【VVV夢】かっこうのむすめ 3話 一度は手にしたはずのヴァルヴレイヴ奪還作戦は完全に振り出しへと戻ってしまった。むしろ状況はそれよりも後退したかもしれない。
降って湧いたように現れたARUS艦隊の横槍が入ったのだ。学生しか残っておらぬジオールに、救援の名目で甘い顔をして近付くつもりであろう。侵略者の汚名も着ずに漁夫の利を得ようとは、小狡く膨れ上がった大国らしい浅ましい算段である。
自身のイデアールを大破されたところで、ようやくアードライも頭も冷えたようだ。クーフィアに回収されつつの帰還後しばらく放心状態でいたものの、「すまなかった」と小さく呟かれた詫びだけで
ツェーツェンは十分であった。
だが冷静になった彼が辿り着いた結論は「何かの間違いでは……」という、エルエルフとの友情への未練であったらしい。旗艦ランメルスベルグにてカインへと粘り強く訴え、左目を失わされてもなお庇おうとする姿は義理堅い彼らしかったが、いざ包帯の痛ましさを見ると直視し難かった。
「
ツェーツェン、君は残ってくれ。君だけしか出来ない報告を聞かせて欲しい」
「大佐、エルエルフの件ならば私も同席を――」
エルエルフ離反の折、彼とジオール人との接触を最後に見たのは
ツェーツェンである。彼女だけ部屋に残し聴取をしたいというカインに、アードライは同席を申し出る。
「友情は尊重すると言っただろう、アードライ? 彼に並々ならぬ感情を抱いた君の前では、
ツェーツェンも言い難い事もあるだろう。君は遠慮したまえ」
「……ブリッツゥン・デーゲン」
ツェーツェンがアードライの元臣下というのも、上司にそう言わせてしまう気易さに繋がっていたのだろう。だが彼の持っていた王族としての権威はもう十年も前に剥がれ落ちている。
やんわりとした言い方でカインが退けると、ようやく部屋の中に残るパーフェクツォン・アミーは
ツェーツェンただ一人となった。
「申し訳ないがクリムヒルト。出来れば君にも、ここは退席して貰う事は出来るかな?」
「いえ、大佐。私はあなたの副官として、彼らの統率を補佐する義務が有ります」
クリムヒルト少佐が片眉を上げ怪訝そうな様子で返すのも道理だ。離反した部下に関する周辺調査を行うのであれば、彼女とて同席するのが職務であろう。
「いやなに、報告という名目で残しはしたがね。実際のところ
ツェーツェンとは思い出話に花を咲かせようと思っていただけさ」
一体何を引き出されるというのか。
ツェーツェンは会話の外で身心を硬直させる。
「訓練生時代のお話し、でしょうか?」
「そんなところかもしれないね」
肯定とも拒否とも取れぬ言い方。かつての素行から裏切りの動機を考察するのであれば尚更同席を願い出たそうにしていたが、カインのこの微笑みようからクリムヒルトの前では話すつもりはない様子が薄々窺える。
「あとで必要な情報は連携をお願いします――」
そうは言っても恐らく
ツェーツェンから十得た情報のうち、十全てが共有されるわけがないとその立ち去る低い声は知っているような気がした。カインとクリムヒルトの指揮に不手際を覚えた事は無いが、上官である彼らは常に腹の探り合いで接している気配すら感じられるからだ。
「イクスアインから聞いたよ。最初にヴァルヴレイヴを確保し損ねた際、君達は別行動を取ったそうだね」
カインと二人きりになり、本題が始まる。昔話などと言っていたが、やはり訊かれるのはつい昨日の出来事だ。
「……はい。お恥ずかしながら私達は当初の予定では作戦の進行が困難となりまして、各自散開による追跡以外の有効策はありませんでした」
自らの口ながら、よくぞこんな取り繕えた事を言える。自分達の足で走って追うしか無かったなど、学園の転校生にまで偽装した綿密な作戦の結果として無様にも程がある。
「ベストであったかは別として、仕方のない選択だったと思うよ。そこに反逆者が居なければだがね?」
カインの言葉は尤もであった。裏切りの意思を携えた者に都合の良い、単独行動の機会をわざわざ与えてやるなど愚の骨頂にも程がある。
「大佐はエルエルフの反乱の可能性を考慮しておりましたか?」
「こう言ってしまうと私の監督不行き届きの失態として数えられてしまうが――」
肩をすくめるカインは、夢にも思ってなかったよと前置きをしてから。
「私は彼にそんな疑いを持った事は無かったし、それは一緒にチームを組んでいた君達もそうだったと思っているよ」
「……はい……」
これは共にカルルスタインの訓練時代より過ごした同胞だから……という贔屓目からではなく、誰もが疑問視しているはずだ。
確かに咲森に潜入したエルエルフの様子はおかしかったけれど。かと言っていつ、どんな理由で、発作的に裏切りを思いついたというのだろう。今回の行き当たりばったり不手際だらけの反逆は、用意周到な彼の性格から考えても不可解ばかりである。
「話を戻そう。各自別行動を取った君達の中で、最初にエルエルフと合流しかけたのは君だった。間違いは無いのだろう?」
「はい。私が現場に辿り着いた際、エルエルフはヴァルヴレイヴのパイロットである時縞ハルトを……刺傷・銃撃しておりました」
「
ツェーツェン。時縞ハルトは今や世界の英雄扱いだが、死せる英雄ではないよ」
それは今現在――
ツェーツェンの抱く最大の疑問である。
任務に容赦のないエルエルフは確かに時縞ハルトを仕留めたはずなのに、彼は未だ健在。何よりアードライのイデアールを討ち取ったのも、あの死に損ないのジオール人学生だというのだ。
……では、
ツェーツェンが見たあの殺害処理現場はなんだったというのか?
「このような報告をするのもお恥ずかしい限りですが。死んだはずの時縞ハルトは、まるでゾンビのように起き上がり……エルエルフの首に食らいついたんです」
まだ年若いとはいえ、既にドルシアの為に戦う兵士としての職に就いているというのに。映画みたいなオカルト用語を使い、憧れの上司へと面と向かって説明せねばならない己の語彙力の無さに
ツェーツェンは恥じ入る。
「ただ時縞ハルトを確保した際、血痕と損壊が激しい衣服に比べ傷ひとつ無かったものですから、そもそもエルエルフが本当に殺傷したのかという疑いがありまして――」
「君が見た処理現場は、偽装であった可能性があると?」
「……はい」
「ジオールでいうところの、狂言というやつか」
自信のない返事は自然と声を小さくさせる。モジュール77の闇の中で見た惨殺劇は果たして本当にエルエルフの偽装工作であったのか。あの時の
目撃者だって、
ツェーツェンどころか誰一人居なかった可能性だってあったのに。そもそもあの目まぐるしい裏切りのショーに、その偽装に必要性があったのだろうか?
ツェーツェンの内心には納得のいかぬパーツが散らばっていくばかりである。
「提案なんだが――。君のその目撃情報、無かった事にしないかい?」
「えっ?」
柔和な態度で提示されるカインの案に
ツェーツェンは耳を疑う。
「エルエルフの件は本国からはまだ正式な処分を伺っていない。私達の努力次第で寛大な処置で済ませられる可能性があるという事だよ」
だから、余計な情報は無かった事にしてしまおうという提案なのか。これは確かにカルルスタイン機関の関係者ではない、正規のエリート経歴出身であるクリムヒルト少佐の前では出来ぬ相談だ。
「……君は、陸軍中将閣下のご息女であるし。アードライの親友であった王族の子を知っているかな?」
しばし思案した後カインは突然――エルエルフとは縁もゆかりも無い、懐かしい者の話を始める。
ツェーツェンは怪訝に思いながらも平常心で対話を続けた。
「はい。その王子……とも幼少のみぎりに何度かお会いしました。彼がいかがされましたか?」
殿下と付けようとしたところで、目の前の上官が王権体制そのものを転覆させた総統閣下の腹心である事を思い出す。慌てて言い方を変えたのはあからさま過ぎたが、カインは何も言わず微笑んだだけで見過ごしてくれた。
「君も知っての通り、カルルスタインの門は過酷だ。どうやらアードライは――彼に命を貰う事で、機関入りを果たしたらしいね」
だから
ローレが遅れて機関入りした際、かの王族の子の姿は既に
亡かったのか。元々体が弱かった彼は教練に耐えられず早くも命を落としたのかと思っていたのだけれども、そういった理由でアードライに訊ねても明確な死因を教えてもらえなかったのかと――今更ながらに合点がいく。
「幼い頃から不遇の続くアードライだ。世が世なら近衛兵になっていたかもしれない君なら、彼の友情をほんの少し支えてあげたいとは思わないかい?」
カインはパーフェクツォン・アミーの指揮官であると同時に、現時点においてもカルルスタインの機関長の地位にある。訓練生らの細かな情報は全て彼に届いているという事か。
「……私の目撃証言は、私自身の私情で握り潰してもよろしいと?」
「握り潰すというのは、些か人聞きが悪いかもしれないな」
軍の規律を考慮すれば上官らしからぬ提案に
ツェーツェンがおそるおそる、やや不遜な言葉で問うとカインは軽く笑みを浮かべ肩をすくめる。
「残念だが君の目撃情報は、偽装工作だとしても不可解かつ不可思議。仮に偽装ではなく事実であるとしたら――超常的事象に他ならないからね」
ツェーツェンの発言の内容を信じるとも信じられぬとも言わず、珍しくおどけた様子でカインは続けた。
「審議委員に無用な仕事を増やす事もないだろう?」
それとも君は委員に先ほどのように“ゾンビ”という喩えを用いるかい?と問われると、
ツェーツェンは恥ずかしさに顔を赤らめる。
栄誉あるドルシア軍の大尉という地位にありながら、オカルト用語を交えた不確定要素だらけの要領の得ない報告をお偉い人に提出するだとか。「これだからガキ揃いのカルルスタインは……」と呆れられる様子は容易に想像出来た。
「でっ、出来ましたら大佐の胸にお留め頂ければっ!」
「……勿論構わないさ。君は我らの愛し子だからね、
ローレ嬢」
「大佐……?」
軍人一家の生まれである
ツェーツェンはカルルスタイン機関に入れられる前から、カイン・ドレッセルという軍人とは少しばかりの面識があった。
小さな頃の曖昧な記憶ばかりであるから、彼の本質なんてまるで知らないのだけれども。
時折疑問に思うのだ。カインとは果たして、こんな人柄であっただろうかと――。