聖域あるいは噂の火種 三寒四温は意外にも冬の季語であるが、春にも当てはまると、特殊機甲群、通称ダイダラ中隊の副隊長を勤めるウメハラ一尉は考えている。桜の蕾が膨らみ始めた昨今、気温差が激しく、私服や寝具の選択に日々悩ませている。自衛官は体が資本の仕事である。選択を誤れば、著しく仕事の効率を下げてしまう。
だが、人間誰でも誤りというのは犯すものである。そのよき例に我らが中隊長、サタケリュウジ二等陸佐がなってしまった。今朝、雑談で布団を出し忘れて寒かったとウメハラにこぼしていた。その時の掠れた声は、喉の痛みを想像するに非常に不快であろうと思わせるものだった。だが、幸か不幸か本日は金曜日である。一日耐え忍べば休日だった。
サタケは先程から苦しそうな声で電話をしている。主として話さねばならないらしいのはサタケの方なのが余計に酷だとウメハラは思う。
ゴホッゴホッと、サタケは話の合間に痰の絡んだ咳をした。あまりにも苦しそうで、ウメハラは思わず前の席のミドリカワ二尉と、横のクルミザワ二尉と顔を見合わせた。ミドリカワは端正な容貌を気の毒そうに歪め、クルミザワは口をへの字に曲げて、肩をすくめた。
ようやく長電話を終えられたサタケはティッシュで口元を覆って咳をしている。そんな彼の前に、小さなペットボトルが差しだされた。オレンジ色のキャップの暖かい飲み物用で、中身は新しく自販機に入った生姜湯である。
「すまんなアオ三尉」
「いえ。お大事に」
差出人はアオであった。この青年は一見無愛想に見えるが、案外気の利く人間である。
「なんだこれッ! 甘いな!」
ペットボトルの蓋を開けて中身を口に含んだサタケは吠えた。だが、次の瞬間に咳き込んだ。
「生姜湯だそうです。適度な糖分は脳の栄養になりますよ」
「だからってこんな甘いの勤務中に」
「生姜湯って甘いもんじゃないですか? あんただって自分で作る時はちみつ入れてたでしょ」
サタケとアオ以外の面々が固まった。なぜアオがそんな情報を知っているのか。彼と仲のいいリオウ三尉に顔を向けたが、彼女はギョッとした顔のままでこちらを見返した。どうやらその理由は知らないようだ。
誰もその訳を訊けないまま、仕事は次々に降ってきた。年度末近くのこの時期はただでさえ多い仕事がさらに増える。そのせいか、サタケの顔色は時間が経つにつれて悪くなっていった。
「二佐、その演習の総括案は俺がやっときますし、新年度の訓練の起案書はミドリカワたちにやらせましょう。そろそろ教えてもいい時期です」
「わかった。起案書の書き方は俺が……」
「いや、俺がやっときます。ちょうど手が空きましたから」
「すまん」
ウメハラはサタケから決裁以外の仕事を部下たちと分担すべく、抜き出していった。慢性的に事務仕事が溜まりがちな幹部自衛官であるが、サタケの今の体調ではそのような状況には置いておけない。ミドリカワも、いつもは書類仕事が増えるたびに嫌そうな顔を隠さないクルミザワすらも、今回は真剣な顔でパソコンに向かっていた。
「ミドリカワ二尉、クルミザワ二尉、なんか俺にもできる仕事ありませんか」
「私も! できます!」
アオとリオウも手を挙げた。特にリオウは幹候から現場に出て数ヶ月しか経っていない。それでも不慣れな仕事を買って出てくれるのはありがたかった。
「助かるよ二人とも」
「ありがとな! 俺も覚えてもらいたい仕事あったんだった!」
「あまり難しすぎるの渡すなよ。お前だって覚えなきゃいけないんだからな」
すかさず自分の苦手な仕事も回そうと画策するクルミザワをミドリカワは牽制する。そんな様子を、顔色が優れないながらも、サタケは微笑ましく見ていた。
今日は体調が優れないため、定時で上がらせてもらう。と一四〇〇ごろサタケが宣言したのを、部下たちはホッとした面持ちで聞いていた。尊敬する上官の体調が悪化していく様を眺めながら仕事をするのも、無理させるのもしたくなかった。本音を言えば今すぐ医務室に担ぎ込みたいくらいだが、そんなことをしたら逆に絞め落とされそうだとも思っている。
「ではお先に失礼する」
お前らも遅くなるなよ。と声をかける隣には急いで仕事を片付けたアオが、自分の通勤カバンの他に、サタケの通勤カバンを持っている。どうやら送り届けるつもりらしい。
「俺もお先に失礼します」
「お疲れアオ、隊長のことよろしく」
「ああ。責任持って看病します」
ウメハラへのアオの返答が、再び中隊の面々が動きと思考を停止させた。それに気づかない当事者二人は押し問答をしている。
「そこまでいいぞ。うつるだろ」
「何言ってんですか。たぶん家着いたら途端に倒れますよそれじゃあ」
鍛えられた精神力でなんとか立ち直った隊員たちは、退勤する二人に口々にお疲れ様、と声をかけた。二人が完全に室内から退出した後、堰を切ったようにクルミザワが話し出した。
「えっ? サタケ隊長の誰も足を踏み入れたことのないという自宅という名の聖域に? アオがなんで入れんの?!」
サタケにある程度深く関わった者には、サタケが自宅に−−己のテリトリーに人を入れたがらないというのは周知の事実であった。
「しかもあの口ぶりじゃあ何度か入ったことありそうだよな、アオは」
ミドリカワの指摘に一同は首を傾げた。
「だって、家着いたら途端に倒れる、って言ってたってことは、以前に同じような状況になってるんだろうし、そもそもそういう重病人を看病するってことは、ある程度家のものの配置分からないと無理でしょう」
真正面の敵と相対してたら、横から刺されたような心地にウメハラはなった。サタケのアオに対する可愛がり方や、アオのサタケへの慕い様は、ただの上官と部下の間柄にしては近いように思えたが、まさかそこまで繋がりが深いとは。
「いつからの付き合いなんだろうな、あの二人」
クルミザワはふと浮かんだ疑問をこぼした。
「俺は知らん」
ウメハラは間髪入れずに応えた。
「ウメハラ一尉もわからないなら、お手上げですね」
「リオウはどうなの? アオとは直接の先輩後輩だろ?」
「そこらへんあまりイサミは話さないんですよ、クルミザワ二尉」
「まあ、その辺はあまり突っ込まないでおこう」
ウメハラはパチン、と両手を合わせた。アオの幹候卒業以前からの付き合いだというのが事実でも、虚構でも、ひとたび噂になったその次に外野に言われるのは、アオ三尉の配属は贔屓によるものだったのではないかと言うことだ。サタケは身内だからといって人事に配慮を求める利己的な人格ではないし、アオは自ら特殊機甲群に入隊を勝ち取れる実力の持ち主だ。ダイダラ中隊の人間はそれをよく知っている。知っているからこそ、そんなくだらないことで二人を傷つけたくなかった。
隊員たちはそれぞれ自分の受け持ってる仕事を片付けて帰らんとパソコンに向かった。やがて先に帰った二人のことは、頭の片隅に追いやられたのだった。
週明けの月曜日、サタケはいつもの頼りがいある隊長に戻っていた。アオも病気が移った様子はない。そのことにウメハラは胸を撫で下ろした。
「アオ、結局看病したのか」
「はい。やはり家に着いた途端倒れてしまいまして。土曜の夕方まで看病しました」
「そんなに悪かったのか」
「ええ。でも一日くらいで回復しましたよ。日曜はバイクいじってましたし」
ウメハラの思考が一時停止をした。サタケの病状もそうだが、看病が済んだあとも滞在していたとは。
仲がいいのはいいが、あまり外で話すなよ。と言いたくなったが、気の置けない仲に水を差す気にもなれず、その日の朝礼が始まったのだった。
END
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以下、ダイダラ2〜4の設定
ウメハラ:副隊長、一尉。30歳。ダイダラ2。ダイダラ中隊唯一の妻帯者。面倒見のいい性格で豪放磊落。だが、危機管理はかなりできる。TSは狙撃など遠距離支援が得意で、基本を抑えた運用ができる。妻は同じ自衛官で単身赴任。
ミドリカワ:二尉。27歳。ダイダラ3。基本的には理知的で優しいが、趣味のことになると見境なく語り出すのが玉に瑕。そのせいか恋人と長続きしないのを気にしている。美形。TSは中距離支援を主としているが、白兵戦も得意。剣道の有段者。
クルミザワ:二尉。25歳。ダイダラ4。わんぱくさを残して大人になったような人だが、要所では年相応に振る舞える。TSは近接戦、特に白兵戦が得意。