【VVV夢】かっこうのむすめ 13話-3 あまり履かない、とっておきの踵の高いパンプスにうきうきする。今日の調整訓練は午前まで――午後は空いてるからと、イクスアインが映画へ行こうと言い出してくれたのだ。最近何かと慌ただしく、そして相次いで恋心が実らずに潰え続けた
ツェーツェンには有り難い気晴らしであった。
それに近頃はそれらストレスが原因なのか、訓練成績結果が優れない。エルエルフが去った今、操縦シュミュレーションは
ツェーツェンが覇者になるかと思いきや……地球へ帰還してからというものトップの座に輝いた事がない。二番じゃダメなのかと問われても、その二番にすらもあまり手が届いていないのだ。得意分野での不調は浮かぬ顔を増やした。
そんな具合の昨今であるが、昔から
ツェーツェンは何かあると誰かと楽しく騒いでいる方が気が紛れる。仲間達もそれを察してくれているのだろう。気遣いが有り難いばかりであった。
「あれ、ハーノインは?」
待ち合わせた入り口に立っていたのは、イクスアインだけ。いつも親しげに彼の肩に寄りかかりながらからかう金髪の幼馴染みの姿は隣にはない。
「ハーノは誘うわけないだろ」
……まあ確かにハーノインはいつまでも子供の頃からの付き合いばかりに固執せず、外部でも親しく遊び合う友人達を積極的に得ているようだから。欠員も仕方ないだろう。
「クーフィアは?」
「今日観るのはロマンス映画だぞ。あいつが行きたがるわけがないだろ」
「そりゃそうか。アードライ様は?」
「……大人しくしていれば美形なんだ。王子様は本来ロマンスをしていた方が似合うんじゃないかな?」
「アードライ様がロマンスとか、すっごい絵になるけど想像出来ないね!!」
世が世なら貴族のお嬢様方にでもダンスを申し込んでいたろうし、こんな世が世なんだし本来結ばれようもなかった美しい街娘とでも楽しい休日を洒落込めばいいだろうに。残念ながらそんな浮わついた我が君の姿を見た事はない。今までその時間をエルエルフに注ぎ込んでいたという事か。
「じゃあ……午後は私がイクスアインをひとりじめだ!」
「あ、ああ」
小さな頃のように
ツェーツェンがふざけて腕を絡めると、イクスアインが忙しなく眼鏡の位置を直し始める。
パーフェクツォン・アミーは子供ばかりという特異さもあるが、全員が幼少期から共に育った昔馴染みという特殊さもあり、軍の中でも孤立――敢えて良い言い方で言えば何かにつけ仲良く団体行動をする場面が目立つ。
だから一人が一人を独占出来るなんて、そう多くもない機会で。
ツェーツェンはヒールが高く鳴るのも気にせず、早く早くと歩みを急かした。
映画のチケットや席は既にネットで購入してくれていたようだ。スクリーンよりもだいぶ後ろの方であったけれども、真ん中寄りのいい位置を選んでくれたと思う。
上映時間より大幅に早く着いたにも関わらず当然そうな顔でイクスアインがシアターに入って行った時、さすがお高い映画館は違うなと思ったものだが。チケット画面に記載された座席表に着いたところで
ツェーツェンはようやく違和感の正体にブチ当たった。
「この席だと、早めに入って座れるんだ。これなら落ち着いて待てるだろ?」
イクスアインは通常の座席よりも広めのシートにどうぞと
ツェーツェンの手を取って座らせると、自分ももう片側の方に寄って座る。映画館なのに、公園のベンチに並んで座るような配置で隣り合ったところで……
ツェーツェンは我慢しきれずにイクスアインの名を呼んだ。
「あの。イクスアインは知らなかったかもしれないけど。これカップルシートって言ってさ……」
「ん?」
とても言いづらい。イクスアインが分析解析を得意とした情報通であるわりに、一般的事情になんとなく疎いのは、仲間達もなんとなくは気付いている。
「いやだから、この席プレミアムシートなんて名前してるけど。本当はカップルシートっていって!」
「……は?」
ツェーツェンの指摘も終わらぬまま、イクスアインからは素っ頓狂な声が漏れる。無理もない。単に“高くて良い席だから”という理由で、恋人同士の逢引用の席に同僚の女を連れ込んでしまったのだから。今きっと彼は、交換や返金が有効かどうかを頭の中で必死に模索しているはずだ。
「
ツェーツェン、君こそ何を言って――だからか。だから他の連中の所在を訊ねてきたのか……」
「ん?」
イクスアインはこめかみを抑え深い溜め息を吐く。予想していたものとはだいぶ違う反応だ。
ツェーツェンはもっと、イクスアインの事だから真っ赤になって大声で叫ぶと思っていたのだ。普段の彼なら、きっとそうしたはずだ。
「つまりな
ツェーツェン、私は今日その……デートのつもりで誘った気で、いたんだが……?」
「で。えぇっ!?」
だが真っ赤になって大声で叫んだのは逆に
ツェーツェンの方であった。上映時間まではまだ小一時間ほどあるから観客も数人しかおらず、騒音にも誰も咎めはしない。
「い、イクスアインって! この前の作戦の時に、私に幻滅したんじゃないの!?」
「知らない間に終わった事にしないでくれ。確かにあの頃は任務優先であったが、それでも暇な時は君にどう接しようかとずっと考えていた」
そこに愛情は無いとはいえ、
ツェーツェンは任務においても私生活においても主君になっていたかもしれないアードライを優先する。彼女に近しい者ならば誰もが知る信条であるとはいえ、憧れの男すらも蔑ろにする使命感には憤慨されても致し方ないであろう。
「イクスアインは、私に……、愛想を尽かしたと思ってた……」
どう言えば、自惚れた言い方を避けられるであろうと言葉を選んだつもりであったけれども。実際に口から出た台詞は思った以上に自意識過剰なニュアンスが多分に含まれていた。
「だから勝手に私を過去の男にしてくれるな。私と君は、まだ何も始まってはいないよ」
狭いブリーフィングルームで、軍人となるきっかけを二人で語り合った出来事を思い出す。端末を覗き合って、僅かにだけ指を触れ合わせた一瞬一瞬の胸の高鳴りは、彼も同じ鼓動をしていたのだろうか。
制服を着ていない今なら、あの時よりもずっとずっと近くへ寄る事だって出来るはずだった。
「――
ツェーツェンはハーノインといつ付き合いだすんだろうって、思っていたよ」
唐突に投げられる憶測に
ツェーツェンは再び絶句するほどの驚きやふためきを味わう事になる。
「つ、付き合う? イクスアインが!?」
「いっ、いや私でなくてッ。君と!ハーノがだ!」
ツェーツェンも“そういう意味”で訊き返したわけではなくて。
単にイクスアインが仲間内の色恋沙汰について考えている可能性なんて、まるで想定した事もなかったから。ただただ驚いただけのつもりだ。そういう下世話な話題を嫌っているものだと思っていた。
「ハーノインは私のことを仲間って認めてくれたけど、仲間とはきっと付き合わないよ」
「……それは私もハーノから聞いたよ」
躊躇いがちな返事に
ツェーツェンは瞬間えっと疑問符を吐き出さざるを得ない。
「い、イクスアインはわざわざ私の心の傷に塩を塗り込む為にその話題出したんですかね!?」
「違うって! 一旦、君の意思を確認したかったんだ!」
慌てる彼の様子には嘲りなどどどこにも潜んでいそうにはなくて、決してからかいで言われたのではないという事はいやでも分かる。
「ハーノが身勝手な振り方をした事、許して欲しい」
イクスアインのその、まるで自分の事のように詫びる様子が何となくおかしかった。親友の責は自分の責とでも言いたげで、いかに彼らが仲が良いのかがよく分かる様子だ。彼らのそういう、どこか子供っぽいというか――無垢なところを仲間達の誰もがそれとなく羨望の目で見つめている。
「許してなんて――、あんな程度で傷つけられたなんて思ってないよ?」
だって恋は公正に行わなければならない。温情で安請け合いなどしたら、後で傷つくのは想いを打ち明けた方も打ち明けられた方もいっしょ。だからあれでよかったのだ。ハーノインは何も間違ってはいない。
「けれど私は、エルエルフと自分を比べられたからといって、気持ちが変わったりはしない。人には向き不向きがあるからな」
「そもそもエルエルフを越えるとか、生半可な才能じゃ無理だよ……」
元仲間であった彼を何がをあそこまで突き動かしているかは分からない。ただ今のカルルスタインの村に居る訓練生達の中にだって、彼を越える逸材は居やしないだろう。
ツェーツェン自身は女というハンディもあり、彼を越えるなど考えられもしないけれども。同じ男なら年下の傑物というのは、あまり自尊心を穏やかにはしていられないと思う。
「残念ながらそうだ。だから私は別に、君の中で一番の軍人でいようなどと願って消耗したりはしない」
本来男の子というのは、負けず嫌いな生き物であるらしい。それともイクスアインはもう、男の子ではなく大人の男としての思考に到達しているのかもしれない。もしく彼は、誰にも譲らぬ頂きにカインという英雄を既に置いているから出来る発想なのだろうか。
「そもそも比べるとか比べないとかじゃなくて――。ハーノインって多分、カルルスタインの仲間と恋愛する気が無いんだよ」
「アイツがそんな事まで考えてるか……?
ツェーツェンの事は昔から可愛がっていたから、きっかけと合意があればいつでも交際を始められたと思うんだが――」
「世話焼きと恋愛はまた違うよ」
納得いかないという顔でイクスアインは首をひねるが。明晰な頭脳を持つくせに、案外鈍い彼だから仕方がないのかもしれない。
「付き合うって、マンツーマンの関係だからね。友達と違って、気分で相手を変えちゃいけないし」
「……あいつは女性と親しくなるのが早いからな。そう考えれば君を泣かせない為には、賢い決断だったのかもしれない」
その口振りから察するに、イクスアインの頭の中の仮想シュミュレートではハーノインに浮気でもされて
ツェーツェンが嘆いていたりしているのだろうか。現実にフラれた相手に、他人の想像の中でまでフラれるというのも、実に妙な気分である。
そしてあくまで浮気をされるのは、
ツェーツェンの側なのか。不義理を行うような女ではないと信じてもらえてるのは喜ばしい限りだが、同時に恋人から興味を失われるのも
ツェーツェンの側の方がきっと早いと思われている事には苦笑いが漏れた。
「ハーノインはある意味ね、仲間を聖域に置いてくれてるって思ってるよ。それはそれですっごく尊いんじゃないかな」
元々違うチームに属していた
ツェーツェンを、今はようやく同じチームの仲間として認めてくれている。これを喜ばずにいては世界は不幸せばかりだ。
だって男女の仲になっていたら、それこそ険悪な喧嘩別れだってあったかもしれない。けれども仲間、戦友であるなら、いつまでも美しい思い出を分かち合える関係でいられるのだ。それがもし、死という別れを迎えたのだとしても。
それだけで幸せだから、片想いも決して悪くはなかったと
ツェーツェンは笑顔を見せた。
だが聖域という言葉にイクスアインは決まりの悪さを感じたらしい。困ったように口角を上げると、遠慮がちに“仲間”の意思の確認に再び入る。
「……
ツェーツェンは仲間だと認められつつ異性として扱われたら、不快かな?」
そんなことはない。そんな事を考えているくらいなら、ハーノインに想いを伝えたりなんてしなかった。
だがそれを口で伝えるより早く――「私は君に惹かれてはダメかな」という遠慮交じりの伺いとは裏腹に、頭脳派には似合わぬ固い皮をした力強い軍人の手が
ツェーツェンの手を絡め取っていた。