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    EM-エクリプス・モース- 第四章「血塗られた水の王国」港町と蠢く魔物地底に潜むもの血塗られた歴史呪われた運命砕け散る太陽生か死か生命を賭けた決意行くべき道港町と蠢く魔物北西の大陸に存在する水の王国アクリム———古の時代には、エルフ族の住む領域が存在していた大陸でもあった。世界が冥神の脅威から去った後、現国王の遠い先代となる王が更なる繁栄を求めてエルフ族の領域を侵攻し、そこに一つの港町を作った。国の領土には王都アクリム、港町マリネイの二つの都市が存在する。二つの都市は、王国の槍騎兵隊と水の魔魂の適合者となる王子によって守られていた。王子の名は、テティノ・アクアマウル———。

    アクリム王国の王家、アクアマウル一族には大いなる水の魔力が備わっており、王と王妃の第一子となる王子テティノは水の力による様々な魔法、第二子となる王女マレンは母なる海の加護による癒しの魔法を扱える魔力の持ち主であった。テティノには水の魔法のみならず槍術の才能も持ち合わせており、幼い頃から王による過酷な訓練を重ね、王家の仕来りで行われた試練を通じて出会った水の魔魂の化身と共にする事によって更なる力を身に付け、槍騎兵隊と共に王国を守り続けていた。テティノの妹となるマレンは癒しの魔法で傷付いた兵士達を癒しながらも、王国の人々の相談に乗ったりと様々な形での人助けを行っていた。


    ある日の事———。


    「……また地震か」
    槍騎兵隊を連れて大陸にいる魔物の討伐に出掛けていたテティノが王都へ帰還した途端、地震が起きる。軽震だったものの、一ヵ月前から王国全体で定期的に地震が起きるようになっていた。揺れが収まると、テティノは王宮へ向かって行く。
    「テティノ王子、お帰りなさいませ!」
    王宮の衛兵が一斉に敬礼をすると、門を開ける。多くの兵士達に迎えられつつも、謁見の間へやって来る。玉座にはアクリム王と王妃がいた。
    「テティノよ、成果の程は如何であったか?」
    「はい、本日は約100体程討伐に成功致しました」
    テティノが跪きながら報告すると、王は軽く咳払いをする。
    「ふむ、だがその成果は槍騎兵隊との協力があってこそだ。決してお前の実力によるものではない。そこを勘違いするな」
    王の厳しい評価を受け、返す言葉が出ないまま俯くテティノ。
    「ところで、お前も薄々と感じているであろう?魔物の急増ぶりを」
    大陸の魔物は突然急増するようになり、元々大陸に生息していなかった醜悪かつ凶暴な魔物までも多く見られるようになっていた。テティノ率いる槍騎兵隊は魔物を毎日のように討伐するものの、凶暴な魔物の数は減らないどころか無限に湧き続ける状況であった。
    「それにしても父上、以前では見かけなかった変な魔物がウジャウジャ出るようになったし、これだけ討伐しても魔物が一向に減らないなんて、何か原因があるのでは……」
    「……何処かに魔物を生み出している元凶のようなものが存在しているのかもしれん。それに、一ヵ月前から地震が起きるようになっただろう」
    「ええ。それも何か関係しているんでしょうか」
    「……テティノよ、一刻も早く魔物が湧き出ている原因となるものを探し出せ。どうも不吉な予感がする」
    「わかりました」
    威圧的な態度で振る舞う王を前に、テティノは軽く挨拶をして謁見の間から去ると、上階にあるマレンの部屋へ向かう。
    「あ、お兄様」
    マレンが振り返る。水色の長い髪を靡かせた可憐な容姿を持つその姿は、姫と呼ぶに相応しい美少女だった。
    「やあ、マレン。相変わらず退屈そうだな」
    「退屈だなんてとんでもないわ。さっきまで傷付いた騎士達の治癒を施していたんですもの」
    「ふーん、よくやるね。お前は僕とは違ってお姫様だし、そうしてお姫様やってるだけで生きていけるんだから気楽なもんだよ」
    軽く棘のある口ぶりで言うテティノに、マレンは困惑したような表情を浮かべる。
    「わ、私だってお兄様のようになりたいなって思ってるわよ!だって騎士様とかカッコ良くて憧れるし、私も騎士だったらなって考える事もあるんだから!」
    「お前が騎士に?ハハハ、つまらんジョークだな。王国のお姫様たる者が騎士をやるなんてそんなバカな話があるか?第一そんな事、父上や母上が許すわけないからな」
    「そ、それはそうかもしれないけど……」
    「ああそうそう。別に治癒魔法はいらないよ。お前に治療されるくらいなら薬草で回復した方が鍛錬になるからな」
    「何よ、お兄様のバカ!」
    小馬鹿にしたような物言いに膨れっ面をするマレンを背に、部屋から出るテティノ。
    「やれやれ……お前はいいよな、本当に」
    テティノは部屋のドアを前に小声で独り言を呟いていた。



    レウィシア達が乗っている船は、港町マリネイの船着き場に到着した。船から降り、港を出る一行。
    「ひゃ~、潮の香りが心地いいですねぇ!おかげで船酔いからあっという間に覚めちゃいましたよ!」
    メイコが嬉しそうにはしゃぎ始める。傍らにいるランが丸まったシッポを振りながらも笑顔で舌を垂らしていた。
    「此処はアクリム王国の領土内の港町……この地がかつてエルフ族が住んでいた領域だというのでしょうか」
    ラファウスはシッポを振っているランを撫でながらも、街並みの様子を眺める。何気ない日常を過ごしている様子の人々とはしゃぐ子供達の姿。更に街の中心地ではバザーが開催されており、多くの人々で賑わっていた。何の変哲もない平和で美しい港町といった光景だった。
    「これは!バザーといえば私の出番ではありませんか!ふっふっふっ、商魂が滾りますねぇ!そんなわけで、私は営業に行って参りますので後はご自由になさって下さ~い!」
    商魂を湧き上がらせたメイコは目を輝かせながら道具袋を担ぎ、ランを連れてバザー会場へ向かって行った。が、途中で振り返り……
    「あ!バザーに御用がありましたら私のところの宣伝をお願いしますね!」
    そう言い残して再び足を動かす。
    「……何ですか、あの人は」
    走っていくメイコの姿を見てラファウスは呆然とする。
    「気にしなくてもいいわ。成り行きで同行してた行商人だから」
    「そうですか」
    レウィシア、ルーチェ、ラファウスの三人は街中の探索を始める。街中を歩きながらも、レウィシアの頭の中には過去の様々な出来事が浮かび上がる。黒い影と謎の道化師、そして風神の村を襲撃した復讐のエルフ族セラクとの戦い。レウィシアの渾身の一撃によって深手を負い、苦痛に喘ぐ血に塗れたセラクの姿。いつか再びセラクと戦う事になる。背く事の出来ない運命に立ち向かわなければならない現実にレウィシアは何とも言えない感情を抑えつつも、これから起きるであろう出来事を考えて呼吸を整えていた。


    彼と再び戦う事になれば、ラファウスの言う通り非情になるしかないのかな。でも……。


    その時、地面に僅かな揺れが起きる。地震であった。揺れは徐々に大きくなっていく。
    「きゃああ!!」
    「うわあああ!!」
    突然の地震で街中がパニックに包まれる中、レウィシア達は揺れが収まるまでその場に立ち止まっていた。30秒後、揺れは徐々に収まっていく。
    「い、いきなり地震だなんて……二人とも、大丈夫?」
    「うん、何とか」
    「平気ですよ」
    お互いの無事を確認した一行は再び足を動かす。通行人がざわめく中、一行はある会話を耳にする。
    「ここんところ地震が多いけど一体どうなってんだ?」
    「魔物も急激に湧くようになったしな」
    「ねー。最近頻繁に地震が起きるようになったし、怖いよね」
    「魔物だったら王国の槍騎兵隊と王子様が何とかしてくれるけどね」
    そんな会話を聞いた一行は立ち止まる。
    「地震が多い上に魔物が急激に湧き出したって、何かありそうね」
    「ええ。何か悪い予感がします」
    レウィシアとラファウスが話している最中、ルーチェが遠くを見つめているような表情をする。
    「ルーチェ、どうしたの?」
    レウィシアが声を掛けると、ルーチェは振り返らずに遠くを見つめている様子だった。
    「……何だろう。何かが見えた気がする」
    「え?」
    「ぼくにもよくわからないけど……一瞬だけ何かが見えた。魂のような、死霊のような何かが……」
    ルーチェが物憂げな表情のまま振り返る。レウィシアは何だろうと思いつつも、辺りを見回してみる。だが、レウィシアの視界には特に変わったものは見えなかった。
    「まさか、気のせいよ。あんまりそういうの気にしちゃダメよ?」
    レウィシアはそっと顔を寄せ、笑顔でルーチェの頬に軽く触れる。だがルーチェは俯きがちな様子だった。バザー会場に向かうと、大勢の人々で賑わう中、槍を携えたフルプレートアーマーの男がメイコの売り物を買っているのが見える。男は、槍騎兵隊の騎士だった。買い物を終えた騎士の男が去ると、レウィシア達はメイコの元にやって来る。
    「あら、皆さんもバザーでお買い物ですか?さっき凄くカッコいい騎士様が買い物に来たんですよおおお!」
    大はしゃぎで目を輝かせるメイコに、レウィシアはそうですかと愛想笑いする。
    「騎士様というのは先程見かけた鎧を着た方でしょうか?街中で王国の槍騎兵隊といった話をお聞きしましたが、もしかするとその方は……」
    「いや~、遠路はるばる水の王国まで来た甲斐があったものですよ!鎧を身に纏った騎士様が私のところへ買い物に来てくれるなんて!レウィシアさん達に感謝しないといけませんね!」
    「そ、それはよかったですね……」
    ラファウスの呟きそっちのけではしゃぐばかりのメイコは、更にテンションを上げて商売を再開する。レウィシアはそんなメイコを一言程度で軽く応援し、その場を後にして街中の探索を続けた。レウィシア達が去ると、メイコの元に再び人がやって来る。
    「いらっしゃいませ!何かお探しです……か?」
    現れたのは、忍の装束を着た怪しい男だった。背中には二つの刀を装着しており、表情が見えないように口元がマスクで覆われていた。物々しい雰囲気が漂う男を前に思わず面食らうメイコだが、落ち着いて営業スマイルに切り替えようとする。
    「……薬草を買いに来た。売っているか」
    淡々とした声で男が言う。
    「か、畏まりました!薬草ですね!えっと、数は一つでしょうか?」
    「四つだ」
    「あ、失礼しました!四つですね!」
    男が放つ雰囲気に内心動揺しながらも商売を続けるメイコ。薬草を買い終えた男が静かに去ると、メイコは周囲を確認するようにキョロキョロする。
    (な、何だか近寄り難そうな雰囲気の人だったけど……悪い人じゃないのかしら。それにあの恰好……何かの物語に出てきた忍っていう役職の人?)
    メイコは買い物に現れた怪しい男について色々気になっていると、ランが膝元に鼻を寄せてクーンと鳴き声を上げる。
    「……ま、何もなければ気にする事ないわよね!さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」
    メイコはランを撫でながらも、商売を再開させた。


    街中の探索を一通り終えたレウィシア達はカフェを訪れ、聞き込んだ情報を整理する。王国の領土内に突然大量の魔物が急激に湧くようになった事や、最近頻発している地震の事。王国の王子や槍騎兵隊と呼ばれる騎士の部隊が湧き上がる魔物を退治している等、様々な情報が重なっていた。カフェでの休憩を終えたレウィシア達が外に出た頃は、既に日が暮れていた。この日は宿を取り、翌日に王国の首都となる王都アクリムへ向かおうと決めた矢先、メイコがやって来る。
    「レウィシアさーーん!此処にいたんですかぁ?」
    随分嬉しそうな様子のメイコは、バザーでの商売で見事に完売を果たしたのだ。
    「私、やりましたよ!仕入れてきた商品が見事に完売いたしました!おかげで大儲けですよ~!」
    「はは……おめでとうございます」
    メイコが所持している金庫には売上金が大量に詰め込まれていた。
    「ところで、もう日が暮れる頃ですが今日はこちらでお泊りですか?」
    「ええ。明日王都アクリムへ行くところよ」
    「なるほど~!港町の次は王都へ観光というわけですね!ワクワクしてきます!ならば喜んで私もお供いたしますよ!水の王国ならではの掘り出し物もありそうですからね!」
    「いや、観光に来たわけじゃないんですけど……」
    まだ同行する様子のメイコのテンションに苦笑いするレウィシア。宿屋で三人分の部屋を確保したレウィシア達はそれぞれの部屋で休息を取る。レウィシアの部屋にはルーチェも入る事になった。部屋のバスルームで入浴を済ませたレウィシアがタオルを巻いた姿で既に寝間着姿に着替えていたルーチェの前にやって来る。辺りにシャンプーとボディソープによる良い香りが漂う中、ルーチェはレウィシアの姿をジッと見つめている。
    「本当はルーチェと一緒にお風呂入りたかったけど、流石にそこまでは出来ないかな」
    タオルで全身を拭き取ったレウィシアは下着を着用し、寝間着に着替えていく。一通り着替え終えると、レウィシアはルーチェの隣に座る。僅かに開いている部屋の窓からは、心地良い潮風が入ってくる。
    「夜の潮風って気持ちいいわね」
    「うん、そうだね……」
    レウィシアは肩に手を回しつつもルーチェの頭をそっと撫でる。
    「ねえルーチェ……この戦いが終わったら、お姉ちゃんのところに来る?クレマローズのお城に」
    「お城……ぼくがお城に来てもいいの?」
    「勿論よ。あなたはずっと守ってあげたいから……」
    レウィシアは少し物悲しい表情を浮かべながらも、ルーチェの頬を軽く撫でてそっと抱き寄せる。
    「私が普通のお姫様だったらよかったのに……」
    ルーチェを抱きながらも、レウィシアは様々な想いを募らせつつ目に涙を浮かばせる。
    「……お姉ちゃん、泣いてるの?」
    胸の中のルーチェが言うと、レウィシアは涙を堪えつつもルーチェを抱きしめる。
    「ううん……泣いてないわ。涙なんて見せられないもの」
    そう言って、レウィシアはルーチェを包み込むように抱きしめていた。ルーチェはレウィシアの匂いと温もりに包まれながらも、甘えるように胸に顔を埋めている。


    この子を守る為にも、私は戦わなくてはならない。
    けど……今私は、心の何処かで戦う事を恐れている。

    敵対する存在とはいえ、自らの手で一人の男を深く傷付けてしまった事への罪悪感が、何故これ程大きく感じているのだろうか。
    魔物を倒した時にはさほど罪悪感を感じなかったのに、何故だろう。

    復讐に生きるあの男の戻れない運命の重さを知ったからだろうか。
    その答えは、私自身にも解らない。

    でも、私は戦わなくてはならない。守るべき者と、救うべき者の為にも。


    一夜が明けると、レウィシアはルーチェを連れて宿屋のロビーにやって来る。そこにはラファウスとランを抱いているメイコがいた。
    「おはようございます。さあ、行きましょうか」
    「ええ」
    「さあ、お次は王都の観光ですね!探索を兼ねて参りましょうか!」
    「だから観光に来たんじゃないんですけど……」
    朝食を済ませ、旅を再開しようとした途端、地震が起きる。揺れは軽度ではあるものの、一分半に渡る長さの地震だった。
    「今日もまた地震が起きるなんて……それに、風が妙に騒がしいですね」
    ラファウスが不安げに呟く。
    「多くの魔物が急激に湧くようになったという事も聞いたし、この地に何かが起きているのかしら。まさかと思うけど……」
    レウィシアの脳裏に浮かんでくるのは、黒い影と道化師の姿だった。頻発する地震と湧き上がる多くの魔物との関連性について考えている最中、醜悪な唸り声が聞こえ始める。魔物の群れだった。その数は魔物の巣に入り込んだかのような大群である。
    「な、なんて数なの!?」
    「キャーキャー!こ、こんなに魔物が出てくるなんて聞いてないですよおおお!!」
    レウィシア達が戦闘態勢に入ると、魔物の大群が一斉に襲い掛かる。ルーチェとラファウスがそれぞれの魔法で応戦する中、レウィシアは剣を振るおうとせず、盾を叩き付けていた。
    「え、えーいっ!私だってええっ!!」
    メイコが専用のハンマーを持って立ち上がり、襲い来る魔物の脳天に叩き付ける。
    「くっ、まだまだ数は減りませんね……」
    魔物の大群はまだかなりの数が控えていた。レウィシアは額から流れる汗を拭い、このままではと思いつつも剣を握り締めると、空からけたたましい鳴き声が聞こえてくる。現れたのは、中性的な容姿を持つ少年……テティノを乗せた飛竜だった。更に、馬に乗ったフルプレートアーマー製の鎧を着た槍騎兵隊がやって来る。テティノが飛竜から飛び降りた瞬間、多くの槍騎兵が魔物達に突撃する。
    「下がってろ。こいつらは僕が片付ける」
    テティノの全身が水色のオーラに包まれる。水の魔力を高めているのだ。
    「ウォータースパウド!」
    巨大な水の竜巻が巻き起こり、大勢の魔物を飲み込んでいく。突然の出来事にレウィシア達が驚いているうちに、テティノと槍騎兵隊の総攻撃によって魔物の大群は全滅していた。
    「よし、これで片付いたな。お前達は引き続き大陸の調査を頼む」
    「ハッ!」
    槍騎兵隊が一斉に散り散りになる形で去って行く。
    「ありがとうございました。えっと、あなたは?」
    レウィシアが声を掛けると、テティノは髪を軽くかき上げる。
    「君達は何処から来たのか知らないけど、この僕に助けられた事を光栄に思うがいいよ。僕の名はテティノ・アクアマウル。水の神に選ばれし者と言っておこうかな!」
    威勢よく自己紹介するテティノ。
    「水の神に……選ばれし者?」
    レウィシアが首を傾げる。
    「今の戦いで巨大な水の竜巻が魔物どもを飲み込んでいくのを見ただろう?あれが僕の力さ。槍騎兵隊の連中がいる事もあってもっと凄いものを見せられなかったのが残念だけどね」
    「そうですか。私達は今、王都アクリムへ向かうところでして」
    「王都に?観光目的で行くつもりなのかい?」
    「いいえ。私達はある目的で王様にお会いしたいのです」
    テティノは一瞬眉を動かす。
    「……何の用があるのか知らないけど、父上は軽々と君達余所者の相手をするような人じゃないよ。つまらん目的だったら即座につまみ出されるのがオチだ」
    再び飛竜に乗り込むテティノ。飛竜は鳴き声をあげ、翼を広げて飛び始める。
    「言っておくけど、変な真似だけはしてくれるなよ。わかったね?」
    そう言い残すと、テティノを乗せた飛竜は飛んで行った。
    「テティノさんって、もしや竜に乗る王子様でしょうか?綺麗な顔立ちでしたね~!どっちかというと可愛い系の綺麗なお顔って感じで!」
    メイコはテティノの事が気になっている様子だが、レウィシア達は目もくれない。
    「あの方……何か私達と同じような力を感じましたが」
    ラファウスはテティノから漂う水の魔力に、同じ魔魂の力を感じ取っていた。それはレウィシアも同じであった。
    「テティノ・アクアマウル……彼も魔魂の適合者だわ」
    レウィシアが持っている小さな道具袋からひょっこりと姿を見せたソルが、レウィシアの呟きに反応するかのようにきゅーきゅーと鳴き声を上げ始めた。



    「ほほう、アクリム王国か……いずれ素材を頂きに行く場所だったが、一足先に来ていたとはな」
    亜空間の中、道化師が浮かび上がる小さな魂を前に呟いている。魂は、ルーチェが街中で見た死霊のようなものが形になった存在であり、道化師の魔力によって生み出された偵察用の魔力エネルギー体だった。
    「どれ、頂きに行くついでに遊んでやるか。だがその前に奴を……」
    道化師は水晶玉を取り出す。玉に映し出されたのは、セラクの姿だった。


    その頃セラクは、アクリム王国の領土内に存在する湖の前に佇んでいた。ゲウドによる魔改造で新しい右腕を与えられ、人間への本格的な復讐を決行すべくかつて同族が住んでいた領域に当たる場所を訪れていたのだ。湖の中心には巨大な石碑が立てられた小さな島がある。湖を泳いで渡り、島に上陸しては石碑を見つめると、セラクは心に憎悪を滾らせる。石碑には、『支配欲に捉われし先代の王と人々の罪によりて命を失ったエルフの民への償いと弔いを此処に捧げん』という文字が彫られていたのだ。セラクは右手に闇の魔力を集中させる。右腕は、どす黒く禍々しい刻印のある魔物の腕になっていた。セラクの右手から放たれた闇の光弾は石碑を粉々に破壊し、爆発を起こす。島全体が炎に包まれる中、セラクの表情が悪鬼のようなものに変わる。


    ———おやおや、随分と醜悪な顔になったものだな。セラクよ。


    声と共に現れたのは、黒い影だった。
    「貴様か……。私はそろそろ復讐を再開する」
    セラクは闇のオーラを纏いながらも、鋭い目で空を見上げる。


    ———クックックッ、貴様に良い知らせだ。裏切り者の子と、貴様の腕を奪った愚か者の王女もこの地を訪れている。


    「何っ!?」
    思わず拳に力を込めるセラク。


    ———貴様が思う存分人間どもに復讐するのは勝手だが、アクリムの王家も我が素材の一つだ。王族の者どもには手を出すな。貴様もこのオレによって生かされているという事を忘れるでないぞ。


    そう言い残して消えていく黒い影。
    「……人間ども……何処までも忌々しい生き物だ。裏切り者の子と、我が腕を切り裂いた人間の女……この手で八つ裂きにしてくれる。この手で、必ずな……!」
    燃える島の中、憎悪のままに復讐を誓うセラクは怒りの咆哮を上げた。それに応えるかのように地面が揺れ始める。地響きは、数分間に渡るものだった。
    地底に潜むもの港町マリネイから徒歩で約一時間、一行は王都アクリムに辿り着いた。中心地にある王宮がひと際目立つ街の中には運河が流れ、所々に巨大な噴水が設けられている。まさに水の都と呼ばれる場所であった。
    「まあ、なんて素敵な場所なんでしょう!運河といい噴水といい、観光地としては最高ですね~!って、ちょっと待って下さいよおお!!」
    相変わらず観光気分のメイコを放置して、レウィシア達は王都を探索しつつも王宮へ向かう。王宮の門は、甲冑姿の衛兵二人に守られていた。
    「我が王宮に何用だ?」
    衛兵の二人が厳重に門を守りながらも一行に声を掛ける。
    「私はクレマローズ王国の王女レウィシア・カーネイリスという者です。国王陛下に御用があって来たのですが」
    レウィシアが身分を明かすと、衛兵の二人はお互い目を合わせながらも首を傾げる。
    「クレマローズ王国?はて、何処かで聞いたような……お前、知ってるか?」
    「うーん、聞いた事あるようなないような……」
    衛兵はうろ覚えの様子。
    「え~!アクリムの人達ってクレマローズ王国の事知らないんですかぁ?このレウィシアさんはクレマローズが誇る美しいお姫様で有名なのに!」
    「ちょ、ちょっとメイコさん!別に有名って程じゃないわよ」
    思わず赤面するレウィシア。
    「おい、何をしている」
    突然聞こえてきた声。現れたのは、馬に跨り、ランスを手に頑強な鎧を着用した重装兵タイプの騎士だった。
    「これはウォーレン隊長!」
    ウォーレンと呼ばれた騎士は、王国の槍騎兵隊の隊長だった。衛兵が敬礼すると、ウォーレンは不思議そうにレウィシア達を見つめる。
    「この者達は?」
    「ハッ!聞いたところ、クレマローズ王国から来訪された者との事です」
    レウィシアが事情を説明すると、ウォーレンはジッとレウィシアの目を見る。
    「ふむ、クレマローズ王国の王女か……わかった。陛下の元へ案内しよう」
    ウォーレンに案内される形で、レウィシア達は王宮へ招き入れられる事になった。
    「うっわ~!これが王宮ですかぁ!荘厳で美しいですね~!あ、何かお土産とか売ってますかぁ?」
    ウキウキしながらもはしゃぐメイコだが、レウィシア達はそんなメイコを相手せずウォーレンの後を付いていくだけであった。
    「す、少しは私の観光に付き合って下さいよおお~~!」
    メイコは慌ててレウィシア達の後を追う。

    謁見の間に、ウォーレンが単身でやって来て王の前で頭を下げる。王の玉座の隣にある王妃の玉座は空席となっていた。
    「ウォーレンよ、何事か?」
    「ハッ、クレマローズ王国の王女とその連れの者達が陛下にお会いしたいとの事でやって参りました」
    「クレマローズ王国……だと?」
    王は少し首を傾げるが、即座に招き入れるように命じる。一行が招き入れられると、王はレウィシアの姿を見る。
    「そなたがクレマローズの王女か。遠い異国の者が我が国を訪れるとは一体何用だ?」
    レウィシアは自己紹介を兼ねて事情とこれまでの経緯を話すと、王は咳払いをしつつも真剣な表情になる。
    「邪悪なる道化師……か。そのような者は見た事はないが、いずれこの国を狙うかもしれないという事か?」
    「はい。私達は今、その道化師を追っているところです。あの男の目的が一体何なのか、今のところ解りかねますが」
    「……用件はそれだけか?」
    「いえ。他にも一つお聞きしたい事があります。それは……」
    レウィシアが過去に王国がエルフ族の領域を侵攻していた事について聞こうとしたその時、一人の槍騎兵が慌てた様子でやって来る。
    「陛下!隊長!大変です!調査部隊の者がズシク台地で魔物が現れる巨大な穴を発見したとの事です!」
    「何だと!?」
    槍騎兵の報告に王が声を上げる。巨大な穴が発見されたというズシク台地は、王都から北の地に存在する場所であった。
    「ウォーレンよ、聞いたな?今すぐズシク台地の調査を開始するのだ」
    「ハッ!」
    ウォーレンが謁見の間から去って行く。
    「ま、魔物が現れる巨大な穴って何ですか~!?これまた面白い大発見という事ですか~~!?」
    メイコが大騒ぎする中、地震が起き始める。数十秒程の軽震であった。揺れが収まると、王は冷静に構えて再び話し始める。
    「……レウィシアよ。お前達は邪悪なる道化師とやらを追って旅しているとの事だな。そんなお前達に一つ頼み事があるのだが、どうか聞いて欲しい」
    レウィシアは王の意図を察しつつも了承の返事をする。
    「既に存じているかもしれんが、王国は一ヵ月前から今のような地震が頻繁に起きている上に魔物が急増するようになった。恐らく北のズシク台地に発見された巨大な穴から地震や魔物の原因となる恐るべき魔物が潜んでいると見てよかろう。そこで、お前達にウォーレンを始めとする槍騎兵隊の援護を願いたい」
    案の定と思ったレウィシアは腰に納められた剣に視線を向け、すぐに王に視線を移す。
    「解りました。他国といえど、王国の危機を見過ごすわけにはいきません。喜んで力になりましょう」
    レウィシアが勇ましく承諾すると……
    「待って下さい!」
    突然の声と共に現れたのは、テティノだった。
    「テティノか。何故戻って来た?」
    「父上、一体どういうおつもりですか!この僕を差し置いて実力も不確かな余所者を信用するなんて!」
    「クチを慎め、愚か者が。まだ半人前でしかないお前は湧き上がる魔物の群れを駆除するだけで良い。原因となるものはお前よりも先に兵の一人が突き止めたのだからな」
    「そ、そんな……僕だってこいつがいるから……」
    テティノの前に小さなペンギンの姿をした生き物が現れる。生き物の額には水色の結晶が嵌め込まれている。スプラと名付けられた水の魔魂の化身であった。それを見たレウィシアとラファウスはやはり、と心の中で呟いた。
    「それで一人前のつもりだというのか?馬鹿者め。水の魔魂はお前に力を与えているだけに過ぎん」
    「……くっ!」
    王の辛辣な言葉を受け、テティノは悔し気な表情を浮かべたまま謁見の間から去って行った。
    「今のはさっき私達を助けてくれた王子様ですよね?何だかやけに辛辣ですねぇ……」
    メイコはテティノに対する王の態度に疑問を感じずにはいられなかった。
    「奴の事は気にしなくても良い。レウィシアよ、どうか槍騎兵隊の力になって頂きたい。もし無事で任務を終える事が出来たら改めてそなたらの質問に答えよう。いいな?」
    レウィシアは王の考えやテティノの事が気になりつつも王の申し出に頷き、仲間と共に謁見の間から出た。


    「何故だ……何故父上は僕の事を認めてくれないんだ!僕だって……」
    王宮のバルコニーで、テティノは悔しさに打ち震えていた。
    「お兄様……」
    現れたのはマレンだった。背後から聞こえてきたマレンの声に一瞬驚くテティノ。
    「な、何だ!いきなり出てくるなよ」
    「ごめん。またお父様に何か言われたの?」
    「別に」
    テティノは何事もなかったかのように素っ気なく返答する。
    「大丈夫よ。お父様やお母様もいつかきっとお兄様の事を認めてくれるわ。お兄様だって凄い魔法が使えるんだし、槍の才能もあるんだから」
    マレンは落胆していたテティノを気遣うような言葉を掛けるが、テティノはそっぽを向くばかりであった。
    「ねえお兄様、聞いてるの!?」
    「うるさい!魔物討伐の事で頭が一杯なんだ!あっちへ行ってろ」
    テティノが感情的に怒鳴ると、マレンは目に涙を浮かべ始める。
    「私は……ちゃんとお兄様の事を認めてるわよ!」
    涙ながらに去るマレン。
    「……お前に何が解るっていうんだ。僕よりもずっと親に愛されてるくせにな」
    テティノは悪態を付きながらも、懐から水色の結晶———魔魂を取り出す。魔魂は化身であるスプラの姿に変化する。
    「スプラ……お前は僕を認めてくれるか?お前は僕を選んだんだからさ……」
    テティノの呼び掛けに応えるかのように、スプラはクワックワッと鳴き声を上げる。
    「……父上と母上には見る目が無いんだ。僕だってもう十分一人前なんだ。地震や魔物を生むバケモノだろうと、この僕だったら……!」
    拳を震わせながらも、テティノは懐から角笛を取り出し、吹き始める。すると、角笛の音に反応したかのように一体の青い飛竜が現れる。アクアマウル一族によって手懐けられた水の飛竜であった。
    「オルシャン、北へ向かってくれ」
    オルシャンという名前を持つ飛竜は、テティノを乗せて北の方へ飛び立った。


    「何だか王様のいいようにされたみたいですね~。易々と引き受けちゃっていいんですかぁ?」
    一行が謁見の間を出た途端、メイコがぼやき始める。
    「仕方ないわよ。地震や魔物が急増しているとならばこの国も大変な事になるかもしれないわ」
    「地震を起こしつつも多くの魔物を生み出している存在……決して油断は出来ませんね」
    そんな会話を繰り返していると、一人の高貴な女性が現れる。王妃だった。
    「あら、見かけない顔ですわね。客人かしら?」
    貴婦人らしく振る舞う王妃を前にレウィシアは軽くお辞儀をする。
    「貴女、見たところご立派な出で立ちをしてらっしゃりますわね。それはいいとして、我が息子テティノはお見掛けしなかったかしら?」
    「えっと、先程謁見の間を訪れましたが、すぐに何処かへ行ってしまいました」
    「まあ。あの子ったら妹のマレンを泣かせたのですよ。あんなに可愛い妹を泣かすような事をするなんて、王子の風上にも置けませんわね。この私がうんと叱ってやらなくては」
    「そ、そうですか……」
    何やらこの王家は色々ひと癖あって、それでいて複雑な事情がありそうだと感じたレウィシアはどうしたものかと思い始める。
    「そうそう、もし宜しければマレンにもお会いして下さいまし。あの子は我が国が誇る心優しい姫。どんな相談事でも気軽に乗ってくれますわよ」
    扇子で仰ぎながらもその場から去る王妃。
    「……妹様を泣かせるなんて、何があったというのでしょうか」
    ラファウスも王家の事情が気になり始めていた。
    「あのカッコいい王子様の妹が心優しいお姫様だなんて!美男子の王子様に美少女のお姫様……嗚呼、なんて素敵なんでしょう……!レウィシアさん!お姫様にも会ってみましょうよ!」
    「メイコさん、少しは静かにしてて下さい……」
    空気を読まずに騒ぎ出すメイコに半ばウンザリしながらも、一行はマレンの部屋を訪れる。マレンは部屋の隅っこですすり泣いていた。レウィシアは気まずい空気を感じながらも、そっと声を掛ける。
    「あ……すみません。えっと、あなた達は?」
    レウィシアを始め、全員が自己紹介と共に事情を説明する。
    「まあ、遠いところからお越しになられたのですね。確かに私は姫と呼ばれていますが、兄と比べて大した事ありませんよ」
    お淑やかで謙虚に振る舞うマレンに、レウィシアは少し安心した気分になる。
    「あなたのお兄様……テティノと何かあったの?王妃様からテティノに泣かされたって聞かされたけど」
    レウィシアの問いにマレンは物憂げな表情で俯く。
    「あ、言えない事情だったら無理して言う必要ないわ。何かあったのかなって思っただけで、つい……」
    「いえ、気にしないで下さい。私は大丈夫ですので……。あなた達も長旅でお疲れでしょう。疲れが消えるおまじないをかけますね」
    マレンは意識を集中させ、両手から仄かな水色の光を放つ。すると、レウィシア達の疲労感は一瞬で消え去った。
    「え……何だか疲れが取れて体が軽くなったみたい」
    マレンのおまじないは、水の魔力による癒しの魔法であった。それは傷を治すだけでなく、水の力によって疲労感を洗い流すように鎮めていく効果も含まれているのだ。
    「凄い!疲れと肩凝りとストレスが一気に消えたみたいですよ!驚きですね~!」
    歓喜の声を上げるメイコ。
    「これは、ぼくの魔法よりもすごいかもしれない……」
    「水の魔力……癒しの力も存在しているのですね」
    ルーチェとラファウスも素直に驚いていた。レウィシアはマレンに礼を言って部屋を後にし、王都から北のズシク台地へ向かおうとする。
    「あ、これから魔物退治の旅に向かうのでしたら私は一端離脱させて頂きますよ!なんてったって観光日和ですからね~!それじゃ、後は頑張って下さいね!」
    メイコはウキウキした様子でランを連れてさっさと去って行く。
    「……放っておきましょう。あの人は」
    「そうね」
    能天気なメイコにラファウスは半ば呆れていた。王都から北にあるズシク台地は徒歩で数十分程の距離で、レウィシア達は北へ向かって行った。


    その頃セラクは、血塗れの姿で多くの機械兵との戦いに挑んでいた。機械兵はゲウドによって魔物を機械のボディに改造したものであり、セラクの右腕移植改造の結果をテストする為に差し向けたものであった。闇のオーラを纏いながらも、襲い来る機械兵を闇の炎で迎え撃ち、光弾で破壊していく。最後の機械兵が倒された時、セラクは激しく息を付かせていた。
    「ヒッヒッヒッ、実験は成功といったところかのう」
    ゲウドが現れる。
    「貴様……どういうつもりだ」
    憎悪に溢れ出るセラクの目。
    「ヒッヒッ、お前を試したのじゃよ。ワシに与えられた新しい右腕をうまく使いこなせるかをな。その様子じゃと、問題はないようじゃな」
    「……ふざけるな。貴様のくだらん実験に付き合ってられん」
    セラクは忌々しげに倒れた機械兵の身体に蹴りを入れる。だが、機械兵との戦いでのダメージが響き、全身に痛みが襲い掛かる。
    「ヒッヒッヒッ、流石にお疲れじゃろう。今日のところはゆっくりと休むが良いぞ。何、焦る必要は無い。お前さんの復讐は必ずしも果たせるようにしてやる。必ずな……」
    セラクは拳を地面に叩き付け、わなわなと震わせていた。
    「さて、あやつめを追うかのう。あやつのおかげでまたも新しい実験材料が……ヒッヒッヒッ」
    ゲウドは不敵に笑いながらも、その場を去った。


    ズシク台地に開けられた巨大な穴からは、次々と魔物が湧き上がっていた。醜悪な姿の魔物が穴からどんどん現れ、迎え撃つ槍騎兵の面々。だが、湧き上がる魔物を倒しても穴から無限に現れるばかりだった。
    「くそ、一体どうなっているのだ!やはりあの穴の底から魔物を生み出している何かが潜んでいるというのか……」
    ウォーレンが穴の中を調べようとした矢先、鳴き声と共に飛竜が飛んで来る。テティノを乗せた飛竜オルシャンだった。
    「これはテティノ王子!」
    「穴の調査は僕がやる。お前達はザコどもの処理をしていてくれ」
    「え!?ですが穴の中は何か待ち受けているか……」
    「いいから僕に任せろ!甘く見るのも大概にしろよな」
    テティノはウォーレンの制止を聞かずオルシャンに乗ったまま穴のある場所へ向かい、果敢にも上空から穴の中に飛び込んで行った。オルシャンはけたたましい鳴き声を上げながら飛び去って行く。
    「テティノ王子!な、何という無茶を……」
    後を追おうとするウォーレンだが、魔物の群れが襲い掛かる。ウォーレンはテティノの事を気に掛けながらも、部下と共に全力で応戦した。


    穴の中は、苔で覆われ、壁が腐食した地底の洞窟に繋がっていた。中には多くの魔物が潜んでおり、至る所に魚卵のようなヌメヌメした丸い物体が無数に散らばっている。洞窟にいる魔物はスライム系統の不定形生物や、ドロドロに腐敗した肉体を持つアンデッド等の不気味な魔物ばかりだった。テティノは水の魔力を集中させると、傍らにいたスプラがテティノの中に入り込む。
    「ハイドローリスタンプ!」
    水の魔魂の力によって魔力を増大させたテティノが魔法を発動すると、巨大な水柱が魔物達を襲う。水圧で押し潰された魔物達は不気味な叫び声を上げる。
    「今だ!タイダルウェイブ!」
    魔力によって作り出された海水の津波が魔物を飲み込んでいく。魔力の津波は、辺りの魔物を全て浄化させていった。
    「ふっ、やはり僕に掛かれば大した事ないな。大体僕は槍騎兵どもと違って凄い魔法が使えるんだし」
    勝ち誇ったようにテティノが呟きながら、洞窟の奥へ進んで行く。
    「……ニンゲン……オノレ……ニンゲン……」
    洞窟の中を歩いていると、辺りに響き渡るような不気味な声が聞こえてくる。
    「だ、誰だ!?」
    テティノが槍を構える。
    「……ニンゲン……ユルサナイ……ニンゲン……」
    怨念のように聞こえてくる声。その声に応えるかのように、魔物の群れが襲い掛かる。
    「チッ、まだいるのか!」
    水の魔力のオーラを身に纏ったテティノが詠唱を始める。
    「水の刃よ……アクアスラッシュ!」
    水の刃が襲い来る魔物の群れを次々と両断していく。だが、魔物はまだ現れる。テティノが更に魔法を発動させようとした瞬間———。
    「シャイニングウォール!」
    突然、魔物達の元に光の柱が次々と発生する。光の柱に飲み込まれた魔物達は叫び声を上げながらも、浄化されるように消えていく。レウィシア、ラファウスと共に駆けつけてきたルーチェの光魔法だった。
    「何とか追い付いたみたいね」
    何事かとテティノが振り返った瞬間、レウィシア達が駆けつけてくる。ズシク台地で繰り広げられている魔物の群れと槍騎兵隊による激しい戦いの中、テティノが果敢にも大穴に飛び込んで行った事をウォーレンから聞かされていたのだ。
    「何だ、何かと思えばさっきの女子供か。やはり僕の邪魔をしに来たのか?」
    「可愛くないわね。そんな言い方しなくてもいいじゃない。私達はあなたを助けるつもりで来たのよ」
    レウィシアの一言にテティノは顔を背ける。
    「ふん、そんな事は結構だよ。付いてくるのは勝手だけど、余計な真似だけはするなよ。魔物は僕が倒すんだからな」
    「何言ってるのよ。槍騎兵隊の隊長さんからも言われたでしょ?たった一人で何とかなると思っているの?」
    「いちいちうるさいな。これだから田舎者は嫌いだよ」
    「な、何よ……田舎者って」
    思わずカチンと来るレウィシアだが、心を落ち着かせて苛立ちを抑える。
    「みんな、ちょっと静かにして……」
    突然、ルーチェが懐から救済の玉を取り出し、念じ始める。
    「ルーチェ、どうしたの?」
    「……強い憎悪の怨念を感じる。数々の恨みがそのまま集まっているような……物凄い怨念を感じる」
    レウィシアが思わず辺りを見回す。苔のある腐食した壁に無数の魚卵が散らばる床、霧のような瘴気が漂う中、腐敗臭とカビが混ざったような異様な臭い。そんな環境の中、耳を澄ましてみると怨念のような声が聞こえてくる。
    「オオオオ…………ン…………ユ……ナイ……ニンゲ……オオオオおおおオオオ……」
    その声は、ルーチェとラファウスの耳にも届いていた。
    「何のつもりか知らんが、君達女子供に付き合ってられる程暇じゃないんだ。僕はもう行くからな」
    テティノはウンザリした様子で先へ進む。
    「ちょっと待ちなさい!」
    レウィシアが後を追おうとしたところ、テティノが突然足を止める。何事かとレウィシアが声を掛けようとした途端、驚愕の声を上げる。とてつもなく太い六つの触手を持つ巨大な烏賊のような姿の醜悪な魔物が立ち塞がっていた。濁った巨大な目玉を覗かせ、口からは瘴気とボトボトと大量の魚卵を吐き出している。
    「こ、これは……!?」
    一行が身構えると、魔物は不気味な声を上げながらも触手を力任せに壁や床に叩き付けると、地面が激しく揺れ出した。
    「くっ!まさかこいつが……!」
    間違いなく今いるこの魔物が地震や大勢の魔物を生み出している元凶だと確信した一行は戦闘態勢に入ると、テティノが槍を構えつつ前に飛び出した。
    「ダメよ!ここは私に任せてあなたは下がってなさい!」
    「田舎者風情が僕に命令するな」
    「命令じゃないわよ!変な意地を張らないで!」
    「君に何が出来ると……」
    言い終わらないうちに、魔物の触手がテティノに襲い掛かる。咄嗟にその一撃を飛んで回避したテティノは機敏な動きで構えを取り、魔力を集中させる。
    「ウォータースパウド!」
    巨大な水の竜巻が触手共々魔物を飲み込んでいく。竜巻に飲まれた魔物は不気味な声を轟かせながらももがき始める。それに応えるかのように、再び地面が揺れ出す。地響きによって思うように動けないテティノに触手が飛んで来る。
    「ぐおあ!」
    触手の攻撃を受けたテティノは吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられる。レウィシアは剣を手に魔力を高めると、足元にいたソルがレウィシアの懐に飛び込んで行く。ソルがレウィシアの中に入ると、レウィシアの全身が炎のオーラに包まれる。
    「はあああっ!」
    レウィシアの炎に包まれた剣技が次々と魔物に決まる。だがその攻撃にはキレがなく、何処か躊躇しているように見えていた。ラファウスはその様子を不思議に思いながらも、足元にいたエアロが自身の中に入り込むと風の魔力を最大限に高める。
    「螺旋の風よ……ハリケーンスパイラル!」
    螺旋状に巻き起こる真空波が魔物を襲う。真空波は魔物の全身を引き裂いていき、ズタズタに肉が裂けた魔物は凄まじい叫び声を上げながらも触手を振り回して大暴れを始める。地響きの中、触手に叩き付けられるレウィシアとラファウス。
    「ぐはっ!うっ……」
    咳込んで唾液を吐き出し、体を起こすレウィシアを前に、水のオーラに包まれたテティノが立つ。
    「余計な真似をするなと言ったはずだ」
    背中を向けたまま冷たく言い放つテティノは魔力を高めていた。


    一方、ウォーレン率いる槍騎兵隊は魔物の群れを全滅させ、ウォーレンと数人の兵はテティノの後を追って穴に飛び込んでいた。
    「まさか、穴の底にこんな洞窟があったとは……」
    洞窟の中を進んでいると、背後から足音が聞こえて来る。
    「誰だ!?」
    ウォーレンが振り返ると、一人の男が歩いていた。背中に二本の刀を装着し、忍の装束を着た物々しい雰囲気を放つ男であった。
    「怪しい奴め、貴様は何者だ!?」
    ウォーレン達が一斉に槍を構える。
    「……この奥にいるターゲットに用がある。貴様らに用は無い」
    男は二本の刀を抜き、一瞬でウォーレンと槍騎兵を峰内で倒していく。槍騎兵隊が倒れると、男は静かに洞窟の奥へ進んで行った。
    血塗られた歴史僕は、父上や母上から一度も褒められた事が無い。妹は褒められているのに、僕は褒められていない。
    あれだけ厳しい稽古、過酷な訓練に耐えたのに。王家の試練をも無事で乗り越えたのに。

    それなのに、未だに認めてくれない。妹と違って。

    僕は、もう一人前なんだ。


    アクリム王国の王子として生まれたテティノは、幼い頃から父である王からの徹底したスパルタによる槍術の稽古、王妃からは英才教育と魔法の稽古を受ける毎日であった。数々の厳しい稽古に加え、過酷な鍛錬を受ける日々に弱音を吐く事も許されず、親の愛を知らずに育っていたが故に心の底では愛情を求めていた。十四歳の誕生日を迎えた時に、テティノは王家の仕来りである試練を受ける事となった。それは王都の西にある巨大な滝の中にある洞穴の奥に奉られた水の神像から水の加護を受ける事で己の身を清めるというもので、試練と呼ばれているだけあって水の神が呼び寄せた守護者との戦いが待ち受けていた。数々の稽古で身に付けた槍術と魔法の力を駆使しての死闘の末、守護者を打ち破ったテティノは水の神からの加護を受け、水の魔魂と出会う。水の魔魂はテティノに更なる力を与える良き相棒となり、試練を乗り越えたテティノは王に報告する。
    「そうか、お前は水の神に選ばれたという事か……」
    「はい!これで私も晴れて一人前、ですよね」
    「戯け」
    「へ!?」
    「……それで一人前になったつもりか?馬鹿者め。お前にはまだ乗り越えなくてはならぬものがある。王家の試練はその中の一つに過ぎん。浮かれるな」
    賞賛どころか、愛情の一つすらも見せず手厳しい言葉をぶつける王。
    「ち、父上……どうして……」
    「下がれ。明日からの任務に備えて身体を休めろ」
    冷徹な王の言葉を受けたテティノは、ただ引き下がるしかなかった。それからテティノは槍騎兵隊と共に王国を守る役目を与えられ、王や王妃からは親としての愛情を受ける事なく、部下のように使われる毎日を送っていた。そして、三年の時が流れた———。


    父上や母上がいつまでも僕を認めてくれない理由は一体何なのか。

    僕に足りないものと、乗り越えなくてはならないものとは何なのか。

    その答えを知る為にも、まずは目の前にいるこの巨大な魔物を自身の手で倒したい。こいつは、大陸全体に地震を起こしながら大量の魔物を生み出している存在。こいつを僕の手で倒せば、父上も少しは認めてくれるかもしれないから。


    「だああああっ!」
    水の魔力によるオーラで身を包んだテティノが槍による連続攻撃を繰り出す。手応えはあったものの、魔物は一向に倒れる気配がない。魔物は巨大な触手を振り回し、次々と壁に叩き付けると瓦礫が降り始める。テティノは魔物の触手攻撃を回避しつつも、両手に魔力を収束させる。
    「アクアドライブ!」
    両手から放たれる魔力による巨大な水塊が魔物に襲い掛かる。水塊が魔物に叩き付けられると、魔物は恐ろしい程の雄叫びを上げながらも激しく暴れ、凄まじい地響きが発生する。
    「くっ、しぶとい奴め……」
    テティノが更に攻撃を加えようとした瞬間、魔物の口から緑色の液体が吐き出される。毒液だった。
    「テティノ!」
    レウィシアが咄嗟にテティノの前に立ちはだかり、間髪で飛んでくる毒液を盾で防いだ。
    「危なかったわね」
    盾は毒液で汚れていたが、レウィシアの炎のオーラによって溶けていく。
    「また君か。何故余計な真似をするんだ」
    「本当に可愛げがないわね。助けられて素直にお礼も言えないの?」
    「君に助けられなくても結構だ。こいつは僕が倒すんだからな。田舎者風情に邪魔はさせないよ」
    「だからどうして意地を張るの?ここはみんなで……」
    「いいから黙って見てろ!まだ終わったわけじゃないんだ」
    いきり立つ魔物にテティノが魔力を集中させようとした時、レウィシアは不意に背後から気配を感じて振り返る。
    「ほう……俺の他に客人がいたのか」
    現れたのは、二本の刀を両手に持つ忍の装束を着た男だった。
    「お前は誰だ?」
    声を聞いたテティノが思わず身構える。
    「どけ。そいつは俺の獲物だ」
    冷徹な声で男が言う。
    「断る。何処の誰か知らないが、余所者の助けなど不要だ」
    テティノが否定の返答をすると、男は瞬時にテティノの背後に回り込み、首元に手刀を叩き込む。
    「テティノ!」
    駆けつけるレウィシア達だが、テティノはそのまま倒れて気を失ってしまった。
    「安心しろ。少し黙らせただけだ。ここにいる魔物は俺が片付ける」
    そう言って、男は魔物に視線を移しては全身を激しい雷のオーラで包む。
    「うっ!この気配……」
    男から漂う雷の力に、レウィシアとラファウスは何処となく自身の持つ力と似たものを感じる。そう、男が持つ力は魔魂によるものであった。男は魔物の懐に飛び込み、目にも止まらぬ程の恐るべき速さで二刀流による攻撃を繰り出していく。その太刀筋には雷撃が迸り、深く切り裂かれた魔物の全身は激しい感電に襲われていた。振り回された触手はいともあっけなく切り落とされていき、魔物は断末魔の叫び声を上げながらも激しい地響きを起こす。だが男は動じる事なく、二本の刀に意識を集中させると、刀身から激しい雷が迸る。次の瞬間、男は居合で魔物の巨体を真っ二つに斬り落とした。勝負は、男の完全な勝利であった。
    「つ、強い……」
    その圧倒的な強さに愕然とするレウィシア達。男は魔物が息絶えた事を確認すると、懐から水晶玉を取り出す。両断された魔物の死骸は水晶玉の中に吸い込まれていく。
    「あ、あなたは一体……?」
    レウィシアが声を掛けると、男は冷酷な視線を向ける。
    「ある人物の依頼を受けてターゲットを始末しただけだ。俺の事は知らない方がいい」
    男は二本の刀を背中の鞘に収め、去って行く。レウィシア達は去り行く男の姿を黙って見守るばかりであった。
    「あの方は何者でしょうか。しかも私達と同じ魔魂の力を……」
    「どうやら助けられたみたいね。今のところ敵か味方かは解らないけど」
    魔物の気配が消えた事を確認したレウィシア達は一先ず洞窟から出ようとすると……
    「……ニン……ゲン……ユルサ……ナイ……ユルサ……ナ……」
    再び怨念のような声が聞こえてくる。
    「この声は……」
    ルーチェが思わず救済の玉を取り出す。
    「一体何が?」
    「……死者の怨念だ。どうやら此処には強い恨みを持つ者の怨念がずっと残っていたんだ。それもたくさん……」
    「ええっ!?」
    レウィシアは驚きの声を上げる。
    「ぼくが全ての怨念を浄化させる。けど……数が多すぎる上に憎悪の力が大きい。ぼくに力を貸してほしいんだ」
    「わかったわ。でもどうやって?」
    「ぼくの手を握って、意識を集中させれば……」
    レウィシアはルーチェの手を握り、意識を集中させる。ラファウスもルーチェの手を握る。レウィシアとラファウスの手から力が流れて来るのを感じたルーチェは、光の魔力を高めていく。
    「憎悪に捉われし亡者の念よ……今こそ我が光の洗礼を受け、全ての憎悪から解放されよ……!」
    光の魔力を最大限まで高めたルーチェは浄化の魔法を発動させる。辺りは大いなる光に包まれ、怨念の声が徐々に溶けていくように消えていく。光が消えると、洞窟内を覆っていた霧のような瘴気は完全に消え、辺りに散らばっていた魔物が残した無数の魚卵は溶けてなくなっていた。
    「凄い……ルーチェ、よく頑張ったわね!」
    レウィシアはそっとルーチェを抱きしめて頬に軽くキスをする。
    「うっ……」
    光によってテティノが目を覚ます。
    「気が付きましたか」
    ラファウスの声にテティノは思わず顔を上げる。
    「君達……あの魔物はどうした!?」
    「倒されましたよ。あの男に」
    「何だと……?」
    テティノは既に魔物の気配が完全に消えている事を認知すると同時に呆然とする。
    「クソッ!いつもこうだ!肝心な時に空回りばかりする!」
    悔しがるテティノにレウィシアがそっと手を差し伸べる。
    「あなたが今何を思っているのか知らないけど、無事だっただけでも幸いだと思わなきゃ。一先ず戻りましょう」
    テティノはレウィシアの手を払い除ける。
    「なっ……何なの?一体何が不満だというの!?」
    「黙れ!お前なんかに僕の気持ちが解るものか!」
    苛立った様子でテティノが怒鳴り、走り去って行く。
    「テティノ、あなたは一体……」
    不可解なテティノの言動にレウィシアは戸惑うばかりだった。
    「私達には解らないような事情があるのかもしれませんね」
    ラファウスが呟く。レウィシアの心境は色々もやもやしている状態だった。
    「ぼく、あの人嫌い。感じ悪いし、お姉ちゃんの事馬鹿にするから」
    ルーチェがレウィシアにしがみ付きながら言うと、レウィシアはそっとルーチェの頭を軽く撫でる。
    「……戻りましょう。彼の事も気になるけど、今は出来る事をやらなきゃ」
    レウィシアはルーチェの手を握り、足を動かし始めた。


    「テティノ王子!ご無事であらせられましたか!」
    忍の男に気絶させられ、目を覚ましたばかりの槍騎兵隊の面々がテティノを迎える。
    「お前達が来なくとも魔物は倒れたよ。通りすがりの変な男によってね」
    「なんと!?兎も角、城へお戻り下さいまし!陛下へご報告しなければ!」
    「ふん、言われる間でもないさ……」
    面白くなさそうに返答しつつも、テティノは槍騎兵隊が設けた地上へ通じる縄梯子を登って行った。


    地下洞窟の魔物を撃退した忍の男の元にゲウドがやって来る。
    「ヒッヒッ、ロドルよ。仕事を終えたばかりだったかの?早速見せてくれんか?」
    ロドルと呼ばれた忍の男が水晶玉を差し出すと、ゲウドは薄ら笑いを浮かべながら水晶玉を受け取り、玉に映し出された魔物の死骸をジッと見つめる。
    「ヒヒヒ、流石は『死を呼ぶ影の男』と呼ばれるだけあるのう。この大陸を震撼させていた魔物クラドリオを容易く片付けるとは」
    「フン、あの程度の魔物など相手にすらならんがな」
    「ヒッヒッヒッ……そうかそうか。おっと、報酬じゃな。受け取るがいいぞ」
    ゲウドが大量の金貨が入った袋を差し出す。ロドルは金貨の袋を黙って受け取り、その場を去って行った。
    「ヒヒ……とことん愛想のない男じゃのう。報酬を受け取れば黙って去るとは。だが奴は金さえあれば手駒に出来る。あやつをうまく使えば……クックックッ」
    ゲウドは水晶玉を眺めながらも不気味に笑っていた。


    レウィシア達が王都に戻ると、ランがシッポを振りながらやって来る。
    「ラン!よしよし、メイコさんはどうしたのかしら?」
    嬉しそうにすり寄るランをレウィシアはそっと撫で始める。
    「あ~も~ランったらいきなりどこ行っちゃうのよ~!って、レウィシアさんですか!お帰りなさいませ!」
    メイコが駆けつけてくると、ランはキュンキュンと鳴き声を上げながらメイコの足元に鼻を寄せた。
    「お戻りになられたという事は魔物退治に成功したのですね!流石レウィシアさん!お疲れ様です!」
    「そ、そうね……」
    心のもやもやが収まらず、気分が優れないレウィシアはメイコの声を聴いているうちに思わず「呑気でいいわね」と本音を漏らしそうになる。
    「せっかくの観光だというのに頻繁に地震が起きるもんですからもうひたすらパニックの連続でしたよ~!これで晴れて観光出来ますよね!」
    「えっと……後はもうご自由になさって下さい」
    能天気なメイコを相手せず王宮に向かう一行。
    「ちょ、どうして素っ気ないんですかあああ!!」
    ランを連れて後を追ってくるメイコの姿を見てレウィシアは溜息を付いた。槍騎兵に迎えられつつも謁見の間にやって来た一行は事の全てを王に報告する。そこにはテティノの姿はなかった。
    「魔物が生息していた洞窟に彷徨う死者の怨念……そして魔物を打ち倒した怪しい男、か……」
    王は表情を険しくさせながらも考え事をしていた。
    「……我々に協力して頂いて大変感謝する。そなたらの事も色々知りたいところだが、まずは約束通りそなたらが聞こうとしていた質問に答えよう。私に聞きたい事は何だ?」
    「はい。このアクリム王国はかつてエルフ族の領域を侵攻していたとお聞きしましたが……何か知っている事があれば教えて頂きますか?」
    レウィシアの言葉に王は思わず目を見開かせる。
    「……何故それを聞く必要がある?」
    「私達は以前、エルフ族の生き残りと戦いました。そのエルフ族は、人間への復讐に生きる男だったのです。エルフ族は人間によって住む場所を奪われ、人間を憎むようになったという事も聞きました。だからこそ、何故過去にエルフ族の領域を侵攻する必要があったのかを知りたいのです」
    真剣な眼差しで言うレウィシアを前に、王は落ち着いて咳払いをする。
    「……確かにこのアクリム王国は300年前の過去、先々代王の時代にエルフ族の領域を侵攻していたというのは事実だ。それは我が国として、王家として忘れてはならぬ最大の過ちであり、人として許されぬ罪だった。だが……その他にも決して忘れてはならぬ血塗られた歴史が存在しているのだ」
    王は語り始める。300年前の過去の時代に王国で起きていた全ての出来事を。

    300年前のアクリム王国は、支配欲の強い若き王が支配する時代であった。この時代のアクリム王国では世界に存在する多くの飛竜を手懐けて我が物としており、飛竜に騎乗して戦う竜騎兵団と呼ばれる竜騎士の集団によって守られていた。王国自体は平和であるものの、王は支配欲のままに王国の更なる繁栄を求めて大陸にあるエルフ族の領域の侵攻を計画した。王国の竜騎兵団とエルフ族による戦争が始まり、激しい戦いの末アクリム王国の勝利に終わり、エルフ族の領域は第二の王国の街に生まれ変わった。時が経つに連れ、王は領土拡大による国の繁栄に浮かれる余り独裁政治を行うようになり、アクリム帝国を設立しようと目論むようになる。その独裁ぶりは兵力の強化を目的とした重税や貿易、奴隷制度を設ける等と様々な形で民を苦しめる悪政へと進み、既に人としての心を失っていたのだ。だがそれも束の間であった。王は何者かによって暗殺されてしまい、王国にいた飛竜、王に仕える竜騎士達も殆ど殺されてしまった。王を暗殺した人物は、クーデターを起こそうとしていた人物に依頼された闇の世界に生きる暗殺者であった。こうして王の独裁政治の時代は終わりを告げ、息子である第一王子が王位を継ぐ事となり、血塗られた愚行を繰り返さないように元の平和な王国へと建て直すと同時に、侵攻と戦争によって命を失ったエルフ族への償いと弔いを込めた巨大な石碑を湖の中心に浮かぶ巨大な島に建て、許されざる王家の罪として後世に代々伝えていく事を決意したのであった。

    時は流れ、血塗られた歴史を背負いつつも平和を望む王から生まれし王族の血筋は、やがて水の神に選ばれし者を生んだ———。


    「今では水の王国と呼ばれているこのアクリムは、多くの罪を背負う国でもある。償っても償いきれぬ人としての罪をな……。侵攻によって失われた多くの命は、いくら償っても戻って来ない。そして、支配欲に捉われる余り独裁政治へと走った先々代王の愚かさも、王国としての許されざる罪……」
    アクリム王国の歴史を全て聞かされた一行は言葉を失っていた。
    「……レウィシアよ。薄々と感じていたのだが、そなたらも我が息子と同様、魔魂の力を得た者ではないのか?」
    王の問いに応えるかのように、レウィシアの足元にソル、ラファウスの足元にエアロが出現する。
    「この力は……やはり水の神のお告げは本当だったのか」
    「え?」
    「既に存じているだろうが、我が息子テティノは水の魔魂に選ばれし者。テティノが生まれる前から、水の神からあるお告げを聞かされていたのだ」
    若き頃の現アクリム王は、先代王が亡くなった直後に水の神からお告げを聞かされていた。


    かつて世界を闇で覆い尽くした冥神が再び蘇り、汝の血筋から水を司りし古の英雄の力を受け継ぐ者が生まれようとしている。汝の子が生まれた時、世界に強大な災いと闇が現れる。そして、その災いと闇に立ち向かいし者達が汝の子と共にする。

    汝の子は、災いと闇に立ち向かいし運命の子の一人。新たなる英雄の一人として生まれるのだ———。


    「テティノには、生まれた時から大きな水の魔力が備わっていた。私はお告げに従うかのように、ずっとテティノを鍛え続けていた。そしてこの地にそなたらが訪れた今、テティノは災いと闇に立ち向かう者としてそなたらと共に……」
    王は真剣な眼差しでレウィシア達の姿を見つめる。
    「……いや、まずその前にテティノを呼ばなくてはな。テティノを呼んでまいれ」
    兵士達は一斉にテティノがいる部屋へ向かって行く。
    「……ねえ、あの人もぼく達と一緒に行くの?ぼく、あの人やだよ」
    ルーチェが浮かない表情でレウィシアにしがみ付く。
    「私も正直付き合いにくいタイプだと思ったけど、仕方ないわ。彼も心強い味方になりそうだから」
    レウィシアは周りに聞こえないような小声で、ルーチェの耳元で囁くように言った。
    「陛下!大変です!テティノ王子が……!」
    兵士の一人が慌てた様子で戻って来る。
    「何事だ?」
    「テティノ王子が、部屋に引き籠っていらっしゃるのです!しかも鍵が掛けられていて……」
    テティノの部屋は鍵が掛けられており、兵士が呼びかけても部屋に閉じこもったままで全く応じないというのだ。兵士からの知らせを聞いた王は表情を険しくさせる。
    「あの愚か者め……何のつもりだ。ならば私が直接呼びかけに行く」
    王は強張らせた顔で玉座から立ち上がり、テティノの部屋に足を運んで行った。
    「あ、あの王様……何だか強面って感じで怒らせると凄く怖そうですね~……」
    メイコは王の表情におっかない印象を抱いていた。
    「テティノ……一体何を考えてるのかしら」
    レウィシアはテティノの行動が気になりつつも、王が戻って来るのを待つ事にした。


    「お父様、お待ち下さい!」
    王がテティノの部屋の前に来た時、マレンが飛び出して部屋の前に立つ。
    「マレン、何のつもりだ?」
    「お父様……今はお兄様を一人にさせて下さい。お兄様は……苦悩しているんです」
    マレンが訴えるように言うと、王は首を傾げる。
    「どういう事だ。あいつめが何ゆえに苦悩しているというのだ」
    「お願いします……どうか……」
    マレンの目から涙が零れ落ちる。王は涙を流しているマレンの表情を見ているうちに何かあったのかと思いつつも、一度限りで言葉に従う事にした。
    「……何があったのかは知らぬが、一先ず下がっておく。だが、奴の事情がどうあろうとすぐに出てきてもらう。いいな」
    王がその場から引き下がると、マレンは心の中で詫びながらもテティノの部屋に入ろうとする。だが、ノックしてもテティノは応じようとしなかった。
    「……お兄様……もう思い悩まないで。お父様やお母様だって、決してお兄様の事を愛していないわけじゃないわ。第一私なんて、そんなに立派じゃないから……」
    マレンはテティノの部屋の前で涙を零していた。


    謁見の間に戻った王が再び玉座に座ると、辺りは静寂に包まれる。
    「テティノの奴は何を思っているのか、部屋から出ようともせん。今日のところは我が城で泊まっていくと良い。奴なら明日必ず引っ張り出しておく」
    王宮での宿泊の許可を得たレウィシア達はその言葉に甘える事にし、兵士達に宿泊する場所となる部屋へ案内される。
    「いや~こんなご立派な王宮で一泊出来るなんて太っ腹ですねえ!宿代が浮きましたし、感謝の一言ですよ~!」
    案内された部屋の前で歓喜の声を上げるメイコを背に、レウィシアはある人物の姿を目にしていた。目にした人物は、マレンであった。マレンは階段を登っていく。
    「みんな、ちょっと待ってて」
    レウィシアはマレンの後を追い始める。テティノの事が気掛かりなマレンは、悲し気な表情のままバルコニーに出る。潮風が吹く中、マレンは暗くなった空を見上げると、レウィシアが現れる。
    「あら、あなたは……」
    「マレン王女。何かあったの?」
    レウィシアの問いに、マレンは黙り込んでいた。
    「……もしよかったら、話してくれないかしら?テティノに何があったのかを。お父上も、話がしたいと仰られているから」
    マレンは少し戸惑うものの、レウィシアの純粋な眼差しを見ていると次第に信頼出来る相手だと感じるようになり、一呼吸置いて話し始める。
    「……お兄様は……親からの愛情を受ける事なく育ったから……私とは違って毎日鍛錬ばかりの日々を送っていたから……私に劣等感を抱くようになったのです」
    その言葉に、レウィシアは衝撃を受ける。


    王と王妃の第二子であり、テティノの妹として生まれた王女マレンは、天性の美しさと純粋な水のように透き通った心による優しさ、そして癒しの水の魔力が備わっていたが故に、国民に希望を与える姫として育てられていた。誰もが称え、戦いで傷付いた槍騎兵や悩める人々の心の支えとなり、国民から愛される姫となった。そんなマレンを陰で見つつも、王からの厳しい稽古や過酷な鍛錬の日々を送るばかりのテティノ。王国の人々から称えられ、王や王妃からも評価されているマレンに劣等感を覚えるようになった。

    何故、自分とはここまで違うのか。何故、自分とは違って周りから沢山愛されているのか。血を分けた兄妹なのに、何故自分は妹と違って、いつも望んでいない鍛錬ばかりの毎日を送らなくてはならないのか。確かに妹はか弱い女の子だからというのもある。長男だからこそ、しっかりしないといけないというのもある。だが、自分とは違って、妹は苦労せずともお姫様として生きているだけで愛されている。周りから沢山評価されている。それに比べて、自分なんて……。
    王国を守る騎士として生きる事なんて、最初から望んでいなかった。魔物と戦う事も、望んでいなかった。けど、与えられた使命だとかいう理由で幼い頃から厳しくしごかれ続けた。だからこそ、妹が羨ましく思えた。同時に、自分との待遇の差を目の当たりにして疎ましく思えた。自分が妹のようにか弱い女の子として生まれていたら、こんな待遇じゃなかったかもしれない。


    お前はいいよな。僕とは違って皆から愛されてるし、父上や母上からも褒められていて真っ当に評価されている。僕とは全然違うくらいだから……。


    人々の悩み相談に応じ、傷ついた兵士を癒しているマレンの姿を見る度、テティノは心の中でそう何度も呟いていた。


    「彼は……自分の立場と望んでいない使命による境遇で思い悩んでいたのね」
    レウィシアは思わず王国を守る騎士として鍛えられていた自身の境遇を振り返りつつも、自身が稽古をつけていた亡き弟ネモアの姿を思い浮かべる。
    「……お兄様は時々見せていたのです。寂しくて悲しい色をした目を。同じ血を分けた兄妹だからこそ対等に愛して、そして認めて欲しかった。そう言ってるように見えたのです」
    マレンは俯き加減で涙を浮かべていた。レウィシアはマレンにそっと近付き、ゆっくりと抱きしめる。
    「大丈夫よ。少しでもテティノの蟠りが解けるように、私が何とかしてみせるわ。ほら、涙を拭いて」
    顔が近い距離のまま、レウィシアがそっとハンカチを差し出す。マレンはハンカチで涙を拭うと、物音が聞こえてくる。現れたのは、テティノだった。
    「うっ……マレン!?それに君は余所者の……!」
    テティノの登場に、レウィシアはタイミングがいいのか悪いのかと思い始める。
    「お兄様……気分は落ち着いたの?」
    「ふん、風に当たるつもりで来ただけだよ。こんな田舎の国の王女と何を話していたんだ?」
    イライラした様子で言うテティノは、焦燥感を募らせていた。嫌味のような物言いだと感じたレウィシアは一瞬むっと来るものの、マレンの事を思いつつも心を落ち着かせる。
    「お兄様!失礼な事言わないで!別に悪口とか言ってたわけじゃないんだから!」
    「それならいいが……お前達がいると落ち着けないんだ。あっちへ行ってくれないか。一人にさせて欲しいんだ」
    「そ、そう……」
    マレンは渋々とその場から去って行くが、レウィシアはずっと立ち止まっていた。
    「ほら、君もあっちへ行けよ」
    「いいえ。行かないわ。あなたに話したい事があるのよ、テティノ」
    「何だって?ふん、どうせ何の利益もない話だろう?言っておくけど、僕は田舎者のつまらない話を聞くような耳は持っていないからな。とっとと向こうへ行っておくれ」
    尊大な態度で振る舞いながらレウィシアを追い払おうとするテティノだが、レウィシアはそれでも動こうとしない。
    「向こうへ行けって言ってるだろ!何故動かないんだ」
    「私の話を聞いてくれないと絶対に行かないわ。例え殴られたり蹴られたりしても絶対に行かないから」
    鋭い目を向けて言い放つレウィシアを前に、テティノは舌打ちしつつもわかったよと返答し、話を聞く事を引き受ける。
    「あなたの事は、マレン王女から聞いたわ」
    「何だと……?」
    「あの魔物を自分が討伐する事に拘っていたのも、ご両親から認めて欲しかったから。そして妹様と対等に愛して欲しかった。そうでしょう?」
    テティノは俯きながらも返す言葉を失ってしまう。
    「あなたの気持ちは解るわ。でも、ご両親は決してあなたを愛していないわけじゃない。ご両親があなたを厳しく育てたのは、意味があったのよ」
    レウィシアは腰に付けている道具袋を開けると、ソルが顔を出し始める。
    「この子は、私と共にする魔魂の化身。あなたもわかるでしょう?」
    テティノはレウィシアの道具袋に入っているソルをジッと見つめる。
    「……まさかと思ったら君も僕のように魔魂に選ばれた存在というわけか。それで、何が言いたいんだ?」
    「この世界にいる邪悪なる者と戦うのよ、私達と。ご両親があなたを厳しく鍛えたのは、私達と共に災いを呼ぶ闇と戦う使命が与えられていたから。勿論それはあなたにとって望んでいない事だというのは解っている。けど、逃げたところであなたが心から望んでいるものをいつまで経っても手に入れる事は出来ない。この使命を終える事が出来たら、きっとあなたも……」
    レウィシアが真剣な眼差しを向けて言うと、テティノは突然含み笑いを始める。
    「……くっくっくっ……ははははは!何を言い出すかと思えば、使命だの何だのといった理由で君達に協力しろというのか。君は生まれ持って与えられたわけのわからない使命に従って戦っているというのかい?」
    半笑いでテティノが反論し始める。
    「第一君はクレマローズとかいう国の王女なんだろ?魔魂に選ばれたとしても、王女でありながら戦わなければならない理由があるのか?それに、君が言う邪悪なる者とやらは何者なんだ?」
    レウィシアは話す。暗躍する謎の邪悪な道化師の存在や、道化師によって浚われたガウラ王、サレスティル女王、聖風の神子エウナを救出する為に戦っているという事を全て打ち明けた。
    「……つまりそいつが、君達と共に戦うべき存在というわけか?」
    「ええ。あなたの水の魔力もなかなかのものだから、私達と共に……」
    そっと手を差し出すレウィシア。だが、テティノはその手を取ろうとしない。
    「……ところで、一つ聞いていいか?君はあの地下洞窟の魔物に戦いを挑んだ時、どうも躊躇しているような動きだったよな。あれはどういうつもりだったんだ?」
    「えっ……」
    テティノの問いに思わず戸惑うレウィシア。大陸に地震を起こしつつ、大量の魔物を生んでいた巨大な魔物クラドリオとの戦いの際、レウィシアが繰り出した攻撃は何処か躊躇している様子でキレがない動きであった。その様をテティノは見ていたのだ。
    「まさかと思うが、君は魔物相手にも変な情を抱くようなタイプだというのか?」
    「ち、違うわよ!あれはただ……」
    レウィシアは心の中がざわめくのを感じる。胸中に抱えていた密かな思い———それはセラクとの戦いをきっかけに生じた相手に対して非情になり切れない思いや、本能的な心の優しさによる相手を傷付ける事への恐れ、そしてこれから待ち受ける戦いに対する迷いであった。
    「言っておくけど、僕は余計な感情を抱いて足を引っ張るような奴はお断りだよ。敵対する相手でも変なところで優しさを持つ奴だったら尚更ね」
    「だから違うって言ってるでしょ!」
    「じゃあ何だと言うんだ?」
    「そ、それは……」
    返答に困ったレウィシアは思わず黙り込んでしまう。
    「君のお父上も使命だの何だのとかいった理由で子供の頃からずっと君を鍛えていたのかな?だとしたら馬鹿げてるというか、理解に苦しむね。王女はか弱い存在であるべきだというのに、同情するよ」
    皮肉を込めたテティノの物言いにカチンと来たレウィシアは、思わずテティノの頬を引っ叩いてしまう。
    「いい加減にしなさいよ!どうしてそんな言い方ばかりするの!?」
    感情的に怒鳴るレウィシアの目から涙が零れ落ちる。テティノは叩かれた頬を抑えながらも、涙を流すレウィシアの悲しい表情を見て驚き、言葉を失う。
    「……私だって好き好んで戦っているわけじゃないけど、この命に代えてでも守りたいものがあるから……騎士として強く育ててくれたお父様にはとても感謝しているのよ。何も知らないくせに、お父様の事を悪く言わないで!!」
    レウィシアは涙を零しながらも走り去っていく。
    「お、おい……待てよ」
    慌ててテティノが呼び止めようとするが、レウィシアは既にその場から去っていた。焦燥感を募らせた事によって出た自分の心無い言動で気まずい事態を招いた事に何とも言えない罪悪感を覚えたテティノは、バツが悪そうに立ち尽くしてしまう。
    「……何て事だ……余所者の王女までも泣かせてしまうなんて……僕は……僕は……」
    後味の悪い思いをしつつも、テティノは膝を付いて地面に拳を何度も打ち付ける。
    「は、はは……こうなってしまっては父上や母上に失望されるだろうな。僕って奴は妹と違って本当にダメなんだな……」
    自虐するかのように、地面に拳を叩き付けるテティノ。拳から血が出ても、何度も地面に叩き付けていた。


    ルーチェ達が待つ部屋に戻ったレウィシアは、目に涙を浮かべたまま悲しい表情を浮かべていた。
    「お姉ちゃん……?」
    「レウィシア、どうかなさいましたか?」
    レウィシアの様子が気になったルーチェとラファウスが同時に声を掛ける。だが、レウィシアは何事もなかったかのように振る舞おうと涙を堪える。
    「……ううん。何でもない。今日はもう寝る事にするわ」
    「え?夕食はどうするんですかぁ~?私達、レウィシアさんが戻って来るまで夕食の事で相談してたんですよぉ?」
    明るい調子でメイコが言うと、レウィシアは苦笑いするばかりだった。
    「あ、そうだったわね。えっと、今日は何しようか?何かオススメでもある?」
    内心やり切れない想いを抱えつつも気持ちを切り替えようとするレウィシアだが、明らかに無理している様子だった。ルーチェとラファウスはレウィシアの事を気にしつつも、一先ず夕食の相談を続けた。


    夜が更け、皆が寝静まった頃———マレンはバルコニーで一人佇んでいた。不意に胸騒ぎを感じて眠りから覚め、眠れなくなったのだ。無数の星が鏤められた夜空を見上げながらも、マレンは静かに祈りを捧げる。


    間もなく、何かが起きようとしている。よく解らないけど、何か恐ろしい事が起きる気がする。

    水の神様……どうか、お兄様を守って。


    私はどうなっても構わない。どうか、どうかお兄様を———。



    翌日———自室で眠っていたテティノは遠くから聞こえてきた轟音で目が覚め、思わず窓の景色を見る。その瞬間、テティノは愕然とした。窓から映るその景色は、港町マリネイから立ち上っている巨大な黒煙だった。
    呪われた運命港町マリネイの中心で大爆発が起きる。それはゲウドが空中から街に投下した巨大な爆弾によるもので、爆発はバザーが開かれていた街の中心地を跡形もなく消し飛ばした。燃え盛る炎と黒煙が巻き起こる中、一人の男が逃げ惑う人々を虐殺していく。男は、セラクであった。
    「クヒヒヒヒ……ヒャーッヒャッヒャッ!破滅のショータイムの始まりじゃあ!」
    玉座の形をした空中浮遊マシンに乗っているゲウドが笑いながら上空で街の惨状を観察している。大きく燃える炎と立ち上る巨大な黒煙、そしてセラクによって殺された人々の死体。その有様は見るも無残な地獄絵図の一言であった。


    窓から見える街からの巨大な黒煙を見たテティノは即座に着替える等の支度を済ませ、槍を手に部屋を飛び出す。王宮内でもマリネイでの大爆発の件で既に騒然となっていた。
    「お兄様!」
    マレンが呼び掛ける。
    「お前はジッとしていろ、マレン。何があっても絶対に余計な事するなよ!」
    「で、でも……」
    「いいから言う通りにしろ!」
    切羽詰まった様子でテティノが言うと、マレンは返す言葉を失ってしまう。テティノは足を急がせ、バルコニーに出た途端角笛を吹き、飛竜オルシャンを呼び出す。
    「テティノ王子!何処へ行かれるのです!」
    「お前達は来るな!マレンを……マレンを頼む!」
    兵士達の制止を聞かず、テティノを乗せたオルシャンは飛び上がり、マリネイの方向へ向かって行った。


    間違いなく何かがいる。あのレウィシアという余所者の王女が言ってた邪悪なる道化師とやらの仕業だというのか?

    マリネイは僕を色々楽しませてくれた港町。あんな風にするなんて絶対に許さない。


    街の中心地で定期的に開催されるバザーや様々な見世物イベント等で楽しんだ思い出があるテティノにとってマリネイは憩いの街であり、突然の大爆発に怒りを隠せないままだった。


    「何ですって!?」
    謁見の間にいたレウィシア達は、兵士の報告でマリネイの大爆発の一件を知らされて愕然とする。
    「ひええ~~!!つ、つまり一難去ってまた一難ってやつですかあああ!?」
    あたふたするメイコの隣で、レウィシアは俯き加減で手を震わせる。
    「マリネイの中心地で大爆発が……まさか」
    ラファウスの脳裏に浮かんできたのは、セラクの姿であった。同時にレウィシアは止まらない胸騒ぎに襲われていた。
    「何者かの襲撃とならばいずれ王都にも……お前達、今すぐ王都の守りを固めよ!」
    「ハッ!」
    王の命令によって、大勢の槍騎兵が王都の防衛に向かう。
    「陛下!テティノ王子が……!」
    更にもう一人の兵士が現れ、オルシャンに乗ったテティノがマリネイに向かった事を報告する。
    「クッ、あの馬鹿め……どこまで手を焼かせるつもりだ!」
    王は眉を顰めながらも拳を震わせる。
    「私達が行きましょう」
    そう言ったのはラファウスだった。
    「レウィシア、解っているでしょう?」
    「え、ええ。そうね」
    レウィシアはどこか乗り気がなさそうに返事する。
    「……どうかなさいましたか?」
    様子が少し気になったラファウスが思わず問い掛ける。
    「ううん、何でもないわ。でも……」
    レウィシアはルーチェに視線を移す。
    「ルーチェ。あなたは残ってなさい」
    「え?」
    「お願い。今は黙ってお姉ちゃんの言う事を聞いて欲しいの」
    何とも言えない心のざわつきに満たされていたレウィシアの表情はどこか強張っており、それを見たルーチェは少し面食らいながらも大人しく従う事にした。
    「……わかった。無事で帰って来てよね」
    「勿論よ」
    レウィシアは微笑みながらそっとルーチェの頭を撫でる。
    「わ、私は当然お留守番させて頂きますよ~~!!」
    大騒ぎするメイコと切なげな表情で祈りを捧げるルーチェを背に謁見の間から出るレウィシアとラファウス。王宮から出た二人は槍騎兵が利用している馬車を借りてマリネイへ急いだ。


    マリネイの現状は、もはや壊滅状態にあった。炎は尚も黒煙を上げながら燃え続け、逃げようとしていた人々はセラクによって全員殺され、駆けつけた槍騎兵は闇の魔法で返り討ちにされていった。
    「うっ……!」
    見る影もないマリネイの惨状を目の当たりにしたテティノは驚愕の余り立ち尽くす。視界に飛び込んできたのは重なる死体の山、巨大な炎。そして目を赤く光らせているセラクの姿。
    「まだいたのか、忌々しい人間め……」
    テティノの存在に気付いたセラクが闇のオーラを纏う。
    「……お前がやったのか?お前がこの街をこんな風にしたんだな!しかも街の人々まで……!」
    怒りに震えながらも槍を構え、魔魂の力で水のオーラを纏うテティノ。
    「この気配……何者だ」
    「僕はテティノ・アクアマウル。水の神に選ばれしアクリム王国の王子だ」
    「アクリム王国、だと……?」
    セラクの表情が憎悪のままに歪み始める。
    「お前が一体何者か知らないけど、絶対に許さないからな!」
    槍を構え、突撃するテティノ。セラクは次々と繰り出すテティノの槍の攻撃を受け止め、左手から闇の光球を放つ。テティノは辛うじて飛んでくる光球を回避し、距離を取る。
    「許さないのはお前達の方だ。愚かなる人間よ」
    闇のオーラに包まれたセラクが歩み寄る。
    「お前は聞かされた事はないのか?300年前にアクリム王国の人間どもが我々エルフ族の領域を侵攻したという事を」
    「何だと?お前は一体……」
    「私は人間どもに裁きを与える為に来たエルフ族の長の子……名はセラクだ」
    セラクの言葉にテティノは衝撃を受ける。アクリム王国の血塗られた歴史に関しては幼い頃に王妃から聞かされており、今この場で敵対している人物がエルフ族の一人である事に驚きを隠せなかった。
    「つまり……王国や人間に復讐するつもりでこの街を破壊したのか」
    「左様。貴様は忌まわしきアクリムの王族……この手で消してくれよう」
    セラクが闇の炎に包まれた手を差し出す。テティノは何とも言えない気分のざわつきを感じながらも、破壊された街の姿と人々の死骸を見て拳を震わせた。
    「……エルフ族の領域を侵攻した事は許されざる王家の罪だと代々伝えられている。それは償っても償い切れない愚行であり、僕だって許せない事だと思っているよ。だが、お前の行いは正しいとは思わない。復讐に身を任せた裁きは決して正義じゃない。お前のしている事だって、平和に生きる者の命を奪う罪なんだ!」
    テティノは再び槍を構え、水の魔力を高める。
    「己の罪を棚に上げて、都合の良いように考える事しか出来ぬ人間が言う綺麗事か。どこまでも忌々しい……!ならば思い知るがいい。我がエルフ族の怒りを」
    セラクは両手から闇の炎を放つ。魔力を最大限まで高めたテティノは水の魔法で相殺を図った。


    レウィシア達が王都を出てから数十分が経過した頃、ルーチェとメイコはランを連れてマレンの部屋に来ていた。
    「可愛い犬……」
    マレンはシッポを振っているランの姿に和みながらも、ずっとランを撫でていた。
    「お姉ちゃん達、大丈夫かな……」
    不安な気持ちが収まらないルーチェは、ランを撫でているマレンの姿を見つめていた。
    「大丈夫よ、ルーチェ君!レウィシアさんだったらきっと無事で帰って来るわよ!ラファウスさんも頼りになるから!」
    気休めの声を掛けるメイコだが、ルーチェは表情を曇らせていた。何処となく悪い予感が収まらないのだ。それはマレンも同じであった。
    「う、う~~ん、王女様も不安でしたらちょっと気晴らしにお外へ行きません?ランの散歩という事で!」
    張り詰めた空気を和ませようとメイコは一生懸命明るく振る舞う。ルーチェとマレンは不安な気持ちが止まらないものの、メイコと一緒にランの散歩をする目的で王宮の外へ出る事にした。王都内はいつになく賑やかで、魔物による地震が何度も起きていた上、大勢の槍騎兵が王都の防衛に向かったにも関わらず、平和な暮らしである事に変わりない様子だった。人々がマレンの姿に気付くと一斉に注目を集め、騒ぎ始める。
    「まあ、私達ったら注目の的じゃありませんか!これも王女様のおかげでしょうか!?」
    「そ、そういう事でしょうね……」
    少々照れながらマレンが言う。
    「こういう時に商売が滾りそうなんですが、売り物がないのが非常に惜しいところですねぇ~!せめて何か掘り出し物でもあれば……」
    メイコ達への注目の的は更に集まっていた。
    「……王女様。ぼく、人が多いところはちょっと怖いから早く行こう」
    ルーチェがマレンの手を握り始める。
    「そうね。ここまで注目されたら落ち着けないわ」
    「あの人の事は気にしなくていいから」
    マレンはルーチェと手を繋ぎながら歩き始める。
    「もうルーチェ君ったら、私にも声掛けてくれたっていいでしょ~!」
    メイコはシッポを振ったランと共にルーチェとマレンの後を追った。


    燃え盛る炎による黒煙と熱気に包まれる中、テティノとセラクの激しい戦いは続いていた。
    「ウォータースパウド!」
    巨大な水の竜巻が巻き起こる中、セラクは両手を広げて闇の炎による竜巻を発生させる。二つの竜巻は激しくぶつかり合うと、相殺という形で吹き飛んだ。テティノは額や口から血を流しながらも、槍で応戦する。セラクは槍の攻撃を避けつつも、闇の炎を纏った拳をテティノに叩き込んでいく。
    「ぐおはっ!がっ……」
    顎に一撃が決まり、テティノは大きく吹っ飛ばされて倒れる。セラクは倒れたテティノに次々と闇の光球を放っていく。
    「うわああああ!!」
    容赦なく繰り出される光球。爆発の中、のたうち回るテティノ。その激しい攻撃はかなりのダメージとなった。
    「ま……負けるか……!僕は、負けないぞ……」
    テティノは何とか立ち上がろうとする。
    「何度立ち上がろうと同じ事だ、人間め」
    セラクはテティノの至近距離まで詰め寄り、拳を腹にめり込ませる。
    「ぐぼぉっ……」
    腹に強烈な一撃を受けたテティノは目を見開かせ、唾液を吐き出す。悶絶するテティノを忌々しげに殴り倒し、殺気立った目で見下ろしながらセラクは手に闇の炎を纏う。
    「ぐっ……!」
    テティノは腹を抑えながらも立ち上がり、攻撃に備えて水の魔力を高めようとした瞬間、セラクは手に集中させた闇の炎をテティノに向けて放った。
    「ぐああああ!!」
    直撃を受けたテティノは炎に包まれながら吹っ飛ばされていく。
    「消えろ。二度とその面を見せるな」
    倒れたテティノにトドメの一撃とばかりに両手から巨大な闇の光球を放つ。勢いよく迫る光球に回避は不可能だと悟ったテティノは思わず目を瞑る。爆発と共に巻き起こる黒煙を伴った爆風。終わりだとセラクが呟き、黒煙の中を歩み寄る。煙が薄れた時、セラクは不意に足を止める。盾を構えたレウィシアがテティノの前に立ちはだかっていたのだ。
    「貴様……!そして裏切り者の子め、やはりこの地にいたか」
    レウィシアの姿を確認したセラクは憎悪を滾らせ、悪鬼のような表情になる。
    「間一髪で間に合ったようですね」
    声と共にラファウスがやって来る。
    「君達も……来たのか」
    身を挺して攻撃を受け止めたレウィシアによって直撃を免れたテティノは火傷による痛みを堪えながらもゆっくりと立ち上がる。レウィシアとラファウスは破壊された街の惨憺な有様や数々の人の死骸、そして憎悪に満ちた表情を浮かべているセラクの姿を見て絶句していた。
    「どうして……どうしてこんな酷い事を!」
    拳を震わせながら感情任せにレウィシアが言う。
    「……これもあなたの復讐だというのですか。セラク」
    続けてラファウスが言う。冷徹なその声は静かな怒りに満ちていた。
    「裏切り者の子よ。私が真に憎むべきなのは人間だ。一族の裏切り者を生んだのも人間……我々が人間を忌まわしき存在として憎むようになったのも、王国の愚かな人間による侵攻から始まった事。この地はかつて我々エルフ族の住んでいた領域でもあったのだ。人間どもへの裁きは今始まったばかりだ」
    憎悪に満ちたセラクの目が赤く輝き、全身を包む闇のオーラから禍々しい力が漂い始める。力任せに着ている服を破り捨て、刻印のある魔物の右腕を露出させる。レウィシアはセラクの右腕を見た瞬間、愕然とする。
    「その腕、一体どこで……」
    「私に力を与えた者の腹心となる人物から与えられた。この腕は復讐の腕ともいう。私の腕を奪った貴様への復讐を果たす為にな」
    セラクの言葉を受けたレウィシアは胸が疼くのを感じる。自身の剣で切り裂かれ、右腕を失った苦痛に喘ぐセラクの姿が脳裏に浮かび上がり、心が痛む思いをしていた。
    「……もう、私達とは解り合えないのね」
    心の痛みを抑えながらも、レウィシアは魔魂の力による魔力を最大限まで高め、戦闘態勢に入る。ラファウスもそれに続き、魔魂の力を最大限に高めた。
    「テティノ、下がってなさい。後は私達がやるわ」
    背を向けたままレウィシアが言う。
    「待て!いくら君達でもそいつは……」
    「いいから言う通りにして!」
    切羽詰まった様子で声を張り上げるレウィシアに、テティノは思わず黙り込んでしまう。
    「裏切り者の子と我が腕を奪った忌々しい人間の女よ。あの時は不覚を取ったが、貴様らだけはこの手で殺してくれる。己の罪の深さをその身に焼き付けるがいい」
    闇の力を放ったセラクが憎悪に満ちた表情のままに襲い掛かる。ラファウスが風の魔力を集中させ、レウィシアが剣を手に突撃する。闇のオーラを纏った手刀でレウィシアの剣を受け止め、剣と手刀による打ち合いが始まる。だが、レウィシアの剣の一撃には迷いがあり、込められた力と動きが鈍り出す。その隙を見逃さなかったセラクは容赦なく手刀の攻撃を与えていく。打ち合いは防戦一方となった。


    彼とは、もう解り合えない。復讐にしか生きる事が出来なくなった今、戦うしかない。

    解っているのに、心に迷いがある。例え敵でも、運命に苦しんでいるが故に深く傷付ける事の辛さや、命まで奪いたくない気持ちが私の中にある。

    ここで迷ってはいけない。戦わなくてはいけない。余計な情を抱いてはいけない。

    だけど……だけど……。


    力を込めたセラクの手刀が振り下ろされる。レウィシアは無意識のうちに、その一撃を盾で防御しては押し返し、鋭い蹴りをセラクの顎に叩き付けた。
    「トルメンタ・サイクロン!」
    ラファウスの魔法によって生まれた巨大な風の渦が、倒れたセラクを飲み込んでいく。真空の刃に切り裂かれていく渦の中のセラクに向かって斬りかかるレウィシア。剣を振り下ろすが、その一撃には本気を出しきれず、一筋の浅い傷を負わせた程度だった。セラクは力を込めた拳をレウィシアの腹に叩き付ける。
    「ぐはっ!ごっ……」
    見開いた目で唾液を吐き散らすレウィシア。腹への一撃によろめいたところに、闇の光球が襲い掛かる。
    「あああぁぁ!!」
    光球は連続で飛んでくる。次々と攻撃を受けたレウィシアは地面を引き摺る形で吹っ飛ばされてしまう。
    「ぐっ……」
    立ち上がろうとするレウィシアの元にラファウスとテティノが駆け寄る。
    「レウィシア……」
    「大丈夫よ。まだ戦えるわ」
    剣を手に再び立つレウィシア。
    「やはりあいつは強すぎる。悔しいけど、あいつは僕一人では敵わない程の強さだ。ここは全員で掛かるしかないな」
    テティノは槍を構える。
    「レウィシア……あなた、まさかまだ迷っているのですか?」
    レウィシアの心の迷いを察していたラファウスが思わず問い掛ける。だがレウィシアは答えようとしない。
    「あの時言ったでしょう?彼が背負う呪われた運命は優しさでは救えない。あえて非情になるしかないと」
    諭すラファウスだが、レウィシアは無言で俯く。
    「迷いを断ち切りなさい!何を躊躇っているのです!戦いで非情に徹する事は、決して罪ではありません。あなたは何の為に戦っているのですか?」
    感情を露にするラファウスを前に、レウィシアは思わずハッとする。ラファウスの眼差しからは、今までにない強い意思が秘められた力強さが感じられた。


    確かに、戦いでは非情にならないといけない時もある。寧ろ戦いは常に非情なものだと教えられた事もある。

    私が戦わなくては、守りたいものを守れないどころか、救われないものもある。
    私には、守りたいものや、救うべきものがある。

    だから……だから……。


    「危ない!」
    突然の声でレウィシアの前に立ちはだかったのはテティノだった。セラクがレウィシアに向けて闇の炎を放ったのだ。
    「カタラクトウォール!」
    滝のような水の壁が闇の炎を遮断する。密かに魔力を高めていたテティノによる水の防御魔法であった。
    「テティノ……」
    「借りを返しただけさ。君が一体何を迷っているのか知らないけど、あいつの思うが儘にさせるわけにはいかないからな」
    テティノの言葉に、レウィシアは心を落ち着かせて再び構えを取る。闇の炎を凌ぎ切った時、水の壁は自然に消えていく。
    「ゴミどもが……小賢しい」
    セラクが指から紫色の光線を放つ。光線はテティノの左肩を捉えた。
    「うぐっ、ああああぁぁ!」
    左肩を貫かれたテティノは傷口を抑えながら苦痛に叫ぶ。更に光線が襲い掛かると、レウィシアが前に飛び出しては盾を構え、光線を全て防いだ。出血が止まらない傷口を抑え、激痛に喘いでいるテティノの元にラファウスが近付く。
    「テティノ、大丈夫ですか?」
    「ぼ、僕に構うな……彼女を……レウィシアを助けるんだ……」
    ラファウスは負傷したテティノを気遣いながらも、セラクに鋭い視線を向ける。その時、辺りに闇の瘴気が発生し、黒い影となって集まり始める。その出来事にまさかと思ったレウィシアとラファウスは身構える。


    ———クックックッ……これは面白い。更に楽しめそうだ。


    球体と化して浮かび上がる黒い影。裂けた大口と目玉が現れ、口は不気味に歪んでいる。
    「……貴様、何の用だ。復讐の邪魔をするつもりか?」
    セラクが黒い球体に向けて問い掛ける。


    ———セラクよ。悪いが少しばかりターゲットの一人を借りさせてもらう。約束通りお遊びに付き合ってやろうと思ったものでな。何、殺しはせん。貴様の意思は尊重するつもりだ。


    黒い球体の大口からは複数の触手が次々と現れ、レウィシアを捕える。
    「うっ!な、何……いやああっ!!」
    捕われたレウィシアは触手から伝わる強烈な電撃を受け、気を失ってしまう。
    「レウィシア!」
    咄嗟にラファウスが飛び出すが、レウィシアを捕獲した触手は黒い球体の大口に運ばれていく。
    「貴様、どういうつもりだ!」
    黒い球体に対してセラクが声を上げる。


    ———セラクよ、一番の標的はまずそこにいる裏切り者の子ではないのか?そいつを始末すればレウィシアは返してやる。オレは今、レウィシアに用があるのでな。せいぜい頑張るがいい。クックックッ……。


    黒い球体は笑い声を轟かせながらも、溶けるように消えていく。
    「な……何なんだあれは。今の黒い奴は何者なんだ!?」
    左肩の傷を抑えているテティノは黒い球体から漂う邪気に戦慄していた。
    「説明は後です。まずはこの男と決着を付けなくては」
    黒い球体に浚われたレウィシアの事が気になるものの、冷静に目の前にいる敵との戦いに心を集中させる事を選んだラファウスが再び魔力を高める。
    「……奴め、味な真似を」
    口惜し気にセラクが呟くと、ラファウスに憎悪の視線を向ける。
    「セラク、今此処で呪われた運命から解放させてあげます。あなたを倒す事で」
    冷徹な声でラファウスが言うと、セラクは眉を顰める。
    「人間の大いなる罪によって我々エルフ族はどれ程の犠牲を生んだのか、貴様には解るまい。私は愚かな人間への裁きを下す為に闇の力を受け入れた。失われた同族はもう戻らぬ今、私には復讐の道しか残されていない。私に与えられた運命は、罪を犯した者への裁きなのだ」
    セラクを包む闇のオーラからは凄まじい憎悪の気が漂う。ラファウスはセラクの闇と憎悪の力に威圧を感じながらも、構えを取る。
    「人が犯した罪や過ちを裁くのは人であり、正しき方向に人を導くのもまた人の務め。それを奪う事は決して許されない事。だから、私はあなたを倒します」
    ラファウスは両手に魔力を集中する。
    「裏切り者の子め……貴様だけはこの手で消してくれる!」
    闇の力を拳に集中させたセラクが襲い掛かった。


    「うっ……」
    気が付いた時、レウィシアは道化師の世界である亜空間にいた。
    「ここは……何処なの?」
    無限に広がる見慣れない空間の中にいる現状を把握したレウィシアは、まるで夢でも見ているかのような錯覚に陥っていた。同時に空間に漂う禍々しい邪気を肌で感じた時、全身が凍り付くような感覚を覚える。
    「クックックッ……ようこそ。我が世界へ」
    声と共に、道化師がレウィシアの前に姿を現す。
    「お、お前は……!」
    思わず身構えるレウィシア。道化師は冷たい笑みを浮かべていた。
    「ここはオレの世界となる場所。オレの魔力によって造られた魔の空間だ」
    道化師は含み笑いをしながらも唇を舌なめずりする。
    「……私をこんなところに閉じ込めてどうするつもり?それに……お前は一体何者なの!?」
    レウィシアは込み上がる得体の知れない不安感と戦いながらも気丈に言い放つ。
    「オレの事が知りたいのか?まあいいだろう。隠す必要など無い。オレの名はケセル。人間でも魔族でもない。冥魂身めいこんしんと呼ばれる存在だ」
    道化師が自身の名前を語った瞬間———レウィシアはこれまでにない戦慄を覚えた。
    砕け散る太陽冥神が生み出した冥府の闇が支配せし古の時代———冥神は神に選ばれし光ある者達との戦いの末に肉体を失い、魂は深い地の底に封印された。だが、冥神は力の源の欠片となるものを地上に遺していた。それは、光ある者達が己の力の全てを封印した魂の結晶『魔魂』と同等のものであり、『冥魂』と名付けられていた。

    冥魂は地上に存在する幾多の闇———人が抱える悪意とそれによって起きる愚行、世界では七つの大罪と呼ばれている罪———傲慢、暴食、嫉妬、色欲、強欲、怠惰、憤怒の思想によって生まれた様々な負の思念を喰らい続け、やがて道化師の姿を持つ冥魂の化身『冥魂身』となった。冥魂身は、主である冥神の完全なる復活を遂げようと世界の全てを渡り歩いていた。

    冥魂身はケセルという破滅を表す名を名乗り、新たな冥神の肉体となる器、冥神の魂の封印を解くカギとなるもの、そして残りの力の源となる生贄の魂を素材として探し求めた。生贄の魂を持つ者は歴戦の英雄だった者、神の加護を受けし者などが当てはまる。クレマローズ王国の教会と聖風の社に存在していた白銀の鍵と、クレマローズ城の秘宝である太陽の輝石は封印を解くカギとなる素材。ガウラ王、サレスティル女王シルヴェラ、聖風の神子エウナは生贄の魂を持つ者として選ばれた素材であった。

    そして今、冥魂身ケセルはアクリム王国に目を付け、新たなる素材を狙おうとしている———。


    「あの時太陽の輝石を奪い、お父様やサレスティル女王、神子様を浚ったのはその為だったの……!」
    目の前にいる道化師———ケセルの正体と目的を全て聞かされたレウィシアは戦慄の余り立ち尽くしていた。
    「クックックッ、計画実行の日はそう遠くない。このアクリム王国に存在する素材を含め、必要となる素材は残すところあと僅かだからな」
    不敵に笑うケセルを前に、レウィシアは全身に染み渡るような凍り付く恐怖感と戦いながらも剣を構える。
    「そう強がらずとも解る。オレの恐ろしさを本能で感じ取っていると。本能は決して嘘は付けぬのだからな」
    唇を上向きに歪め、歯を見せながら含み笑いをするケセル。
    「……黙れ!お前が何者であろうと、負けるわけにはいかない!」
    斬りかかろうとするレウィシアだが、ケセルは一瞬で背後に回り込む。
    「なっ!?」
    背後にいるケセルの姿を見て愕然とするレウィシア。
    「クックックッ……ところでレウィシアよ。セラクと戦っている聖風の神子の様子が気にならないか?」
    「え!?」
    「見せてやろう。奴らがどうなっているかをな」
    ケセルが手を広げると、魔力による空間の立体映像が映し出される。それは、ラファウスとセラクが魔法による激しい戦いを繰り広げている場面であった。
    「ラファウス!」
    「クハハハ……奴を助けたければまずはこいつらを倒してみる事だ」
    立体映像が消えると、レウィシアの周囲に多くの魔物が姿を現す。数は十数体程だった。
    「奴らはオレの魔力によって造り出された闇の魔物。念の為に言っておくが、お前がどう足掻こうとオレが許可せぬ限りこの世界からは絶対に逃げる事は出来ん。つまりこの世界から出たければ戦うか死ぬかの二択でしかないという事だ。さあ、思う存分戦うがいい。クックックッ……」
    ケセルの姿が消えると、魔物達は一斉にレウィシアに襲い掛かる。
    「くっ……!」
    止まらない恐怖感と心のざわめきを振り払うかのように、レウィシアは剣を手に襲い来る魔物に挑んだ。


    一方ラファウスとセラクは、魔法と魔法による激しい激突を繰り返していた。
    「エアブラスター!」
    衝撃波を伴うラファウスの真空の刃に対し、セラクは闇の炎による竜巻で反撃する。炎の竜巻は真空の刃を消し去り、勢いよくラファウスに向かって行く。
    「ガストトルネード!」
    間髪でラファウスが魔力を蓄積させた巨大な竜巻を巻き起こすと、炎の竜巻は吹き飛んだ。熱風が巻き起こる中、顔が汗に塗れ、血を流しているラファウスが荒い息を吐きながらも身構える。
    「いい加減目障りだ」
    両手に魔力を集中させたセラクが突撃する。鋭い手刀と蹴りによる攻撃を身軽な動きで回避していくラファウスだが、激しい戦いによる疲労で不意にバランスを崩し、その隙を見つけたセラクが回し蹴りを繰り出す。攻撃を食らったラファウスは大きく吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられてしまう。
    「がはっ!うっ……」
    吐血して前のめりに倒れるラファウス。セラクは倒れたラファウスに向けて闇の光球を放つ。
    「やめろ!」
    危険を顧みずテティノが立ちはだかる。光球の直撃を受けたテティノは爆発と共に倒されてしまう。
    「テティノ!何という事を……」
    倒されたテティノの姿を目の当たりにしたラファウスは立ち上がり、口から流れる血を手で拭うと魔力を高め始める。魔法による激しいぶつかり合いとセラクの様々な攻撃によって身体はボロボロになっていたが、闘志はまだ失われていない様子だった。
    「クッ、このままでは……!」
    満身創痍となったテティノが歯を食いしばって立ち上がろうとする。
    「立ち上がらないで下さい、テティノ。これは私の戦いです」
    「馬鹿を言うな!君だってボロボロだろ!大体、何故君のような子供が……」
    「大人しくなさい!これでも二十年は生きています」
    「何だと……?」
    一瞬驚くテティノだが、ラファウスは魔魂の力による魔力を全開にさせる。ラファウスの身を纏う風のオーラは激しい風を巻き起こす。
    「……何処までも忌々しい。そろそろ消し去ってくれる」
    セラクは激しく燃え盛る闇の炎を放つ。
    「はああああっ!!」
    風のオーラを纏ったラファウスは果敢にも闇の炎に突っ込んでいく。両手は真空の渦で覆われ、闇の炎に焼かれながらもセラクの懐目掛けて飛び掛かる。
    「やああっ!!」
    真空の渦に覆われた両手から風圧による衝撃波を放つラファウス。意表を突いたその攻撃にセラクは避ける間もなく直撃を受けて大きく撥ね飛ばされ、地を引き摺っていく。
    「ぐっ……おのれえっ!」
    ラファウスの反撃に怒りを燃やすセラクが闇の光球を次々と放っていく。怒涛の連続攻撃は甚振るかの如くラファウスに襲い掛かる。
    「……ハァッ……は、ぁっ……」
    闇の光球による連続攻撃で大きなダメージを受けたラファウスは、よろめきながらも身体を起こす。
    「ああぁっ!!」
    セラクの指から放たれた紫色の光線がラファウスの右足を貫く。片足を負傷したラファウスは前のめりに倒れてしまう。
    「く、くそ……僕だって……僕だってまだ……!」
    現状を見ていたテティノは残る力を振り絞って立ち上がり、魔力を高め始めた。
    「貴様、まだそんな力が残っていたのか」
    セラクが目を赤く光らせながらもゆっくりと歩み寄る。ラファウスは傷の痛みを堪えながらも立ち上がろうとするが、負傷した右足はまともに動かす事も出来ない状態だった。
    「ラファウスと言ったな。君が何を言おうと、もうこれ以上大人しくするつもりはないよ」
    「テティノ……何を言ってるのですか」
    「港町だけじゃなく、君のような余所者すらも救えないで無様にやられるなんて耐え難い事だ。僕だって薄情な人間じゃないからな。片手は動かせなくても、足は動かせるんだ」
    「だ、だからといってそんな……うくっ!」
    身体を起こそうとするラファウスだが、貫かれた右足からの激痛は全身に響き渡る程だった。
    「無茶をしちゃいけないのはお互い様だ。でも、今は無茶してまでやらないといけない。片手だけでも……やれる事はある!」
    出血が止まらない左肩からの激痛に耐えながらも、テティノは右手で槍を握っては魔力を集中させる。
    「そろそろ終わりにしてやる」
    セラクが両手を掲げ、頭上に闇の光球を作り出す。大きくなっていく光球は闇のオーラに覆われ、光球が完成した瞬間、テティノに向けて投げつけた。
    「タイダルウェイブ!」
    残る全魔力を振り絞って発動したテティノの魔法で生み出された海水の津波。渾身の力が込められた魔力の津波は荒れ狂う巨大なものとなり、襲い来る光球を消し去ると同時にセラクを飲み込んでいく。
    「うおおおおおおお!!」
    更にテティノは勢いよく槍をセラクに向けて投げつける。飛んで行く槍は徐々に加速していき、まるで波に乗るかのような勢いを見せる。
    「ぐおああああ!!」
    叫んだのはセラクであった。津波に飲み込まれている中、テティノが投げつけた槍がセラクの右胸に突き刺さっていたのだ。全ての力を使い果たしたテティノは足をふら付かせながら倒れてしまう。その傍らには、風のオーラを纏ったラファウスが立っていた。
    「無茶をしてまでやらないといけない……ですか。確かにそれはお互い様ですね。私の制止を聞かず、片手だけでここまでの力を見せるあなたの心意気は評価に値しますよ。テティノ」
    右足からの激しい出血で一瞬目が霞むラファウスだが、セラクの姿を一生懸命確認しながらも両手に魔魂による全魔力を集中させる。
    「おのれええっ!!」
    セラクが次々と光線を放つが、ラファウスの姿は風のように消え、飛んで来る光線を全て回避する。光線が崩壊した建物に命中した瞬間、一筋の風と共に再びラファウスの姿が現れる。それはラファウスの中に宿る風の魔魂の力が自身の強い意思と闘志の共鳴によって発動した風の魔魂特有の能力によるものだった。
    「バ、バカな……!?貴様……」
    予想外の対抗にセラクは驚きを隠せなかった。全魔力を集中させているラファウスの両手が激しい風の渦に覆われ始める。
    「片手だけでもここまでの力が出せるなら、私には両手がある。我が魔力の全てを込めた、この一撃で決める!」
    全魔力を全て結集させた時、激昂したセラクが凄まじい形相で飛び掛かる。


    聖風の神子の名において、今こそ我が風の力の全てを呼び覚ます時。

    風の神よ……魔を絶つ大いなる螺旋の風となりて呼び起こせ———


    ヴォルテクス・スパイラル!


    激しい風を伴う巨大な螺旋状の衝撃波が、地面を抉りながらもセラクに襲い掛かる。闇の力を込めた両手で衝撃波を抑え込むセラクだが、勢いは止まる事なくセラクの胴体を貫いた。
    「ぐっ……ごぼあぁぁっ!!」
    身体に大きな風穴を開けられたセラクは血を吐きながらも倒れる。


    ……さようなら、呪われた運命に捉われし復讐のエルフよ。

    私には、こうする事しか出来なかった。

    私は、人の在るべき優しさを知っているから……まだ人を信じる事が出来る。その心を、失いたくない。


    風神の村でラファウスの帰りを待つウィリー、ノノア兄妹を始めとした村人の姿を思い浮かべながらも、力を使い切ったラファウスは仰向けに倒れて意識を失ってしまう。勝負は相撃ちとなり、致命傷を負ったセラクはもう動く事も出来ず、風前の灯火であった。
    「……やった……のか……?」
    テティノは身体を起こし、よろけながらも立ち上がる。辺りを血に染めながらも倒れているセラクの姿と、意識を失ったラファウスの姿。黒煙を上げて燃え上がる炎と破壊された建物、人々の死体等とまるでこの世の地獄といった印象を受けるような惨憺なる光景の中、テティノは放心状態で立ち尽くしていた。
    「……ちくしょう……何故だ……何故こんな……!」
    悔しさとやるせない想いで打ち震えながら、テティノは左肩の傷口を抑えつつも倒れたラファウスの傍まで近付き、角笛を吹いてオルシャンを呼び出す。颯爽とオルシャンが現れると、テティノは激痛に耐えながらもラファウスを片手で抱え、オルシャンの背に乗り込む。ラファウスを片腕で抱いたテティノを乗せたオルシャンは飛び上がり、王都へ向かって行った。
    「…………ニ…………ン…………ゲ……ン…………ほろ…………び…………よ…………」
    虫の息のセラクは口惜しさの余り譫言のように人間への憎悪をひたすら呟き続けているうちに呼吸が止まり、そのまま息を引き取った。



    「はあああっ!!」
    亜空間で魔物と戦い続けるレウィシア。だが、魔物達の攻撃には何処か勢いが感じられず、レウィシアは違和感を覚えていた。そんな状況で襲い来る魔物と応戦するものの、レウィシアは心の何処かで戸惑いを感じている故に本気を出す事が出来なかった。
    (おかしい……どう見ても魔物なのに、何か違う……。でも、ここで戦わないとラファウス達が……!)
    レウィシアは自分でも解らない迷いを振り切るかのように、魔物達を剣で斬りつけていく。十数体の魔物は、レウィシアの剣によって倒されていった。だが、レウィシアは止まらない心のざわつきに襲われていた。
    「クックックッ……それでいい。ここで終わってはゲームがつまらんからな」
    再び姿を現すケセル。
    「こんな事をさせて何が狙いだというの?」
    「何、少しばかりお前を試したいと思っただけだ。お前のちっぽけな良心がどれ程のものかをな」
    「え……!?」
    ケセルの不敵な言葉に、レウィシアは思わず倒された魔物達の姿を見る。剣で斬りつけられた事によって深手を負い、虫の息となった魔物達の目は普段の魔物とは違うような印象を受ける雰囲気を放っていた。
    「だがその前に、いい知らせを聞かせてやる。セラクの奴はラファウスによって倒された。これを見ろ」
    ケセルが立体映像を作り出す。映し出されたのは、身体に大きな風穴を開け、血の海の中で息絶えたセラクの姿だった。その姿を見たレウィシアは思わず目を背けてしまう。
    「無様なものよ。人間に復讐したいが為にこのオレから闇の力を与えられたにも関わらず、聖風の神子たる虚け者にやられるとはな。まあ所詮は捨て駒が似合いの奴だったがな」
    冷酷に言い放つと、立体映像は消えていった。レウィシアは冷や汗を流しつつも黙ってケセルを見据えていた。
    「クックックッ……レウィシアよ。ふとお前の頭の中を覗いてみたところ、どうやら無慈悲に人の命を奪う事が出来ない程非情になり切れぬようだな。例え敵対する者であっても」
    図星を突かれたレウィシアは手を震わせながらも両手で剣を握り締める。黒い影を利用してレウィシアを浚った際に気を失った時に、ケセルはレウィシアの記憶を読み取っていたのだ。
    「フハハハ、戦士でありながらも情に流されるというものは何とも愚かな事だ。非情になり切れぬが故にくだらぬ情に絆されるといずれ死に繋がる。お前はその事を父親から教わった事は無いのか?」
    ケセルの目が紫色に輝き始める。邪悪な力に覆われた右手を差し出すと、魔物達の姿から瘴気が発生し、徐々に変化していく。レウィシアによって倒された魔物達の姿は、血塗れの姿で倒れた人間達の姿に変わった。レウィシアが戦った十数体の魔物の正体は、ケセルの闇の力によって魔物に変えられた人間だったのだ。
    「ま……魔物が人間に……まさか……そ、そんな……わ、私……」
    大量に血を流しながらも苦痛に喘ぐ人間達。その中には既に絶命している者もいる。状況を理解したレウィシアは剣と盾を地に落とし、ガクリと膝を付いて頭を抱える。
    「いやああぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」
    全身を震わせ、頭を抱えながらも悲痛な叫び声を上げるレウィシア。魔物に変えられた罪のない人間達を自らの手で深く傷付けてしまい、中には殺してしまった者もいた。例え敵対する者であっても無慈悲に人の命を奪うような事はしない、非情に徹する事が出来ない心の優しさを持つレウィシアにとっては地獄のような傷みとなる悪夢のような出来事であった。残酷な現状と、何度も感じた心の傷みと罪悪感の極みによる精神的な苦痛は頂点に達し、涙を溢れさせる。
    「こいつらはオレの力によって魔物へと変化した港町の人間どもだ。オレは人間が持つ様々な罪の意識と負の感情に闇の力を加える事で悪の精神を増幅させ、魔物に変える事も出来る。つまり、こいつらも駒というわけだ」
    ケセルは残酷な笑いを浮かべながらも、頭を抱えて蹲りながら涙を流しているレウィシアを見下ろす。
    「クククク……哀れなものよな。非情になり切れぬ優しさという感情が己を徹底的に苦しめるとはな。そんな姿も実に愉快だ」
    ケセルは倒れている人間達に向けて手を差し出すと、人間達の足元に巨大な穴が広がる。次々と穴の中に落ちていく人間達。
    「人間でも魔族でもないこのオレを貴様ら人間どもの聞き慣れた言葉で表現するなら『悪魔』が相応しいだろう。尤も、主たる者は神と呼ばれているが故に悪魔どころでは済まないがね。まさかと思うが、オレのような悪魔が相手でも非情になり切れぬというわけではなかろうな?」
    腕組みをして嘲笑うように言い放つと、蹲っているレウィシアの全身から炎のオーラが発生する。
    「…………許さない」
    炎のオーラに包まれたレウィシアが剣を拾い、ゆっくりと立ち上がる。
    「……お前だけは……お前だけは絶対に許さない!!」
    血の涙を流し、激昂するレウィシア。その表情は深い悲しみと激しい怒りが併せ持った顔つきになっていた。
    「ほほう、これは面白い。怒りを力に変えるとは、少しは楽しませてくれるのかな?」
    余裕の態度を崩さないケセルに、レウィシアは怒り任せに炎に包まれた剣で斬りかかる。その気迫は怒りの余り自我を失った途轍もないものだった。
    「ああああぁぁっ!!」
    叫びながらの一閃。炎を纏ったその一撃は空を切り、一瞬で背後に回り込むケセル。だがレウィシアは攻撃の手を止めない。
    「がああっ!!」
    背後にいるケセルの姿を捉え、レウィシアは間髪入れずに攻撃を加える。傷を負うケセルだが、動じる事なく一瞬で空中に浮かび上がる。
    「クックックッ……やるではないか。オレに手傷を負わせるとは。だが、冷静さを欠いた怒り任せの攻撃だけでこのオレを倒せると思っているのか?」
    ケセルが降り立つと、レウィシアは吠えるように叫びながら突撃する。それに対抗するかのようにケセルは自身の幻を多く作り出し、繰り出されるレウィシアの攻撃は幻の姿を斬るばかりだった。
    「オレはここにいるぞ。全力で斬りかかってみるか?」
    振り返ると、両手が黒いオーラに覆われた本物のケセルが立っていた。
    「……があああああっ!!」
    レウィシアは激昂と共に激しくオーラを燃やし、炎に包まれた剣をケセルに向けて大きく振り下ろすと、ケセルはニヤリと笑いながら黒いオーラに覆われた左手の拳を振り上げる。次の瞬間、音と共にレウィシアの剣が折れ、更に右手の拳はレウィシアの顔面に強烈な一撃を叩き付けた。その威力は凄まじく、何度もバウンドしながら数メートルに渡って吹っ飛ばされるレウィシア。
    「……お……あぁっ……」
    ケセルの拳の一撃を受けたレウィシアは自我を取り戻すと同時に、口から血を垂らしつつも顔面から響くような激しい痛みに全身を震わせる。それはかなりのダメージを物語っていた。苦悶の表情のまま蹲っているレウィシアの前にケセルがやって来ると、振り上げた拳を顎に叩き付けた。
    「ごっ……!!」
    顎に一撃を受けて大きく吹っ飛び、倒されるレウィシア。
    「あ、うっ……」
    ケセルの拳二発で大きなダメージを受けたレウィシアは顎から血を滴らせ、苦しそうに息を吐きながら立ち上がろうとするものの、目の前にいるのは拳の一撃でも恐ろしい程の破壊力を持つ敵。剣は折られ、桁外れの圧倒的な力の差を目の当たりにし、対抗出来る術がない戦況で残された道は完全なる絶望だった。
    「クックックッ……この程度でお手上げとは。貴様ら人間は思っていたよりも脆いな」
    ケセルは落ちていたレウィシアの盾を拾い、空中に投げては勢いよく拳を叩き付ける。その一撃で、盾は粉々に砕け散ってしまった。
    「さあ……このまま死ぬ事を選ぶか?それとも命乞いをするか?お前も場合によっては素材にもなる。出来れば生かしておきたいんだがね」
    歯を見せた醜悪な表情で見下ろしながら笑うケセル。自身を見下ろすその姿が山のように大きく見えたレウィシアの心に真の恐怖と絶望が支配していく。怒りの感情は既に失われていた。


    『勝てない』

    『逃げられない』

    そして

    『殺される』


    そんな現状を突き付けられたレウィシアは、最早戦意すらも失っていた。
    「……あ……ああ……は……あっ……や……やめて……い……いやああああぁぁ!!」
    恐怖と絶望に打ちひしがれ、怯えるレウィシア。
    「クククク……とうとう戦意を失ったか。これまた愉快なものを見せてくれる。本当に感情豊かな人間だよ、お前は。自らの手で人を傷つけ、殺してしまった罪悪感に苦しみ、怒りに身を任せてオレに手傷を負わせる程の力を発揮し、そして恐怖に怯える。色々楽しませてくれたお前に、一瞬だけオレの全力を見せてやろう」
    ケセルの左手から数本の黒い鎖が放たれ、レウィシアの全身を捕える。鎖で拘束されたレウィシアは空中に持ち上げられ、右手に邪悪な力に満ちた魔力を集中させる。
    「……ひ……あ……あぁっ……」
    恐怖に引き攣るレウィシアの表情を堪能しながらも、魔力を集中させたケセルの右手が黒をベースとした様々な色合いに輝く闇の力に包まれる。
    「かああああっ!!」
    雄叫びと共に放たれる闇のエネルギーの波動。凄まじい勢いで荒れ狂う波動は地を抉るかのような動きを見せながらもレウィシアに襲い掛かる。
    「……ん、ぐッ……げぼぉっ……」
    波動が炸裂すると、レウィシアの口から大量の血反吐が吐き出され、身に付けていた甲冑がバラバラに砕け散っていく。破片と共に大きく吹っ飛ばされるレウィシア。ボロボロの姿で倒れたレウィシアは更に血を吐き、ピクピクと全身を痙攣させつつも意識を失った。ケセルは倒れたレウィシアの傍まで歩み寄る。
    「フン……身体を貫くと思っていたが、骨が砕ける程度で済んだか。まあ良かろう。例え一命を取り留めたとしても、二度と戦場には立ち上がれまい。貴様に残された道は、完全なる絶望でしかないのだからな」
    ケセルはレウィシアの口の周りの血を指に付着させ、ペロリと舐めてはレウィシアの足元に巨大な穴を出現させる。広がる穴の中に落ちていくレウィシア。
    「クックックッ……ハーッハッハッハッハッハッ!!」
    ケセルは狂ったように大笑いする。その笑い声は、亜空間全体に響き渡っていた。


    王都では騒然としていた。ケセルによって魔物に変えられ、亜空間でレウィシアと戦わされた十数人の人間の死体が王都内に放り出されていて大騒ぎになっているのだ。
    「酷い……一体誰がこんな……」
    マレンは積み重ねられた死体を見て愕然とする。王都内では兵士達による避難の指示が出ており、住民達は一斉に避難体制に入る。王都全体は只ならぬ緊迫感に包まれていた。ルーチェは死体となった人間達を弔うべく、祈りを捧げていた。
    「あわわわ、な、何だかとんでもない事になってしまいましたね……わ、私、どうすればいいんでしょうか~!!」
    突然の事態にメイコはパニック状態になっていた。兵士達が死体を葬ろうとした瞬間、空から鳴き声が聞こえてくる。ラファウスを抱えながらオルシャンに乗ったテティノが帰還したのだ。
    「お兄様!」
    「これは……何事だ!?一体何が起きたんだ……!」
    王都での状況を把握した瞬間、驚愕の声を上げるテティノ。
    「ラファウスお姉ちゃん!」
    血塗れの姿で意識を失っているラファウスの姿を確認したルーチェが駆けつける。即座に回復魔法を唱え、傷を回復させるが意識はまだ戻らない。
    「なんて酷い傷……私の癒しの力があれば……」
    「治療ならあの子を優先してくれ」
    「でも……」
    「早くしろ!あの子の方が重傷なんだ!僕は後でもいい」
    テティノの負傷を見て戸惑うマレンだが、ルーチェの回復魔法を受けているラファウスに視線を移す。
    「マレン王女様、ラファウスお姉ちゃんならぼくの回復魔法があるから大丈夫だよ」
    ルーチェがそう言うと、マレンは再びテティノに視線を移す。その時、テティノは不意に上空から気配を感じ、空を見上げる。空中から人が降ってくるのが見える。それは、ケセルによって倒されたズタボロの姿のレウィシアだった。
    「あれは……まさか!?」
    テティノは即座にレウィシアが落下する場所へ向かおうとするが、負傷で身体をうまく動かす事が出来なかった。誰にも身を受け止められず、地面に落下するレウィシア。
    「こ……これは一体!」
    兵士達が一斉に駆け寄る。
    「きゃあああ!レ、レウィシアさんが……ひ、ひええええ……!」
    現場に駆け寄ったメイコは無残な状態になったレウィシアの姿を見て更にパニック状態になる。
    「お、お姉ちゃん……!」
    ルーチェはレウィシアの元へ駆け寄ろうとするが、ラファウスの回復はまだ終わっていない。
    「レ、レウィシア様……どうしてこんな……」
    マレンが悲痛な表情を浮かべる中、テティノは傷口を抑えながらもレウィシアを王宮へ運び込もうとする兵士達の元までやって来る。
    「テティノ王子!その傷は……」
    「僕の事は構うな!彼女は大丈夫なのか!?」
    「辛うじて息はありますが、かなりの重傷で危険な状態です」
    「な、何だと……」
    テティノは表情を強張らせながらも、マレンの方に顔を向ける。
    「マレン、どうか彼女を助けてやってくれ!何があっても頼むぞ!」
    「わかったわ!お兄様も無理しないでね」
    マレンは兵士達と共にレウィシアを王宮へ運び込んでいく。
    「クッ……どうしてここまで……」
    無力感に打ち震え、膝を付くテティノ。突然、メイコの傍らにいたランが吠え始め、不意に邪気を感じて顔を上げる。上空に空間の裂け目が発生し、姿を現す一人の道化師———ケセルが王都に降臨する。
    「だ、誰だ……!?」
    テティノがふら付かせながらも立ち上がり、槍を握り締める。
    「うん?貴様は……さては水の魔魂に選ばれし者か。だが、その身体では相手する価値も無い」
    負傷しているテティノには目もくれず、王宮に注目するケセル。テティノはケセルの姿を見て、レウィシアのある言葉を思い出す。レウィシアが追っている謎の邪悪な道化師———今此処にいる男がその道化師本人であると確信したテティノはケセルを制しようとする。
    「待て!お前は一体……はっ、さてはお前が……!」
    十数人の死体と重傷を負ったレウィシアの事、そしてセラクの事を聞き出そうとした瞬間、テティノはケセルが繰り出した拳の一撃を食らい、あっけなく倒されてしまう。
    「ひっ……ひゃああああ!や、やめて下さあああい!!」
    メイコは怯えながらもハンマーを構え、果敢にも殴り掛かる。だがケセルはハンマーを軽く受け止め、メイコの腹目掛けて蹴りを入れる。
    「ごほああぁぁっ!!」
    その一撃にメイコは目を大きく見開かせ、血を吐きながらも勢いよく壁に叩き付けられる。その衝撃に白目を剥いて気を失い、バタリと倒れるメイコ。飼い主の危機を察したランが激しく吠えるが、ケセルの凍り付く視線によって一目散に逃げて行ってしまう。
    「テティノ王子!おのれ、曲者め!」
    王都を守護する兵士と槍騎兵が一斉にケセルに立ち向かうが、ケセルは左手から闇の力を発動させ、一瞬で兵を全て八つ裂きにしていく。目覚めないラファウスの傍にいるルーチェはその光景を見ているうちに身も凍る恐怖を感じ取り、怯える余りその場から動けなくなっていた。そんなルーチェの姿にケセルが視線を向ける。
    「やはりあの小僧、ただの聖職者ではない何かがあるようだな。もし利用できるとしたら……まあそれは後の事だ。まずはこの国の素材を頂くとしよう」
    ケセルはルーチェに興味を持ちつつも、目的の素材を求めて王宮へ向かって行った。
    生か死か重傷を負ったレウィシアが運ばれたのは、王宮の治療室だった。様々な医療器具が並ぶ中、ベッドの上のレウィシアの周りにいるのは王国の医師と回復魔法を扱えるヒーラー数人、そしてマレン。回復魔法が使える者達による集中治療が行われた。
    「レウィシア様……どうか生きて!」
    マレンは願いを込めて全魔力を込めた水の癒しによる回復魔法を掛ける。それに応えたヒーラー達も次々と回復魔法を掛けていく。回復の力は徐々にレウィシアの傷を癒していくが、意識はまだ戻らない。だが、マレン達は止まる事無く回復魔法を掛け続ける。


    王宮に侵入したケセルは兵士達を軽く一掃し、王と王妃のいる謁見の間に出る。
    「貴様、何者だ!」
    王を守護する槍騎兵数人がケセルに立ち向かうが、ケセルが両手から放った二つの竜を模した闇の炎によって一瞬で焼き尽くされ、灰と化してしまう。その恐るべき力を目の当たりにした王と王妃はこの世のものとは思えぬ程の恐怖を感じて身を震えさせる。
    「クックックッ……アクリム王と王妃か。どうやら貴様らアクアマウルの王族は大いなる水の魔力が備わっているようだが、役不足なくらい魔力が足りん。貴様らでは素材にはならんようだ」
    ケセルは歪んだ笑みを浮かべていた。
    「お前は……素材とは何だ?それに、マリネイで起きた爆発はまさかお前が……」
    「ああ、勘違いするな。あの爆発はオレの腹心となる者の仕業だ。オレはある計画の為に世界を渡り歩く者。計画に必要となる素材を求めてこの地にやって来た」
    「計画だと……貴様、何を考えている!」
    思わず立ち上がる王だが、ケセルは手から衝撃波を放つ。
    「ぐおああ!」
    衝撃波を叩き込まれた王は全身を強打する形で倒れ込み、気を失ってしまう。
    「あなた!」
    王妃が倒れた王に駆け寄るが、瞬時にケセルが立ちはだかる。
    「クックックッ、王に伝えておくがいい。真の恐怖はこれから訪れる、という事をな」
    そう言い残し、ケセルは謁見の間から去って行った。
    「真の恐怖……何が起きようとしているの……」
    ケセルが残した邪悪な空気の中、王妃はその場に立ち尽くしていた。


    その頃、ケセルの一撃で倒されたテティノはルーチェの魔法によって回復していた。
    「驚いたな。まさか君のような子供に回復の力があったとは。感謝するよ」
    セラクとの戦いで負った傷も塞がっていたが、痛みはまだ残っていた。ルーチェの隣にはラファウスもいる。
    「ぼくは聖職者だから傷付いた者を癒すのも使命。あなたの事は嫌いだけど」
    「ルーチェ、嫌いだとか言ってはいけません」
    「だって……」
    ルーチェにとってテティノは悪印象でしかない人物であり、なかなか心を開こうとしない。
    「あの道化師は何処へ……ハッ!まさか!?」
    ケセルの行方を察したテティノは急いで王宮へ向かって行く。
    「ルーチェ、彼の後を追いますよ。私の傍を離れないで」
    「う、うん……あ。ちょっと待って」
    「どうしました?」
    ルーチェは慌ててケセルの攻撃で気を失ったメイコの元へ向かう。吐血による血塗れの口を開きながら白目を剥いているが、ルーチェの回復魔法によってダメージは全快し、意識を取り戻した。
    「……あ……こ、ここは天国ですか?じゃなさそうですね……」
    辺りをキョロキョロと見回すメイコはすぐに状況を把握する。
    「あ、もしかしてあなた達が助けてくれたの!?あ、あのピエロは!?やっつけてくれたんですかぁ!?」
    「事情は後で話します。今は安全なところへ避難していて下さい」
    ラファウスはルーチェの手を握りながら、王宮へ向かうテティノの後を追った。
    「な、何がどうなってるのぉ~~!?」
    あたふたするばかりのメイコの元に、逃げて行ったランが戻って来る。
    「ラン!大丈夫だった!?」
    ランはメイコに飛びつき、口の周りの血を舐め始める。メイコはそんなランを撫でながらも、ラファウス達の無事を祈りつつも安全な場所へ移動していった。


    「クックックッ……まずは一つ目だな」
    王宮の地下の宝物庫で、ケセルは青く透き通った石の鍵を手にしていた。それは、冥神の魂の封印を解く素材の一つとされているものだった。宝物庫の前には、番人の兵士達の死体が転がっている。鍵を手に入れたケセルは宝物庫を後にすると、王宮内に存在するもう一つの素材を探し始めた。


    治療室では、数人のヒーラーとマレンが囲む中、医師がベッドの上で安静にしているレウィシアの応急処置をしていた。レウィシアの容体は深刻なものだと判断され、ヒーラー数人とマレンの回復魔法による治療を施すものの、複雑骨折による後遺症で戦士としては再起不能の可能性もあるという。そんな中、マレンは突然胸騒ぎを感じ、治療室から出ようとする。
    「マレン様、何処へ行かれるのです!?」
    ヒーラーの一人が止めようとするが、マレンは物憂げな表情を浮かべていた。
    「……何者かがいる。邪悪な何者かが王宮内にいるのを感じるの。みんな、どうかレウィシア様を助けて。私がどうなっても、レウィシア様を助ける事に専念して!」
    そう言い残し、マレンは治療室から出る。
    「マレン様!」
    ヒーラーの制止を聞かず、治療室から飛び出して行ったマレンの唐突な行動に戸惑いを隠せなかった。王宮内にいるケセルの邪悪な気配を感じ取った時、自分の身に降りかかる出来事を予感したのと同時にレウィシアには近付けさせまいと自ら進んで囮になろうと考えているのだ。
    「ほう?これはこれは……」
    ケセルと遭遇したマレンは思わず足を止めてしまう。
    「……あなたは何者なの?」
    「オレはある計画の為に世界を渡り歩く者。計画に必要となる素材を求めてやって来た。マレン王女よ、貴様も素材の一つとして選ばれたのだ」
    薄ら笑みを浮かべながら舌なめずりして歩み寄るケセルに、マレンは得体の知れない恐怖を感じる余りたじろいでしまう。
    「クックックッ、オレが怖いのか?無理もあるまい。オレに仇名したクレマローズの王女も本能で恐怖を感じていたのだからな」
    ケセルの顔がマレンに近付いていく。
    「……狙うのは私だけにして。あなたの目的が私だというのなら……他の人には手を出さないで!」
    至近距離のままマレンが気丈に声を張り上げて言った。
    「ククク……いいだろう。目的の素材さえ手に入れば後はどうでもいい。殺すのは何時でも出来るのだからな」
    ケセルは徐にマレンの頭を乱暴に掴む。
    「きゃあ!は、離してっ……!いやあっ……」
    頭を掴んでいる手を引き剥がそうとするマレンだが、その力は途轍もなく強く、離れようとしない。
    「待て!」
    背後から声が聞こえてくる。槍を手にしたテティノが現れたのだ。傍らにはラファウスとルーチェもいる。
    「何だ、貴様らか。死に急ぎにやって来たのか?」
    「下衆が!妹から離れろ!」
    テティノは槍を構え、戦闘態勢に入る。
    「お兄様……ダメよ、来ないで……!」
    マレンが言うと、ケセルは不敵に笑いながらも拳をマレンの腹にめり込ませる。
    「ぐぼおっ……!」
    腹の一撃に悶絶するマレンは口から血を流し、ガクリと気を失う。
    「き、貴様あああっ!!」
    激昂したテティノが槍を手に突撃するが、ケセルは瞬時に拳を振るい、テティノの顔面に一撃を叩き込む。
    「ぐあはっ!!」
    血を噴きながら吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられるテティノ。ラファウスとルーチェはケセルから漂う恐ろしい程の邪気を肌で感じ取り、戦慄していた。
    「……ぐっ……う……」
    口元を手で抑えながら立ち上がろうとするテティノだが、顔面に受けた強烈な一撃が響き渡るような痛みとなって残っていた。口元を抑える手からはポタポタと血が滴っている。
    「貴様らがどう足掻いてもこのオレを止める事は出来ん。クレマローズの王女レウィシアもオレとの戦いで骨を砕かれ、血反吐を吐き散らしながら倒れたのだからな」
    ケセルの言葉に衝撃を受けるテティノ達。
    「幸い一命を取り留めたとしても、あれ程打ちのめされては最早戦う事すらも出来ん。奴は絶望に打ちひしがれ、汚いボロ雑巾と化した負け犬だ」
    「……悪魔め……黙りなさい!」
    戦いに敗れたレウィシアを侮辱するケセルの醜悪な態度に激しい怒りを覚え、声を荒げるラファウス。怒りに共鳴するかのように、風のオーラが身を包む。
    「聖風の神子ラファウスよ。貴様も感じているのではないか?このオレの恐ろしさを。レウィシアの二の舞になる事を望むのか?貴様の言う通り、オレは悪魔そのものともいう存在だからな」
    対抗するように闇のオーラを纏うケセル。凍り付くような邪気が辺りを覆い始める。ラファウスは肌で感じる強い邪気に怯みながらも、鋭い視線を向ける。
    「無駄だ」
    ケセルは手から無数の黒い鎖を放つ。鎖はルーチェ、ラファウス、テティノの全身を拘束し、動きを封じてしまう。魔魂の力を発動しているラファウスですらも身動きが出来ない程の拘束であった。
    「クックックッ……アクリム王子テティノよ。どうだ?己の無力さと惨めさに打ちのめされる気分は?」
    血を流して喘いでいるテティノを挑発するようにケセルが言う。ケセルはマレンの頭を掴んだ際、マレンの頭の中からテティノに関する記憶を読み取っていた。
    「哀れな事よ。妹に劣等感を抱き、両親に認められたいが為に自ら進んで魔物に挑もうとしていたが全て空回りに終わり、そして今はこの通り惨めな有様となった」
    「何……だと……何故お前が僕の事を!」
    「オレは他者の記憶を読み取る事も出来る。マレン王女から貴様に関する記憶を読ませて貰ったのだ。貴様が精神面においては出来損ないだという事を知れて実に愉快だったよ」
    「ぐっ……この外道が!」
    心情を嘲笑われたテティノは思わず頭に血を登らせるものの、黒い鎖による拘束で動きが取れない。
    「クハハハ、貴様も怒り任せに特攻しようとしたのか?全く人間というものは何処までも愉快だ。精神面が脆ければすぐ感情的になり、我を失う。それが結果的に死に繋がるという事も考えずに挑んだ愚か者がいたのだがな」
    更に挑発的な態度でケセルは言葉を続ける。
    「テティノよ、貴様は無力なのだよ。どれ程の努力を積み重ねても両親から認められず、守るべきものも守れず、そして己の無力さに打ちのめされる。貴様は何をしても無力な出来損ないだ」
    「黙れ!黙れ黙れ黙れえええっ!!!」
    動けない身体で激昂する余り、大声で喚き散らすテティノ。その目から涙が溢れ出ていた。ケセルは歪んだ笑みのままテティノの前に歩み寄り、更に拳で殴り付ける。
    「がはあっ!!あ……がっ……」
    顔面に一撃を受けたテティノは口から血を飛ばし、目に涙を浮かべたままグッタリとしてしまう。
    「くっ、テティノ……!よくも……!」
    ケセルの卑劣さを見て居た堪れなくなったラファウスは鎖の拘束から逃れようとするが、魔力を全開させても鎖は外れる気配がない。ケセルは掌に水晶玉を出現させ、倒れているマレンを吸い込むように玉の中に取り込んでいく。
    「クックックッ……これでアクリム王国に存在する素材は全て頂いた。貴様らとのお遊びは一先ずここまでにしておこう。貴様らも優秀な素材候補としている故、出来るだけ生かしておきたいものでな。ま、仮に貴様らが死んだとしても大して困る事は無いがね」
    ケセルは笑いながらも瘴気を纏い、姿を消していく。ケセルの姿が消えた時、ラファウス達を拘束している黒い鎖は消滅し、身体は自由を取り戻した。
    「許さない……あれ程の非道な愚者は未だかつて見た事が無い」
    ラファウスはケセルの数々の非道ぶりに怒りが収まらない。ルーチェは虫の息となったテティノに回復魔法を掛け始める。テティノはダメージから回復するものの、心中は悔しさと無力感に満ちていた。
    「……ちくしょう……ちくしょう……!!」
    その場に頽れたテティノは悔しさに打ちのめされる余り、止まらない涙を溢れさせていた。ルーチェとラファウスはそんなテティノの姿を黙って見守る事しか出来なかった。


    僕は、出来損ないだ。

    父上や母上から愛されていないと思い込み、妹に劣等感を抱き、認められたいが為に単身で恐ろしい魔物に挑む程の無茶をしたりもした。けど、全てが空回りだった。僕にとっては憩いだった場所は壊され、何も出来ずに敵に打ちのめされ続け、目の前で妹が浚われてしまった。

    僕には結局何も出来なかった。


    僕は、無力だ。



    翌日———王都全体が不穏な空気に包まれていた。ケセルによってマレンが浚われ、多くの兵が犠牲になった事で人々の多くが不安を募らせている。王都内はウォーレン率いる槍騎兵隊による厳戒態勢に入り、普段の活気はなく緊迫感に満ちていた。そんな状況の中、テティノは蹲るように自室のベッドに佇んでいた。ダメージが回復してからも王や王妃と顔を合わす事すらせず、半日も自室に閉じ籠っているのだ。醜悪な表情を浮かべるケセルに嘲笑われながらも軽く倒され、成す術もなく浚われていく妹の姿が何度も頭を過り、己の無力さを痛感する余り憔悴しきっていた。そんな状況の中、不意にドアをノックする音が聞こえてくる。
    「テティノ、少し宜しいでしょうか?」
    ドアの外から聞こえてくる声の主は、ラファウスだった。テティノはそっとドアを開ける。
    「……何か用か?悪いが今はあまり話したい気分じゃないんだ」
    「すみません。兵士の方からお伺いしたところ、半日もお部屋に閉じこもっていらっしゃると聞いたもので……」
    ラファウスはテティノの憔悴しきった様子を見て何とも言えない気まずさを感じる。
    「クレマローズの王女……レウィシアの様子はどうなんだ?」
    テティノの問いに、ラファウスは少し俯く。治療室で安静にしているレウィシアは現在も集中治療を受けており、ルーチェも回復魔法で治療に協力しているのだ。
    「そうか……まだ治療中なんだな」
    「私も微力ながら、出来る事があれば協力するつもりです。あなたはこれからどうするのですか?」
    「これから……か」
    テティノは溜息を付き、窓の外の景色を見つめる。
    「……こんな僕に何が出来るんだろうな。もし僕にも何か出来る事があれば、或いは……」
    ラファウスはテティノの悲しい目を見ているうちに、掛けるべき言葉を失っていた。
    「テティノ王子、国王陛下がお呼びです」
    ノックの音と共に聞こえてくる兵士の声。テティノは気が沈んだまま無言で部屋を出て謁見の間へ向かう。ラファウスはテティノの様子を気に掛けつつも、レウィシアとルーチェがいる治療室へ向かって行った。謁見の間にいるのは、表情を強張らせた王一人だけだった。テティノは王の表情を見る事なく、深く頭を下げて跪く。
    「テティノよ、マレンの事は聞いたぞ。聖風の神子たる者からな」
    ラファウスから既に事情を聞かされていた王は重々しく声を上げる。恐る恐る顔を上げるテティノだが、すぐに土下座する形で頭を下げる。
    「……父上。この度は誠に申し訳御座いませんでした!私の独断で勝手な行動をした挙句、港町マリネイや、マレンを守れずにこのような事になってしまったのは全て私の力不足によるもので……」
    「戯け!」
    王は声を張り上げて怒鳴りつける。
    「いざ顔を出せば言う事がそれか?馬鹿者が。マレンが敵の手に掛かったのは全てお前自身の責任にあると言うとでも思ったのか」
    テティノは返す言葉が見つからず、冷や汗を流していた。
    「……マレンを浚った道化師の男……お前も奴と会ったのだろう?」
    「は、はい」
    緊迫した空気の中、王は軽く咳払いする。
    「奴が放っている邪気はこの世のものとは思えぬ恐ろしいものがあった。数人の槍騎兵を一瞬で消し去る程の力を持っている。お前はそんな恐ろしい存在に打ちのめされたそうだな」
    「え、ええ……」
    「奴は何を目的としているのかは知らぬが、お前まで浚われたり、殺されたりしなかったのは寧ろ奇跡に近いかもしれぬ。いや……お前だけではなく、我々も含めてな」
    険しい表情を変えない王の額は汗で滲んでいる。王もまた、ケセルの恐ろしい程の邪気に恐怖を抱いていた。
    「それ程の恐るべき敵にマレンが浚われた今、国民が不安にさらされている。テティノよ、今はまずお前に出来る事をやれ。よいな」
    謁見の間が暫くの間沈黙に包まれる中、テティノは治療室で治療を受けているレウィシアの事が頭を過る。
    「……父上。私に出来る事があるとならば、今救うべき者がいます。クレマローズ王国の王女レウィシア……彼女も道化師によって深手を負い、今も集中治療を受けています」
    真剣な眼差しでテティノが言う。
    「だから……私は行きます」
    立ち上がるテティノに対し、王は無言で応える。テティノは軽くお辞儀をしては謁見の間から出ようとする。
    「待て」
    王が呼び止める。
    「テティノよ、お前は昔から感情に流され、情勢をよく見ずに動くところがある。だからお前は何時まで経っても半人前でしかない。その事が身に染みて理解出来たはずだ」
    その言葉に思わず自身の行いを省みるテティノ。
    「例え何が起きようとも、よく考えて動け。戦うべき者は、決してお前一人だけではない。その事を忘れるな。マレンの為にもな」
    王からの言葉を受けると、テティノは勢いよく返事して深々と頭を下げ、再び足を動かす。厳格ながらも初めて温かみのある言葉を受けた気がしたテティノは心が少し軽くなった思いをしていた。


    今、僕に出来る事があるならば、レウィシアを救う事。

    あの時、焦燥感に流されていた僕は彼女を田舎者だと見下して悪態を付いた上に思わず心無い一言を言ってしまい、頬を叩かれた時の痛みが疼く思いだった。
    僕は馬鹿だった。自分の事ばかり考えていたせいで、彼女にも不快な思いをさせてしまった。だから、彼女には謝らないといけない。

    彼女は、あれ程の途方もない敵と戦っていた。そのせいで彼女は死の淵に立たされている。
    僕にはマレンのように癒しの力は備わっていない。だが、こんな僕でも何か出来る事があれば協力したい。

    助けなくては。彼女を助けなくては……!


    テティノは治療室に向かう。治療室にはルーチェとラファウス、数人のヒーラーと医師、王妃がいた。レウィシアは未だに目覚める事なく、安静にしている状態だった。
    「母上!彼女は……レウィシアの容態は!?」
    「……残念ながら、目覚める気配がありませんのよ」
    「え!?」
    愕然とするテティノ。ルーチェとラファウスも悲しい表情を浮かべている。集中治療の結果、レウィシアの負傷は砕かれていた肋骨と共に完全回復したものの、まるで死んだように意識を失っている状態だった。死亡していない限り、通常は重傷によって意識を失った状態でも回復魔法の力で全快すると意識を取り戻すものの、全快してから数時間程経過しても意識が戻らないのだ。
    「傷は全て回復しました。ですが……ずっと意識が戻らないのです。心臓は動いているのですが、まるで死んだように眠っているみたいで……」
    ラファウスが淡々と言う。
    「ぼくの回復魔法だけじゃなく、お城のヒーラーさん達の回復魔法と合わせた集中治療だったけど……それでもお姉ちゃんの意識が戻らないんだよ。どうしてかな……」
    ルーチェは涙を浮かべながらレウィシアの手を握る。その手には温もりが感じられず、体温が著しく低下しているように感じられた。
    「どういう事なんだ。傷は完治しても意識が戻らないのは、他に何か原因があるというのか?」
    レウィシアの意識が戻らない原因が解らないテティノは必死で問うものの、治療室内は重い沈黙によって支配される。回復魔法を掛け続けていたルーチェとヒーラー達は既に魔法力が底を付いており、休息で魔法力を回復させない限り、魔法を使う事が出来なくなっていた。
    「おい、何とか出来ないのか!?何か言ってくれよ!お前達、それでもヒーラーか!?何とかしろよ!」
    思わず感情的な声を張り上げるテティノ。その問いに誰も答えられない中、ルーチェはテティノを軽蔑するような目で見つめていた。
    「慎みなさい、テティノ!あなたが喚いたところで解決する問題ではないのは解っているでしょう?」
    王妃の叱咤を受けたテティノは我に返ったように絶句し、バツが悪そうに俯いてしまう。
    「……出て行って」
    そう言ったのはルーチェだった。
    「何しに来たのか知らないけど、あんたが来たところで何の役にも立ちやしないよ。偉そうな事を言ったところで何ができるっていうの?」
    棘のあるルーチェの言葉に、テティノは何も言い返そうとせず黙って俯いたままだった。
    「ルーチェ、どうしてそう言うのですか」
    冷徹な声でラファウスがルーチェに近付こうとすると、テティノはそれを軽く遮る。
    「……いいんだ。この子の言う通り、実際今の僕には残念ながら何の役に立ちそうもない。こんな時に言うのも何だが、先に君達にも謝っておくよ。本当にすまなかった。出来る事なら彼女を助けたかったけど……所詮僕は半人前の出来損ないなんだ」
    己の自分本位さと身勝手さを省みていた上、自分には何も出来ない、何の役にも立てないという自身の無力さを思い知らされていたテティノはルーチェとラファウスに詫びると、静かに治療室から出て行ってしまう。
    「……ルーチェ、こっちへ来なさい」
    ラファウスはルーチェの手を引きながら治療室から出る。ルーチェは少し困惑しながらも、ラファウスの言う通りに従う事にした。廊下に立ち止まると、ラファウスは目を合わせるようにルーチェと向き合う。
    「どうして彼にあんな事を言ったのですか?」
    真剣な顔でラファウスが言う。その表情には静かな怒りが感じられる様子だった。
    「だって……ぼくあの人嫌いだから」
    「嫌いだから?まさかそんな理由で追い払う言い方をしたのですか?」
    詰問するかのような口ぶりで言うラファウスに、ルーチェは戸惑い始める。
    「……ラファウスお姉ちゃんはあの人の事どう思ってるの?あの人、お姉ちゃんだけじゃなく、クレマローズの王様のことも馬鹿にしてたんだよ」
    ルーチェはレウィシアに聞かされていた事を全て話す。


    事件が起きる前日の夜———ふとした事でテティノと口論になり、悲しい思いをした事をルーチェにだけこっそりと打ち明けていたのだ。テティノからの心無い一言が心にこびり付き、なかなか気分が晴れないレウィシアは一人で夜風に当たろうと静かな夜の街に出ていた。そんなレウィシアが気になっていたルーチェが後を追ってやって来る。
    「お姉ちゃん、さっきからずっと元気なさそうだけど……何かあったの?」
    ルーチェが心配そうな様子で聞く。レウィシアは悲しい表情を浮かべるものの、すぐに笑顔になる。
    「……大丈夫よ。ちょっと気分が悪くなっただけだから」
    その笑顔にはどこか切なさが感じられ、ルーチェは腑に落ちない表情をしている。
    「ぼくにだけ話して。何があったのかを。隠し事されるのは嫌いだから」
    レウィシアは少し戸惑うものの、やはり正直に話した方が良さそうだと思い、そっとルーチェを抱き寄せる。そして、テティノとのやり取りを全て話した。
    「……やっぱりあの人嫌い。お姉ちゃんを育ててくれた王様まで悪く言うなんて許せない」
    レウィシアの話を聞いた時、ルーチェはテティノに対して怒りを感じていた。
    「いいのよ、ルーチェ。彼も、色々思い悩んでいるせいで私に辛く当たってしまったのかもしれないし。でも……ありがとうね。聞いてくれて。大好きよ、ルーチェ……」
    レウィシアは涙を浮かべながらも、ルーチェを愛おしそうに抱きしめていた———。


    事情を全て聞き終えたラファウスは少し考え事をしては、そっと顔を寄せる。
    「……ルーチェ。嫌な気持ちになった事はわかりますが、彼だって苦しんでいるのです。目の前で妹様を浚われた事もあって、彼はとても悲しい目をしていましたから……。それに、ちゃんと私達にお詫びもしたのですよ」
    宥めるようにラファウスが言うものの、ルーチェは首を横に振る。
    「あんな人に何ができるっていうの?クチでは偉そうな事ばかり言ってるくせに、結局何もできっこないんじゃないの?ぼくは信じないから」
    「……ルーチェ!」
    ラファウスはルーチェの頬を引っ叩いてしまう。
    「うっ……」
    ルーチェは叩かれた頬を抑え、泣き出しそうな表情になる。
    「どうしてそんな事を言うの!?彼が今何を思っているのか、解っているの!?彼だって……私達と共にレウィシアを助けようとしているのですよ!」
    至近距離で感情的に叱咤するラファウス。
    「……うっ……えうっ……うえぇぇん……」
    ラファウスの剣幕に何も言えなくなったルーチェは頬を抑えながら泣き出してしまう。
    「……今は泣いている場合ではありません。涙を拭きなさい」
    ラファウスがそっとハンカチを差し出すと、ルーチェは泣きじゃくりながらもハンカチを受け取り、涙を拭う。
    「戻りますよ」
    冷静な声で言い残し、治療室へ戻っていくラファウス。
    「……ラファウスお姉ちゃん……ごめんなさい……」
    ルーチェは叩かれた頬の痛みを感じながらも、ラファウスの後を付いて行った。ラファウスはそんなルーチェをそっと見ては心の中で「ごめんね」と呟いていた。


    その頃テティノは、王宮の図書室に来ていた。レウィシアの意識が戻らない原因を突き止める為に、手掛かりとなる書物を探しているのだ。
    「こんな僕にも、何か出来る事はないのか?本当に何の役にも立てないというのか……?」
    血眼になる程関連性のある書物を探し回るが、手掛かりとなるものは得られなかった。
    「クッ……ダメだ。どの本を読んでもさっぱり解らない。どうすれば……!」
    途方に暮れるテティノの頭にある考えが浮かぶ。マレンの癒しの魔法と、過去に王家の試練にて水の神からの加護を受けた事。マレンの癒しの魔法は光の力による回復魔法とは違い、母なる海の加護による安らぎを与え、心身の傷と疲れを癒すというもの。自身にはマレンのような癒しの魔法を扱う事が出来ない。だが、水の神の元へ行けば何か解るかもしれない。そう考えたテティノは書物を片付け、水の神像が奉られた洞穴へ向かう事にした。


    僕とマレンは血を分けた兄妹だ。妹に癒しの力が備わっているのであらば、実の兄である僕にだって備わっていてもおかしくないのに、何故か僕には備わっていない。もしかすると、何らかの方法があれば僕にも癒しの力を扱う事が出来るのかもしれない。そのカギとなるのは、おそらく水の神———。

    マレンのような癒しの力があれば、レウィシアを救えるかもしれない。
    ここは、水の神に賭けるしかない。

    例え可能性が1%だとしても、1%にすら満たないものだとしても、今はそれに賭けるしかない。

    絶対に……絶対に何とかしてみせる。絶対に……!


    槍を手に、王都を出て急ぎ足で西の洞穴へ向かっていくテティノ。その目には、決意の色が表れていた。



    ……

    ここは……何処なの?

    誰もいない……何も見えない……


    気が付けばそこは、何もない暗闇だけが支配する世界だった。辺りを見渡しても誰もいない。存在するのは、そこに立っている自分自身。

    「ここはあなたの闇の中よ……」

    突然聞こえてきたその声は、自分自身の声だった。次の瞬間、目の前に現れたのは自分自身そのものだった。
    「あなたは……?何故私がそこに……!?」
    「私はあなた。レウィシア・カーネイリス……あなたそのものよ。もう一人のあなた、といったところかしら」
    まるで鏡に映ったかのように、自分そのものが目の前に立っている。何もない暗闇の中で。そんな状況に驚きと戸惑いを隠せないままだった。お互い向き合う二人のレウィシア。片や戸惑い、片や不敵な笑みを浮かべ始める。
    「あなたは完全に負けた。そして自分自身にも完全に負ける事になるのよ。その事を今から思い知らせてあげる。この私が」
    もう一人のレウィシアが飛び掛かり、拳で殴り付ける。その一撃を受けたレウィシアは口から血を流し、鋭い目を向ける。もう一人のレウィシアは歪んだ表情で笑っていた。
    「ここはあなたの心を蝕んでいた闇の精神が生んだ世界。ケセルに倒された時、あなたが抱えていた心の闇が立ち上がる事を拒絶し、精神をこの世界に運んだのよ。そして私は、もう一人のあなたであり、あなたの闇の化身『心闇しんあんの化身』ともいう存在……」
    心闇の化身と称するもう一人のレウィシアの全身が闇の炎を思わせる色のオーラに包まれ、姿が徐々に変わり始める。髪の色と衣装、そして肌の色が暗い色合いになっていき、闇に堕ちた印象を受ける姿に変化していった。心闇の化身はレウィシアの前に歩み寄り、腹に重い一撃をめり込ませる。その一撃に身体を大きく曲げ、膝を付いて蹲る。
    「が……がはっ……」
    腹を抑え、血を吐くレウィシア。心闇の化身は嘲笑いながらも蹲って吐血しているレウィシアを見下ろしていた。
    生命を賭けた決意「何ですって!?」
    治療室に戻ったルーチェとラファウスは医師の言葉に愕然とする。なんと、レウィシアの心臓が停止しているのだ。脈もなく、呼吸も停止しており、体温もかなり下がっていた。
    「う……うそ……そんな……お姉……ちゃん……」
    ルーチェは涙を零しながらも、温もりのないレウィシアの手を握る。
    「レウィシア……こんな事って……」
    ラファウスも涙を浮かべ、ルーチェと共にレウィシアの手をそっと握る。回復魔法が使える魔法力も底を付き、最早手の施しようもない状況となった今、絶望の空気が覆われ始めた。そこで、ドアをノックする音が聞こえてくる。訪れたのはメイコだった。
    「あの~、お取込み中のところすみません。レウィシアさんがこちらで治療を受けていると聞いてやって来たのですが」
    メイコの訪問にルーチェとラファウスは何しに来たんだと言わんばかりの表情になる。
    「お引き取り願いますか。今はあなたに構っている場合ではありませんから」
    「そ、そんな冷たく言わなくてもいいじゃないですか!何かお助けになればと思って来たんですから!」
    「何ですか一体……」
    呆れた様子で対応するラファウスを始め、治療室にいる全員の冷たい視線を肌で感じたメイコはその場に居づらく感じるものの、道具袋からミルクが入った瓶を何本か差し出す。
    「これは魔法のミルクと言いまして、飲むと魔法力が回復するミルクなんですよ!もし何かお困りでしたらこれを利用してみては如何でしょうか?」
    笑顔で説明するメイコだが、場の空気の重さは変わらない。
    「そ、それでは私はこれで失礼します~~!あ、何か私に出来る事があればいつでも言って下さいね!」
    余りにも気まずくなったメイコは逃げるように去って行く。
    「あの人も、事情を聞いていたのですか……」
    ラファウスはメイコが残していった魔法のミルクの瓶をジッと見つめている。瓶は五本置かれていた。
    「……そのミルク、飲むと魔法力が回復するんだよね。だったら……」
    ルーチェは瓶を手に取り、ミルクを飲み始める。すると、ルーチェの魔法力が三分の一程回復していった。
    「少しだけ魔法力が戻って来たから回復魔法が使えそうだ。ぼくは諦めないから……みんなも協力して」
    ルーチェは再びレウィシアに回復魔法を掛け始める。ヒーラー達も魔法のミルクを飲んで魔法力を回復させ、ルーチェと共に回復魔法による治療を再開した。




    暗闇に包まれた世界———精神体となって迷い込んだレウィシアは、心闇の化身と呼ばれるもう一人のレウィシアによって次々と攻撃を加えられていた。武器と盾が失われた丸腰の状態となっていたレウィシアの精神体には反撃する術もなかった。
    「くっくっくっ……あははははははははははははは!いいザマね。ちっとも話にならないわ」
    心闇の化身は血塗れで蹲っているレウィシアの顎を掴み、息が掛かる距離まで顔を近付ける。
    「どう?自分自身にも打ちのめされる気分は?あなたは深い絶望を味わいながら自分自身にも殺される形で死んでいくのよ」
    顔を近付けたまま言い放つと、レウィシアは拳を振るう。だが心闇の化身はその拳を軽く受け止め、残忍な笑みを浮かべる。
    「無駄よ。武器もないあなたなんてただのか弱いお姫様でしかない」
    鋭い蹴りがレウィシアの脇腹を抉る。
    「がっ!あぁっ……」
    苦悶の表情を浮かべるレウィシアの髪を乱暴に掴む心闇の化身。
    「あなたは弱い。実力はあっても、心は弱い。戦士としての心が脆過ぎたのよ」
    その手が離れると、レウィシアは喘ぎながらも脇腹を抑える。
    「ねぇ……生まれて初めて人を殺した気分はどんなものだった?」
    心闇の化身はレウィシアの頬を撫でながらも猫なで声で問い掛けると、レウィシアは思わず身震いさせる。
    「敵の罠によるものだとしても、あなたが直接殺した事に変わりないのよねぇ……そう、あなたは人を殺したのよ。それも何人も」
    「……やめて!」
    「可哀想に……あなたが殺した人の中にはずっと帰りを待つ家族だっているのに。あなたは、人を殺したのよ。そう、あなたは人殺しよ」
    「やめてええぇ!!あああああぁぁああああ!!」
    涙を流しながらも頭を抱え、発狂したように悲痛な叫び声を轟かせるレウィシア。
    「あっはっはっはっはっはっ!本当にこの子ったら、罪の意識による心の傷を少し刺激しただけでも発狂するなんて。それだけ脆ければもう戦士として立ち上がる事も不可能よねぇ。全く愚かで哀れな子だわ」
    心闇の化身は拳を振り上げ、レウィシアの顎に一撃を加える。
    「ごあっ……」
    レウィシアは血を噴きながら頭を大きく仰け反らせ、そのまま倒れる。心闇の化身は顔に飛び散った返り血を指で拭い、唇を歪ませながら近くまで寄る。
    「もうあなたには何も出来やしない。完膚なきまで打ちのめされ、望んでいない罪の意識に心を蝕まれ、深い闇の中で絶望しながら死んでいく。それがあなたの末路よ、レウィシア」
    見下ろしながら冷酷な笑みを向ける心闇の化身。倒れたレウィシアは立ち上がる事なく、絶望に満ちた表情のまま死んだ目で涙を流していた。


    完全に、負けた。

    もう、立てない。

    相手を傷付ける事に躊躇いを覚えた上に罪悪感を抱いてしまい、戦う事を恐れてしまった。

    敵対する者であろうと、人の命を奪う事はしたくなかったのに……惑わされる形で人を殺してしまった。

    そして今、罪の意識と恐怖に蝕まれるまま完膚なきまで打ちのめされた。圧倒的な力を持つ恐ろしい悪魔と、己の闇が生んだもう一人の自分自身に。

    私はもう、戦えない。誰も守る事も出来ない。

    お父様……お母様……ネモア……ルーチェ……ラファウス……。

    私は……もう……。

    …………。


    死んだように動かなくなったレウィシアと、その姿をずっと見下ろしている心闇の化身。二人以外何も存在しない暗闇の中、一寸の微かな光が差す。だが、その光はすぐに消えていく。レウィシアは光を見た時、何かの声が聞こえたような気がした。



    その頃テティノは、王都の西に位置する巨大な滝の中の洞穴の奥にある水の神像が奉られた祭壇の広場に来ていた。テティノの傍らにはスプラがいる。水の魔魂の化身であるスプラと出会った場所であるが故に、スプラを通じて水の神に願う事で何かあるかもしれないと考えているのだ。
    「我はかつて王家の洗礼を受けし者。邪悪なる存在との戦いで傷付き、死の淵に立たされている一人の人間を救う為にも、王家の血を分けた我が妹が持つ癒しの力が必要なのです。水の神よ、どうか力を……!」
    テティノの願いに応えるかのように、スプラは鳴き声を轟かせ、水のオーラを纏い始める。水の神に語り掛けているのだ。
    「スプラ……もしかしてお前、水の神に……?」
    スプラの行動に驚いた瞬間、像が光を放ち、テティノの全身が光に包まれる。
    「うわああああ!!」
    眩い光の中、全身が焼け付くような感覚に襲われるテティノ。


    我が力に選ばれしアクリム王家の者よ……我が力を与えし子からそなたの願いを聞いた。

    だが……そなたには癒しの力を扱う資格は無い。水の魔力による癒しの力は、母なる海の加護によるもの。癒しの力を使うのに必要なのは、清らかな慈しみのある心。そなたにはその心が備わっておらぬ。


    光に包まれる中で聞いたその声は、水の神の声だった。魔法を使うには、それぞれの魔法に適合する心が術者に備わっている事が条件とされている。適合する心が術者に備わっていないと魔法を使う資格は無いとされ、資格無き者が魔法を使う事は禁忌となり、己の命を失うという代償が降りかかってくる定めとなっているのだ。マレンには人を愛し、慈しむ優しい心があったから癒しの魔法を使う資格があったのだ。
    「そんな……もうどうする事も出来ないのか……僕には……もう……」
    落胆するテティノだが、次の瞬間、テティノは激しい頭痛に襲われる。
    「おこがましい奴だよ。神頼みしてまで自分には扱えない力を得ようとするなんてね」
    挑発的な物言いで罵るその声はテティノ自身の声であり、頭の中から響き渡るように聞こえていた。
    「クッ……何だお前は!僕の声で何を言ってるんだ……!」
    テティノは必死で頭を横に振る。
    「僕はお前自身であり、お前の心の欠片、といったところかな。自分でも解っているのだろう?今まで自分がどれだけ未熟かつ自分本位で身勝手だったか。そんなお前が清らかな癒しを与えるとは片腹痛い」
    「うっ……うるさい!僕は……僕は……!」
    「よく考えてみろよ。お前には本当に何も出来ないのか?自分の為とはいえ、自分勝手に無茶をした事もあったのではないか?」
    「何だと?」
    「あの時のお前が自分から進んで無茶出来るくらいなら、命を捨てる覚悟くらいは出来るんじゃないのか?今のお前ならな」
    「命を捨てる……覚悟……」
    頭から聞こえてくる自分自身の声に、テティノはふと考える。


    命を捨てる覚悟———

    港町マリネイを破壊したあのセラクというエルフの男との戦いの時でも無茶をした事もあったし、生きるか死ぬかの状況だった。あの戦いでは、確かに命を捨てる覚悟で挑んでいた。

    あの時の覚悟がもし何らかの力になるとしたら……。


    ……もしや!?


    何かに気付いたテティノは光に包まれている水の神像を見つめる。
    (マレンのような癒しの魔法が使えないとしても、それに代わる魔法ならば不可能ではないかもしれない。そう、覚悟を決めた心に適合する魔法が……!)
    テティノはオーラを纏っているスプラの表情を見る。スプラはテティノの表情を見ると、思考を察したかのように鳴き声を上げた。
    (スプラ……僕の為にありがとうな)
    心から礼を言うと、テティノは再び像に視線を移す。
    「……水の神よ。確かに僕には妹と違い、慈しみのある心は備わっていない。父上や母上に認めて貰いたくて色々自分勝手な事をしたり、無茶をした事だってあった」
    真剣な眼差しで言うテティノの傍らにいるスプラがけたたましく鳴き声を上げる。テティノは一呼吸置き、言葉を続ける。
    「けど……多くの犠牲を目の当たりにし、己の無力さを痛感した今……自分がどうなっても構わない覚悟がある。僕は今、救いたいものがある。例え僕の命が失われる事になっても……誰かを救えるような力が欲しい。このまま何も出来ないで腐るくらいなら、己を犠牲にしてでも誰かを救いたい。それが僕の望みだ」
    自らの意思を全て打ち明けた瞬間、像の目が光り始め、テティノは意識が吸い込まれていくような錯覚に陥る。視界が真っ白の中、水の神の声が再び聞こえ始める。


    テティノよ。そなたの意思はとくと聞いた。そなたの覚悟が本物であれば、この力を手にする資格がある。今から耐えてみせよ。この力を受け入れる試練に———。


    その時、テティノの中に眩い何かが侵入してくる。
    「ぐああああああああああ!!があああああああぁぁぁっ!!」
    まるで爆発したかのように全身に渡って襲い掛かる激しい苦痛。それは、水の神によって与えられた力によるものであった。苦痛が伴うこの力は自身の生命力を削り取り、水の魔力で生命の源に変えて他者に生命力を与えるという大魔法で、アクリム王家の間では禁断の魔法と伝えられていた。この大魔法を使う為に必要となる力を受け入れるには想像を絶する程の苦しみを伴う事となり、並みの人間では到底耐えられず僅か一分弱で死んでしまう程だった。苦痛の中、絶叫するテティノは一分も経たないうちに意識が遠のき、死の目前に達したかのように暗闇に閉ざされていく視界。


    お前は昔から感情に流され、情勢をよく見ずに動くところがある。だからお前は何時まで経っても半人前でしかない。

    例え何が起きようとも、よく考えて動け。戦うべき者は、決してお前一人だけではない。その事を忘れるな。


    繰り返して頭の中で聞こえてくる父の声———そして再び聞こえてくる自分自身の声。


    どうした、これで終わりなのか?お前の覚悟は嘘だったのか?父上に言われても、結局何も学んでいなかったというのか?

    お前の覚悟が本物ならば、これだけの苦痛を乗り越える意思くらいはあるんじゃないのか?あれだけ打ちのめされた今、お前に出来る事は今救うべき者を救う事だろう?

    僕には解る。お前の心は決して自分を偽らない。昔から馬鹿みたいに正直だっただろう?

    だから、偽りのない心と意思をぶつけろ。僕と共にな———。


    「ぐっ……おああああああああああ!!」
    頭の中で響き渡る自分自身の声に応えるかのように咆哮を上げるテティノ。全身が引き裂かれるような激痛の中、渾身の力で意識を奮い立たせる。輝くような魔力のオーラがテティノを覆い始め、スプラが再びけたたましい鳴き声を轟かせる。


    見事だ。テティノよ……そなたは偽りなき覚悟と迷いなき意思によって大魔法『ウォルト・リザレイ』を使う資格を得た。この力は己の生命力を削る事で他者に生命力を与える事が出来る。そなたの心で、今こそ救うべき者を救うのだ———。


    目を覚ますと、そこは光が消えた像の前だった。テティノは大魔法を習得した事によって、体の中に不思議な力が沸き上がるのを感じる。


    この力で……今こそ彼女を救うんだ。


    傍らにいたスプラがテティノの中に入り込んでいくと、テティノは決意を改め、洞穴を後にした。


    王宮の治療室では、沈痛な空気に包まれていた。ルーチェ達による治療を施してもレウィシアは回復する事なく、心臓は動く気配すらない。体温も完全に冷え切っており、血色も失せ始めている。それは死を意味する状態であった。
    「……だめだ……お姉ちゃんはもう……死んだんだ……」
    レウィシアの手を握り締めながら、止まらない涙を零すルーチェ。涙はレウィシアの手を濡らしていく。ラファウスも絶望に満ちた表情を浮かべ、涙を溢れさせる。
    「……レウィシア……レウィシア……うっ……うう……」
    冷静に振る舞っていたラファウスも嗚咽を漏らし始める。
    「いやだよ……お姉ちゃん……目を開けてよ……お姉ちゃん……うっ……えうっ……」
    泣き出すルーチェをそっと抱きしめるラファウス。深い悲しみに包まれる中、ドアをノックする音が聞こえ始める。テティノだった。
    「テティノ!」
    「みんな……聞いてくれ。僕は今、彼女を救う力を手に入れた。これさえあれば彼女は救えるかも……いや、絶対に助かると信じている!だから、彼女は僕が助ける」
    突然のテティノの一言に全員が唖然とする。
    「テティノ、こんな時に何をふざけているのですか」
    「ふざけてなどいない!僕は真剣なんだ。今は黙って僕を信じろ」
    ラファウスはテティノの真剣な目を見ているうちに、決してふざけでもハッタリでもないと感じ取る。
    「助けるって一体何を……」
    テティノは眠るレウィシアの前で意識を集中させ、魔力を最大限まで高めていく。


    水の神よ……今こそ我が命を捧ぐ。今こそ命の水となり、そして生きる糧となりてこの者に生命の力を与えよ———!


    次の瞬間、テティノの身体は青い光に包まれる。その光は眩いものとなっていく。
    「こ、これは……!?」
    驚きを隠せないラファウス。
    「テティノ……あなた一体……」
    突然の出来事に絶句する王妃。テティノはルーチェとラファウスに視線を移す。
    「ラファウス。君も僕に力を貸してほしい。あと……回復の力が使えるそこの坊やも出来ればお願いしたい」
    「え!?」
    「この力を確実に成功させるには、君達の力も必要になりそうなんだ。頼む」
    強い眼差しで言うテティノ。ラファウスはテティノの強い意思を感じ取り、テティノの手を取る。ルーチェもテティノの大きな力を目の当たりにして次第にレウィシアを救える希望が見い出せる気がしていき、テティノの手をそっと取った。
    「……坊やも、僕の願いを聞き入れてくれてありがとうな」
    「あなたのその力を見ているうちに、本当にお姉ちゃんを救ってくれそうな気がしたんだ。その力でお姉ちゃんを救えるっていうなら、絶対に成功させてよね」
    ルーチェの言葉に、テティノは「勿論だ」と返答して優しい笑みを向ける。
    「僕の手に魔力を集中させてくれ。君達はただ、魔力を集中させるだけでいい。この力を使うのは、あくまで僕なんだからな」
    テティノの手を握るルーチェとラファウスは同時に魔力を集中させる。


    死の淵を彷徨うこの者に、今こそ我が命と魔力による生命の力を———!





    ……

    この光は……?

    とても暖かい……人の温もりみたいで暖かくて心地良い……


    暗闇の中、大きな光が差し込む。それは、暖かな安らぎを感じる光だった。
    「くっ、何故こんな光が……」
    突然の光に思わず怯む心闇の化身。光は輝きを増すと、レウィシアの視界に一瞬ルーチェ、ラファウス、そしてテティノの姿が映る。
    (まさか……みんなが私を……?)
    この光はきっと仲間の力によるものだ。今、仲間が自分を助けようとしている。暗闇の世界に閉じ込められ、絶望に打ちひしがれた自分を救おうとしている。そう察した瞬間、見知らぬ男の幻影が現れる。炎のような色合いのローブを身に纏う魔導師のような男であった。


    レウィシア・カーネイリス……我が力を受け継ぎし者よ。我が名はブレンネン。炎の魔魂の主であり、かつて冥神に挑んだ者だ。たった今、我が戦友ベントゥス、アクリアムの力を受け継ぎし者と聖なる光を司る者がお前の中の太陽に再び光を与えようとしている。

    お前が戦いに敗れたのは、優しさが生んだ戦いへの迷いと恐れを抱き、敵の奸計で人の命を奪った罪の意識に囚われる心の弱さにあり、そして太陽の真の力が目覚めていない故。お前の中に眠る太陽の真の力は災いと闇の戒めを消し去り、全ての生きとし生ける者に光と希望を与える。太陽の力で邪悪なる闇から人々や世界を守るのがお前に与えられた使命なのだ。お前は何の為に戦っている?己の戦いに罪の意識を抱く必要は無い。優しさだけでは救えぬものも存在する。お前が挑んでいる戦いは、守るべきものの為の戦いだ。

    今こそ立ち上がれ、レウィシアよ。お前は太陽に選ばれし者であり、太陽の戦神と呼ばれし英雄アポロイアの血を引きし者。我が力と仲間の心がここにある限り、太陽は決して失われる事は無い。全ての守るべきものの為にも、己を信じて戦え。我が力と仲間の心を武器に、太陽の真の力を目覚めさせ、全ての闇に立ち向かうのだ———。


    「太陽……真の力……?守るべきものの為に……」
    炎の魔魂の主である歴戦の英雄ブレンネンの声を聴いた瞬間、レウィシアは体内に流れる血が滾るのを感じた。同時に体力が回復していき、目に再び光が宿るようになる。脳裏に浮かんでくるのは共に戦ってきた仲間達の姿と、クレマローズ王国の兵士達、ガウラ王とアレアス王妃、そして最愛の弟ネモア———。


    ……お姉ちゃん!

    お姉ちゃん!目を覚まして!ぼくの命ならいくらでもあげていい!だから……お姉ちゃん、どうか起き上がって!


    レウィシア……レウィシア……どうか、生きて……!


    煌びやかな光に包まれる中、ルーチェとラファウスの声が聞こえてくる。高鳴る鼓動が、体内の血を更に滾らせていく。


    ……そうよ。私はまだ、倒れるわけにはいかない。あの時、ネモアの分まで精一杯生きて、誰よりも強くなると誓った。私にはお父様を救い出し、全てのものを守る為に戦う使命がある。私の中の太陽……みんなの心がここにある限り、負けるわけにはいかない!

    絶対に……負けない!


    光から伝わってくる仲間の心を受け止めた瞬間、レウィシアはゆっくりと立ち上がり、目の前にいる心闇の化身と向き合う。
    「馬鹿な……あれだけ打ちのめされたのに何故?」
    「仲間が私に光をくれたのよ。絶望に負けない光を。今、私には太陽と仲間の心がある。だから、もう迷わない。絶対に負けない」
    レウィシアの全身が激しい炎のオーラに包まれる。瞳には炎のように輝く意思が秘められており、一寸の迷いも無い。それに対抗するかのように、心闇の化身は闇のオーラを纏い、黒く塗られたレウィシアの剣と盾を出現させる。
    「ハッ、立ち直ったところで何が出来る?今のあなたには剣も盾も無い。私にはこの剣と盾がある。まさか武器がない丸腰のまま私と戦うっていうの?」
    剣と盾を手に嘲笑う心闇の化身だが、レウィシアは動じる様子を見せない。
    「……いいえ。武器ならここにあるわ。太陽と仲間の心が秘められたこの拳よ」
    利き手の拳を差し出すレウィシア。その拳は炎に包まれている。
    「ふっ……くっくっくっ……くだらない事を。一人では何も出来やしない甘ちゃんのくせに。ならばその太陽と仲間の心を一瞬で切り裂いてやる!」
    心闇の化身は凶悪な表情を浮かべながら飛び掛かり、レウィシアに剣を振るう。レウィシアは手刀で剣を受け止め、間合いを取っては反撃に転じる。次々と繰り出される剣の攻撃を素手で受け止めながらも、蹴りの一撃を心闇の化身の顔面に叩き込む。
    「ぐっ!はぁっ……」
    蹴りを受けて吹っ飛んだ心闇の化身の元に静かに歩み寄るレウィシア。
    「……虫ケラのように野垂れ死んでいればよかったものをぉッ……殺してやる……殺してやるわぁアァッ!!」
    崩れた顔付きで逆上しながらも立ち上がり、斬りかかる心闇の化身。レウィシアは表情を変えず、心闇の化身の剣を受け止め、刀を掴む。
    「な、何っ……?抜けない!?」
    思わず剣を離そうとするが、動じずに刃を握り締めるレウィシアに抑えられていた。
    「はあっ!!」
    レウィシアが放った気合による衝撃で大きく吹っ飛ばされる心闇の化身。レウィシアの手には心闇の化身の剣が握られていた。
    「うくっ……何故なの……何故あなたがここまで……」
    心闇の化身はレウィシアの底力に脅威を感じていた。レウィシアは心闇の化身に剣を手渡すように投げつける。
    「さあ、剣を取りなさい。まだ終わってはいないわ」
    冷静な声でレウィシアが言うと、心闇の化身は剣を手に取って立ち上がり、構えを取る。レウィシアが拳に力を込めると、双方の睨み合いと共に発生した大いなる炎の気と禍々しい闇の炎の気が入り乱れ、静寂に包まれる。
    「はああああああっ!!」
    叫び声を轟かせ、双方が同時に突撃する。渾身の力が込められたレウィシアの拳と、全ての闇の力が込められた心闇の化身の剣の一撃が繰り出され、お互いの攻撃が決まると同時に力のぶつかり合いによる爆発を起こした。爆風の中、二人は密着した状態で立っていた。
    「……がはっ」
    レウィシアの口から血が零れる。心闇の化身の剣が脇腹に深く食い込まれていた影響による吐血だった。
    「んうっ……ぐぼぁっ!」
    心闇の化身が目を見開かせ、剣を落として多量の血を吐き出す。レウィシアの拳が心闇の化身の甲冑を砕き、体内を貫く程の多大なダメージを与えていたのだ。吐いた血がレウィシアの顔に掛かると同時に、心闇の化身は苦痛に喘ぎながらもレウィシアの元へ倒れ込んでいく。傷口からの激痛が襲い掛かる中、レウィシアは苦悶の表情で息を吐く心闇の化身と至近距離で向き合う。
    「……私が……負けるなど……」
    心闇の化身はレウィシアの顔面を拳で殴ろうとするものの、レウィシアはその拳を受け止める。
    「あなたの言う通り、私は一人だったらきっと何も出来なかった。けど、戦う使命を与えられたのは私一人だけじゃないから……」
    至近距離で見つめながらレウィシアが言うと、心闇の化身は口元を歪めて含み笑いをする。
    「くくくく……仲間がいるからこそってわけか。だったらあなたの言う太陽と仲間の心でどれだけ頑張れるのか、せいぜい見届けてやるわ……。私はあなたの闇。例え化身が消えても、あなたが生きている限り、心の欠片としてあなたの中で生き続ける……あは……はは……あははははははは!あははははははははははは……」
    狂ったように笑いながら消えていく心闇の化身。落ちた剣は砂のように消えていく。一人残されたレウィシアはその場に立ち尽くすが、再び光が溢れ出す。光の中、レウィシアが見たものはソル、エアロ、そしてスプラの姿であった。三体の魔魂の化身が目を光らせた瞬間、レウィシアの意識は吸い込まれるように遠のいていく。


    生命を支える三つの力———

    『水』は生命を守り、『炎』は生命を輝かせ、『風』は生命を育む。そして『光』は三つの力に活力を与え、消えた『炎』を再び灯し、輝きを呼び戻す。
    そなたは三つの力と光の力、そして水を司りし者が捧げた生命力によって導かれ、深い闇の底から解放された。

    さあ目覚めよ、太陽に選ばれし者よ。今こそ立ち上がり、大いなる闇に立ち向かうべく真の太陽を復活させるのだ———。


    「これは……!?」
    治療室の中、全員が驚きの声を上げる。ルーチェ、ラファウスとの協力によるテティノの大魔法『ウォルト・リザレイ』を発動した結果、レウィシアの心臓が動き始め、白くなっていた肌の血色が正常に戻り、息を吹き返していたのだ。レウィシアの体から光が発生し、辺りが一瞬で眩い光に包まれていく。光の中、レウィシアは意識を取り戻し、目を覚ましていた。
    「……お姉ちゃん!」
    「レウィシア!」
    ルーチェは起き上がったレウィシアの姿を見て思わず涙を溢れさせ、温もりが戻ったレウィシアの胸で泣きじゃくる。レウィシアは優しい眼差しでルーチェをそっと抱きしめながら頭を撫でた。
    「よかった……うまくいったんだな……」
    テティノは安堵の表情を浮かべるとその場に倒れ、気を失った。
    行くべき道全く、若いのに無茶してくれるよ。ただの甘ったれなお坊ちゃんだと思ってたけど、まさかあんな行動力があったなんてね。

    フッ、やはり俺の見込んだ通りだったようだ。お前達とも久々に力を合わせる事になるとは思わなかったがな。

    うむ、我々の協力なくしては彼は確実に命を落としていただろう。いや、彼のみならずレウィシアが助かる事すら叶わなかったかもしれぬ。無事でレウィシアを助けられたのが何よりも幸いな事だ。感謝するぞ。

    フフッ、僕たちもまだまだ頑張らなきゃね。あの子達の未来の為にも。

    そうだな。だが、テティノは……

    ウォルト・リザレイによって生命力を多く費やした彼は最早長くは生きられぬだろうな。彼が生きていただけでも奇跡と言ってもいいかもしれぬ。レウィシアを救うにはウォルト・リザレイしか方法がなかったとはいえ、何とも哀れな事よ……

    せめてあいつらもいたらまた違ってたのかなぁ。僕たちとは相容れない奴らだけど。

    あいつら……か……



    真っ白な空間の中、響き渡るように聞こえてくる会話。それぞれの声の主となる者の姿は見えないものの、空間には緑、青、赤の三色の小さな光の玉が輝いていた。
    「うっ……」
    夢の中で繰り広げられていた名も知れぬ人物達の会話が終わらないうちに、テティノは眠りから覚める。気が付けばそこは自室のベッドで、目の前にウォーレンの姿があった。
    「おお、テティノ王子!気が付かれましたか!」
    ウォーレンが声を掛けると、テティノは思わず周囲を見回す。
    「ここは……天国じゃないよな?僕は生きてるのか……?」
    「何を仰っているのですか!紛れもなく現世です!無事で何よりですぞ!」
    今此処にいる場所があの世ではなく自室であると確認したテティノは一先ず気持ちを落ち着かせる。ウォルト・リザレイを使用した影響で、僅かに身体に痛みが走っていた。
    「レウィシア達は?」
    「先程国王陛下の元へ向かわれました。どうやら陛下からお呼びが掛かったとか」
    「そうか」
    テティノは自室の天井をぼんやりと眺めていた。


    一方レウィシアはルーチェ、ラファウスと共に謁見の間へ来ていた。玉座には王と王妃がいる。深くお辞儀をしては王の前に跪くレウィシア。
    「レウィシアよ、この度は無事で生還出来たようで何よりだ。聞くところによると、例の道化師との戦いに敗れた事で生死の境を彷徨っていたそうだな」
    「はい。ケセルという名を持つ道化師の恐ろしさは途方もないものでした。あの禍々しい邪悪な力……思い出すだけでも身も凍り付く恐怖を覚える程です。そればかりか……」
    レウィシアは亜空間でケセルの幻術に嵌められた事による自らの行いを告げようとするが、思わず言葉を詰まらせ、俯いてしまう。
    「どうした?他に何か言う事があるのか?」
    王の言葉にレウィシアは一瞬顔を上げるが、なかなか声に出せないでいた。その様子が気になったルーチェとラファウスは無言でレウィシアの方を見る。後には引けない状況の中、下手にはぐらかさず率直に話そうと決めたレウィシアは一呼吸置く。
    「……戦いの中、私はケセルの幻術に惑わされるがままに、港町に住む十数人の人を殺めてしまいました。私の手で……人を……」
    俯きながら涙を零し、手を震わせながら全てを打ち明けるレウィシア。
    「お、お姉ちゃん……!」
    「なんて事……あの時街中で見た大量の死体は……」
    愕然とするルーチェとラファウス。十数人の死体が王都内に放り出されていたところを目撃していた事もあり、ケセルによってレウィシアと戦わされた事で命を落とした人間だという事実に言葉を失うばかりだった。王と王妃はレウィシアの告白に表情を険しくさせ、黙って見据える。レウィシアは再び跪き、顔を上げて言葉を続ける。
    「敵の罠によるものとはいえ、我が手で人の命を奪ったという事実に変わりありません。如何なる罰も甘んじてお受け致します」
    王は表情を変えず、辺りが一瞬の重い沈黙に包まれる。
    「……それは本当なのか?」
    「はい」
    真剣な表情でレウィシアが答える、王はそっと立ち上がる。緊迫感が漂う中、ルーチェとラファウスはレウィシアと王の姿を見ながら息を呑んだ。
    「……レウィシアよ。人の命を奪う事は人として許されざる罪であるのは確かだ。だが……私にはそなたを裁く事は出来ぬ。全ての災いの元凶はあのケセルという道化師の男にあるのだからな」
    王は俯き加減に話を続ける。
    「我が王家も過去に人としての許されざる罪を背負っているが故、今を生きる民が過ちを繰り返さぬよう正しき世を作らねばならぬ。その為にも……」
    淡々と話す王はレウィシアの目をジッと見ては、再び玉座に腰を掛けた。
    「テティノは……禁断の魔法とされている大魔法で生命力を費やしてまであなたを救いましたのよ。あなたも、テティノと共に闇に立ち向かう運命の子なのでしょう?」
    王妃の一言に驚くレウィシア。王妃はレウィシアを救ったテティノの力がウォルト・リザレイによるものだと既に察していたのだ。
    「あなたは自らの意思で殺生を行うような者ではないと承知していますわ。命を失った人々の無念を晴らす為にも、テティノと共に人々や世界を守る事を望んでいますのよ」
    王妃が優しい表情を向けると、王は軽く咳払いをする。
    「……レウィシアと選ばれし者達よ。王として命じさせてもらう。どうか我が息子テティノと共に邪悪なる者を打ち倒し、マレンを救うと同時に我がアクリム王国や全ての人々、そして世界を守ってほしい。レウィシアよ。人の命を奪った罪の意識を抱えているならば、それがそなたにとっての贖罪となるであろう」
    王の命令に、レウィシア達は一斉に返事する。
    「国王陛下。この命に代えてでも……使命は必ず果たします」
    力強く言うと、レウィシアは深く頭を下げて謁見の間を後にする。ルーチェとラファウスも頭を下げ、レウィシアの後に続く。去り行くレウィシア達の姿を、王は黙って見送っていた。


    ……王国の過去の罪は、決して消えぬもの。港町マリネイが襲撃されたのも一種の裁きともいうかもしれぬ。将来このアクリム王国が滅びの運命を辿る事があったとしても、人が生んだ闇による人としての過ちを繰り返す事は絶対にあってはならぬ。それを来世に伝える為にも……レウィシアを始めとする選ばれし者達の力が必要なのだ。

    だから、裁く事は出来なかった。いや、裁きや罰を受ける必要など無い。人の命を奪ったにしてもそれはケセルという名を持つ邪悪なる道化師の奸計が引き起こしたものであり、レウィシアに罪は無いのだ。彼女は、死の淵を彷徨っていたところをテティノが己の命を懸けた事で救われた命でもあるのだ。

    我々は今、レウィシアと我が息子テティノを信じるしかない。彼女達が大いなる闇を打ち倒してくれる事を。そして、ケセルに浚われたマレンを救ってくれる事を———。



    謁見の間を出たレウィシア達はテティノの部屋に向かおうとする。
    「ごめんなさい、二人とも……私……」
    罪の意識を抱える余り、ルーチェとラファウスに詫びるレウィシア。
    「詫びる必要などありませんよ。第一、あなたに何の罪があるというのですか」
    ラファウスが真剣な表情で言う。
    「全てはあのケセルという男が元凶であるのは間違いないでしょう。自責の念に駆られてはなりません」
    「でも……私のせいで……」
    「前を向きなさい、レウィシア!国王陛下に誓ったのでしょう?誓いを裏切るなんて事をしようものなら私が許しませんよ。それに……あなたには私達がいます」
    鋭い視線を向けながらもレウィシアを叱咤するラファウス。
    「……お姉ちゃんは悪くない。お姉ちゃんには何の罪もない。ぼくはお姉ちゃんの事、信じてるから……ぼくも、お姉ちゃんの力になるよ」
    ルーチェがそっとレウィシアの手を握る。二人の想いを感じ取ったレウィシアは自分の精神面の脆さと、己に与えられた使命の重さを改めて実感する。
    「……そうね。国王陛下に誓った以上、今やるべき事をやらなきゃ。いつまでも気にしたところで始まらないものね。ありがとう、二人とも……」
    レウィシアは穏やかな表情をしつつも、ルーチェとラファウスの手を取った。ラファウスの表情も穏やかなものになっていく。落ち着きを取り戻したレウィシアは再び足を動かす。
    「ところで……テティノは大丈夫でしょうか」
    ラファウスは自室で眠るテティノの様子が気になっていた。
    「彼が私を助けてくれたのよね。しかも禁断の大魔法で生命力を費やしてまで……?」
    レウィシアは王妃の言葉が気になっていた。そこで、テティノがやって来る。
    「やあ、君達か。父上との話は終わったのか?」
    「ええ。あなたにはお礼を言わなきゃいけないわね。本当にありがとう」
    感謝の笑顔で礼を言うレウィシアの姿を見た瞬間、テティノは心が救われた気分になった。
    「無事で良かったよ本当に。君を救えたのは僕だけの力じゃない。ラファウスとルーチェがいたからこそなんだ」
    テティノはルーチェとラファウスに笑顔を向ける。
    「私も、ずっとあなた達の声が聞こえた気がするの。あなた達がいなかったらもう生きる事すら出来なかった。だから、とても感謝しているわ」
    髪を靡かせ、目を潤ませながら微笑みかけるレウィシア。
    「さあルーチェ。今テティノに言うべき事があるでしょう」
    ラファウスの一言にルーチェが頷くと、テティノの方に顔を向ける。
    「うん?どうかしたのかい?」
    「あの……テティノ、さん。あの時はひどい事言ってごめんなさい。ぼく……」
    ルーチェが申し訳なさそうな顔で詫びると、テティノは笑顔を向けつつも目線を合わせるようにしゃがみ込む。
    「ああ、いいんだ。気にしないでくれ。僕の方こそごめんな」
    テティノはルーチェの頭を撫でる。その様子を見ていたレウィシアは首を傾げる。
    「どうしたの?ルーチェと何かあったの?」
    「気にする必要はありませんよ」
    ラファウスが冷静に回答する。
    「レウィシア、君にも色々心無い事を言ってしまったから改めてお詫びするよ。本当にすまなかった」
    テティノは過去の言動を省みつつも、頭を下げてレウィシアに詫びる。
    「ううん、もういいの。あなただって色々思い悩んでいたみたいだし、気にしてないから」
    レウィシアは優しい笑顔でそっとテティノに手を差し伸べる。テティノは快くレウィシアの手を取って握手を交わす。
    「ようやく打ち解けましたね」
    笑顔で握手をしているレウィシアとテティノの姿を見て、ラファウスは安心した気持ちになっていた。
    「ところで、君達はこれからどうするつもりだ?」
    「うーん……今後の事はまだちょっと考え中といったところね」
    「そうか。僕も……君達と一緒に行こうと思うんだ。あの時言ってただろ。災いを呼ぶ闇と戦う使命が与えられていると。マレンの為にも……僕は今、君達と共にその使命を果たさないといけない。だから、僕も君達の仲間として同行させてくれ」
    テティノの決意が込められた目を見ながらもレウィシアは快く頷く。ルーチェとラファウスもテティノの同行に賛成の意を示していた。
    「使命……何としても果たしてみせるわ。この命に代えてでも負けられない」
    決意を固めたレウィシアは自分の拳を見つめ、力を込める。
    「父上と母上に挨拶してくる。少しばかり待っていてくれ」
    テティノは謁見の間へ向かって行った。
    「テティノが同行してくれるのは良いのですが……ケセルと戦えるようにならなくてはなりませんね。許せない愚者ですが……今の私達では敵わない程の力を持っているようですから」
    ラファウスの一言にレウィシアは俯き、考え事をする。
    「……お姉ちゃん……」
    ルーチェが少し不安げな様子でレウィシアに声を掛ける。
    「大丈夫よ。ちょっと考え事してただけだから」
    レウィシアはルーチェに微笑みかける。
    「私達がこれからすべき事は、何があるのでしょうか……」
    ケセルの圧倒的な強さと途方の無い恐ろしさを知っているラファウスは、今後行くべき場所が掴めない現状に内心不安を抱えていた。


    謁見の間にて、テティノは王と王妃の前で深く頭を下げていた。
    「テティノよ、行くのだな?」
    「はい。私はレウィシア達と共に与えられた使命を果たすべく旅に出ます」
    力強く答えるテティノの声。瞳には強い意思が感じられる。
    「お前はレウィシアを救う為とはいえ、我が王家では禁断の魔法と伝えられている大魔法『ウォルト・リザレイ』を使ったと妻から聞いた。お前は何をしたのか解っているのだろうな?」
    「……ええ」
    「お前の生命力がどれ程費やしたのかは解らぬが、レウィシアだけではなくお前が生きていたのも奇跡に近いものだ。よってお前の寿命は決して長くはない……。だが、お前は使命を果たさなくてはならぬ。今ある命を決して無駄にするな。使命を終えたら必ずマレンと共に帰って来い。良いな」
    王の目は、今までテティノが目にした事のない優しい眼差しをしていた。
    「……はい!父上、母上……このテティノ、与えられし使命を必ず果たしてみせます!」
    声を張り上げた返事をして去っていくテティノ。今まで触れた事のない親としての愛情に初めて触れたテティノは心の底で抱えていた蟠りが解け、決意を改める。
    「テティノ……すっかり見違えましたわね。まるで別人のようですわ」
    「うむ。あれはまさに甘さを捨てた戦士の目。自らの命を犠牲にしてまで人を救おうとする意思と覚悟の心があいつに備わっていたとはな……」
    テティノが去った後、王の目から一筋の涙が溢れ出す。


    ……全く、馬鹿者めが。いくらレウィシアを救う為とはいえ、何処まで勝手な無茶をすれば気が済むのだ……。

    お前の行いは決して間違いではない。非難する気も無い。だが、お前は確実に私よりも先に死にゆく運命になってしまった。お前が生きられるのは後何年かは解りかねるが……。

    せめて、生きて帰って来い。お前は、もう半人前ではないのだから。




    「クレマローズですか」
    「ええ。もしかすると私にも知らない何かがあるかもしれないわ」
    レウィシア達が今後の事について話し合っている中、槍を手にしたテティノが戻って来る。
    「待たせたな。さあ、行こうか」
    旅の準備が整った一行は歩き始める。
    「……とはいったものの、これからどこへ向かうべきなんだ?あのケセルとかいう奴に対抗出来る手段を探さないといけないんじゃないか?」
    「そうね。その方法を探す為にもまず私の母国クレマローズへ戻るわ」
    「クレマローズだって?君の国に何かあるというのか?」
    「多分ね。他に行くべきところが見つからないとならば、一度は国へ帰ってみるのもアリだと思うのよ」
    ケセルに対抗する方法を探すに当たって次なる目的地が掴めない中、レウィシアはふと母国であるクレマローズの事が頭に浮かび、元来クレマローズは太陽の戦神と呼ばれし英雄の血を分けた一族によって建国された国であり、もしや自分でも知らない何かしらの秘密が隠されているのかもしれない。そう直感していたのだ。
    「まあ、当てもなくウロウロするよりはマシかもしれないな。僕もクレマローズがどんなところなのか気になってるんだ」
    「少なくとも田舎の国じゃないわよ」
    「おいおい。未だに根に持ってるのかい?」
    「ジョークよジョーク」
    微笑みかけるレウィシアに、テティノは少し恥ずかしそうな顔をする。そんな二人のやり取りにラファウスも思わず笑顔になる。一行が王宮から出ると、レウィシアが突然立ち止まる。教会の前で犠牲になった人々の葬儀が行われているのだ。悲しみに暮れる遺族の姿———その中には妻と幼い子供の泣く姿もある。そんな光景を目にしたレウィシアは言葉を失う思いで立ち尽くしていた。
    「レウィシア、思い詰めてはいけませんよ。お気持ちは解りますが、今はやるべき事があるでしょう?」
    ラファウスが横から囁くように声を掛けるものの、レウィシアは無言で葬儀の様子をジッと見つめている。
    「何者かに殺されて王都内に放り出された人々の葬儀だな。これもあいつのせいなんだろうな……」
    テティノの一言にビクッと反応したレウィシアは項垂れ、体を震わせ始める。
    「レウィシア!」
    ラファウスが声を張り上げて言うと、レウィシアは我に返ったように顔を上げる。額には汗が滲み出ていた。
    「だ、大丈夫よ。私は平気だから……」
    無理矢理笑顔を作りながらも振り返るレウィシア。
    「何だ?何かあったのか?」
    事情が解らないテティノが問い掛けるが、レウィシアは何でもないと返すだけだった。
    「お姉ちゃん……本当に大丈夫なの?」
    ルーチェは心配そうにレウィシアにしがみ付く。レウィシアはそんなルーチェに笑顔を向けながら無言で頭を撫で、やり切れない想いを抱えつつも気持ちを切り替えようとする。
    「……行きましょう。今出来る事をやらなきゃ」
    ルーチェと手を繋ぎ、再び歩き出すレウィシア。
    「一体何があったんだ?」
    レウィシアの様子が気になるテティノがこっそりとラファウスに耳打ちする形で問う。
    「今は何も聞かないで下さい」
    冷静に回答してレウィシアの後を追うラファウス。テティノは腑に落ちない思いをしつつも、一先ず言葉に従う事にして足を動かし始めた。その時、一匹の犬がシッポを振りながら走り寄って来る。ランだった。
    「レウィシアさーーん!」
    メイコが駆け足でレウィシアの元へやって来る。
    「メイコさん!」
    「レウィシアさん!無事で助かって何よりです!きっと私の援助がお役に立てたのでしょうか!?」
    「そ、それはどうでしょうね?」
    「まあ、今回ばかりは私も死ぬかと思いましたけどね!なんせ血ヘドをゲボ吐く程のダメージを喰らいましたから!」
    明るい調子で接してくるメイコを前にレウィシアは思わず顔が綻ぶ。
    「誰だ?この人も君達の仲間なのか?」
    「いいえ。ちょっとした成り行きで知り合いになったお方ですよ」
    テティノの問いにラファウスが答えると、ランがシッポを振ってテティノの足元に擦り寄って来る。
    「おいおい何だ、いきなり擦り寄って来て。随分人懐っこい犬なんだな」
    「あら!そちらにいらっしゃるのは王子様ではありませんか!さてはレウィシアさんったら、もしかして王子様と交際でも始めたんですかぁ~?」
    「なっ!?」
    「ちょっと、馬鹿な事言わないでよ!そんな関係ってわけでは……」
    「ウフフ、可愛いジョークってやつですよ!」
    相変わらず軽いノリのメイコとレウィシアのやり取りを見ているうちに、ラファウスは和んだ気分になっていた。
    「皆さん、これからどちらへ行くおつもりですか?」
    「私の母国クレマローズよ。やはりメイコさんもご一緒に付いて行くつもり?」
    「え~その件なんですけど、一先ず皆さんとはここでお別れになりますね~。一度本部へ帰還しないといけませんので!」
    メイコの言う本部とは、ある町に設けられた世界各地で行商活動をしている商人団体の拠点となる場所であった。団体の一人であるメイコはこれまでの行商の結果、目標売上額達成という任務を果たした事で本部へ帰還するつもりなのだ。
    「あ。もし私の力が必要であればトレイダという町においで下さいませ!私が所属している商人団体の本部はそこにありますから!では、縁があればまたお会い致しましょう~!」
    メイコはランを片手で抱き上げると、翼の装飾が施された宝石リターンジェムを掲げる。すると、メイコとランの姿は吸い寄せられるようにワープして消えて行った。
    「何というか、いつになっても幸せそうな人ですね」
    呟くようにラファウスが言う。
    「私と違って悩みがなさそうだから羨ましく思えるわ。イキイキしてるというか、ね……」
    レウィシアは空を見上げる。晴れ渡る空だが、レウィシアの目には何処か憂いのある色に見えていた。
    「どうした?あのメイドの人はもう帰ったんだろ?行くよ」
    テティノの声で改めて行動を再開するレウィシア。
    「クレマローズは此処からだと結構遠いし、船で行かなきゃダメね。でも……」
    「ああ、船ならば王都に住む船乗りに手配してもらうよ。僕が利用している飛竜のオルシャンは一人乗りだから役に立てそうにない。マリネイがあんな事になった以上、彼に頼るしかないからな」
    テティノが言う船乗りとはフランコという名の漁師で、ウォーレンの友人となる人物であった。一行はテティノに連れられてフランコの家を訪れる。
    「こ、これはテティノ王子ではないですかい!お久しぶりですなあ!」
    ほろ酔いの大男———フランコが酒瓶を片手に迎えてくる。家内は酒の臭いで充満していた。
    「相変わらず酒臭い家だな。訳あって船を利用する事になってな。君の船を借りたいんだ」
    「へええ、噂通りマリネイは壊滅したんですかい?」
    「そうでなければ酒の臭いがプンプンする君の元に訪れたりはしないよ。これから大事な旅に出るところなんだ。船の手配を頼む」
    「へい、畏まりました!っと言いたいところですが、整備にちょっと時間がかかりそうでしてねぇ……一日くらい待ってもらえませんかい?」
    「何だと?仕方のない奴だ……。翌日までにしっかり終わらせてくれよ」
    船の整備に時間が掛かるといった事情で旅立ちは翌日まで延期という事になり、一行は仕方なく王都の宿屋で休む事にした。使命を果たすまでは王宮に戻らないと決めていたテティノも同伴でレウィシア達と共に宿屋で一泊する事になり、一行は宿屋に入る。
    「いらっしゃいませ……って、テティノ王子!一体どのような御用で……」
    「この者達との同伴で特別に宿泊をお願いする。宿代ならば払うが」
    「いえいえ!お代だなんてとんでもございません!現在は二つしか空き部屋がございませんが、それでも宜しければ……」
    「構わん。二部屋だけでも十分だ」
    テティノの王子としての権力によって宿代は無料となり、レウィシアはルーチェと、ラファウスはテティノとそれぞれ二人ずつ用意された二つの部屋で一晩過ごす事になった。


    夜———ホットミルクを口にしていたテティノは、ベランダに出て風に当たりながらも外の様子をずっと眺めているラファウスが気になっていた。
    「ラファウス、さっきから何故外を見ているんだ?」
    ベランダに出ると、冷たい潮風が吹いていた。
    「風の声を聴いているのですよ。聖風の神子たる者、風の声を聴くのも習わしなのです」
    振り返らずに呟くラファウス。緑色の長い髪が揺れ、良い香りが嗅覚を擽る。
    「テティノ。レウィシアを救ったあの大魔法は……生命力を費やす程のものだったのですか?」
    ラファウスの問いに一瞬驚くテティノ。
    「……聞かされていたのか」
    「ええ。あなたの母上……王妃様がそう仰っていました」
    テティノは少し俯く。
    「……レウィシアを救うにはあの手しかなかった。レウィシアを救えたのは君達が協力してくれたおかげでもあるし、君達の協力でも奇跡に近かったくらいなんだ。君達がいなかったらレウィシアどころか、僕自身も今頃生きてはいなかった。僕がこうして生きているのも、君達の力があってこそ。だけど……決して長く生きられないのは確実なんだ」
    俯き加減にテティノが言うと、ラファウスは絶句する。己の命を大きく縮めてしまい、残り少ない寿命で生きる運命を背負ってしまったという事実に言葉を失う思いで一杯だった。
    「あと何年生きられるのか、僕自身にも解らない。数年くらいか、もしかしたらあと半年しか生きられないかもしれない。けど……後悔はしていない。守るべきものも守れないで、徹底して打ちのめされて何も出来やしないまま腐っていくなんて御免だからさ」
    テティノが呟くと、ラファウスは思わず涙を浮かべる。
    「……あなたはもう、誰もが認める立派な人ですよ。いえ、一人の人間の命を救った英雄です。他人の為に自分の命を与えるなんて。私が代わりにその力を使う事が出来たら……エルフの血を引く私は普通の人間よりも長く生きられるから……」
    一筋の涙を零しながらテティノの手を握り、切ない表情を見せるラファウス。並みの人間よりも寿命が長いハーフエルフの身であるが故に、自分の生命力を分け与える事が出来たらというやり切れない気持ちを抱えていた。テティノはラファウスの言葉を受けた瞬間、何とも言えない感情が沸き上がり、目が潤み始める。自分を認め、自分を想う言葉。そして、自分を憐む気持ちも含まれた言葉。様々な気持ちを感じ取り、自然に涙が溢れ出る。
    「……ラファウス……ありがとう……僕なんかの為に、本当にありがとう……」
    涙が止まらないまま感謝の意を露にするテティノの頭をラファウスはそっと撫でる。
    「たまには……頼ってもいいのですよ。あなたは十分に無理をしたのですから……」
    ラファウスはテティノの涙を拭い、小さな胸に頭を抱き寄せる。ラファウスの目からも涙が溢れていた。


    その頃、レウィシアはベッドの上でルーチェを胸に抱き寄せていた。
    「こうしてまた、あなたをこの手で抱きしめられるなんて……彼には本当に感謝しなきゃあね」
    優しい表情を浮かべながらもルーチェの頬を両手で撫でるレウィシア。だがレウィシアは内心、自分を救った際に己の生命力を費やしたというテティノの事が気掛かりであった。
    「お姉ちゃん……暖かい……いつものお姉ちゃんに戻ってよかった……」
    ルーチェは慣れ親しんだレウィシアの匂いと温もりに包まれて幸せな気持ちになっていた。
    「ふふふ、可愛い。ずっと暖めてあげる」
    レウィシアは笑顔でルーチェを抱きしめる。
    「私……ルーチェを抱きしめている時が一番幸せ。あなたといるだけで心が暖かくなるというか、もっと頑張れる気がするから……」
    レウィシアはルーチェの小さな体を抱きながら顔を寄せる。
    「ねえルーチェ」
    「何?お姉ちゃん」
    「……何があっても……お姉ちゃんの事、嫌いにならないでくれる?」
    眼前で問うレウィシアにルーチェは頷く。
    「……ぼく、お姉ちゃんがいなかったらきっと生きていけない。ぼくを助けてくれたのもお姉ちゃんだし、お姉ちゃんはぼくのお母さんみたいな人だもの……。王国の人はみんなお姉ちゃんの事をお姫様って言うけど、ぼくにとってはたった一人の大好きなお姉ちゃんだから……。嫌いになんて、ならないよ……絶対に」
    ルーチェが抱えている想いを打ち明けると、レウィシアは目を潤ませながらもルーチェの頭を包み込むように抱きしめる。
    「ルーチェ……ありがとう……大好きよ……ルーチェ……」
    優しい香りと暖かい温もりに満ちたベッドの中、ずっとルーチェを抱きしめているレウィシアは感極まって涙を流し、嗚咽を漏らし始める。ルーチェは言葉に出来ないまま、レウィシアの胸の中で安らぎを感じていた。


    私がここまでルーチェを愛してしまったのは、ネモアと重なっていたからというのもあるけど……きっと、母親のようにこの子を守りたいという母性が私の中に備わっていたから。

    この子はまだ幼いのに目の前で両親を失った辛さを抱えているから、ここまで守りたいと思えるようになったのかもしれない。

    この戦いが終わったら、ずっと一緒にいたい。ずっとこの子の傍にいてあげたい。だから、今こそ全ての邪悪なる闇に負けない強さが欲しい。

    その為にも、私の中に眠る真の太陽を目覚めさせる。この子や、全てのものを守れる真の太陽を———。


    それぞれの想いを胸に秘めながらも、夜は更けていく———


    翌日。船の整備が終わり、一行はフランコの船に乗り込む。船を動かすのは、持ち主であるフランコであった。
    「クレマローズが何処にあるのか解るか?」
    「へえ、アッシも初めて聞くところなもんで海図を見ても辿り着けるかどうか……」
    フランコは海図をジッと見つめる。
    「ああ、何となく解った気がしますぜ」
    「本当か?」
    半信半疑の様子で首を傾げるテティノ。
    「テティノ王子ーー!!」
    突然聞こえてきた声。思わず外に出ると、ウォーレンを始めとする槍騎兵隊が集まっていた。
    「ウォーレン!お前達までどうして?」
    「フランコから今日旅に出られると聞いてやって参りました!テティノ王子、どうかお気を付けて!」
    「一つの命を救ったテティノ王子は我がアクリムの誇りです!無事でマレン王女を助け出せるよう、心より応援しております!」
    槍騎兵隊は王と王妃からテティノの偉業を聞かされ、その噂は既に王都の人々にも広まっていたのだ。
    「テティノ王子、万歳!」
    槍騎兵隊のみならず、王都の人々もテティノを称え始め、一斉に応援を始めた。更に飛竜オルシャンも優しい鳴き声を上げながらやって来る。皆が自身を王国の英雄と称え、応援している。そんな光景を前にテティノは思わず涙を浮かべる。
    「何という事だ……みんな……僕の為にそこまで……」
    感極まったテティノは涙が止まらない。
    「あなたはもう半人前ではありません。今は私達だって付いています。だから、胸を張りましょう」
    ラファウスが笑顔で声を掛ける。その傍らでレウィシア、ルーチェも笑顔を向けていた。テティノは流れる涙を拭い、皆の想いに応えるように大きく頷く。
    「へへっ、アッシも微力ながら手伝わせて頂きますぜ!いざ未開の地、クレマローズへ出航ー!」
    フランコが舵を取ると、船は汽笛を鳴らして出航を始めた。


    父上……母上……今度こそ、僕を認めてくれたのですね……。

    僕は、もう半人前の出来損ないじゃない。

    今まで僕は自分の為に戦っていたけど、これからは全ての人を救う為に戦わなくてはならない。今、救うべきものがあるのだから。

    残された命がどれくらいなのかはわからないけど、こんな僕でも何かを救う事が出来る。救うべきものを救う為に、死をも覚悟した道を選んだんだ。今は死ぬ事を恐れている場合じゃない。妹を救う為にも、僕は戦う。全ての邪悪なる闇と。



    ———亜空間では、水晶玉を手にしたケセルとゲウドが佇んでいた。
    「闇王に立ち向かおうとする連中が氷の大地で燻っているというのか?」
    ケセルの魔力で生み出された偵察用の魔力エネルギー体が浮かび上がっている。
    「ヒッヒッ……ヴェルラウドという赤雷の騎士ですかな。あの小僧もなかなかやるようですぞ」
    ケセルは手に持つ玉を凝視する。玉にはうっすらと何かが浮かび上がる。それは、少年のような顔だった。
    「クックッ……今は奴らの好きにさせておくか。器となるものをじっくりと練り直す必要が出てきたものでな」
    「ほほう……主の器ですかな?一体どのような器ですかのう?」
    「クレマローズの王子たる者……ネモア・カーネイリスだ」
    玉に浮かぶその顔は、ネモアの顔そのものであった。ケセルは含み笑いをしながらも玉の中のネモアの顔をジッと眺めていた。
    「ゲウドよ、闇王は貴様に任せる」
    「ははっ!」
    そう言い残すと、ケセルの姿が消えていく。
    「……全く、ケセルの奴も面白い事を考えるのう。王子の小僧を主の器に選ぶとは。ヒッヒッヒッ……思っていた以上に楽しい事になりそうじゃのう」
    亜空間に一人取り残されたゲウドはただひたすら不気味に笑い続けていた。



    凍てつく吹雪が吹き荒れる氷の大地で、二人の男が向き合い、それぞれ剣を構えている。両手で大剣を持つオディアンと神雷の剣を持つヴェルラウドだった。吹き付けてくる吹雪を物ともせず、無言で見つめ合う二人。そんな二人の様子を見守っているのは、スフレであった。
    「———行くぞ」
    ヴェルラウドとオディアンが同時に突撃し、お互い激しく剣を振るい始めた。
    橘/たちばな Link Message Mute
    2020/01/20 20:54:05

    EM-エクリプス・モース- 第四章「血塗られた水の王国」

    第四章。再びレウィシア主人公で水の王国が舞台となるストーリー。  #オリジナル #創作 #オリキャラ #ファンタジー #R15 ##EM-エクリプス・モース- ##創作本編

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