イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    渡し舟「渡ります。渡ります。」
     ざんばら髪を乱したばあさまが、河原に向かって、手を振りながら走ってくる。河原には一艘の質素な舟が、笠を着た船頭を乗せて停まっていた。
     粗末な麻の着物の裾で汗を拭って、ばあさまはえいと舟に乗り込んだ。舟は音を立てて右に左に揺れた。船頭はばあさまを振り向かず、ざぶりざぶりと舟を出した。

     荒かった呼吸の整うまで、ばあさまは四方を見渡してみた。誰の姿もない。あちらの岸にもこちらの岸にも、果ての見えぬような白い霧が立ちこめている。
    「ここは賽の河原かね。三途の川かね。」
     船頭はだんまりとして答えない。ただ櫂の水をかく音がしぃんと聞こえるのみである。ばあさまはちぃと舌鼓を打って、髪をかきむしった。
    「ぽんと身一つでこんな場所で目の覚めたかと思えば、導のひとつもありゃしない。なんとまぁ、黄泉路の心細いことよ。わしにわかることと言えば、今朝わしはぽっくり死んでしもうたということだけじゃ。」

     底の見えない深い川に映った船頭とばあさまの影が揺らめいたかと思うと、ざぼりと櫂にかき消された。水面を眺めていたばあさまは、ひとつため息を吐いた。そうして霧の先を見つめてぽつりぽつりと零した。
    「わしはな、日ごと川に入ってな、白魚を捕まえては食べるのが好きだったのじゃ。踊り食いじゃ。ここの河原の上を渡っている今も、ほれ、白魚はおらんかと2つの目玉が泳いでしまう。今朝もちょうどこういう風な河原で、わしは白魚を取っては食い、取っては食いしておった。
    捕まりそうになった白魚の驚いて逃げ回るのの、おもしろいことおもしろいこと。じゃぶと一歩踏み出せばあっちへ、じゃぶじゃぶともう二歩踏み出せばこっちへ。自分が大きな獣になって、弱々しい兎を突っつき転がして遊んでおるような気持ちじゃった。愉快で愉快でたまらんかった。わしの何よりの楽しみじゃった」

     ばあさまの言うのを聞いたか、船頭は櫂を少しばかり強く、じゃぶんと川に突き込んだ。そして、こくりこくりと首を振って見せた。
     それに気を良くしたばあさまは、調子のついたようにかんかんと続けた。
    「今朝も白魚を捕りに川へ入っての。目についた白魚をすっかり食べ尽くして、さてあばら家に帰ろうかと思ったそんなときじゃ。他のよりも一回りも二回りも大きな白魚が、大物が、すいすいと現れた。なんと。この大物をおどかしてとっ捕まえて、腹に収めてしまったら、今夜は満ち足りた気持ちで床に就けるに違いない。
    そう思って大物を追いかけ、追いつめ、追い込んで、あと一歩で捕まえられるというところじゃった。大物が、目にも止まらぬ速さでするりとわしの足と足の間を抜けていった。それに驚いたわしは、足をつるりと踏み外して、川底の岩に頭をごつんとぶつけてしもうてな。そうして気のつくとここにおったというわけじゃ。」
     顎をさすって、ばあさまは目をつむった。船頭は何事も言わなかった。より深くなった霧は、舟と波がぶつかるちゃぷちゃぷという音を呑んだようだった。
    「あの大物をわしの腹に収めてやれなかったことの、悔やまれること。もしも生き返ることができるのなら、あの大物を必ずこの舌で味わってやりたいわ。ああ、なんとも口惜しい、口惜しい。」
     ばあさまは見えぬ白魚の姿を追うように川を見やった。びいどろのように透き通っていて、それでいて深い濡れ羽色を湛えた川には、それ以外の何も見ることが出来ない。おおよそ、生き物というものはここには居ないのだろう。ばあさまがそう合点づけた矢先であった。何やら川底で、きらりきらりと瞬くものがある。夜闇に浮かぶ星のようであった。どうして今まで気のつかなかったことかと、ばあさまは矢継ぎ早に口を開いた。

    「やぁ、きれいな。船頭さん、見てみんさい。この黄泉路にあって、わしははじめて神の慈悲というものを知ったよ。神様仏様というのは、なんとまぁ粋なことをしなさるものじゃ。ありがたい。ありがたい。」
     ばあさまは川をのぞきこんだまま、のんのんと手を擦り合わせた。それに答えるように光が一際強く輝いたかと思うと、どっぷりとした黒い口を大きく開いた魚がぱしゃり、飛びはね、そのままばあさまをぱくりと食ってしまって、またどぼり、川へと帰っていった。
     魚の立てたあぶくがぱちりと弾けるのとともに、ばあさまの「ああ。口惜しい。口惜しい。」と言うのがぶくりぶくり聞こえていたが、次第に遠のき、だんまりとして残らなかった。
     船頭はあぶくをじっとして見ていたが、そのうち舳先をくるりと返して、ざぶりざぶりと帰っていった。




    縣 興夜 Link Message Mute
    2022/12/08 21:01:33

    渡し舟

    #創作

    more...
    創作小噺
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    NG
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品