運命を乗り越えて愛を掴め 「ごちそーさん。ドラ公、水ちょうだい」
夕飯とデザートをペロリと平らげたロナルド君が、キッチンで洗い物をしていた私に声をかけてくる。
「ん?あぁ、薬か。ちょっと待ってね」
ロナルド君の手に握られた薬のパッケージに、私は軽く頷くとコップに水を汲んで手渡した。
青い錠剤を一つ取り出し、コップの水と一緒に飲み下すロナルド君を見つめながら、人間はなんと不自由な生き物なのだろうか、と考える。
ロナルド君が飲んだのは、いわゆるフェロモン阻害薬だ。アルファとして、オメガのだすフェロモンに当てられてしまわないよう、週一で服薬している。オメガはフェロモン抑制剤をほぼ毎日飲まないといけないので、それに比べたらまだ楽だろうが。
薬がなければ、フェロモンにより動物的本能が惹起され、見境なく交尾をしてしまうとは、本当に不自由で、不便な生き物だ。
ーーアルファとオメガ。大型の肉食動物や夜の眷属といった捕食者から、身を守る鋭い爪も牙も持たないヒトが種として生き残るために得た進化の先。男女の性を超えて、より繁殖しやすい身体と機能を持った者たち。
男女の区別なく人を孕ませることのできる者たちをアルファと呼び、また同じく孕みやすい身体を持った者(こちらも男女を問わない)をオメガ、と呼ぶ。
アルファとオメガの呼称は、100年ほど前のある欧米の学者たちが提唱した説からだ。彼らが発表した論文において、一般的に繁殖させる者が恵まれた体躯やリーダーの気質をもつものをオオカミの群れになぞらえアルファと呼び、また子を産む機能を持った者たちをオメガと呼称したのが、一般的になったのだ。
オオカミの群れにおける「オメガ」とは、実際には最下層の地位にあるものをいう。
群れの中で虐げられることもあるその役割を、同性同士でも子を成せる身体を持った者たちに当てはめたところに、当時の差別意識がちらつくというものだーーとは、遠い昔に、私に人間社会について教えていた男の言葉である。『本能を盾に相手を蹂躙する者たちが高貴なオオカミを自称するなど、身の程を弁えぬ奴らだ』と。
あの頃はヒゲヒゲってオオカミ好きなんですねーとしか思わなかったが、のちに私のお父様が狼に変身するのが得意であることを知ってから、気付きたくない何かがそこにある気がしてその思考の先は封印することにしている。あの男のことを考えるのだって不愉快なのに、全く……と思わず眉間に皺をよせて食器類を洗っていた私の腰にするりと腕が回ってきて、はっと不愉快な記憶から現実に引き戻された。
「どうした若造、お腹いっぱいになっておねむか?」
背後から私にくっついてきたロナルド君が、私の首筋に顔を寄せてすん、と鼻を鳴らす。めずらしい甘えたモードに、さっさと頭の中にいたケツホバ卿を追い出して私を抱きしめるロナルド君に注意を向ける。
「んー。なんかまだ腹減ってる気がする」
「ファー!!あんだけ食べといてお前の胃は底なしか!もうやめときなさい。この前食べすぎて腹壊しただろ。ねージョン。真夜中にトイペ買いに行かされる身にもなってほしいよね」
「ヌンヌン」
「うるせー!あの時はありがとうございました!」
ふふ、と笑いながら最後の食器を洗って水切り籠の中に入れると、傍でお手伝いをしていたジョンを抱えてからロナルド君の腕の中で身体を反転させ、向かい合わせになる。
ジョンー!と顔をだらしなくにやけさせながらジョンを撫でたあと、ジョンごと私を抱きしめ直すと、顔を寄せて頬を擦り付けてくる。耳元にかかる吐息がこそばゆくて、ふふ、と笑いがもれる。それに気を良くしたのか、ロナルド君がぐりぐりと頭を擦り付けてきた。触れても私の身を焼かない銀色がふわふわとくすぐったい。
しかし、ふと、自分を抱く男の体温がいつもより高い気がして、首をかしげる。
「ん?ロナルド君、君熱上がってない?風邪ひいた?」
ジョンを抱いてないほうの手でロナルド君の額に手を当てる。やはり高い気がする。ちょっと顔も赤いし。すると、ロナルド君はパチパチと目を瞬かせてから、あーそっか、身を起こして頭をガシガシとかく。
「盛ってんのかも」
どうりでなんか腹減ってるような感じが抜けねーんだ、とつぶやく。
基本的に、アルファにはオメガのような発情期はない。オメガのリリーサーフェロモンに誘発されて発情状態になる。だからこそ、阻害薬を服用することで発情期を誘発されないようにしているのだが、それでも完全には防ぎきれない場合がある。
「誰か発情してる人のそばにでもいたの?」
「ああ、この前ギルドに新人がきたっていったじゃん。あいつが今日仕事してる間にヒート始まってさ。当てられたかな」
私の首筋に吸い付きながら、ロナルド君はなんてことない口調で言う。だが私は、その言葉にほんの少しだけ顔をしかめた。
「…もしかして、やきもち?」
ぱぁっと顔を輝かせて、ロナルド君が私の顔を覗き込む。
「違う」
図星をつかれて、思わずぶっきらぼうな返しをしてしまうが、ロナルド君はえへへ、と相好を崩したまま、ジョンごと私をぎゅうぎゅうと抱きしめ続ける。
ロナルド君といわゆる恋人関係になったのは3ヶ月前だ。仕事中に川に落ちたとかでずぶ濡れで帰ってきたロナルド君は、その夜には高熱を出し、三日三晩寝込んだ。病院には行かないという馬鹿ルドを甲斐甲斐しく看病している私に、ロナルド君は熱に浮かされながら何度も「どらこう、すき」と言ってきて、きっとこれは熱を出したことで心細くなって赤ちゃん返りでもしてんだろうな、と結論づけた私は適当に返事をしていたのだが、やっと熱が下がったロナルド君から『こ、これから恋人同士ってことでいいんだよな?』ともじもじしながら言われて、あれ本気だったのかとびっくりして砂になったのは記憶に新しい。結局私もロナルド君のことは憎からず思っていたので、そのままお付き合いする運びとなった、のだが。
恋人関係になったといっても、2人の関係はあまり変わらなかった。今まで通り、煽り煽られ、喧嘩し、殺され、といった騒がしい毎日に、ほんの少し、今みたいにイチャイチャする時間が増えただけだ。
「ふふ、おいこら、くすぐったいからやめ……ちょ、ロナルド君ってば」
「んー?」
頬擦りから今度は直接的に私の尖った耳を甘噛みし始めるロナルド君。腰に当たるロナルド君の身体の一部がやけに熱く、私はぎくりと体をこわばらせる。
お付き合いを始めた、といっても、その関係はまるで中学生のように初々しい。いや、最近の中学生のほうが進んでいるかもしれない。
キスはたくさんするし、触りあいもするけれど、実は最後までは致していなかった。
ロナルド君が先に進みたがっているのはわかっていたが、私のほうがどうしても最後まで関係を進めることができずにいた。
私の反応に気づかないはずがないロナルド君は、しかし何も言わず、ちょっとだけ私の腰を抱く腕に力が込められた後、名残惜しそうに私の髪に鼻先をくっつけてにおいをかぐようにすう、と大きく息を吸ってから、腕を解いた。
「あ……」
私が何かいうより早く、身を離したロナルド君はそのままダイニングチェアの椅子の背に引っ掛けていた外套を手に取ると、手早く出かける準備を始めた。
「じゃあ、パトロールいってくるわ。俺、今日遅番だから、帰ってくるの朝方になるんで先に寝てていいからな」
「う、うん……いってらっしゃい」
「おう、行ってきます」
事務所の出口まで追いかけて見送る私の言葉に、ロナルド君は小さく笑って、じゃあなジョン、メビヤツ!と声をかけて出かけて行ってしまった。
「ヌヌヌヌヌヌ……」
愛しい使い魔の呼びかけに、私は腕の中のジョンをぎゅっと抱きしめる。
「うん…、わかってるんだ。ロナルド君にひどいことをしてるって…でも、どうしても」
ロナルドの小さな騎士であるメビヤツにも胡乱気な目を向けられ、私は肩を縮こまらせた。
「ヌヌヌ、ヌヌイヌ?」
「ジョンはなんでもお見通しだねぇ」
スリープモードに戻ったメビヤツの頭をひと撫でしてからジョンを抱えてリビングへと戻った私に、ジョンが問いかける。
「ヌヌヌヌヌン ヌヌヌ、ヌヌヌヌイヌ?」
「好きだよ、今でもね。告白されたときはびっくりしたけど、嬉しかったさ。私もずっと好きだったし…あ、もちろん、ジョンが一番だよ!」
知ってるよ、とばかりにヌヒンと笑うジョンの顎下をくすぐりながら、私は言葉をつづけた。
「ただ…不安なんだ。ジョンだって知っているだろう。人間には、第二性がある。私たち吸血鬼にはない機能だ。ないというより、相容れない、とも言ってもいいのかもしれない。だって、吸血鬼になった人間からは、アルファ性もオメガ性も喪われるというのだから」
これは本当のことだった。夜の眷属に立ち向かうために備わった機能は、その者自身が夜の眷属になってしまったら、必要なしと判断されるのかもしれない。もともと、「血族の増やし方」について、生殖以外の手段を持っている私たちには、確かに不必要な機能なのかもしれない。
だが、それこそが問題なのだ。
アルファにもオメガにもなれない私は、ジョンが言う通り、恐れているものがある。
『運命のつがい』という存在だ。
愛し合い、「契り」を交わしたアルファとオメガは、「つがい」と呼ばれる存在になる。つがい関係にあるアルファとオメガは、それぞれのフェロモンを変化させ、互いにしか干渉しない値になる。たとえ発情期を迎えたとしても、オメガは周囲のアルファをむやみやたらと惹きつけることはなくなり、アルファもまた、つがい以外のオメガのリリーサーフェロモンに反応しなくなる。
この「契り」は、アルファとオメガ同士であればだれでも行えるものであり、関係を解消することも(離脱症状などの後遺症はあるものの)可能だ。
だが一つだけ、例外がある。それが、「運命のつがい」だ。
アルファとオメガには、それぞれ「世界でたった一人」の相手がいるのだという。遺伝子レベルで惹かれあう二人は、それぞれがどのような状況にいようと、必ず「契り」を交わし、「つがい」になろうとする。お互いしか見えず、一生を「つがい」に捧げるのだ。
それだけ聞けば、なんてロマンチックな話だろう、と思うだろう。「つがい」がいようがいまいが特に生活に変わりがないアルファと違い、オメガはアルファがいるかいないかで発情期のつらさが変わることもあり、自分だけのアルファを見つけることに憧れるものは多い。
多くのオメガの子供は、まるでおとぎ話の輝く鎧をまとった騎士を待つ囚われの乙女のように、いつか「運命のつがい」が見つかることを願う。
だが、現実はそう甘い夢物語のようにはいかない。
アルファ性とオメガ性を有する限り、「運命のつがい」という存在は絶対である。先ほど「遺伝子レベルで」といったことは、過言ではない。
たとえ、それぞれに恋人やほかの「つがい」がいたとしても関係ない。年齢差も、性的指向も、自身のそれまでの恋愛感情でさえも、「運命のつがい」の前では無意味なものとなり果てる。
同年代であったり、性的指向が同じであったり、そして相手に決まった人がいなければ問題はない。
だが、映画やテレビドラマなどでさんざん取り上げられる「運命のつがい」と出会った恋愛ストーリーの裏側には、突如恋人や伴侶、家族を奪われれ悲嘆にくれる人が存在する。
そこには法も情も関係ない。契りを交わせない「運命のつがい」は、まるで焦がれ死にするように衰弱死してしまうのだから。
物理的に、どうしようもないのだ。「運命のつがい」がであってしまったら、その二人を添い遂げさせるしか周りはできない。たとえ、どれほど愛していても、その「愛」はなかったことにされる。
それが、私は怖いのだ。
「私はオメガじゃない。どんなに望んでも、オメガにはなれない。ロナルド君が私のことを愛してくれているのをわかっている。でも、もし彼が『運命のつがい』に出会ってしまったら? 私以外の誰かを愛するロナルド君は見たくない。でも、彼を想うなら、私はロナルド君の幸せを願うなら、私は彼を手放さないといけない。なら、傷は浅いほうがいいだろう。ロナルド君に捨てられたら、多分私は死ぬだろう……心の痛みに耐えかねて、何度も何度も死んでしまう。よみがえる間もないくらいにね」
だから、私はロナルド君と関係を進めることを厭う。まだ引き返せる距離にいたいのだ。
そう伝えれば、ジョンはヌン、と小さく鳴いた。理解はするけど、納得はしていないのがわかる顔に、私は苦笑する。
「心配してくれてありがとう。私は卑怯なんだ。結局は、自分が傷つきたくない、というだけの話なんだからね。それでロナルド君につらい思いをさせているのもわかっている……もしかしたら『運命のつがい』とやらに出会って捨てられるより、愛想をつかされて捨てられるほうが先かもね」
そう笑ってから、憂鬱な気分を晴らすために掃除でもしようと立ち上がった私は、ふとダイニングテーブルにロナルド君の財布と携帯が置いてあるのに気づいた。
「あのバカルド、慌てて出ていくからだ……仕方ない、ギルドに届けておくか」
エプロンを外し、身なりをさっと整えると、ジョンを抱えて私も事務所を後にした。
「おや、ドラルクさん、いらっしゃいませ」
カラン、とドアベルを鳴らしてギルドにやってきた私に、カウンターの奥からマスターがにこりと声をかける。
「ロナルドさんなら、いまパトロール中ですが…」
「ああ、存じ上げております。あの若造、家に財布と携帯を忘れていきましてね。お手数をおかけして申し訳ないのだが、これ、ロナルド君に渡してくれないだろうか」
持ってきたロナルド君の財布と携帯をカウンターに出せば、マスターは「承知しました」と快諾してくれた。
きょろり、とギルド内を見渡すが、今日は広いホールのどこにも退治人がいなかった。
「先ほど、吸血鬼対策課より緊急対応要請がありましてね。待機中の退治人が全員そっちにむかってしまいまして、今誰もいないんですよ」
なるほどとうなずいた私に、にこにことマスターが笑いかける。
「せっかくいらしたのですし、なにか飲んでゆかれますか?」
「そうですな。ではホットミルクとホットココアを、ロナルド君のツケで」
そう返せば、マスターはにこりと微笑んで準備を始めてくれた。
コユキさんも含めて、しばらく他愛もない会話を楽しんでいたところで、ふと壁の時計が目に入った。
「おや、もうこんな時間だ。すまない、すっかり長居してしまいました」
「いえ、久しぶりにゆっくりお話しできて楽しかったですよ」
マスターの言葉に、コユキさんもこくこくと頷く。
「ならばよかった。それでは、私たちはそろそろ失礼して……」
そのとき、カランカラン、とドアベルが誰かの入店を知らせた。
席を立とうとしていた私がちらりとそちらに目を向けると、一人の若い女性が立っていた。若いといっても、ロナルド君と同い年くらいか、ひとつふたつ下、くらいだろう。
ちょっとたれ目がちだが、すっきり整った顔立ちをしており、凹凸のはっきりしたスタイルのいい女性だ。だが、顔色が非常に悪く、頬もこけており、やつれた様子が気になった。
「おや、これはジュリーさん……どうしてここにいるのです?あなたはまだ謹慎…いえ、それよりお体はもうよいのですか?」
マスターの言葉に、ジュリーと呼ばれた女性が口を開き、しかし私と目が合った瞬間、口をひらいたまま、目を真ん丸に見開いた。
驚いた顔をしたのもつかの間、その目はぎりぎりと吊り上がり、憤怒の表情で私を睨みつけると、あんたは、と食いしばった歯の間からひりだすようなうめき声をあげた。
「ドラルク……っ!」
「え?え?? し、知り合いだったか…!?」
動揺する私に、マスターが慌ててカウンターから飛び出てくると、私の前に立ちふさがった。
「ジュリーさん、落ち着きなさい!」
知らない女性から放たれる強い憎悪と嫌悪の理由に思いを巡らすが、当然だがまったく思いつかない。
けなげにも盾になろうと手を振り上げるジョンを抱きしめながら、マスターの背後に隠れる私。そんな私を、怒りで射殺しそうな目つきで睨みつけた女性が叫ぶ。
「どいてください、マスター! そいつを退治しないと!!」
「落ち着きなさい、と言っている!」
「なんで止めるんですか! そいつは吸血鬼だ! 仲間なんかじゃない! 私たちの敵だ! かばい立てするつもりですか!?」
「ドラルクさんは、私たちの仲間です。たとえ吸血鬼であっても、志を共にし、共闘しあう仲間ですよ」
マスターの言葉にも、女性は耳を傾けようとせず、口角に泡を飛ばして叫ぶ。
「あんたも騙されてるんだ! 仲間? はんっ、吸血鬼のくせにほかの吸血鬼の退治に協力するなんて、倫理もなにもあったもんじゃない。どうせ、私たちを陰でバカにして、油断させたところで私たち全員殺すつもりなんですよ。それとも、全員魅了で誑し込んで好き勝手やるつもり?」
ちっと憎々しげに舌打ちしながら吐き捨てられる言葉に、さすがの私も切れて言い返す。
「なんだね君は! 初対面のくせに好き勝手言いよってからに…! 私にそんな力があると思ってるのか?! そんな力があったら最初から使ってるわバーカバーカ!」
私の言葉に、腕の中でジョンが「違う、そうじゃない」とばかりにヌー、と鳴いた。
マスターも呆れた顔でこっちを見てくる。なんだね? いわれっぱなしは性に合わないんだ。
そんな私たちを睨みつけながら、ジュリーと呼ばれた女性は吠える。
「うそをつけ! お前が魅了でロナルドさんを惑わしてるんだろう! この悪魔! お前のせいで…っお前がいるから…っ」
「ジュリーさん!」
マスターが叫ぶが、青年は止まらない。
「ロナルドさんを……私の『運命のつがい』を返せぇぇっ!!!」
うわあん、と泣き崩れた女性のもとへ、マスターが駆け寄る。
私はといえば、頭の中が真っ白になって、息ができなくなって、視界の端がちかちかと瞬いていた。
ひゅ、と喉からかすかな空気が漏れる音がして、突如こみあげてきた吐き気にぐらぐらと揺れる。
……こういう時、なぜ死ねないのだろう。心がこんなに叫んでいるのに、私の体は奇妙にも姿を保ったままで。
ジョンの私を呼ぶ声が聞こえるが。私はまだ泣き叫ぶ女性から視線を外すことができないでいた。
三度、ギルドのドアベルがなり、ドアを蹴破る勢いで人が入ってきた。
「マスター! ショットからコユキちゃんからすぐギルド戻れって連絡きたっていわれたんだけど! 何かあったのか…って、ドラルク!?」
ギルドに飛び込んできたのは、やっぱりロナルド君で。立ち尽くす私に気づいて目を真ん丸にする。何か言おうと口を開くが、その前にジュリーさんがロナルド君の名前を呼び、ロナルド君に飛びつくように抱き着いた。
「ロナルドさん!!! お願い、もう一度、もう一度ちゃんと私をみて! わかってる、あなただって感じてるでしょう? 私たちは『運命のつがい』なの!」
縋りつくジュリーさんの肩に手を置いたロナルド君の目の色が、興奮で深い色になるのを見てしまった。ひくり、と鼻を動かしたあと、つばを飲み込むようにごくりと喉を鳴らしたのも。彼女の肩をつかんだ手に、力がこもったのも。
私は、吸血鬼である。第2性を持たず、アルファやオメガが出すフェロモンをかぎ取ることもできない。
だが、わかった。ロナルド君の反応や、彼に続いてやってきたショットさん、そしてマスターたちの反応から、今この部屋にはつがいを求めるオメガの必死で苦痛に彩られたフェロモンが充満していることを。
運命のつがいだと、彼女は言った。
それは嘘ではないのだろう。数時間前に、フェロモン阻害剤を摂取したはずのロナルド君が反応しているのが証拠だ。
ああ、と私はため息にもならない息を吐きだす。
ああ。ついにその時が来たのだ、と。
呆然とロナルド君を見つめ、彼の視線が女性にあるのを見て、私は固く目を閉じた。
やめて、と叫びたい衝動を押し殺す。彼は私のものだ、と威嚇したい衝動を噛み殺す。
だって、彼は私のものではない。最初から、そうじゃないのだ。
神だか悪魔だか知らないが、私たちが生まれる前から「たった一人の人」を選んでいたのだから。
すう、と息を吸って、私は目を開けた。
ぱちりとどこまでも碧い目とかち合う。いつの間にか、ロナルド君は私を見ていた。
宝石を溶かし込んだような、太陽の光を込めた青空の色をした目。
その目が好きだった。その目が、自分だけに永遠に注がれるのを望んでいた。だけど。
「……ごめん」
ロナルド君の言葉に、私はまつげを震わせた。ここで無様に泣くことはしない。私の矜持が許さない。
愛しい昼の子を見つめ、代わりに私は微笑むことにした。私は大丈夫、なんで私じゃダメなんだ、今までありがとう、捨てないで、さようなら、諦められない、君の幸せを願う。私の中でぐるぐると混ざり合い、言葉にすることができない感情を載せて。きっと、それはひどい笑顔だったろうけど。
「ごめん、ジュリーさん。もう一度言うよ。俺は、あなたの想いにこたえられない」
だが、その前にロナルド君がはっきりとした声音で、ジュリーさんを拒絶した。
やんわりと、だがしっかりと彼女の体を自身から引き離し、一歩後ろにひくロナルド君。
呆然としたのは、私だけじゃない。言われたジュリーさんも、目を大きく見開いて、ロナルド君を見上げていた。
「なんで…どうして」
「言っただろ。俺には、心の底から愛してる人がいるって」
ロナルド君の熱を帯びた碧い目に見つめられ、私の心臓がどくりと跳ねあがった。
「ちがう、違うんです、ロナルドさん。それはあの吸血鬼の魅了です!私とあなたは運命のつがいで…っ!」
「そうだね。俺たちは確かに「運命のつがい」だったよ」
ひゅ、と息が詰まったような音がした。それが私のものなのか、ギルドにいるほかの誰かのものなのかはわからなかった。
「でも、俺はそれを求めない。君には申し訳ないけれど、俺はそれを拒否した」
「そんな…そんなこと!」
「できないだろうって? それが、できたんだ。現に今、君が過剰に発しているそのリリーサーフェロモンも、嗅ぎ分けることはできるけど、俺はそれに反応してない。ひとりのアルファとして苦痛にあるオメガを救わないと、っていう気持ちはあるけれど、それだけだ。君だって、もう気づいているんだろ? 俺たちの間には、もう何のつながりもないってこと」
縋りつく女性の手をよけながら、ロナルド君が私のもとへやってくる。
「君につらい思いをさせてしまったことについては、何度でも謝る。ごめん。でも、俺がドラルクを愛していることを謝るつもりはない」
呆然とする私と、私の腕の中で「よくぞ言った!」となかりにヌンヌヌンヌと喜びの声を上げるジョン。私たちの姿に、ロナルド君がくすりと笑う。その「仕方ないやつらだなぁ。でも好きななよなぁ」とばかりの笑顔を見て、今度はたまらずに私とジョンが飛びついた。
もちろん、私たちの愛は拒絶されることはなく、ジョンもろとも大きな腕が私たちをやさしく包み込んでくれた。
「なぁ、悪かったって。『運命のつがい』に出会ってたこといわなくて…」
あれから、すすり泣く女性はマスターたちにお願いして、私たちは一足先に家に帰らせてもらうことにした。
手をつなぎ、煌々と輝く月の光の下を歩く。
そうなのだ。私たちが付き合うきっかけとなった、あの3か月前の体調不良。その原因こそ、運命のつがい拒否による拒絶反応だったというのだ。
「まったくだ! つがい拒否による拒絶反応! しかも、『運命のつがい』相手だぞ!! 下手したら死んでいた!」
むっとした顔で私が言えば、ロナルド君は申し訳なさそうに、だが心配されてうれしいのを隠せていない顔でもう一度「ごめんて」といった。
「風邪だと思ってたんだぞ……もし、もし君がつがい拒否による拒絶反応であのまま死んじゃってたらと思うと…」
今更ながらに、恐怖で私の声が震える。
「ちゃんと、病院で専門の治療にかかってなきゃいけなかったのに」
「でも、大丈夫だっただろ?」
「結果論だ!」
「結果論だとしてもさ」
ぎゅ、とつなぐ手に力がこもり、くい、とロナルド君のほうへ引き寄せられる。
「俺の運命はお前だから、だから絶対に死なないって自信があったんだ」
埼玉のあの古城で出会ったときから、俺の中にお前とジョンがいるんだよ。
そう言って笑うロナルド君の目が、あまりにもきれいで、愛にあふれていて、気づけば私の目からぽろぽろと涙があふれていた。
「な、泣くなよ! え、俺なんか変なこと言った??」
とたんにおろおろしだすロナルド君に、私は涙をこぼしながら笑う。
「君があまりにもくさいセリフをいうからだよ」
顔を真っ赤にしたロナルド君が照れ隠しの拳を振り上げ、私は笑いながら砂になった。
「…って、きれいにまとまったと思ったんだけどなぁ」
ベッドに押し倒され、私にのしかかるロナルド君を見上げながら私はつぶやく。
「は? いやいやお前。あれはそういう流れだったろうがよ。ジョンだって気を利かせてヒナイチのところに泊りに行くって言ってくれたわけだし」
私のシャツを脱がしながら、ロナルド君がいう。
「それにしたって、もうちょっと情緒っていうもんが。今日は抱き合って眠るだけとかさ? というか君、わかってる? ヒナイチ君に私たちが今日……その、そういうことするってバレるってことだぞ……!」
「今更だろうが。それに、俺、もう待てない」
ロナルド君の顔が近づいてきて、今夜初めてのキスをした。言葉と裏腹に、とてもやさしいキスだった。
「俺、お前が俺が『つがい』に出会うことを不安に思って距離を置いてたこと、知ってるんだ。俺に捨てらタラどうしようって怖かったんだろ? でも、俺証明したよな。お前を捨てるなんてありえない。俺はもう、お前しかいない。『運命のつがい』だって、俺の心を変えることはできなかっただろ?」
「…そう、だけど……んぁ」
耳をねろりと舐められ、ロナルド君の熱く大きな手が私の薄い腹と胸を撫でさする。
「むしろ、お前が怖がるのはそこじゃないんだぜ? わかってる? もうお前は、一生俺から離れられない。俺が許さない」
かぷり、と耳朶を甘噛みされながらの執着と独占欲に塗れたセリフに、私の腹の奥に熱がともり、自然に息が上がり始める。
「愛してる、ドラルク。お前も俺を愛してるなら、俺を受け入れて」
ロナルド君との初夜は、想像していたのとまったく違った。
童貞とバージンの組み合わせなんて、最悪な結末しかないと思っていた。それなのに。
「ん。あ、あ、や、ほんと、はずかしい、から…っ!」
「んーでもお前、ここちゃんとほぐさないと…」
ベッドにうつぶせにされ、尻を高くあげさせられた格好で、私はひんひんと喘がされていた。
肉付きの悪い私の尻たぶをロナルド君の手が割り開き、晒された秘所をロナルド君の舌により蹂躙されている。
本当に、まさに「蹂躙」といった様子だ。べろり、と舌全体で舐めたと思えば、尖らせた舌先でアナルの襞を伸ばすようにほじくられる。
唾液をたっぷりと流し込まされ、女性器でもないのに、まるで愛液で濡れているようにぴちゃぴちゃと水音を立てていた。
ローションを使ってとお願いしたのに、ロナルド君は「後でな」とだけ言って、丁寧に丁寧に舌と唾液で私の穴をほぐしていた。
こんな、真綿でじっくりと締め上げられるような、じわじわと弱火で焚きつけられるような、そんな快楽を私は知らなかった。
どこで学んできたんだ、とか、まさか変な性癖開発してるんじゃないだろうな、という考えが頭の片隅をよぎったが、突然尻の中に増えた感触に、私の思考がはじけ飛んだ。
舌でふやかされた穴に、ロナルド君の指が入ってきたのだ。
「ん、んっ…!」
滑つく舌に尻の浅いところを、その少し奥を太く武骨な指でまさぐられ、私の体がびくびくと震えた。最初に少し触られてから今の今まで放置されている私のペニスは、すでにしっかりと立ち上がり、先端からこぷりと汁をこぼしている。
腕に顔を伏せて、与えられる羞恥と快楽に身を震わせていると、しばらくしてロナルド君が満足したのかやっと顔を上げた。
「ドラ公、顔みせて」
私の背に覆いかぶさるようにのし上がってきたロナルド君が、甘ったるい声で私の名を呼ぶ。
顔を真っ赤にしてはしたない顔をしているだろう自分を見られるのは嫌だったが、ドラ公~と再度よぶ愛しい男の声に、ゆっくりと後ろを振り返る。
「かわいい」
私の顎に手を添え、顔を仰のかせると、さっきまで私の尻に埋まっていた舌を私の口に突っ込んでくる。
ちょっといろいろと思わないこともないが、敏感な牙の先を舌でつつかれ、私は「あぅ」と声を上げてしまう。牙に触れる感触に反射で口を大きく開いてしまったのをいいことに、ロナルド君の舌が私の舌をからめとるように動く。唾液が流し込まれ、飲みきれない分が顎をつたっていく。
「ん、あ…ふ、んっ……」
「ドラ公、ドラ公…」
キスの合間に私の名前を呼びながら、ロナルド君がへこへこと私の尻の合間にその大きくてずっしりとしたペニスを擦り付け始めた。
きゅん、と私のアナルがうずき、ロナルド君に割り開かれることを期待するかのように収縮したのがわかった。
「…入れるぞ」
固く、それでいてなめらかで丸い先端が、私の後孔にくちゅりと触れる。
「うん、ロナルド君……来て」
そこから先は、まるでジェットコースターに乗っているかのようだった。
すごい長い間にも、ほんの瞬きほどの一瞬にも感じる快楽に、私は脳髄をしびれさせた。
押し入ってきたロナルド君のペニスは、手で触れたときよりももっと大きく、熱く感じて。
「あ、ああ!あん、あ、あ、や、すご、おっき、い! やぁ、すごい、なんでこんな、初めてなのに、気持ちいい…!!」
「おっまえ、そんなかわいいこと、いうなっての!!」
「んああ!!」
もう、何度達したのかわからない。後ろから攻められていたと思ったら、気づけば座っているロナルド君の膝の上に座らせられて腰を突き上げられていて、かと思えば、いつの間にやら正常位でロナルド君の剛直をうけいれる。
ふと、腹の中の肉棒がさらに一回り大きくなったような気がして、圧迫感に息を詰まらせた。
「え、なんで、もっと大きく…」
「ノット」
「え?」
「ノッティング、してる、から」
獣のようにぎらついた目で、少し苦しそうにロナルド君がいった。
「俺の精子、こぼれないように。お前の中も外も、ぜんぶ俺でいっぱいにするんだ」
はぁはぁと息を荒げ、熱に浮かされた顔でロナルド君がうっとりとささやく。
アルファのペニスの根元には、亀頭球という、こぶのようなものがある。オメガとセックスをする際、オメガを確実にはらませるために亀頭球を膨らませ、精子がこぼれないようにするためだという。オメガのフェロモンにより、そこが膨らむときいていたのに、なんでオメガでもない私に膨らむんだ?と疑問がよぎる。だが、深く考えるより先に、びっちりと奥まではめられたロナルド君のペニスが私の体の中で震え、またごぷりと精を吐き出したのがわかった。思わず下腹に手をあてて、腹の中でびくびくと震えるロナルド君のペニスの存在を感じ取る。
「しゅご……ロナルド君で…私のおなか、いっぱい……」
思わずこぼれた言葉に、ロナルド君の動きが止まった。そして「ほんっとお前……そういうことだぞ!」と叫ぶと、乱暴に下半身を繋げたまま後背位に体位をかえたあと、うなじにがぶりと噛みついてきた。
「ちょ、ロナルド君……!!! ひぁ、ああ! や、いきなり、奥つかないでぇ…っ!」
ふー、ふー、と私のうなじに噛みつきながら、ロナルド君の腰がごっちゅんごっちゅんと私の尻をえぐる。
亀頭球でアナルの縁を引っ掛けられながら、私の頭の中でバチバチと真っ白い快感がはじける。
ずぷん、と何かがを突破された感覚と、ごりん、と前立腺をロナルド君の亀頭球で押しつぶされた感覚。
絶頂したと認識する前に、私は声を上げることなく意識を飛ばしていた。
「…あの人、どうなるの?」
熱病に浮かされたかのような激しい初夜のあと、ほんの少し泥のように眠った私たちは、朝の気配を感じながら、ベッドに抱き合いながら横たわっていた。
ずっと聞きたかったことを尋ねれば、ロナルド君はしばらく考えた後「オメガセンターで隔離入院して、フェロモン治療に入ると思う」と答えた。
そう、と私はつぶやく。
眠りから起きた後、ロナルド君からジェリーさんとのことを断片的ながら聞いた。
優秀な退治人だったが、ロナルドを「運命のつがい」だと確信してから、ストーカーめいた言動が増えたこと。最初こそ、周囲も運命のつがいならと見守っていたが、度を過ぎた行為はやがて業務にも支障をきたしはじめ、ギルドからも要注意人物として認識され始めたこと。決定的だったのは、ロナルド君がきっぱりとつがいを拒否したことだった。つがい関係を成立させていなくても、アルファに捨てられた形となったジェリーさんは、拒絶反応からくるフェロモン欠乏症に倒れ、緊急入院となった。だが、何度も病院を抜け出してはロナルド君にアプローチをかけ、次第に「ロナルドさんが私を拒絶するのはドラルクがいるせいだ」と、私への加害意思を表しはじめたのだという。
ロナルド君は、私の安全を想い、できるだけ私をギルドの仕事に絡ませないようにして、ジュリーさんと鉢合わせないようにしてきたらしい。その間に、ギルドは苦渋の決断ながらも、謹慎処分と一緒にオメガセンターへの強制入院させ、これですこしは落ち着くかと思っていたのだが、今日、彼女はまた病院を抜け出し、そして運悪くギルドにいた私と鉢合わせてしまったのだ。
「……本当によかったの?」
「いいんだ。あの人には悪いことしたけど……でも、俺は自分の心に嘘はつけねぇ。本能が彼女と契れと叫んでも、俺の心はお前だけが欲しかった」
ぎゅ、と私を抱きしめてロナルド君がつぶやいた。
「ああ、やっと手に入った。ドラルク。ドラ公。大好き。ずっと一緒にいて」
私の髪に顔をうずめて、ロナルド君が懇願する。
「うん。いるよ。君とずっといる。運命を乗り越えて私を選んでくれた君。愛してるよ、ロナルド君。吸血鬼の執着、覚悟しておくんだな」
「おうよ。お前も、人間の独占欲舐めんな。ジョンはいいけど、今後ほかのやつに飯とかお菓子作るの禁止な。まぁ、ヒナイチくらいは仕方ないか……? あと、配信するのはいいけど、喘ぐの禁止な。あと顔出しも。あと夜一人で出かけるなよ。出かけるときは俺に言って。あとなぁ」
「まってまって。怖い怖い…え?いきなりなに? 独占欲が犯罪レベル。可愛いなぁって思った矢先にこれは振れ幅が広すぎる」
「返品不可だからな。もうずっと一緒だからな!!」
む、と私を睨むロナルド君に、思わず私はあはは、と声を出して笑った。
「当然だよ! 面白い君を私が手放すわけがないだろう。いや、面白くなくていい。君は君のままでいてくれればいいんだ。そんな君を、私は愛しているんだか、ら……ん?」
ロナルド君の額にキスをして、私が誠心誠意、彼への愛を述べていたところで、私は太ももにあたる異物に気が付いた。
「…へへ、ごめんドラ公。もう一回だけしよ」
にへらっと笑ったロナルド君が、ぱかん、と私の膝を広げて間に割り込んでくる。
「ちょ、ちょっと!もう少しで朝…!!!」
「あんなこと言われてたたないわけないだろ! もう一回だけ…だめ?」
上目遣いで目をうるうるさせるその顔は、私が一番弱いロナルド君の顔だ。
だから、私は返事の代わりに彼の首筋に腕をからませ、返答がわりのキスをした。
END