八雲立つ #3 雲取山にて 炭善♀キャプションを必ずお読みください。
キャプションを読まず閲覧した上で「地雷を踏まされた」等の一方的なご意見を頂いても一切返信するつもりはございませんので悪しからずご了承ください。
※動物(熊)を殺す描写があります。苦手な方はご注意ください。
本編がオリジナル設定盛り込みすぎてる上ややこしいので子供の設定
子の構成→長女・次女・長男(今回の主人公)・次男・三男・三女・四男
竈門家→最終戦後、炭治郎と禰豆子の故郷の村に四人で帰る。村に屋敷を立てて新生活。家族が多いが家が広いので夫婦水入らずでやりたい放題だぜ!(そして子沢山へ)
こういう設定でも問題ない方のみお読みください。
(PC版は下記の下矢印を押すと開きます)
私の父は不思議な人だった。
それは私の印象だけではなく、父を少し知る人なら誰もがおしなべて同じような事を言う。“変わった人”だと。
父は昔何かの事故に巻き込まれたらしく右目が見えない上、左腕が肘下から不自由で全く動かない。動かない事は良いとして、老人のような手をしているのが奇妙だった。しかし、その見た目よりも奇妙なのは父という者の人となりであった。
普段の父は“温厚”の二文字で表せる。とても優しく雅量で、器が大きい。母が口やかましく若干神経質であるので、余計に父の穏やかさが際立った。母も心優しい人ではあるが。
それととても働き者だった。我が家は村では裕福な家ではあったが、父はその不自由な体でも率先して田畑を耕してよく働いた。そんな父だったので村民からはかなり慕われていて、村長一族からも相談役のように扱われ一目置かれていた。
私は長男でありながら母に瓜二つで、違うのは髪の色くらいだ。(母も当時では珍しい容姿をしていて日本人でありながら金髪だった)その為か私は父に大層可愛がられた。もちろん父は私達兄弟それぞれに過分な程愛情を注いだが、私はよく酒が入った父から「お前は若い頃の母さんに本当によく似ている」と頬ずりされたものだ。その為よく兄弟からやきもちを焼かれた。
こんなにも優しく勤勉で愉快な父だったが、時折私達兄弟が冷や汗を垂らしてしまうほど鋭い眼差しをする事がある。その顔は生まれてこの方、数回しか見たことは無い。戦後間もない頃に村近くの山に賊が入ったという話を警察から聞いた時と、“あの夜”の時の事だ。
それも山の中での話だった。
私が十か十一程の歳だったと思う。その頃母は七番目の弟を身ごもっていたので、私が五番目の弟と一緒に寝ていた。次の間では四番目の弟がで寝ている。
ふと隣の部屋の弟のくしゃみで目が覚めた。その日はよく冷える真冬の夜で、弟は布団を被っていても冷えてしまったらしい。私は押入れから布団をもう一つ出し、弟にかけてやる。それでもまだ寒そうだった。住み込みの女中に言って炭を起こしてもらい行火を焚こうかと思ったが、随分深い時間だったので年老いた女中を起こしてしまうのも気が引ける。かと言って身重の母を起こすのも憚れた。とりあえず上の姉に相談しようかと思いそっと部屋を出た。
その時だった。
外に人の気配を感じたのは。
雪を踏みしめる音が聞こえる。
しかし、妙に静かだ。足音を立てないように忍んでいるのがわかった。
私は不審者を疑い、窓を覗き雪囲いの隙間からそっと外の様子を見る。それまで暗い部屋で眠っていたので白銀の雪景色が非常に眩しく感じたのを覚えている。
その真っ白の中に見覚えのある緑と黒の市松模様を見た。
父だとすぐにわかった。
その姿を追いかけてしまったのは何故なのだろう。
今考えると追いかけるべきではなかったのだが、無性に追いかけたくなってしまったのだ。まるで、父が真っ白な世界に溶け込んでいきそうだったから。
普段の父は活力溢れる元気な男性だ。しかし、時折なんというか儚げというか、遠い世界の人のように見える事があった。父の動かない右目と左腕に関係しているのかもしれない。
私は以前、なんとはなしに父になぜ右目と左腕が利かないのか聴いた事がある。すると父は、どこか儚い顔をして微笑み「父さんは昔死にかけてしまった事があってな……でも、先に死んだ父さんの母さんや兄弟達、友人達がこの世に帰してくれたんだ。だけど、その代償に目と腕をあの世に置いてきたんだよ」と答えた。そう聞いて私は恐ろしくなった。父の一部は、今も幽世に繋がっていてふとした瞬間に父を連れ去っていってしまうのではないかと。
父は村付近の山へと入っていった。村は連峰に囲まれているが、その中でも特に標高が高く鬱蒼とした森深い山である。
実は父と父の妹である叔母はその麓にある炭焼き小屋で生まれ育った。ある時を境にこの村に移り住み、母を嫁にもらって屋敷を建てたのだという。その頃の俺は詳細は知らず何の疑問ももっていなかったが、今思えばそれも奇妙な話だ。山小屋育ちの青年が突然立派な屋敷を建てて村で一番裕福な家庭を築いたのだから。
その小屋は今も残っていて、両親と叔母が時折手入れをしに行っている。また、昔から一緒に暮らしている猟師の伊之助おじさん(両親らとは血縁関係はないがおじさんと呼んでいる)がたまに寝泊まりに使っていた。
しかしこんな時間に父は何の用があるのだろう。しかも右手には斧を持っている。
私は嫌な予感がした。
最近、山で羆が出たという噂があったのだ。自然豊かな山なのでただ熊が居るだけなら何もおかしい話ではない。問題は季節だ。ほとんどの種類の熊は通常、冬眠をする。この季節に現れる熊は”穴持たず”という冬眠し損ねた個体だ。冬眠に失敗した熊は、食物が極端に少ない過酷な冬を乗り越えなければならない。そうなると普段は警戒強い熊も必死になり、人里を襲うという危険を犯してでも食料を得ようとする。村近くの山では数年に一度はそんな熊が現れるのだった。
ここ一週間ほど、伊之助おじさん含め近隣の猟師達に依頼して山狩りを行なったが熊は現れなかった。とうとう近くの村で人が熊に食い殺されたという話も聞き、村人達は戦々恐々としていた。人の味を覚えた熊は必ずまた人間を襲うと言われているからだ。
そんな矢先に、父は山に向かっている。
果たして予感は的中した。
大分山の中に入ったと思う。
私は父を追いかけるのに夢中で、自分がこの凍えた空の下で出歩くのに相応しい格好ではない事に気付いていなかった。寝巻きに綿入れ一枚。足元は草履だ。
それを気づいてからも父を追いかけることをやめられなかった。お父さん待って、という声を上げることも何故だか叶わなかった。ただひたすらに「これから起きる事を見なければならない」と感じていた。
気づいた時には父は九尺余りの大熊と対峙していた。
己の息を飲む音を聞いた。
しかし、それ以外は妙に静かだった。雪が音を吸い込み、冷えた空気が感覚を鈍らせていく。私は寒さ以上の恐怖で悪寒を感じ、全身の血が引いていくのを感じた。膝ががくがくと震え、指先一つ動かせやしない。
しかしながら、父に睨まれた羆の殺気は凄まじいものがあった。
「腹が減っているんだろうな。かわいそうに」
不意に父が口を開いた。いつもの通り穏やかな声音だ。自分に対して殺意を放つのみの獣に対して憐憫の情を見せる。実に父らしい言葉だ。
「俺がお前にしてやれる事は一つしかないよ」
父が話すたび真白い息が真冬の星空に立ち上っていく。それ以上に熊のゼェゼェとした息が林の中で響いていた。
私はよもや、と焦った。
まさか父は自分の身を熊に捧げるつもりなのでは?
今思うと愚かな考えではあるが、優しい父の性格を考えると否とも言えなかった。
そこでとうとう私は父に駆け寄ろうとした。しかし、背中にばさ、と暖かいものがかかりそのまま肩を抱かれ動きを止められた。
「お母さん?」
慌てて振り返ると母が私に外套を着せながら、にっこりと微笑んでいた。そして人差し指を口元に当てると小声で「見ててごらん」と言う。
父に視線を戻すと同時に、耳をつんざくような熊の雄叫びが山中を揺らした。私は思わず母にしがみつく。恐ろしいのもあったが、身重の母を守らねばという使命感に駆られたからだ。母は全く動揺を見せず、私を安心させるように体を強く抱いてくれた。
次の瞬間、熊の首が胴から離れごとりと地面に落ちた。
私は何が起きたか理解に苦労した。分かるのは私が瞬きした間に、熊が死んだ事。それも鈴縄の鈴も鳴り終わらない内に。そして右目も左腕も不自由なはずの父の持っていた斧が血まみれになっていた事だけが分かった。
ややあって熊の巨体がけたたましい音を伴いながら雪の中に倒れる。熊はきっと自分が殺された事さえ気づかず逝ったのだろう。もがくような素振りもせず、まるで建物が倒れていくかのように真横にドスンと倒れその巨体を横たえた。父は全く微動だにせず、熊の倒れる姿をじっと眺めていた。その眼には一度だけ見た刀のように鋭く黒い光が宿っている。しかし、すぐにそれはなりを潜めた。いつもの温和な、それでいて悲しみや熊に対する同情を多大に含んだ目だった。
「すまないな……俺にできるのは、お前を苦しまずに彼岸に送ってやる事くらいだ」
父は斧を地面に突き刺すと、そう言いながら片手で熊の死体を拝んだ。
父が熊に身を捧げるかもしれない、など全くもって私の杞憂だったのだ。
そして父は振り返り私達の方を見た。
「さあ、もう大丈夫だぞ」
父が私にそう言ってるのだと気づいた瞬間、私は駆け出していた。そして泣きながら父の懐に飛び込む。
「お……お父さん!」
父は何も言わずに受け止めてくれた。
後からついてきた母が私が駆けた事で落としてしまった外套を拾い再びかけてくれる。私は震えながらもそれを拒否して強がりを言う。
「お、お母さんが着てよぉ。赤ちゃん寒いって……」
「あはは、大丈夫だよ。母さんはちゃんと厚着してきたから」
「しかし、善逸まで来る事はなかったんだぞ。腹の子に何かあったら……俺はちゃんと気にかけてたんだから」
そう、父は私が追いかけてきている事を最初から気づいていた。気づいた上で見ないふりをして山に入ったのだろう。熊退治に行くなど言えば私が取り乱して騒いでしまうからだ。
「ごめんよぉ。炭治郎なら大丈夫だと分かってたけどさ、やっぱり心配で」
後で知った事だが、山に熊が現れた事を一番最初に気づいたのは母だったそうだ。
母は人の何倍も耳が良い。しかも妊娠中は更に神経が過敏になり聴力がもっともっと鋭くなる。ここ最近は山の熊の動向をずっと探っていたが、とうとう夜に熊が村に近づいた事を父に知らせたそうだ。
私は己を恥じた。私が軽はずみに父を追いかけなければ、身重の母が心配してわざわざ私の後を追う必要はなかったのだ。
「さあ、熊を見送ってやろう」
明らかに気落ちしている私に父は明るく声をかけてくれた。
私達は並んで熊の死体に手を合わせる。精一杯熊の冥福を祈った。熊も冬眠さえ出来ていれば人里に近づく必要はなかっただろう。父は私達を守る為に刃を振るった。しかし、熊だって生きるのに必死だったのだ。
「熊さん……どうするの?」
「春や夏ならこのまま土に還っていくが……今の季節だと死体が中々腐らないだろう。この姿を晒し続けるのもあんまり憐れだ。解体して俺達で頂戴しよう」
すると父はカラスを呼び、伊之助おじさんに連絡を取る。“カラス”というのは父が飼っている(というか勝手に家に住み着いている)人の言葉を話す烏の事だ。カラスを使いに出し猟師のおじさんが帰ってきたら熊を解体する事になった。
「さあ、うちに帰ろう」
そう言って父はしゃがんで私に背を向けた。おぶってくれるらしい。父は見た目に反して筋力があり力が強いので片腕でも難なく私を背負ってしまう。
私は少々気が引けたが、弟達が生まれてから中々父母や叔母におぶってもらう機会が減っていたので甘えたいという欲求に負けた。
久しぶりの父の背中は、広く大きくてとても暖かい。
父と母が隣り合って雪を踏みしめる音が聞こえる。私は緊張が解けた安堵感と父の暖かさで大分うとうとしていたが、父にひとつだけ言いたい事があったので微睡みの中でも懸命に話した。
「さっきのお父さん……すごかった……」
「そ……そうかな?」
「うふふ、そうだね。かっこよかったねぇ」
父が照れながら返すと、母は隣でクスクスと笑った。父が更に照れているのを感じる。私はまだ言いたい事があった。
「あんな、すごいわざ……どこでおぼえたの……」
「うーん、それはお前がもうちょっと大きくなったら教えてやろうな」
「ね……ぼくも、あんな風になりたい……」
「えっ?」
「ぼくにも、教えて……けんじゅつ……」
「………」
父の言葉が途切れた。
私も父と同じくらい家族を守れる力が欲しかった。
それは長男としての使命感もあった。父に何かあった時、母に何かあった時、両親に何かあった時。いざという時私は家族を守らなければならない。私には姉が二人居るが、男は婦女子を守るものだ。家族を守るのは長男である私の役目だと思っている。いつも泣き虫で甘ったれだと周りから言われているが、長男としての覚悟は最低限持ち合わせていた。
しかし、父はしばらく黙った後口を開く。
「それは……出来ないかな」
その言葉に大分ショックを受けた。父に“お前に出来るわけがない”と言われた気がしたからだ。
が、父の思惑は違った。
「お前は……お前たちは覚える必要なんて無いんだよ。この剣術はもう必要無いんだ」
そして、こうも続けた。
「お前は俺たちに何かあったら自分がなんとかしなきゃいけないと思ってるみたいだが、そんな事はないぞ。万が一俺達に何かあっても禰豆子や伊之助がいる。それだけじゃない。村の人達はみんな助けてくれるはずだし、幸い父さん達の友人は皆頼りになる人ばかりでな。だから、万が一の事あったらその人達を頼るといい。もちろん、万が一なんて起こさないけどな」
すると、母が声を張り上げた。
「全くだ。この子が生まれて一人前になるまで何が何でも生きなきゃなんねぇよ。炭治郎も俺も古希祝いまでしねぇとなぁ」
下町育ちの母は軽快な江戸っ子口調で言うが、腹を撫でる瞳は慈愛に満ち満ちている。何人子を産んでも愛情深い人だった。
父と母はその後も何か話していたが、私は父の背に揺られる振動と二人の声音が心地よく眠りにつこうとしていた。覚えているのは、自宅門の前で叔母が微笑みながら帰りを待ち構えていたのを見たところまでだ。
翌朝、私は自分のくしゃみで目を覚ました。少し風邪を引いたが、両親が暖めていてくれたおかげで熱を出すほど重症化しなかった。
これは私が幼い頃の雪夜の小噺。
父と母に関してはまだまだ書き足りない事がたくさんある。全て書き出したら私の残り少ない寿命も尽きてしまうだろうと言えるほどに。
一つだけ言える事は、父と母は最期の最後の時まで強い絆で結びつきとても愛し合っていた。
それだけは確かだった。