Harpuia's GardenCage ウブメ空間──正確にはコカクチョウらしいが──の消化が完了した。参加者は各々帰還し報告書の作成に取り掛かる。今回も無事に消化完了し、自身は生還できたと喜ぶ一方で、手記の確認は出来なかったなと鹿守うい……私は肩を落とした。いや、今回は実りのある参加だった。相乗効果の発動を間近で見れたのはいい経験だろう。そうやって今回の空間を頭の中で思い返す。
だから、自分を見つけて歩み寄る影に気付くまでに時間がかかった。一休みしてから家に帰ろうと、敷地内のベンチへ深く腰掛けていたのも悪かっただろう。本当なら姿を見ただけで、それとなく距離を置きたい相手だったからだ。
「あら、ういちゃんじゃない」
声をかけられ、目が合ってしまってはもう気付きませんでしたとこの場を離れる訳にもいかない。私は立ち上がって帽子を取り、姿勢を正し、頭を軽く下げて挨拶をした。これで少なくとも、礼儀がなっていないなどと小言を言われることは無い、筈だ。うん、大丈夫。
「お久しぶりです、雉都さん」
「珍しいわね、いつもすぐに帰るのに」
「いや、今回は少し、くたびれて」
「そうなのね」
なので早く解放してほしいという意味も込め、わざとらしく大袈裟に肩を竦めてみせた。いや実際、いつもよりくたびれているのは事実なんだけど。疲労の他には、消化完了した後も気まずかった塗塗の二人の空気に中てられて。
今回参加しなかった彼女も経緯は小耳にはさんだのか、思い当たるような顔で苦笑いをした。へへ、つられて変な笑いで頷く。
「『人探し』もそのくらい頑張ってほしいものだわ」
苦笑いの理由を察したのはその直後だ。話へ僅かに怒りが含まれているのを分かって、肝が冷えた。
「いつまでも遊んでないで、
御三家の役目を果たしなさい。
狼宮が廃れた今、
本家の血筋を捜せるのは凰院と鹿守だけなのよ」
──あぁ、だからこの人が苦手なんだよ。
何年経っても変化のない顔が、小説家になるなんてくだらないと見下してた目で、私に同じことを繰り返す。
見つけられるのは我々だけだからと、何かに急かされるように他の人間にもそれを押し付けながら。
子供の頃からずっとそうだった。御三家一同が顔を合わせる際、いつも必ず凰院の方からそれを切り出した。家系図が一番横に広い鹿守が率先しないでどうするのと、同じ顔でそう言うのを何度も見てきたものだ。
たぶん、いつもの私だったら。ぎこちない笑顔を保ったまま、これまでのようにすみませんを繰り返して嵐が去るのを待った筈だ。雉都さんは機構員で仕事もある。私ばかりに構ってはいられない、時間を稼げば業務に戻る。
ただ、今の私は本当に……本当にくたびれていたのだ。作戦完了後も塗塗明星の従妹騒ぎに巻き込まれ、手記の検証は結局叶わず、帰ったら報告書の作成もある。諸々の疲労が積み重なったところで、嫌味を笑って返す余力はなかった。
「……そんなに言うんなら、
私じゃなくて鹿守本家をつついてくださいよ」
自分でもびっくりするくらい低い声が出た。徹夜で原稿を仕上げて色々限界だった時もこんな声ではなかった筈だという見当違いが頭を過った。現実逃避だろうか。これまで反論どころか口答えも出来なかった相手に言葉を返せた事に対しての。え、夢?
……とも思ったが、目の前で相手の眉を顰めさせたのは現実だ。
「……何?」
「み、苗字が同じだからって、
私を捌け口にしないで下さい。
本家には魔人も居るじゃないですか。
私にまで役割を求められるのは迷惑ですよ。
第一、私が民間協力者になったのは
あなたが考えているものとは全く違う理由です」
噛んだが気にしない。緊張で早口になるが、何とか言い切れた。ここで有名な小説家が参加してると知ったのが発端で、理由は経験が自分の小説のネタに出来るかもという事まで話すつもりはない。酷い目に遭うのが分かり切っているからだ。
ただ、そこまではやはり知らないらしい──目の前の女性は顔を歪ませた。鹿守本家云々に口出しできず、私を彼らへの捌け口にしているのは事実らしい。違う理由でも捜すのは出来るでしょうと言われれば返す言葉は無かったのだが、彼女は押し黙ってしまった。
「そもそも、何で今になっても探してるんです?
跡取りが駆け落ちしたの、何十年前の話ですか。
子供が生まれてると仮定したって、もういい歳でしょ。
孫が生まれてるなら別ですけど……」
初めて見たその弱々しい姿に、長年抱いていた疑問を投げかけてみる。正確には投げかけてしまった。今なら聞けるかもという好奇心だろう。
正直、凰院が続けている『捜索』は異常だ。家系のほとんどの人間が空間で殉職してもなお辞めようとしない。本家の人間は弱みでも握られているんじゃないかと勘ぐっているようだが真相は不明。憶測が飛び交うばかりで、又聞きしている分家の私に本当の事情が流れてくる筈もない。
なのでずっと不思議に思っていた。居るか分からない人間を、どうしてそこまで捜し続ける事が出来るんだろう。
そういう無遠慮な意図が顔に出ていたかどうかは分からないが、彼女が顔つきを険しくする。
「──なら、なおさら保護が必要でしょ!」
踏み込み過ぎたと思ってももう遅い。自分は彼女が私にしたのと同じく、触れてほしくない部分を触ってしまったのだ。
ごめんなさいと言うつもりだった声は、剣幕に驚いて喉の奥へと引っ込んだ。こんなに激しい感情を露にした姿を見るのを初めてだったから。
「居るとすれば、あの沙妃の子供なのよ!
ろくでもない生活をさせられているに違いないわ!」
声を荒げる彼女に、そんなことないと言ってあげられないところが件の女性の残念な部分だろうか。実際に会った事は無いが評判は今でもかなり悪い。凰院家が未だに人探しをさせられているのは、婚約者との結婚を目前にして使用人と駆け落ちし、消息が今でも不明なこの女性の所為と言っても過言ではないのだ。今となっては神庭家直系の──彼らに言わせれば尊き──血を引く人間はこの人物だけ。
けれどもそれだけの理由で、ここまで必死になれるだろうか。鹿守本家はとうの昔に諦めたように思えるが、彼女の熱意はやはり異常だ。
「見つけ出して、保護して、
神庭本家で暮らせるように──」
「待って」
どうしてそこまで見つけ出そうとするのか、その答えは彼女が続きを口にしてくれた。
ろくでもない生活をさせられているかもしれないから。分かりやすく簡単で、尤もな理由だった。だからこそ思わず話を止めてしまったのだ。
助け出して保護して、暮らせるように。そこがどうにも引っかかる。彼女がそれを信じて行動しているなら、私が祖父に聞いた話や、渡された手帳の内容と食い違う。
「本気で言ってるんですか?」
「何ですって?
当たり前でしょう。やっぱり鹿守は薄情よね、昔からそうだわ」
やはり分家なんて関係ないのよ。続けられた言葉には、私への哀れみや侮蔑を感じた。可哀そうなこどもを助けようという気すらないのかという蔑みが伝わってくるが、否定をすればさらに話が続くと思ったので黙る。返事をしない私を呆れたのか、気が済んだのか、彼女は足早にその場を立ち去った。やっぱり、仕事が残っているのだろう。勤務時間だし。一人残された私は、再びベンチへ腰を下ろす。どっと、冷や汗が体中から出るのを感じた。余計に疲れた。こんなに緊張するなら、口答えしなきゃよかった……という気にすらなってきた。
(……見つけ出して、保護して。
神庭本家で暮らせるように、か)
現代になってまだ保護が目的だなんて信じているのは、凰院だけだ。続けなくて正解だっただろう。廃れてしまった狼宮の人間たちがどうだったかは知らないが、鹿守はなんとなく勘づいている。機構に就職どころか、民間協力者になるのも避けるようになったのはそもそもそれが原因だ。私は祖父から確かに聞いた。神庭本家が自分の子孫を捜すのは、我々に探させようとするのは、空間で死なれているのが厄介だからだと。何かを堪えるように震える彼から、確かに聞いたのだ。
羊と水を信じる鳥が、知る由もない。
彼らがこどもを捜すのは、
あの箱の外で看取る為などと。