海の幸と泡の騎士鬱蒼とした森の中、ジークリア周辺とは植生も異なり、じっとりとした熱気と湿気が張り詰めた神経をじりじりと炙る。
迷彩柄の短パンと派手な黄緑のアロハシャツは森に溶け込むが俺の白い毛がミスマッチに目立っていた。
これではいくら気配を消そうとも俺の場所は一目瞭然だが、それも考えの内だ。
「ヒョウカ君、左に二匹!」
魔法通信越しに指示が飛ぶ、同時に俺は振りかえるよりも先に気配に向かって腰の鞘から刀を抜き放ち、そのまま振るう。
飛びかかって来た猿人型の魔獣の首を一閃のもとに落とす。
「……これで、最後?」
刀を血払いしてから、俺は残った血糊をひとまず魔獣の毛皮で拭いとる。
振りかえりながら、俺は独り言を零す。
そして通信魔法の相手がいる方を向いて待っていると、がさがさと草をかき分けて黒兎が現れる。
「うんうんー、いいねいいねー。ヒョウカ君、いい仕事するねえ」
「ていうか、エヴァンさん、一匹も倒してないよね」
「ほらー僕、攻撃魔法苦手だからさー」
適材適所だよ、と胸を張るエヴァン。
実際、俺も一人の方が闘い易いかと言えば、その通りだった。
雷を振りまく魔剣も、冷気で周囲を凍らせる霊刀も、近くに味方がいる状況では本領を発揮できない。
とはいえ、
「いや、普通に立ちまわれるんで……巻き込むように魔法撃っていいですよ。当たりそうならこれで無効化するし」
「んー……まあそれも、正論っちゃ正論だね!」
苦笑したエヴァンはくるりと杖を回して肩に乗せ、両手と首の後ろで固定する。
「でも、これは
二人一組の訓練でもあってさ。ほら、第二騎士団の通常業務だとあんまり機会がないから、団員と交流とか親睦を観光地で深めつつ、連携力も上げようっていう理由もあってだね?」
「……はあ……まあ、分かるような分かんないような……?」
俺はいまいちぴんと来なくて、首を傾げた。
エヴァンはその仕草を見て、かわいいーと謎の褒め言葉を挟んだ後、少し真剣な表情に戻る。
「ヒョウカ君は……アイギスさんとは別の意味で課題を抱えてるなあ……」
「……アイギスさん?」
「うん。アイギスさんは、なんというか考え過ぎな所と身体の反射が噛み合ってないっていう感じかなあ。でもヒョウカ君の場合は、直感が鋭すぎるんだよね」
短剣二本を器用に両手で操り、巨体に似合わない軽業を繰り出して闘う
付与術闘士の白熊を思い浮かべて、確かに俺とは全く異なる闘い方だと頷く。
「そりゃ、あの人は『虚』を使って闘うタイプで、俺は『実』の剣を使うタイプだけど……直感が鋭いとなんでダメなんですか?」
曲芸のような立ち回りと
付与術による強力な一撃を、
一撃離脱で繰り返すアイギス。
それに対して、俺の剣術はほぼ一撃必殺を繰り出す剣術だ。
常に、全ての一撃が相手を致死させる威力を込め、刹那の隙を見抜き、放つ。
それが決まらないのは俺がまだ未熟な証なのだが、それでも極める道は間違っているとは思っていない。
「うん。戦い方はそれでいいと思うんだ。人それぞれタイプがあるし、得手不得手もある。俺が言いたいのは……ヒョウカ君は戦闘勘が優れすぎてて、周りが追いつけないと思うんだ。俺みたいなのが通信魔法で戦闘指揮してる時とか、レンゲさんが直近で指揮してる時は息を合わせられてたけど、そうじゃない時に連携が取れないって話ね」
その言葉に、俺は少し驚く。
言われてみれば、今までの訓練でも俺と連携と呼べるほどの連携をとれた騎士はそれほど多くなかった。
エヴァンやレンゲなど主要騎士とは連携が取れていたし、不都合を感じたこともなかったから気付かなかったが、もしかしたら相方になった騎士にはかなりの負担を強いていたかもしれない。
「俺みたいに魔力で全周囲探知してたりとか、レンゲさんみたいに感覚強化してヒョウカ君に合わせられる人もいるだろうけど……そうじゃない人もいることを、まずは理解して欲しいかな」
「……うん」
思い当たる節があることを自覚して、俺は少し尻尾を落とした。
「剣士としてなら、それでいいと思う、なんて魔術師の俺は軽々しく言えないけどさ。ただ、騎士の先輩としては、何かを……『何もかも』を守るには絶対に一人の力じゃ足りないんだ。その時に、力になるのは他の人との連携、信頼なんだよね」
騎士団に入ってから知った、ジークリアを襲った厄災の話。
その際に活躍した騎士の中に、エヴァンもいたことを俺は後から聞いた。
だから、その言葉の重みは、きっと実感が込められていることも察した。
「なーんて、偉そうなこと言ったけど、結局は慣れだよ、慣れ! ヒョウカ君ならすぐにできるようになるって!」
あははーと明るく笑いながら、エヴァンはくるりと身体の向きを変えた。
「君は強いから、これでも期待してるんだよー。先輩としてね」
肩越しにこちらに視線を投げ、片目を閉じてみせるエヴァンの背中は、いつもより少しだけ大きく見えた。
そのまま森から海岸に向かって、エヴァンは先行しようとする。
「……エヴァンさん、まだ仕事が終わってないんで帰らないでください」
それを冷静に、静止の言葉で止める。
「…………ちっ」
「折角かっこよかったのに台無しだ……」
悔しそうな顔で戻ってくるエヴァンを、額に指を当てて俺は首を横に振った。
昼が過ぎ、太陽はご機嫌なままその光で地上を焦がす。
白砂の海岸には多くの闘士に休憩中の騎士、観光客たちが思い思いに熱さを避けながら、レプスの海を楽しんでいる。
大きめの麦わら帽子で日を遮って、俺は海岸から少し離れた木陰で涼を取っていた。
潮の香りと波の声。
それに混じる呼吸音と鼻歌。
覚えのある気配に、俺は緊張の糸を一本張った。
「……相っ変わらず、勘がいいねえ」
「……ん」
麦わら帽のツバを押し上げる。
身体を預けていた木から背を離して立ち上がり、声の方を向けば、そこには人を食ったような笑みを浮かべる白い毛の犬科獣人。
以前と同じように着崩したワノクニの着物姿で、俺を見下ろす。
「……何か、用ですか。レンカさん」
以前出会った時の印象から、俺はどうにも油断できないレンカに対して僅かに構える。
「んだよ、名前覚えてたのか」
「一応、騎士の先輩だったんで」
「……の割には態度が、ごあいさつじゃねえの?」
尊大な態度のまま、レンカはストローから泡を吹く。
「先に挑発してきたのは、そっちでしょ」
ぴり、と空気が一変する。
レンカはただ立っているだけだが、少しだけ眉を上げてにやりと口の端を持ち上げた。
俺は唐突に地面を蹴って、身体を左にずらす。
逆光で見えなかった泡が、一瞬前まで俺がいた場所で破裂した。
圧縮された空気が開放され、木の枝を強烈に揺らして幹を軋ませた。
「……んじゃ、こないだの続きと行こうぜ?」
「不意打ちしといて、偉そう過ぎじゃない?」
不敵な笑みを崩さないレンカに対して、俺も内心で獰猛に牙を剥く。
明らかに強者の雰囲気を持つレンカに、俺の全身の毛がざわめき、口元が自然と吊り上がってしまう。
それでも、俺は残った理性で一旦場所を移すために大きく距離を開ける。
ビーチから外れた岩場に一足で飛び、そこで刀の鯉口を切った。
ビーチの穏やかな波の音はなく、岩場に叩きつけるような水の音が響いていた。
波と風に浸食されてできた小さなU字の入り江はごつごつの岩が剥き出しで、荒々しい海の一面を見せている。
滑りやすい岩の上を危なげなく俺は飛びまわり、入り江の真ん中で止まる。
それに遅れずに追ってきたレンカも、笑い交じりに呟いた。
「やっぱ、お前、最高に面白いわ」
「あんたは最低だと、俺は思うけど……」
俺達は特に合図もなく、ただ勘に任せて動き始める。
レンカは一息に10を超える泡を生みだし、俺はその瞬間にはレンカを刃で撫で斬りに出来る距離まで詰める。
「……おっ」
レンカの口から少し声が漏れる。
俺は一応刃を返して、峰で一閃した。
残光を残す速度の斬撃をレンカは間一髪でかわし、一旦距離を取る。
俺は囲まれた泡の中で、殺意の感じられた物だけを刀から放たれる紫電で貫いた。
その様子を見ていたレンカは、更に大きく笑い声を上げた。
「あっはっは! ダミーに気付くのか!」
「この手の騙しは、意味ないから」
あくまで俺は心を冷静に凍りつかせていく。
レンカは遊びのつもりだろうが、その実力や能力は通常の騎士にしては強すぎる。
冷静な部分で思考しながら、俺は気息を整えた。
ぴたりと右手の虎杖丸を正眼に構え、視野を広く取る。
「んじゃ、これはどうよ!!」
レンカが唾を海に吐き捨てて、腕を中空に伸ばす。
俺はピンと耳を伸ばし、咄嗟に飛び退こうとして、既に遅いことに気付いた。
「ほい、捕まえた」
俺を捉えた水の泡。
強烈な水圧が俺の肺から空気を追い出す。
ごぼりと気泡がむなしくこぼれた。
「……こんなもんか」
呟くレンカは、どこか白けたように無感情だった。
しかし、それはガラスが砕け散るような音で驚きの表情に変わる。
咄嗟に左手でウパシトゥムチュプを引き抜いた俺は、周囲の水全てを凍らせて、虎杖丸の雷撃で砕いて脱出していた。
「やるじゃねえか!」
「……いや、ていうか下手したら死ぬんだけど、これ」
塩辛い海水を吐き捨てながら俺は、呆れながら睨む。
レンカは先ほどよりも楽しそうな顔を浮かべて、嬉々として泡の数を増やす。
俺も虎杖丸とウパシトゥムチュプを握り直す。
右半身が紫電に包まれ、左腕から肩、上半身の左側は燃えるように赤い氷に覆われた。
ばちりと紫電が爆ぜる中、俺とレンカは同時に海の中に全力で攻撃を叩きこんだ。
水中で破裂したレンカの泡が水中に潜んでいた影を白日に晒す。
そこに俺の一閃が容赦なく叩きこまれ、雷電がその魔物の身を焼き焦がした。
「……イカ?」
殺気に反射的に反応して、一撃を入れてから姿を確認した俺は獣人大のイカの魔物の死体を見下ろした。
そして、この海域に大量発生していたと騎士団で注意喚起されていたデスクラーケンの名前を思い出す。
それらの親玉であったドゥムクラーケンを道中で見ていたため、こちらを見ても少し大きいイカだな、位にしか思えない。
「……おい、ヒョウカ。回り見てみろ」
レンカが俺の名前を呼ぶことに驚きながらも、俺は水中の気配を探る。
そして、足元の岩場の間の水の暗がりから多くの殺気を感じた。
どうやらこの入り江は、デスクラーケンの群れの休息地か何かだったらしい。
「ていうか、俺の雷の光に集まって来てたのかー」
イカの性質を思い出しながら、俺は死角から伸びてきた触腕を目視せずに切り払う。
青い血が混じった体液が飛び散った。
「あ、おい、お前の剣、雷出すだろ。こいつら全部感電させて殺せねえ?」
「……できるけど……なんでまた」
「いーからいーから。後でいいもんやるからよ」
すっかり慣れ慣れしくなったレンカは俺の肩をぽんぽんと叩く。
態度の変化が著しすぎて俺は若干困惑しながら、ウパシトゥムチュプは鞘に戻し、虎杖丸を両手で握った。
「……『雷龍の加護を宿す刀』」
虎杖丸の真名を唱えれば、一際紫電が強く瞬いた。
それに反応してデスクラーケンが触腕を振るう。
それを遮るように空から雷が落ちる。
レンカは巻き込まれないようにいつの間にか退避していて、勘がいいなあ、と俺はどこかのんびりとそんなことを考えていた。
そうしているうちに、今まで遠くに見える入道雲だけだった空が暗く曇っていく。
突如現れた雷雲に呼応するように俺自身も紫の雷光に包まれ、静電気で逆立つ。
「来い、カンナカムイ」
俺の呼び声に、雷が吼え声で答える。
瞬く間に周囲の海に向かって無数の稲妻が走り、海面で踊る。
僅か数秒の鏖殺。
雷光が止み、雷雲が散った青空の下には、再び波の音だけが響く。
そして、しばらくして海面には死体となったデスクラーケンが埋め尽くしていた。
空気を焼き、オゾン臭が漂う中、俺はくるりと虎杖丸を回して露払いしてから鞘に収めた。
ぱきりと薪が火の中で爆ぜた。
その上に足を伸ばした鉄板を設置してレンカは手際よく焼いていく。
山のように積んだデスクラーケンの横で、なぜか俺達二人はバーベキューを始めていた。
「ほいよ」
「ほいよ、じゃねーよ!!」
レンカが差し出した物から顔を遠ざけつつ、俺は反発する。
なぜなら、レンカが今調理しているのは、
「んだよ。ぜってーうまいぞ。デスクラーケン焼き」
「いや、うまそうだけど! 俺に討伐させたのはこのためかよ!」
「おうよ。俺の泡じゃ傷つけずに殺すの難しいからなー」
あっけらかんと笑いながら、レンカは今度はどこからか持ってきたのか黒いソースで輪切りにしたデスクラーケンの切り身を炒めていく。
その香ばしい匂いと働き詰め、闘い詰めだった俺の腹が盛大に鳴いた。
「ほれほれー、うまいぞー」
レンカは、次に串を打ちながら串焼きを作っていく。
俺はいい加減意地を張るのも疲れて、素直に料理に手を伸ばした。
夕闇に染まる赤い海。
水平線の海と空の境目が赤に解けていく。
影が伸び、薄闇と赤い光で輪郭が全てが曖昧になる黄昏時。
落ち着いたさざ波の音と海の家から聞こえてくる歌と音楽と人々の笑い声。
レンカとバーベキューを終えた俺は、山になった残りのデスクラーケンの死体を全部氷漬けにして、臨時の騎士団の屯所に滑らせて運び、討伐報告をした。
そしてレンカとの勝手な私闘について怒られ、なぜかレンカだけが始末書を書かされることになって、俺は爆笑されただけで終わった。
その後、デスクラーケンを食べたと聞いた瞬間、皆の顔が凍りついていた理由は、教えてもらえなかった。
「綺麗なんだけど、なんかぞわぞわするな……」
サンセットビーチというロマンスに溢れた光景を見ながら、俺はうなじあたりの毛がちりちりと疼くのが止まらない。
そこかしこでカップルと思われる二人組が影を重ねて夕陽を眺めているだけの景色なのに。
「む、そこにいるのは、ヒョウカか?」
俺は紐で引っ掛けて首の後ろに回していた麦わら帽が少し浮く勢いで振りかえった。
「ガルガン団長、お疲れ様です!」
「うむ、少し、元気がなさそうに見えたが……気のせいだったな」
赤い鱗を夕焼けで更に朱に染めながら、いつも通りの落ち着いた様子で仁王立つ竜人。
少し厳つい顔つきと三白眼が威圧感を与えるが、柔らかい口調と声質で人柄の良さが滲みでていた。
「……第八の問題児に絡まれた、と聞いたが……大丈夫だったか?」
「えーと、レンカのことですか? まあ、その、喧嘩売られたんで買っちゃったんですけど……」
怒られながらもいつも通りの笑みを浮かべていたレンカは別れ際に、また遊ぼうなー、と言い残して第八の団長に引きずられていった。
その様子を思い出しながら、特別心配されることも思い至らなかった俺は、
「特に、何もなかったですよ。デスクラーケンの料理、美味しかったですし」
「お、おう……あれを食ったのか……」
少しガルガンの目が泳ぎながら、俺の頭の先から足先まで眺める。
俺は首を傾げながらも、とりあえず待っていた。
「……特に異常は見えないか……?」
「もしかして……デスクラーケンって食べちゃだめでした……? 毒とかはなかったと思うんですけど……」
「ん!? まあ、確かに、毒、ではないな……いや、毒と言えば毒なのか……?」
何やらぶつぶつと言葉を濁すガルガン。
こんな反応を見せるのは、エヴァンがノックもせずに団長室に突撃した時くらいにしか見たことがない。
「……身体に違和感は、無いんだな?」
「はい、皆にも言われましたけど、特に何も」
そもそも、元々が狩人である俺は野生の動植物や魔物を食べることには慣れている。
体質のせいか今まで風邪ひとつひいたことがなかった。
「……デスクラーケンの体液に催淫効果があったはずだが……」
「さいいん?」
あまり聞き慣れない単語に俺が聞き返すが、ガルガンはなんでもない、と首を何度も大きく振って誤魔化す。
その時、俺はピクリと耳を動かして尻尾をピンと伸ばした。
「どうかしたか?」
「ああ、いえ。この時間だからよく出るなーって思いまして」
「……出る?」
「はい、幽霊が」
「……は?」
表情を凍らせさせ、全身を硬直させるガルガン。
俺はそれには気付かずに、軽くウパシトゥムチュプを抜いてひょいと振るう。
冷気が、ガルガンの頬をかすめる。
「ひぎっ!?」
「え?」
急に身を縮ませたガルガンに俺は目を瞬かせながら、刀を鞘に戻す。
それでようやく、うなじにあった焦がすような焦燥感が消える。
「えーと、除霊、したんですけど……」
俺自身、霊感が強いわけではないが、ウパシトゥムチュプの浄化の冷気の動きを見て大体の位置を把握できる。
後はウパシトゥムチュプの浄化の力で祓うだけなのだが。
「ガルガン、団長?」
明らかに呼吸が早いガルガンの様子に、俺は下から見上げながら心配する。
なんどか深呼吸してようやく元の様子に戻ったガルガンは、何故かそっぽを向いた。
「……なんでもない、なんでもないぞ!」
その上で、なんでもないと繰り返しながら足早に戻っていく。
俺はその後を追いながら、
「あの団長、森の中、まだいっぱいいるんで退治しないと……って早っ?!」
何故か全力で走りだすガルガンを、俺は夕陽を背に追いすがる羽目になった。