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    無意識の受容 北国に訪れる冬は早い。
     故郷の武州多摩ではようよう息が白くなろうという時期に、函館の雪はゆうに背丈を越えている。
     土方は周囲を雪の壁に囲まれる場所を敢えて避け、僅かに踏みしめられた箇所を登って小高い丘を降りる。雪の壁がある場所は、つまりはどこぞの兵か民衆だかが雪掻きをしているということだ。人目に立つのは単純に嫌だった。
     ましてや今は、土方も「新選組の土方」という名を背負ってしまっている。
     共に新選組を作り上げ、全ての泥を被ってまで担ぎ上げた友はもはや亡い。それでも名ばかりが先行するのは皮肉なことだった。
     しかし彼が亡くとも、否、亡いからこそ、新選組を守らずにおれない自分も土方は知っている。
     ふと足下を見て、雪が積もる以前にはこの辺りに茂みがありはしなかったか、そう考える。今、茂みは影も形も見えなかった。
     あるのはただ、一面を白い雪に覆われた大地だけだ。
     視線を上げれば、広大な雪原があった。その向こうには黒い水平線がなだらかに延びて、雪と同じ色をした雲海とを分けている。
     遠目にすれば函館の海は静かにたゆたっているように見えた。けれどその実、冬の海が凪いでいることなど皆無に等しい。
     冬の海は常に昏く厳しい。土方はそういう海が嫌いではなかった。
     土方はしばしの間、目の前に広がった雪原の上で呆然と立ちすくむ。
     草木も岩も一面に白く覆われた景色の中、次第に遠近感が失われていくのが分かった。
     天地の別もなく白い視界の中で、一本の黒い水平線が不思議に現実味を欠いていた。
     不意に笑い出したいような気持ちになる。
     転戦に転戦に重ねた頃は夜露の冷たさに苦労させられたものを、この函館に来てからはさして寒いと思ったことがなかった。吐いた息の白く大気に解けていくのを見、鼻の先がじんと痺れるような皮膚感覚を通してのみ寒さを自覚している。
     感情が鈍磨しているとは考えたくなかった。むしろ、静かすぎるこの大地では、嫌でも鋭敏にならざるを得ない。
     そうして得たのが、非現実の風景なのだからおかしかった。
    ――なあ、近藤さん。見えてるか?
     こんな所まで来ちまったんだぜ、と独りごちて笑う。
     ふと視線を落としかけて、雪原の向こうから歩いてくる人間に気が付いた。
     白い景色の中で鮮やかな緋縅が揺れ、大髻に結った長い髪が風になびく。抜けるような肌の白さが遠でもわかった。あれはおそらく、陸軍隊長・春日左衛門だろう。
     まるでどこぞの錦絵だ、と土方は思った。
     そういえば、あの男と最初に会った時もそんなことを考えたような気がする。
     元は上野彰義隊、脱退して後に旧陸軍奉行並・松平太郎、旭隊長・吹田鯛六らと共に陸軍隊を組織して徳川陸軍と称し、やがて新額兵隊を名乗って転戦したらしい。その後、土方も加わっていた旧幕府脱走軍に合流して函館に渡航した。
     土方は春日のことが嫌いではなかったが、得意でもなかった。土方は春日に借りを作ってしまっている。
     春日が徳川陸軍と名乗っていた頃、板橋の近藤にまで付き添った新選組隊士・相馬主計、野村利三郎を拾って函館の本隊にまで春日隊の幹部として待遇した。
     しかし、函館入りの際、野村が春日の命令に違反、先鋒隊を務め春日と対立した。結局、土方が出向いて春日と話さねばおさまるまいということになった。
     春日の立場も、京にいた頃の土方自身を思えば分からないでもなかった。幹部の地位を与えられながら隊規に背いた野村は軽率といわねばなるまい。
     しかし、京都時代の新選組の姿はすでに無いと言って良かった。
     近藤を失い、新選組も土方の手を一応は離れている。
     今の時勢で局中法度のような厳しい隊規を課せば、誰も付いてきはすまい。
     土方が会いに行けば、やはり春日は立腹し言いたいだけ毒を吐いた。
     その物言いに最初は土方も驚き、苦りきった。しかし、一ヶ月ほど同じ政府中にいて分かったことがある。
     あの物言いはどうやら春日の性格であるらしいということだ。
     土方とて他人のことを言えた柄ではないのはとうに承知している。
     だが春日は、相手が誰であれまったく遠慮仮借なく毒を吐く。そういう性格なのだ。
     綺麗なのは見てくれだけですよ、と毒付いたのは野村だった。その言葉に、別にいいじゃねえかと土方は返した。
     相手によって態度を変えるような輩よりは余程良い。
    ――扱いにくいのは確かだろうがな。
     思って土方は苦笑した。その一方で、統率する側の人間の立場になって考えている自分に驚愕した。
     土方はしばらく、雪原を歩く春日を眺めた。
     あの性格があの容姿に収まっていること自体が不思議だ。彼がこの白いばかりの景色の中で舞いでも舞ったら、さぞかし美しかろう。
     数ヵ月後には戦場になる大地でそんなことを思う。
     現実味を欠いた風景の中で、春日の姿はより一層非現実的だった。
    「…トシさん!」
     雪原によく通る声に、土方は瞠目して振り返った。
     随分と懐かしい呼び名だ。未だ生き方に迷い自分の有り様に惑っていた頃、そう呼ばれていた。
    ――誰だ?
     土方は逆光に目を細める。
     向こうからまろぶように駆けてくる姿に、かつての少年の面影が重なった。
    「あぁ、やっぱりあんただった」
     伊庭は安堵したように笑って、ひとつ息をつく。
     自分の前に立った彼を眺め、土方は一瞬、何を口にしたものか分からなくなった。
     生意気で口が悪くて、しかし屈託のなさゆえにか不思議な引力を持っていた少年は、もういない。あどけなかった面に精悍さが加わり、凛とした風情の青年となっていた。
    ――…ガキは成長が早えな。
     武州を離れて、はや八年になろうとしている。
    「久しいねェ、トシさん」
     伊庭はそう言って、明るく笑う。
     ああ、と応じた土方は、ふと彼の左腕に目を止めた。肘から下の袖が不自然に風に揺れている。
     その視線に気付いたか、伊庭は土方を見上げてにやりと笑う。
    「しくったんだ。おれとしたことが」
    ――…お前、だったのか……。
     遊撃隊本隊はすでに土方含めた脱走軍と共に十月二十日に鷲ノ木に到着していた。榎本は、おそらく後にまた遊撃隊が加わるだろう、と言った。
     左腕を失った隊長に何名かが付いて、蝦夷に渡る機会を伺っているとのことだった。
    ――あれは大した男だよ、とも榎本さんは言っていたか。
     黙りこんでしまった土方の肩を、伊庭は右手の甲で軽くはたく。
    「これまた、なりが変わっちまったなァ。おれも、あんたも」
     言って、にっと破顔する。
     土方は自分の洋装を思い出して、知らず苦笑した。
    「確かに、お互い様か」
    「だろ?鬼の副長さん」
    「今は違えよ」
    「そうかい」
     伊庭はくつくつと肩を震わせて笑う。ふと、その目元にかつての少年の面差しが浮かぶ。
     土方はそれに微かに安らいだような気がした。
    ユバ Link Message Mute
    2019/11/20 1:13:52

    無意識の受容

    函館。土方と春日左衛門と伊庭 #オリジナル #幕末

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