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    1月の夢【1月1日】

     眠ってしまっていたようただ。

     寝起きのぼんやりとした頭のまま、電車に揺られる。先程まで見ていた、妙な夢を思い出した。
     公園の遊具に、中身を失ったかのような薄っぺらい少女と犬がぶら下がっていて、それがこちらを見つめているだけの夢だった。
     忘れないようにメモに書き留めて、ペンとメモ帳をカバンにしまう。電車が止まって、人の波に乗せられるままに改札を出た。

     学校に向かって歩いていると、友人と出会った。雑談がてら、今日見た夢の話を聞いてもらう。友人は興味深そうな顔をして言った。
    「最近流行っている都市伝説の元になったのは、貴方の体験かもしれないね」
     けれど、私は先にその話を耳にしていた。印象深かったから夢に反映されたんじゃないかと答えた。そうかもね、と友人が横を向いた。つられて目線の先を追った。

     公園の遊具から少女と犬が見つめていた。

    【1月2日】

     知らない駅のホームで、電車を待っていた。

     ホームの壁に貼られた遊園地のポスターが、回送列車が通る度にびらびらと音を立てている。買ったばかりの弁当を両手で抱えてぼーっと景色を眺める。西日が眩しくて目を細めた。

     ふと気がつくと、視界の右下で黄色い花のアイコンが表示されている。

     不思議に思っていると、突然、ドンという音がした。背中を押された私が、線路に落ちる音だった。焦ってすぐにホームに上がろうとした途端に、激しい警笛が劈いた。
     駅に止まろうとする電車に、ゆっくりと足を引き込まれる。線路の石が背中にめり込む。感じたのは痛みではなく恐怖だった。頭以外が下敷きになった。

     視界の端で黄色い花が散った。

     ハッと我に返ると、トンネルで立ち尽くしていた。視界の右下には、ピンク色の花が表示されていた。
     遠く、トンネルの出口から薄暗い夕暮れの山道が見えた。上を見上げると、光を失った電灯が並んでいた。明かりの類は持っていない。日が落ちれば暗闇に取り残されるだろう。
     コンクリートを蹴って走り出した。

     トンネルのちょうど真ん中まで走っただろうか。端にひとつの椅子が置かれている。椅子の脚には犬が伏せっていた。横を通り過ぎようとして、犬が怪我をしているのが見えた。立ち止まりかけたその時だった。

    「止まるな」
     誰かの声がした。ピンクの花が激しく点滅していた。頭を振ってそのまま走った。
     背後で、犬の唸り声と人の恨み言が混ざったような音が反響した。
     一心不乱に足を動かしている内に、出口に辿り着いた。トンネルから一歩出た瞬間、どこかの山の麓に倒れ込んでいた。

     花のアイコンは消えていた。

    【1月3日】

     友達とビジネスホテルに泊まった。

     シャワーを浴びてベッドに寝転がると、友人がスマートフォンの画面を見せてきた。

    「このホテル、いわくつきなんだって」

     自分達の滞在しているホテルの上に、火の玉のようなマークが一つ点滅していた。同じ階で、女性が自殺したのだという。
     怖い怖いと騒ぐ友人を尻目に、睡魔に襲われるままに眠りに落ちた。

     ふと目が覚めた。
     ぼんやりとしたままの視界の隅に、真っ黒な人影を捉えた。そういえば、件の女性は焼身自殺したのだったな、と思い出した。

     次に目が覚めた時には、すっかり明るくなっていた。カーテンの隙間から朝日が射し込んでいる。
     体を起こして、人影の立っていた場所を見た。ゴミの山ができていた。見覚えのない缶や雑誌などを見て友人は首を捻っていた。近づいてみて、ああと合点がいった。

     打ち捨てられたゴミの全てに、焼け焦げた跡がついていた。

    【1月4日】

     猫になってしまった。

     サーカス見物に出かけた先で、観客の一部が忽然と消えるという事件が起きた。その謎を追いかけて調査をしていたところ、何者かに捕まって猫にされてしまったのだった。

     目を覚ましたのはケージの中だった。ここから出せと言おうとしても、喉から出るのはにゃあにゃあという鳴き声のみである。
     ケージに入れられたまま、サーカスのステージ上に連れていかれた。見世物にでもされるのかと身構えたが、どうやら売りに出されるらしい。
     ろくでもない人間には飼われたくない。身を縮こまらせて自身を買おうとする人間を見定めていた。

     幸いにも、私は話の通じる者の元に出されることになった。
     飼い主になったのは人間ではなく、二足歩行をする鹿であった。そのせいだろうか。人の姿に戻れなくとも、意思は通じた。経緯を説明して、人を助けるのを手伝ってほしいと伝えれば、すぐに快諾してもらえた。

     サーカステントの片隅に居た虫を助けると、従業員が使っている風呂を調べなさいと虫に教えられた。言われた通りに調べてみると、風呂の底には数多の死体が隠されていた。

     消えた人々のどれだけが無事で居るだろうか。

     俯く私の背を飼い主が撫でた。

    【1月5日】

     絵の試験を受けることになった。

     人によって出される試験内容が違うらしい。
     部屋に入ると教師からボンドを渡された。

    「これで絵を描きなさい」

     無理難題を突きつけられて呆然とした。目を閉じて心を落ち着かせる。状況を把握しよう。
     部屋にある物は全て自由に使っていいようだ。周りをぐるりと見渡すと、小瓶に詰められた綺麗な砂に目が止まった。

     そういえば、と幼い頃によく見ていた教育番組を思い出した。

     砂の入った小瓶を手に取って、別の棚から黒い画用紙を取り出す。それらを机に広げた。
     黒い画用紙にボンドで線を引く。そこに砂をかけて、少し待ってから振り落とす。
     絵が出来上がった。

     合格、と声がした。

    【1月6日】

     学校の空いてた教室で暮らしていた。

     過去に放送室だったらしい部屋には、私達兄弟の荷物がそこかしこに置いてある。
     古びた放送器具の下に穴を開けて、海から水路を引いていた。魚やクラゲをたまに掬ってみては、焼いたり蒸したりして食料にしていた。

     ある日の朝、放送器具のある部屋の扉を開けると、小さなアザラシが我が物顔で寛いでいた。水路に迷い込んだようだ。
     弟にとても懐いたアザラシは、海に帰る気を一切失くしたようだった。結局、一緒に暮らすことになった。

     アザラシとの暮らしにすっかり慣れた頃のことだった。授業に出席するために中庭に向かっていた。
     ガラスのドームが特徴的な中庭は、植物園の温室のようでお気に入りだった。

     天井近くまでそびえ立つ木を眺めていると、ガラスの向こうで何かが光った。何か嫌な予感が背筋を走った。

    「伏せろ!」

     周りが咄嗟にしゃがみこんだのと同時に、爆撃音とガラスの割れる音がした。幸いにも、植物の葉が傘になったおかげで、みんなかすり傷で済んだようだった。

     それからは、学校で避難生活を送ることになった。

     どうも、各地の学生を狙ったテロが起こっているようだ。帰宅途中の学生や、子ども部屋を執拗に狙っているらしい。
     私も、自宅にいる犬を連れてくる為に、大人の服を借りて帰宅することにした。道中、トンビのような大きな鳥が、電信柱の上から子どもを監視していた。変装して正解だとほっとした。

     なんとか犬を連れて学校に戻ると、沢山の靴箱に青い紙が差し込まれていた。避難している子どもに向けた、家族からの置き手紙であるようだった。自分と弟の靴箱にもそれぞれ置かれてあったので、持って帰ることにした。

     放送室に戻ると、アザラシが呑気に魚を食べていた。

     緊張感の欠けらも無い光景に肩の力が抜けた。

    【1月7日】

     ふっと気がつくと、橋の上に立っていた。ここはどこだろうかと辺りを見渡すと、それをきっかけにして周りの景色が移り変わり始めた。見る見るうちに時代が巻き戻っていく。

     1942年。

     コンクリート製の無粋な橋が、朱色の木橋へと変化していることに気がついた。
     路傍では、綺麗な着物を着た人々が、赤いチラシを片手に列を成して踊っている。

     戦争に勝とう!兵隊に志願しよう!今こそ、この国の威厳を取り戻そう!

     歓声の溢れる中で、自分だけが異物であった。
     過去に飛ばされた理由もわからないまま、橋のたもとから動けず、踊り歩く人々を眺めている。戦争を始めれば、多くの人が死ぬ。伝えたいが、伝えてはいけないと直感的に分かって、開きかけた口を閉じた。
     突如、空がどんよりと曇り、雲がいやに赤く染まった。それを反射して、川も赤に染った。見渡す限りの赤い景色だ。そこへ、何やら黒い豆粒が迫ってくる。

     川を遡るように、敵機が迫ってくる。

     それにいち早く気が付いて、咄嗟に左手に見えた商店街へ逃げ込んだ。逃げ惑う人々の悲鳴と爆撃の音が、走る私の背中を刺した。

     商店街の中は人っ子一人見当たらない。やけに真っ暗だった。見える限り、どの店も閉まっているようである。
     商店街の外から見つからないように、空いた建物の中に隠れた。ここならば敵に気づかれることは無いと、感覚がそう訴えてきた。
     そうこうしていると、どう入り込んだものか。小さな敵機が商店街内の大通りを通り抜けて、生きている人間が居はしないか、しらみ潰しに探しているのが窓から見えた。
     幸いにも、この建物には窓はひとつしかなく、見つかることはなかった。息を殺し、室内を見回す。お世辞にも広いとは言えない。家具などもほとんどないか、あっても古びている。床にはホコリが溜まっていた。
     部屋の端に、玩具のような木製の小さな青い扉が何枚か落ちている。ひとつ拾い上げてみる。何かに使うのではないかと、もう一度注意深く室内を見回す。あった。入口の扉の横の、左下の一部分だけ色が変わっている。拾った青い扉を当ててみた。寸分の狂いもなく噛み合った。


     視界が眩んだ。


     客船の一室に閉じこもっている。ちょうど、先程までいた部屋と似たような構造をしている。
    何をしたらいいのだろう。私は、どうすればいいのだろう。
     じっとしているのも居心地が悪くて、室内を歩き回る。何もわからない。耳をすましてみると、外から慌ただしい足音が聞こえることに気付く。
     そういえばここには、兄のように慕っている人と、その友人達と一緒に来たのだった。私一人だけ別の階になってしまって、部屋に戻っていたところだった。
     彼らの居る場所に行ってみよう。何かの手がかりが見つかるかもしれない。そう思い立ち、部屋から出て、上の階に向かおうとして、足音の正体を知った。大勢の人が私と逆方向の、安全室に向かって走っていくのである。誰の顔にも、焦りや恐怖が浮かんでいる。疑問を抱きつつも、流れに逆らって階段を上った。
     なんとか甲板の上の展望台に辿り着いた。知り合いが手すりにもたれて海を眺めていた。居るのは私と彼の二人だけであった。彼の隣に並んで、手すりに掴まって景色を眺めようとして、気がついた。前方には岸が見えているのに、客船は相当な速さで進み続けている。
     もしかすると、いや、そうではないと思いたい。この客船は、制御不能の状態に陥っているのではないか?


     意識が飛んだ。


     ふと気が付くと、先程の商店街の建物の中に居た。
     手元を見ると、壁の変色した部分にぴたりと当てはまったままの青い扉があった。これもきっと、何か意味があるのだろう。
     青い扉の取っ手をつまんで、本当の扉のように開いてみる。控えめに開けた扉の先には見たこともない空間が広がっていた。この時空とは、別の場所だろうか。しかし、通るには少々小さすぎる。
     躊躇っていると、先程よりも近くで爆音がした。悲鳴が上がっている。こうなっては、なにふりかまっていられない。小さな扉を開けて、無理やり中に入った。

     通り抜けた先の部屋は、先程までいた部屋と同じような間取りをしていた。しかし、窓の外は明るく、入口の扉の磨り硝子からも優しい光が射し込む。ほこりの積もった床もすっかり綺麗な木の色を取り戻していた。

    「待っていた」
     声をかけられて振り向く。私の背丈よりも遥かに小さい、紳士姿の猫が立っていた。彼が窓を開けると、外の塀に座っていた一羽のカラスも部屋の中に入ってきた。
     待っていたとは、どういうことだろう。猫が口を開く。彼の言うことには、ここは終戦後の世界で、人々が安らかに休める場所だと。彼岸と此岸の橋渡しをする役目があるらしい。
    君はいついつのなにそれ行きのフェリーに乗っていたね、と尋ねられる。頷くと、猫は続けた。
    「あの客船は、制御不能に陥ったまま港の近くの海岸と衝突して、乗客の中の約1300人ほどが命を落とすのだよ」
     その言葉を聞くやいなや、まるで走馬灯のように記憶がなだれ込んできた。


     急激に水位が上がった。船の最上階に位置する展望台ですら、手すりが海面の下にすっぽり埋もれてしまいかけた。万が一にでも流されないようにと、知り合いが自分の身体に鎖を巻き付けて手すりに繋げる。船の揺れに体勢を崩した彼が、海に投げ出された。手を伸ばした。息ができなくなる。
     岸が見え始めたのに、客船は一向に止まる気配がない。沈みきることもない。

     世界が白む。

    「来客だ」
     猫の声と、彼が外に出る音で意識が戻った。
     しばらく、呆然としていたようだった。これまで黙っていたカラスが、諭すように語りかけてきた。
    「別に俺達は意地悪をしたいわけでも、過去を変えてほしいわけでもない。起こったことは変えられない。ただ、何があったのかを思い出してほしいだけなんだ。」
     この彼岸と此岸の狭間の世界では、大きな事件や事故で亡くなった人を供養する際に、同じ乗り物などに乗ってもらい、事故が起きた場所までゆっくり、ゆっくりと移動する乗り物の中で、宴を開いて死者をもてなすそうだ。そうして自分が死んだことを自覚し、受け入れ、未練を抱かずに彼岸に渡ってもらうのだと、カラスはそう語った。
     黒い羽根が床に散らばっている。拾ってくれとカラスに頼まれて一枚手に取ると、あの客船がゆっくり、ゆっくりと海の上を行く姿が見えた。
    「やるよ。お守りに持っておけ」
     艶やかで立派な風切羽である。
     客席はゆっくりゆっくり動いている。止めることはできない。乗客も周りの人も、海岸に衝突するその瞬間を待つしかできない。運命は変えられない。
     私もそうして死んだんだろうか。

     客船が、あの場所へと辿り着いた。

     海の音が聞こえる。私は一人、砂浜に倒れていた。
     起き上がって海を振り返ると、横転して大破した客船の先端が見えた。船体の大部分は海の中にあった。あれでは助からないだろう。

     私は?

     四肢はすべて繋がっている。小さな切り傷以外の負傷は見当たらない。立とうとすれば、すんなり立ち上がることができた。死んでいない。生きている。

     では、あの世界は一体なんだったんだろう

     手の中の風切羽は何も教えてくれなかった。

    【1月8日】

     今日から修学旅行だ。
     教室に集まって点呼を取っていた。クラスメイト達も浮き足立っていて、心地の良い騒がしさが耳を通り抜けていく。

    「それでは、二泊三日の間、しっかり楽しみましょう」

     数瞬の間、思考が止まっていた。
     修学旅行は一泊二日だと、勝手に勘違いしていたのだ。前日になって慌てて準備をしていた自分が恨めしい。着替えが足りないじゃないか。

     仕方がない。自由時間でコンビニで洗濯用洗剤を買って、ホテルで洗濯機を借りよう。
     担任の声を遠くに聞きながら、ため息をついた。

    【1月9日】

     目が覚めた。ここはどこだろうと見回す。学校らしき建物が目の前に建っていた。手にはすり潰された植物がこびりついている。むせるような草の匂いが鼻についた。

     自分の置かれた状況について逡巡していると、足が独りでに動き出していた。学校に入り、目の前にあった入り組んだ構造の階段を登っていく。学校だと言うのに、人影はまばらだ。

     三つほど踊り場を数えたとき、クラスメイトとすれ違った。背が低い少女だった。

    「ねえ、あなたって、誰それと仲良いよね」

     彼女が話しかけてきた。名前が聞き取れない。

    「ああ、そうだね」

     私の口は滑らかに動く。まるで、私の体でないかのように。

    「あの子とも仲は良いの?ほら、妹の」
    「良い友達だと思ってるよ。可愛らしい子だよね」

     何かがおかしい。

    「彼と付き合ってる?」
    「相談に乗っているだけだよ。お互い好きな人は別にいる」

     呼ばれる名前は確かに私のものであるけれど、それでも私のものではない。
     思えば、視界だってずっとおかしかった。彼女より、私は背が高い。しかし、ここまで彼女を見下ろしたことはない。確信を持った。

     私じゃない。この身体は、私のものじゃないのだ。

     では、この身体の持ち主は一体誰なのだろうか。

    【1月10日】

     学校の最上階に来た。

     この階に来ることは普段はない。特に用事がないからだ。当然、何の教室があるのかも知らない。
     ひとつの教室の中から、人の声が聞こえた。覗き込むと、何かの面接を行っているようだった。中にいた面接官のような女性と目が合った。
     あれよあれよという間に、教室の中へと招き入れられた。椅子に座ることを勧められたので、ひとつお辞儀をしてから静かに座る。
     黒髪に赤い差し色を入れた女性が、手元にある紙を見ながら質問を投げかけてくる。

    「蛙は胎児を宿すことになりますか」
    「肺に硫化水素は取り込みますか」
    「西棟の階段に足がありますか」

     意味のわからない質問ばかりなのに、口は勝手に「はい」だの「いいえ」だのと答えを紡いでいる。
     そうしている内に、面接が終わったらしい。お辞儀をして立ち上がり、礼を言って両手で静かに扉を閉めた。そうするべきだと体が覚えているようだった。

     下の階に降りると、何やら人だかりができていた。
    輪の中心で、女子生徒が倒れ込んでいるのが見えた。私の前に面接を受けていた子だった。おかしな色の血を吐いて痙攣している。

     合わなかったのだなと思った。

    【1月11日】

     騒がしい教室でぼんやりと頬杖をついていた。

     ホームルームは一向に始まらない。待ちくたびれて段々と眠くなってきた。眠気に耐えられなくなって、うつらうつらと船を漕いでいた。

     先生の怒鳴るような声が聞こえて目が覚めた。結局、机に突っ伏したまま寝ていたらしい。起きろと体を揺すられているが、どうにも起きられない。
     何かに押し潰されるように息が出来なくなる。苦しさに耐える元気はもう無かった。楽になりたいという気持ちが勝った。

     席から立ち上がって、全てを無視してベランダのドア開けた。教室に居る人達の顔は灰色になっていて、よく見えなかった。
     低い柵に背中から寄りかかって、そのまま真っ逆さまに落ちた。止める声も悲鳴も聞こえなかった。予定調和なのだと思った。

     笑いが止まらなかった。

    【1月12日】

     欠席の連絡を入れたのに、間違えて大学に来てしまった。

     教室に入る訳にもいかない。かといって、今から駅に戻っても次の電車が来るまで一時間以上待たなければならない。

     仕方なく廊下を歩いていると、突然ザアザアと音を立てながら雨が降り始めた。それが空け放した窓から勢いよく吹き込んでくるものだから、廊下も階段もびしょびしょになっている。
     私の頭よりも高い位置にある窓には、どうやっても手が届かない。教室に入って、誰かに窓を閉めてくれるように頼むのだが、誰も話を聞いてくれなかった。
     俯いたときに、自分の足元が見えた。

     影がなかった。

    【1月13日】

    「このパンを食べると、願いが叶うんだよ」

     そう手渡されたのは、チョコレートでコーティングされたごく普通のパンだった。市販品のよくある菓子パンにしか見えない。
     訝しげに思いつつも、一口かぶりついた、

     生牡蠣の身のようなぷるんとした食感と、水を噛んだような味がした。見た目と味と食感の全てが余りにも乖離している。
     気分が悪くなって思わず吐き出そうとしたが、海水のようなものが絶えず逆流してくるのみであった。

    「願いが叶うんだよ」

     たしかに"願いが叶った"のだと気が付いたのは、彼女が真っ白なふやけた腕で私を海に引き込んだ時だった。

    【1月14日】

     別の世界の自分と入れ替わってしまった。

     気がつくと、知らないアパートの一室にいた。目の前には友人がいるが、私の知っているその子とはどこか雰囲気が違う。彼女は、突然倒れたという私のことを心配してくれていた。軽く頭を打ったらしい。

    「少し思い出せないことがあるけど、それ以外は大丈夫」
    「それは大丈夫じゃないよ」
     友人は苦笑した。

     彼女に話を聞きながら、頭の中を整理する。
     ここは、五年後の世界である。そして、この世界の自分には、なんと数週間後に入籍する予定の相手がいるのだという。
    「ここまでは理解できそう?」
    「どうにか……」
     困惑を隠しながら返答する。あまり心配をかけるのも心苦しい。昔の記憶は思い出せるけれど、最近の出来事があまり思い出せないみたいだと言っておく。
     こちらを心配しながらも帰宅する彼女を見送った。

     入れ替わるように、例の恋人がやってきた。
     短く揃えられた黒髪と、清潔感のあるシャツを纏っているのが印象的な、優しげな人であった。背は高く、すらりとしている。聞けば、会社から帰ってきたところだという。ひとまず、ここまでの経緯を説明して、忘れてしまったことについて教えてほしいと伝えた。恋人は快く引き受けてくれた。
     恋人と私はかれこれ数年間に渡っての付き合いであり、数週間後に入籍するのも事実であるらしい。また、このアパートに住むことを決めたのは、近くに私の祖母の家があることが理由なのだそうだ。今は私の母と祖父母がその家に同居していることも教えてくれた。

     この世界では、祖母がまだ生きているのか。

     勘づいてはいたが、五年後の世界である以前に、元居た世界とは別の世界線にいるようだった。やはり、情報収集をして損はなかった。
     それにしても、目を合わせて真剣に話してくれる恋人の眼差しは、どこか心地よかった。この身体の記憶がそうさせているのだろうか。何はともあれ、自分が良い相手と結ばれてくれたことは喜ばしい。自然と笑みがこぼれた。

     さて、妹達の保護者代わりとして、近くの学校へ手伝いに駆り出されることになった。学校の行事が昨日終わったばかりとのことで、椅子や大道具などがそのまま残されている。この世界の私の母校でもあるらしい。先生方の指示に従って忙しなく走り回った。
     しかし、この世界の記憶がないため、上手く仕事ができない。少々気分が落ち込んできた。逃げるように人に見られない場所を探して、座り込んだ。じっと目をつむっていると、誰かに声をかけられた。
     顔を上げると、見知らぬ女性がこちらに手を振っている。彼女は私と部活の仲間であったらしい。一緒に卒業制作の絵を描いたよね、どこどこが良い色にならなくて困ったよねと思い出話をしてくれた。そこで初めて、こちらの自分が学生時代に美術部に入っていたことを知った。
     それらしく話を合わせて、その場をやり過ごす。罪悪感はあるが、記憶がないことはあまり喋りたくはない。なんとも言えない、居心地が悪く気まずい時間であった。
     彼女と話している間に、片付けの方も終了したようだ。解散していいという声が遠くから聞こえた。

     少し時間が飛ぶ。

     気が付くと、目の前に母親がいた。アパートに来てくれていたらしい。さて、何から話していいものか。記憶が飛んだことは既に話しているようで、母は心配しつつも茶化してくれた。少し気が楽になる。私と恋人の入籍が待ち遠しい、孫の顔を見るのが楽しみだと言ってくれた。

     更に時間が飛んだ。

     今度は、最初に一緒に居た友人と話している。一週間と少しであったか。思いのほか長い時間をここで過ごしてしまった。

     元の世界に戻る時間が近づいている。

     話しておいた方がいいだろうか。
    「あのさ、話したいことがあって」
    「察しがついてるよ。どうぞ」
    「今の私の中身が、実は」
    「過去のあなたって話でしょ?」
     思わず言葉に詰まる。図星だ。表情に出てしまっていたようで、友人はけらけらと笑った。付き合い長いからそれくらい分かるよ、今のあんたも悪くないよと、彼女はけろりと言ってのけた。
    「お母さんにも話してごらんよ。分かってるだろうから」
     本当だろうか。少し怖いが、確かめておきたいと思った。

     そういうわけで、母達の暮らす家を訪ねた。偶然、他の兄弟やその子供も来ていた。二人だけで話したいことがあると母に頼み、別の部屋へ移動した。

    「こんなことを言っても信じられないと思うんだけど、今の私の中身が、今の私じゃないって言ったらさ」
    「あら、やっぱりそうなの」
     本当に気付かれていた。
    「育ててきたから、それくらい分かるに決まってるでしょう」
     何故か、無性に嬉しくなった。この世界の彼女に育ててもらったわけではないにせよ、それでも胸が熱くなった。
     返す言葉に悩んで黙りこくる私に、ばあちゃん、最近危ないんよ。元のとこに帰る前に最後に声をかけてあげてと母は言った。

     祖母の部屋に行くと、曾孫や孫に囲まれて布団に横になっている祖母がいた。まだ、生きている。手を握ると温かくて、思わず涙がこぼれた。
     この世界ではちゃんと看取ってあげられるんだ。

     視界がぼやける。

     涙を拭って目を開いた。
     元の世界があった。

    【1月15日】

    「お神輿、乗ってみたいって言ってたでしょ。だから作ってみたよ!」

     長期休みが終わって久々に入った教室には、立派なお神輿があった。そんなこと、言っただろうか。

    「先生に怒られない内にはやく遊ぼう」

     呆然と立ち尽くしていると、あれよあれよという間に神輿に乗せられてしまった。真っ赤な柱にしがみついて落ちないように必死になった。
     いつの間に準備していたのか、ラジカセからは絶えずお囃子が流れ続けている。

     結局、下ろしてもらえたのは予鈴が鳴る寸前だった。お神輿は空き教室へと運ばれていった。
     友人がラジカセを止めたその瞬間、担任が名簿を持って教室へと入ってきた。お囃子の音が聞こえていたらしい。

    「誰だ、教室で祭りを開いてた奴は」

     担任が冗談めかしてそう言えば、教室中が笑いに溢れた。まさか、本当に祭りが開かれてたとは思わないだろう。
     友人がこちらを振り向いて、小さくピースサインを送ってきた。周りに合わせて笑いながら、焦る心を隠した。

    【1月16日】

     水路の中に隠れていた。

     事情は思い出せないのだが、自分は何かに追われる身であるらしい。深夜、星も見えないような曇天の中で、真っ暗な水に潜って息を潜めていた。
     突然、前方を眩しいほどの光が横切っていった。おそらく、追っ手がライトを当てて私が居ないか確認しているのだろう。
     音を立てないように、静かに橋の下の、ちょうどライトが当たらない場所に移動した。

     見つかりませんように。

     ひたすらに祈り続けていた。

    【1月17日】

     夕暮れ時、バスに揺られている。

     狭い道ばかりの、坂の多い街だった。なかなかバスは進まない。また踏切に引っかかった。
     電車が民家の間を、洗濯物にぶつかりそうになりながら通っていく。早く駅のバス停に着かないだろうか。出来れば、一刻でも早く電車に乗って帰りたい。

     両手に持っていた二つの杯を、リュックサックと一緒に抱きしめた。壁に埋もれていたのを、偶然見つけたのである。掘り出した金色の杯は、願い事を叶えてくれるらしい。
     三つあった内の一つは妹に手渡した。弟にも分けようとしたのだが、要らないと返されてしまった。
     悩んだ末に、いつかに世話になった恩人にあげようと思った。それで、少しでも早く元の街に帰ろうとしていたのだった。

     きっと喜んでくれるだろう。驚く顔を想像して、一人顔をほころばせる。

     浮き足立つ心音が、踏切の音と重なって響いていた。

    【1月18日】

     初めて見る駅から電車に乗った。

     冬の早朝の、陽の昇りきらない時間だというのに、車内の明かりは一切ついていない。
     見渡す限り、どこの席も綺麗に埋まっているのに、自分の目の前に一人分の空間が空いていた。わざとそうなっているようにも思えた。荷物が重かったので、諦めて腰を下ろした。

     行き先は知らなかった。

     漠然とした不安が胸を占める。降りようか。しかし、乗ってきたはずの扉は姿を消していた。他に出入りできそうな場所もない。それどころか、駅に着く様子もみられなかった。
     ただ電車に揺られることしかできない。

     きっとどうにかなるだろう。そう自分に言い聞かせて思考を止めた。落描きでもすれば、気が紛れるだろう。ノートを取り出して、ペンを走らせる。揺れる車内では描きづらいかと思ったが、線は歪まなかった。

     そうして、ひとつ描きあげた。お世辞にもいい出来とは言えないが、気は楽になった。
     目の前の絵を見つめて、瞬きをした。ノートが手元から消えていた。

     代わりに、人影があった。

     驚いて顔を上げると、少年がいた。ついさっきまで自分が描いていた人物によく似ていた。

    「何してるの」
    「わからない」
    「だろうね」

     少年が自分の後ろを指さした。

    「降りなよ、駅着くよ」

     少年の後ろで扉が開いているのが見えた。
     あんなところに扉はあっただろうか。見落としていただけなのだろうか。

    「行こう」

     少年に手を引かれる。ついていくと、見覚えのある駅だった。空には太陽が昇っている。
     後ろを振り向くと、今まで乗っていたはずの電車は消えていた。

    「降りられて良かったね」

     少年の声が聞こえた。

    【1月19日】

     父方の祖父母の家に来ていた。

     良い感情なんてない。しかし、抜け出すような勇気もないので、行事のために集まった親戚達の相手をしていた。時間が途方もなく長く感じた。他愛ない会話を交わして、そのまま集まり自体がお開きとなった

     ゾロゾロと帰っていく人の群れに揉まれつつも見送りを済まし、身内だけになった部屋で溜め息を吐く。
     残った身内達の愚痴大会が始まった。やれあの人はここが悪いだの、やれこの人は昔あんなことをしただのと、そんな言葉が飛び交う。

     もう沢山だ。

     大体、集まる度にこんな話をするのなら、こういうこと自体しなくていいじゃないか。何が楽しくて笑っているのか。

    「抜け出したい?」

     突然、目の前に現れた少年がそう尋ねてきた。高めだが落ち着いた声は、どこか含みを持った響きで続ける。

    「薄々気付いてるだろ。何をしたって、ここじゃ叱られない。だって、ここは君の世界なんだから。それなら全て壊したっていいと思わない?」

     燻っていた心に、その言葉はするりと入り込んできた。差し出された少年の手に、自らの右手を重ねる。

    「ここから出たい。こんな場所、壊れてしまえばいいのに」
     震える声で、そう言った。少年が目を細めた。
    「じゃあ、壊す許可をちょうだい」
     もう躊躇いはない。大きく息を吸って、叫ぶ。

    「お願い、全部壊して!」
    「仰せの通りに」

     仰々しくそう言って、少年は取り出した槍で目の前の壁を打ち抜いた。衝撃音と共に、破片が飛び散る。
     音を聞いて、周囲の人が何事かと駆け寄ってきた。そして、私達の姿を見るなり、明らかな敵意を向けてきた。

     怯む私と反対に、少年は人の悪役のような表情で槍を振るう。ばたばたと敵が倒れていく。彼の横顔は、狂気を感じるまでに楽しげだった。

     文字通り、あとには何も残らなかった。少しの罪悪感と、晴れ渡るような心が変におかしくて、思わず笑いが止まらなくなった。少年と二人で、血溜まりの中で笑いあっていた。

    【1月20日】

     トイレから出ると、外が見知らぬ場所に変わっていた。

     一体、何が?
     そう考えた瞬間に、体が勝手に動き出した。まるで、私の体ではなくなったかのようだ。
     何かを思い出せそうなのに、あと一歩届かない。頭につっかえた違和感が、引っかかったまま取れなくなる。
     誰かを見つけて走っていくこの体は、誰のものだろう。

     目線の先には不良然りとした風貌の少年が居た。さも当たり前のように彼と手を振りあって、何かを喋り始めた。

     何を言っているのだろうか。

     ぼんやりと、遠くから聞こえる音を聞いていた。音を言葉として認識することはできなかった。羊水の中に漂っているようだった。
     不自然なまでの安息を感じながら、目を閉じた。拍動が聞こえた。

    【1月21日】

     友人に連れられて、初詣に来ていた。

     おみくじは引くべきだよね、ああ、屋台もしっかり回らないと。そうはしゃぐ声を聞きながら、階段を上る。

     連れられるままにおみくじを引いた。早く結果を見ようと友人が急かす。おみくじを引く場所と結果を貰える場所は別らしい。交換所の方は、更に階段を登った先にあるようだ。あまり段数もないので、先程よりは気が楽だった。

     先に登っていた友人がふとこちらを振り返って、「十段目だね」と笑う。何の報告なのか分からなかった。曖昧に返事をして受け流した。
     おみくじの結果は末吉だった。もう少し良いのが良かったと言う私とは反対に、友人はなぜか満足げに笑った。

     なにか含みのある笑いにも見えた。

     その後は二人で屋台を回った。そういえば、ここはどこの神社なのだろうか。深く考えない方がいいよ、と友人に言われて、思考を放棄した。

    【1月22日】

     給食の片付けを終えて、教室に戻ろうとしていた。

     突然、足の力が抜けた。運の悪いことに、階段を登ろうとしている最中だった。うつ伏せの状態に倒れ伏して、そのまま十段ほどずり落ちた。
     周囲に居た知らない学生達が、こちらを見てヒソヒソと何かを話している。友人も知らないふりをして通り過ぎていった。ぶつけた腕や脚が酷く痛んだ。

     何回頑張っても、足に力が入らない。この階段に居るのがいけないのだと思った。
    しかし、校舎の反対側の階段に向かう。廊下を歩いているときは、いつものように足が動いた。
     こちらは普通の階段ではなく、螺旋階段であった。細い手すりがついているだけの、心もとない作りであった。

     ぐるぐると階段を登っていって、愕然とした。
     四階に繋がる部分だけ、階段と廊下が繋がっていなかったのだ。行き場を失った階段がぐらりと傾いた。焦って手すりに捕まる。意を決して廊下へと飛び出そうと踏み出した。

     足場が崩れ落ちた。

     宙に放り出された。

    【1月23日】

     どこかの施設に引き取られていた。

     お世辞にも金銭的に余裕があるとは言えない施設であるのに、成人している上に病気も患っている自分を置いていてくれるものだから、感謝のしようがない。
     施設の建物は一つ一つが古い。手入れをする金もないらしい。私が使っていた建物は昔ながらの木造建築で、板張りの天井にはところどころ穴が空いていた。

     ある日、天井裏に見たこともない生物が住み着いてしまった。早く駆除しなければ、他の人間に危害が加わりそうだった。片付けるから任せてくれと申し出た。職員は心配しながらも道具を貸してくれた。

     天井の穴に向けて刺股を突き立てると、何かの叫び声が聞こえた。ゆっくりと下に下ろすと、真っ赤な毛布に目玉が沢山ついたような生物が刺さっていた。
     手元にあった洗剤を片っ端から混ぜて洗面器に入れ、それを謎の生物にかけた。耳が痛くなるほどの断末魔を上げて、段々萎んでいったかと思うと、仕舞いにはぱちんと消えてしまった。

     部屋に戻ると、職員の女性と、見知らぬ男が二人いた。先程の生物と目を合わせてしまったがために、錯乱しかけていた職員を落ち着かせてくれていたようだ。
     黒髪の男と金髪の男は、自分のことを私の父親だと名乗った。二人とも父親とはどういうことであろうか。男達の間に座って話を聞こうとすると、一瞬視界が歪んだ。

     いつの間にか、座っていた場所の下が海になっていた。浅い海の中で、色とりどりのサンゴが揺らめいている。白いサンゴから泡が立ったと思うと、小さなクラゲになってどこかへと漂って行った。

     海を眺めながら、父親を名乗る男達と言葉を交わす。最近は体調は大丈夫か、何か困ったことはないか。真剣に問いかけてくる瞳がいたたまれなくて、目を逸らした。不器用ながらも気遣ってくれる黒髪の男にも、努めて優しく話してくれる金髪の男にも、少しばかりの好意を抱いた。
     ひっそりと抱いた喜びに蓋をして、何食わぬ素振りでその場を凌いだ。そうして自分の部屋に帰って一人になったのを見計らって、まとめてあった荷物を背負った。

     この幸せは、身の丈に合わない。

     周りから優しくされるほど、気遣われるほど、喜びを上回る焦燥感に駆られていた。本心を悟られない内に、誰にも気付かれない場所に消えようと思った。

    「お前、置いていくつもりかよ」

     振り返ると、明るい髪の少年がいた。困ったように笑うと、抱き締められた。

    「じゃあバレない内に行こうか」

     少年は私の手を取って笑った。この先、どうとでもなるような気がした。

     あの父親達は心配してくれるだろうか。

     遠くに見える施設を振り返って、子どものようなことを思った。

    【1月24日】

     偶然見かけた空き家に、一時的に隠れ住むことにした。
     家の中を物色している間、持ってきた死体を外に置いておく。殺してからさして時間は経っていない。殺人を犯したことを隠すという点においても、死体を隠すという点においても、空き家というのは都合がいい。
     シャワーを浴びながら、死体の隠し場所をぼんやりと考えていた。

    【1月25日】

     山の上にある小学校に通っていた。

     この学校は何者かに乗っ取られていた。教師も生徒も寮生活を送ることを余儀なくさせられているため、違和感を持ったときにはもう手遅れだった。逃げることも、疑問を持つことも許されない状況に置かれていた。
     皆一様に、小さな耳飾りを着用させられている。これひとつで、位置情報をいつでも監視できる上に、洗脳が解けないようにすることができるようだ。

     そうしてすっかり傀儡のように生かされていた、ある日のことだった。ふとした拍子に耳飾りが壊れた。

     逃げなければ。

     正気に戻った瞬間にそう思った。気付くと、自分よりも幼い少女が心配そうにこちらを見ていた。長い黒髪の隙間から、変色した耳飾りが見えた。おそらく、機能を失ったのだろう。少女を抱き上げて、草むらの中を走り出した。

     山の上から、お囃子の音が聞こえている。ぐるぐると、脳にこびりつくような音だった。

    「あっちに行っちゃダメだよ」

     少女がそう呟いた。

     走っている内に山の下の道路に出た。きっとまだ追っ手が来ているだろう。昔、祖母が住んでいた家なら。あの家の天井裏から繋がっている、謎の部屋なら見つかることなく過ごせるだろう。

     神社の近くまで来たときに、後ろから黒い服を着た男達がやってきた。

     追いつかれた。

     この子だけでも逃がさなければ。左腕を掴まれた瞬間、女の子を神社の境内に描かれた転移用の魔法陣に投げ込んだ。少女が魔法陣に吸い込まれて、光が溢れた。安堵した瞬間、注射器で何かの薬を打たれた。

     目を覚ますと、元の学校だった。何かに操られてた被害者だったということになったらしい。同情の目を周りから向けられながら、記憶喪失のフリをして日々をやりすごした。

     夜になって部屋で休んでいると、見知らぬ女性がやってきた。味方を名乗る彼女は、何かして欲しいことはないかと尋ねてきた。信じても大丈夫だと、直感でわかった。だから、ひとつだけ頼み込んだ。

    「三つほど先の山の奥に、祖母の家がある。そこに幼い少女を避難させているんだ。その子の面倒を見てほしい」

     まっすぐ見つめれば、彼女は諦めたようにため息をついた。

    「君を逃がすために来たんだけど、仕方ないね。分かったよ、その子のことは任せて」

     無事で居てね。その一言だけ残して、彼女は消え去った。
     憂いも晴れたところに、黒い服の男達がやってきた。何も知らないフリをしながら、再び注射をされるのを見ていた。
     視界が霞んで見えなくなった。

    【1月26日】

     迷宮が出現した。

     迷宮とは言うものの、見た目は十階建てのビルのようである。謎解きや罠がそこかしこに仕掛けられており、各階にはボスが配置されている。

     迷宮に入るまでにも多くの敵を倒す必要があった。人の一部が溶けて混じりあったような外見の敵をバールで殴りつけていると、ビスケットの欠けらのようなものが落ちた。三十個ほど集めたとき、迷宮の入り口が開いた。

     迷宮の入り口をくぐると、エレベーターの前に昔捨てたぬいぐるみ達が並べられていた。一緒に来ていた仲間とぬいぐるみを直してやると、エレベーターの電源が入った。
     そこからは何人かずつに別れて進むことにした。十階分、全て攻略するには時間がかかりすぎると踏んだからだ。

     私は七階の探索を担当することになった。
     綺麗に整頓された机が立ち並んでいた。教室のようにも思えた。しかし、もし敵が来て逃げるとなれば、この机は障害物になるだろう。念の為に、全員で机を端に寄せた。
     結果的には、その選択は大正解だったと言える。一番奥まで進んだ時に曲がり角の先から敵が現れた。

    「逃げろ!」

     私が叫ぶと、仲間達がエレベーターの方へと走り始めた。
     時間を稼がなければ。試しに敵に話しかけた。少し灰色に近い黒い長髪を、後ろで綺麗にアレンジしている大柄な男。乾いた唇と隈の濃い虚ろな目が印象的だった。例えるならば、売れないバンドマンのようだった。

     敵対するよりは穏便に済ませた方がいいだろう。外見を褒めちぎれば、男は照れたように笑った。
     男が言うことには、この人型は本体ではないらしい。本当は包帯の巻かれた、黒い球体なのだと言う。
     そうやって話してる内に、無事に絆されてくれたようだ。ぶっきらぼうな口ぶりではあったが、色んな階層にある罠とか鍵の在り処を教えてくれた。

     他の仲間達は、皆一足先に迷宮を踏破していたらしい。君が最後だと言って、男は私を最上階まで連れて行った。

     大きな画面いっぱいにエンドロールが流れていた。

     ドット調のキャラクターたちがそれぞれの台の上に立っていた。各階のボス達だった。感慨深いような気持ちで眺めていると、左端のひとつの台がぽっかりと空いていることに気がついた。

     男の居るはずだった場所を奪ってしまったのか。

     男を見ると、優しい目で困ったように笑われた。やはり、世界から弾かれてしまったらしい。
     行き場を失ってしまった男は、私と一緒に帰ることになった。

    「ごめん」
    「別にいい。気にするなよ」

     罪悪感は拭えないままだった。

    【1月27日】

     やけに明るい教室だった。

     ここにいるはずのない人物がいた。何故だろうとは訝しげに思いつつも、それ以上は考えることができない。引っ掛かりを覚えつつも眺めていれば、向こうから話しかけてきた。

    「……?」

     上手く聞き取れない。

     すると、彼女は前触れもなく抱きついてきた。
    ああ、いつか望んだことだったな。いつまで経ってもそちらからはしてくれなかった癖に。きっとこれは、きっと。

     いやに落ち着く温度だった。

     今すぐ離れたくて仕方ないのに、何故か動くことは叶わない。気持ち悪いと思っているのに、どこかで浮き足立っている。

     私は、どうしてしまったんだろう。

     教室内には他にも制服を着た人達がいるのに、誰一人として私達の方を気に留めることはない。苦しいほどのわだかまりを抱えたまま、抱きしめられていた。

    「好き」

     そう聞こえた。はっきりとした音だった。
     今までそちらから言ったことなんて、一度だってなかったじゃないか。今更、今更何を?

     誰かに腕を引かれた。

     意識がぼんやりとして振り向くことも叶わないが、背後の人物が何かを言ったのがわかった。引き剥がされた彼女は立ち尽くしている。私は冷えきった廊下へと連れ出された。疲労と安心感がどっと押し寄せてきた。

     手を引かれながら、こぼれる涙を拭った。

    【1月28日】

     誰かの体の中から外の世界を眺めていた。

     朧気な意識で、自分のものではない視覚情報を受け取り続けている。解離性同一性障害、いわゆる多重人格者の副人格になったならば、こんな気持ちだろうか。
     テレビ画面をそのまま貼り付けたような見え方だと感じた。それくらい、私に見える世界は限られていた。

     この体の持ち主は、職員室のような場所にいるようだ。教科書やファイルがずらりと並べられた机が見える。
     年配の教員と言葉を交わしたあとにプリントを受け取った。それを一緒にいた友人達に分けて、軽く一礼をして部屋から出ていく。

    「そろそろ飽きて……しても、いい頃じゃないかな」
    「…………なら楽しいかも、今日……」

     友人らしき生徒と談笑しているのだが、ところどころノイズが交じったように聞こえる。目も耳も、限られた範囲でしかこちらに情報を与えてくれないようだ。
     もう一人の生徒がため息を吐く。

    「本気でやるの?俺は……」
    「…………は嫌?」
    「どうせなら……達も…………いい」

     二人して何やら言えば、彼は諦めたように大きくため息を吐いた。
     電源を切ったように視界がぷつりと途切れた。それに合わせて私の意識も眠りに落ちた。

     次に電源が入ったのは夕暮れ時だった。

     先程の二人とはまた違う生徒と帰っているようだ。どこかの駅前らしく、設置された噴水が橙色に染まっていた。

     声が聞こえた。視界が後ろを向くと、背の高い生徒が走ってくるのが見えた。急いだせいか、制服が乱れている。

    「急がなくても大丈夫だったのに」
    「電車乗り過ごしそうだったから」
     そんな風に笑いあっているのが聞き取れた。
     私は、君達はこれからどこに行くのだろう。

     どうして、私はここに閉じ込められているのだろう。

     そんな疑問を口にした瞬間、電源が切られた。

    【1月29日】

     大通りで妖怪と妖怪が争っている。

     逃げた人が乗り捨てたのか、道中に車が雑に放られていた。潰れた車もあった。大通りを歩いてた人たちも、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
     私は一人、足元の血溜まりを呆然と見つめていた。近くで何かが壊れる音がして、ハッと我に返った。一番近くの路地を通って、なるべく人がいない方へ走る。

     大通りで戦っている個体以外にも、沢山の妖怪が人間を襲っては食らっていた。何度も何度も、人間だったものに躓いた。
     幸い、地の利があったので、ほとんどの妖怪は撒くことができた。逃げ込んだ場所で、一人の妖怪が女の子を匿っていた。彼は味方であるらしい。一緒に逃げ切ろうと約束した。

     塀に登って辺りを見渡す。空は真っ暗だった。黒い顔をした鬼女が、腕を前に突き出したままゆっくり歩いてきているのを見つけた。戻って鬼女のことを伝えると、仲間の妖怪が囮役を買って出てくれた。
     私は足を挫いている女の子を抱き上げて逃げた。こちらに気がついた鬼女が咆哮をあげて追いかけてきた。仲間の妖怪が鬼女を蹴り飛ばしたのが見えた。合流してそのまま遠くへ走った。

     逃げている内に病院のような場所に着いた。正面玄関の前にロータリーがあった。停車している車の間から一本の白線が見えた。
     あの白線を踏めばゴールなんだと思った。

     三人で白線を踏んだ。空が晴れ渡った。

    【1月30日】

     友人達のことを考えていた。

     夢と現実の関係性を見出すために、内容をフリップボードにまとめることにした。なんのことは無い。自分さえ理解できればいい。
     以前起きた友人との関係のもつれに関しては、ここに書くと長くなりすぎてしまう。そちらは別でまとめよう。

     今いるのは教室のような場所であるが、実際のそれよりも狭く感じる。塾などの教室ならば、これくらいの大きさなのだろうか。実際に塾に通ったことはないので、あくまで想像でしかないが。

     ここに居るのは私と、もう一人の男性だけだ。彼の名前は確かに知っているはずなのに、なぜか思い出すことができない。

     目の前の真っ白な板にあれやこれやと書きつけ、付箋なんかを貼り付けていく作業は、存外楽しいものだった。ひとつの作品を作り上げているような気持ちで、作業を進める。

    「夢って結局、なんだと思う?」
    「さぁな。お前が楽しいなら、それでいいだろ」
     彼は笑いながらそう返す。何が面白いのかは分からないが、つられて笑ってしまう。

     今、自分の胸につかえているこの単語を口に出すことができれば、何かが変わるだろうか。
     窓の外の焼けるような赤い空を眺めても、彼の名前を思い出すことはついぞ叶わなかった。

    【1月31日】

     蜜を地面に垂らして、虫が集まってくるのを眺めていた。

     垂らせば垂らすほど、虫は増えていく。その様子が可笑しくて堪らなかった。靴で蜜ごと踏み躙ってやっても、残った蜜にまた虫が集った。

     次はもっと甘い蜜で試してみよう。

     虫の潰れる音を聞きながら、上機嫌で頬杖をついた。

    縣 興夜 Link Message Mute
    2023/02/04 15:18:38

    1月の夢

    1月の夢日記
    #創作 #夢日記

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