるため、客数だけで最大200人超の人員を運ぶことが出来る大型魔獣車だった。
それをけん引する魔獣も当然巨大な陸亀の様な地竜種で、最大速度はそれほどでもないものの馬力と継続走行距離が長い種族だ。
「おっきいですね!!」
「あちい……」
そんな魔獣車を眺めながら、目を輝かせるのは夏らしい白の半そでTシャツと青いグラデーションの入ったハーフパンツと革紐で編まれた靴を履いたラルゴで、いつもと同じ衣服を着て暑そうに顔をしかめるのはイェルドだった。
「いや、主にその荷物のせいだろ……」
俺はイェルドの脇に置かれた大きな木箱を、半眼で見下ろす。
背負えるように肩ひもをつけたそれにはイェルドが店から持ち出してきた武具の数々が詰め込まれていた。
それを汗だくになりながら担いできたイェルドは、魔獣車に乗り込む前から既に疲弊している様子だ。
対する俺はいつもの旅慣れた服だった。
「たくっ……しょうがねえな……」
俺はこきりと首を鳴らしてから、ひょいと指先を一度振るう。
音もなく俺の尻尾から顔を出した氷の精霊が冷気をイェルドの周りに吹きかけた。
そよ風程度の涼しさに調整しながらだったが、イェルドはみるみる内に顔色を変えてラルゴ顔負けの子供の表情になる。
同じ表情を浮かべるラルゴのせいでイェルドの年齢を、錯覚しそうになりながら、俺は苦笑した。
「おー……!」
「いや、こんなん見せものでもなんでもねえからな」
身体に籠った熱がなくなり、立ち直ったイェルドは背筋を伸ばすと、前方の一点を見つめた。
「ん? おい、そろそろ乗り込みが始まるみてえだぞ」
まだまだ少年のラルゴでは見通せない前方の様子をイェルドが伝え、俺達はいよいよ出発だと、胸を躍らせた。
荷物を抱え、乗客たちが乗り込んでいく。
俺達三人は同時に受付をしたおかげか同じボックス席に乗り込むことが出来た。
それも二階の最も前方のボックス席で、取りつけられた窓から地竜の背中や前方の景色を見渡すことが出来るようになっている。
二階建て魔獣車ということもあり、ラルゴは窓に張り付いて、普段見られない景色にくぎ付けになっていた。
俺とイェルドはそれを微笑ましく見ながら、荷物を天井近くの棚に置いていく。
と、そこで問題が起こった。
「……おい、おっさん。どうすんだよこれ」
天井傍に荷物置きがあるのだが、俺とラルゴの荷物はまだしも、イェルドの木箱は重量も相まって乗せることが出来なかった。
仕方なく座席に置くが、そうすれば座るスペースが足りない。
もし同席の乗客がいれば座れない状態だ。
そもそも、イェルドの身体の幅が普通の二倍はあるのだ。
さすがのイェルドもばつが悪そうに鼻を掻く。
どうしようかと思案していると、ボックス席のドアがノックされる。
「どうも、車掌を務めるエヴァンでーす」
「……いや、意味分からんし」
扉を開けた俺は、足音から人物を予想していた上で、その意味不明な言動に困惑の表情で溜息を吐いた。
「それは冗談ですけど。偶然ですねー、ユースさん。この魔獣車の護衛を担当する騎士が俺達なんてー」
「……達ってことは、第二騎士団のメンツなんだな?」
「はーい、そうでーす。俺を含め、4人の騎士がこの魔獣車の護衛につきますよー。ついでに車掌業務も任せられてて若干オーバーワークだと上司に直談判したいところですね!」
乾いた笑いに若干の恨み言を混ぜながらエヴァンは会釈した。
「……いや、少なくないか?」
それに対し、俺は眉をひそめる。
一般人が200人近く乗り込んだこの魔獣車を4人の騎士で守るというエヴァンの言葉に違和感を覚えた。
例え、一騎当千の武力を持った4人が集まっていたとしても、明らかにマンパワーが足りていない。
ここから魔獣車で数日と言う距離であるとはいえ、不測の事態を想定した時に、明らかに対応しきれないと思えた。
「大丈夫ですよ。そのためにユースさんをこの魔獣車に乗せたんですからー」
「……は?」
「いやー、どうせユースさん闘士優先魔獣車には乗らないだろうな、と予想してましたのでいろいろ裏から手を回しましてねー」
ちらりと黒兎は俺の背後に視線を投げ、ウィンクをした。
どうやら俺が一般車に乗るなら、知り合いも乗る予定のこの魔獣車になることは想定されていたらしい。
そして、その知り合いに届いた招待状は、単なる幸運で届いたわけではないらしい。
「相変わらず、悪魔的な権謀術策だな……ていうか、乗らなかったらどうする気だったんだ?」
「伊達に第二騎士団で団長補佐なんてやってませんよー。その辺は大丈夫です。他の闘士の何人かも、そういう傾向があったので同じ手を使ってます! 一人でも引っ掛かれば御の字って感じです!」
「いや、大丈夫なのかそれ」
「もちろん。騎士だけでも守れる計算の上での保険的な意味合いですので、ご安心をー!」
後ろからしごく当然のツッコミをイェルドが入れる。
エヴァンは満面の笑みで返すが、胡散臭さが隠し切れていない。
「エヴァンだと微妙に安心できない気がするのは普段の行いのせいか……?」
それに対して、えーエヴァンよくわかんなーいと小首を傾げるので俺は思わず、イラっと尻尾を立たせたが、今回はエヴァンが上手だなと認めて諦めた。
「まあまあ。既に先遣された闘士や騎士に街道の魔物も大多数は駆除されてるんでこの人数でも大丈夫だろう、という判断です。心配はご無用です!」
「……ま、その辺は信頼するぜ」
「任せてください! ま、そのお詫びと言うか、偶然と言うか。このボックス席はユースさん達三人で使用してもらって構わないですよ。キャンセルされたお客さんとか人数調整で空きがあったんで」
「そいつは幸運だな。後はこのまま何もなく到着するのを願うぜ……」
そう締めくくるエヴァンに、俺は投げやりな希望を呟いた。
とりあえずイェルドの荷物問題も解決し、俺は腰を深くクッションの効いたソファに沈めることにした。
ジークリアを出発して三日目。
日中進み、夜は止まって休むを繰り返し、いくつかの山を横切った頃。
「……わ……っ……!!」
ラルゴが息をのむ音が俺の【耳】に届く。
森の木々を抜けた先、山の影の向こうから、網膜を焼く白い光が突然広がった。
青空に白く乱立した入道雲の下、白波がきらきらと輝く海が、俺達を迎えていた。
「これが……」
ラルゴは感動を口にしようとして、どうにも言葉にならないのか食い入るように、海に負けない輝きをさせた瞳で見つめる。
俺もイェルドも顔を見合わせて笑い、ラルゴの頭越しに外の景色を眺めた。
「……って、そういやおっさんも旅なんかしたことなかったろ。初の海の感想は?」
「……悪くねえな」
そうぶっきらぼうに言いながら、目線はボックス席の窓から離れることはない。
瞳に海の光が反射しているのをちらりと俺は確認して、素直じゃねえな、と内心で呟いた。
レプス=リヴァルディまではあと数時間も海を横目に走ればつくはずだ。
待ちきれない様子のラルゴはこっそり既に水着に着替えており、俺もイェルドもはしゃぐ気持ちは同じで、せっかくだからと今朝起きてから既に着替えていた。
ラルゴは少し大きめの明るい緑色のトランクス型の水着で、内側には縫いつけられたインナーもあり、泳ぐときに邪魔にはならないようになっている。
上には防虫加工がされた白いTシャツで腹側にはビーチとヤシの木、海岸のサンセットの様子がイラストされていた。
イェルドは水着ではなく膝上までの半ズボンに黒い革ベルトを絞め、アロハシャツをはおっている。
頭にはサイズの合っていないテンガロンハットを斜めにひっかけ、洒落たレイと呼ばれる花飾りを首から下げていた。
俺は少しぴったりとしたスカイブルーのサーフパンツだが、股間に余裕を持たせたデザインの物。
上にはピンクのハーフパーカーを引っ掛け、小さな丸サングラスをかけていた。
「……しっかし、完全に軟派な兄ちゃんだな、お前」
「アロハ着たおっさんに言われたくねえ!」
「なんでサングラスしてんだ? そんなに目が弱かったか?」
「俺は目の色素が薄いの。海の陽射し舐めんなよ?」
イェルドの方が胡散臭い軽薄なおっさんじゃないかと内心で思いながら、言ったら殴られそうなので黙っていた。
「……今、お前なんか変なこと考えなかったか……?」
「なんも考えてねえよ。気のせいだろ」
俺はそそくさとラルゴの隣に退避しながら、ふと【耳】に届いた異常な音に胸騒ぎを覚えた。
「……なーんでいい気分に、水を差すかね……文字通りにってな」
やれやれと俺は立ち上がって荷物棚に上げていた剣帯を引っ張って腰に回す。
ベルトを絞め、剣の鞘を取りつけると、外れないか確かめた。
「おい……ユース?」
「んー? まあ、おっさんとラルゴはここにいろよ。ちっと、海水浴前の準備運動してくるわ」
不安げな視線を向けるラルゴの頭を撫でながら、またかと呆れた顔のイェルドに苦笑を返した。
二人をボックス席に残して、俺はエヴァンのいる一階前方のボックス席に向かった。
道中他のボックス席をちらりと覗くが、気付いている者はいない。
……まあ、ここにいるのはただの観光客だもんな
少しだけ俺は気を引き締め、それでも表情は微笑みのまま、目的のボックス席の扉を開く。
「よー、エヴァン。起きろ―」
「ふえ……ユースさん?」
呑気にまどろんでいた黒兎が、寝呆けた声を上げる。
それを、周りの騎士が白い目で見つめる。
黒熊の騎士、レンゲは溜息すら吐かずに冷たい視線を向け、隣の白熊の青年は初対面の俺を見て、少し警戒しながら動揺していた。
「……あれ、ユース兄じゃん」
そして、最後の一人はついこの間まで部屋を共有していた狼犬のヒョウカだった。
騎士になったとは聞いていたが、まさかエヴァンと同じ第二騎士団だったとは。
「エヴァン、寝呆けてないで、魔獣車の外。海の中を魔力探知してみな」
俺はとりあえず挨拶の前に、用件を伝えた。
エヴァンはお昼寝タイムが、とぶつぶつ言いながら、一瞬後には表情を一変させる。
「……っ。レンゲさん、アイギスさん、ヒョウカ君! すぐに乗客に耐衝撃姿勢の指示! そのまま魔獣車の上に上がって!」
エヴァンの口調から真剣さを感じ取った三人は、さきほどまでの緩い空気を捨てて、飛び出るように廊下に出ると階段を駆け上っていった。
「……ユースさん、一応、確認なんですが……」
それを見送りながら、エヴァンは困ったように眉を寄せた。
俺は苦笑しながら、ぽんとエヴァンの頭に掌を置く。
その間にも部屋を出た三人に騎士の呼びかけで車内に緊張した空気が流れ始めていた。
「みなまで言うなよ。手伝ってやるって」
「あーもう、イケメンだなあーっ!!」
「はいはい……来るぞ」
俺とエヴァンは自分の身体に魔法をかけ、衝撃に備えた。
突如、轟音と共に魔獣車全体が急制動をかける。
各ボックスから悲鳴が聞こえるが、事前の呼びかけのおかげがそれほど混乱は広がっていないようだった。
「んじゃ、俺は先に外に行くわ」
「……お願いします。俺は乗客のみんなに説明と鎮静の魔法をかけてから、向かいます」
俺は片手を上げて返事をして、一階の乗降口を手動で開くと、風の魔法で飛びながら外へと出た。
魔獣車は、現在切り立った山と海に挟まれた街道に停まっており、進行方向左手が山で右手側は僅かな海岸があるだけですぐそばまで波が来ていた。
そして、魔獣車の前方の山肌が崩れ、街道が塞がれているのを確認する。
「……っ、ああああああああああっ!!」
迸る闘気と共に俺の頭上から、レンゲの声がする。
魔力の高まりを感じ、俺はそのまま飛び上がって魔獣車の天井の上に向かう。
そして、海岸線の向こう、海の方へと目を向けた。
そこには巨大な白い魔物が顔を覗かせていた。
同時に、その巨体の中心部から大きな水球が、魔獣車に向かって撃ち出される。
僅かな放物線を描きながら、迫りくる水球。
遠目には小さくとも、近づけばそれが魔獣車の数倍はある大きさと分かる。
レンゲは気合と共に水球に向かって飛びかかる。
同じくヒョウカも刀を抜き、レンゲと左右から水球に飛び込み、一閃。
身体強化されたレンゲの拳とヒョウカの氷の刀は辛うじて水球を霧散させたが、飛び散った水の破片すらかなりの量だ。
驟雨のようにあたりに降り注ぎ、一面を濡らす。
「こりゃ大海魔……ドゥムクラーケンだなあ……めっちゃでかい変異種っぽいけど」
俺はその姿を見たことがあった。
海から覗く頭は細長い三角錐で、胴体の端にはひれが付いている。
黒い円形の視覚器官が、海面から僅かにこちらを狙っているのが見えた。
そして、海中にはあの巨体を支える10本の長い触手状の足がうごめいているはずだ。
見た目はただのイカだが、その大きさは通常の民家の数倍は、遠目に見てもありそうだった。
「っ、ユースさん!」
水球を撃ち落とすために魔獣車から離れてしまったレンゲが叫ぶ。
既にドゥムクラーケンは、次弾の準備を始めていた。
レンゲもヒョウカも、すぐには魔獣車の傍まで戻ってこられない。
アイギスとエヴァンに呼ばれていた白熊人の青年もワイヤーで結ばれた二本の短刀を構えて魔力を高めているが、どう見ても広範囲に影響を及ぼすのが得手には見えなかった。
そもそも、あまりまだ実戦なれもしていないのかもしれない。
無理やり魔力を高めようとしているのを見て俺はぽんと、アイギスの肩を叩いた。
「ま、ここは俺に任せとけって」
言いながら、俺は髪を縛った飾り紐の結び目を解き、するりと抜き放つ。
そして、ドゥムクラーケンが放った水球を見ながら全身から魔力を解き放った。
水球が魔獣車に迫る中、白銀の毛並みへと変貌した俺は、軽やかに指を鳴らす。
「『草原を走る祖霊よ』」
コロシアムでは抑えていた力を、少しだけ開放して放つ。
らせん状に貫くように風が水球を穿ち、そのまま水球を霧状になるまで文字通り霧散させた。
「とまあ、魔獣車は俺が守るからよ。本体倒すの、任せたぜ」
「……うっす。頑張るっす!」
俺が笑いかければ、アイギスは気を持ち直したように短剣を握り直し、レンゲとヒョウカの後を追って飛び降りた。
「『囲め、包め、阻め、白百合の籠。深淵に咲け、避け、裂け、白銀の華』!」
透き通るような詠唱。
展開される何重もの術式と簡潔な複合起動呪文。
そして、全力の俺に匹敵しそうな洗練された魔力の高まり。
遅れて飛び出してきたエヴァンの魔法がレンゲとアイギス、ヒョウカを包み込む。
三人はそのまま海面を走り、ドゥムクラーケンへと斬り込んだ。
「……おうおう、こいつは大層な奴が出てきたもんだなあ」
呑気な声を上げる獅子人に、エヴァンはぎょっとして振り向き、【耳】で分かっていた俺はとりあえずツッコミを入れる。
「いや、何しにきたんだよ。てか、なんでここにいるんだよ」
にやりと帯刀した姿のブシがエヴァンの後ろに立っていた。
数日間の旅で、同じ魔獣車に乗っているのは【耳】で知っていたが、この緊急事態にのこのこと野次馬になりに来るとは思っていなかった。
そうは思ったものの、帯刀した姿は実に様になっていて、それなりの使い手であることは俺にも分かった。
「ちょっと、ブシ! 危ないんで車内に戻ってもらえませんかねー?!」
慌てて口調がめちゃくちゃなエヴァンをからかうようにブシは笑い、すぐに目を真剣な物に変える。
「んなこと言ってもよう……あいつら三人じゃ厳しそうじゃねえ?」
ブシは言いながら、視線をドゥムクラーケンの周りの三人に向ける。
エヴァンの守護の魔法により海の上でも自由に闘えている三人だが、あまりの巨体に苦戦しているようだった。
アイギスの雷魔法を付与した短剣、ヒョウカの雷龍が宿った魔剣を用いても、あの巨体にはそれほど効いているようには見えない。
「見た目、ぶよぶよなのに硬すぎっすよ!!」
「外殻……かなり分厚い!」
二人の焦りの声は、俺の【耳】にも届いている。
「それでも、雷系の魔法ならダメージは入ってますよ……っ! とにかく、痺れさせて動きを鈍らせてください……!」
そのうえ、二人が攻撃に集中できるよう、レンゲは一人でドゥムクラーケンの足と格闘している。
どうみても、この膠着状態が破られるのは時間の問題だった。
「俺の能力使えば、ちったあ楽になるだろうしよ」
ブシは腰の刀を抜いて、エヴァンに笑いかける。
それでもエヴァンは決断しかねていた。
「けど、それだとブシが危険でしょ!」
「そりゃ、お前がちゃんと魔法で守らねえと危険だわな」
言葉の外に、お前なら守ってくれるだろう、とブシの思いが込められていた。
エヴァンは嬉しいやら恥ずかしいやらで表情をころころさせながら、ついにはヤケクソの様に声を上げた。
「もーーーー、後で目いっぱい奢るから覚悟しろよ!!」
「それ、脅しのセリフじゃねえだろ……ま、いいぜ」
ブシはにやりと口元を歪め、滑るように走りだした。
エヴァンはブシにも加護の魔法を施しながら、魔法通信で前線三人に告げる。
「そっちに増援が一人行きます! 彼の能力は、敵に呪印を刻んで対象の身体を制御を奪います。代償に彼は無防備になるので、三人でフォローしてください! こっちからも最大限支援します!」
エヴァンは手にしたタクト状の杖を振りまわし、展開中の術式を直接書き換えるという離れ業を息をするように行いながら、遠方の四人に細かく支援をかける。
ブシの一太刀がドゥムクラーケンを刻み、胴体側面に呪印が浮かび上がる。
同時にドゥムクラーケンの動きに鈍りが生じた。
しかし、もう一度斬りつけても、変化が見られない。
それを見たエヴァンはさらに魔力を練り上げ、術式の数を二倍に増やす。
俺は時折飛んでくる水球を寸分違わず撃ち落としながら、エヴァンの展開した魔法を読み取った。
「妨害、干渉、撹乱……ブシの呪印を刻みやすくするため、か」
魔力風まで起こしながら、エヴァンは四人への支援と同時に、ドゥムクラーケンへ直接、魔術拘束を試みている。
ブシの能力による身体干渉とエヴァンの魔術拘束により、ようやくドゥムクラーケンの動きが止まった。
「アイギスさん! ヒョウカ君!」
エヴァンの通信越しの叫びを契機に、二人がドゥムクラーケンの胴体に駆け寄った。
二筋の青と紫の雷光がそれぞれ左右から交錯し、ドゥムクラーケンの弱点である視覚器官の間の神経の基部に突き立つ。
体内に直接放たれた雷電は内臓を蹂躙し、蒸気を上げながら大海魔はようやくその巨体を水面下に沈めた。
「あー……おわ……った……」
気が抜けたようにエヴァンは魔力を収め、へたり込んだ。
海面の四人は喜んでじゃれ合っているように見えるが、俺とエヴァンは同時に嫌な予感を覚えた。
俺は【耳】に聞こえた音で、エヴァンは第六感で。
それは四人も同じだった。
海面を割るように水中からドゥムクラーケンの巨大な触腕が真っ赤になりながら水上の四人に襲いかかった。
あれだけの雷撃を受けても、止めには至らなかったらしい。
体表の色素細胞を興奮色に変えながら、ドゥムクラーケンは手痛い仕打ちを与えた四人に10本の足を向ける。
「『大いなる竜を縛る祖霊よ』」
一呼吸で俺は宙を駆けると、四人を囲むように重力魔法で力場を作り、ドゥムクラーケンの足を叩き落とす。
「っ……んのっ!!」
「いい加減に、するっすよ!」
ヒョウカと霊刀とアイギスの氷魔法が水面を凍らせて一瞬、ドゥムクラーケンの動きを止める。
それはまさしく薄氷であったが、レンゲが疲弊したブシを担ぎ、全力で距離をとる時間は稼げた。
レンゲとブシの二人と交代する形で俺が来たものの、既にアイギスもヒョウカも全力を出し切った後で、まだ息が整わない。
エヴァンも後方で術式を組み直して再度、魔術拘束を試みているが一度切れた緊張をもう一度張るのは、さしものエヴァンでも時間がかかるようで術の精度が甘い。
「まあ、仕方ねえよな」
俺は高めていた魔力を細く強く練り上げる。
「アイギス、ヒョウカ、一分時間稼いでくれ」
「……了解っす!」
ヒョウカは無言で頷き、アイギスは返事をする。
海風を操りながら、俺は氷の精霊、重力の精霊を簡易隷属させ、左右の目に新たな感覚を得る。
温度を視る能力と、質量を視る能力。
そして、【耳】の聴力を全力で活用しながら、俺は周囲の空間の分子運動を全て把握する。
気圧を下げて分子の数を極力減らし、冷気によって分子運動を抑制し、重力を操って分子自体を制御する。
そうして空気中の気体分子を緻密に制御して組み上げるのは、魔法陣。
魔力で作る術式ではなく、物質で直接くみ上げた強固な術式。
とはいえ、ここまで神経をとがらせて作れる術式は実に単純な物だ。
「……『ここに証左せよ』!」
俺が作った魔法は、術式を維持するだけの魔法。
無理やり繋ぎあわされた分子をそのまま固着させるだけの魔法だった。
「……アイギス、ヒョウカ。離れろ!」
俺の宣言と共に、二人は迅速に離脱する。
俺はそれを確認して、魔法陣を『投げ』つけた。
ドゥムクラーケンはお構いなしに触椀を振るう。
俺の魔法陣には意にも介さない。
それも当然で、分子レベルの魔法陣など、知覚できる者がどれほどいるのか。
「『解除』」
俺はすり抜けるようにドゥムクラーケンの中に入りこんだ魔法を、俺は解除する。
それだけで魔法によって無理やり固められていた分子が、強烈な斥力を持って拡散、あるいはプラズマ化して、大量のエネルギーを放出した。
「『大いなる竜を縛る祖霊よ』!」
拡散するエネルギーを更にむりやり魔法で押しとどめ、重力場の中が破壊されつくされたのを確認して、俺はようやく息を吐いた。
指を鳴らして重力魔法を解除すれば、胴体の上半分が消し飛んだドゥムクラーケンが、ゆっくりと水面下に沈む。
深い海の底はまさしく深淵で、黒一色の世界にドゥムクラーケンは飲み込まれていった。
「『数多を支える祖霊よ』」
俺の魔法で行く手を阻んでいた土砂や岩を慎重にどけて、街道は一時間もしないうちに再び開通した。
ぱんぱんと手を払ってから、俺は心底疲れた様子のエヴァンに話しかける。
「……で、エヴァン。魔物の討伐報酬は貰えるよな?」
「そうですねー……ていうか、もしかしなくてもユースさん一人で倒せたんじゃないですかーあれ……」
ぶつくさと徒労を味わった、と文句を言うエヴァンに俺は苦笑するしかなかった。
「攻撃系の魔術師がいればああなるのは仕方ないだろ?」
そもそもああいう巨大な魔物を倒すのは、魔法使いや魔術師の得意分野なのだ。
対人では抑制していた威力をただただ全力で放てばいい。
「とはいえ、時間稼ぎは必要だったし、あいつが逃げるのも忘れるくらい怒ってなかったらまともに当たったかもわからねえんだぜ」
結果的に怪我人はいないんだからいいじゃないか、と俺が言えば、エヴァンもそこは同意しますけど、と口を尖らせた。
そして、結局騎士団以外の全力に頼ってしまったため、あとで報告書を書くのが憂鬱だとエヴァンは顔を暗くする。
「ほれほれ、んな暗い顔してねえで、とっとと出発しようぜ。折角の海なのに、1日目は着いて寝るだけ、なんてつまんねえだろ?」
俺はエヴァンを抱き上げて魔獣車に戻り、この先に待つレプス=リヴァルディに向かって、魔獣車は再び走り始めた。