黒いウサギと白いウサギと「お土産です!僕と色違いでお揃いなの。使ってくださったら嬉しいな」
…と、鴻基へ降りていた小さい泰麒が跳ねるような足取りで、大きなものを抱えてやってきた。
執務机に積まれた山の中からその奇妙なものを見て,驍宗は少し目を見開いて手を止めた。
「……」
生じた沈黙を取り成すように、側仕えがにこやかに泰麒からそれを受け取る。
「おかえりなさいませ。おやこれはお可愛らしい。玩偶(にんぎょう)ですか」
雛が腕いっぱいに抱えていたのは、布製の、いわゆる縫いぐるみと言われる種類、ウサギの形の愛玩品だった。起毛の布地は黒、艶やかな光沢が美しく、造形も愛らしい容相ではある。が。
「それを私に?」
あまりそういったものを愛でる習慣のない驍宗は、どちらかといえば驚くような気分でそれを眺めるばかりだった。
「はい! これは、胴体に湯たんぽを入れて使うんですって。驍宗様のお寝間でお役に立つと思って、これから寒くなるから、と…」
説明する泰麒が、真顔の驍宗を見ながら語尾を儚くさせてしまったから、ああ、と驍宗は椅子を引き、姿勢を寛がせて微笑してやる。
「なるほど。初めて見る物だ。これが今の流行りか」
そうされて、泰麒はやっとそばに行き、少しはにかんだ。
「…僕も初めて見たの。お店の人から『兎は月中で西王母の仙薬を搗いているって言われるだろう、だからこれは縁起物なんだ、これを使えば病知らずで寿命も伸びる。実用品としても最高だよ』って、たくさん教えてもらって」
きっとこの純真な麒麟は、通りすがりの店の前で、立て板に水のごとき売り口上を目を丸くして一心に聞いたのだろう、と想像された。雛の後ろに控えている正頼を見ればやや苦笑したので、それを見て、きっと正頼は困らされたに違いない、高値で言い掛けられがちな場所での値切りの交渉術など、実際を学ばせることにもなったのかもしれないが、と驍宗は可笑しくなる。
「それで、私を思ってくれたのだな。有難い」
笑みに安心したのか、泰麒は言葉を続けた。
「色はいくつかあったんですけれど、驍宗様には黒がお似合いかと思って、黒の地に黒玉の目のついたのを出してもらいました」
側仕えから受け取ったウサギを、そうか、と腕に抱く。滑らかな生地は肌に柔らかく、綿がほどよく詰められて弾力もあり、これに湯瓶を封じ込めれば成るほど朝まで温かく保てそうだった。愛らしいばかりでなく、実用性を伴うのは良い商品なのだろう、と思う。
「僕、自分用にこれの白いのを買いました。目が紅玉髄の珠を縫い付けてあって、とっても可愛いの」
「そうか」
「お揃いですよ」
だから使って下さいね、と念押しすると、泰麒は、お邪魔しました、と一礼して自分の宮へまた跳ねるようにして帰っていった。
その小さい背を見送ってから、布製のウサギを側仕えに渡し、驍宗は執務の続きに取り掛かる。やるべきことは山のようにあり、…小さい麒麟からゆっくり話を聞いてやれず帰したことも脳内から消え、従って土産に貰ったものについても、すっかり意識から消えた。
*
一日の全てを滞りなく完了し、居室で着替えて大欠伸と共に牀榻へ入った驍宗は、白い敷布と衾(かけぶとん)の間に足を入れてふと感じた違和感に、思い出す。
「…これは、あれか」
よく見れば変に盛り上がっている形の衾を上げると、内には丁寧に耳まできちんと揃えられた黒いウサギが横たえられてあり、そして何やら妙に温かい。気を利かせた側仕えが早速、用意をしてくれたのだろう。とはいえ。
「私はそう寒がりではないから、正直、不要なのだが」
あの小さい雛は、冬にはどれだけ着せても足らぬのではと思うほどか細く見えるが、驍宗の方は厳寒にも薄着で鍛錬を行うほど頑強な体躯である。しかもまだ初冬に入って日も浅く、寒さを感じるほどでもない。
その変な温かさへ身を滑り込ませて、無用と思われる人形の長い耳を掴んで、ぐいと引き上げる。
衾から半分顔を出した獣の造形物、だがその目、黒玉の珠が薄明かりに光って、何やら視線が合ったようにも感じ、無碍に放りだせない気になった。
「……」
手を放すと、自然、枕を並べる形になる。壁の方へと多少を押しやりはしたが、それで留めた。敷布に長い耳をなびかせた黒い獣は、目だけがキラキラとする。
思い出したように、つぶやいた。
「…蒿里は、別の白いものを買ったと言っていたな」
白の起毛の地に、紅玉髄の目をしたウサギ。実物を見てはいないが、その色の二つが表すのは、驍宗の容姿以外にないだろう、と思う。蒿里の故国では紅白はおめでたい組み合わせだったのだといつも言うが、好みとしてそれにこだわるのは蓬莱懐かしさばかりではあるまい、とは周囲の一致した評でもあり、驍宗も内心では少し喜ばしいようにも思ってはいる。
「こんなものと一緒に眠っているのは、さぞ愛らしかろうな」
白圭宮にきた当初、乳母の添臥がなくて寝られないのだと言った時期もあった、と思い出す。今は慣れて一人でもいいのだとも、言ってはいたが。
今頃、その白いウサギを腕に子供らしく丸くなっているかもしれない。温かく柔らかいものに頬を寄せて、一日のことを思い返してうっすら楽しげにも微笑しているかもしれない。その眠りはきっと安らかだろう、そうあってほしい。
そんなふうに思い描いた淡い絵図は、次第に柔らかく驍宗を包み込み始める。日中の疲れが、想像の中の穏やかさに溶かされるように滲み出ていき、代わりに緩やかな微睡が訪れる、その曖昧な中、薄く考えた。
子供は、自分の所有物に名前をつけて愛玩するというが、その白いものに私の名前を付けたりはしていないだろうか……?
その想像は、思いのほか嬉しい気がした。
「…揃い、と言っていた、…この黒いのは、もしかして蒿里は自分のつもりで選んできたかもしれぬ…」
互いになぞらえたものを牀榻に入れて眠る、というのは何やら、甘めいている。
いつもはそれほど思わないことを、なぜか想像の向こうへ迷い込むようにも考えて、驍宗は重い瞬きの合間に微かに笑んだ。
「…それであれば、これにお前の唯一の名を付けたとして、怒るまいな」
蒿里、と思った時には瞼が下りて、現実世界から滑り落ちるように彼は深く眠りに入った。
*
「主上。どうかお目覚めになって下さい。もうとうに日が昇ってございます」
その声に飛び起きた驍宗は、次の間に響く幼い麒麟の声に気がつく。
「…これは。過ごしたか」
急いで衣服を整えさせて出て行くと、明るい朝の光に鋼色の髪を光らせて、泰麒が振り返る。
「おはようございます、驍宗様」
「すまぬな。迎えに来てくれたようだが、朝議に二人して遅刻だ」
いいんです、と言うように首を振った泰麒は、にっこりする。
「よく眠れましたか?」
「うむ。見た目によらずあの道具は油断がならぬようだ」
危うく昼まで寝るところだった、と言うと、泰麒はますますにっこりした。
「それはよかったですね」
歩いて行く途中、泰麒は機嫌良くよく喋った。こちらもどうやらよく眠ったようだ、とその様子を見て思う。
「今度、僕の白いウサギもご覧に入れますね。赤の目がとっても綺麗な玉なの。あの、あのね…」
小さい泰麒が口元に両手を筒状に当てる。内緒話、ということだと理解している驍宗は、身を屈めて聞いてやる代わりにそれを抱え上げた。遅刻の身でもたもたしてはいられない。
泰麒はその筒状の手の内で、耳元にこっそりと言った。
——曰く、蓬莱ではウサギはよく増えるから、多産豊穣の象徴なのです、そうなるといいですね、と。
*
その冬、公休のたびに、泰麒が白のウサギと共に夜ふかし遊びをしに訪れることが常態化した。
そして数年ののち、成獣後には、ウサギが届けられ並べ置かれると、それはその夜の「約束」を意味することにも、なったのだった。
(了)