乍要SSS「猫とノイズと」-夜の向こうに- 日が落ちると少し冷え込む。
要がリビングのカウチソファーに座ると、すぐにノルウェージャンフォレストキャットという種類の大型猫が二匹、待っていたように飛び乗ってきた。計都と羅睺という名前の二匹はもともと驍宗の猫だが、今や要にも非常に懐き、トイレや風呂場までくっついてくるほどになっている。
「ちょっと、…重いよ計都…羅睺、そこ踏まないで…」
二匹ともにオスでがっしりした体格、体重は6キロを軽く超える。そんなのが押し合いへし合い膝の上に乗ってくるのだから、落ち着くまでが大変だ。
今日は驍宗は在宅勤務で家にはいるが多忙らしく、ずっと部屋にこもっているようだった。要が帰宅して扉越しに声をかけても、それに対する返答があっただけだ。キッチンには夕食を簡単に済ませた形跡があり、猫たちには餌も出してあった。けれど、そう構われもしなかったのだろう、二匹は要に甘やかされたがって、落ち着く気配もない。
のしかかってくる一匹ずつを抱えるようにして交互に撫で続けて大人しくなったところで、要はようやく映画の専門チャンネルをつけて、広い背もたれに背を預けた。
本当は驍宗と一緒に見たかった映画の一つだったが、配信の期限が近く、「先に見ておいていいぞ」と言われたから、仕方ない。
CMとして新作映画の予告編がいくつか流れるのを、要の身体に添って寛いだ二匹のふわふわの毛並みと体温を感じながらぼんやりと見る。本編の開始の頃には、もうほんのりと日中の疲れが出て、眠くなってきていた。
…あくびをひとつ、それから、もたれた背中の位置を深く沈ませた、それだけだったのだけれど。
*
——時差のある海外支店とのweb会議を終わらせて、驍宗が部屋から出たのはすでに深夜、午前になっていた。そんな時刻にもかかわらず、リビングの灯りが付いて、音声が流れているのに気づく。
夜更かしか、珍しいな。そう思って入っていくと、カウチソファーには横倒しで半分丸くなって眠るひとりとそれを囲み寝そべる二匹の姿があった。腹に抱えられているのは計都、背中側から頭のあたりの隙間に挟まるように寝ているのが羅睺、二匹とも驍宗の気配に目を覚ましはしたが、ぬくぬくとした場所から動かずにいる。
丸まった姿勢は猫たちのせいで窮屈そうにも見えるが、要は深く眠っていた。それを、驍宗はしばらく黙って見下ろす。
この家に来た頃は、よくうなされて夜中に起きていた。不安定な眠りは、このところは見られない。こんな状態でも熟睡しているらしい要を見、環境に慣れてくれたのだろうと安心するとともに、ちらちらと自分の中によぎる誘惑めいた陰りを、驍宗は敢えて正視することを避けた。
要がこの家にいるのは、乍の家が後見人という立場をとっていられる未成年の間だけだ。それを過ぎたら、自立させ送り出さねばならない。よけいな感情を持ちこむのは立場としてもしてはならず、要のためにもならないと、分かっている。
ブランケットを取ってくる。羅睺をそっと引っ張り出して、多少の隙間の空いたところで要の姿勢を仰向けに直し、足をあげて伸ばさせてやる。要はうすく瞼を開いたようだったが、そのまま閉じた。下ろした羅睺が足もとに入り込んでまた挟まるようにして寝そべったので、驍宗は苦笑する。
「どっちも俺とは寝ないのか」
当たり前のように返事はない。懐かれている要のそばにしゃがみ込む。不満を漏らした飼い主に向かって多少うるさげに瞬いた計都を、そっと撫でた。
「計都は本当に要が好きだな」
撫でられてお愛想程度に喉を鳴らした白い毛並みに、驍宗のため息は密やかに落とされる。
「…いいな、お前達は」
ブランケットで閉じるように覆い、モニタを消し、明かりを落としてリビングを出た。深夜の二時をさす時計を見る、朝までしばらく眠れるはずだ。胸底にちらちらと残る陰りを、埋めてしまえば。
埋めることさえできてしまえば、…
*
――薄い暗闇で、要は目を開けていた。
あの言葉と、声、その悩ましい温度。それが向けられる方向は。それを受け止めていいものかどうかも分からずに、暗がりでなんども瞬いた。
腕に計都を抱き抱え、そのゴロゴロと鳴らされる小さな響きに、埋もれるように目を瞑る。
胸の内には繰り返される別のノイズ。
繰り返し繰り返し、声の感触を確かめるようにしてなぞるそれは、砂時計の砂のようにサラサラとは落としきれなかった。
*
……眠れるわけなんかない。夜を乱すこんな気持ちでは。 (了)