キープアウト!! 〜危険度 6 暗くなにもない闇を、もうどのくらい歩いたんだろう。頭はぼんやりするし、足も疲れてきた。それでも足を止めないのは、彰人の手を引くカリヌ族のこどもが歩みを止めないからだ。ちいさいが力はあり、彰人がよろけても離さず、ぐいぐい引っぱっていく。振り払おうとも叶わず、観念して行き先をたずねてもふりかえりもしない。園児ほどのちいさな背中に、さすがの彰人もいらついてきた。
「レンカランクル。おまえ、レンカランクルだろ。そうだよな」
反応がない。聞こえていないのか、聞こえないふりか。どっちでもいいか。頭がどんどんぼんやりしていく。歩き疲れたせいだろう。いろんなことがどうでもよくなってくる。学校も友達も留守番も妖怪もカルネモソミも明日もどうなったっていい。
でも、根源だけは忘れちゃだめだ。目の前のこいつは自分が突き刺した剣からすり抜け、さぎりに憑いて、俺の手をひっぱっている。なにがどうなってこうなったのかぜんぜんわからないけど。
それにしてもいつまで歩かせるんだ。こちらはぼろぼろなところを頼まれて無理してプリンを作って届けてただけだろ。なにも悪いことしてないだろ。むしろいい人すぎるだろ。それをなんだ、あの背広デブ。いきなり刺しにきやがって、なにが私の物だ。頭おかしいだろ。偉い人なら金を出せば神剣でもなんでも税金で買えるだろ。こっちは一方的に憑かれただけだし、むしろ自分よりさぎりが大騒ぎしてたくらいだし、どいつもこいつも人の気を知らないでぎゃあぎゃあと。さぎりはあれからどうしたんだっけ。思い出せない。さぎり。あいつ、どこだっけ。そうだ、目の前にいるチビなら知ってるはずだ。ええとこいつの名前、なんだ。まあいいか。名前なんかどうでもいい。
「おい、チビ。ハギはどこだ」
ほらみろ。やっぱり答えない。
「俺の手をひっぱってるおまえだ、チビ。聞こえてんだろ。ハギはどこだってきいてるだろ。答えろよ。ああわかった、おまえ、あいつを隠したんだろ。ばっかだな、いいから出せって。かくまっても無駄。無駄だからな。お前より俺のほうがあいつのことわかってんだよ。おまえにあいつはやらない。いいか、こっちはあいつにプリンとかケーキとか食わせないとならないんだよ。俺がいつからあいつ用にケーキ作ってると思う。中学だぞ。そん時のあいつ、ケーキはホールじゃないと意味がないとか言いやがって、作ってもらう立場がけろっと指示すんなっての。あんなずうずうしい奴はこの世にいないほうがいいんだよ。死ねっての。なあ、おまえもそう思うだろ」
彰人はなにか気づいたように顔を上げた。生気のない表情でにたりと笑う。
「ああ、そうか。あいつが死ねばい」
膝がちいさな背中にぶつかった。足が止まったのだ。
「ひとははかないものだな。カルネモソミを潜めているとはいえ、闇に染まるまで、秋の陽が沈むよりも早かったな。陽の加護が強いほど闇と相性がいいからしかたないが。ほんとうにひとははかない」
子どもが発する鈴の音のような声は、同情とも冷淡とも思えない色だった。
「なんの話だ」
「今のおまえはおまえであっておまえじゃないということだ」
ふりかえった子どもの顔は、白い面に隠されていた。目と口らしき位置に黒点があるだけで、表情を読むこともできない。
「闇はひとを包み、ひとは闇に染まる。闇に染まるとひとはゆがむのだ。好意は欲望に、笑いは狂気に。慈しみは執着と憎悪に。今のおまえは執着と憎悪に翻弄されている。それほどあれが大事だった証だ」
「だからなんの話だって言ってるだろ」
「おまえの名前はなんだ」
「名前。名前か。面倒くせえなあ。ええと、名前は」
返答するように足が上がった。足は子どもの頭を横から蹴り飛ばしたはずが、頭を突き抜けた。いや、頭だけじゃなく体もだ。まったくふれることはできない。蹴られるほうもまったく動じないのは、それを知っているためか。
「答えられないのは、おまえが名前を忘れたからだ。次第にその感情も自分のかたちも忘れて、最後にクムになるのだ。威勢のいいおまえは元気なクムになるだろう。クムは闇に堕ちたひとの行く末。いろいろなクムがいるのは、元がひとだからだ。こいつもな」
子どもの背後から、ぬっと角の生えた大蛇が現れた。子どもは慣れた動作で額に座り、蛇はゆっくり鎌首を持ち上げる。
「どうしてここに連れてきたか教えよう。カリヌであれば祭司から話を聞くだろうが、そうではないおまえはなにも知らないだろうからな」
「ガキ。おりてこいよ。その面、割ってやるぜ。ははっ」
名を忘れた少年は話も聞かず、ちらちら動く蛇の舌をつかもうとしている。
「陽と共にあるものは、闇も共にあることを知る。これはカリヌの教えのひとつだ。光が当たれば影ができる。己が食うためにほかの命を奪う。陽をふるえば闇を生む理を知ったひとだけが、陽の力をただしくふるうことが許される。つまり闇を知らなければ、陽をただしくふるうことも許されない。理とはそういうもの」
「このくそ蛇、ばかにしやがって」
「陽の加護を受けたものは、闇にも墜ちねばならない。逆もまた然り。これが理の儀だ。ここは仮とはいえ、我の地。闇の地だ。これからカルネモソミをふるうなら、おまえは一度闇に堕ち、また戻らねばならない。闇から戻った時点で、理がおまえを認めた証になり、カルネモソミをふるうことが許される。しかし戻れずそのまま闇に堕ちるなら、おまえは二度とトンラウンクルの地に戻ることはかなわず、カルネモソミもおまえに封じられたままとなるだろう」
「ごちゃごちゃ偉そうにうるせえ。いいからさっさとここ降りてこいって言ってるだろうが。おまえも殺すぞ、このガキ」
大蛇が毒牙を剥き、名を忘れた少年はわずかに身をこわばらせた。ちいさな手が大蛇をたしなめる。
「けっ。降りてこないうるせえチビなんかどうでもいい。俺はあいつに用があるんだ。おいチビ、あいつがどこにいるか知ってるんだろ。連れてけよ」
「ハギは、おまえが手をかけなくてもあのまま消える」
「はあ」
「ひとははかない。我の器になるとたちまち壊れ、内にいる我に呑まれ溶けて消える。意識もかたちも溶けて塵になるのだ。ここに漂うものが、そうだ。ただし、ハギとはなにか違った。器にはならず、今度は呑まれないだろうと思った。だが、やはり、ハギもひとだな。もう保たない。あのまま溶けて塵になるだろう」
「はぎってなんだよ。俺が殺すっていうのはあいつだ、あいつ」
「忘れたか。ほんとうに染まるのが早いな。その、あいつとはどういうやつだ」
「あいつだよ。あの女。ガキには関係ない話だよ。いいからはやくそいつのところに連れてけ。こっちは大事な用があるんだから」
「用とはなんだ」
「バーカ。わかんねえのか。いいか、あいつは俺に迷惑かけやがったんだ。それをわからせてやるんだ。ぶっ殺すんだよ」
「そうか。ハギはまだ呑まれていない。殺したければ殺せばいい。おまえができるか知らないが」
名を忘れた少年はニタリと笑う。
「おう、言ったな。見てろよ。やってやるから。ああ、めちゃくちゃにしてやる。見せてやるから連れてけよ」
「わかった。おまえたちがどうするのか、ここから見ていてやろう。さあ、あれだ」
子どもが指した先に、闇の中で白いものが浮かんで見えた。白装束を着た白髪の少女が倒れている。少年は礼も言わずに駆けだした。
「起きろ! なに寝てんだ!」
少女はゆっくり頭を上げた。白髪は乱れて細い肩や顔を覆っているが、払いもせず、身体を重そうに起こす。
少年はその頭にねらいを定めた。おおきさ、位置からして、頭が一番蹴りやすいと判断したのだ。全力で蹴ってやろう。きっとボールのように飛んでいくだろう。いいぞ、おもしろいじゃないか。そこを動くなよ。まだだ。もうすこし。もうちょっと。今だ。
足をふりあげたとき、紅い瞳が少年を見た。
足が止まる。
「誰」「誰」
ふたりが同時に聞いた時、レンカランクルが興味深げに顔を上げた。
あくびをする少女の隣に、少年は腰を下ろした。
「おまえ。なんでここで寝てたんだよ」
「寝てない。死んでるだけ」
「は。なんだそれ。死んでる奴がしゃべるかよ」
「さあ。でもあたしは死んでるから」
「ばーか。どう見ても死んでないだろ。動くんだから。なあおまえ、あいつ知らないか」
「あんたこそばーか。ほら、この服。見なさいよ。あたしは死に装束でしょ。それにここはどこをどう見てもお墓の下じゃない。暗いし冷たいし、なにもないし。あんたの探してる人も知らない。ここで初めて会った人間があんただから」
「ばーかって言ったほうがばかなんだよ、ばーか。おれは病院のパジャマだし、ここはトンネルの中だね。墓の下なわけあるか。いいか。だいたい俺は死んだ覚えはないね。用事があるからって地下に連れていかれて、そこで通り魔に遭ったんだ。でも刺されてない。ほら、腹も胸も刺されてないだろ。おれは生きてるね。だからおまえも生きてる、っておい聞いてんのかっ。寝るなっ。死ぬぞっ」
少年は、隣で寝はじめた肩をつかんで揺さぶった。
「うっさいなあ。あんたの話なんかどうでもいいし、あたしはあんたと関係ないでしょ。こっちは死んでるんだから邪魔しないでよ」
「生きてんだから生きろ。ばかみたいに死ぬなよ、ばーか」
「いいの。死んでるの。それにね、あんたは知らないかもしれないけど、あたしみたいな妖怪を寄せる奴は死んだ方がいいって、みんな言ってるの。妖怪を寄せる奴は生きてるだけで迷惑なの。死んだほうが世の中のためなの。だから死ぬの。わかった?」
「ぶははははっ。なんだそれ。そいつらもばかすぎだろ。妖怪がなんだよ。やたら虫が寄ってくる奴だっているだろ、あれと同じじゃん。それで死んだほうがいいとかくだらねえ。ばかばっか」
「ばかばかうるさいっ」
いきなり彼女の手が彼の口を塞いだ。引きはがすと胸ぐらをつかんでくる。
「くだらなくないっ。いい、鋼の血は妖怪を寄せる性質があるの。あたしはそれが特に濃くて、いくら祓ってもお札を貼っても妖怪が寄ってくるのっ。だから最初にうちがめちゃくちゃになったの。お母さんは出てったし、お父さんは妖怪に襲われて死にかけた。近所じゃ呪われた家扱いよ。全部あたしが悪いの。それなら死ぬしかないじゃない。それに、あたしが一番死にたいの。だからここでこうやって死ぬって言ってんじゃない。ばかっ」
満足したのだろう、少女は少年を突き飛ばした。突き飛ばされたほうはとっさに拳を振り上げたが、彼女も後ろへばたりと倒れた。
「あーつかれた。いっぱいしゃべったから、すごーくつかれた。もう死ぬから。あんたはあっち行ってよ。もう邪魔しないでよね」
少年は開いた口が塞がらない。倒れたまま動かない少女に、次第に苛立ち、地団駄を踏んだ。
「おまえ、ほんとうにばかだな。ばかすぎてくだらねえ。すっげえくだらねえ。はいはいわかったよ、わかりました。そんなに死にたいなら死ねよ、死んでろ。ばーかばーかばーか。けっ。こっちは忙しいんだよ。おまえじゃない。あいつだ、あいつを探さないと。ああくそ、おまえのせいで無駄な時間過ごした。ぶっ殺すぞ」
「死んでるから無理」
少年は悔しそうに地団駄を踏んだ後、なにやらぶつぶつ言いながら歩き出した。
「あ、そうだ。ねえ」
立ち去りかけた背中に、少女が声をかけた。
「あんた、あっちに帰るんでしょ。帰ったらお兄ちゃんにあたしのノートを渡しておいて。妖怪のことをまとめてあるの。三冊あるから、全部ね。頼んだから」
少年は目をぱちくりとさせた。ずかずかと戻ってくる。
「は。なに言ってんだ」
「は、じゃなくて。あたしのノート。三冊。机の引き出しにあるから渡してって言ってんの。ばかでもそんくらいできるでしょ。ほら、あたし妖怪を寄せるって言ったじゃない。その妖怪のことをまとめてんの。ノートに。妖怪の特徴とか好きな餌、嫌いな場所とか書いてるやつがあんの。それ、いつかお兄ちゃんにあげようって思ってたんだ。あたし死んじゃったから無理でしょ。だから頼まれてよ。いい、机の引き出しだから」
「おい」
「ああ頼めてよかった。これで心おきなく死ねるわ。じゃ、よろしくね」
絶句する少年に構わず、彼女は満足したように目を閉じた。とたんに音もなく闇が少女の体を覆いはじめた。足が、腕が、頭が、ゆっくりと消えていく。
「ふざけんな!! おまえっていつもそうだよな!!」
いきなり少年が、闇に沈みつつある少女の胸ぐらをひねりあげた。闇から強引に引き出された少女は「へ」ときょとんとする。
ふたりは目を合わせた。
少年はどうしてそう口走ったのかわからない。わからないまま、ぽかんと紅い瞳を見つめる。
少女は抵抗もせず、おなじ表情で少年を見つめ返した。
「ねえ、あんた」
「なん、だよ」
少年の両肩に少女の細い手がかかった。顔を近づけ、鼻をきかせはじめる。
「おい。なんだよ。やめろ」
「いいにおいがする。あまくて、いいにおい。なんだろ」
うっとりする声に、少年はうなずいた。
「それ。バニラエッセンスだろうな。染みついてるって言われたことがあった」
「ふうん。いいにおい」
「おい、やめろ」
紅い瞳を潤ませ、少女は少年の肩に顔を寄せる。
「ひとくち」
言うなり彼女は、彼の肩に布にかまわず歯を立てた。おもいきり。
がぶ。
空間を引き裂くがごとく悲鳴が上がった。
「痛い痛い痛いハギ痛い止めろ痛い痛い痛いハギーッ!!」
悲鳴混じりの訴えが届いたのか、さぎりが身を引いた。彰人はうめきながら涙目でうずくまる。
「あれえ。アキトだあ」
「お、お、おまええええ。本気で、噛む、噛んだっ、噛んだなあああ」
「えへへへへ。おいしそうだったから、つい噛んじゃった。ごっめーん」
「痛あああああ。濡れてるの、これよだれだろ」
「だっておなかすいてんだもん」
「だからって食うなっ」
はるか遠くでレンカランクルが大笑いしていた。
しろい髪とあかい眼になったさぎりは、彰人から見ても別人に見えた。白装束を着ているだけでも雰囲気が変わるから、なんだか落ち着かない。当の本人は「おいしそうだったんだもん」とぼやきながら、裾も気にせずあぐらをかいているが。
「髪、白くなったんだな」
「ほんとだ。今気づいた。ははは」
「眼も赤いけど、コンタクトじゃないよな」
「うん、入れてないよ。そっか、赤いんだ。へえ。超大物妖怪が憑いたからしょうがないかな。アキトは病院から脱走したの」
「脱走じゃなく、病院から拉致られたんだよ」
その拉致られた先は、一体どこだろう。上。はるか上空で黒い影がゆっくり動いているのが見えた。左右。どの方角も真っ暗で、地平線というものもわからない。下。やわらかい粘土の表面を黒いもやが覆っているようだ。聞こえるのは低いうなり声のような音だけで、なにもない。
「ここ、どこだと思う」
さぎりもきょろきょろとしている。
「わかんない。暗いけど、アキトは見えてるから、暗幕のなかみたいだね。なにかに囲われてるっていうか、わざと空間を作ってるっていうか。陣のなかってこういうものなのかな」
「陣のなかか。そうかもな」
退魔士の親戚がいるだけに、信憑性を感じる。
「うん。完全な闇って感じはしない。闇だったら、この距離のアキトは見えないよ。最初はあの時の場所かなと思ったんだけど、あそこはここまで明るくなかったもん」
「あの時って」
「え。ええと。ゆ、夢で見たの。夢、夢だと思う」
「ふーん」
さぎりは動揺したが、彰人は特に気に留めない。立ち上がっておおきく背伸びをする。
「ここもよくわかんないし、俺たち、なんでここにいるんだろ。どうやってここに来たのかとか、なんにも思い出せないんだよな。病院の地下で、鋼さんといたのは覚えてるんだけど、気づいたらハギに食われてんだもん。寝てたのかな。ハギはなんか覚えてるか。ここに来てからとか」
「お腹減って動けなくて、封印の間で寝てたんだよ。いきなり停電になってびっくりしたの。ブレーカーが落ちたのかなって思ったのは覚えてるんだけど。気づいたらアキトをかじってたわ」
お互いに目で語る。なんだそれ。
「そっか。お兄ちゃんといたんだ、アキト」
「そ。あれからいろいろ大変だったんだぜ。いろんな話聞いたよ。あーあ。ひとがせっかく満身創痍でプリン作ったのに無駄ぎゃっ」
突然背中からタックルを受け、そのまま転がるようにつぶされた。さぎりが重くのしかかる。
「プリン作ったの!? あのアキトプリン!?」
「また、おまえ。重いって。そう、作ったんだよ。いつものプリン。病棟の給湯室で。ハギが食いたいって言うから作ってくれって言われて」
「プリンどこ!? あたし、あそこでずっとずっとずーっと待ってたのにぜーんぜん来ないんだもん。餓死するかと思ったんだから。プリン隠すな!」
「そういえば、どこいったんだろ。腹めくるな、ないから」
自分がプリンの箱を手に持っていたのは確かだ。どこで無くしたんだろう。まさか落としたとか。
「ハギ、よけろ。たぶんレンカランクルが知ってるか持ってるんじゃ」
「そっか。じゃ、行こう!」
「行こうって。ハギはあいつがどこにいるのかわかってんのか」
「わかんないけど、たぶんあっち!」
え。
「行けばわかるよ。行こ! アキト、はやく!」
さぎりの直感についていっていいのかためらったが、さぎりと離れるのも不安だ。しょーがない。彰人はついていくことにした。
さぎりにやれやれと言いながらついていくのは、優柔不断な自分にちょうどいいかもしれない。無茶なことに振り回されても、それを楽しんでる自分もいるし。
「プリンだプリン! うっわああああい!」
ま、いいか。
なにもない闇の中を、ふたりは楽しげに歩き出した。