ものいへぬむしけらものの悲しさに 屯所に帰ると、門の前に幽霊がいた。違う、伊東がいた。門の前に立ってぼうっとどっか違うところを見ている。
しかもアレ、なんか足なくね?つか、体すきとおって門の木とか見えてねえ?
いやいやいやいやいやいやいや、コレはねえだろ、うんねえよ、な。
疲れてんなー、おれ。最近確かに忙しいつうか今まで伊東に回してたぶんの仕事をやってたからキてんのかもしんねえ。
おれは心の中でぼやいて、落とした煙草を拾って再び門の前を見た。
いた。間違いなくいた。
…マジで?
おれはせっかく拾った煙草をまた落とした。
「土方さーん、何してんでさ」
総悟が言って、もしもーし、とおれの顔の前で手のひらをぱたぱたさせる。
え、お前、アレ見えてねえの?
……マジで? や、おれだけとかねえよ、なあ。ちょっと季節感ありすぎんだろ。
おれは思わずひきつった笑顔を浮かべた。
その時だった。
伊東が、こっちを振り向いた。目が合った。で、笑った。
………マジで?
おれ、本当に憑かれて…違う、疲れてんじゃねえか。
「…総悟、あのさ」
「なんですかい。幽霊でも見たみてえな顔して」
みてえじゃなくて、見えてんだよ、こっちは。
「――…門のとこ、なんかいるよな?こっち見てるよな?」
「は?」
あからさまに怪訝な顔。何、そのかわいそうなものを見る目。
「門ん?」
いるよな?っていうかいるって言ってください。
「…あー…。女の生霊とかですかィ?」
んなわけあるかテメー…。
「…笑えねえ冗談ヤメロ」
おれは頭を抱え、ようやく現実を直視した。おれにしか見えないって、祟りとかそういう系統かよ?
…マジで?
おれは仕方ないので、落とした煙草を拾うことを諦めて、靴の裏でそれを踏み消した。
「総悟、お前、先なか入ってろ」
「…何まじな顔してんですかい、アンタ」
「いーから入ってろって。ちょっと話つけなきゃならねえから」
本当に頭大丈夫ですかい、と言いながら、結局総悟は大人しく中に入っていった。ちょうど、伊東の横を通るような感じで。
やっぱ本気で見えてねえんだな。
おれは小さくため息をついて、伊東のところに歩いていった。
伊東は相変わらず半透明で、おれをじっと見つめている。何か言いたげな――恨みがましいっていうよりも、もっと問いかけるような目。
「おい、何か言いたいことあるなら聞いてやる」
ただしなんもしてやらねえぞ。
と、そう付け加えた。むしろして欲しくもないかもしれねえが、な。
伊東はぎょっとしたような顔をした。
『見えるんですか?』
…見えてねえと思ったのかよ。
「残念ながら、な。…で、何が言いたくて出てるんだ?
一応言っておくが、誰がおれを祟ろうが恨もうが勝手だ、でも数が多すぎて、いちいちおれを恨んでる奴のことなんざ覚えてられねえぞ。それで構わねえってんなら聞いてやる」
伊東は目を丸くして、少し視線を落として考えこんだ。…幽霊のくせにそういうファンシーな顔すんな。
『…もしかして、なんか誤解されてる?』
「ぁあ?」
何が言いたい?
おれはいらついて、また無意識に煙草を取り出していた。
『…僕、人を探してるんだけど』
ユーレイの人探しって、ますますファンシーだな、おい。
伊東は顔を上げると、おれを穴が開くほど見つめた。
『こういう顔の子、見ませんでした?僕の弟なんだけど』
一言、奴が自分自身を指差して答えたので、おれは煙草をみたび取り落としたのだった。
「…なに、おとうと?」
『そう、弟。双子だから、おんなじ顔してるんですよねー』
まさしく伊東そのものの顔で、奴の兄だと名乗った幽霊は、にこー、と破顔する。
…表情違うだけで、こんなに印象って変わるもんなのか?
いくらなんでも門の前で(おれにしか見えないらしい)幽霊と会話するのは不審すぎたので、おれは幽霊を屯所の庭まで導いた。
池を見れば水面にはおれしか映らないが、おれの傍らには確かに、伊東と同じ容姿の幽霊がいる。しかも、恨むどころか見たこともないような朗らかな笑顔で。
表情の作り方でここまで違うってことは、おれは刀にとりつかれてた間どんな顔してたんだ?と、まったく関係ないことを唐突に考えてしまう。
『僕ね、鷹久っていうんです』
幽霊はそう言って、ふわりと微笑んだ。
『あの子のこと、迎えにきたんですけど、見つからないんですよねぇ』
鷹久はひょい、と庭の石を拾って、変なフォームで池に投げた。ボチャン。
『あー、やっぱダメか。ぴょんぴょん、って跳ねさせたかったんですけど』
僕ってこういうセンスまったくないんですよね、と言いながら、もう一回試みる。失敗。もう一回。失敗。
「…要するに、とろいんじゃないですか」
『ああー、やっぱり?』
思わずこっちまで敬語になったところで、鷹久は笑いながら振り向いた。
『だからね、僕、あの子が羨ましかったんです。昔っから僕は体が弱くて臥せってばかりで、そんな僕には、あの子はなんでも持ってるように見えた』
でも、うまく行かないものですねえ。
あの子にはあの子なりの苦しみがあって、そして誰もそれを理解しようとしなかったんです。
『知ってますか?…双子ってそれだけで不吉とされることがあったんです。だから時々、双子が産まれたとき片割れを殺すってこともあったんです』
聞いたことがないわけじゃない。おれの郷里は江戸の近辺だから開かれるのが早くて幸いにもそういった話は耳に入らなかったが、閉鎖的な地方では、まだ生きている風習だ。
そして殺されるのはたいていが、後に産まれた弟あるいは妹。
『…僕は長男であること以外は何も持たなかったけれど、あの子は長男であること以外の全てを持っていたんです』
せめて、あの子に長男であることを手渡してやりたかったんです、と言い、鷹久は池の淵にしゃがみこんだ。
『僕はあの子みたいに学んだり動いたりしたかった、あの子みたいに生きたかった。それと同時に、あの子の人生のために僕はできるだけ早く死ぬことを望んでいた』
「…死にたい、と?」
『だって、それが一番現実的でしょう?僕は元気になんかなれない、産まれたときから、終わりを見ながらそれを少しでも遠ざけられるように祈る人生だったんだもの』
だけど、と鷹久はふわりと笑って、抜けるほど青い空のような、そういう類の明るさで言った。
『本当に、うまくいかない。僕はあの子につらい思いばかりさせてしまった』
「…そうですか」
『うん。あの子が孤独だった原因って、結構僕にあると思うんです。だから、せめて謝りたくって、死んでからあの子の跡をくっついて回ってたんですけど』
おれは長いため息をついて、鷹久の隣にしゃがんだ。
なんか、だんだん読めてきたぞ、この兄貴。
「見えてなかったんですね?」
『うーん、なんでだろう?耳元で大声で叫んでも、分かってもらえなかったんです。それで、どうしたら見えるのかなーと思って、有名な幽霊…お岩さんとか累さんとかに聞きにいったら、ちょっと離れてるすきに今度は鴨太郎がいなくなっちゃって』
おれは絶句した。間抜けすぎるぞ、このユーレイ。本当に伊東と血を分けてんのか?
大体、ストーキングができない幽霊ってなんなんだ。近藤さん以下か? ゴリラ以下の幽霊か?
「それで人探し…と」
『うん、そしたら、知らない間にあの子死んでたみたいで、それで、今度こそ会えるって思ったら、会えないし…』
僕って本当に要領悪いんだよなーどうしよう、あの子が成仏できないでさまよってたら僕のせいかも、と鷹久はうなだれる。
いや、アンタも成仏できてないだろ。それにしても伊東と同じ顔と同じ声でこの台詞って、すごくシュールなんだが。
「…鷹久」
『ん?なに?』
くる、と鷹久はおれを振り返った。 あーあ、こういうのはガラじゃねえのにな、おれ。どう考えてもこういうのは、あの万屋の銀髪あたりに向いてる。
「おれの予想では、アイツはとっくに成仏してるな。アイツが化けて出るなら絶対おれだからな、そのおれが言うんだからまず間違いないだろ」
『そうなの?』
「…………。それに、化けて出るなんて可愛らしい性格してねえ。生まれ変わって物理的な仕返ししに来るほうがまだアイツらしい」
『あははは』
「…今頃、向こうであんたのこと探してんじゃねえか」
『そうかな…』
鷹久は呟いて、少しだけ苦笑した。
「…まぁ、おれの知ったことじゃねえが」
おれが言うと、幽霊は微笑う。
『あの子のこと、よく分かってんだね』
「んなわけじゃねえよ」
『そっか…』
「……何」
『あの子が、一人じゃなかったって分かったから』
そう言って鷹久はおれを覗き込んで、安心したみたいな笑みを浮かべた。
『…ありがとう』
―――一瞬、あの場面が目の前に再生されたみたいな気分になった。
そうだアイツも、こんな声で言って、そして死んだ。おれが、殺したんだ。
おれが、殺したんだ。
次の瞬間、鷹久は消えていた。見事なまでに跡形もなく、目を疑うほどに痕跡もなく。
鷹久。――いや、伊東?
あれは、いったい、誰だ?
「なんだったんだ…」
一人で完結して、成仏したのか?思うと、なんだか腹が立ってきた。
…なんて人騒がせな双子なんだあいつらは。
勝手に、おれのことを理解者だとかなんとか抜かしやがって。おれが局長なら裏切らなかっただと?孤独だと?
馬鹿いえよ。
「孤独じゃねえだろ、ちっとも…」
なかばどっちに向けての言葉かわからないままで、おれは呟いた。
風もないのに、幽霊がいたあたりの池の淵から、水面に細波が広がっていった。