天の底から RE:CYCLE Case.0「よし決めた。五回日を記念日にしよう」
かつてより、だらけた〈世界〉にしようと思っていた魔王は、ふと思いついて、モニタの一つから部屋の片隅にある電子板へと視線を移動した。
黒の中で記される六つの緑記号。
―――四番月二回日
そう刻まれた文字に、しめしめと魔王は笑った。
ここは昔でも今でもない、不思議な時間が流れる世界であり、〈悪魔〉がのんびりと暮らしていた。
悪魔の王は〈魔王〉と呼ばれ、彼もまた悠然と暮らしている。
そもそも魔王とはどんな存在なのか。容姿は想像に任せるとして、とにかく男だった。声だけ聞くと若くはないようである。もし城の家来に訊ねても、容姿は誰一人と知らない。秘匿性が高い存在、それが魔王という一つの頂点であった。
また、魔王とは実に幸せな地位である。誰とも会わなくてもいいし、ただ民の様子を何台もある監視モニタ越しに見ながら好きなものを食べて、家臣から届く遊戯グッズやら書物に目を通すだけで生活が保障され、何も悩むことはない。
とにかく、〈誰とも対面しない〉点、〈与えられる魔王専用の部屋は狭くて暗い〉という代償と引き換えに、手にした〈自由〉が魔王にはある。彼にとっての願いは恒久的なものとなったのだから、特に魔王について特筆するものはない。――だが今日は違ったのである。
問題は、閃いた発想をどうやって実行するかだ。魔王は考えに至ったものの行動するにあたっての具体案を考えていなかった。当たって砕けるような無計画ルールでもそれはそれでいいのだろう。ただやはり案を考えた――「この発想は天才的だ」と喜んだ瞬間からは既に冷めてしまっている。だが惜しい、実現しないのなんて、それはそれで退屈なのだ。
つまるところ魔王は幸せだからこそ退屈していた。ああせめて天才が空から降ってきたりしないだろうかなどと考えるほどだ。魔王は頂点であったが天才というわけではない。魔王と言ってもただの、そういった身分であり、ただ偉いだけなのだ。
ため息が数回吐かれた頃、三度、木製の扉がリズムよく叩かれた。
「魔王様」
「なんだ」
戸の奥から聞き慣れた声が届き、浮ついた態度を抑えながら魔王は言葉を返す。男家来の声だ。
「来客でございます。〈例の者〉です」
「ああ奴か、通せ」
二つ返事でそう返し、足音が遠のく音を扉越しに感じながら、魔王は大きく息を吸い込んだ。ただ偉いだけの魔王は、今日は運が良かった。いま流行りの世界で話題の〈引き寄せの法則〉でも効いたのだろうか。まさにその〈天才〉が現れたのだ。
しばらくしてまた扉が叩かれると、違った声がした。それもまた男の声。ただしここまでで誰よりも若そうな声をしていた。
「お久しゅうございます魔王様」
「いやぁ久しぶりだな。〈あの場所〉での暮らしにはもう慣れたか?」
「ええおかげ様で。本来ならこの身は永久にここには来れないはずだったというのに。ご慈悲を頂きありがとうございます」
「何を云うか、お前のような天才を沈めるなど勿体無いではないか。どれ、今日は何用かね?」
「はい、実はですね」
互いに顔も知らない、ただ魔力から転がる音の欠片と声だけで相手を特定し認識しながら、やりとりは交わされていく。少しだけ間が空き、数枚の紙が、扉の隙間から滑るように渡された。魔王が手に取るまでもなく声は続く。
「人を探してほしいのです。できれば公にではなく、信頼できる者への依頼として」
若い男は優しい声で、そう囀った。
「まず名前を申し上げます。その後、お引き受け頂けるかご検討頂きたいものです。探し人の名は――」
I.Provocatio
―――四番月五回日 十一時@ミドセ
〈依頼実行組織:イレイサ〉は殺風景な部屋が拠点である。二人の〈悪魔〉が部屋にいて、ミドセが受話器越しに黙々と話を聞いていただけであっても、そこから流れる音の可聴範囲や占拠領域は、部屋の数分の一にすぎない。
一方で別に存在する、机上にぽつりと置かれたノイズ混じりの音は、小型機器を通して勝手に言葉を演じては、ぼんやりとだが耳へと流れ込んできた。
『続いてのニュースです。〈天界〉においてハイスペック端末、筆圧感知型タブレットの最新技術が導入されることとなりました。取引先〈地球〉にて開発されたタブレット〈1PD〉は、あらゆる通信手段を便利にするとのことで、一月後にはまた一つ、地球より新たな技術を――』
女性のような声は一室に、誰に語るわけでもなく一方的により大きく拡がる。
比較的広い室内は無機質な石壁に赤い絨毯、そして一方の側面だけ硝子張りの窓で構成されていた。それほどまでの無駄な領域をどう使えばいいか悩む程、この事務所は殺風景なのである。
「〈アリス〉を探せ――ねぇ。また抽象的だな」
そんな中、黒い受話器が持ち場に戻った。今時このような〈古い機械〉で通話する存在など、恐らく世界に〈一人〉しか居ないだろう。椅子に座ったミドセという少年のような佇まいをした悪魔は、そんな非常識事象は気にも留めず、視界に入った目障りな淡い灰緑の横髪を指で耳に掛け直す。三角状に伸びた長い耳は、ここでは常識的な体の構成要素であった。
さて、機器からの音はミドセの声にはやはり動じず、ただ道楽的な言葉を淡々と流していたのだが、それについては机を挟んだ対面にいる少女が有無を言わさず黙らせる。
「もう、電話に出る時はそれ止めてって前から言ってるでしょー?」
「アシュロが聴く為につけたんでしょ? なら止める義務はこちらにないはず」
「大切な用件聞き逃したらどうするのよ! それに電源くらい操作できたほうがいいんだから。練習しようって」
「はいはい、今度ね。ちょっと黙ってて、忙しいんだ」
ミドセは出来上がったばかりの自筆書記の文面を金の蛇目でなぞりながら、説教めいたアシュロからの意見を退けた。
「むうー」
アシュロは頬を膨らませ一度黙り込んだが、二人がけ椅子に置いていた雑誌を乱雑に数枚めくり、適当に眺め、結局占領するように横になる――頭上で束ねた長い赤毛がばらつくのが嫌でも視界の片隅に入った。その間一分ともたない。沈黙の時も本当にささやかなものである。
「あー、今日こんなに暇だったら出かけたい−、仕事も終わったしでもバーゲンセールはやってないし、かといって人ごった返してそうだし」
「あのね、人の話聞いてた?」
「聞いてたわよ。ねえ知ってる? 今日〈ゲンシン〉がミニライブやるの」
「やっぱり聞いてないじゃないか。解ったよ、行ってきたら?」
忙しなく動く口に呆れ眼を向けながら、ミドセが深く息を落とす。そこまで言えば喜んでどこかへ行くのではないか期待したのだが、残念ながらアシュロは首を振ってきた。
「無理、外れたの」
「外れた? 今のライブ会場、当選確率九割超えって言ってなかったかい?」
「うん」
今度は頷くが、代わりに肩を落としたように見える。やっと静かになったとはいえ、完全に話題へと誘導された意味では運が悪い。そんなわけで仕方なくといった調子で、仕事の片手間、ミドセは話し相手になることにした。
「書類不備とかじゃない? あそこは情報照合だって得意だし」
「ううん、今は端末から一発で応募できるもの。それは絶対ない」
「その応募をし忘れたとか」
「それもない、応募確認通知届いたもん」
あまりに無意味なやり取りで、他愛もない相槌をするだけで進行するのはそれでも好都合といったところか。全文に目を通した後、気になる語句に硬筆で印をつけたり、補足加筆などに手をつけながらミドセは会話を投げ返す。
「なら、内部で君の名前を見て落選させたんじゃない?」
「そんなこと……あるかも」
「あるんだ。今度はどんな馬鹿な事をしたんだい」
「ねえミッチー、失恋ってどんな気持ちか解る?」
愛称とともに唐突に投げ返された質問に、ついに適当にあしらっていたミドセの手が止まった。何を馬鹿な事を――そう思いながらもう一度アシュロへと目を向ける。なるべく冷たく、白い目で。
「あいにく僕は〈色欲悪魔〉が恋情についてどう考えているか解らないし、〈傲慢悪魔〉の目線から言わせてもらえば〈そもそも恋をする事自体浅はかなもの〉なんだよね」
「あー! まって話振ってごめん、怒らないで!」
真顔で言えば流石に興味が無いことが伝わったか。ミドセは肩をすくめると目線をまた書類へと落とした。今度は筆記だけではなく、まず右手の筆を杖のように持ち、ペン先で宙に円を描く。すると背後にある本棚から三冊の分厚い本がひとりでに揺れ、ふわりと空中を舞ってはミドセの、足を組んだ膝上へと集結した。
いともたやすく行われたのは〈能力〉の施行、それは性格じみた〈大罪の属性〉を与えられた悪魔たちが想像物を魔力で実装する技術であり、一種の常識でもある。ミドセはそれを、半ば奇術のように利用していた。
「それにしても」
ミドセは口にしつつも一番上にある本を開き、裏ページの索引から頭の中にある語句を探す。こうした方が調べやすいし、事実関連語句がすぐ見つかった。少しばかり余裕ができたゆえに、続きの言葉には嘲笑った音が宿る。
「君でも落ち込む事があるんだね」
「そりゃ、っていうか一緒に住んでた時もよく落ち込んだ時話聞いてくれたじゃん」
「ああ、訂正するよ。落ち込んでいる癖にやたら馬鹿騒ぎしているのははじめて見た」
「それ、言い方酷くなってなーい?」
「事実じゃないか」
嫌味をたっぷりと含めたことで、再度アシュロは不満そうにした。これならもうこの話題が伸びることはないだろう。お構いなく作業に没頭することにしたミドセは該当ページの〈ある文字〉に目を留める。
「ねぇ、なんのお仕事なの? 単独で受けるやつ?」
言葉を掛けなかった所為か、しばしの空白はたしかにあったが、しびれを切らしたのかアシュロが声を掛けてきた。対してミドセは一言で否定する。ついでに机の上においてあった時計を一瞥、まもなく午後になることを把握した。
「セドがそろそろ戻ってくるはずなんだよね」
「戻る?」
「ああ、午前に依頼いくつか片付けるって書類取りに来てた」
「午前って――早朝じゃない?」
アシュロに指摘され、ミドセは今朝の事を思い出す。確かにセドと云う組織員は活動時間がかなり早い。だからこそ眠る直前に現れたのは幸いだった。なにせミドセは夜型の体質をしている、朝になる少し前に寝ることも多いのだ。
「そうなんだよね。まったく時間感覚が違うって厄介で――」
言い終わらないうちにミドセは突然言葉を切る。睨むような左奥への注視。噂をすればなんとやら、事務所の入り口が鈍い音を立てて開いた。現れたのは噂をしていた、空色で質量がある短髪を持つ少年セドと、背丈が彼と同じ程の黒髪赤目の少年である。ミドセは二度瞬きをして、
「イトスを連れてくるとは、驚いた」
そう突然の訪問に率直な感想を述べる。苦笑いを浮かべたセドはミドセから視線を逸らし小さな笑みを浮かべた。
「いやなんか、たまには連れてこないとなぁって思って」
「てめぇさっき『運命的に今日は事務所に顔をださないと』とかわけわからねぇこと言ってたろ」
そんな二人が入室し、扉を閉めた様子までを見届ける。よく見ればセドがイトスの右腕を両腕でしっかりと抱くように掴んでいた。強制連行だな、という推測をするまでもなく、非常に怪訝そうなイトスの表情がそれを確かなものにする。
「んで、なんの用だよ。さっさと帰りてぇ」
「丁度良かった。組織ぐるみの依頼がきているんだ」
「へ、まじで?」
ミドセのさらりとした告げ方に、今度は連れてきた張本人が目を丸くして首を傾げた。そう言われると逆にミドセも驚くしか無い。
「君は解ってて……いや、〈視て〉連れてきたんじゃないのかい?」
「あー、確かに使えただろうけど。今日は本当にたまたま……そういうわけでよかったな、イトス。やっぱり〈運命〉だったみたいだ!」
「めんどくせぇ……」
加減は違うが、同じように振り回される側として、イトスに同情しそうになる。しかし折角上手いこと事が運んだのだ。状況を切り替える合図のように、ミドセは読んでいた本を閉じた。
「〈人探し〉の依頼が来てる。もちろん手伝ってね」
それは強制的な言葉として紡ぐ。対して何か反復だの返ってくるかと思ったが特に見受けられない。ミドセは続けた。
「期間は未定。ただ出来る限り早く捜索してほしい。名前は〈アリス〉。現時点で聞いてるのは以上」
「は?」
今度は返事があった、イトスだ。反応についてはなんとなく察しがついてきた。いや、普通そうであろう。ミドセも耳に入れた時、同じ反応をしていたのだ。
「ミッチー、確かにお前の話は基本的になげぇよ。けど珍しく手短にしたんなら、もう少し情報盛ってくれ。まったくわかんねぇ」
「君の言う通りだよ。そして僕の言う通りでもある。つまり、僕が受けた時に聞いた情報もこれだけなんだ」
「それ、簡単そうだなって思ったけどよくよく考えたらすごく難しい話じゃない?」
続いて耳に入ったアシュロの反応は、予想外過ぎてそれ以前の問題だった。だからこそミドセは確認する。
「ちなみにどう簡単だなって思った?」
「ええとほら、片っ端からアリスって子に……あれ、依頼人ってその人とどんな関係だろう」
思ったより大雑把な思考回路に一瞬どう反応したらいいか困ったが、逆にその言葉で告げ忘れていた情報を思い出し、追加で提示した。
「そうだ、もう一つ。依頼人は〈魔王〉――と言ってもその魔王も引受人だと思うんだけどね」
あまりにも抽象的すぎる情報だということはミドセ本人もわかっている。普段なら確実に門前払いしているのだが、〈魔王〉という通り名でもなんでもない、この世界を統べる頂点からの依頼のため、例え問題だらけでも受ける必要性があるのだ。
「〈魔王〉の依頼、ってつくだけで無駄に難易度高いな」
依頼の話となると、途端に冷静さが増すセドも言葉をつまんでくる。一見普通の相槌だが、一瞬だけ空気が変わったのをミドセは見逃さなかった。
「〈失物捜索〉は君の得意分野だよね。何か浮かんだ案とか手がかりとかはある?」
〈運命〉とやたら連呼しているセドは家系的な占い師だ。タロット等の目に見えるやり方で占う事もできるが、逆に目に見えないどこかしらを、どうやら未来や過去を〈視る〉やり方で情報を集めることもできるらしい。そういった意味では適任だ。実際に午前、ミドセが渡した依頼もその類の品ばかりだった。
「うーん、占いとかで探すのには情報としては少ないなぁ……ん? 情報といえば情報組織側に頼んだらいいんじゃ」
「成程、馬鹿にしては珍しくいい線行ってるね」
会話にすればいよいよこの話がとてつもなく厄介である、ということを実感し始める。セドの言い分はもっともで、ここまで聞いた限りならばほぼ間違いなくミドセも同じことをやっていた――がこの依頼には癖がある。ミドセは手持ち無沙汰に、先程の書記の紙面を触りながら〈いい線〉に補足をいれた。
「けれどあいにくこの依頼、魔王の間にその〈情報組織〉が挟まっているんだ」
「つまりそれって、〈ゲンシン〉もお手上げで〈うち〉にまわってきたってことなの?」
アシュロの目が丸くなる。無理もない。情報組織が手を回してきたのはある種の絶望的状況ともいえる。ゲンシンこと〈幻奏新和〉が保有する情報量は他の追随を許さない。普通では入手できないような情報や個人情報まで所持している程だ。そんな驚異的な存在が〈天界全体を支配する音楽組織〉の顔を仮面としてつけているのだから、今後も敵に回したくはない。ミドセは呆れたように嗤う。
「ああ、実に迷宮入りレベルの依頼だよ、受けて立つけどね。それでも、それをこちらに振ってくるなんて、本当にタチが悪い連中さ」
「そんで、どうするんだよ〈魔王〉の野郎の依頼とか確か破棄できねぇだろ」
イトスが痺れを切らしたようで、組んだ腕を指で叩きはじめた。この〈魔王〉というのがどれほど厄介なのか、常識的に誰もが理解している。いつも突拍子に何かしら行動を起こす存在なのだ。だからこそミドセは一考する。情報不十分とは言え、計画案は大方絞ったつもりだ。問題はどう動くか、その効率性だ。
「確実なのは、情報を少しでも多く揃えることだ。僕が引き受けた先――つまり〈幻奏新和〉は、まだこちらに与えてきていない情報を持っている可能性がある。その点はこちらが交渉する予定だ」
頭を動かすのはミドセの専門分野である。むしろそれこそが存在意義である、という矜持を本人が強く持っていた。思考を動かしながら推測、指示を瞬時に吟味する。
「で、君達にまずやってほしいのは町中での情報収集なんだ」
「え、でもそんな情報〈ゲンシン〉ならもっているんじゃないかしら」
「いや、意外と穴があるんだよ。今は向こうも人手不足みたいだし――それに、逆を言えば〈当たり前〉すぎる情報を総ざらいした結果、見つからなかったからわざわざこちらに投げたんでしょ。恐らく、普通の情報は探す必要が無いと言うこと」
「だってイトス」
納得したのか頷きながらアシュロは質問主に目配せをしたが、既に興味を失ったらしいイトスは、いつの間にかセドが取り出していた小型の端末を覗き込んでいた。流石怠惰悪魔、興味の関心度は娯楽にしかないようである。とはいえその薄い箱型の端末はミドセも見たことがなく、首を傾げた。
「それは何?」
「んー、〈1PD〉っていう新型端末」
が、セドから出たその単語は耳にしたことがある。先程耳に紛れ込んできたニュースだ。その通りであるならば
「その機種、発売は一ヶ月後なんじゃないの?」
と思わず訊ねるが、返ってきた反応は肯定でも否定でもなく、寧ろ驚いた表情だった。
「え、機械興味ないって言ってたのになんで知ってるんだ?」
「失礼な、日常的な情報くらい僕が知ってて当然だよ」
「そ、そうだよな悪い。……えっとな、確かに言う通り本来なら一ヶ月後に発売なんだけど」
セドが返しながらもミドセに近づいてくる。外観は掌程の大きさ、厚みは薄く、外装は彼の目のような青。その表面の電子画面が、顔から数歩程度離れた場所で提示された。
「今出てる最新機種じゃまだ調べられない記事とか、この機種限定で先行販売とか予約ができるやつがあるから持ってきたんだ。ほらいま出てる記事なんかも本当なら来週から公開されるサイトなんだけど――」
「あのね、僕が聞いたのはそういうことじゃなくて、何故それを君が持っているかってこと」
確かに見せられたその表示は件の〈1PD〉の商品概要が書かれているようだ。だがそれが先行公開されているかどうかを確かめたりする術はない。そもそも質問の意味が違う事を伝えると、セドの表情が微笑へと変わる。そこには特に邪な意味は含まれていなさそうだ。
「あぁ、モニタリングに当選したんだ」
「モニタリング?」
「そ。俺サンプルモニターとかよくやるんだけど、限定三名のこのプロジェクトにたまたま応募してて、そんで当たったからテストプレイしてるわけ」
「成程。わざわざ運の良さを自慢しに〈ここ〉に来たということか」
画面がセドの側に戻る。相変わらずなにか操作をしているようであるが、疑問が解消したことでミドセからも興味が消えた。そのままセドはイトスのもとへ戻るのかと思いきや「あ」と一言放ち硬直する。三つの視線は彼の元に一気に集まった。皮切りにイトスが訊く。
「ん、どしたよセド」
「今日って〈ゲンシン〉ミニライブやるのか」
「あーそうなのよ! 応募してたのに外れたやつー!」
もはや過ぎ去った話題が口に出され、ぶり返すようにアシュロからまたもや不満の声が発せられた。それが唐突すぎる点に不信感をおぼえたのだが、指で端末をなぞりながらのセドの視線は画面から離れることもなく、淡々と言葉が紡がれる。
「この端末限定で、〈当日席〉が予約できるみたいなんだけど、残り三名」
「えっ!」
運の悪さを一気に好転させるのはなにかしらの〈能力〉ではないのか、と思うほどの発言に、アシュロが目を輝かせたのは言うまでもない。だが当然ミドセはこの手の話題からも興味が失せていた、とはいえ呆れ半分に促してみる。
「で?」
「ミッチー、その〈アリス〉の情報収集、軽くだけど俺やってくる」
「わざわざ宣言しなくてもやってほしいな……まあ、なにか策ができたと言うことだね」
言葉に対して頷いたセドが、もう一度ミドセに画面を見せてきた。覗き込んだ瞬間に言い分を理解する――やはり今日は少し運が良いのかもしれない。そうミドセは思った。
〈前譚・探偵アリスの名推理:当日席予約〉と、そこには書かれていたのだから。
ただ、早計かもしれないと冷静になる。
「彼らがそのミニライブをやるってことは、既に回収された糸口ではないのかい?」
「いや、厳密には〈ゲンシン〉がやるっていうよりタイアップ企画らしいんだよ。俺も正直〈ゲンシン〉には興味ない。ただ、何かあいつらも知らない情報喋ってくれるかもしれないじゃん。だったらこれも運命だとおもって、調査してこようと」
「そう、ならついでだからそこのアシュロも連れて行ってあげて、すごく今日うるさかったから」
言いながら親指でアシュロを指す。まだ頷いてもいないはずなのに、アシュロの赤紫の目は悲願叶ったり、と言わんばかりに輝いていた。セドはそこでようやく――或いは解っていたけれども敢えてそうしていたのか――アシュロを捉えるとそのまま画面を凝視し、指先でそれを小突く。何をしているかは解らないが、
「ミッチーは行かない、よなあ」
セドから出た念のため、といわんばかりの発言にミドセは条件反射のようにすぐ言葉を差し出す。
「何故行くと思ったの? 行っても馴れ合うだけの祭り事は、僕にとってはただの厄介事でしか――」
「うん、いつもそう言うもんな……じゃあイトス」
「あ?」
続いてはセドが何やら操作しながらもイトスに話題を振った。そういえば先程「残り三名」などと言っていた気がする。特に全席埋める必要はないのだろうが、なんとなく、理由が解った気がした。
「残り一名イトスに登録しとくな」
「ちぃと待て、俺は行かねぇぞ」
「だってイトス、イトスは仕事を簡潔に片付ける主義じゃん」
「そのタイアップ? とやらが求めてるもんとは限らねぇだろ」
「そうだけど」
セドの手が止まる。完了、と楽しそうな独り言が聞こえた辺り、イトスの運命は決まったようなものだろう。セドが先手を打てばイトスが決まって折れるのだ。案の定、悔しそうな舌打ちがイトスから漏れる。見ていて思わず口角が上がった。目を閉じて、刹那開いた視線を本の背表紙に戻しながらミドセは言う。
「せいぜい楽しんでおいでよ。アシュロとセドの子守は大変だろうけど」
「ちょっと誰が子供よ!」
アシュロが喜び半分の調子で突っかかってくる。巻き込まれずに済んだことに安堵感を覚えつつ、これからようやく静かになる点に喜びを感じながら、それでも冷淡な調子で、ミドセは言い放つ。
「駄々をこねるサマはどう見ても子供だと思うんだよね……そうそうセド。ところで任務報告、忘れてないよね」
あくまで〈それ〉は仕事なのだと周りに言い聞かせるように。
「ああうん、二件分。解決済み、署名と〈簡易音証〉がこれ」
セドは腰に下げた小型の鞄から、厚みのある紙素材を取り出した。青いカードが二枚、ミドセはそれを受け取る。依頼人の直筆と、名部分を指でなぞれば一度だけ飛び出してくる、独特で悪趣味な旋律――即ち直筆本人であるという固有の証明音。
「確かに」
ミドセは事務的に、それを受け取った。
変奏系*変装曲
―――四番月五回日 十四時@マイキー
〈幻奏新和〉は現在最大四名のメンバーが、ドームに集まる観衆を音楽により支配している。
不定期に行われる音楽会――即ち〈ライブ〉という方式を提案したのは、地球の文化に共感し、模倣しようと考えた創立者だ。
そもそも悪魔という〈魔力生命体〉は人間に擬態することができ、その力を持ってして異世界に赴き、生活に溶け込むことができる便利な特性がある。
その性質を利用し、創立者に勉強する目的で指示され、一年ほど〈地球〉へ赴いたことを思い出しながら、マイキーという金髪に白頭巾の青年は控室に来てこれからはじまる〈ミニライブ〉の打ち合わせをする――はずだった。
「パッシュさん」
扉付近から、奥の椅子に座って眠りこけた青年に、マイキーは声を掛ける。乱暴にも、いびきまでかき足を机の上に乗せた有様は、とてもこれから舞台に上がるような存在の振る舞いとは思えない。
少し席を外し、控室に戻ってきたらこの有様である。しかしなんとなくでも予測は立っていた。時計は十四時半をとっくに超えている。本番は十五時。
「パッシュさん聞いてル? もうすぐ出番ッス」
今度は片腕を揺すりながらマイキーは苛立ち半分に声を掛けると、ようやく、まずは雑音が止まる。そうして猫のような目が、白い髪と肌の間から、青とも緑とも似つかない色として浮かんだ。
「ん、もう時間か?」
「時間か、じゃないッスヨ。最後に紹介トークの内容考えるって宣言したのはパッシュさんだったヨネ」
「あー、もうさ、いつも通り勢いでやったほうが楽しいかと思って」
「本当スカ、いやぁ多分そう言うだろうっておもってたケド」
特徴的な言葉遣いをもってして弁舌を振るうが、あまりの体たらくさに、マイキーはため息と肩を落とす。
「いつものように、じゃブランドイメージ下げちゃうんスヨ。それで良いっていうのがファンだけどサ。相手側に迷惑掛けるのは色々処理が面倒。ワカル?」
「わかってるって。大丈夫だってマイキー。アリスはすっげーかわいい金髪の女の子で、なんかいろんなことずばって解決して、とにかく明るくてやべーって言えばいいんだろ?」
確認すればするほど、不安になってくる。マイキーはいつもの調子で辛辣な声色を載せるが、当のパッシュという、飄々とした存在は実に軽くあしらってきた。大丈夫、という言葉はこれほどまで信頼感がないものだっただろうか。
「パッシュさん、アリスは男ッスヨ。しかも結構おろおろしがちって何回も言ったじゃないッスカ……とにかく、もう一回ステージに上がる前に〈探偵アリスの名推理〉って芝居のパンフレットくらい読んで勉強してヨネ」
「わーったわっーた。ところでさお前さん」
マイキーは未だ足を降ろさない机の上に置いてある、全面刷りで縦長の印刷物を渡そうと手を伸ばすと、本当に軽率な調子でパッシュが笑顔を向けてくる。不信感顕わに彼へと視線を向けると、今度はその青緑の目に吸い込まれはじめた。
「んー、何カナ」
「緊張してんだろ、そこまで神経詰めなくったって大丈夫だって! いつも通りやれば上手くいくからさ」
その言葉はやけに真摯的で、どこか見透かされた気分になる。しかしその通りだから否定もできない。思わず表情を緩めてマイキーは笑った。
「まぁネ。パッシュさんがもう少し真剣に取り組んでくれたら、こっちだって安心するんスヨ」
「その点はいつも上手くやってるだろ? そうじゃなくて、人前に立つの、相変わらず怖がってるんじゃないかってさ」
パッシュは、思わず手を止めていたマイキーからパンフレットを受け取りつつそう言葉を口にするので、緊張ひとつしていないような存在の言い分はマイキーの胸によく響いた。それは即ち図星であるという証明である。
「そりゃ、オレは大人数を目の前にして喋るなんて大層なこと出来ないッスカラ。大勢のライト振る観客の前でただ夢中になって鍵盤鳴らしてパッシュさんをフォローすることはできるケド、仮になんかパッシュさんがヘマしたらオレじゃ何も言えないッス。それに、やっぱり人前だとその〈夢中になる〉ってのも難易度高いワケで」
「心配性だな、マイキーらしくやれば良いんだよ。計画的にやってるし、現にライブで一回も失敗したことないじゃんか」
「全く、パッシュさんには本当に調子狂わせられるっていうか……」
若干机から距離を離す。呆れではない、安堵した息が漏れた自分が可笑しく感じたのだ。確かに言葉どおり緊張している。それが少しだけ和らいだ気がした。
この〈パッシュ〉という青年は裏では体たらくさが目立つが、表舞台に立つと途端に悪魔という悪魔を惹き付け始める。マイキーもまた、同じように惹き付けられた一人だ。だからこそ、特に根拠もないが、うまくいきそうな気分になるのだ。
再び時計を見る、残り十分程。控室と舞台袖の距離は近場であるため、扉を開けていると、ざわざわとした観客の声が耳に雑音のように届いてくる。音の源を眺めていると、パッシュが話題を変えて身を乗り出してきた。
「そういやマイキー、ネレは?」
「アリス役の子を迎えに行ってるヨ、ほんとはあの子とも打ち合わせしときたかったんだケド、道に迷っちゃったらしいんだよネ。ま、あっちは舞台役者だからなんとかやってくれるッショ」
「なら問題ないな。本番楽しみだぜ」
「パッシュさんは少しは心配するコト、覚えたほうが良いッスヨ」
マイキーは本番間近とは思えないパッシュの態度にため息を吐く。勿論本人の才能と調子は認める――ただ、それとこれからの事は別問題だ。
「正直言うと、パッシュさんのことはもう心配してないんスヨ。問題は――」
「到着遅れてて気が立ってんだろ」
マイキーはパッシュから向けられた気楽な眼差しを物ともせず机においていた手帳を開いた。打ち合わせ、というより最終確認は十四時半の予定、その前に行っていた〈音響打ち合わせ〉は上司や知り合いに任せることにしたのだがその話し合いも長引いた。もう時間がない。
残り八分前に差し掛かった頃足音が複数、床を反響しはじめた。薄目で見ると二人、女性が持つ葡萄酒色の波打った見覚えのあるツインテールがふわりとシルエットを描き、もう一人と迫って来ていた。少し身長の低い少年は赤毛で、大きな丸眼鏡。女性は減速、息を整えながらマイキーの近くに寄ると、泣きそうな顔で胸に飛び込む。マイキーは優しくそれを抱きとめた。
「遅れてごめんなさい! マイキー、時間また狂わせちゃったですぅ」
「ううん、仕方ないよネレ。間に合ったし」
「ぼくも、道に迷ってしまったことと、迎えに来てもらってすみませんでした」
少年も続けざまに深々と頭を下げる。ネレとは違いあまり息が上がってない辺り、そういう訓練をしているのか、あるいは〈能力的〉なものなのか。いずれにせよ誠意は伝わってくる。マイキーは愛想を浮かべた。
「まあまあ、君の挨拶は君にやってもらうし、オレ達は余興みたいなもの……プレッシャーにはしちゃうケド、頑張ってくれたら」
「ありがとうございます。えっと、アリス役をやらせていただきます」
「名前はイイヨ。匿名って自分で宣伝してるんだし……アレ?」
マイキーは少年の自己紹介を断ち切りながら頭一つ低い赤毛の少年を、抱きあげたネレの頭越しに見やる。程なくして首を傾げた。
「でもアリスって、金髪ってパンフレットにかいてあったような……あ、でも君三十分後に舞台入りだから、今から準備するか」
「ああ、それは問題無いです」
丁寧な物腰で〈アリス〉は両手を音を立てて軽く鳴らし合わせる。少年の髪の毛はどこからともなく吹きはじめた風に煽られ、毛先から色を変化させる。赤の髪は金色へ、あっという間の出来事だった。
「成程、便利ダネー」
「はい。仕事上、自由に変化させられるんです。我ながらいい〈能力〉だと思います。実はこれも秘匿的なものなので、噂の〈情報組織〉にはバレないように隠してるんです……あ、これ皆さんへだけの秘密ですよ」
アリスはそう言って人差し指を口に当てる。この誠実な雰囲気が、パンフレットに書いてあった〈おどおどした性格に変わる〉というのだから、どういった話が聞けるか見ものだ。時計に目をやる、残り五分。
「とりあえずオレ達も出番だから、君も準備してきてネ。いいイベントにしようネ」
マイキーはネレから少し身を離し、彼らが来た道の側にある更衣室を指差す。アリスは再度頭を下げ、そこまで駆けていくと、扉を開け、吸い込まれるように視界から消えた。
「〈シャベルティア・ルーティン〉。実家が古本屋で〈色欲悪魔〉、演劇組織の風属性だな」
入れ違いのように声が後ろから聴こえる。いつもと違う、囁きのような声で、パッシュが淡々と紡いでいたのだ。顔だけマイキーは振り返る。
「知り合いッスカ」
「いやちょっと、な。とりあえず〈あんな能力〉持ちってのはあとで〈登録〉するとして、さっさと本番行くか!」
ただそれはほんの一瞬の雰囲気で、すぐにいつもの調子に戻った。時間はまもなくまで迫っているのだから当たり前といえばそうであろう。ゆっくりと演出によって落ちはじめた会場の照明が、舞台へと誘導している。暗闇、そして緊張。
「大丈夫ですぅ」
小声が耳元で囁かれる。振り向くとネレが笑っていた。そのままマイキーは唇を奪われ
「今日もファイト、です」
残りの緊張を一気に〈恋人〉から弾き飛ばされたのだった。
移動する先に近づくほど熱が込み上げている。観客の目線、色とりどりの玉ボケした光達、そんな中にある唯一の黒世界をくぐり抜けて、マイキーは使い慣れた楽器が置かれた定位置へと向かった。
深呼吸、まもなく自分たちは照らされ始める、だがその前に一仕事あった。重低音のシンセ音を三音、マイキーという存在は引き金として鳴らすのだ。
〈いつもの音〉を落とす。深い音は半球状のドームに大きく拡がり、反響し、ゆっくりと照明が上がった。明瞭となった刹那、音に負けないくらいに上がる興奮した歓声。ステージの、更に観客に吸い込まれるような伸びた先の道を少しずつ歩きながら、このステージで一番にファンが多いパッシュという偶像は、観客席の真ん中舞台で止まり半球天頂へ真っ直ぐ右腕を上げながら、大きく声を奏で叫ぶ。
「さあ、魂ぶつけようぜ!」
かくしてこの〈世界〉のざわめきは、最高潮にまで上り詰めようとしていた。
大雨のような興奮は、いつまで経っても揺るがないし緩まない。それがたとえ既に出回っている曲であっても、例え音休めの時間が入ったとしてもだ。
〈夜魔族〉という、いわゆる夢魔種や吸血鬼種等といった特定の体質を持った存在は、なんらかの形で他人を〈魅了〉する特性があると言われているが、特にこの舞台に立つ者にそんな先天的な特性を持っている者は居ない。
それを踏まえた上で考えると、主にこの舞台で視線を物にするパッシュという存在はものすごい実力を持っている事をひしひしと実感してしまう。歌に言葉に、どれもが自然体で且つ力を持っていた。
「そうそう知ってるか? ある世界では一つの作品を広めるために、一緒になっていろんなやり方を試してみたりするみたいなんだけど、例えばよくここらでも売られてる焼き菓子をまさかの野菜スープに浸してみたりしてさ。見た目だと驚くけど味は絶品。なーんて形でお互いの作品をミックスしちまう。そんな世界があるらしいんだ」
パッシュがいつものように〈台本通りの言葉〉で客目を引きながら、しかし本人も楽しそうに語っている。その為、マイキーは鍵盤の片隅に置いている小型時計を見ていた。
丁度三十分、いよいよこの舞台のもう一人の主役が到着する時間になる。離れた右手側に居るベースのネックを撫でていたネレへと視線を向けると、奥側の舞台袖にいる金髪の少年も併せて視界に入ってきた。演劇で利用するのであろう小綺麗でフォーマルな紺色のスーツを身に着けながら、少年であるアリスは、今か今かと出番を待っている様子だ。やがてマイキーの視線にネレが気づく。長い付き合いの愛しい彼女は、すぐに流し目を送ってきた。
「そんなわけでいろんな形で一つになる。って最っ高に面白いモンなんだよな。俺達もそこに目をつけて試したくなった。それが本日最大の目玉――いや、〈お話〉への招待状だ」
ニヤリと、笑うような声で言葉を一度締めると、照明が一気に落ちる。観客が持つペンライトの色もゆっくりと落ちていき暗闇に近くなった。不思議と、あの賑やかな音も沈んでいき、異世界に飛ばされたような妙な感覚になる。何が起こるのか、興奮と緊張が混ざった状態で、体が動かない。
――動かない?
マイキーはここではっとして周囲を見渡そうとするが、体は錆びついてしまったようだ。なにか異変を感じて声をあげようとするもののそれもかなわず。〈異質〉すぎる状況に若干の疑念が混じった。何よりも
――こんなの、打ち合わせになかった。
そんな現実的ではない様子にただ不信に思ってしまう。そもそも暗闇になるなんて聞いていない。それとも自分だけが現在何か、例えば突如気を失ってしまい幻や夢をみてる可能性はないだろうか。そう考えてしまうくらいにこの空間は異常性を醸し出していた。
そうしているうちに異端な演出が始まる。小さな光が眼前に灯りだした。大きな赤い玉が二つ……勿論こんな照明演出も聞いてはいない。よく見るとその丸のような灯火は、奇妙なほど黒い靄を纏いながら、位置的にはドームの中央にある舞台先に存在していた。
まもなく音が発せられる。低い、ノイズのような音。
『天界の民よ、これより〈何人〉かの自由を奪った。返してほしければゲームに参加しろ』
だがはっきりと、耳に馴染んだ言語としてその言葉は響き渡る。
『二枚のカードが配られし者が選ばれし者だ。では奪われし者よ、健闘を祈る』
その、短絡的で意味不明な〈厄介事〉は、その言葉を最後に闇へと溶けていった。
まだ動けない、やはりこれはマイキー自身が飛ばされた〈夢の世界〉なのか。それとも、外部からの嫌がらせという名の〈営業妨害〉であるのか。後者は非現実的だ。なにしろこのドームは情報組織のセキュリティが網羅している。突破できるとしたら、その構築主である組織員より上手の〈能力持ち〉である為だ。
混乱している。ただでさえ不測を取られることが苦手だというのに、一体なんの真似だ、と。息を呑もうとした刹那、これまで無に縛り付けられていた体が自由に動いた。慌てて置き時計を見る。思った程――いや、幸い数分経過した程度だった。さて、舞台も観客席も息を潜めているためやはり現実なのか。
落ち着いて分析、しかしこの事態、観客もさぞ混乱するだろう。暴乱が起こる可能性だって考えられる、なにしろ若い悪魔が多いこのドーム、血の気の多い輩ばかりなのだ。案の定少しずつざわつき始める。緊張しながらマイキーはネレを、そしてパッシュを見た。ネレは心配そうに辺りと、それからこちらへと目を向け、一方でパッシュは背を向けたまま辺り一面を見回している。
不安になった。これについてどうフォローする気なのか。しかも困ったことにパッシュという男は、その言動一つで周りを動かしてしまう事がある。
そんな焦燥に駆られた状況もお構いなしに、パッシュは勢いよく口を開いた。
「すげえだろ、これが今回の謎の一つ〈探偵アリスの名推理〉のドキドキする演出の一つだ! ああ、皆が動転したことは伝わってきたぜ」
意外にも発せられた言葉は、〈台本通り〉でも〈思惑通り〉でもなく、寧ろ別の方向性だ。更に楽しそうな調子で静かな会場に言葉を投げる。
「仮にハプニングが来ても全力で楽しむ、探偵アリスと〈ゲンシン〉は兄弟みたいなもんだ、そうだろ? この混乱を解決してやってくれ、探偵さん!」
瞬間、世界の音は弾けた。ある者は拍手で、ある者は野次馬で、〈探偵〉という存在を迎えようとする。マイキーはそんな会場を眺めながらも横目で舞台袖を見やった。呼ばれた〈探偵〉は、自然にか演技になのかも想像がつかない表情をしている。一歩踏み出しそうとしていた。
「お、お任せください! 解決、するよ!」
アリスの声と同時に拍手が増える。ひやりと汗が伝うような状況だったが、満足と言わんばかりの悪魔の歓声が、主催側の予測すらしていなかった演出をも〈予測された台本〉と受け止め事態を収束した。それでもやはりマイキーは気がかりでしかない。なぜなら、いつの間にか置き時計の隅に二枚のカードと、見慣れない白い手紙が置いてあったのだから。
嫌な予感がして目だけで読める字を辿ると、最初の一文としてこう書いてあった。
”あなたはこれから、〈S取りゲーム〉をしてもらいます”
異質インビテーション
―――四番月五回日 十六時@セド
なんだあれ。と、セドは予測出来なかった演出に口を開けていた。話題を切り出したもののライブ自体には興味がない。だからこそ、主催者の言う〈演出〉に刮目することが出来たし、実際に演劇の主題歌だの新曲等と言われた作品にも一切耳を傾けることは無く通過する。
金髪の少年〈アリス〉の挨拶は、結論を言えばただの宣伝文句だった。 『〈アリス〉は差出人不明の手紙に招待され、宿泊施設に泊まり、そこで情報を集める為にゲームを行い、差出人を探す』という何の変哲もないありふれた題材、名前だけでみれば十分な収穫が期待されたが結果は散々なものである。
ちらりと横目で、仲間を見やった。会場の二階席。出入り口に近く、主役からは遠すぎるくらいの空間。アシュロはさすがといえる程に、光る白棒を拍を刻みながら振り、周りも同じように、青だの緑といった有色の光をまとったそれを、いかにも「熱狂しているのだ」といった様子で掲げている。しかし自分も含めて、強引に連れてきたイトスという隣席の少年は、あからさまに場違いなほど退屈そうにしていた。座席のすぐ後ろに人が居ないことを良いことに、背もたれに体を預け、文字通り伸びている。
「なあイトス」
暇つぶしも相まってセドはその体躯に声を掛けるが、平常通りに発した音は、爆音に飲み込まれ一切の発言を遮断された。いくらイトスが目と耳がそれなりに良い、とセドが知っていようがこれでは意味がない。少しばかり思考。涼しさを見越して羽織ってきていたアウターにある胸裏の小袋に手を伸ばし、端末〈1PD〉に手をかけようとする。するとはらりと、そこから四角の紙が数枚落ちようとした。慌ててセドは受け止める。手触り含めてカード形式という見知った形の為、元の位置に戻そうと手を動かすが、何か違和感を覚えもう一度確認する。
「なんだこれ」
セドはもう一度疑問を口にした。
端末のケースに挟まっていた紙、即ちカードは三枚。勿論、このような形のカードは何枚も日頃から集まっているが心当たりはない。黒格子模様に、十字架のような模様が示されたカードが二枚。裏は一面の青――天色、そこにまた記号が書かれている。デザインされたものだとしたら、一枚はおそらく数字の〈七〉か。もう一枚は、照明加減も相まって判別がしづらい。
その他の一枚。これは手触りがまたその二枚とも違う。折り畳まれた白い紙。中にはこの世界で一般的に使われている文字と言葉が書かれていた。
念のため展開した上で端末の光を当てる。
『自由を奪われたあなた達はこれからゲームをしてもらいます』
最初の一行はこのような突飛なものであった。流石に目を疑い、聞き手の右手指を素早く端末に当てなぞる。
『なあイトス。なんか変なゲームの招待状みたいなのが届いた』
そこに表示された文字をすぐさま、イトスを揺すった後に見せた。この耳を攻撃する音の中、おかまいなしといった具合に目を閉じていたイトスは、おそらくの惰眠を遮られ訝しげに画面を凝視している。口を開いて何か言っているようだが当然聴こえるわけがない。幸いすぐ後ろにある出入り口まで服の裾ごと引っ張ると、若干音の世界から遠ざかった空間に出る。同時にイトスが口を開いた。
「んだよ、招待状って」
「これ、これを見てくれ」
勢いでセドは口にする。すると表情からして不満そうに頭を掻きながら、イトスがセドの手で示された紙に注目してきた。間もなく目を逸し、続いて口を尖らせる。
「なっげ。ちと簡潔に読め」
「ええ、イトスの方がそういうの得意じゃん」
一貫した態度のイトスにため息を吐きながら、セドは文字面を自らの側に裏返し直す。見出しと五行の文字で構成された黒字は、何度見ても無機質に描かれていた。
”Re:CYCLE
自由を奪われたあなた達はこれから〈S取りゲーム〉をしてもらいます。
ルールは簡単。手持ちのカードを好きなだけ賭けてバトル宣言
フィールドが展開されるので、その中で能力・武器を利用した対魔戦を行ってもらいます。カードを多く賭ける程有利です。
時間か、あるいは戦闘不能になるまで続き、戦闘不能にした方が勝ち、時間切れだと引き分け
なお選ばれた人はフィールド内のみ〈禁忌:他殺〉の解除を行います”
「〈S取りゲーム〉ってなんだ?」
まずは何も考えずにセドは文面をそのまま音読し、ようやくイトスが反応を示した箇所はそこである。
「さあ、ここにかいてある記号かなんか?」
首を傾けながら紙の端に目が留まり、指先で両面をこすり合わせていたセドは、やがて捲れたことで更に開くとまた現れた文面を凝視した。
「ランクS?」
「んなら、ランクSを取れってことじゃね? ランク昇格みたいなもんで」
イトスはそう言うが、どうも興味が無さそうな様子で衣嚢に手を入れセドから目を逸している。それもそのはずだ、そもそも招待状が届いたのはセドであり、イトスにとっては他人事にすぎない。セドは目を凝らした。文は薄くだがまだ続いている。
「カードに書かれた合計数が誰か一人でも〈百〉になれば終了、上位四名は現存するSランクと交換される……のかぁ」
「んじゃこの記号、数字なんだな」
セドは読み終わった直後、相槌を返してきたイトスに驚きを含めて目を向け、硬直した。意外な光景が目に入ったのだ。
「え」
対してセドは短く反応する。最初は自分の持っているカードを見てそう言ったのだろうと推測していた。だが明らかに視線も、対象も違ったのだ。イトスも同じ――正確には色と模様が違うカードを手にしている。
「イトス、それ」
「面倒くせぇな……お前が見せたのと同じのが書かれてやがった」
唾を吐き捨てるように、イトスは言葉をぶん投げた。ああ、それならやはり、とセドは冷や汗をかいた。
「じゃあ、さっきの演出って、本当の話だったのか」
「演出?」
「イトス、まさか聞いてなかったのか? 突然暗転してさ」
「あー、開始してすぐ寝たからな」
「それは流石に早すぎだろ! じゃなくてさ」
鑑賞態度に対して言いたいことは山ほどあったが、こうしてここに退避してきた、しかもイトスを無理やり連れてきたセドが云えた話ではない。最後まで突っ込む気持ちを抑えながら、セドは言葉を整える。
「さっき、急に金縛りにあって、暗転したときにぞっとする演出があったんだよ〈ここに居る者、何人かの自由を奪った〉、みたいな事言ってて」
「はあ? っつーことはゲンシンのサプライズじゃねぇかよ」
言い終わるが否やイトスが持っていた二枚のカードを地面に投げ落とす。紅色の二枚のカードは、セドとは違う模様を白字で描いていた。確かにイトスの言い分は納得がいく。ドームでの演出なのだから、当然〈織込済〉のイベントなのだろう。しかし大量の観客がいる中。自分達でさえ入っていたと気づかないようなやり方ができるだろうか。いや、仮に〈幻奏新和〉以外の存在が行った悪戯であったとしても中々このような形式を実行するのは難儀するはずだ。かといって自分達が入れたわけではないのであれば、どんな形であれ、忍ばせるのは困難である。
「〈物を移動できる〉みたいな〈能力〉でだれかが入れた?」
セドは独り言として疑問を口にした。白床に佇むそれをただ、呆然とみつめながら……が、考察の時間は長くは続かなかった。頭に痛みが走る。
「痛……」
思わずこめかみを押さえた。突如打ちつけられたような感触は、気持ち悪いくらいに頭の中を乱反射し、視界を別世界へと移動させる。場所は外、まるで画質が悪い映像を目の前で展開させられたかのような視野。さらに大げさな動きをした目の前の影がこちらに襲いかかり
「イトス!」
自分でも耳鳴りがしそうな高音を喉から絞りだした。
「は?」
返事があったのはほんの一瞬遅れた後だった。同時に世界はまた変わり、緊迫とした空気は薄らぐ。セドが自分の息が大きく乱れていたことを自覚したのはそれからであった。
「んだ……どうした?」
言い切らないうちにイトスが首を傾げる。彼はどうやら退館しようとしていたようで、距離を開けていた体が不思議そうに再度近寄ってきた。冷静に息を整えながら地面を見る。いつの間にか座り込んでいたらしい体とカードの位置は近く、セドはゆっくりとそれに手を伸ばした。
「これ」
「その特典みたいなのがどうかしたのか?」
どうやら異変に感じているようだが、このカードに対しての危機感はまったくもって見受けられない。疑問を向けてきたイトスとそれを交互にみたセドは、必死に言葉をイトスへと飛ばした。
「これ手離さないで、イトス死ぬから」
「何、言ってんだよ」
空気に再度緊張の糸が走る。言い出したセドにだって違和感があった。本当であればこんなカード、なんの変哲もないはずなのだ。それなのに必死になっている、そんな自分が可笑しくすら思ってしまう。それでも、言わねばならないという使命感が、いつの間にかセドの中にはあった。
「どうやら〈本当〉にやばいのかもしれない」
言葉を義務のように、紅色の目を捉えながら、セドは口ずさむ。
「言葉通りだったら、俺たちはなんらかでゲームに巻き込まれたことになる」
「なんか、視えたっつーことか?」
イトスの表情が不機嫌から無へと変わる。意図が伝わっているのだろうか、セドは頷いた。
「正確にはわからない。ただこれを手放したままにしてたら、イトスは確実に」
「俺は別に死んでも構わねぇけど」
不安が押し寄せて、その勢いで混乱しながらセドは次々に言葉を口にする。動転しているというのはここまでくると自分でもわかるものだ。口にすればするほど冷静になっていく。イトスから紡がれた言葉はそれでも予想外で、呆気なく流された単語に耳を疑った。ただし、イトスは言葉とは裏腹にセドが手にしているカードを二枚取り上げる。
「言ってるとおり〈自由〉が奪われたのなら、それはそれで理不尽すぎるし釈然としねぇ」
「イトス……」
「とにかく、ここでぼーっとしててもなんも始まんねぇだろ。いっぺん帰って話まとめたほうがいいんじゃねぇの?」
「そうだな、なんか今日心強いな」
そう口にされると、少しだけだがセドから肩の荷が下りた気がした。これほどまで心強いとなんとでもなってしまいそうだ。頭の痛みもゆっくりとだが消えていく。
「面倒くせぇから投げたくなるだけだ」
とはいえイトスの調子は、セドから見ればいつも通りのものであった。
曲が終わったのだろうか、歓声は静まる。今何時だとセドは視線をうろつかせる。終演時間に近い。と、言う事はそろそろ退出者が出て来る時間か。
「とりあえずセド、混むから一旦外出っぞ」
「ん、ああ。でもアシュロは」
イトスに声を掛けられ、出口方面へと足を向けた瞬間、〈連れ〉をもう一人思い出した。セドは会場の扉を振り返りつつ見る。おそらくヒトが大量に出て来るだろうという雰囲気でもある。そう言えば出て来る際声は掛けなかった。
「んなもん出てから連絡とりゃいいだろ」
「そっか、まあ今の端末に連絡先いれてないんだけどな」
セドからすれば十分な正論に導かれ、セドは苦笑いしながらイトスの後を小走り気味に追う。少し歩いた後階段に行き着き、下って踊り場から右折、もう一組の階段を降りればすぐ正面玄関だ。完全に降りきる直前に、上から騒がしい声が響き始めた。どうやらいよいよ解散の流れであるようだ。玄関口から先は悪魔の姿はちらほらと影のように見えるが、それも間もなく上からの人だかりによって埋め尽くされてしまうだろう。
おかまいなく外へ。日中二色程度のタイル床が、空の夕色を吸い込み橙色を纏う。空の状態としては、黄がかった雲が大半を占めている程度で、天気がいいかといえば〈並〉と評価できる具合だ。肌で感じる限り湿気はない――が、奇妙な程の殺気を感じて、セドは足を止めた。気づいたのか間髪入れずにイトスが振り返る。
「セド?」
そうして名前を呼ばれる、それを自覚はしていた。ただどうしても気がかりで周囲を見渡し始める。そういえばこの広場は普段、ここまで人影があるわけではない。今日のようにこの会場で催しがある時に待ち人が溢れる程度だ。では数人程散見できたのは何故か。自分達は二階に居たが、先程の〈演出〉を見て、自分たちと同じように気づいた悪魔も少なからず居ても可笑しくはない。そうして嫌な予感から外へと飛び出してきた、と言うのなら。セドは手持ちのカードを確認し、横目で数人の様子を伺う。同じように〈ゲーム〉に巻き込まれてしまった存在は少なからず居るはずだ。
「おい」
矢先言葉を掛けられセドは目を丸くする。そのことで逆に若干驚きを見せてきた声の主、イトスは目を細めた。
「どうしたよ、帰るんだろ」
「ああうん、確かに帰らないと」
緊迫感、視線が泳ぐ。紛れもなくこの気配。自分が〈これ〉を持っていることに気づいた奴がいる。セドの直感は確かにそう言っていた。イトスが気づいているかは定かじゃないが。
前方より肩を揺すられる。それがイトスなのは勿論解っていた。ただ神経質になった体は数拍反応に遅れ
「やばいかも」
「はあ?」
口をついて出た言葉には、呆れたような言葉が帰ってきた。
「ちとまて、やばいってどういう――」
イトスが詰問しようとしてくるが、セドからすれば今はそれどころではない。悪魔の密度が増え始めたこの広場、その気配の場所に目をやる。
「ばっ、セド解ったからとっとと帰」
イトスがようやくこちらの状況に気づいたのか、腕を引っ張ろうとしてくる――が、本能的にセドはそれをすり抜けた。それから跳躍しての横移動。平衡感覚が咄嗟のことで若干揺らぐ。今しがたセドが居た場所には代わりに短剣が植えられている。間一髪、ついでにイトスにも危害が来なくてよかった。と一息入れるが、こちらに迫ってきた気配に神経を尖らせた。
「なんだお前、可愛いと評判の〈空色悪魔〉じゃん。参加すんの」
目先数十歩程度、その場所に〈行動を起こしてきた男〉は居た。セドはその図体が大きく、橙色の頭巾を巻いた大男を軽く睨みつける。
「あんた、誰?」
セドの声色が自分でも解る程度に低くなる。実際に知らない。友人どころか知人の認識リストにも入らないだろう。だが紛れもなく相手は自分の事を知っていた。もしかしたら
「セド、相手すんな。お前の特徴みて言ってるだけだろ」
イトスが離れた位置から冷静に促してくる。気づかないうちに中腰になっていたセドの体は、ゆらりと体勢を整えながら、相手をもう一度見据えた。
「お前に組織壊滅された〈モロハ〉の残党だよ」
ニヤリと、見知らぬ男は、案の定手にしていたカード、の裏側をこちらに差し出しながら自己紹介する。確かにセドはその組織の名前を知っていた。ただやはりこの顔は見覚えがない。となるとイトスの言う通りなのか。
考える余裕もなく、男は今聞きたくもない言葉を言い放つ。
「宣告だ。〈ゲームしようぜ〉」
突如、見慣れた世界は変化した。
修羅場シュラハト
―――四番月五回日 十六時@セド
視界はまず光で覆われ、すぐさま展開した。大きくて半透明な箱、気がつけばそこにセドは格納されている。青い硝子に閉じ込められたような世界だ。ただ異世界というわけではない。単純な障壁による周囲からの〈隔離状態〉だ。
金髪を剃り上げ、〈宣告〉をしてきた筋肉質の男に目を向けながら、セドは後ろ手を恐る恐る、壁となった半透明へ触れる。触れたら死ぬ、怪我をする。そのような状況を懸念してか指先に汗が伝っていたが、そのようなことはない。生ぬるい、電力的な熱がじわりと神経を伝うそれは、見た目とは裏腹に割れるような材質には感じ取れなかった。若干の濡れ手で感電しないあたり、恐らくは触れても安全なのだろう、少なくとも今のところは。
セドは注意を男に改めて向けた。何のつもりだ、という顔を見せてみる。すると男はニヤリと笑った。
「手紙は読んだか? そうそう、仮に人違いだったらごめんな。その時は運が悪かったと思ってくれ」
「手紙」
言葉を繰り返す。〈招待状〉の話をしていることは明白であった。それはそうとして何故そんなことを聞いてくるのであろうか。考えるまでもなく、男は勝手にその答えを出してきた。
「〈Sランク〉になる。それってすげぇ名誉なことなんだ。こんなゲームで決まるんだったら、勝負運の強い奴が生き残る。それがどういうことかって話だ」
「あんたは〈Sランク〉になりたい。ついでに運も強い。そういうことでいいんだな」
相手から奇妙なほど感じ取れる自信に身が震えそうになりながらも、セドは淡々と言葉を絞り出した。不敵な笑みは更に強くなる。
「そうだ。お前はその踏み台になれってことだ。拒否権は当然ない。そのための〈ハコ〉なんだろうここは。もちろんボコボコにするだけじゃあつまらない。だからたまたま居合わせて、しかも〈仇〉であるお前にこうして挑んでるんだ」
どこかで――例えば娯楽的な読み物で目にしたような文句だった。それらと違う点があるとすれば〈自分がそれと同じ状況である〉ということだ。冗談ではない、とセドは思う。大体そういった話は決まって作品の主人公が悪党と対峙するときに使われる場面だ。――そんな
「俺、漫画の主人公とか登場人物じゃないんだけど……」
とつい小言を漏らしてしまう状況である程に、セドはまだ現実味を感じていなかった。うっかり聞こえたのか、男が不機嫌そうな顔をする。冷静さと緊張を交えながらセドは男を一瞥、続いて天井を見た。今にも動き出しそうな数字が、機械的に見下ろしていた。セドはカードを相手に向ける。男がやった動作を真似るように。相手に〈記号と色〉を見せないように。
「相手になってやるよ」
挑発的になってしまったのは、言葉を選ぶ余裕が無かったからだ。それほど、この光景には何たる実感もなかったのだ。或いは感情が一線を超越してしまったか。
まもなく、持っていたカードは天井に吸い込まれる。横並び二つの数字の両端に、黒図面をこちらへ見せるように貼り付けられる。数字は認識ゆえにか、分裂するように上下に光を流し、活字的に言葉を刻む――名前だ。相手の名は〈ラゼル〉と、悪魔語で記されていた。
「普通はライブ時なんかに、武器なんて持っていないよな。ましてやこのご時世」
ラゼルという男は耳の装飾に手を伸ばしては引っ張る。一筋の光が線を描き、やがてそれは刃物になった。長さは伸ばした両腕程、見る限り〈模造品〉ではなさそうだ。輝いた刹那上空……否、天井から音が鳴る。電子音が矩形的に歌う。それはカウントを刻む音だと把握するのに時間はかからなかった。
セドは構えの体勢をとろうとする――しかし男は視界から消えていた。速い、と脳内で駆け巡ると同時に身体を前進させる。感覚的に恐らく、身を隠しているわけではない。そうなると背後か……と瞬時推測するが、身体に過ぎった直感が、そうではないことを把握する。相手は、下だ。
視線だけを下ろす、案の定彼は地面へと伏せていた。もう一歩動いた矢先に足を掴むか、或いは足の腱でも切ろうと考えたのだろうか。だがセドの反射神経はそれを許さない。一気に身体を跳躍、後退した。
「おっと、勘がいいな」
下品な笑い声が飛んでくる。ゆっくりと巨体が立ち上がろうとしていた。反撃してもいいが、相手が手練れの者であれば、鋭い刃をこちらにむけてくるだろう。
空気に集中する。位置関係は微妙。相手が数歩動けばすぐにセドへと辿り着くだろう。一方セド自身の背後には壁がある。脅威ではないが避けるとすれば左右或いは上か、その程度の選択肢しかない。闇雲に相手が得物を振り回すものならば、多少の傷害を受ける羽目になるだろう。そういえば相手の〈元素的〉属性はなんだろうか。少なくとも自分の専門属性をこんな状況下で利用してくるのが基本であろう。――ここまでを早回しに考察する。
空間に集中し、動きの予測をある程度立てたセドは、警戒をひとまず解除する。臨戦態勢。とりあえずまず回避することを考えよう。そう思いながら息を呑み込んだ。
間もなく刃はこちらに、男よりも速く突き刺すように到達しようとしていた。薙ぐ動きは恐らく……セドはまたも直感的に逆方向へと跳ねる。刃が壁と接触し、金属と合成樹脂が衝突したような音がした。その反動によってかじわりと熱気が肌を掠めた。
――熱気?
セドはここで方向転換して更に飛びかかろうとしてきた男を凝視する。そのまま身体を伏せ、地面を転がり距離を測った。
専門的なことは分からないが、物と物がぶつかった時にこれほど温度は上がるものだろうか。息を継ぐ。もし、自分の直感通りであるならば。セドは跳ねるように立ち上がる――かと思いきや中腰で方向転換し、床を回るように動いた後、地面に手をついた。ラゼルの刃の軌跡は横薙ぎだ。そして思った通り温度が上がる。少しだけ目を閉じて集中した。再びセドが目を開けた時、気温は急降下する。
「あ?」
対してラゼルが素っ頓狂な声を上げる。地面は、壁側から中心に向かって氷を張りはじめ、みるみるうちに覆われたからだ。
「炎属性でよかった。水になるだけだし」
少しだけ緊張から解放されたセドが微笑み、氷はやがて地面を覆う。セドは凍り尽くす直前、宙にいた。不審に思ったか男は凍り切る前に氷面に足をついた。
結果、形勢は逆転する。男の身体が滑った勢いで倒れたのだ。反射的に刃で地面をついたようで、そこから蒸気が上がり、一瞬でその場所が溶ける。だが体重に刃は敵わない。果たして溶けた地面を独占したセドは転倒し始めた男の下に身を屈ませると、腹部を拳で一発殴り上げた。セドの全体重をそこに乗せたこともあり、男の身体は再び地面から離れる。
再度身を屈めたセドは今度は肩と腕を使って男の上体を上空へ持ち上げた。勢いは鎮まらない。天井に男が到達。そのまま自由落下で地面を数度跳ねる。その頃には刃の熱ゆえに、応急処置といわんばかりに張った氷は水へと変わり果てていた。
まだ気は抜けないが周囲をもう一度確認する余裕が今のセドにはある。間もなく時間は〈零〉を告知しようとしていた。今まで聞こえなかったが外野の声や目線を感じる。つまり会場から出てきて騒ぎに気づいた者達の視線を一気に浴びている状態であるのだ。案の定壁一枚の隔たりの奥で、食い入るように見ている何人もの悪魔の姿があった。中にはそこそこの知名度があるのか、ラゼルの身を案じる声もある。こんな声も聞こえた。
「あの相手、やっぱりそうだ。全然反撃するまで気づかなかった。あの身のこなし、体術。間違いない、見た目に注意の〈空色悪魔〉だ」
まさか自分が誰かしらに噂をされるような対象であり、それを直接聞く日が来るとは思っても見なかったが、いざ耳にすると実に複雑な気持ちである。結局、再度の電子音が響いても、男が身体を起こすことはなかった。
「やりすぎたか?」
セドは小言を零す。ひやりと背に汗が伝った。正当防衛と言えど手加減するのを忘れていたか。さすがに相手が再起不能になるとは計算外だった。固唾を飲んで空間からの解放と、男の動向を見守る。しかしながら身体が動かない。
そういえば、あの招待状にはこんな文が添えられていた。
『なお選ばれた人はフィールド内のみ〈禁忌:他殺〉の解除を行います』
ゾクリと、体温の低下を感じた。これが、自らの手で〈人型〉を殺める感覚なのか。脈拍が揺れる。本当に自分はそれを行ってしまったのか。だとしたら自分は――
「セド!」
声がかかったのは後ろからだ。今度は聞き慣れた声だが、うまく頭が動かない。ただ反射的に、セドはその方向を見た。イトスが珍しく心配そうにセドを見ている気がした。
「おい、大丈夫か。顔色悪ぃぞ」
「あ……あぁ」
セドはただ頷く。どんな顔をしているかは自分ではわからない。ただ手足の感覚がないのだ。唯一、目元だけに熱をもっているように感じた。目前で舌を打つ音がする。それは手を引いて、強い力で強制的に身体を前進させてくる。視界の動き的に、自分は自分の足で動いているのだろうか。拒絶はしない、ただ呆然とした鈍い思考回路の中、次第に感覚が戻ってくることは理解できた。
明瞭化してから、セドは周囲を確認した。手には、いつの間にか、黒図面のカードが三枚握られていた。
人はまばらに、やがて人はセドとイトス、二人だけの道に入り込んだ。ありきたりな荒廃ビルという長身建築が乱立する小道を半ばまで進む。息を切らしながらいると、ゆっくりと足が止まった。突如イトスがセドの目を覗き込んできた。突然のことで驚いて、身を後退させ「何?」と動揺した声をセドは投げる。
「やっぱ〈あの時〉とお前、同じ目をしてる」
イトスがそう言いながらもめんどくさそうに息を吐いた。
「〈あの時〉?」
セドがそれを復唱する。混乱は治まったが完治しているとは自分でも言い難い。
「お前が、初めて天界から出てって、戻ってきた時だ。〈その時〉の事までは飛んでねぇよな」
何を言っているのだろう、とセドは呆然とイトスの顔色を伺った。しかしそれに答えるような雰囲気ではない気がした。とりあえず、セドは首を傾げた。
「まあ、あんま気にすんな。とにかく、あんだけ騒ぎになってたんだ。一旦事務所にもどっぞ。今のお前にはそれが一番マシな場所だと思う。俺にとっちゃ面倒くせぇけど」
そう言うと再度セドはイトスに手を引かれる。次第に冷静になるにつれて、なんだか滑稽な感じがしてきた。そうすると自然に笑いが起きてしまう。
「どした」
イトスが訝しそうにこちらを振り返る。声色的には心配してくれているのだろうか。
「気ぃでも触れたか?」
「いや……なんか、来る時と逆だなって」
「あ? ああ、そうだな。んなことよりセド。お前やっぱしゃべんな。めっちゃ疲れて見えるし」
耳にそんな言葉が届いたが、セドは一瞬だけ耳を疑った。そんな台詞、イトスから滅多に出てこないからだ。それ以上に、セドは気になる事があって、再び疑問符を浮かべる。
「え、俺別に疲れてないぜ? びっくりしただけ」
「おう。それはいらん心配だったな」
イトスが、肩をすくめたように見えたのが、セドにとっては不思議で仕方なかったが、特にそれを言及する頭はなく、そのまま沈黙を続ける。速度は早歩きへと変わった。
橙色に染まった世界は、間もなく闇に支配されるであろう。――矢先、セドの思考は一気に乱れた。なんだか重い。まるで視界ごと闇に覆われてしまったようだ。
足音が、耳の近くで反響を続け、それが大きくなる。自分の音には違いなかろうが、他人事のようにすら思えた。
名前を呼ばれた気がしたが、セドはそこに取り残され、立ち尽くしたようにそこに居る感覚である。頬に、何かがまたこぼれ落ちた。そこまではよく覚えている。
説――四番月五回日 十七時@イトス
この世界の構造は在住者からみてもやや複雑だ。例えば目的地に行こうとすると、特定できる手段が殆どない。したがって習慣化された足の運びと、無意識化された手段を手繰り寄せてそこへ辿り着く。ゆえに無思考気味に歩み続けると気がつけば到着していた、ということもあり得ない話ではなく、ましてイトスには日常茶飯事たる状況である。自分でも説明ができない〈なんとなく〉を行ったその先に事務所が存在する。ただそれだけであった。
馴染みの通路を抜け、その先にある外開きの扉を荒々しく開けたからか、軋んだ音が耳に響く。奥には案の定外出する前と同じ椅子に、同じ調子で座っていたミドセが存在していた。イトスは奥へ進む。ミドセの現状については、本を読みがてら横目でイトスを見てくるが、それ以上の反応は見られない。むしろ無言であることで自らの様子を視察されている気がした。それが癪でイトスは、道中掴むのが疲れてからは襟元を引っ張っていた〈セド〉をミドセの前に突き出してみる。そこでようやく変化、眉を潜めた表情でミドセは見てきた。
「は? なにそれ」
「事件に巻き込まれた結果。どうにかしてくれ」
「理由わけがわからないね」
「面倒くせぇんだよ。とにかくこいつを――」
対して苛立ちを示し、ミドセへの説明を省こうとしていたイトスであったが、そこでセドの様子が若干おかしいことに気づき言葉を止める。大部分を笑顔だの快調といった楽観的な感情で占めているセドの表情が、どことなく焦燥していたことは把握済だ。改めて確認すると表情がない。むしろ、うってかわって虚ろな目をしているように見える。
「もし、あの男の〈魔力供給源〉が腹部だったら、俺は取り返しのつかないことを……」
その口が語る先は恐らくどこでもない。ただ、異常事態になっていることは目に見えて明らかだ。ますますその掴めない様子に、イトスは舌打ちして手を離す。すっかり脱力した様子のセドはそのまま床に倒れ込んだ。起き上がる様子はない。
「面倒、と君は言うけれど……流石に君よりいささか社交的な彼がこんな様子じゃ、君に説明してもらわないと全く理解が及ばないよ」
イトスが憤りを感じ始めるのと裏腹に、ミドセの調子は冷静だった。いつも通り淡々と言葉を紡ぐ。同時にそれは自分に降り掛かった面倒事に自然と繋がっていた。ますます気に食わない。
「あーめんどくせぇ、お前が痛めつけてでも正気に戻してくれたら早い話だろうが」
「あのね、何でも武力行使するほど、僕は馬鹿じゃないよ。それに……それは他者に物事を頼む時の態度かな?」
ミドセが向けてくる眼差しは、明確な程イトスへ説明を促している。勿論そうなると予想はついていた。ただ言葉が浮かばない。既に思考の大部分はさっさと片付けて家に帰りたい程にはなっていた――と、その時ようやく手紙の存在を思い出した。もうそこに書いてあるじゃないか。〈怠惰〉の思考は加速して、懐から取り出した封筒を渡す。
「あとは察してくれ」
「なんだろう、少し前に似たやりとりを君とやった気がする」
「そういうどうでもいいことを覚えてるのな」
「僕の記憶力を舐めないでくれるかな、君とは違う」
「わーったわーった。とりあえずそこに全部書いてある」
イトスがそう言うと、渋々だが手紙を受け取ったミドセは、そのまま開封して中に目を通し始める。ミドセの性格上、そして経験からしてこういう書類関係はすんなりと紐解いてくれる自信がイトスにはあった。恐らくこの奇怪な文面に顔をしかめて、けれどもあまり時間がかからないうちに解決してくれるであろう……などと予想しているうちに、ミドセが無言でその紙を返してきた。
「ちとまて」
「何が?」
「いくらなんでも早すぎねぇか?」
「いや、このまま読み解いたら君の思惑に引っかかりそうな気がしてね。僕はそういうの好きじゃない。君は態度も悪いし」
言葉の内容には納得できないが、表面を見れば確かに察された結果突き返してきたようだ。そのくらいの時間での対応である。最初の行全てにすら目を通したかが判らない程には。イトスはしかし反論した。
「非常事態。俺は面倒くさがって話さない。勿論知ってるよな?」
「それなら君がセドを元に戻せばいいまで」
ミドセの態度は一貫して平然としている。確かにその通りではあるのだが、いかんせんここまで尋常ではないセドの態度を改めるのは時間がかかることは理解している。かくなる上はと、イトスは入室時からあった、ミドセ以外の気配を感じた上で口を開く。
「リィノ、手伝え」
それは背後から禍々しく空気を纏っていて、間もなく形を成し始めた。仲間にして、緑髪の一部を横に結び垂らした悪魔、〈リィノ〉の日常的な習性だ。
「えー、セド治すの? それいちばんめんどいやつ」
「お前精神関係の〈操作〉は得意だろ。とりあえず急ごしらえでも無理やり安定させてくれよ。したらセドがなんか料理作ってくれるだろうから」
「んーイトスが保証してくれるなら別にいいけどー」
考えるまでもなく、イトスの言葉には実に容易にリィノは対応しようとセドの近くに座り込んだ。腕を組みながらその様子を見おろそうとしたとき、ミドセからのため息が耳に届く、横目でイトスは睨みつけた。
「んだよ」
「いや、清々しい程他人任せで逆に尊敬するよ」
「そりゃどーも」
「挙句、僕は別に〈やらない〉とは言ってないんだよね。君が態度改めてくれたらもっと早く片付いたろうに。そもそもリィノがセドを安定させた所でセドがまともな説明をしてくれるとは限らないよ」
「俺もお前のその性格改めてもらえたら、物事も楽に進展するって思ってるから同等だと思うぜ」
淀んだ空気が肌を掠める。無論イトスもその原因の一つであるのだが、持ち前の怠惰欲は変わらず行動を許さない。そして傲慢と名の高いミドセもまた、揺るがない性格を構成している為改変は行われず、
「まったく、進展性のない不毛な争いだね」
代わりに呆れた言葉をミドセから受け取る事となった。互いに相性が悪い事は理解しているのだ。仲間であるとか、そういった枠組み以前の問題である。
だが横槍を入れる可能性のある存在が現れていることを忘れてはならない。各々の欲を、そして個性を伴った〈悪魔〉という種族は、日常を生きているにも関わらずなぜか平静を壊すきらいがある。手持ち無沙汰なのかリィノが、立ったままのイトスと、椅子に座ったミドセを見上げるように交互に見てくる。そして何か思い出したかのように声を上げるとリィノが軽く口角をあげてみせた。
「そうそうイトス」
「あ?」
「イトスがもってるその手紙、ゲームの招待状だよね。だってさっきその装丁、届いてるのみたもん」
「なん……おいミッチー」
その言葉はつまるところ、〈同じ手紙〉をミドセが持っている。という意味を表していることは一目瞭然だった。言われてみれば確かに直ぐに返してきた意味も納得がいく。そもそもイトスがルールを覚えている限り、〈Sランク〉を奪い合うゲームであるはずのため、理論上ミドセは関係者になって然るべき存在なのだ。一方でリィノを見下すように冷たい視線を送っていたミドセは肩をすくめる。
「いずれにしても、僕が手を貸す理由にはならないよ。僕はセドを治せとしか言われてない。そして結局手は貸していない。あと〈それと同じ物〉を僕が持っていたからと言って、セドの心境が垣間見えるかは別問題だ」
「本当にめんどくせぇなお前」
「君が放棄した結果だよ――なんならルール把握してるよね? 決着つけてもいいんだよ?」
急に冷たい――否、それ以上の空気がミドセから放たれる。殺意というべきか、はたまた別物というべきか。今回のルールとなっている〈Sランク〉の地位に相応しい威圧感が感じられた。イトスは言葉に詰まる。当然であるがその意図は汲み取る限り、先程見た光景が拡がり、どんなことが起こるか想像がつく、当然イトスの答えはこうだ。
「めんどくせぇことはやりたかない」
「だろうね。なら大人しくセドが起きるのを見守っとくといいさ」
「二人共ごめん、俺はもう、大丈夫だから」
絡んでいた攻撃性の空気は、横入りする聞き慣れた言葉の発動で緩和される。イトスが目をやると、ゆっくりとセドが起き上がり、床に座り込み始めていたところだった。面目ない表情で見上げてくるセドは、体勢を整えるともう一度謝罪をイトスに添え、今度はミドセへと目を向けた。
「混乱した、けど記憶はあるんだ。二人の話もなんとなく聞いてた」
「君は本当にそういう所無くしたら、もう少し賢くなれそうなものなのに残念だ。で、聞いてたならイトスに代わって説明してくれるよね?」
「治ったら手打ちのパスタ食べさせてくれるって俺もきいてるからはやく説明して」
リィノの尽力で、ある程度正気に戻ったらしいセドは、同時に二つの意見を強制的に聞く羽目になっているようだ。イトスからすれば自分が引き起こした問題と条件にも関わらず、すっかり他人事で様子を伺っていた。セドは戸惑いながらも苦笑を浮かべる。
「〈手紙〉を持っているなら、概要は俺よりミッチーのほうが詳しいだろうから省く。俺達はライブ中に突然現れた赤い玉にゲームを開始する旨を伝えられて、それから招待状が気がついたら近くにあった。選ばれた人が何人いるかはわからないけど、少なくとも何か感じ取られたのか、俺は突然絡まれてゲーム空間に強制参加させられた……それで――」
抽象的だが事実を話していたセドだが、そこで顔色が変わり口を噤んでしまう。ミドセはいつの間にか本を際に寄せ、腕を組んで話を聞いていたようだが、セドが閉口して間もなく、助けるように言葉を渡した。
「で、君はなんらかの形で勝ったんだけど、〈魔力供給源〉だった可能性がある場所にとどめを刺した結果、相手が〈消滅〉。悲壮感漂う存在に成り果てていた――と、そんなところかい?」
「いや……うん、まあそんな感じ」
「どこか釈然としない様子だけど成程ね、確かにイトスの読みは正しかったようだ。起こせてよかったじゃないか」
ミドセはセドの説明で納得したようだが、結果的に言葉の片鱗には嫌味が多分に含まれていた。もっともいつものことなのでイトスは気にしないが。ともあれ話しは半ばにでも聞いていたのか、リィノがセドの背後から首を傾げミドセに尋ね始めた。
「〈魔力供給源〉ってなんだっけそれ?」
「なんだっけも何も、僕は知ってると思って、教えたことないよ。イトスから聞いたら?」
随分と根に持っているのか、あるいはなんらかの当て擦りか、解答をミドセはイトスに投げつけてくる。
「は? んなもん知らねぇよ」
「君は……まったく、常識すら勉強できずによく学園を卒業できたね、これだから〈怠惰悪魔〉は。〈魔力供給源〉っていうのはいわゆる僕達悪魔の〈核部分〉のようなものだ。これがなければ〈魔力生命体〉という存在は維持できない。そこを破壊された悪魔は、事実上〈死ぬ〉ことになる。一般的に悪魔の三大禁忌の一つ〈他殺〉はこれに該当するね」
呆れられはしたものの、結局説明してくれた為事なきを得る結果となった。同時にイトスは気づいたことがある。空間内部で決着がついたときの出来事のことだ。
「セド、あの残党っての、お前が勝った時残ってなかったか?」
「残ってた?」
ミドセの声色が若干変わり、セドへと視線を向け直す。怯んだのかびくりと身体を強張らせつつもセドは頷いた。
「そう、だからミッチーが〈消滅〉って言ったときおかしいなって思って」
声がたどたどしく出てくるあたり、セドも気づいたことがあるのだろう。だが笑顔で誤魔化すことはしなかった。
「セド」
ミドセがセドの名前を、まずは簡単に呼ぶ。少しだけ沈黙が含まれており、且つ目を伏せたミドセはかなり落ち着いていると見てとれる。
「僕は別に、怒ってはいないんだ。実際〈他殺〉レベルのことを引き起こせる奴なんか、例外を除いてほとんどいないから、知識があっても実感がないだろうし、致命傷で動かなくなれば錯覚は起きる。致し方ないことだ」
ただ傍目から見れば、途轍もなく奇妙な空気ではあった。程なくして目を開いたミドセは言葉を紡ぎ直した。
「けど、さすがに周りに影響与える程取り乱すというのは、流石に迷惑きわまりない。しかも自分の知識不足で思い込んだ挙句勘違いだよ。何が言いたいって、君はとんでもない馬鹿だ」
「うっ、否定できない」
「これを機会にもう少し勉強したほうがいいんじゃないかな? 足引っ張られるのは迷惑だから」
「なあミッチー、つまり相手ってのは」
イトスは、セドへ説教を始めたミドセに確認がてら問いかけてみる。ここまでのミドセの言いがかりはいわゆる性格的なものであり、決して敵対心からの発言では無いのだ。だからこそミドセはイトスに目を向けると、頷いては答えを提示してきた。
「うん、〈やりすぎた〉ってくらいで〈他殺〉には該当しない。まあこのゲーム、空間内では〈他殺〉しても許容されるから、判別はつきづらいだろうけどね。あくまで〈他殺〉して禁忌に引っかからないだけだろうから、恐らくは本気でセドが手を下せば、相手は消滅していただろうね。もっとも、彼にそこまでの力が出せるなんて思ってないけど」
大まかな説明で現象を把握したイトスはセドの様子を再度伺う。ミドセの言葉は余計な文句が含まれている事が多いが、基本的に説明に関しては嘘を吐くことがない。それを知ってか安心している様子だ。イトスも一件が片付き安堵する。と、同時に有耶無耶となっていた問題が脳裏から浮かび上がってきた。
「なあミッチー、俺ら……お前含めて俺とセドもカード二枚ずつ渡されてるわけじゃねぇか。セドは勝ったから一枚余分に持ってるけど。このカードの法則ってなんなんだろうな。とにかくそもそも、カードの模様もよくわかんねぇし……」
「模様、ねぇ。一応記号ではなく〈数字〉が基本的に記されていることは理解してるんだけど」
ミドセはそう言いながらも、本に挟んでいた二枚のカードをイトスに渡してきた。黒の地は手持ちと同じ。つまり今回催された遊戯用カードの共通した裏面の柄のようだ。受け取ろうとして、イトスは眉を吊り上げる。
「って、そう簡単に渡していいのか?」
「別に。だってこれ所有者の〈音証おんしょう〉が記号をなぞると鳴るから詐称もできないだろうし。そもそも開示に関する規則はない」
そこまで言われるとイトスは躊躇いを捨てて受け取る。二枚のカード。表面に返すと緑色の地の中、白い模様が中央に記されていた、試しになぞると確かに馴染みのない音色と鈴が空気に転がった。セドがゆらりと起き上がってそれを覗き込んでくる。続いて口を開いた。
「〈二〉と〈四〉?」
「うん、現代悪魔文字。それを点対称に複製、合成したもの、そこに編集を加えた。と考えられるね」
「緑……ってことは属性なのか? あ、俺は青だったんだ」
セドが言葉を紡ぎながら自らのカードを取り出す。確かにセドが手にしたカードは青地に装飾が施されていた。様子を見る限り、余程安心したのか声色もいつものように戻っている。
「かもしれないね。〈七〉と〈三〉……もう一枚は赤の、〈J〉みたいだ。……ということは相手から獲得してきたのはそれかい?」
「うん、赤は相手からとってきた。そっか、これ〈三〉だったんだ」
セドは感心したように絵柄を見ているが、イトスには若干理解ができなかった。
「まてよ。急に〈J〉? とかいう変な文字が出てくるんだ?」
「形の法則だよ、あとは推測。この世界じゃそこまで使われない文字――カードゲームを多分に行う世界で似たような形を見たことがあるんだ。……とはいっても、まあ君たちこそ、多分一般販売している〈トランプ〉という遊具でこれと同じ形を見たことあるだろうけどね」
「あー、あのよく一枚二枚失くなって探すの面倒になる〈あのゲーム〉のか」
イトスは説明を受け、ようやく謎が鮮明になると、自らのカードも取り出す。模様の法則性が分かれば違和感があったこの図形も、ぼんやりとだが見えてくる。
「つーことはこっちは〈A〉。コイツは〈六〉だったりするのか」
「おや、都合よく〈エースカード〉といわれる存在もあるんだね。なら、やっぱり〈トランプ形式〉の可能性も高いよね」
ミドセは椅子から身を離すと、低姿勢の机の上に身を屈みながらカードを置いていく。合計七枚のカードがそこにはあった。
「ふむ。じゃあこの色彩が表すのは、元の所持者の属性である。そして、このゲームの参加者はこのカードを、何かしらのゲームを利用して奪い合う。この数値を加算していき、より多くの数値のカードを所持する。結果は〈ランクの変動〉――そういうことだね」
「色彩って、なんか意味があるのかな? トランプだったら記号の代わりかもしれないから深い意味があるかもしれないけど……」
セドがミドセの対応をしながら深い息を零した。
「俺は、あんまり気が乗らないな。参加しなかったらペナルティがあるのかよくわからないけど。自由を奪われた……っていうのも曖昧だしな」
「別に、〈Sランク〉を目標としてないんだったらそれでいいんじゃないかな? その方が僕も敵が減って安心だよ」
「そもそも、お前とかイトスと争う方が恐ろしいから」
そんなセドとミドセのやり取りを聞きながら、イトスの直感はまた疑問を走らせた。面倒事は嫌いだが、首を突っ込んで且つ曖昧過ぎる状況はいささか腑に落ちない。
「なぁミッチー」
ぶっきらぼうに、イトスは言葉を投げる。ミドセの視線はすぐにイトスへと移動した。
「解るってんなら質問があるんだ」
「なにかな」
「〈A〉ってなんの数値だ?」
「さあ? ただゲームによっては最大値だったり、最小値だったり、変動したりと未知数であったりするね。判断材料があったらいいんだけどね。今はまだ推測の域だしなんとも言えない」
「んじゃもう一つ。〈Sランク〉を変動させるのが目的なんだよな。んで、ミッチーは〈Sランク〉の一人だろ。変動目的なら一番でけぇカードをお前ら〈Sランク〉が持ってて、死守してそうな気もするんだけどそこはどう考える?」
トランプの性質を思い出しながらイトスは述べる。間違っていなければオリジナル地球産トランプの特徴は〈四種の絵柄〉と対応する〈十三の数値〉、それからよくわからない謎のカードが一枚か二枚入っていたりする。仮に〈四種の絵柄〉が〈属性〉であるのならば、その最大値をミドセが持っていても違和感は無い。ミドセは少し考える動作をするがすぐにイトスを冷静に見据えた。
「たしかに〈Sランク〉は四名。〈S取りゲーム〉と名があるくらいだから、君の説は一理あるね。けれどもこの通り僕はこの二枚のカードを持っているのが現状だ。考えられるとしたら、単純にランダム性かもしれないし、〈Sランクであるが故のハンディ〉か、或いは〈癪だけど手違いで配布された可能性がある〉……そう考えるのが自然だと思う」
「手違い?」
セドが首をかしげる。確かに仮定だとしても異質な話だ。それも、誤算的なことを好まないミドセが言うのである。てっきり不機嫌な表情で悪態をつくことも考えられたが
「ま、仮にそうだとしたら〈挑戦〉として受けて立つけどね。どのみち今はもう一つの課題も抱えているんだ。何かしらで誰かに対峙しないといけないわけだし、好都合だよ」
「相変わらず勝ち気なこって。で、手違いだったら考えられることってなんだよ」
予想外な返答に呆れ返りながらも詰問するが、今度は少し不愉快そうな表情をミドセは見せてきた。――性格から考えて当然ではあるが。
「君たちには関係ないよ。どのみち決定打があるわけじゃないしね。ゲームゆえ平等性を重要視している可能性が高いし」
「そか……」
確かにそうだった。〈Sランク〉であれば高数値を所持せずとも手数を揃えそうなものであることは容易に想像がつく。まして、目の前の悪魔――ミドセであればなおさらであろう。
ある程度話題が沈下したところで、一つ欠伸が漏れた。音の先を見やるとその主はすぐに解った。
「どした、リィノ?」
息を潜めていたかのような無気力な少年は、声をかけられると眠気眼でイトスに注目してくる。それから口をゆっくりと開くと感情の篭もらない平坦な言葉が流れてきた。
「いや、なんかおもしろそうだなぁと」
「あん? 全然めんどくせぇシロモノだ……あ、そういえばお前は? どんなカードもってんだ?」
「え……」
イトスは問いかけてみる。まるで他人事のような態度にはさすがに呆れ返ってしまう。だがリィノの反応は意外にも不思議そうなものであった。言葉を詰めたリィノは、数拍置いて首を振る。
「俺はもらってないよ?」
「はぁ?」
どうやら正真正銘〈他人事〉の反応である。イトスは思わず声を上げた。そこにはすかさずミドセが言葉をかける。
「うん、僕は窓の外の〈放送らしき〉大音量を聞いて、その後唐突に手紙が現れたことに気づいたし、リィノはその音で起きてこちらに来たけど、何も手には持っていなかったよ」
「っつーことは、まあその放送ってのはおいといて、組織ごとにもらった。ってワケじゃあないっつーことなのか?」
「さあ? 少なくともリィノは僕の上、仮にも〈SS〉という特殊ランクを持っているから必要性がないだけかもしれない。そもそも選出も謎めいているし、僕はともかくね。まあ、アシュロが持っていたら該当する可能性は――ねぇ、イトス」
ミドセは今更のように疑問の表情を見せてくる。恐らく本人もそこまで気づかなかったか、或いは意図的に気づいていない振りをしていたか。どちらにせよイトスも今ようやく存在が無かったことに気づいたところである。
「んだよ」
「君たちと同行していたはずの、アシュロは?」
「そうだよ、そういえば閉演前に後で連絡すればって言ったのイトスじゃんか」
セドにも言葉を掛けられ、イトスは閉口してしまう。イトスは困惑していたが、ミドセの矛先はセドにすぐ向いた。
「いや、君もだよ。アシュロとはいつはぐれたの?」
「俺は……異常に気づいて一旦夢中になっているアシュロを置いてすぐ戻ればっておもったから。まさか時間の都合的に置いていって、巻き込まれるとは思ってなくて」
「成程、解った。つまり異常に君は気づいたのにアシュロの身は案じずに放置してきた。そういうことだね」
「そういう言い方ないだろ。俺だって必死に――」
「いや、いいよ。無事なんでしょ彼女は。君が〈危険察知〉の能力で先見的に検知しなかったくらいだもの。それにしては帰りが遅いみたいだけどね」
「確かに安全だって判断して置いてきた点は否めない。だけどすぐ戻る予定だったから……合流できるとも踏んでたし」
「ああ、そうだろうね。じゃあ、仮に彼女と合流できたらアシュロに伝えといて。〈三番〉っていえば多分解るよ」
「三番?」
突然の伝言にセドが首をかしげると、ミドセは頷いてイトスとセドを交互に見てきた。それについてイトスが疑問を投げる。
「突拍子過ぎる。どういうことか説明しろ」
「そうだな。今回この〈RE:CYCLE〉が開始したことで、緊急会議が行われる事になったんだよ。だからこれから席を外す。責任とって君たちはアシュロの帰りを待っててくれるはずだしね。踏んでたんでしょ? 合流できるって」
会議……聞いてイトスは言葉を詰まらせる。様々な単語を手繰り寄せて、見えてくる答えは一つだった。
「つまり、アイツがここに帰ってくるまで誰かしら残ってろと」
「当然じゃないか。一応任務だよ。最後までやり遂げて報告するまでが基本的な流れだ。じゃあ、時間だから」
「うわ」
ミドセの行動があまりにも唐突なのは日常的なことである。ただそれは当たり前のように巻き込まれる結果になることが多く、待っているのは加速する疲労感と無駄な時間なのである。そうとでもなれば文句の一つや二つはいいたくなるものだが、口を開こうとした矢先、ミドセの身体は徐々に透明化していき、間もなく気配すらなくなってしまったのである。
「めんどくせぇ……」
イトスは捨て台詞のようにそう零し、セドと目を合わせる。セドはすぐにこちらを一瞥すると愛想を浮かべて返してきた。
「ま、最悪リィノがいるし……って寝てる!」
どうにかして逃避する術を見出そうとしたが現状打つ手はない。恐らくお人好しな面を持つセドでも、この空間ではイトスを手放さないだろう。ましてや仮に放棄して帰れば、ミドセが戻った際に何をもたらしてくるかはわからない。イトスはただ、アシュロが早く帰ってくることを願いながらも手持ち無沙汰周囲を見回す。机の上にあった緑の二枚は、いつの間にかその場から消えていた。セドにカードについて伝えると、目を丸くして把握してくれたようだが、それはやがて感心した声に変わる。
「うわいつの間に……や、でもやっぱさすが〈吸血鬼〉で〈書庫の魔女〉とか言われてるだけあるよな……どんな能力使ってるんだあいつ」
「んなにすごいか? 俺としてはただのめんどくせぇ奴にしか見えないんだけどな」
「確かに得体のしれない所はあるけど。敵に回すよりはマシだと思う……ああはいうけど、悪いヤツじゃないし」
はじめはこのように会話をつなげようとしていたが、すぐに話題は消滅した。
世界は夜に飲み込まれる。だが、まだ待ち人の気配は感じられなかった。
P.Concilii
――四番月五回日 十八時@ミドセ
音を翳す――。
日常的に認証利用される手段として、安易的に拡散された方式である。退化した〈魔術〉を原型が無い程までに簡略化し、それを〈能力〉として提唱、更に道具に取り込むことで、特に消費することなく効率的且つ正確な動作へと進化した姿――その公的技術には必ずと言っていいほど〈音証〉と呼ばれるものが用いられている。
「今は血も必要ない――か」
そんな個を認識する方法である〈音証〉を、規定の手順で照合するミドセの手つきは何処かゆっくりだった。思えば魔術も血も必要としない世の中に、何故〈魔女〉を研究する者が存在し、〈吸血鬼〉という種族が存在するのか――結論が見えても恐らく納得しないだろうどうでもいい議題に頭を悩ませる程、現在ミドセの気は進まない。
認証を示す音を鳴らした〈電子仕掛けの移動装置〉は青白い固有結界を周囲に巡らせた後、外殻の空間をねじ曲げる。到着するまでの合間も身体は重かった。だからこそ余裕のある思考回路を利用し、現代と過去を結んでは解くという無意味な作業を繰り返すのである。
ふぅ、と息を落とすと機械的な電子音が単音を奏でた。視界が安定したという合図だ。此処の〈音証〉には個の認識をする機能と同時に、実力で篩をかける類の仕掛けが施されていた。この音だからこそ警戒するのである。ミドセが懸念している理由はそれだった。なにしろ〈この階〉には、ロクでもない者が現れるのだ。
装置に送られた先は、仄かな――まるで蝋燭のような――橙色の灯りが点在する、落ち着いた色合いをしていた。仮に見取り図を作るならば円柱型の空間。側面を構成する硝子窓の外は夜の藍で静かに染まっていた。夜が似合う豪盛で且つ沈着した世界であることを考えると、実力の及ばない輩が入室すら許されないことも頷ける。
さて、到着一番手は別の存在であった。やわらかな香の匂いと共に気配は確実に、今此処に存在している。
「数カ月ぶりだね、ミドセ君」
突如女性の声がした。目で探ると、横端にある置物の大きな天球儀に腰を下ろし、悠長に足をばたつかせていている姿を確認できた。青を基調とした、輪状の髪を二束垂らす女性は、ミドセに向かってただ微笑みかける。
「ああ、久しぶり」
この女性に関しては警戒する必要がなかった。だからといって談義するような相手でもない。その為、ただやり過ごすように挨拶をする……それだけをミドセは望んでいたのだが、気分に反して女性は音もなく地面へと降りてきた。市松模様のタイルに着地した女性は、厄介にもミドセに興味を示しているようだ。邪気のない笑みは、かえって不気味にすら感じる。さすがに無視をする意味もなく、最終目的地に足を向けながらも横目で女性を見やる。
「何?」
「ううん。ただ元気かなぁと思って!」
「それなりに。……ちなみに、貴女の弟はもっと元気だよ」
「そうなの、よかった。セド君が元気で無事なら私は幸せ」
その言葉通り、女性は正真正銘、セドの〈姉〉である。とはいえロノワール家は優秀な血族であるはずなのだが、思考回路がどこか可笑しい、ミドセの印象はそんなところだ。先見の力を持つ彼らの家系について情報を整理しているうちにミドセは足を止める。連想されたのはまさに〈先見〉、この部分だ。
「ユーガ。まさか、召集前から待機してたの?」
振り向いて、弟と同じ青い瞳を軽く見上げる。特に何の変哲もない笑顔で、ユーガは首を傾げ返してきた。
「んー、どう思う?」
「割と僕は呼ばれて直ぐに来たから、この近所に居ないと到着は難しいと思うんだ。時間、距離……それを踏まえても偶然とは考えられない」
「主催者も来てないもんねー。吸血鬼は霧になってすぐ移動できたりするんだっけ。そっかそっか……」
ユーガはなにか小言を零しながら横に並ぶように歩いてきた。会議室のような空間が奥にある。無論そこへ向かう為だ。ミドセも目的を思い出したかのように歩を進め直し始めた。
「うん、実は視えていたんだ。流石、よくわかったね」
「そうだと思ったよ。いつもは一番に此処に来てるから余計に。と、いうことは先の事も解っている可能性はあるよね」
「うーん、先過ぎることはセド君の方じゃないとわからないかなぁ……でも」
突如楽観的な声が真面目に絞られ、不思議に思ったミドセは、左を歩くユーガを覗き込むように見る。その目は、どこかで見たような、幻想的な色をしていた。
「こんな平和な日常が終わるのがあともう少しかも知れないってことは、わかるかな」
それはどこか、憂いを帯びているように感じる。そんな態度をされると気まずさも増す。ミドセは結局いつものように空白でそれを流そうと、しばらくは無言で居ることを決めようと目を逸した。途端、ユーガはこちらへ笑いかけてくる。
「そうだミドセ君」
こうやって彼女に目を向けるのは何度目か、しかしいざ確認すると煩わしい感覚は一瞬揺らいだ。今度の瞳の色はとても愉しそうなものであったからだ。
「今日、何があっても、自分の信念をしっかり持っていてね」
――平和な日常……か。
通称・会議室と呼ばれる空間の、中央に設けられた大きな黒い円卓に片肘を立てながら、ミドセは物思いに耽っていた。硝子張りの奥に拡がる夜景、暗めの照明、黒を基調とした室内。静かな空間。このどれもがこれから物騒になるような兆しを持っていなかった。ただ此処に招かれるということは、大事であり、実際に起こってしまった。つまるところそれは〈非日常〉が始まることを意味しているし、既に理解しているのに、どうもユーガが言葉にすると只事ではないように感じられた。
崩壊した世界。主を失った王国。どれも異世界を渡り歩いて既に何回もこの目で観てきたはずなのに、いざ自分の本拠がそうも変化してしまうと実感が持てない。勿論この悪魔が住まう〈天界〉が完全な平和世界というわけでもない。だからこそ、こうやって〈4S〉と呼ばれる、いわゆるこの層の頂点が、統治であったり情報共有を行う為に集う機会が存在するわけだ。
内心の独白で暇を潰しながら、居る世界を眺める。悟ったかのようにユーガは静かに佇み、夜に溶け込んだように瞳を閉じていた。静寂の空間――だがそれが長く続かないことくらい予想ができたし、現にそれが実行された。
「やあやあ、久しぶりやなぁ!」
重い空気が一変。一つしか無い自動扉が開いた瞬間に放たれた言葉は雰囲気をぶち壊す程に明るく、また耳障りだった。この声色、話し方、あまりに特徴的すぎて、隠れていても特定が容易だ。その〈男〉はミドセをみるなり、目を輝かせる。
「ミッチーが先に来とる、忙しいんに流石やで! 私が認めただけあるなぁ」
彼こそが、ミドセが案じていた〈ロクでもない者〉そのものである。悩みの種である彼に言い返したいところではあるが、先ずは落ち着いて大きく息を零した。
「そういうのはどうでもいいよ。それより揃ったよね。さっさと本題に入ろう、忙しいんだから」
冷静に振る舞う――このくらいしか現状としてはあしらいようがない。勿論ここに横槍を入れることが多いのがこの男――〈ビル〉という幻奏新和の長なのだが、流石に緊急会議だ。多少なりとて場はわきまえてくれるだろう。
「そんな固っ苦しいこと言わずにー。相変わらずやなぁ。そこが可愛いんやけど!」
……そうであってくれたらどんなに良いか。ミドセは毎回のようにそう思うわけである。結局、言葉の片鱗どころか全体が気に食わなかった為、不満な表情を無言で向けた。ようやく悟ったのかビルが肩をすくめる。
「ま、しゃーないな。確かに緊急事態やさかいなぁ。ほな、さっさとはじめよか」
そう言いながらもビルは円卓の真向かいにビルは座った。中年容姿にも関わらず薄いエメラルドの、奇妙に二つ括りに纏めている長い髪が黒い机に垂れる。どことなく毛先が光っているようにも感じるが気の所為だろう。
そして彼と真逆の性格にして、いつの間にか紛れ込んでいた黒髪の少年が左の席に座った所で、調子よくビルが手を叩く。
「えっと、まず誤解されそうやから言っておきたいんやけど、ウチの扱ってるライブイベントでヘンな演出があってんけど、あれは仕込みじゃないからな」
「えっ? でもパッシュ君すごくわかったような感じだったよ?」
「あーユーガちゃんライブ来とったん? それはアイツの〈アドリブ〉や。私もなかなか肝が冷えたわ。しっかしあのセキュリティくぐり抜けて乱入してくるとか、どんだけの実力者なんや……とにかく、ウチの演出ではない以上別の奴が犯人っつーことは前提として理解しておいてほしい。っちゅー願いや」
「なっるほど、てっきりサプライズ演出かとおもっていたからびっくりしていたの。怖かったから安心したわ」
始まった。かと思いきや一見ただの雑談にしか聞こえない。神妙になりそうだった空気を変えたのはユーガであったが、いかんせんこの調子だと会議が長引いてしまいそうだ。ミドセは持ってきていた手紙を手に取る。
「それで、召集された以上これからどうするか、決めるために集まったんだよね。情報共有を含めて――とは言っても情報なんざ、君が殆ど取り扱っていると思うけど」
「お、反発しないってことは信じてくれるねんな」
「いや別に。そもそも僕は催事なんか興味ないから行ってないよ」
「なんやねん枠くらい開けたるのに」
一言多すぎる――ミドセは内心舌打ちをした。勿論顕わにしても問題はないが、どうやら反応すればするほどそれが増えていく。とはいえ無視するわけにもいかない。前進しないのはそれ以上の問題だ。
「状況もルールも、大方把握しているはずだから今更認識しなおす必要はない。問題はこれの決着点が〈Sランク〉の交代というところ。維持するためには僕らは参加しないといけないし、ある程度の制限は設けないといけないと思うんだ。僕らしか持っていない権利だってあるのだから。別に放棄してもかまわないけどね」
ミドセはいいながらもビルに目を向けた。意図はしている。察したのか相手は銀縁のついた眼鏡と、その奥の翡翠を光らせた。
「確かに、管轄範囲の空間制御は私達の役割やなぁ。なんや、全エリアゲームフィールドを展開不可にするとかか?」
「それをできるかどうかがまず問題だから保留にするよ。得体のしれない存在からの招待って確証できるんだ。簡単にできるとも思えない」
「せやなぁ」
ミドセが弁舌をふるうとビルは一息つき、そのまま目線を別の所に向けた。ずっと無言を決めている、黒髪の少年にだ。
「ガンちゃんはなんかアイデアとかないんか? 幽霊種はそもそも侵入区域とか決めてもすり抜けたりできるやろ?」
「ビル氏はいい加減〈光条〉とお呼びいただきたい。……うむ、確かに我々は建物も一定範囲は通過できる。縄張りではないかぎりだが。正直〈自分の領域〉で騒ぎを起こされるのは何かしらリスクがある。できることなら展開できないように願いたいものだ」
ゆったりとした両袖を組みながら、藍の目をじとりとビルに向ける。総合的な実力としてはビルの方が上位であるが、光条という少年もそれなりの権力を持ち合わせている、特に
「幽霊種の大半は、余程〈強欲〉とかけ離れていない限り金銭でどうにかなる種。今回どのくらいが選定されたかは解らないが、賛同頂けるなら給付金でも渡すか、賛同者のみ商品を値下げすれば、少なからず〈ショッピングエリア〉での紛争は逃れられると思っている。それこそエリア内で騒ぎを起こせば値上げすればいい話、そのくらいの予算はあるだろう」
経済への影響がある程度には、その声は力強かった。さすが、齢十六にして最大の商売施設〈ELP2〉の運営者である。
「成程、自衛する為に物理的な制限を設けるのは良い考えだ。合法的」
納得のいく案であるし、少なくともビルよりは現実的だ。ミドセは感心した上で目を伏せる。
「僕としては〈高層ビルエリア〉においては存分にゲームが展開されるべきだと思うよ」
「なんやて」
「いくら平和化した天界とは言っても、血に飢えた輩は多少なり存在、大規模な組織でも三十程度はある。そのうち、いわゆる下位ランクを狙う〈ランク狩り〉の組織に至っては全体の五パーセントを占めている……」
統計と解析には自信がある。それゆえ心なしか口元が綻んだ。
「となるといずれ選定者じゃなくても擬似的に空間らしいものを創作する奴は現れるだろうね。それなら最初から推奨区域にしておいたほうが良いと思う。その方がこちらとしても好都合だ。言えば環境整備だね。刺激となる空間を作っておけば誘導くらいはできるだろうし」
天界の状況を思い返しながらも考察、案を述べる。ビルは最初驚いたような表情であったが、進めると納得した顔色へと変わっていった……理解したかは定かではないが。
「確かに、私達の権力で制することができるっていうと、転移先の設定くらいしか関係する所ないもんなぁ……それやったらいくつか推奨区域――会場に強制転移させるっていうのも面白そうやな。まあ選定者が誰かわからんから分別難しそうなとこやけど」
「それは……君達の組織ならお手の物でしょ? 認識した上で設定したらいいのでは?」
「はっ、せやなぁ」
ビルは豪快に笑う。実に調子の良い奴だ。退屈そうに息を落としながら、ミドセはユーガへと目線を向けた。彼女の顔は、前半とはうって代わって楽しそうな表情で様子を伺っているようにも思える。
「今んとこわかってんのは〈Sランク〉には同属性の〈Q〉と〈K〉が配布されたってことくらいやな。ガンちゃんがそう言ってたし」
「そうなの?」
そこでミドセは、不信さを感じながらもその色を出さぬよう真面目に表情を向けた。組織外の存在にも関わらず易々と暴露できる点がそもそも異質だし怪しい。Sランク同士であってもなんと緊張感のない。睨みをきかせようとしたが、ここで乗じたユーガが自らの手をあわせはじめた。
「やっぱりそうなの。じゃあお互いに同じところからって感じなんだ!」
「ほんならやっぱり確定やな。せやったら消去法で残りの数値をリスト化すればなんとかなりそうやな」
「ふぅん」
不本意とは言え、掴んだ情報。ミドセはしかし納得がいかなかった。それには光条が気づいたのか顔色を伺ってくる。
「ミッチーは、信じて無さそうって顔だな。確かに口頭の提示だから、信じないのも理解できる」
「そりゃ、こういう世界にはきまって〈嘘〉を並べる輩は存在するもの。そう、例えば――」
ミドセは目を逸した。背けるわけではなく、悪戯のようにだ。
「僕は〈赤〉の〈ニ〉と〈四〉を持っている……とかね」
「なるほどー」
ユーガは納得したようである。
「私達だって敵か味方か、なんだかんだ言ってわからないものね」
「せやなぁ。言うたかて私達が争う必要は全く持ってないんやけどな。なあミッチー、それはちなみに嘘なん?」
「解釈はご自由に。なんなら戦ってもいいよ。君が勝てば解るでしょ、負けないけど。もしもだけど僕の言い分が正しかったら、君たちの前提は提示しなくても揺らぐんじゃないかな」
いずれにせよ仮に三人の持ち駒が言い分通りであった場合、前提が崩れるのは本当の話だ。無論言葉遊びは〈冗談混じり〉であるのだが反応は見たかった。結果として咄嗟の言葉では揺るがなかった。高確率で〈真〉か。
光条はしばらく様子を見ていたようだが、やがて感心したように微かに笑みを見せる。
「声を大にしたところで、他の皆とSランクは敵対している、相手の同意は得られない可能性が高いが、逆にこの四人だけでも公平に協定を結ぶことはできる。〈Sランク〉同士は争わない。というのはどうだろう? そうしたら少なくともこの嘘をつく必要はなくなる」
「それはいい考えだね」
ミドセはその案に頷く。続いてユーガも首を縦に振る。非常に喜ばしい表情だ。
「そうね、私なんか組織未加入だもん。少しでも安心できた方がいいなあ」
「ならそうしよか。恨みっこなしになるし、私もリスト化するの助かるからなぁ。んじゃ、こっからは冗談抜きでカードを提示しよか」
多数決というわけではないのだが、ビルも流れに乗って賛同したようだ。提示といいながら手の平を差し出す。特に細工は無さそうだな。とミドセは冷静に思いながらも提示する。
案の定、〈嘘〉が発覚した。
――当然ながら〈嘘〉というのは、周囲からみた印象だ。影響を受け沈黙する空間。静寂の中に不思議な空気が混じる。
ミドセはそうなるとも、これが発した嘘に対する反応ではないことも知っていた――否、この反応のためにわざわざ状態を造り上げたのだ。だからこそミドセは顔色一つ変えず、冷静に三人の様子が伺うことができた。口を開いたのは案の定――ビルである。
「いや、まってーな。なんでそんな数字なん?」
「なんでって言われても、配布されたのが〈これ〉であることは事実さ……もしかして驚いてる?」
「当たり前やん。普通そこでな……そもそもミッチー以外がQとKやねんからミッチーも持っていなきゃおかしいって話やんか」
ビルは机上で指を泳がせながら言う。確かに、QとK。ユーガは青、光条は赤、そしてビルは黄の色でそれを所持していた。
「まあ、普通はそうだよね。でも疑った所でこの数字が変わるわけでもない……偽装もしてないよ。あまりに不服そうな顔だから、特別に試させてあげてもいい」
極めて冷静に振る舞う。そこに嘘偽りなどないのだが、ミドセはそういった性格だ。口角を上げて、机上のカードを示す。ユーガはそれを眺めていたが、カードを一瞥し直してから微笑んだ。
「うん、私はミドセ君、本当の事言ってると思うよ。手持ちの二枚が絶対に同じ数字、なんてもしランダム性ならあり得ないから」
「でもな、ユーガちゃん」
「占いの世界にも、結果を見て、偶然の中に仲間はずれがあった時、信じない人って結構いるのよね。だから何回も違う側面から見ようと焦ったり……けど、ミドセ君が提示した時点で少なくともランダム部分があるってことは結果として出てるのよ」
笑顔を保つユーガに、ビルは一歩後退するような仕草を見せる。――が、助言でも求めるような目つきで、光条へと視線を向けた。
「なあ、ガンちゃんはどう思うん?」
「そうだな」
光条は、あまり興味が無さそうな反応をしながら息を吐く。
「規則性をみるに、QとK持ちの四人は存在する。と考える」
「せ、せやんな、だってこんな」
「多分、〈四人〉の中にミッチーが含まれていない可能性」
「含まれていない?」
あり得る話ではあったが、それが口から出てくると思わず、ミドセが顔をしかめた。
「ミッチーがSランクになったのは三年前、この中じゃあ遅かったし、多分前任が有名すぎて認知されてない可能性がある」
「前任……あぁ、ロッズウェルド師だったかな。今は隠居中のようだけど」
ロッズウェルド――幻能力を工学に取り込み、天界に貢献したいわば名誉学者で、その地位で長らくSランクとして座に就いていたと言われる存在であることはあまりにも常識的な話だ。
「あー、なんか変態科学者みたいな奴な。ミッチーと入れ替わりやったもんな」
「彼は地位が剥奪されたそうだけど、多分そんなことされなくても僕はこの地位になれたとは思うよ。それで、認知されていないことは目を瞑ってあげるとして、君の考えだと僕の手札は取り違えられてる可能性がある、そう言いたいのかな」
「そんな感じだ。それならビル氏も納得するだろう? 恐らくミッチーがこの位置に居ないと判断した相手がこのゲームの主催者って割り出すことも、これで」
言葉は少なめに、光条が息をついた。納得したのだろうか、ビルは大きく肩を落とす。そうだとしてもそんな馬鹿な話は無いだろう。ミドセは呆れ不満を顕わに聞いていたが、様子をみるに、ビルの仕草に演技性は見受けられない。それどころか
「まあ、私らがやることは犯人探しやないし、この話キリがないなぁ。ま、協力ありがとな。とりあえず方針も決まったしこんなかんじでええかな?」
単純極まりない思考回路が言葉から見て取れた。――すっかり興ざめである。ミドセは腕を組んで視線を落とした。
「持ち場でいつも通りのことと、自治の為にある程度の工作はする。ゲームの思惑は分からない分慎重に調査だのなんだのする。4Sとしては手持ちカードの保身に徹するが、周囲のゲームは自己責任とする……今回取りまとめるとこんな感じだけど相違はない?」
「うんうん、いつもまとめてくれてありがとう!」
ようやく、茶番的な会議が終わり、ユーガが腕を伸ばす。ゆったりとした表情はどことなく眠そうにも見て取れた。
「相違はないが、疑問が一つだけ」
一方で光条が指を立てる。
「このゲームの実害ってもう出たか?」
「実害ってなんや……」
「このゲーム実際に行われたとか、被害は何処かに出たとかとか」
「君の方が詳しいんじゃないかい?」
ミドセはビルに目線を投げた。情報管理の管轄。流石に事件くらいは把握しているだろう。ビルは得意げに目を輝かせた。
「おーせやな。今聞いてるのは、二件やな。巻き込まれたとか目撃したとかきいてるで。両方共ショッピングエリアみたいやけど」
「そうか……これは本格的に手を打たないと大事だな」
「もう、何か事件おこってるの?」
ユーガは不安そうに辺りを見回した。確かにユーガは争いを好まない性格である。致し方ないこととはいえ、光条は渋い顔を見せた。
「一件はライブ会場の前……ってことしか把握していなかった。悪魔は室内にいる事は多いとはいえ、未知数居るからな。詳細は分からないが」
「あれ、ユーガちゃんライブ見ててんやろ? 私は打ち合わせで外の情報しらんかってん。そのイザコザのことは知らんのか?」
そういえばそうだ。しかもミドセが把握している限り、その現場でゲームの対戦者になったのは、彼女の弟である〈セド〉そのものだ。気がついたり把握した時点で確実にアプローチを試みているはず。ミドセの知るかぎり、ユーガの弟に対する溺愛っぷりは目も当てられない部分があるのだ。
「私、VIP特待券使ってアシュロちゃんと一緒に、パッシュ君にサインもらいに行ってたから、何があったかはちょっと……外出たときには何も騒がしくなかったし。なんならパッシュ君とかアシュロちゃんに聞いてくれたらいいんじゃないかな?」
「成程ね」
ミドセは思わず目頭を押さえたくなった。アシュロは無事に事務所に帰っている可能性が高い――長い付き合いではあるものの、単独行動させると相変わらず危なっかしいという点が今回で改めて確認できた。
「あーせやったか。なら、あとで仲間内で情報交換しておくわ。有力な情報あったらすぐに情報渡すからな」
ビルが自信満々に目配せをする。視線は他でもなくミドセへだ。それに途轍もない嫌悪感を覚えながら、席を立った。
「頃合いかな、他にないなら僕は帰るよ。忙しいから」
「ああ。土仕事大変そうだけど頑張ってくれ」
ビルに隠れて気にも留めなかったが、議論相手としては適切である光条も相当に歯車が噛み合わない。そういった意味でもこの空間は居心地が悪すぎる。ミドセは出口へと移動しながら言葉を告げた。
「君も他人の足元を見る暇があるなら、余裕が無いくらい忙しさに殺されればいいさ」
帰ればやることは山ほどある。イトスとセドを事務所に残してきたのは、イレイサ独自が抱えた〈アリス〉の情報をいまひとつ聞き出せていなかったからだ。仮にアシュロと合流、解散していたとしても、セドは意外にも几帳面で、細かすぎるくらいの字でレポートの書き置きを少ない語彙力で残してくれているはずだ。後は今回の状況、考察すればするほど泥沼。一刻も早く整理しなければ。他にも別件の依頼の処理があったはずだ。
裏腹に、移動装置は通常空間に転送するのに時間がかかっていた。多くの処理をしているとはいえ、何かと不便だ。故に、多くの範囲の障害を通過できる幽霊種も、一定の隙間さえあれば割りと移動が容易な吸血鬼種も、こういった特殊空間での能力行使は不可能だ。そうでなくても魔力も消費するそれらの能力を多用したり、興味本位で抜け道を探すのは無謀極まりない話である。
考えがまとまらないうちに通常空間へ。もはや誰も使っていないような廃ビルの廊下。通行路には大量のゴミやら瓦礫が散らばっている……そんな所で特別な挙動を起こせばあんな空間に行けるなど、だれが想像するだろうかなどとよく思考するものだ。安定を確認し、一歩踏み出す。割れたコンクリートに乱雑と置かれた割れガラスが擦れる音。加えて一つの……声。
「そうそう、言うの忘れとってんけどな」
幻聴というにはあまりにも煩わしいそれは、至近距離で聞こえる。まるで耳元で囁かれているように。途端、視界がひとりでに移動――抵抗するまでもなく壁が背につく。相手の腕が、肩に置かれていた。
「ゲーム開催、正確には〈三件〉やねん。ただ情報が全然なくてなぁ。なんかミッチー知らへん?」
「君は耳が悪かった? 僕は忙しいんだけど」
相手はもう誰か、見ずともわかる。易々と自分に触れてくるあたり、確実に性質の悪い存在だ。目は敢えて逸し続けた。
「ああもう! すぐ終わるて、うちの〈時間馬鹿〉とちゃうやろ? それにゲームがあったの、元イレイスナ区域、ミッチーの組織んとこの近場やったはずやし」
「そんな近隣であったら僕も気づくだろうって? 生憎今日は誰かが放り投げてきた仕事で手一杯でね。そこまで余裕なかったんだ」
淡々と、辛口めな言葉を口にする。肩への圧迫はまだ解放されていない。
「〈アリス〉の情報、何件か回したるけど?」
目端で、相手が不敵な笑みを浮かべたことを確認する。この男は何を知った気になっているのだろうか。ミドセはため息をついた。
「そういう脅しを君はいつもするじゃない? 僕は本当に情報を持っていない。君はこちらに情報をくれる。公平性に欠けると思うよ。時間も無駄だ」
「せやろか? そこは『最初からアリス探させる気はないからそれこそ不公平。収穫なしでもそれで平等』とかよーわからんこというところやろ?」
「自覚はあったんだね。こちらから頼まないから退屈でもしていたの?」
「そりゃもちろん……ってちゃうちゃう、ほんと釣れへんなぁ?」
一つ一つの言い回しにいい加減歯が痛む。ミドセは首を振り、大きく息を落とした。苛立ちの感情は、とうの昔に通り過ぎたようだ。
「帰るから離して。何件か回すと言われても無駄な情報回してくる可能性だってある。日頃の行いからして咄嗟の取引は信用ならないよ」
「ひどいなぁ! せやけどそれはできへん。だからわざわざ、吸血鬼は圧迫とか接触されとると霧化できんってネタ活かしてこうやってアプローチしてるねんで」
「そこまで自信あるってどういうこと? 不明情報に関して、僕が何か知っていると確証性を持っている……とでも?」
「不明情報っちゃせやねんけど、一個だけ分かってることがあるんや。対戦相手が〈消滅〉しとるっちゅう事実や」
「は?」
何を言い始めたか、ミドセは睨みつけるようにようやく真正面からビルを捉えた。軽率な言葉が軽快に弾むその口は今、なんと言った? 一瞬だけ、思考を固まらせる。
「消滅した。それがどうしてこちらへ矛先を向けてくるのか、理解に及ばない」
「じゃあ情報組織らしく一個面白いデータを教えたるわ。場所問わず、ここの悪魔で躊躇い無く即決で相手を死に追い込めるんは、たった〈三人〉だけやねん。ミッチー、自分が今まで何したかわかってるやんなぁ?」
「なんだそんな事か。確かにこの天界では手を汚していないけど、人間と契約する時に殺めることは多々あった……それが、何?」
「直接的に言った方がええんかな。確かにゲームは開催されてんけど即効で終わって、しかも相手が跡形も無く消えてしまってん……そんな手慣れた実力者、私からしたら、ミッチーしか考えられへんねん、そもそも――」
ビルが眼鏡の奥から、青緑の瞳で捉えてくる。いつものやり取りの延長線、そうにしか見えず、ミドセはただ顔色一つかえず、それを見つめた。
「ミッチー、あんさんはカード何枚持ってるん? 別に軽蔑やとかではない、ビジネス的な疑問や」
「ああ……」
少し間を置いてから、言葉を詰める。この男は最初から自分に対して容疑をかけていたらしい。いつもなら気づくはずなのに、どうも調子が狂っていた。まして至近距離の視線がこれほどまで憎たらしさもある相手であればなおさらだろう。こういう場合目を逸らせば負けである。勿論後ろめたいことなど何もなかったが。
「さっきの二枚だけだよ」
「ほんまに? ひょっとしてQとK忍ばせてたりせぇへん?」
「まだその事疑っていたの? 持っていたら普通に全部提示して、君たちより行動力があるって教えていたはずなんだけど」
「あ、それもせやな」
「ビジネスパートナーを信用されていないってこっちも不服だ……聞きたかったのはそれだけ? ――ああ、情報不足のゲームについてもだっけ。悪いけど僕はこの会議時まで一回も外に出ていないから現場すら見ていないんだ」
「うーん、まあ、そういうことにしとくわ。私はミッチー以外考えられんし」
ビルはそう言って残念そうに離れようとする、かと思いきや、頬に手が伸びてきた。睨みつけるように凝視しながら、利き腕の右手でその腕を掴む。
「ま、アリバイとか本当はどうでもええねん、ほんまはキスしたかった、それだけや」
「ああうん、リップサービスは十分もらったから、こっちは遠慮しておく――」
知っている、コイツは本気だ。即ち、自分も本気で相手をしなければならない。唇が自分のそれに重なる間際に、彼の――ミドセの頬を撫でる左腕を握る、強く。それこそ相手を降伏させるほどの。そのまま腕を突き出して身を切り離した。
「痛い、痛いって何すんねん!」
効いたのか、顔は――否、体は見事にミドセから離れた。左手首をかばうように右手で包みながら、ビルは涙目でこちらを見てくる。
「対峙しないって話になったやんか! ひどいなあ」
「別に対峙はしてないけどね。本当に無駄な時間をどうも。ああ、アリスの話はまた今度改めて聞かせてね? まさかここまで足止め喰らって何も無いわけないだろうから……じゃあね」
心配も何もない、これ以上留まる理由もない。肩をすくめたミドセは指を鳴らす。体が霧のように溶けた。恐らく全てが霧と同化したが、視界は良好だ。天井から地上へと視界を移動し、見下してからその場を去る。やられかけたことには不満しかないが、反撃できたことには大いに満足だった。
回顧するtramontare
――四番月五回日 十八時@リィノ
暇だけど気まずい、という言葉がこれほど似合う時間もなかった。少なくともこの目の前の幸せを平らげる頃には虚無感が襲いかかりはじめるだろうことは想像に難くない。一瞬だけリィノは考えることを諦めた。
とにかく、まずは目の前のことに夢中になりたい。白い皿の上、円の中にある平坦な溝に乗る薄い黄金。細長いそれは橙色と絡まり、見事なまでの暖色を魅せる。緑と白の粉末がかかったそれは、とても色鮮やかだ。そしてそれは、柔らかな酸味と素朴な甘い湯気を僅かな周囲に広げていた。
専用の匙で突いては、黄金の帯を巻く。黄がかった部屋の灯りが橙色のソースに映り、彼は目でまず雰囲気を楽しんだ後、ゆっくり光沢と共に口へと運んだ。予想より味は濃い。恐らくこのソースの主原料となる野菜の鮮度が低かったのだろう、伴っての加味であるとすれば納得できる。とはいえこの歯ごたえ、食感。こちらに関しては想像以上だ。
「んっ……おいしい」
思わず漏れた感嘆と笑み。――リィノは満足していた。
「すごいね。だいぶ忠実に再現できてる。専用の粉取り寄せたのは俺だけど、結構扱いたいへんらしいんだよ。なのにこのコシ……やばいね」
「そっか、よかった」
口に拡がる濃厚な爽やかさはどこまでも懐かしい。ちょっと前までなら皮肉たっぷりに言葉を浴びせようとしたものだが、どうやら必要はなかったようである。
「でも〈天界〉にトマトもだけど、地球の野菜なんて中々新鮮なの取り寄せできないっしょ。どうやってこんな味だしたの、セド?」
「昔、保存が難しかったりするものは乾燥させて使うといいって教えてもらったことがあって、トマトってやつは確かに取り寄せたけど、ちょっとやってみた。後は取り寄せて種から育てたバジリーとかを調合したりして」
「わあ、ドライトマトにバジルかぁ……ほんとこの世界やばいよね。どんだけ地球に依存してるんだか……ま、おかげで第二の人生おくれてるし、人間でよかったよ、うん」
「お前もう悪魔だろ……」
「まーね」
悠長に次々に手製の品を口に運びながら、リィノはセドの声に耳を傾ける。
確かに言葉通り、リィノはこの世界出身ではなく、むしろこの世界が恐らく最も恩恵を受けているだろう〈地球〉と呼ばれる文明発達世界から、複雑な経緯を持ってやってきた――正しくは〈悪魔〉として生まれ変わった。
その世界に倣えば、約一年という単位をこの世界で過ごしているが、ゆっくりと動く時間、寿命が実質無限に設定されたこの界隈ではあまり考える必要もない。本当に楽園のようだ……リィノはそう感じていた。もっとも、今のような荒事がおきなければ、の話だが。
「あーひまだ、ねーねーなんかしゃべって」
とはいえ空白の比率が増えすぎるのも問題だった。眠気も今は殆ど無いリィノは雰囲気に耐えかねてついに音をあげる。あいにく事務所は城として構えているような主が現在留守だ。だから部屋は静かすぎるくらいで、それがなによりも自分の状況に不満を与えていた。であるからして、むすくれた表情で告げた言葉には期待など含まれていない。事務所に存在するのは無口で無関心なイトスと、リィノに恐るおそる接してくる、食事だけが美味いセドという取り合わせだったからだ。諦めるしか無いとさえ思う。
「そういや」
だからこそ、突然滅多に自分から口を開かないイトスの声で、リィノは目を丸くした。そのまま彼に視線を向けると、どういったわけか睨まれた。――いや、イトスはいつもそんな顔をしているが、リィノの反応に機嫌を損ねたようだ。離れているのにも関わらず大きく舌を鳴らした音が耳に届く。
「リィノ、お前って転生前の話って全然しねぇよな」
「へ、急になに、なんの話?」
目つきが悪いって損だろう。その威圧に対し気を紛らわせつつもリィノは小首を傾げた。
「いや、お前昔何してたんだろうなって思っただけだ、こんな品食ってるってよっぽど育ちがいいんだろうって」
「あー」
リィノは思考を回す。転生して記憶がなくなる。ということにはならなかった。仮に記憶がなくなる能力でもあったら強請ってみたさはあるが。
「それほど……」
大したことはない、そう言いかけて口をつぐんだ。イトスの言葉に何か意味があるとは考えられない。それでもその言葉を引き金に、ふと思い出したことがあったのだ。連想――会話はその繰り返しであることくらい、非社交的なリィノでも理解している。
「いい土地じゃなかったけどお金はあったかなあ」
上手いくらいに言葉を繋げた。事実だから良いのだ、とリィノは自分に言い聞かせもする。なにより会話の基本は質問と反応の繰り返しだ。
「イトスは、地球ってどういうイメージしてるの?」
「ゲームソフトとかいうのいっぱい送ってくれて、豆腐がうまい」
「えー、それだけ?」
「っせーな、遊んで暮らしてぇって思ったらそこに目ぇつけて当然だろ」
「まあ……そうかな、セドは?」
案の定会話は続かなかった。これについては機嫌が悪いのが理由ではなく、単にイトスはおしゃべりが好きではないのだ。その為はやめに切り上げて、一方のマシな人物に問いかける。
「え、俺? なんかこの世界みたいなビルがいっぱい並んでて……」
「うんうん」
「もちろん娯楽もそうだけど、情報のネットワークとか、こーがく? 的なものがすごくて技術がすごそうで」
「うん……」
「それに人間って、魔力でできてないから代わりに別のアイテムにお願いして色々やってもらうんだろ? 職人がいっぱい居てそいつらがアイテムつくるって聞いた、すげーよな」
「うん、たしかにねー」
社交性が高いというのもやはり考え物だ。これはこれで聞いてて反応するところが少ない。だからこの面子を放置されるっていうのは辛い。やはり同じレベル、同じ趣味の友達は持っておいたほうが身のためだ、リィノは特に意味がないのにそのようなことを考えては大きく腕を天井にのばした。そして匙を皿の上へ、小気味のいい音が金属製の匙と、何でできているか解らない白色の皿の接触で跳ねる、それがまた懐かしかった。
「実際の所どうなんだ、リィノ?」
「えー、あーうん、そうだな」
おしゃべりなセドが質問を持ちかけてくる。時間つぶしにはもってこいだが、話すことはめんどくさい。
「リィノ、お前もしかして転生前の話しねぇのめんどくせぇからだろ」
「えっ」
「だから敢えてこっちに話題投げたんだろ、しかも暇つぶしに」
「え、なにいってんの、そんなわけないじゃん。というかそんなに聞きたいわけ」
イトスに指摘されたその言葉はまさに図星だった。やはり同じ怠惰悪魔だ、そしていけ好かない。リィノはわかるようにあえて大きく息を吐く。
「俺が居た場所って、セドが言ってた建物はないし、ゲームソフトもあんまり売ってない場所だったから、はなすものがないだけだし」
「え、地球ってどこでもそうってわけじゃないんだ」
「ちがうよ。まあ、俺より多分世界史のことはミッチーの方が詳しいとおもう。そのくらいなーんもないところ……それに、あの世界にいい思い出なんかないから」
「お、おう」
「なんか想像しにくいなそれ」
「あっでも友達はちゃんと居たよ。最後まで友達だったかちょっとわかんないんだけど」
一瞥して引いてそうな二人に向かってリィノは訂正をいれるが、それと同時に思い出したことが有り、短く「あっ」と言葉を漏らす。
「その友達の名前、ありすだったよ」
「アリスだって?」
「うん、男の子だったんだけどね……確か、あれ、ミッチーの本棚に何冊かあるんじゃない?」
「男の子で本……? 地球ってそんな種族いるのか」
「いやいや、そういう意味じゃないよなにいってんの」
セドのよく分からない解釈に半ば呆れながらもリィノは重い腰を上げ、背後の本棚へと向かう。ミドセの性格らしく丁寧に陳列されたそれは、分類ごとに整理され、非常に探しやすい。これが隣室に更なる書庫を設けているというのだから、もしここになければ骨が折れてしまう。だがリィノは知っていた。最近ミドセはその本を目にしていた。
「作家さんだよ。本書いてるの」
「そういう意味か。どんな本だ?」
「読む? ニホンってところの都市伝説を題材に繰り広げられる推理小説……あった。〈夜森の茶番〉……えっとね、夜、〈のるうぇー〉っていわれてるところの森の茂みに大量の光る目が現れるっていう噂からはじまる作品で」
「あ、いいですそういうのは」
一冊、黒に近い緑の装丁を見つけて手を掛ける。読むかと問いかけたが、原文――つまるところ地球の特定言語で書かれた物をまずセドが読むことはできないだろうし、そもそも彼はこのジャンルの作品をひどく苦手としている。つまらない、と口を尖らせながらも、リィノは分厚いその本の頁を開いた。埃一つなく、傷一つ見当たらない。流石この本の持ち主だ。
中身は悪魔となった今でも易々と読める。自分が覚えていた通り、〈ノルウェイの森〉という肩書を持った、リィノの地元都市での怪聞的な話だった。緊張感と臨場感に満ちた作品には見事としか言いようがない。
「リィノってたしか年齢は十四、だよな。友達はその歳でそういう本出してたのか?」
「うーん、いるんだよね。自分より年下が才能豊かで有名になっちゃうってケース。彼……ありすは同い年だったけど、そういう子だったよ」
「へー、すごいなぁ」
「この世界でも十五とか十六で、百発百中レベルで銃弾命中させたり、占いで商いしてたりするじゃん、それといっしょだよ」
表情からして羨ましそうであるセドを、白い目で見やる。能力を持っている時点で相当の実力を持っているようなものなのにと、リィノは未だに理解ができなかった。
「ありすの作風は面白くてさ、毎回何かしら探している人が出てくるんだ。で、ありすもまた人を探してた」
「へえ」
「ん、ちぃとまて」
感心と疑心の声が同時に響く。リィノは後者の声に顔を向けると言葉の続きを待った。
「ありすは人を探してて、今回アリスを探している人が居る……なんか、関連性ねぇか?」
「あっ」
思わず手を打つ。確かに今回イレイサにやってきた依頼、〈アリス〉を探すというフレーズと、旧友が似ている気がしてなんとなく言葉に添えただけだったが、そう言われてみると引っかかる節はある、だが
「えっでも名前だけだし、別の世界の話だし、あと……そうそう、そっちのライブの話どうだったの? アリスがなんとやら」
「なんかおどおどしてて、でも解決する! とかいう男でさ」
「んー、なんだっけ、舞台やるってののタイトル」
「〈探偵アリスの名推理〉っての」
探偵、アリス、推理。言葉をほぐしていく。そうだ、自分も引っかかっていたのだ。面倒で行こうとすら思っていなかったが、少なくとも部屋に隠れては佇んでいたため、リィノはアシュロの不満やらラジオの言葉もなんとなくは聞いていた――視線を床へと落とす。
「リィノ……?」
「ねえ、そのライブのってパンフレットみたいなの貰えたりしないの?」
顔を見せずに、リィノはそうセドへ問いかけた。同時になにゆえか胸が踊り始めていた。旧友の関連性とは違う、別の好奇心への刺激だ。
「あ、うん、無料配布で配ってた」
「ちょっと見せて−」
リィノはそのまま手を伸ばすと、そこにセドが薄いパンフレットを渡してくる。三つ折りのフルカラー紙面。頑丈な紙質の手触りは心持ちザラザラで、表面を見やると探偵のシルエットを模したイラストと、あんまり興味はないが顔だけは見たことのある芸能人らしい顔の並び。めくって裏側を覗く。字と絵の羅列。黄土色や暗褐色のグラデーションをベースに、白い字体がどことなく高級感がある。レイアウトも、言ってしまえば自分のかつていた世界の模倣的な感覚だが、だからこそ可読性も期待できる。
「リィノ、なんかわかりそうか?」
「うーんちょっとまってねー。いやもちろん読解力ぅとか解読とかそういうのはミッチーに頼ってよ。これ俺の興味みたいなもんだし」
「そりゃもちろんだけど」
「そもそもこういうパンフレット、ミッチーとかいう本の虫なんかいたらかじりつかれちゃうじゃん。いまのうちに堪能したいんだよ、俺だって」
その言葉を後に、黙々と文字を流し読む。悪魔文字を学んでいたおかげで難なく読めるのだが、構図は似ているものの、配置はこの世界独特という具合で、肝心の自分の探している文面に視点が定まらない。一通り読み終わって最後から二番目に〈それ〉があることに気づくと、リィノはふぅと軽い息を零した。
「おっけーわかった」
「本当か、よかった!」
セドは単純なくらいに喜び、リィノが差し出すと丁寧に受け取っては手持ちの鞄に戻し始める。顔をあげたところでイトスを見やると、ようやく食事を終えたのか、匙を投げたような不格好な音を皿に響かせた。
「それで、何がわかったとかは?」
「うん、間違いない。〈探偵アリスの名推理〉は、俺の友達が原作。……とはいっても随分脚色しているみたいだけど。原作は、ありすが作った作品なんだけど、その主人公を、友達に改変したみたいななんかすごいやつ」
「へー」
「原作では、ある男が弟を探していて、探すために旅をしているんだけど、ついに見つからなくて警察に依頼を出す。でも警察がまた性能低くて、あとあと特殊な力をもった人が現れて捜査はじめる。途中で男が大きい宿を借りるんだけど、その日何室かで人が殺されてて、犯人を男は推理するんだ」
リィノは楽しさを感じながら、セドへと言葉を伝える。よくミドセは自分の近くでありったけの知識を振る舞っているものだが、なんとなく、そんな気持ちがわかる気がした。
「でも……うーんと最後どうなるんだったかな」
「えっ、あっリィノ怪奇現象とかそういうのは要らない」
「いや、たしかその話珍しくホラー要素なかったんだよたしか……うーん」
とはいえ付け焼き刃だったらしい記憶は、なかなかその話を思い出させてはくれない。自分がここまで覚えている辺り、明らかに読んではいるのだが。そう思いながらも端末に手を伸ばして単語を打つ。悪魔文字の並びは独特にみえて、未だに入力は若干苦手だ。このノート型の端末機器に関しては長く触っているにも関わらず、文字を探すさまは客観的にみると初心者のようである。そんな中おかまいなく水を差すものが存在し、手が止まる。イトスだ。
「んなことより、今の話を仮に模倣してんだったら、この後何人か殺されたり、そのアリス探してる奴の犯人わかったり、アリスが誰かわかったりしそうなもんだけど、その辺どう思うよ」
「いや、そんなの俺に聞かれてもわかんないけど」
確かに、ここまで……まして大掛かりに宣伝された時期が偶然にも一致しているのだ。もしそれがヒントだった場合、これは割りと早々に片付く可能性だってある。
「原作に答えあるかもしれない。ちょっと調べてみる」
「おお、イトスもすっごく冴えてるな!」
無論解決した所でどうなるかだなんて分からないのだが、検索窓にようやく文字を入力し終え、検索のボタンに手を伸ばそうとした時、ふと画面の表示が異様なものに変わった。ポップアップが出てくる音、しかしそれは片隅ではない、中央に大きく、だ。
――滅多に来ないメール通知。件名は、ゲームへの招待状だった。
「ん?」
リィノは首を傾げて、異常なほどの枠で陣取るその通知を展開する。次に落ち着いてユーザー名を見やる……確かに自分のユーザー名だ。内容は〈RE:CYCLE〉と関係性があるようだが、勿論自分に参加権があるわけではない。
「どした?」
「いや……んーっと〈カザシゲさん〉って人からゲームの参加依頼がきてて、俺ゲームとかホラーものしかやってなくて、なんだっけ、あの、えふぴーえす? とかいうの? あれを一緒にやろうって、やらないと住所バラす、みたいな……」
「迷惑メールじゃないか? そういうの無視した方がいいと思うけど……カザシゲ?」
割りと冷静かつ軽率にセドがそう言いながら画面を横から覗き込んでくるが、その文面に目を通した瞬間に、小さく声を上げた。驚いている、明らかに。
「セド、どうしたの?」
「イトス、お前リィノのアカウントも借りてるのか?」
「おう、いくつか持ってるっていうし、グレード高いから貸してもらってる」
「え、何、二人共どうしたの」
突如話題から外されたリィノが二人を交互に見やる。セドからにじみ出る緊張感は半端がなく、対してイトスは冷静にセドを見ていた。
「カザシゲって、この世界でも有名なゲーム王で、いろんなゲームに現れてはだいたい一位を獲ってその座を維持するんだよ……で、そいつがお前に勝負挑んでる」
「っつーてもリィノに借りてるアカウントだし、俺関係なくね?」
「いや、お前指名だぞ。アカウント名全然違うのにどうやって調べたんだろ」
リィノに状況を説明しつつもイトスに言葉を投げるセドに、他人事のように言葉を払うイトスという構図は実に新鮮だ。言われてみれば確かにアカウントを見ると自分向けなのだが、よく見ると確かに文面の中に〈イトス〉がつけそうな名前があった。何よりも指定のゲームの名前も知らない。RE:CYCLEは今流行りだったとしても、恐らくこの相手の目的は前者の方だ。
「え、なんのゲームだよ」
「リヴァイン・オブ・アース」
「あー、なんかよくわかんねぇけどこの前ランキングはいったやつか」
「ランキングって……えっすごくない?」
何食わぬ顔で、今恐ろしい言葉を口にした。さすがに状況を把握してリィノは声を上げる。
「時間制限の中でどれだけ敵を銃で狩れるかっての、確か虹杯貰った」
「イトスってゲームの中でもそうなんだ……いや、っていうかイトス、これ〈RE:CYCLE〉招待状だよ。明日ショッピングエリアのアーケードゲーム版ってので一騎打ちって」
しかもよく見れば、来店の気配がない場合強制転移の能力を使う、勝者には好きな武器がもらえる、などと物騒なことが書いてある。……それについてはセドが音読してくれたようだが、そこまでしてようやく、実感したらしいイトスが一瞬だけ目を丸くした。
「え、マジか。引き換えに新武器もらえるなら良いけど」
「良いのかよ」
どうやらこちらの焦りとは裏腹に、あまり緊張感は無いようだった。
U
――四番月六回日 十四時@イトス
「どした、セド。難しそうな顔して」
「いや。うーん……」
「あ、服屋とか小物とかの話なら自分で勝手に行けよ」
「それは流石にないから」
珍しく雲ひとつ無い晴空――その陽光を遮る場所を探した結果であるかのように、早々に商業施設・ELP2へ、イトスはセドと来ていた。
居住エリアから歩いて十分程度という場所の大型施設は利便性が良く、かつ空調も整っており快適だ。強いていえば、物理的な内争が公式的に禁止されている珍しい建物ということもあり、悪魔の数も他の場所に比べたら多く見られる……要するに非社交性なイトスにとっては対面も億劫な場所なのだ。
施設内の店で割とあっさりめの昼食を済ませ、最終目的地である最上階に行くまでの時間をどう潰すかで悩みながら、適当に奥に長い道を歩く。隣を歩くセドの表情は、心なしか普段買い物に付き合わされる時よりも気難しそうであった。
「あのさ、イトスは緊張とか、違和感とかないのか?」
一歩退いたような口ぶりでセドがイトスを見ながらおずおずと言う。イトスは首を傾げた。
「いんや別に。ゲームのイベント戦だろ。今どき公式試合をゲーセンでやることくらい多いし」
「うん、まあそうなんだけど」
「まわりくどい、はっきり言え」
ため息をついて、目に止まった案内板を暇つぶしに見る。店舗の所在地がわかりやすく簡略化された壁設置のそれは、行きたい場所に触れると特売品だったり新作の案内が表示されることもある。手持ち無沙汰に適当に居る階にある行きつけのゲームショップの位置に指先で触れた。眼前に表示された光るポップアップの中に目ぼしいタイトルは見当たらない。
「〈RE:CYCLE〉の招待状だったとしたら罠なんじゃないかって」
「罠ぁ?」
どうしたらそんな思考に行き着いたのか、面倒だと感じながらセドに視線を戻す。
「だってさ、そもそも手紙に書いてあったろ? 手持ちのカードを好きなだけ賭けてバトル宣言するとフィールドが展開され、その中で能力・武器を利用した対魔戦を行う……それが〈RE:CYCLE〉って」
「そうだったか?」
「うん。だからゲームっていうのは単純にその空間に誘う為の罠なんじゃないかって」
心配そうな目を浮かべるセドに、少しだけ思考を重ねる。対魔戦とはあまり聞いたことが無い。そもそもこの世界に本格的な格闘競技だとかスポーツ競技というものがないのだ。強いて言えばおよそ一年程前まで生活の一部にあった〈学園〉で模擬的なものをやった記憶が薄くある程度か。
「それって、別に物理的なものだけじゃないって意味なんじゃねぇの」
「えっ」
単純に、少しだけ考えてイトスが辿り着いたのはここだった。
「〈リヴァース〉は武器もあるし能力っつーかスキルもあるし、対人要素もあるし、ゲームとしては成立してるだろ?」
「そう言われてみれば確かにそうだけど」
どうもセドはその解釈で附に落ちないらしい。会話をしているうちにイトスの思考にも何か引っかかった。
「むしろお前はどう思うんだ?」
「というと?」
「万が一危ないことあったら血相変えて止めてくるじゃねぇか、そういうのってどうなんだ?」
言うとセドが首を傾げ、間もなくはっとした表情に変わって首を振る。
「あっ、全然視えない」
「それに罠っつーても、光条のシマだろ? 暴力沙汰も起きねぇよ」
それでやっと解消したのか、不安そうな表情から戻ったセドを見て、イトスは肩をすくめた。話題が段落ついたところで目線を動かす。時計が見えた。電子時計。約束の時間までは余裕がある。
「とりあえずめんどくせぇし、ゲーセン行こうぜ」
イトスは言いながら左側へと移動した。すぐ先にある自動的に上昇する階段に乗り込めば、黒いタイル状の世界から浮遊し、新しい高度の階へと行き着く。それを数回繰り返せば上空は騒がしさを増し、吹き抜けから小綺麗に整列された床の階層が隙間越しに見える。恐らく天界で一番清潔な空間といえばこの施設なのではないだろうか、そうとすら感じられてくる。
最上階はいつ見ても賑やかだ。経営者が揃えた娯楽は数が多い。映画、歌い場、遊技場、そういった娯楽が一同に介しているのはここくらいだろう。特に大部分を占める遊技場――ゲームセンターだのゲーセン等と称されるこの空間は、とりわけ悪魔の人数や勢いが多い。各々が電子仕掛けの筐体に向かている光景は今では日常茶飯事である。
「イトス、〈リヴァース〉のIDと、〈ELP2〉のカード、さっき入り口で連携するまでは教えたけど、台どこらへんあるかは分からないからな」
「あー、シューティングだからGブロック、向こうな。音楽ゲーの近くだからめっちゃうるせぇとこ」
「イトスってここの配置だけはヤケに覚えてるよな」
セドが感心したような声色を発しながら、先に歩いていたイトスの後ろに続く。それが少し不思議に感じて、前を見ながらセドへ問いかけた。
「んで、お前どうするんの」
「えっなんて」
「お前も来んのかって。メダルゲーならEブロックだろ……それとも音楽ゲーしとくのか?」
「いや、俺……ないし、観戦……って」
様々な音が弾ける場所に耳の痛さを感じながら、セドの高い声を捉えるのは至難のわざだ。なんとか聞き取れ理解した時点で少し疲れを感じ、言葉は返さず目的地に向かった。
それにしても悪魔が多い場所であり、イベントも常時開催しているとはいえ、いつもに増して密度が濃い気がする。そんなに開催されているものが多いのだろうか。
思惑少しを巡らせつつ、壁沿い故に比較的静かな場所から音楽で遊ぶゲームの前を横切ろうとすると見慣れた人影があった。フルコンボの電子音、拍手、よくある光景……その脚光を浴びている存在だったと推測される人影。
「あっ」
それは光から避けるように台から降りると、踊るようにイトスの前に現れ、喜ばしそうな声を〈彼女〉が上げる。咄嗟にセドが後退した。
「イトス! そっかやっぱりあっちで今日対戦するっていう〈U〉ってイトスのことだったのね」
「お、おぅ……それよりアシュロ、お前どっからその情報聞いてたんだ?」
「えっ、だってさっきフィオ……あー、カザシゲさんがね! イレイサのメンバーの一人と一騎打ちするって連絡してくれてたから、一体誰がくるのかなーって」
「消去法で考えてゲーセン行くの俺とイトスしか居ないじゃん」
後ろからセドが突っ込むと、それもそっかと手を鳴らし、挨拶代わりに手を振るアシュロは、そのまま去ろうとイトス達とすれ違おうとする。イトスはその最中に言葉だけを向けた。
「なあアシュロ。相手と知り合いだろ? 情報少し教えてくれ」
華の香がふわりと嗅覚を刺激してくることに苛立ちを感じた結果、言葉尻が鋭くなってしまったが、立ち止まる靴音、その一拍後に応えてくる。
「とある組織のカッコいいお兄ちゃんで、好きなタイプは〈クール系男子〉の同性愛者さん」
「ちょっとまってくれ」
イトスが不要な情報だと認識するよりはやく、セドが言葉の波に乗る。
「話が読めない、なんて?」
「えー、だからぁ、同性愛者! つまり男の子大好きな人」
「他は? 隠さず全部吐け」
セドが動揺しているようだが、イトスはお構いなしに別の切り口を問い詰める。アシュロは笑い声を鳴らした後、静かに言葉を向けてきた。
「情報収集のためなら手段を選ばない〈ゲンシン〉の技術サポーターさん、じゃ、がんばって! 応援してる!」
最近よく聞くとても耳障りな単語は、できればこの施設の音にマスキングしてもらいたかった。そのくらい、珍しく後悔した。香りが過ぎ去る。セドのため息が続いた。
「イトス、気をつけろな? 同性愛者とかロクに関わりたくないし」
「セド」
「何」
「帰っていいか?」
仕事が片付き次第帰れたら、という願望が割と早く出てしまった。そうはいってもいつも通りセドは真っ向否定してくるだろう。強制転移されるだとか、新しい武器の話だのされて鼓舞でもしてくるはずだ。
「イトスが居るなら心配だし、俺も念のためいるけど、逃げるなら今だと思う」
しかしいとも簡単に予想は外れた。ひねくれた性格は刃向かう力も必要なく、実に仕方なく歩みを進ませられることになる。
今流行りだろうゲームである〈リヴァイン・オブ・アース〉筐体のコーナー周囲には意外にも悪魔は居なかった。一人だけ、静かに佇んで、台隣の柱に背をもたれ、セドが所持しているものと同じような小型機器を見ている。彼は近づけばそれから目を離し、こちらを確認すると喜びの声を上げた。
「やあ、よく来たね!」
相手はどんな凄腕を持ってそうな顔をしているのか、屈強な男なのか。怖そうな男なのか、嫌味を言ってくる嫌いなタイプなのか……あらゆるタイプのために身構えてきたつもりだったが、相手はイトスの考えとは裏腹に、至って普通の、華奢な男だった。
華奢とはいえ、自分よりは長身で茶髪、セドのように髪留めをつけている、あと目の色が奇妙である……そんな印象ゆえに目を疑った。
「お前が、招待状送ってくれた〈カザシゲ〉?」
「うん、お会い出来て嬉しいよ、〈U〉君。あぁよかった、女の子じゃなくて……そしてよかった、割りとカッコいい子だ」
穏便で柔らかそうな口調で話すが、直感がそれをはねのけた。今日は特に読みが外れるが、これだけは言える。
「いけ好かねぇ」
「ありがとう」
イトスはそんな声に腹立たしさを覚えて舌打ち、唾を吐きそうになったが寸前でやめた。時間の無駄だ。時計を見る、きっかり約束の〈十五時〉……よりは少し早い。イトスは息を整えて筐体の一つに向かい、持ち合わせたカードと、適当に〈RE:CYCLE〉で入手しているカードを台に添えた。筐体用のカードは音を鳴らして共鳴し、認証を示す。
「時間もあるだろ、さっさとやる。こっちは忙しいんだ」
「そう? 今日予定ないはずだよね?」
〈カザシゲ〉が微笑みながら隣の筐体へと近づいてきた。適当なチュートリアルが画面から流れている間その黒かかった目の中にある妙な三つの点を確認する。赤、青、緑――ここにはないはずの色が当たり前の様に彼の目の奥で光っている。
「君もこの後やるのは別のゲーム……そうだよね? まだログインしていないはずだし」
「お前、一体なんなんだよ」
あまりにも見透かしてくるにしては正確性が高すぎる。確かに家に帰ってもゲームを触るくらいしかぼんやりと考えていないし、この時間以外に決まった予定はない。男は慣れた手つきで操作をした後、笑顔のままイトスを見てきた。
「ただのモノ好きな一ゲーマーだよ。もっとも、いろんなゲームでランキングとってるけど……あ、このゲームね、ゲーム機と違ってこの銃型デバイスで相手を撃つ。他はいつもどおり。あっスキルボタン使用は側面のやつね。だから相当のプレイヤースキルが必要だ」
カザシゲの説明と同時に液晶に操作画面が現れた。いつも使っているゲームと形式はさほど変わらない。銃に変えて体を動かす。それくらいしか相違点はないようである。〈銃型デバイス〉は軽量で二丁、さほど問題がなさそうだ。イトスは顔を前に向ける。設定画面。いつものインターフェース。決定や操作を銃との向きや位置、押下でどうやら決めるようだ。見慣れている為、操作はなんとなく飲み込める。
「カザシゲは〈ゲンシン〉の奴なんだろ」
イトスは言葉を重く落とす。
「っつーことは俺の〈能力〉知ってんだろ? なんでこんな、お前に不利な条件で挑んできてるんだ? それともお前も〈類似能力〉なのか?」
「えっとね」
カザシゲは受け止めたらしいが、どこか不思議そうな声色をみせつつも平常運転といわんばかりに和やかに言葉を吐きだした。
「僕は、君が〈イレイサ〉所属で〈イレイサ〉がどこにあって、君がどこに住んでるか、くらいまでしかわからないよ」
「うわ、気持ち悪っ」
調子が乱れて、設定画面にも関わらず手が滑べる。
「けど、僕は……いや、〈ゲンシン〉として、といったほうが正しいかな? 君の情報はなに一つわからないよ、あー名前がなんとなく想像ついてるかんじ? だから後ろで成り行き見守ってる君も、あんまり情報出さない方がいい」
その言葉には妙な違和感があって、イトスは手を止めてカザシゲを睨んだ。
「どういうことだ?」
「せっかく彼……いや、〈彼女〉が君たちの事守ってくれてるんだ。お節介だし信じなくてもいいけど、だからそれ以上言わないほうがいいよ。こっちも君がどんなプレイヤースキルを使えて、どんな装備でどんなスタイルか……そういうことと……あ、あと君自身がどんな――それはあとででいいや」
カザシゲの筐体から定期的な通信音が聞こえる。設定が終わったようだ。イトスも気を切り替えながら最後の画面の確認ボタンを撃つ。通信画面に切り替わった。
「とりあえず〈RE:CYCLE〉のカードはこちらは一枚賭け。勝敗決まり次第賭けたカードを渡す。それでいいね」
「ああ、そっちはめんどいから適当にそういうことにしておいてくれ」
液晶の中に映る高層ビルの街並み。難易度は最高、制限時間は五分と映る。
カウントの表示に深呼吸をする。そういえば対戦モードはやったことがない、それから何か思い出せそうな気がするが、今は良い、なんとかなるだろう。
〈0〉の表示――その直前にに、カザシゲが合図した。
「さ、スタートしよう、〈オーバーブレイクモード〉で」
――四番月六回日 十五時@イトス
見慣れたステージ、うんざりするほど見たエネミーシンボル。イトスは銃口を構え、いつもどおりの姿勢で敵という的に照準を合わせる。それから自分の得物である〈それ〉と同じように引き金に手を当て、そこで目を丸くした。
「は……?」
イトスは刮目する。確かに見慣れているはずなのだが、どこか違和感がある。たまにだが、標的がぶれてみえるのだ。筐体ゆえにそういった挙動になるのか、あるいは……。
「なあ、カザシゲさんよ」
右耳から飛び込む、不審も迷いもない音と、足を動かす振動にもまた、妙な感覚があったが、カザシゲは手を休めてはくれなかった。
「なんだい? あ、これ時間制限あるから気をつけないと――」
「んなこと分かってる」
とりあえずイトスも、引き金を引く。敵は攻撃を受けた挙動に移行、だが倒れない。いつもなら一発で倒れ点数が入るはずなのに、だ。
「こんなルール知らねえぞ。どういうことだ?」
「だからオーバーブレイクモードだよー」
にこやかな声がそう響くが、癪なこと、それから画面の光景には目を疑うしかなく、イトスはとにかく画面の中を把握することが精一杯だった。撃ちながらスコアを確認する。カザシゲは流石、長くこのゲームの頂点であった証明のごとく、スコアを伸ばしているらしい。小さく添えられた〈相手〉のスコアは瞬く間に増えていた。
何度か撃ち、敵を倒しながらスコアを確認し続けるが、思うほどそのスコアは得られない。零の桁は除いて、相手は六桁、一方自分は四桁、一目瞭然の圧勝感がカザシゲにはある。イトスの手に汗が伝った。当然、相手がルールを説明してくれない点からして不親切感や不平等感もあるのだが、それにしてもスコアの増加数が決定的におかしい。
「チートっつーやつか? 大人気ねぇな」
「イカサマじゃないよ。ちゃんと公式のルールだから……あ、プレイスキルって、臨機応変さっていうのも入ってるから。そういうのを言い訳にしちゃあ駄目だよ、Uくん」
「冗談じゃねえよ」
小さくそう舌打ちする。だが確かにそうだ、イトスにもスコア自体は入っている。多少敵が硬いのは、恐らくそういう形式で、相手は例えば貫通スキル付きの装備を持っていてもおかしくはない……イトスはここで頭を振った。
「貫通……は利いてねえなこいつら」
こういったゲームをしている時、無意識につぶやかれるそれをもって、イトスは状況を整理する。画面はまさしく違和感だらけだ。知っているのは姿形、それだけである。どうも突破口がわからない。カザシゲのスコアは相変わらず桁違いだ。八桁。ちらりと相手の画面をみやる。角度的に見えにくいが、とりあえず普通に撃ってるだけのようにしかみえない。ただ、少しだけイトスにはその微細な動きに異変を感じた。カザシゲ本人の動きが鈍ってみえるのは気のせいだとして、撃っていない時があるように見えたのだ。
推察すれば〈撃っていけない敵がいる〉ということにはなるのだが、手探りしている時間もない。残りは三分半。この状況で賭けに出ろとカザシゲがいうのなら、彼は非常に意地が悪い。
撃ち続ける。敵は倒れる。時折中央の敵ではなくて奥の敵を撃ったりしてみる。狙いは正確、故に最小限の回数で相手が倒れている。一体五発、ここまでは理解した。
無我夢中で撃ち続けると、一瞬、奇妙な現象が起きた。自分のスコアが跳ね上がったのだ。だが何が原因かは分からない。ただ四桁が六桁に跳ね上がったのは事実である。もっとも相手は九桁の中盤に差し掛かっているようだが、制限時間は残り半分。イトスは舌打ちする。
――と、その時背後から聞き慣れた声が響いた。
「U! そのモード、〈注意しないと見えない赤バッジの敵〉撃たないと高得点取れない! あと撃ってはいけない奴もいる。そいつはもっとわかりやすい」
セドの声でイトスの視神経が活性化する。目を凝らす、なにもいない箇所の中央寄りの空間が、ぐにゃりと歪んだのが確認できた。
「いや、んな馬鹿な」
イトスはそう口ずさみながらもそこに狙いを構える。一発はヘッドショットを狙って、もう一方は――ついでに同じように見えた右下を、もう一本の銃で撃ち落とす。それがセドの言う赤バッジの敵かは分からないが、スコアが大幅にまた増えた事実を考えると、恐らくそいつなのだろう。
イトスは一旦目を閉じて大きく息を吸う。銃を構え直す。イトスはカザシゲをこの遊技場で見たことはないゆえに彼の挙動がいわゆる本当の凄腕なのかまではわからない。だがイトス自身のことなら分かる。目を開いた。歪みが大量に浮かび上がってくる。
大胆、そう実感するくらいの動きをイトスは繰り出した。腕を敢えて大げさに動かして、予測半分に撃ちまくる。イトスは乱射はあまり得意ではない、面倒だからだ。だが二分程度なら、なんとかなるかもしれない。
判定音が素早く音を刻む。カウントダウンの音が小気味よく混じりはじめた。足を踏みしめ、液晶を注視、標的が見えにくい……いわゆるステルスジャンルはなんとまあ神経を消耗するのだろうか。やがて〈0〉を刻み、画面を操作できなくなった時点で、ようやくイトスは大きく息を吐いた――否、肩で息をする。
「U……」
セドが心配して、イトスの傍に駆け寄ってきた。イトスは息を整えながらセドに視線を移す。筐体の光に比べてその方角は凄まじく暗く思えた。
「暑っ……」
「そ、そりゃイ……Uが普段運動しないからそうなるに決まってるだろ?」
セドが苦笑いしながら、均衡を若干崩したイトスの肩を支えてきた。もう一度ため息を吐いて今度は眩しすぎる画面を凝視した。
――"189562008"
見事に九桁もある、イトスは驚いた。夢中になっていて途中からスコアを気にすることがなかったのだ。と、同時に相手のスコアも確認できた。
「は?」
「すごいね、助言があったとはいえ、まさか追い上げてくるなんて……ね」
カザシゲも、気がつけば座り込みながら息を整えていた。イトスが目を向けると歪んだ表情を見せた気がするが、すぐに能天気そうな表情で笑みを見せてくる。
「18、89……うん、こっちの負けだよ。君の勝利だ、すごいね。他のゲームもやってるの?」
「ランカーとかそういうの興味ねぇけど、ここの遊技場のシューティングは一通り全部やってる」
「なるほどね。納得したよ、悔しいけど筐体ゲームは駄目だな。僕の専門外ってところだし……けど、少し気になったことがあるんだよね」
穏やかな表情で、カザシゲは隣で肩を貸すセドに注目した。セドの身体がびくりとこわばったのが見えた。
「なんで、ランキング上位者限定モードのルールを、君が知ってたりするのかな?」
イトスも思わずセドに視線を送った。そういえばそうだ。思えば、敵こそ見えなかったが、セドは確かに〈見えにくい敵である〉ということを説いていた。イトスはその時のセドの表情を見てはいないが、セドが身体越しに小さく震えたり、言葉を選ぶ様に視線を泳がしている辺り、なんらかで〈視た〉可能性がある。だがその情報を出せば問題がある、ということを彼本人が忠告していたことを考えれば、セドも中々言いづらいのであろう。
「セド」
イトスがセドに小さく耳打ちをする。空間は騒がしいが、セドは少なくともこの距離で聞き取り可能な程には聴力がいいはずだ。わかってるだろうけど、と前置きをする。
「視たってことは言うなよ?」
「え……」
それに対してはセドは意外にも首を傾げた。そして少し後ずさりながらも、セドは言葉を紬ぐ。
「リリース前の試遊時に、同じモードがあったから……」
「は?」
イトスが思わずカザシゲとセドの顔を交互にみやる。カザシゲは立ち上がって腕を組みつつ頭を捻っていた。
「試遊……試遊――ああ!」
そうして手を打つ。見る限り、ゲーム時と異なってカザシゲの態度に好戦的なところは見受けられない。
「そっか、僕リリースされてからしかやってないから……なるほど、それは知ってるか」
「すっごく難しいモードだなあと思っていたけど、まさか今そんなコンテンツになってるとは思わなかった……よかった、合ってて」
「いや、カザシゲがルール説明してくれてたらここまで悩まなくてよか――」
イトスが突っ込みかけた時点でふと思い立ち、カザシゲを睨んだ。カザシゲの身体が後退する。
「てめぇ、まさか最初から俺を嵌める気だったな」
「いや、だからプレイスキルが……」
「んなモードのルール把握できるわけねぇだろ……そりゃよ、そこまで傲慢なんだからプライドに関わるところだろうけども」
吐き捨てる。傲慢悪魔とはどうも相性が合わない。いったいどうしてここまで我流のルールを撒き散らしてくるのだろう……そうミドセを思い出しながらイトスは肩をすくめ、手を差し出した。
「ま、勝ったんだから約束通り」
「それなんだけどね……実は」
「や、〈RE:CYCLE〉のカードはどうでもいい。新種の武器」
「そっちなのかやっぱり!」
セドの言葉が驚くように飛びかかってくる。イトスは呆気にとられてセドに目を向けた。
「あのな、そもそも俺、〈RE:CYCLE〉ってのには興味ねぇし。そりゃ勝ち負けが左右するっつーんだったら大人しくカードもらうぜ? けど俺そういうのよりゲームの方がいい」
空間が緩む。相手に敵意は本当にないらしい。だからこそイトスは本心を零す。やはり怠惰悪魔たるもの、そういった実戦よりは室内の遊具で遊んでいた方がいい。それは、今回いつも以上に派手に動いたことでより一層実感できた。
イトスは促すようにカザシゲを見やると、はは、と笑いながらカザシゲが目を細めイトスを見返してくる。
「U君、君には色々謝らないといけないんだ」
「は?」
「まず、僕は多分、君と同じ怠惰悪魔だよ」
「お、おう」
聞いてもいない自己紹介に、イトスは首を不満そうに首を捻る。
「それから〈RE:CYCLE〉については、悪いけど試させてもらったんだ。君が知る通り僕は〈情報組織〉の存在だから、少しでも情報が欲しかった。こういうゲームでは駄目なんだね。ルール通り、空間に放り込まれて身体同士ぶつかりあって戦わない以上は適用されない。それから――」
カザシゲは目を伏せ、胸に手をやると大きく息を吸い込んだ。一体なんだというのだろう。イトスは眉を潜めた。なぜかその間の時にセドがイトスの半袖の裾を握りしめたようだが、そちらは特に大きく気になるものでもない。その様子を確認してからか、カザシゲは今まで以上に微笑んだ。
「重要なのはこれだ、新種の武器はないよ、ごめんね」
場が鎮まる。否……これはイトス自身の思考が、だった。
「ない」
イトスが反復する。言葉に感情を乗せるのも、心なしか面倒に感じた。
「U、目が笑ってない……落ち着」
「ねぇのに、呼んだ。腹いせに、か?」
言いたいことが全部弾けて、セドの言葉もどうでもよくなっていた。カザシゲの笑みが引きつり始める。
「まって、U君、ここは戦闘禁止だよ! 本物の銃を向けないで」
「おう、悪ぃな。クセなんだよ……クソが」
「じゃあ、そうだな。ちょっとプログラム改造になるけど、それで未公開アイテムをギフトコード化して送ってもいい?」
「はあ? んなことしたら俺のアカウント消されるじゃねぇかよ。却下」
「あー、んじゃ! あ、そうだなにか、なにか情報渡すから! しまってそれ!」
カザシゲが申し訳なさそうにしつつも必死に制止してくるのをしばらく黙って見た後、イトスは銃を懐にしまう。睨みをきかせるのは慣れている。このくらいやっても咎めはしないだろう。イトスは思考を巡らせる。ゲームの情報はどうでもいい。無論〈RE:CYCLE〉の情報もはっきりいってどうでもよかった。となると取り立てて必要な情報はなかったはずだが、セドがポツリと名前を口にして、附には落ちないが、カザシゲに言葉を投げた。
「んならくれよ、てめぇの頭がよこさねえ〈アリス〉とかいう奴の情報」
正直イトスはもうどうでもよくなっていた。腹いせに物理的に蹴りを入れてもよかったのだが、生憎ここの監視体制は酷く手厚い。頭の中はそんなことよりも、この場を離れて適当にゲームを購入して帰ろう。といったところである。カザシゲは怯み、なにかしら考えこんでいたようであるが、一呼吸ついたあと。距離を狭めて言葉ごと近づけた。セドが何故かイトスの後ろに回る。
「〈アリス〉の情報、どこまで?」
「知り得る情報全部。名前だけとかクソだろ。けど簡潔に言え」
「うん、それならわかった。こっちもばらしてお咎めもないし、いいよ。〈彼女〉も困ってるだろうしね」
頭に血が上っているからか、ゲーム開始前にも聞いたその一言が心なしか引っかかって感じた。だがどこに違和感があるかまではわからない。カザシゲは耳打ちするように首を伸ばす。
「アリスさんはね、白い髪の女の人だよ。貴族でとても上品で……不思議な目を持ってる」
イトスは睨みつけつつ思考をはじめた。
「不思議な目?」
「詳細はわからないんだ、残念ながら。データにもないし」
「そこまで分かるくせにか?」
「依頼主さんからの情報らしいから、ああ、依頼主さんが貴族らしいんだ。詳しいことはわからないけど」
「そ」
近くにあった顔にやたら腹が立って、イトスはカザシゲを突っ放す。カザシゲは先程の体力消耗もあってかすぐに倒れた。
「おい、帰るぞ」
「あ、うん」
イトスはそのまま振り返って来た道を戻る。セドはすぐさま追いかけてきて何か言っているようだが、音が至るところから騒がしく聞こえることもあって、殆ど聞き取れなかった。
「なあセド」
自動階段が下降し始め音が遠のいたところで、イトスは口を開く。
「なんだよ……ってか聞いてた? 俺の話」
「いんや。気が向いたら今度聞いてやるよ。……それよりアイツの話きいてたか?」
「〈アリス〉の情報? ……なら、ミッチーにどの道言うだろうからって聞いてたけど」
「それなんだけどよ。なんか引っかかるんだよ」
移動して、また自動階段に動かされながらイトスは天井を見やる。
「引っかかるって?」
「お前は引っかからなかったのか? 特徴聞いて」
「特徴――んー確かに特徴わかったら占いとかの助けにはなるけど……白い髪で貴族で不思議な目……は!」
「っと、押すなおい」
「居るな。間違いなく、俺も心当たりある」
後ろからセドが息を飲む音が聞こえた。なにやら納得している声色には聞こえないが……。
「けど、そうだとしたら――自覚あるんじゃないか?」
「自覚なぁ……」
「そもそも、俺よくアイツのこと知らないんだ。占いとかも信じてないみたいだし、視る機会ないし」
どうやら話は通じているらしい。セドが唸りながら、目的の階に着地し辺りを見回し……やがて硬直する。イトスは訝しげに問いただす。
「おい、どうした今日。ずっとそうだろ」
「いや……先にアイツの方が教えてくれそうだなって」
セドはそう言って遠くを指差す。視線をたどると見慣れた女性がそこには居た。椅子に座って端末を触っている赤髪……都合よく存在したのは、先程すれ違ったアシュロだった。