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    孤独な少年の物語 篠付く雨が馬車を覆っていた。窓の外をごうごうと音を立てて風が行過ぎる。自然、会話は途切れがちになり沈黙が満ちる。
     ルンゲが雨で煙る窓を眺めてどれくらい経っただろうか。向かい合わせに座ったビクターがおもむろに「寝る」と一言だけ口にして、アンリの腕に凭れかかった。アンリが何をか言う暇さえなく、ビクターは寝息を立て始める。
     アンリは少し驚いたように俯いたビクターのつむじを見つめ、やがて目元で笑ってビクターの姿勢が楽になるように腕を動かした。
    「アンリ様」
     ルンゲが呼ぶと、アンリは視線を上げていたずらっぽく歪めた唇に人差し指を当てた。
     静かにしないと僕たちのおさな子が起きてしまいますよ。
     そうとでも言いたげな振る舞いに、ルンゲは心配が杞憂に終わったことを知る。
     アンリに寄りかかるビクターの前髪の影に、安らかな瞼のかたちが覗く。何一つ心配などないような顔をして眠っている。その表情に胸を突かれて、ルンゲは再びアンリに目をやった。
     アンリはもうこちらを見てはいなかった。ただ愛しげに頬を緩め、ビクターを眺めていた。

     あの頃は、私ひとりだった。
     時間が巻き戻るような気がしていた。ジュネーブを離れる汽車の中、小さな少年と従僕がひとり。

     ビクターはジュネーブを追われるように留学に出されていた。見送りはたった一人、姉のエレンだけ。ビクターの父が村に住み始めて十余年、研究の傍らで村の人々を救い続けた。その長子の門出としてはあまりにも寂しいものだった。
     ルンゲはそもそも、フランケンシュタイン家に仕える執事の一族であった。それがビクターの祖父から一族の土地の相続権と共にビクターへと継承された。ビクターの母の弟、叔父であるステファンには娘が一人きりであったことから、祖父の遺言によりビクターは十歳にして領地と城を保有することになったのだ。
     ビクターの後見人になったステファンは莫大な仕送りを約束し、ビクターを留学させた。エレンとも引き離すその判断は非情のように見えて、ある種、ビクターの保護であることもルンゲは承知していた。
     ジュリアの子犬を蘇らせたビクター。彼の黒々と透徹した瞳は迷ってなどいなかった。生まれ落ちたものは全て死すべき運命であるのに、その摂理を乱すことにいささかの躊躇も感じない。蟻の巣に水を流して遊ぶような残酷で浅はかな子供の遊びとは訳が違う。神の摂理を覆す、彼は悪魔メフィストフェレスのおさな子か、あるいは欲望に駆られたファウストか。いずれにせよ、彼は「そのように」生まれてしまったのだ。
     ルンゲは幼い主人の小さな背中を見下ろしながら慄然としていた。鈍い痛みが頭蓋を締め付けていた。この、子供は、おそらく、まともには、生きていけない。
    ――彼の昼に呪われてあれ、夜に呪われてあれ、彼の臥すに呪われてあれ、起くるに呪われてあれ、彼の外出するに呪われてあれ、帰り来たるに呪われてあれ、主は彼を許したまわじ――
     恐ろしい予感に苛まれるルンゲの耳にステファンの一喝が飛び込んだ。
    「呪われている、こいつをすぐに留学させろ」
     それは衝動的に出た言葉であっただろう。しかしあの閉鎖的な村ではビクターは遠からず発狂か、あるいは弾劾か、呪われた運命から逃れられまい。
     留学先の都会でならばまだ、彼のような子供を受け入れる余地もあるかもしれない。僅かな期待に望みを託した。
     ルンゲは汽車に揺られていた。人に見られることを嫌うビクターのために客室を取り、向かい合って座っていた。二人だけの客室はむやみに広く感じられる。ビクターはやはり、窓の外を眺めていた。景色を見ているのか、あるいは何も見ていないのか。少年の横顔からは窺い知ることができなかった。
     寂しい、とさえ言わなかった。
     母を亡くし、父を亡くし、少年の表情は次第にこそげ落とされていった。微かに光が点るのは、ジュリアと過ごすときだけであったのに。
    「僕と一緒じゃ君も呪われる」
     そう口にした少年の胸のうちを思うと悲しかった。しかしルンゲは知っていた。自分の中にもこの少年を恐れる気持ちがある。
     彼に寄り添えるのは、まだ幼いジュリアだけだった。それもやがて大人になれば失われるのかもしれない。
     生まれながらにして追放者であったおさな子は、果たしてどのように生きれば良いのだろう。どのように生き、どのように笑い、どのように恋をして、どのように死ねば良いのだろう。
     誰とも共にあれない。人間の世界の扉は彼の目の前で閉ざされて、決して開くことはない。荒野にひとり、存るしかない生き物の行方を案じながら願った。
     せめて彼の呪いが少しでも緩やかであるように。彼の運命が彼に牙を剥くことのないように。いつか、彼の呪いが消えるように。

     馬車の中は静かだった。ビクターの安らかな寝息だけが聞こえていた。
     アンリはビクターに腕を貸しながら、うつらうつらとまどろんでいた。その光景に知らず頬が緩む。
     その日、ビクターは帰ってくるなり「人探しだ」と言い、ルンゲにアンリ・デュプレという人物のことを調べさせた。インゴルシュタット大学出身で、ビクターの後輩にあたる。孤児だが非常な秀才で、教区での推薦を受けて高等教育を修めた。能力、人物ともに問題ないという評判にも関わらず、彼はその出身でもある司教座聖堂に縁を切られていた。彼の異端の研究がカトリックの教えに反したためだ。死体の再利用理論において生命科学界に波紋を引き起こした男は、今は研究を辞め、軍医になっていた。
     それを聞いたビクターは「馬鹿な」と吐き捨てた。あれだけの研究をした男が軍医など、と呟いたビクターの語気の鋭さに、ルンゲは驚いていた。
    「行くぞ、ルンゲ。アンリを探す」
     言うが早いか、ルンゲはすぐにウェリントン公爵の書状への返事を書いた。ナポレオン戦争のさなか、兵士研究所の責任者への着任を要請する手紙に、ビクターは一言「承諾致しました」とだけ返した。
     目的の男はすぐに見つかった。敵兵をも治療する軍医はあらゆる場所で軋轢を生み、彼のいる戦線は容易に把握できた。
     なぜビクターがそれほどアンリに執着したのか、ルンゲには最初、わからなかった。同様の研究をする者に今までビクターは会ったことがなかったからであろうかとも思ったが、どうも違うようだった。
     顰め面が癖であったビクターが微笑みさえ浮かべ、君は今日から僕の部下になった、一緒に来い、と言った。まるでアンリは着いてくるのが当然であるかのような振る舞いに、言葉ほどの傲慢さはなく、ただ素のままの好意だけがそこにあった。ルンゲは今まで、ビクターが誰かにそのように接するのを見たことがなかった。衝撃が去らないうちに、ビクターはアンリを伴い、戦線を離れた。
     それから一年余りが過ぎた。部下であったアンリはやがてビクターの友人になった。彼らの関係に友人という概念が正しいのかは分からない。
     戦争が終結し、帰国を促す再三のステファンの手紙にも頷かなかったビクターが、ジュネーブに帰ることを決めたのはアンリの言葉があったからだ。
    「待っていてくれる人がいるなら帰るべきだ」
     アンリはビクターの過去を知らない。なぜジュネーブを追われたかもアンリには見当もつかないだろう。それで良いのだろう。
     何も知らないでいることが、時には誰かの救いになりうるのだ。
     互いに寄りかかって眠るビクターとアンリに向かって、ルンゲは微笑んだ。
     呪われたおさな子は、もういない。

    ユバ Link Message Mute
    2019/11/27 10:24:27

    孤独な少年の物語

    幸せそうなビクターとアンリをルンゲが見守る話。
    再録。2020年再演おめでとうございます! #フランケンシュタイン #アンリ #ビクター

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