氷菓と甘唐辛子磯の香りが風に乗って窓から入ってくる。
夏の陽射しに暖められた空気が、俺の毛を汗ばませた。
白を基調にした石造りの騎士団の臨時駐屯所の一室。
キッチンの横に併設された広いダイニングルームの一席に座った俺は、目の前の白磁の皿の上を睨みつける。
そこに残ったきらりと緑色に光る野菜に向かって箸をつきつけ、早数分。
その間にも他の団員達は各々食事を終え、順に席を離れていく。
一旦目線を皿から上げて、俺は周囲を見まわす。
そうして、残っているのが対面に座った青髪に青い髭を伸ばした灰色の体毛の犬人のような老人だけだと確認した。
ちらりと互いに目線が絡み、鋭い視線をすぐに緑の野菜に戻す。
「……なぜ、このような仕打ちを……」
「うー……」
ぽつりと老人は愚痴を、俺は呻きを零すが、どうあっても目の前からピーマンが消えることはない。
握った箸でつついてはみるものの、抓んで持ち上げても口にまで運ぶ気にならない。
それを数度繰り返した頃、
「イサリビさん、ヒョウカさん……いつまでそうやってるんですか……?」
いつまで経っても食べ終わらない俺達の様子を見に来た黒熊が、呆れ切った表情で眉をひそめる。
「こんな苦いだけのものを食えとか、拷問だと思うんだが……」
「わざわざ食べなきゃいけないものじゃないと思う……他の野菜でいいじゃん……」
俺達二人の文句に対し、レンゲは真面目な表情のまま言い放つ。
「もうすぐ仕事ですから、いい加食べてください」
無慈悲なレンゲの言葉に、俺は覚悟を決めてピーマンを口に放り込む。
しっかりと火の通ったピーマンの表面は香ばしく、味の濃いソースで一瞬食べられる気がした。
しかし、ぶつりと果肉を噛みちぎった瞬間、
「……うへぇ」
口中に広がる苦味、青臭さ。
全身の毛が悪寒に逆立つ。
それを感じないようにしながら、俺は一気に咀嚼して飲み込んだ。
「……あぅ……」
自然と目が潤んで涙で視界が滲む。
ふと視線をイサリビに向ければ同じ様子で、げんなりと肩を落としていた。
「はい、食べたらお皿を片づけて、ミーティングルームに来てくださいね」
大げさに落ち込む俺達を尻目に淡々とレンゲは指示を出す。
のそりと俺達はようやく席を立って皿を片づけにキッチンに向かった。
「……ふう」
「で、何をしてるんですか。エヴァンさん……」
そんな俺達を交互に見送り、満足そうに黒い兎が物陰から姿を現して、熱い吐息を溢す。
一部始終を見ていたエヴァンは、実に御満悦な笑みを浮かべ、ぐっとガッツポーズをした。
レンゲは一層顔をしかめてエヴァンをたしなめる。
「いや、こう、ヒョウカ君の泣き顔とか、イサリビさんの苦悶の表情とか、いろいろこみ上げてくるパッションがあるじゃないですか? ありますよね?」
「いえ理解できませんし、他人の嫌がる顔で喜ぶのはちょっとどうかと思いますよ」
真顔のままじとりと冷めた視線がエヴァンを突き刺す。
それにエヴァンは、慌てた様子で首を横に高速で何度も振った。
「ち、違うんですよー! 信じてください、レンゲさーん!!」
「はいはい、仕事しますよー」
レンゲはエヴァンの弁明を流しながら、引きずる。
黒兎の身体は簡単に持ちあがって、レンゲの脇に抱えられた。
「えー、もう毎日毎日仕事ばっかなの辛いー」
「はいはい」
「……レンゲさんが最近、俺の扱いに慣れてきた気がするよ?」
「もう長い付き合いですから」
「わお、意味深」
「いや、そのままの意味です」
あくまで淡々と切り捨てるレンゲの言葉に、エヴァンは少しだけ笑みを見せ、足をぶらぶらと揺らした。
「もう二度と食べたくない」
「全くもって同意しかない……」
廊下をとぼとぼと並んで歩きながら俺が愚痴ると、イサリビも異常に長い髪と尻尾を引きずるように垂らす。
「そもそも、食べるなら別の野菜でいいと思うんだよ。なんでわざわざあんな苦いもの食べるの」
「その通りだと思うぞ……500年生きてきてもあれを美味いという奴の気が全く分からん。あれを最初に食べようとした奴はきっと舌がイカレてたに違いない」
「イサリビ爺ちゃん、良いこと言う」
とめどなくピーマンへの恨み辛みを垂れ流しながら歩けば、すぐにミーティングルームに辿りつく。
俺は溜息一つで気持ちを入れ替えて、扉のノブに手をかけた。
木製の簡素な扉を押し開き、中へと進む。
部屋は先程のダイニングとほとんど変わらないのだが、防犯上の備えとして窓はなく、防音魔術が壁に施されていた。
天井にいくつも備え付けられた魔術灯の明かりが赤い絨毯に陰影を落とさせる中、椅子に座っているのは、エヴァンとレンゲの二人だけだった。
どうやら他の団員達は既に自分たちの仕事に向かったらしい。
「おー、やっと来た。ピーマン大嫌いコンビ」
手にした資料をひらひらと弄びながら、エヴァンは少し意地悪な笑みを浮かべる。
俺達はその言葉を聞いただけで揃って顔をしかめた。
「エヴァンさん、ふざけてないで仕事の説明をしてください」
「はいはーい。今日の仕事はこちらですー」
俺とイサリビは、エヴァンから資料を受け取り、目を通した。
そして、
「……なにこれ」
俺とイサリビは目を合わせて、首を傾げた。
「いや、書いてある通りですよ?」
「書いてあることが分からないんですが……」
もう一度目を通してから、俺はエヴァンと目を合わせて眉を寄せた。
資料に乗っているのは、概要もタイトルも一行だけ。
その概要も、場所と時間の指定だけというシンプルなもの。
「なんでサトウキビ畑で捕まえて、としか書いてないんですか」
「ずいぶんと、古臭い言い回しの上に意味が分からんですな……」
イサリビも同じ様な表情を浮かべ、腕を組む。
イサリビ曰く、古い本のタイトルらしいが、あまり書物に詳しくない俺は首を傾げるしかなかった。
「えー、だってそのまま書いても面白くな……ごほん。まあ、ほらここって南国の気候で、この時期は首都近郊だと育たない植物とか育ててるわけなんですよ」
レンゲから睨みつけられてエヴァンは言葉を濁して、言い直す。
少しだけ真面目な口調で続きを告げた。
「流石に本場の南国の気候とは異なるんで大量生産は出来ないんですが、それでもそれなりの量の出荷をしてるんです。今回はその畑で見つかった魔物の退治ってことですね」
「……このタイトルの意味は?」
「最近見つけた古い本のタイトルを真似しただけでとくに意味はないです、と資料作成者は言っていました」
「それ、エヴァンさんですよね……」
呆れて呟くと、がばりとエヴァンは立ち上がって拳を突き上げた。
「だって!! 海に来てから!! 俺、休暇貰ってないんですけど!! なんで!?」
「仕事があるんですから……それに、俺達もほとんど貰ってないし仕方ないじゃないですか」
「ぐぬぬぬ……全部終わったら……絶対に遊びまくってやるー……いや、終わらなくてもなんとかならないかな……?」
「はいはい、余計なことは考えずに仕事しましょうねー。では、お二人とも、そちらの仕事はお任せします」
真顔で何かを考え始めたエヴァンを小脇に抱え、レンゲはもはや日常だと言いたげな表情で俺達二人を残して部屋を後にした。