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    きみよ知るや──最初は、なんとなく気に入らない人事だと思っていたのだ。
     友尚は軍人だ。十五歳で軍に入り、一兵卒から功を立てながら禁軍の師帥にまでなった。自分の腕に恃むところは当然大きかったし、兵卒の扱いにも自信がある。師帥では珍しく軍学出ではない、そのことから成り上がりと陰口を叩かれたが気にしなかった。気にしてはやっていられない。
     軍では階級がものを言う。階級を上げるほど友尚のような叩き上げは少なくなった。軍学は出たものの腕もない、頭も使えない連中が多くなる。彼らは一兵卒のことなど頭にもない。友尚の前の上司もそういう男で、戦死したときもそうかという感慨しか沸かなかった。士卒であるから明白に命令に背いたことはないが、大した思い入れはない。そんな上司に辟易して友尚を慕う兵は多かった。
     その後、配属されたのが禁軍右軍将軍の阿選の下だった。軍学のときから秀才の誉れが高く、大学を経て一足飛びに旅帥として入営した。その後も功を立て続け、禁軍右軍を預かるようになった男だ。常勝無敗で周囲からの評判も良い。
     友尚が辞令を受けて最初に思ったのが、実際に配属されてみなければ分からぬ、ということだ。上層部での受けが良くても兵卒のことなど眼中にない将など五万といる。
     士卒であるからにはどんな命令にも従う。その是非は問えない。だが平然と兵卒に無謀な命令を下して死んでこいと言う連中を友尚は軽蔑していた。そのような命令を下されると、友尚の権限で可能な限りは兵卒がなんとか帰ってこられるような指示を与えて送り出した。
     友尚と同時に阿選の指揮下に入るよう辞令を受けたのは恵棟という男だった。やはり軍学、大学を経た男で、軍に入ったのは友尚と同年であるが友尚が功を立てることで階級を上げたのに対して、恵棟はその頭脳を買われて階級を上げていった。だから好敵手だと思ったことはない。敢えて言うのであれば、今は疎遠になった幼馴染に再会する感覚に近い。
     辞令を持ってきた下官を返し、友尚は身支度を整えてから阿選のところへ挨拶へ赴いた。すると阿選の元には既に恵棟がいた。
     一通りの挨拶を済ませると阿選は言った。
    「慣れない環境になるが、しばらくは二人助け合ってほしい。何か困ったことがあれば相談に乗ろう」
     同年で軍に入り、同時に阿選の下に配属された。これから友尚と恵棟は顔を合わせる機会も増えるだろう。
     阿選の元を辞すと、友尚は恵棟に向き直った。
    「久しいな」
    「ああ、まさかここでまた一緒になるとはな」
     しばらく旧交を温めた後、恵棟は笑う。
    「私は現場の経験が浅いから、何かと頼らせてもらうかもしれない。よろしく頼む」
    「こちらこそよろしく。知ってるだろうが俺は細かいことは苦手だから、相当に頼らせてもらうと思う」
     しばらくは何事もなく過ぎた。阿選軍はなるほど評判通り、品行の良い部隊だった。軍規の遵守という点においては今まで友尚が属した中でもずば抜けている。まず将軍の阿選からして規律正しさを絵に描いたような男だった。かつ穏和で清廉、折り目正しく、人をよく見ている。わずかな軍規違反も見逃さないが、厳格に運用するというわけでもない。事情を質し、やむを得ない事情があれば目こぼしさえしてやった。
     阿選の麾下の連中は主公に心酔していた。阿選は無敗の名将だが態度に一つも驕るところがなく、優しく親切だと彼らは言う。麾下を名乗る以上は行いを正しくせねばならない、と阿選を倣う。それは友尚としても有難かった。慣れない環境下だが、将の阿選も麾下も、友尚や友尚の兵らを気にかけてくれる。やりやすい職場なのは確かだ。
     それでも引っかかるものがあるのは自分の屈託なのだろうな、と友尚は苦笑する。阿選は出来すぎだ、という気がする。阿選は今は仙だが元は人間だ。人間である限り、完全無欠で欠点がないということがあるだろうか。
     あるのかもしれない、と思った。自ら行いを律して、よりましなほう、ましなほうを選択するようにしていけば、外から見ればそのように見えるのだろう。
    ──所詮、俺は叩き上げということだ。
     人間には分というものがある。阿選はなるべくして禁軍の右軍将軍になったのだろう。
     なんとなく蟠りを抱えたまま、その年が暮れていく。友尚や友尚の麾下が阿選軍に馴染んだころに王よりその命令が下された。
     凱州に乱あり。州師は三度潰走により軍を立て直すに能わず。よって禁軍を派遣し、乱の平定を計る。
     始めは中軍が派遣されることになった。難しいだろうな、と友尚は思った。三度州師を破っているということは叛乱軍の士気は高く、用兵の巧みな者がいるのだろう。あるいは軍人崩れが指揮をしているのか。
     年の瀬が迫り戴の大地が凍り付き始めたころ、恵棟が友尚の元にやってきた。配属された当初は友尚と恵棟は並べて扱われることが多かったが、二人とも阿選軍に馴染んでからは会うことも少なくなっていた。恵棟は自分とは毛色が違うとは思うが、明敏で話がはやい。軍吏の身なれど、これを兵卒はどう思うだろうか、と気にかける姿勢も気に入っていた。
    「年明けから、凱州に行くことになる」
     恵棟はそう言った。
    「辞令があったのか?」
     友尚が訊くと、恵棟は首を振る。
    「正式なものはまだだが、内示があったそうだ。郊祀が終わると同時に公表されるから、すぐに出立できるよう準備をしておくようにと」
    「なるほどな」
     冬の行軍は物入りだ。兵卒の防寒具や雪への対処、ひとつ間違えれば戦の前に全員が凍死しかねない。そうでなくても寒さで体力が削られた兵など使い物にならない。万全の対策を整えようと思えば物資が豊かな禁軍でも一か月は準備期間に宛てたい。
    「中軍は負けたのか」
    「というより膠着しているらしい。兵も疲弊している。一度引き上げさせて、常勝の右軍で片をつけさせるつもりなのだろうと思う」
     阿選軍の幕僚である恵棟は師帥よりも余程情報がはやい。友尚は溜息をついた。
    「要は便利屋のようなもんか」
    「おい」
     恵棟は周囲を気にする。阿選は無敗の将でかつ政治向きの才覚も高いから、戦でも政でも困りごとがあると最終的に阿選に回ってくることが多かった。その阿選の手足のように動くのは部下の仕事だ。禁軍は平常時でも忙しいが、その上でそれら厄介事を切り回すから阿選と阿選の部下は多忙を極めた。
     禁軍左軍将軍の驍宗も阿選と同程度に有能で怜悧な男だったが、些か人を扱うことが不得手でもあるようで、強引だと評されることも多かった。ゆえに人の心の裡を測るような精妙で厄介なことほど阿選の元に持ち込まれる。
    「兵卒の装備等で足りないものや必要なものがあったら言ってほしい」
     恵棟は言い残すと、すぐに他の師帥にも同様のことを伝えに行った。
    ──さて、どうなるか。
     友尚が阿選の下に配属されてから初めての行軍となる。お手並み拝見、という気分だった。

     年が明け、辞令が下るとほぼ同時に阿選軍は鴻基を出発した。
     鴻基のある瑞州の南、委州を挟んで凱州はあるが、南下するからといって暖かくなるわけではない。この時期、戴は全土に渡って凍り付く。兵卒のことを思うのであれば冬の行軍などすべきではない。だが王命が下された以上、士卒に否やはいえない。
     行軍での休憩は多かった。防寒のため重装備の兵は疲れやすい。元より雪道を大軍で通るのだから、歩みが遅くなるのは当然だった。
     叛乱軍の牙城である城では、禁軍中軍が引いたあとに州師が包囲を続けているらしい。この季節では叛乱軍のほうも碌に動けないだろう。大して焦る必要はないと判断でき、行軍は比較的穏やかに進んだ。
     一カ月かけて凱州に入った。友尚は兵卒の凍傷を心配していたが、どの兵も軽度で済んだ。阿選やその幕僚たちはよく準備をしてくれた。ここまでの日程もおおよそ予定通りだ。実に頭の良く回ることだと感心する。
     凱州に入ると、阿選は州侯に使いを出した。本来であれば州侯と顔を合わせておくべきだが、凱州城は遠い。一直線に叛乱軍を下しにいくほうが効率がよく、兵卒に無駄な動きをさせずに済む。
     その後、南下を続けた禁軍は州師と合流した。州師はそのまま阿選の指揮下に入り、両軍で叛乱軍の牙城を幾重にも囲んだ。
     勝敗はあっけないほど簡単についた。阿選は内部から叛乱軍を切り崩した。
     禁軍中軍が引いてからも州師の包囲は続いていた。それも冬の厳しいさなかのことだ。叛乱軍の越冬の準備は万全ではなかった。そして最も寒さの厳しい二月に、備えの豊かで、常勝無敗と名高い阿選軍が到着する。
     冬の行軍はつらく険しいが、阿選軍はほとんど兵卒を疲弊させないまま凱州に入っている。供給路も万全の状態だ。
     州師を三度破り、士気が高い状態でも身体的、精神的疲労はどうしようもない。叛乱軍は烏合の衆であるから、訓練を受けた兵卒よりも遥かにそれらの疲労に弱い。また、普通は数か月も城に立てこもれば地縁ができる。地元の娘と関係ができた若者を抱き込み、内側から叛乱軍を割ったのだ。
     阿選は統率を欠いた叛乱軍を一気に叩き、城を制圧した。明け方に戦闘を始め、半日もかからなかった。見事な手腕だ。しかし、首領を捕らえることはできなかった。州師に任せていた城の西の一部が決死隊によって突破され、叛乱軍の首領とその一派が敗走した。
    「追え!」
     友尚は麾下に号令をかけた。首領を捕らえられぬでは鎮圧にはならない。捕縛、ないし首級をあげることが肝要だった。
     捕虜によれば、叛乱軍の首領は果たして軍人崩れだった。元は王師の士卒で、大学を出ていると誇っていたらしい。
    ──くだらん。
     友尚は報告を聞きながら呆れていた。げんなりしていたと言って良い。過去の栄光を引きずり現在にも転化しようとするなど、愚かにもほどがある。
     兵は武器だ。武器にとって重要なのは現在使えるかどうかで、過去など無用だ。また、未来を考えるのも武器の役割ではない。現在下された命令が兵にとっての全てだ。常に現在しかない、それが士卒だと友尚は思う。
     だが首領は決して無能な男ではなかった。寡兵だが禁軍と切り結びながら、日暮れに近隣の山に飛び込んだ。逃走を許すわけにいかず、夜を徹しての山狩りとなったが、首領を見つけることができなかった。
     そして翌日、大怪我を負った男が州師に保護される。彼は近隣の村の里宰であるという。いわく、昨夜、賊に押し入られ里を奪われたと。
     急行すると、里はすでに門を閉ざしていた。門の前には叛乱軍の敗残兵が構えていた。つまりは彼らはこの里で籠城を続けるつもりなのだ。──内側に、女性や子供、老人を含む多くの人質を取った上で。


     恵棟は頭を抱えていた。敗残兵が里に籠城する。里は戦を前提とした造りになっていないから、入る隙はいくらでもあるがそれだけに攻めあぐねた。
     斥候によればおそらく民は里家に集められている。敗残兵はそれの周りを守っているという。しかし攻撃すれば必ず里を破壊する。それに敗残兵らも元は荒民や浮民が多く、武器を持たねば里人と区別がつかない。里人を解放するつもりが敗残兵を逃がすことに成りかねない。
     阿選の麾下や司令部でも完全に意見が割れた。謀反人は討つのが道理であり、大義を優先して里を攻撃すべきだという者がいれば、人質になっている民をどうするのかという反論が上がる。
     議論の紛糾する中、阿選は静かに言った。
    「叛乱軍を説得し、投降を促す」
     恵棟は驚いて阿選を見る。
    「手負いの獣だ。失うものがない以上、どんな凄惨なこともするだろう。下手に刺激をすれば里人は皆殺しにされる可能性がある。それだけは避けねばならない」
     麾下らの呻く声が聞こえた。
    「敗残兵を逃がしたのは私の失策だ。民に犠牲は出せない」
     阿選は断言する。彼らを逃がしたのは凱州師だ。禁軍の阿選麾下であれば逃すようなことはしなかったに違いない。
     ですが、と恵棟の上司にあたる叔容が言った。
    「鴻基から持参してきた物資は往復のものと、最低限の余剰しかありません。補給路はあっても、禁軍一軍を養うには到底間に合いません」
     対して、越冬の準備をしていた里には充分な蓄えがあるはずだ。恵棟は拳を握りしめる。これは、長期戦になる。
     阿選は眉根を寄せた。
    「済まないが、兵には苦労をかける。……耐えてくれ」


     視界に友尚を認めると、兵卒はすぐに礼の形を取った。友尚は笑ってそれを止めさせると、彼の隣に立つ。
    「まだ冷えるな。寒くないか」
    「いいえ」
     兵卒はかぶりを振った。鼻も頬も耳も赤い、まだ少年の面影を残す兵士だった。
     里を囲んで、すでに一カ月が経とうとしていた。暦の上ではそろそろ春になろうかという時節だが、戴の冬は長い。朝晩は大地が芯から凍りつき、見張りの兵の足下から熱を奪っていく。地面が凍らなくなるまではあとひと月、雪が溶けるまでには更にあとひと月かかる。
     鴻基を新年に出発して三か月、兵卒の装備は草臥れ、綿入れはすっかり萎んで保温の用を為さない。補給こそあるものの、兵站は細くなってきていて、それも荒天が続くと絶える。兵卒の疲労は深かった。
     兵卒の職務は戦うことだ。治安の維持、待機や警護も任務の内に含まれるものの本来の仕事ではないという意識がどこかにある。
     この戦でまともな戦闘があったのは叛乱軍の城を落とした半日だけだ。それ以外はずっと敵を囲んでいることになる。今にも戦闘が始まるという緊張感があればまだ良いが、こと里を囲む段になってからは不要に牧歌的な雰囲気が流れてしまい、兵卒に緩みが生じていた。それでも明白な軍規違反が見られないあたりがさすが阿選軍と言うべきかもしれない。
    「交代しよう。休め」
     友尚が言うと、兵卒は笑って再び礼を取り、門から程近い野営に帰っていく。野営は里の近くと、少し歩いた街道沿いにも作られていた。
     正直なところ、友尚もややこの状況に飽いていた。しかし無闇な攻撃はならぬという命令も理解している。
     敗走する叛乱軍の首領を追ったとき、捕えられていれば良かったのだ。友尚は確かにその背を視界に見つけていた。森で逃がしてしまったのは明らかな失敗だった。常勝無敗の将を戴き、現に半日で城を落とした。そのことに高揚していたのかもしれない。
     自らの不明を恥じても仕方がないが、巻き込まれて人質になっている民が不憫だった。無事に解放してやれれば良いが。
     里にやった使者はなしのつぶてで帰されてきたが、夜陰に紛れて偵察にいくとやはり里家には大勢の人の気配がある。人質としての用があるうちは殺されないのではないか、と友尚は思った。
     日の入りの時間を考えるとそろそろ太陽は中天にさしかかるころだ。しかし相変わらず雲は厚く垂れこめ、風は冷たいままだった。足の下で土が音を立てて、霜を踏んだと知る。
     戦況は明らかに膠着していて、打開する気配がない。里のほうもこのまま籠城を続ければ食糧が尽きるのは確実だが、その場合おそらく最初に行われるのは口減らしだ。食い扶持を減らせばより長く籠城することができる。あるいはそれが既に行われている可能性さえあった。
     阿選は辛抱強く使者をやって投降を促しているが、果たしてどうなるのか。
     友尚が考えながら里の門を見つめていると、背後で騒ぐ気配があった。顔を顰めて顧みる。野営で休憩をしているはずの兵卒らが、取っ組み合いながらまろび出る。
     二人の兵卒が喧嘩をしていた。その周囲で囃し立てる者、止める者、様々ではあるが皆、興奮状態にある。
     血の気の多い兵卒が丸三か月も碌に戦闘もなく、かといって安穏と休めるはずもなく、極寒の地で野営を強いられているのだ。精神的な疲労は頂点に達しているだろう。
    「止めないか!」
     友尚は走ってそちらに向かい、一喝した。
     兵卒らは喧嘩をしている二人を引き離す。片方は友尚の隊の伍長で、もう片方も阿選の麾下の伍長だったはずだ。どちらも雪と泥にまみれていた。
    「我らは任務中であることを忘れたのか。馬鹿なことをするんじゃない」
     叱責すると彼らは恥じたように顔を伏せる。友尚は息をついた。
    「それで、喧嘩の原因はなんだ。それによっちゃ情状酌量してやらんでもないぞ」
     訊くと、喧嘩をしていた二人は視線を交わす。
    「……なんで攻撃をしないのかって話になって」
    「ほう?」
    「俺達はもう城を落としたのだし、本来の命令は既に果たしているはずです。里のことは気の毒だが、さっさと攻撃して首を挙げるか、捕えるかして鴻基に戻ったほうがいいんじゃないかって」
    「でも、それは阿選様の意向じゃない」
     阿選の麾下の伍長が噛みついた。
    「なるほどな」
     また喧嘩が始まりそうなのを察して、友尚は威圧するように言った。
    「ここは禁軍右軍、丈阿選将軍の率いる軍だということは忘れたか」
     友尚は自分のところの伍長を睨みつける。
    「兵卒にとって命令は絶対だ。その是非を問うのは我らの仕事ではない。その程度のことも分からずに禁軍に籍を置くか」
    「……それは」
     彼は言葉もなく顔を伏せた。
    「お前はしばらく任務を外れろ。軍規に照らし、追って処分を伝える」
     友尚が命じたときだった。
    「厳しいな、友尚」
     背後から声が掛けられる。友尚は驚いて振り返った。
     阿選が恵棟を伴い、近くに歩いてくる。友尚は咄嗟に畏まって、阿選に苦笑された。
     阿選はそのまま友尚のそばを通り過ぎ、兵卒の前に立った。
    「お前たちの不満は尤もだ。戦うこともせずにいつまでも里を囲んでいるのは無駄に思えるだろう。おまけにこの寒さだ。早く家に帰してやれないのを済まなく思う」
     兵卒は唖然として阿選を見上げる。恵棟も困惑しきっていたが、それ以上に友尚も戸惑っていた。
    「だが、囚われている民はどうだろうか。いつも通り生活していたら賊が里に入り、虜囚となった民の気持ちは? 明日も命があるか分からない、そんな状況に突然、意味もなく投げ込まれた里人はどうしたらいいのだろうか」
     阿選は兵卒一人ひとりの顔を覗き込んでいるようだった。
    「友尚の言うように、ここは禁軍だ。禁軍は主上以外には従わない。我々は主上の意志の実行者と言い換えてもいい。その我々が、民を見捨てて良いということがあるだろうか? ましてや民を見殺しにすることを前提に攻撃するなどあってもいいのか?」
     兵卒はうなだれて聞いていた。
    「不平や不満を持つのは当然だ。しかし我々は民より遥かに強大な力を持ち、禄を食む。そのことの意味を考えてほしい。民に奉仕することを忘れた兵は、ただの暴力に成り下がるのだ」
     阿選は静かに言い切って兵卒を見渡す。誰も顔を上げない。それが何より阿選の言葉の効果を示していた。
     阿選は友尚を振り返って笑う。
    「友尚。彼は不問にしてやれ。私が許す」


     騒ぎが起きたとき、恵棟はたまたま阿選と一緒にいた。阿選は一日に一度は必ず、何人か部下を伴って見張りの様子や野営を回った。
     客観的に見て、よく気のつく人だと思う。
     兵に不便がないかであるとか、装備の不良であるとか、目端が利く上に回転が速い。あらゆることを軍吏の意見を聞いてから決めるものの、そう言うように仕向けられているのではないか、と何度か思ったことはあった。もちろん明白な誘導があるわけではない。しかし極めて自然な形で、自分の意志で口にした言葉が、後から思えば阿選の意に最も沿うような言葉だったのではないか、と感じることがあった。
    ──おそらく、勘違いなのだが。
     恵棟がそう感じるとしたら、阿選の考え方と恵棟の考え方が近いということなのだろう。恵棟は軍吏の道を歩いてきていて実際に敵と切り結ぶ機会はないが、阿選ほど有能な人間であれば軍吏の側からも思考できるのかもしれない。
     その日、阿選に伴って野営の様子を見に行ったのが恵棟だった。見張り近くの野営に足を運んでいるとき、中から怒声が聞こえた。
     恵棟が驚いていると、野営の外に出た二人の兵卒が殴り合いを始めた。周囲の兵卒も止めずに囃し立てる。まずい、と思ううちに一喝する声がした。友尚だった。
     阿選は興味深そうに状況を眺めていた。友尚がどのように場を収めるのかを見ていたのだろう。
     なぜ里を攻撃しないのかという話になり、恵棟は冷や汗をかいた。これはそろそろ恵棟が出ていって、止めてやるべきかもしれない。
     不意に阿選が動いた。迷わず友尚の背後に回る。恵棟は慌てて後を追った。阿選の意図が読めない。
     友尚を素通りして兵卒の前に立つ阿選の背中を見て、恵棟の困惑はますます強くなった。友尚もただひたすら驚いている。
     そのまま兵卒に一説打った阿選は、恵棟の近くに戻ってきて少し笑った。
    「私が行かねば収まるまいと思った」
    「……驚きました」
     恵棟が言うと阿選は苦笑する。
    「不満はあって当然だ。無理に抑えればますます不満が溜まり、禍根を残す。軍人として生きてきて一番難しいのは、人の扱いだな。用兵ではない」
    「そういうものですか」
     阿選は頷く。阿選ほどの経歴でそういうのなら、実際にそうなのだろう。
    ──こういう将軍もいるのか。
     恵棟は新鮮な気持ちで阿選を眺めた。
     実は里の包囲を始めて間もなく、王から帰還命令も出ていたのだが、兵に怪我人が多く雪道の行軍が適わずと言って返していた。
    「私がそう言うのなら主上も納得して下さるだろう」
     ほとんどの兵を無傷で温存しておきながらそんなことを言うので、恵棟も思わず笑ってしまった。
     数日後、恵棟は友尚に会う機会があった。友尚が幕僚の天幕を訪ねてきたのだ。
    「阿選様は?」
     顔を合わすなり言われて、恵棟は瞠目する。友尚は、敢えて阿選と距離を置いているのではないかと思っていたからだ。
    「今は野営を見に行かれているな。伝言があるなら伝えるが」
    「構わない。……人を介するものでもないしな」
     友尚は苦笑して首を振る。
    「いつも見て回っているのか? 確かに見かける頻度は高い気がするとは思っていたが」
    「日に一度は。麾下がついていることが多いような気はする」
    「そうか。それで……」
     友尚は納得したように頷く。先日の伍長の騒ぎのことを指しているのだろうと恵棟は得心した。
    「……ああいう将軍もいるんだな、と思ったよ」
     友尚はぽつりと呟いた。同様のことを思っていた恵棟も頷く。
    「軍では階級が上がれば自然に指揮官は後方に下がる。兵卒から遠ざかり、周囲を階級の高い連中で埋められていく。そういうものだ。……だから俺は、兵卒に直接話をしようとする将軍を、初めて見た」
    「ああ……」
     その友尚の述懐はよく分かった。むしろ軍吏として指揮官の近くにいることが多いぶん、恵棟のほうが実感として理解できるかもしれない。
    「俺は今まで、誰かの麾下になりたいと思ったことはなかった。俺を主公と定めてついてきてくれる者はいて、俺はやつらに感謝をしているが、俺自身は誰かを主公とするなんて考えたことがなかった」
    「うん」
    「でも今回初めて、主公と呼ぶならこの人がいい、と思ったよ」
     友尚は笑う。恵棟も彼を見返して笑った。
     三度州師を敗走させた叛乱軍は阿選軍の攻撃により壊滅している。里など見捨てて鴻基に帰れば良いのだ。城の奪還は済んでいるのだから、阿選は功を立てたことになるだろう。それで充分に常勝無敗の名も守られる。
     だが阿選はそれをしない。民を見捨てられぬと言って、里の包囲を続けている。相手は寡兵で守りも薄く、攻撃すれば必ず勝つと分かっているのに投降を促し交渉をする。逆上した敵が民を殺すことがないように、交渉によって人質の解放を目指している。あれほど怜悧で巧みな戦術を立てる男が、民のために地道で愚かな戦い方をしている。
     主公と呼ぶならこの人が良い。恵棟もまた同じことを思っていた。
     ようやく地面に霜が降りなくなってきたころ、里に出した使者が叛乱軍の首領からの返答を持って帰ってきた。
    「女子供を外に出す、ということだ」
     阿選が微笑んで告げると、幕僚に安堵が広がった。長い交渉がようやく実を結ぼうとしていた。

     鴻基へ帰る道中で、友尚は麾下である弦雄にしみじみと言われた。
    「……友尚様が、まさか主公を定められるとは思いませんでした」
    「そんなにも意外か」
     友尚が砕けた口調で言うと弦雄は真面目な顔で頷いた。
    「友尚様は物事を斜めからご覧になる方ですからね。皆が阿選様を誉めそやすなら、絶対にそっちにはいかないと思っていましたよ」
    「失礼な奴だな」
    「主公に似るんです」
     平然と言ってのける弦雄に、友尚は苦笑した。友尚も好きで物事を斜めから見ているわけではない。
     鴻基に戻ると、休むこともそこそこに阿選は王に召された。阿選が不在の間に、禁軍左軍将軍の驍宗と春官の一部で揉め事があったらしい。
     王は些か春官に比重を置きすぎる。楽士の数を見直してはどうか、と驍宗が進言したのを越権行為であると大師始め春官が噛みついた。どちらの機嫌も損ないたくない王が、阿選に収拾を依頼したというのが実際のところのようだ。
    「……それが、禁軍右軍将軍の仕事ですか?」
     友尚が顔を顰めた。
    「違うな。だが、主上も他にやりようがないのだろう」
    「驍宗殿が自分で片付ければいいのに」
     阿選は声を上げて笑った。
    「……驍宗は、正しすぎるのだ」
    「正しいことに過多があるのですか」
     いや、と阿選は首を振った。
    「あの苛烈なまでの正しさがあるから、朝が傾くのを止められているのだろう。驍宗は得がたい男だ、失いたくないという主上のお気持ちはよく分かる」
     友尚は首を傾げる。正直に言って王や阿選がそれほどに驍宗を買う気持ちが、友尚には理解できなかった。
     一度主公と定めてしまえば、友尚にとって阿選ほどの主はいないように思えた。徳高く有能、常勝無敗の将でありながら温情がある。
     麾下にも、さらにその配下の者にも阿選は惜しみなく優しい言葉をかけてくれる。うまくいけばよくやったと褒めてくれ、失敗すれば気にするなと笑う。ごく当然の人間としての交流だが、上下関係ができ、階級が上がるごとにこれらのことができなくなる者は多い。思うと、友尚にも身につまされるところがあった。
    ──上に立つのであれば、兵卒を大事にしたい。
     そういった友尚が望む指揮官の理想の姿が、阿選だったのだと思う。
     驍宗にはそれがあるだろうか。分からない。外から見る限り、驍宗は孤高であり、麾下はいつもそれを追いかけているように見えた。だから友尚は惹かれないのだと思うし、阿選で良かったのだ、とも思った。



    ──その数か月後、下された主命を拒んだ驍宗が将軍職を擲ち、戴を出奔した。戴の短い夏のことだった。
    ユバ Link Message Mute
    2019/12/12 1:10:00

    きみよ知るや

    驕王治世下、友尚と恵棟が阿選の麾下になろうと決めた事件の話。強めの幻覚。

    白銀4巻の「だからこそ、友尚はかつて阿選を主として仰ぎ、長い間、従ってきたのだ」の一文で、友尚には何か阿選麾下になろうとしたきっかけがあるんじゃないかなと思いました。
    #白銀の墟_玄の月 #阿選 #十二国記 #友尚 #恵棟

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