ひかりのこころ トキヤと出演するドラマの打ち合わせを事務所で終えた藍が帰宅すると、リビングのソファで春歌がノートパソコンに向かっていた。ヘッドフォンを装着して画面を見つめている彼女は、藍に気づいていない。すっと隣へ腰掛けて、春歌の顔を覗き込んだ。
「ただいま。仕事中かな」
「! おかえりない! すみません、少しだけ作業するつもりが……!」
藍が声をかけると、春歌は慌ててヘッドフォンを外した。時間を忘れて楽曲制作に没頭してしまうのは春歌の癖だ。
「一ノ瀬さんとの打ち合わせはどうでしたか?」
「お互いの役作りについて話したよ。トキヤは真面目だし、議題の本筋から逸れることがないから助かるね」
トキヤを褒められ、春歌が嬉しそうに頬を緩めた。ファンとしても応援しているアイドルを高く評価されることは、春歌にとっても喜ばしいのだろう。
藍が関わる事務所の仲間や後輩は、余計な話に脱線することも多いメンバーばかりだから、トキヤとの対話は落ち着いて議論を交わし合えてありがたい。もちろん、突拍子もなく何を言い出すかわからない彼らから得られることもある。筋道からはずれることもすべてが無駄ではないのだと、藍が柔軟に考えるようになったのは、いつからだっただろうか。この変化を、人間は成長と呼ぶのだと、藍は理解していた。ヒトではない自分でも、同じように成長していけるのだ、と。
ドラマで藍が演じるのは、自我を持ちながらも自身では体を動かせない人形役。彼をリヒトと呼ぶ人間、ルークがトキヤの役柄だ。そしてドラマの主題歌には、数年前に藍がリリースした楽曲がイメージに合うと採用されることになり、リミックス版を春歌が手掛ける。ふたりで制作した大切な曲のひとつで、先ほど春歌はその作業に熱中していたようだから、離れていた間も音楽で繋がれていた気がして、藍の胸はほのかに暖かさを覚えた。
春歌と恋をして、人間と同じ鼓動を刻めないことを藍が悲観したのは、もうずっと以前の話だ。その頃の感情を歌詞に反映した歌が、藍の演じる人形の物語に花を添える。自身が何者であるのかしっかりと自認した上で、前に進むための歌。
ソングロボであることが藍のアイデンティティであり、歌うために産まれたからこそ、〝美風藍〟というたったひとつの存在に春歌は恋をした。博士のメンテナンスで歳を重ねる肉体でも、春歌と共に生きていく時間は何よりも大切で、自らのからだも、出自も、特別に誇らしい。ヒトの組織とは違っても、確かに刻まれている胸の鼓動を藍は感じている。
藍は生まれてすぐに、自分の意思で動くことができた。けれど、うまく人間のように振る舞えるようなるまでには、繰り返し練習が必要だった。物語の中で、リヒトはルークに糸で操られながら人間の動きを学んでいく。感情を得た、人ならざるもの同士、どこか重なるところはあるだろうか。
最初はできることの方が少なく、行動だけならひとつずつ覚えていったけれど、アイドルとしてデビューしたばかりの藍は、今よりずっとこころが育っていなかった。データだけではなく、経験と感情を積み重ねる日々の隣には、いつも春歌がいてくれた。藍が歩んだ、大切な成長の軌跡だ。
「リヒトを演じると、なんだか懐かしい気持ちになるんだ。君と出会った頃のボクみたいだなって」
「出会った頃の藍くん……ふふ、それはドラマが楽しみですね」
目覚めた世界は知らないことばかりで、知識だけはデータとして蓄積されていたけれど、十五歳という与えられた年齢として相応に幼かったと言える。記憶の中の藍を思い浮かべて、春歌は愛おしそうに微笑んだ。
「何を思い出したの? ちょっと恥ずかしいかも」
藍が口を尖らせて拗ねたふりをしてみせると、その仕草も春歌には懐かしくて、ますます唇を綻ばせる。無邪気な頬を両手で捕まえ、藍が顔を寄せると、春歌はそっとまぶたを伏せた。
今夜の寝物語は、きっと思い出話に花が咲く。