あいを捏ねるだけではだめなのだろう ある日、体験レッスンを受けたいとやってきたのが中学の元同級生だった。その日は夫の手伝いでジムの方に顔を出していた。
彼女はスポーツジムに来ると言う割にはかなりかなりオシャレな格好だったし、サングラスをつけていたので結構分からなかった。ただ差し出された用紙に書かれていた名前を見て気づいたのだった。もしかしたら違う人かも、と思いながらもわたしはミョウジさん、と声をかけた。
彼女がこちらにいるというのは聞いたことがなかったから多少驚いていた。
「……えっと、」
「清水。清水潔子です」
「………。あ、ああ! 清水さん!」
「ミョウジさんこっちに帰ってきたんだね」
「うん……。今休職中で。お金はあるし、家にいてもやることないからと思って」
「そっか、なまった体を動かすには向いてるよここ~。色んな人が来てるしね」
「そうなんだね」
ミョウジさんは昔と変わらない笑顔だった。その笑顔がすごく好きだったことをふと思い出した。
とある男性教師が苦手だった。その人は気に入った女の子に対してスキンシップが激しくて、わたしはその一人に数えられていた。自慢じゃないし、むしろトラウマのようなものだ。陸上選手としてユニフォームに着替えていた時のあの視線を今でも悪夢として思い出す。
ミョウジさんとは中学時代、そこまで話したことはなかった。彼女はギャルと言うような派手な格好で夜道を歩いていると噂されていたし、誰とでもセックスするという噂もあった。あくまでも噂だったし、本人は女子トイレで困っている人にナプキンをくれるような子だったからそんな噂は信じてなかったけど。男子たちは「噂を確かめるため」とかいう理由をつけてふざけてミョウジさんに絡んでいたのは見かけている。ミョウジさんも一定のラインまでならオーケーをするから、そういうものなのだと思っていた。
わたしとミョウジさんの思い出を結びつけるのはその、悪夢の教師だった。
あの男は体育の授業で怪我をしたわたしを抱っこで保健室に連れていこうとした。あまりにも暑い日で、半袖半ズボンだったことをその時ばかりはとても後悔していた。
でも、それを助けてくれたのはミョウジさんだった。ほけんいーんだから、とのびた声でわたしの体を支えてくれた。
保険医の槇村先生と仲がいいみたいで「マキちゃん、清水さん転んでえぐい傷作った」なんて言ってわたしを長椅子に座らせてくれた。
保健室に来た人は紙に名前を書かなきゃいけなくて。わたしの代わりに書きながら「あいつ、まじでキモイよねえ」と呟いた。わたしはそれに同意していいのか分からなくて黙ってしまった。ミョウジさんはわたしをぼんやりと見つめて「……ごめん、聞きたくなかったかな」とかそんなことを言った。謝られたことだけは確かだった。わたしは助けてもらったという自覚があるのにミョウジさんに嫌な思いをさせてしまったのだった。
ミョウジさんが着替えてでてきたら、先に運動していた人達がどよめいた。ざわざわと聞こえてくる中に「あれってマナメグじゃ?」という声を聞いた。そしてその声を聞いた夫がひどく慌てているのを見てトイレに行くフリをしてスマホで検索をかけた。
真南メグミという名前がすぐにサジェストに出てくる。引退という文字と、AV女優という文字も。
Twitterで見かけたあの話は本当だったのだなと思う。トイレの水を流してすぐに出ていってミョウジさんを探した。引き締まった体はやっぱり綺麗だった。
大学中退。AV女優をはじめる。金を、稼いでいる。
嘘かホントか分からずに触れなかったものに、今直面していた。
ミョウジさんが帰る前に、わたしは何とか自分の連絡先を渡した。着替えとして用意したTシャツなどを回収する時に代わりに名刺を渡したのだ。
震える声でまた今度、ご飯食べよう! と何とか声に出した。
「……別に、今日でもいいけど」
「えっ、ほんとう? でも、あの、わたし、遅くなっちゃうけど」
「いいよ、何時でも。呼んでくれれば行くから」
呼んでくれれば行くから。中学時代と変わらないその言葉に、わたしは自分が思っているよりもこの子のことが大好きだったのだと気づいた。
結局、帰るのは本当に遅くておそくて、もう22時も終わりそうな時間だった。念の為に、とLINEを送ると「こんな時間ならファミレス? 田舎だと居酒屋はやく閉まるんだっけ?」と来た。
ま、まだやってるところもあるよ。と返事を送る。彼女は「好きなところ連れていってよ」と返した。
それでもわたしは絡まれることを考えてファミレスにした。この時間ならきっと変なおじさんなんていないだろうと思って。
ミョウジさんは今日ジムに来た時と同じ服装だった。やっぱりオシャレで可愛くて、それにブランド品じゃないかと疑ってしまう。そんな自分がいやだった。
「久々だねぇ、清水さんに会うの」
「……そんなに、仲良くなかった、もんね」
「まあねぇ。食事行こうって言われると思ってなかったし、ファミレスになるとも思ってなかった」
「……その、人が、いない方がいいかなって」
わたしの含みのある言葉にミョウジさんはけらっと笑った。
「あたしがAV女優だったの、知ってるよねえ。そうだよねえ。……気ぃ遣ってくれてありがとうね」
気遣いというよりは、マナメグじゃないわたしのよく知るミョウジさんと会話したかったのだ。でも、それはただのワガママである。
「あ、あのさ」
「清水さん、すごい綺麗になっててびっくりした」
ふふっと笑った彼女は艶やかで、女のわたしでも顔をあからめるほどだった。
「話遮っちゃったね……。どうかした?」
「……こっちには、ずっといられるの?」
「あー……。そうだねえ、どうしようか今悩んでるの」
「そう、なんだね」
「うちの親、まだ女の結婚はクリスマスケーキと同じと思ってるから、焦ってるんだ」
いま、わたしは23歳。クリスマスケーキという話は、つまりあと2年のうちに結婚しなければ行き遅れということ。
「だから、そんな仕事してないで見合いしなさいって拉致られた」
「………」
「拉致っていうと大袈裟かなあ。無理やりに連れてこられちゃったー。あはは」
「あははって、笑うことじゃ」
「で、今、反抗期としてなんか男に好かれなさそうな腹筋バキバキになってやろうかなって」
ふん、と腕を持ち上げるミョウジさんを見てわたしは泣いていた。ミョウジさんはいつだってかっこよくて、綺麗で、男に縛られることなんてないと思っていた。AV女優も好きでやっていて、アイドルみたいに華々しく辞めて、好きなことやるためにこっちに戻ってきたのかと。
「……泣かないで、潔子ちゃん」
初めて名前を呼んでくれたのに、わたしは返事もできなかった。ただぼろぼろと流す涙に、ミョウジさんはナプキンを差し出して、わたしの頭を撫でてくれていた。