島探索いつ頃の話だろうか。太陽の光を照らす大海原の上を船団が進んで行く。船の上空を海鳥が通り過ぎて行く。船に乗るのは海の旅人たちだ。一面の青に慣れ始めていた海の旅人たちは顔を見合わせ感慨にふける。海鳥の声は陸地が近いことを知らせてくれる。船は徐々に浜辺へと近づき、無事に島に着くことができた。手付かずの自然が海の旅人たちを歓迎する。そして最初に海の旅人を率いる少女、モアナが船から降りた。波と砂の感触を踏みしめ、彼女は胸いっぱいに深呼吸した。鼻腔に緑の香りが広がる。潮の香りに満たされていた生活もひとまず終わる。未踏の島への偉大なる第一歩だ。
「さぁ、着いたわ」
先祖たちは新天地について最初に何をしただろう。そんなことを思い巡らせ、モアナは次々と降りる海の旅人たちを見つめた。はしゃぎながら散り散りに走って行く子供を大人たちが慌てて制止する。
「まずは荷物かな」
モアナは船の中の荷物をどれだけ出すか両親と話し合った。まだこの島にどのような動物がいるか見当がつかない以上、植物の種や食料は慎重に出した方が賢明だろう。そんなことを話した。この島の資材がどれほどあるか確認も必要になる。家屋の建築にも時間がかかる。船で寝起きする生活もまだ続くことだろう。千年ぶりの不慣れな開拓生活が始まった。
日を追うごとに植物や魚などの確認などが進む。モトゥヌイで見たことのなかった植物や魚を見ると子供達はもちろん、大人たちも目を輝かせた。見知らぬ魚を迂闊に食べて犠牲を出ないように気を配った。運が良いことにモトゥヌイでよく食べていた魚がこの島周辺でも泳いでいるようだ。ありがたいことに火を起こすために必要なナッツ類も島にあるようだ。島に持ち込んだ植物を育てる場所を決めたり、タパをどれほど生産できそうかなどを話し合ったりなどした。モアナは新たな島の生活に奔走した。
そんな日の夜、モアナは船でよく寝入っていた。すると船の床が揺れ始めた。モアナは瞬く間に目を覚ました。モアナは高波を疑った。しかし彼女が目を開いた瞬間に船の揺れは少しずつ収まっていった。他の者たちは不思議と起きている様子はない。気のせいだと思うことにしてモアナは寝返りを打って目を閉じた。その背後で、青白い光を放つ何かが陸地を引き上げていることに気づかずに。
翌朝。日が登り始めた頃、モアナは子供たちに起こされた。
「ん……?どうしたの?」
モアナは体を起こして髪を手櫛で掻きあげた。
「あれ見て!」
子供の指差す方向を見てモアナは眉間にしわを寄せた。水平線の手前に小さな島が見えるのだ。少なくとも船旅では島の近くに小さな島はなかったはずだ。
「昨日はなかったはず……」
モアナは不可解そうに呟いた。
「もしかしてマウイかな?」
子供の一人が期待した表情を見せた。
「そうだといいね」
モアナは子供たちにそう言った。しかし、夜の間に島を引き上げたのだろうか?
「……今日は予定変更かな」
モアナは村の大人たちと話して一人で島に向かうことにした。一人では危ないのではないかと声が上がったものの、モアナは道連れをつくるのを断った。
「島が魔物そのものだったりするかもしれないわ」
モアナはそう言って手早く舟の準備を始めた。
「行ってくるね」
モアナは皆に告げて帆を降ろす。帆は追い風を受けて膨らみ、舟を進めていった。しばらくするとモアナの後ろで羽音が聞こえてきた。虫の羽音だ。モアナは反射的に身構えた。羽音の主は彼女の身構える動きを避けて不安定になりながらも飛び続けた。モアナの視界に羽音の主の姿が映る。緑色に光る丸っこい体つきの虫だ。モアナはその姿をよく知っていた。
「あっマウイ」
モアナは身構える姿勢を解いた。
「叩き潰そうとしたろ」
甲高い声で不機嫌そうにマウイが呟いた。
「まさかそんな」
モアナは大げさに否定した。マウイは疑わしげに目を細めて床板へ降りた。
「島はどうだ?」
「どうだって……」
聞かれたところで、まだ全容を知らないので答えようがない。
「まぁ昨日引き上げたばかりだしな」
「あっやっぱりあの島も……」
「ほかに誰がいる?」
マウイは得意げに言った。
「一晩で引き上げられるの?」
「もちろん。小さい島ならあっという間だ」
「でも、小さいと少しの人数しか住めなさそうね」
モアナの言葉を聞いてマウイは小さく咳払いした。
「残念だが、住むための島じゃない」
「えっ?」
「失礼」
マウイは一言そう言ってモアナの肩にとまった。
「あれは海に選ばれし者専用の島だ。自由に使っていい」
悪巧みする子供のように小声で囁くマウイにモアナは思わず笑みをこぼした。
「……なるほどね?」
「おっと、よそ見してると座礁するぞ」
マウイは冗談混じりに言った。
「そうね」
モアナは改めて帆を膨らませるように縄を引っ張った。
「わぁ……」
島を目前に、モアナは舟を止めて降りた。昨夜引き上げたばかりの島にも関わらず多種多様な植物が実っている。モアナは自然と体を一回転させて島を見回した。小さな島だが色鮮やかさが眩しく感じる。
「テ・フィティに頼んだ」
さっきより低い声が聞こえ、モアナは舟の方を振り向く。いつのまにかマウイが元の姿に戻っていた。
「テ・フィティにお礼を言わないとね。……あなたにも」
モアナは軽く肩をすくめて笑った。
「ユアウェルカム」
マウイはモアナにウインクした。
「さて、俺は立ち去るとしよう」
「あっ待って」
水平線に体を向けようとしたマウイをモアナは引き止めた。マウイは水平線からモアナの方へ振り向いた。
「今日は、一人より二人のほうが楽しい気がする」
モアナは悪戯っぽく目配せした。
「二人か、悪いな」
マウイは苦笑して舟を撫でた。モアナの唇が何か言いたげにすぼまる。
「二人と一羽みたいだ」
マウイは舟の倉庫から鶏のヘイヘイを摘んで持ち上げた。ヘイヘイは舟の床板に乗せられるとちょこんと座り込んだ。モアナは小さく笑うと、ふとさっきいた島の方角を向いた。
「島で珍しい植物見てたら遅くなったとか言えばいいさ」
「うぅーん……うん」
心を見透かしたようなマウイの提案に対し、モアナは渋りながらも頷いた。
「とりあえず珍しい植物の陰でお話するのはどうだ?」
マウイは巨大な葉の下へと招き入れるような仕草を見せた。そこは濃い日陰になっている。見るからに涼しそうだ。
「その葉っぱ、モトゥヌイにも生えてたけど」
モアナはくすくすと笑った。
「今度、あなたが島を引き上げるところ見てみたいな」
モアナはそう言いながら、地面へ座り込んだ。葉の陰になっていたおかげかひんやりとしている。太陽光の眩しさで疲れていた目が少し安らいだ。昨夜は島を引き上げるのを見られる絶好の機会だった。それを逃したのはモアナにとって残念なことであった。すると、マウイがモアナの隣で胡座をかいた。
「引き上げるところを見られたら島を見つける楽しみが減るだろ?」
マウイが首を振ると、モアナは何か言おうとしたもののすぐに唇をすぼめた。
「この小さなオヤツちゃんにちょうどいい島でも引き上げるときはどうだ?」
マウイは頭から砂に埋まっていたヘイヘイを掘り起こした。どうやら気づかぬ間に倉庫から出ていたようだ。着地は失敗したようだが。
「一瞬で終わりそうね」
「瞬きしてるうちに終わるだろうさ」
マウイは自分の顎を撫でて自信満々な様子で答えた。
「瞬き厳禁ね。聞いた?ヘイヘイ」
モアナはヘイヘイの体についた砂を軽く払って目を細めた。ヘイヘイは小首を傾げて小さく鳴き声をあげた。