【VVV夢】かっこうのむすめ 7話 辛くも撃沈は免れた
ツェーツェンであったが旗艦から入った通信によりプランAに作戦変更。僅かな休憩を経た後、有人式バッフェに乗り換え単身モジュール77への潜入に向かった。
先の戦闘は陽動としての役目もあったようで。モジュール77に密偵として放っていたアードライと合流、その護衛をせよ――との事。どうやら武力作戦からアードライを外していたのもこの為らしい。
ならば最初からそう説明してくれれば、仲間内で余計な諍いも起きなかったであろうにと思うものの。「頼りにしているよ
ツェーツェン」などとカイン大佐じきじきに甘い声で依頼されれば、少女の愚かな恋心の底からがブリッツゥン・デーゲン!と聞き分けの良い返事を我慢しない。……もしやアードライ王子もこの耳障りの良い声で言いくるめられたのだろうか。
馬鹿な妄想を楽しみつつも、
ツェーツェンはアードライとの通信で指定された合流場所に到着し――目の前で震えるジオール人の少女から銃口を離さない。
大きな声を出せば直ちに射殺すると脅した彼女は既に侵略の恐怖がその身に刷り込まれているのか、
ツェーツェンの指示通り泣き騒いだりする事はなかった。
「あなた――最初の作戦の時に見た顔だ。時縞ハルトと一緒だった。名前は?」
思えばあの時居た女生徒は二人。片方はこの少女で、もう片方はあの流木野サキであったような気がしないでもない。
「さっ櫻井っ……アイナ……」
「ご協力ありがとうアイナ・櫻井。いやあなた達に合わせて櫻井アイナでいいか」
それとも元々、うさぎのように物静かな少女なのかもしれない。
今、すぐ目の前では、エルエルフとアードライが対峙していた。合流がてら
ツェーツェンがアードライの援護に入ろうとしたところ、アイナの姿を見つけ確保したというわけだ。
この気の弱い少女でも、果敢にも整備作業用のハンマーを持って物陰で息を潜めていたのは――時縞ハルトに加勢する為であったのだろう。立場は違えども同じ事をしているなんてなんだか可笑しかったけれど、残念ながら彼女は白兵戦に向かうには脆弱過ぎた。
……元々エルエルフと一対一で話したいから極力介入はするなと、厳しい態度で厳命されている。すぐに応援に向かわなかったのもその為だ。
アードライはその障害となりそうだった時縞ハルトも早々に射殺していた。エルエルフを独占したいが為にまるでついでのように強敵を排除するとは、さすがは我らが王子様。シビレるばかりだ。
邪魔するなと言うアードライを怒らせればロクな事にならないのは付き合いの長さというより、
ツェーツェンと彼との相性の合わなさでよくよく心得ている。ならば時間つぶしも兼ね、
ツェーツェンも自身の疑問を解消する為の尋問を行えばいいだけだ。
「櫻井アイナ。可愛い顔してるけど、あなたも時縞ハルトのようにゾンビなの?」
明るい髪色にツインテール。気の弱そうだが愛らしい顔立ちに、棒のような小さな体と野暮ったい眼鏡。
ツェーツェンから見れば流木野サキよりもこの櫻井アイナの方がいかにもジオール人好みのする女という印象だ。
「ぞっ、ゾンビじゃありません! 神憑きです!!」
「へえ……。ゾンビって言って、思い当たる事あるんだ?」
「――あっ!」
かまをかけるつもりなど毛頭なかったのだけれども、軽口程度に言った侮辱の言葉はアイナの正義感を刺激したらしい。彼女は大きく開けた口元を手で覆うがもう遅い。
「殺したはずなのに傷がなくって、なのに時縞ハルトはピンピンしているし。ずっとずっと不思議だった」
やはりオカルトの分野に踏込んでいるのかもしれない。だが頭の中でピースが合わさっていく。あの日見たエルエルフの殺害は、間違いなく行われていたのだと思う。
殺しても生き返る――あるいは死の淵へと陥る前に、傷が再生する事を意味している。
「やっぱりゾンビだよ。時縞ハルトも流木野サキも――それにあなたもそうなの櫻井アイナ?」
ここでエルエルフならば無言でナイフで切り裂き確かめるのかもしれないが、敵国人とはいえ可愛らしい同世代の少女相手に蛮行を働くのは気が引けた。
それに
ツェーツェンは、拷問よりも協力的同意による情報提供の方が効率が高いと考える主義だ。……まあそこに、多少の武力威嚇を用いるくらいは必要悪と目を瞑って欲しい。。
「は……ハルトさんも流木野さんも、神様がくれた力であなた方から私達を守ってくれているんです!!」
「さっき休憩した時にネットに速攻でアップされてた動画観たけど。元アイドルを最前線に出すとか、凄い事するねジオール」
あの面白PVのシンガーを務めていた流木野サキが、
ツェーツェンを手こずらせた緑のヴァルヴレイヴのパイロットであると報じられていた事は旗艦に戻った際に確認していたが……ノンフィクションかよ。
「それはあなたは違うと、櫻井アイナ。つまりゾンビじゃないとヴァルヴレイヴに乗れないんだ?」
「だっ、だからゾンビじゃなくてっ、
神憑きです……!」
銃を向けられ生命の危険に晒されているせいか、それとも大切な友人であるハルトの命運の流転ぶりを間近で見ているせいなのか。アイナは震える声で訂正を求めるように
ツェーツェンを睨み続けた。
「カミツキ――ああ、そういやエルエルフが噛みつかれてたな」
だがアイナの嘆願も、
ツェーツェンにとっては答え合わせでしかない。気が昂ぶってはいたがペラペラとよく喋ってくれるお蔭でいくつもの情報が手に入った。
だがその情報が本当ならば、先ほどアードライが射殺した時縞ハルトは――
しばらく話し声しか聴こえなかった格納庫に、久しぶりに銃声が上がる。
「学校を……開放しろ……っ!」
予想通りであった。よろよろと傷の痛みに呻きながらも、時縞ハルトは銃を手に抵抗の様子を見せていた。
……何が神が憑いているだ。血まみれでぐらぐらとよろめく姿は、
ツェーツェンの目にはやはりゾンビにしか見えない。
「……王子様と裏切り者とゾンビって。映画でもちょっと設定のまとまりが無さ過ぎるよ」
「だからハルトさんはゾンビなんかじゃありません! ちゃんと生きてる人間です!!」
急な事で状況が掴めぬが、どうやらエルエルフはジオールの学生達に歓迎されていないらしい。アードライ、エルエルフ、時縞ハルトという、よく分からぬ三つ巴の様子となっていた。
アイナを人質として交渉に持ち込むか……いや、それではおそらくエルエルフに対する交渉カードにはならない。だが何もやらぬよりはマシか――。
状況に混乱し決定打が見つけられぬ
ツェーツェンが迷ううちに、格納庫に衝撃音が走る。
「アードライ様ッ!?」
我が物顔で現れたのはクーフィアの乗るバッフェであった。……しかし彼への突入の合図はまだ出していない。
『
ツェーツェンが遅いから来ちゃったよ!』
「合図も無いうちに……。アードライ様の指示に従ってよね!?」
耳元の通信インカムから遊びたがりの子供みたいな声が響く。この様子のクーフィアにはとてつもなく嫌な予感を覚えざるを得ない。
そう、これは、カルルスタインへの機関入りを果たす入所テストの虐殺パーティーの時と同じ予感だ――。
『クーフィア! ゲートは開けておいた、確保しろ!』
『そんなの面倒臭いよぉ?』
「段取り守りなってクーフィア!!」
インカムからはアードライの音声も入るが、おそらくその命令を聞き受けるつもりはないだろう。基本的にこの一番年若い同僚は上官の声にすら敬意を払っているわけでもなく、畏怖を抱く者にだけ渋々と従うのだ。
年上の仲間達にも生意気な態度を取る彼が、同期の
ツェーツェンの言葉など泣いて頼まれたって耳に入れるつもりはない。
「……ハルトさんっ!!」
パーフェクツォン・アミーの連携不足を感じ取り、それを好機と感じ取ったのか。
ツェーツェンから突きつけられていた銃口の照準が甘くなったと見るや、櫻井アイナは力の限り床を蹴って時縞ハルトを助けに向かい無重力の中を飛び上がる。
「戻れ櫻井アイナ!」
恫喝ではなく本心から叫び、手を伸ばそうとはするものの、とっくにチャンスを逃していたのは分かっていた。
頭で考えるのとは裏腹に、
ツェーツェンは同じように床を強く蹴って跳ぶと。アイナとは真逆の方向へ大急ぎで後退する。
バッフェの機関銃が呻り爆炎があちこちに上がる。目の前で櫻井アイナの身体がみちみちと千切れ飛んだのはすぐ後の事だった。
***
エルエルフとの一対一の話し合いを望んだアードライであったが、最終手段である力づくでの確保に武力としてあてにしていたクーフィアが暴走。あっという間に対話の機会はブチ壊される。
しかもここが格納庫であり出撃待機ピットである事が災いし、エルエルフの機転でバッフェごとクーフィアもアードライもモジュールの外に弾き出される顛末となった。
こうなるとアードライとの合流と護衛の為に遣わされた
ツェーツェンの立場などまるで意味がない。いわゆる戦術的撤退を選択すべきなのだろう。
だが身を引く隙も許さずに爆煙の中から無重力を泳ぎふわりと現れたのは、銃を構えたエルエルフの姿であった。
自分や仲間達はとっくに脱ぎ捨てた、あの変装用の為だけに仕立てられた咲森学園の制服を今もなお着たままのエルエルフ。まるで彼だけほんのしばらく前で、時間を止めてしまったようにも見えた。
「――久しぶりだな、
ツェーツェン・カルルスタイン」
ツェーツェンも銃を構えてはいたが、残念ながらこんな敵地のど真ん中での混乱のさなかではまるで勝てる気がしない。ずっと以前からここに潜伏していたエルエルフが、どんな罠を仕掛けていると分かったものではない。彼は冷血な戦士であると同時に、トラップの名人である。
エルエルフ・カルルスタインという男の底の知れなさは昔からだ。
ツェーツェンにとっては男女という性差が悔しくも横たわっていたが、同じ男であっても彼は他の訓練生達へと圧倒的な差を見せつけていた。
「アードライが窮地に陥る度、大声で名を呼ぶのは改めろ。お前のそれは鳴き声か」
「……そんな事初めて言われたよ」
「少なくとも俺はずっとそう思っていた」
クーフィアの乱行に危機感を覚えた際に上げてしまった声が仇となったのか。あるいはそのずっと前から
ツェーツェンが待機しているのを悟り、様子を伺っていたのかもしれない。
「見つけるのは難しくなかったさ。まああのピンク色のふざけたスーツほどでなくとも、お前のその色は目立つからな」
「昔の割り当てカラーの話はやめよう!? 今は空色だって知ってるよね!?」
個人用のイデアールを与えられたドルシア兵は個別のカラーリングを施され、パイロットスーツのアクセントもそれに合わせられる。
ツェーツェンがこの話題を嫌うのを分かっていて持ちかけているのだろう、この鉄面皮は。
「本当久しぶりだね。どうやって暮らしてた――あ、このモジュールって学園都市だし。衣食住には困らないか!」
対面したが最後、即射殺されるくらいは想像していたのだけれども。さすがに元仲間の情くらいは存在したのだろうか。銃口を向けられてはいるが、殺気はそれほど感じられない。
ツェーツェンは冷や汗混じりながらも、先ほどのお返しの言わんばかりに以前のように会話を試みる。
「それともエルエルフって元々ストリートチルドレンだし、シティサバイバルなんてお得意だよね?」
「余計なお節介だ」
無表情ながらもほんの少し不機嫌になる微妙な顔つきの変化や、昔の事を言われ面白くなさそうなほんの僅かに少年らしい顔。
失われたのはたったしばらく前の事だというのに、妙に懐かしい気がしたのは無理もないかもしれない。アードライほどではないにせよ、カルルスタインの同胞である彼とは十代になる前からの付き合いなのだから。
「――櫻井アイナを殺したのはお前か?」
ジオールとの提携が壮絶に上手くいってないくせに、もう全校生徒の名前を全部頭に叩き込んだのだろうか。近くに漂うアイナの遺体に軽く目配せを送った後、エルエルフは淡々と
ツェーツェンへと訊ねる。
「違うってば。捕虜にしようと思ったんだけど、さっきのクーフィアの無茶な銃撃で残念ながら……さ?」
「そうか」
短い返事は、最初から
ツェーツェンが殺害したという可能性をあまり考慮していなかったのだろう。お互い行動パターンが読まれているなと、
ツェーツェンは淡く苦笑いを浮かべた。
「すぐに殺さず、捕囚を取ろうとするのもお前の悪い癖だ。殺せる時に殺せ」
「死人に口無しって言うよね? 情報は戦場そのものを根本から制するんだよ」
「ぬくぬくと裕福な家庭に生まれた高官の娘らしい、臨機対応に弱いマニュアル行動だな」
エルエルフは冷酷に鼻で笑うものの、
ツェーツェンから言わせればネットによってあらゆる有象無象の情報が飛び散ったこの高度な情報社会において、ただちに
情報資源の息の根を止める方が非効率性を感じる。
「そういう言い方ってないんじゃない。私だって実家ですくすく暮らしていたのは9歳までで――あとは人生の半分近く、君達と一緒にカルルスタインだよ?」
「幼少期の人格形成の話だ。甘いのさ、お前もアードライも。まだクーフィアの方が俺の理解が及ぶ行動をする」
「……そういう考え方だから、学生サン達とも上手く仲良しになれてないんじゃないの?」
ツェーツェンがあからさまに挑発的な言動で煽ると、エルエルフはまた僅かにだが眉間の皺を寄せる。
今更分かりきった事であったが、図星も図星であるらしい。今までの機動兵器による宇宙戦にて一度も彼の姿が無かったのも納得がいく。つまり
ジオールにとって、彼はまだ共同戦線を共に行える仲間として受け入れて貰えていないのだ。
「結論から言おう。お前は白兵戦では俺に勝てない」
そんな結論を導いて貰わなくても、男女の身体能力差を考えれば当たり前の話である。何より相手はカルルスタイン機関創設以来の最優秀生だ。策無しで勝てるわけがない。
「イデアールなら勝てたけどね?」
「バッフェでもな。だが所詮女のお前では、俺との接近戦に勝ち目はない」
接近戦が鬼強いとかお前はヴァルヴレイヴかと軽口を叩こうとするも、思えばエルエルフは一度も操縦を許して貰っていない事を思い出し言うのをやめる。これ以上いたずらに刺激するのは危険である事くらい、さすがに
ツェーツェンも理解している。
「……でもその
時縞ハルトを庇いながらでも、いつものポテンシャルで戦えるつもり?」
ツェーツェンからも見える先では、時縞ハルトが瓦礫の下に潰れされ転がっていた。
圧倒的にステータス負けしている
ツェーツェンが依然闘志を手放さぬ理由は、不運なるジオール人少年の現状ゆえである。
「ほう。お前はコイツが化け物だと知っているのか
ツェーツェン」
どういう理屈で再生と回復を行っているのかは知らないし、アードライから撃たれた傷から立ち直っておらぬうちからの先ほどのマシンガンは仰天したけれども。だが今は完全に気を失っているようで、時縞ハルトは昏倒したままピクリとも動かない。
「なに。その不死身パワーが、あなたの腕にしたい理由?」
「――まあな。不死身の兵士なんてデタラメで無限に回復してくれるのなら、いくらでも前線に送り込める」
「鬼畜じゃん」
「好きに言え」
カルルスタインに居た頃からそういう空気は感じていたけれども、ジオールの学生達と上手く手を組めていない理由がよく分かる。
この時縞ハルトという少年の人格はネット上に転がる情報以上は知らぬけれど。いかにもジオール人らしい平均的に温厚な少年が、こんな事を平気でぬかす外道ドルシア男と仲良くしたいわけがない。よく見ればあどけない可愛らしい顔立ちをしているというのに、こんな冷血悪魔に魅入られて可哀相に。
「エルエルフに亡命願望があったなんてのも知らなかったよ」
「……俺がストリートチルドレンだったと知っていてそう言うか。元々あんな国、それほど好きでもなかったさ」
「それで学園天国の方がいいと?」
「自由でいいだろ」
冗談としてはあまり面白いものでもないが、ジョークすらも真顔で言うエルエルフの癖は相変わらずだ。
だが話せば話すほど、彼がもう仲間ではないという事実で寂しさが胸に去来する。
「だが話は早い。俺が戦闘を行うにしても、不死身のコイツを庇いながら戦う気はさらさらない。どうせ生き返るんだ、守らなくても問題は無い」
「その発想が怖いよ。だから新しいオトモダチとも、上手く手を組めないんだって」
時縞ハルトという少年も、とんだ疫病神に魅入られたものだ。アードライならば同志として認められる事を羨むのかもしれないが、一般的な感性を持つ学生にはこの男はまるで台風の目であろう。
「もう一度言う。お前は俺に勝てない、
ツェーツェン・カルルスタイン」
エルエルフが真正面から
ツェーツェンを見据えるものだから、
紫水晶の強い輝きに久しぶりに吸い込まれる。
彼は完全無欠なまでの強さを持っているくせに、悲しい瞳を
ツェーツェンに向ける事が多かった。
思えば初めて会った時から、何故こうやって見つめたまま言いたい事を言おうともしないのか、結局分からず仕舞いだ。
「……三回も言われなくても分かってるよ」
諦め混じりで言う
ツェーツェンは、とうとう命の終着点目前かと肩を落としていた。
「知ってるエルエルフ。君は今ならまだ、私達の仲間に戻れるんだよ?」
「アードライもそんな事を言っていたな」
「嘘じゃないよ。カイン大佐はまだ上層部にあなたの裏切りを報告してない」
行き場の無い脱走兵にとっては魅力的にも程有る提案にも、エルエルフはさしたる興味だって示しはしない。
「ねえエルエルフ。孤児だった君に、
ドルシアの為に戦えなんて無理は言わない。軍人としての大義や誇りをすぐに持てなんて言わないよ」
カルルスタイン出身の子供達の戦う理由が本来の愛国心を原動力としていない事くらい、
ツェーツェンもとっくに気付いている。元々軍人の生まれではない子供達なのだ、強制はしない。
「でも君は今、
孤独なんだよね。平和ボケの学生達と君じゃ合わない。子供の頃から一緒だった私達なら、同じ目線で一緒に生きられるよ?」
子供の頃から、アードライの見つめる先にはいつもこのエルエルフが居た。
ツェーツェンがアードライを追い、アードライがエルエルフを追う。
先の先で、エルエルフは腰巾着の
ツェーツェンを呆れたように鼻で笑う。
その周りにはいつも仲間達が居た。またあの輪の中に、戻りたくはないのだろうか?
「……一人がどうした。本物の代わりに紛い物に心を癒やしても、所詮は紛い物。それで何になるというんだ」
睨む眼差しには苦しげな憎悪すら込められる。
「エルエルフの言ってる事、いつも難しいよ。そんな発想からよく結論まで導き出せるね?」
これまで――かもしれない。三度もしつこく言われた通り、
ツェーツェンはエルエルフとやり合っても敵う気はしない。
ツェーツェンは静かに銃を下ろす。
アードライもクーフィアもとっくに外へ追い出された孤軍奮闘のこのざまで、あとは元仲間のよしみで苦しまぬようにトドメでも刺して貰えれば助かるというもの。これで相手が残虐なクーフィアでなくて良かった。本当に。本当に良かった。
「勝手に死んだ気になるな。
ツェーツェン・カルルスタイン、今回だけは見逃してやる。アードライにも伝えろ、お前の悠長な理想にはもう付き合ってやれないとな」
……だが彼女の戦意喪失とは裏腹に、エルエルフもその銃を下ろした。慈悲深いにも程が有る選択に
ツェーツェンは目を丸くする。
このジオールの学園モジュールが、短期間で彼の何を変えたのだろうか。それとも彼は元々、こういう人間だったのだろうか。それを知ろうと触れる前に、彼は仲間という枠から抜け出してしまった。
「かの有名な一人旅団様が、元仲間相手だからって甘過ぎない?」
「俺が目指すのはドルシアの開放であって、お前達の虐殺ではない」
ならば、どうして、亡命を望む彼は捨てた母国への関心も手放さないのだろう。
その疑問を追求するのは許されなかった。
ツェーツェンが口を開こうとすると、これ以上の問答を続けるようであれば本気で撃つという決意が感じられるほど殺気が濃くなる。
「望みは――光の、開放だ」
エルエルフは最後になぞなぞを
ツェーツェンに授けた。いや、もしかしたらなぞなぞですらないのかもしれない。
「……お前を見ていると、
本物が俺の目の前で健やかに生きてくれているようで少しだけ気が紛れた。これは今までの礼だとでも思え」
無駄口を嫌う彼がどうしてもこれだけは
ツェーツェンに伝えたくて、余計な口を開いたような気がするのだ。
ツェーツェンが視界から消えるまでエルエルフは殺気を抑える事はしなかったが、――その視線の中には僅かであったけれど、名残り惜しむという感情も多少は込められていたような気がしないでもない。