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    月の光 銀の光が天窓から零れ落ちている。
     静寂が夜の底、冷たい石塔に柔らかな頬を寄せた。零れ落ちた光の粒子は堅い岩にぶつかって弾ける。
     岩の牢に、光は飽かず降る。
     月光の粒子は空気を舞い、岩の上で砕けて散った。
     少女はそれを哀れんで、光の中に白い掌を差し出す。しかし彼女の手は小さすぎ、月の光は指の隙間から音もなくあふれてしまった。
     少女は今年で十三歳になる。人形のように整った面差しに、蜜の色の髪はゆるくうねって、光を集めて背中に流れる。
     少女の住処はこの牢だ。
     少女は光を掬えないと悟ると、思い切ってその光の中に飛び込んだ。
     月光の中に小さな両手は一層白く、そっと胸の前に持ち上げる。
     そのまま少女は踊りだした。彼女が知っている、唯一のダンスだ。緑色の小さな丘で、兄は幼い少女の手を取ってはワルツを踊ったものだった。
     兄はいつも少女を守ってくれる。この牢は、兄が少女を守るための最後の砦だった。

     少女は天使の歌声を持っていた。彼女のつぶらな唇からあふれ出るのは至上の音楽、楽園への入り口だった。
     少女はあまたの宮廷で歓声と賛美に包まれて歌った。高貴な人々はその無垢な歌声に酔いしれ、宮廷は争うように彼女に歌を請うた。
     しかし、その日は突然に訪れた。
     ささいな事だったのだ。ただ少しばかり体がおかしかったというだけなのだ。
     朝から体が重くて、思考が定まらない、そう召使に告げたら、彼女は仕方がありませんわ、女性だもの、と困ったように苦笑した。少女にはその意味が分からず、小さな胸の内に不安が澱のように凝った。
     早く歌い終えてしまいたい、そう少女が思ったのを誰が責められよう。
     彼女の口から聖歌があふれだすと同時に、宮廷中の硝子は砕け、鏡はこなごなになって散った。
     国王がいたはずのシャンデリアの残骸の下から血と肉片の塊がうごめき、彼の愛人の侯爵夫人は顔中に鏡の破片を刺したまま、高く結い上げた髪を振り乱し金切り声をあげながら走り回っていた。
     一瞬にして阿鼻叫喚の渦となった宮廷で、少女は硝子の破片を浴び、またたく光をまといながら呆然とその様子を見ていた。
    ――汚い心で聖歌を歌ってはならない。
     昔からそう言い伝えられてきた。聖歌は祈る為の音楽だからだ。
     薔薇色の頬を伝う血など気にはならなかった。
     どうして、そう叫ぼうとした瞬間、少女は目を見開いた。声が、出ない。
     少女は天使の歌声を永遠に失ったのだ。残ったのは言葉をなさぬ、蛙のようなしゃがれ声だけだった。

    ――魔女。

     人々が少女を呼ばう。彼女は飛礫を投げられ、呪詛を浴びせかけられた。両腕を荒縄に捕らわれ、衆目の面前で引き摺られたあげくに罵倒され、剣でなぶられた。それも一度や二度ではない。
     兄は少女を守ろうと心に決めた。
     その細い手首が節くれだった木に結び付けられ、火に炙られる日など絶対にやってきてはならないのだ。
     少女は冷たい牢の中、髪を月光にきらめかせながら踊る。
     青い小花のドレスはふわりと漂っていた。今も髪から肩から、光が零れ落ちている。
     降り注ぐ月光は緩やかに色を変えながら、少女を照らしている。
     夜は静謐に優しく更けていった。
    ユバ Link Message Mute
    2019/11/20 1:34:39

    月の光

    少女は踊る、堅く閉ざされた岩牢の中で。

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