trick or treat ! どうしてこんなことになったのか、おれ自身にもまったく分からない。
確か、パトカーを山崎に運転させて見回りをしていたはずなんだよ。空が見事なまでに秋晴れで、日を追うごとに高くなって寒さも増してきやがったし、特に日が落ちると冷え込むな―――あの姫さんが体調崩さなきゃいいが、とか、ぼんやり思いながら適当にチンピラの改造車を煽りながら(いや、山崎に煽らせながら)パトロールしてたんだよな。それで、途中でマヨのストックがきれかかってたことを思い出してでかいデパートに寄ったんだっけか。
そうしたらデパートから、よりにもよってあの死んだ魚のような目をした銀髪と酢コンブをくわえたチャイナが出てきやがったんだ。しかも、おれが無視を決め込む前に、あ、多串君、ときやがる。手前ら、いつかまとめてしょっぴくぞ。
「ちょっとさあ、多串君。協力してくんない? 江戸城連れてってよ。連れてってくれたら5年前?あれ?7年か?まぁ、そのくらいのジャンプあげるからさぁ」
いらねぇよ。むしろ、その微妙な古さはなんなんだ。
「バカか、んなことできるか」
そう言ったら、桃色の髪のチャイナが銀髪野郎の背中の方をのぞきこんで、
「じゃあ、そよちゃんずっと万屋で暮らすアル。良かったアルネ」
――…おい、その爆弾発言は何だ。
今日の護衛の担当は誰だったか、…山崎だな。いや、山崎は今おれとパトロールしてたな、そういや。そんなことを考えていたら、銀髪野郎の後ろからひょこっと小柄な影が顔を出して――――おれは、火をつけたばかりの煙草をシートの上に落とした。
もったいねえ、そんなことを頭の片隅で思った。
どうしてこんなことになったのか、私自身にもまったくわからない。
青いそらがぬけるようにきれいで、頬をなでる風はもうつめたくて、あぁ、秋なんだな、とおもいながら私は朝食の御前がかたづけられるのを待ってた。
自分の体温も他人の体温も、全部とかしてひとつにさせてしまうんじゃないかってくらいの夏の暑さも遠くなって、すこしづつ庭の色彩も減っていって。こんなふうに毎日をすごしてるうちに、きっと冬がきてしまうんだろうな。
―――雪はきれいだけれども、むごいとおもう。すべての色をおおいつくして、すべての音を、最初からなかったみたいに、まっしろく埋めてしまう。すいこむ息はつめたくて、言葉すらもこおらせてしまう。だから、いたいくらいの寒さが、私と、それ以外との、壁、みたいなものを、嫌でもかんじさせる―――。
そんなことをかんがえていると、いつもどおりの時間に沖田さんは江戸城にやってきて、いつもどおりにさわやかにわらったかとおもったら、開口一番、
「姫さん、城抜け出しやしょうぜ」
なんて言ったものだから、私は、は、とききかえしてしまった。沖田さんはそこで、にやっと笑った。
「チャイナが姫さんと会いたがってまさぁ」
そんなことを言われたら、いてもたってもいられなかった。ただ、無性に、あのこに会いたくなった。そよちゃん、とよんでほしかった。
ともかくうなずくと、沖田さんは、静かにしてくだせぇ、と言ってどこからか調べたのか城の抜け道をつかって、いとも簡単に城内から出てしまった。いいのかしら、こんなに出入りが容易で。…兄上、お庭番の人選、もうすこし考えたほうがいいかもしれない。
そんなふうにすこし不安があたまをかすめたけれど、すぐにそんなことはどうでもいいことみたいにおもえた。
だってあのこは、私をそよちゃん、とよぶたったひとりの親友なのだから。
迷路のような生垣を沖田さんの手をかりながらどうにかくぐり抜けると、真選組のものらしき車がよこづけされてあるのが見えた。当然のようにあのこはボンネットの上にすわって酢こんぶを食べながら、万屋の死んだ魚のような目をした人となにか楽しそうにはなしてるみたいだった。ふ、と私にくるくるとよく動く目をむけると、ぱっとかがやくようにわらった。
「そよちゃん!」
そうやって、わらって呼んでくれることが、なによりもうれしい。気づけば、おもわず彼女に走りよっていた。
「ひさしぶりアル!」
うなずいて、私は少しかんがえてしまう。話したいことやききたいことはたくさんある。ありすぎて、なんてはじめたらいいのか、わからなくなってしまった。こういうときには、なんて言ったらいいんだろう?そんなふうにおもった瞬間に、彼女はわらって言う。
「元気だったアルか?」
「…うん。神楽ちゃんは?」
―――そっか、そんなふうに、言えたらいいんだ。こうやって、相手の心配をして、あたりまえのことだけれど、うれしくてしかたがなくなる。だれかに気にかけてもらってるってことは、すごくしあわせなことなんだなっておもう。
こんな、友だち同士のなにげないやりとりが、すごくありがたいような、気がしてた。
「あのね、そよちゃん」
私がなに?って聞いたら、彼女は沖田さんとよくにた笑みをうかべた。
「私、そよちゃんにプレゼントがあるアル。…一緒に、来てほしいアルよ」
そうして私はくるまに乗って、あっというまにこんなことになってしまった。
ほとんど泣きたいような気持ちで、私は沖田さんをみた。
「…あのっ」
「なんでさァ」
「…変じゃ、ありません…っ?」
「よくにあってるアル」
神楽ちゃんは笑いながらいう。―――ほんとに?
気づいたら、私はなんだか服?のたくさんあるところに連れてこられていて、そうして結局たくさんの服を着ることになって―――銀髪の人にきいたら、「ん?マイフェアレディとかに影響されたんじゃね?あの二人」とか言ってたけど―――。
そのうちに沖田さんが「そろそろ土方さんがここの前を通る頃ですぜ」とか言いだした。
―――ひじかたさん?…って、ええっと、つまりは。
「私、かえります!」
とっさに宣言してももう遅かったらしい。沖田さんはすばやく店の人に真選組の土方につけといてくだせぇ、というと、これもまた嫌がらせの一環でさァ、と楽しげにつぶやいて私を連れ出した。
「…いやです!ぜったいに笑われるもの!」
私が必死の抵抗をして叫ぶと、銀髪の人が薄笑いをうかべて、
「いや、それはねえな」
と、いやに自信ありげにいった。―――どうして?なんだかここには味方がいないような気分になってきた…。
きれいに晴れわたった秋空のしたに、真選組のくるまをみつけたときには絶望的なかんじがした――――あぁ、どうして、こんなことになっちゃったんだろう…。
あのひとの、声、がした。あきれたような、うんざりしたような、そんなこえ、で―――だけど、どうしようもなく胸がしめつけられるように痛んだ。耳朶をうつ、音の、ひとつひとつが、あの人のかけらだとおもうと、息が、できなくなった。
私は、いつのまにか、銀髪の人の背中をぎゅっとつかんでいた。こころがどうしようもなくいたくて、神楽ちゃんにうながされて、ようやく顔をあげた。どうしよう、ふるえる…。
銀髪の人の背を、つかんだまま、私はあのひとをみた。
あのひとは、私をみかえして、わらわなかった。
やけに真剣な、目、を、して―――それがすごく、ふかい、やさしい色を、していて―――私は、息がくるしいのさえ、わすれた。
この瞬間が、ずっとつづけばいいのに、と、どこかですこしだけ、おもっていた。
彼女、をみた、その瞬間、おれは、何もいうことができなかった。
彼女は普段から絹の美しい衣装を身にまとい、その長い髪を揺らして、いかにも姫さま然として歩くのが、あまりに当たり前だった。
―――だから、なんだろう、な。そんなふうに、ところどころ色落ちをさせられ、光沢をおさえられた深紅のレザーでできた、縦横無尽にステッチの入った古着のようなミニに、アッシュグレイの大きなファーを無造作に細い首に巻きつけて、黒いとんがったブーツをはいてそこに立っているのが、姫さんだなんてとっさには思えなかった。
普通は、その身長でこの服を着たら服に負けるんだろうが、この姫さんの場合、生まれつきのオーラみたいなもんが服のパンチを越えちまうらしい。長い髪をアップにしたその様も、おそろしくにあっていて、ぎょっとした。
彼女自身には自覚がなさそうだったが、彼女は自然とその場の注目、みてえなもんを一身に集めていた。そりゃあ、そうだろうな。―――発案は、間違いなく総悟だな、…ったく、なんてことをするんだ、あいつは。思って、おれは舌打ちをした。
おれは溜息をついて、落とした煙草を横目でみて拾った。シートに黒く焼け跡が残った。職務上、姫さんを城に連れ戻さねえわけには、いかねえから、車を降りることにする。車のドアを叩きつけるように閉めた。
「……あの…っ」
姫さんの消え入りそうな声に、おれは振り返った。姫さんはうつむいていた。
「似合いません、よ、ね…?」
…どう答えりゃいいんだ、これは。
「…そんなこともないですよ」
どうにか言った、そのとき、後ろで車のエンジン音が響いた。―――山崎、手前…!
車の中には、当然のように銀髪野郎とチャイナが居座ってやがって、大串君、じゃーねー、だなんて手を振って遠ざかっていった。覚えてろ、山崎。
当然、おれと姫さんが残されるかたちになった。どうしろっていうんだ、これは。姫さんとも思えない姫さんと、二人でこんなところに残されて、しかも車もねえときやがる。おれは頭をかかえた。始末書、山崎な、総悟が書くとは思えねえから。
「…そよ様。どうしますか?」
うつむちまってる姫さんを、極力みないようにして聞いた。―――髪をアップにしてるぶん、その白いうなじがいっそう鮮やかで、それを見ちまうのはやばいような予感がしていた。どうしますも何も、城に連れ戻すんだろ、ということに気づいて、我ながら混乱を自覚する。あー…、これ以上、この姫さんとふたりでいるのは、まずいかもしんねえな。
「…さま、ですか?」
ぽつりと姫さんが言う。は、とおれは聞き返した。
「…あの…、この、格好で、さま付けは、かえって目立つとおもうんですけれど…」
目立ってる、自覚があったのか、そう思って、次に言葉の意味を理解、して―――返す言葉を、なくした。めまいが、しそうだな、おい。ふ、と、上目づかいに見上げてきた姫さんが、どうしようもなくかわいくみえた。
―――待て、おれ、正気にかえれ。総悟の思う壺か、これは。覚えてろ、総悟…。
「…じゃあ、なんと、呼べば?」
聞くと、姫さんはわらった。―――なんとなく、予想がつかないでも、ないんだが。
「そよ、と、呼んでください」