女と付き合うと思っていた。ふつうに。 大好きな先輩を追いかけた大学で、先輩がわたしのひとつ下の男の子の後輩と付き合い始めたと聞いてわたしは「そんなのありえなくない?」と思わず言ってしまったのだった。
マック、目の前にいる男に叫ぶ女。まるでどこかのカップルの喧嘩だが、今回はそうではない。高校時代の友達のような腐れ縁のような男に呼び出されて行ってみたら爆弾発言を聞かされた図である。
まあ、予想していたほどの薔薇色の素敵なキャンパスライフではなかったが楽しく過ごしていた。それが、先程聞いた話のせいでわたしの人生はお先真っ暗である。
――いやいや、ありえなくない? 男と? 先輩男だよね? 先輩ホモだったってこと? わたしが告白したときには部活が忙しいつってたくせに、本当は男漁りしてたってこと?
わたしは混乱でいつもなら言わないようなことも言っていた。それが本心ではなかったはずだ。ただ、わたしにそれを教えてくれた元クラスメートはドン引きした表情で「あの人の走りを見てそんなこと言うやつと付き合わなくてよかったと思うぜホント……」ととてつもなく失礼なことを言った。
「いや、だって」
「だってもなにも無いだろ……。荒北さんが好きになったのは男の後輩だったってだけじゃねぇか」
「そこだよ!! 男の後輩ってなに!? 女の後輩だって先輩のこと好きだったが!!?」
先輩の彼女……恋人が綺麗な人ならよかった。そしたら諦めもついただろう。なのに。男。なんで? 女じゃダメなの? 女の方が絶対いいよ。子どもも作れるし、わたしは浮気しないし、胸も大きいし、料理も作れるし、先輩のこと追いかけてこの大学を選んだんですけど。それはアピールになりませんか。
「ホモなんて、生きていくのが辛いじゃん」
ぽつりと出てきた言葉はわたしの必死の誤魔化しだった。男に負けるなんていう現実に立ち向かえなかったのだ。黒田はわたしの本音を鼻で笑った。
「じゃあ男女なら必ず幸せになれんのかよ」
分かんない。わかんないけど、でも、その男の後輩より絶対幸せにしてあげる自信があったのだ。荒北さんにいつか振り向いてもらえると本気で、願っていたのだ。
黒田はわたしの分のトレーまで片付けたあと「荒北さんにホモとか言うなよ。そーゆーの、サベツ発言だぞ」と軽く言い残して先に行ってしまった。
差別発言。ほんとに? わたしはおかしいのか? 好きな人が同性愛者のホモだったってショックを受けることが?
家に帰ったあとわたしは大声で泣いた。隣の人から翌朝心配されるレベルだった。荒北さんの馬鹿野郎、と叫んで怒って泣いて寝た。食べ物も食べられなくなって、雑なメイクをして前髪をつくることもできないまま授業に出た。失恋しようがなにをしようが授業はすすむ。評価でAをもらうためならわたしは頑張れる。
教授の説明を聞きながら、わたしはスマホで「好きな人 ホモ」と検索した。Googleは「好きな人 ゲイ」とキーワードを変えて検索結果を表示した。こんなアプリにさえもわたしは自分の差別意識を指摘されているようで腹が立った。
一番上にはなんかスピリチュアル系の記事が出てきた。そしてすぐ下には知恵袋が。好きな人がホモでした、というそれは自分と似たような状況かと思ったらよっぽど努力していない女の嘆きが書かれていた。
わたしは荒北さんのために努力をしてきたという自信があった。それもまあ、意味が無くなったけれど。
荒北さんの好みの女になれるように、いい女にみてもらえるように、結婚したあとも楽だと思ってもらえるように、子どもの相手なんて苦手なのにできるフリもしてきた。大学も第一志望をやめてここにしたのだ。自転車なんて全然乗れなかったのに、一生懸命マネージャーをやって、ルールを覚えた。ロードバイクの整備の仕方だって油まみれになってもちゃんと覚えたしパンクの修理の仕方だってそうだ。
知恵袋でベストアンサーとして選ばれていたのは長文の回答だった。ホモと呼ぶのはやめてください、という言葉にわたしは読むのをやめようかと思ったが、「あなたがその人のために努力していたのは伝わります。」と書かれていて続きが気になった。この程度で努力していたなんて気軽に言えるこれがベストアンサーになるのが不思議だった。
ベストアンサーは、長く長く言葉を語っていた。
世の中には恋愛感情を持つ人も持たない人もいて、異性を好きになる人も同性を好きになる人もいて。ホモだとか、性的対象として見られていないかを心配されるだとか、怖いことを言われないように必死に隠している人もいるのだ、と。
「あなたのことを信頼しているから相手はあなたに教えているのではないですか。」
ベストアンサーは途中にそんなことを書いていた。黒田のことが頭をよぎる。あいつは、荒北さんに信頼されているのか。同じ自転車競技部に入っているのにわたしは教えてもらっていない。
ベストアンサーを最後まで読むことなくわたしはスマホを閉じた。大教室で教授はどこか遠くを見ながら話をしている。わたしは有象無象の中のひとり。わたしと荒北さんの距離感はきっとこの大教室の中の関係性なのだ。
その日の部活でわたしは荒北さんに告白をした。これで最後にする、と言って。
荒北さんは今回は「大事にしたいヤツがいる」と言った。男の後輩が恋人であるとは言ってもらえなかった。わたしはその程度の人間だったのだ。辛くて悔しくて涙が出そうになったが必死にこらえた。
今この悔しさを口にしたら、わたしは最低な女になると思った。自分の差別意識がひどく大きく根強いのはもうよく分かった。だったら、それを口に出さないようにすることから始めるしかなかった。そうでもしないと、荒北さんに失望されてしまう。それだけは嫌だった。
「……その人とは付き合ってるんですか」
「まあネ」
「……。おめでとうございます」
わたしは自分を騙しきった。おめでとうございますと言ってやった。腹の中の恋心がネジ切れそうになって吐きそうだったけど頑張った。荒北さんは驚いた顔をしたあと、ちょっと嬉しそうにありがとうネ、と笑った。