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    路傍の石 善法寺伊作が嫌いだ。出会った日からずっと、ずっと嫌いだ。
     善法寺伊作は私の隣の組、は組の生徒の一人であった。入学順に割り当てられた組の中でも一番後ろ、その上、群を抜いて後から滑り込みで入ったということ。またその時全身牛糞でどろどろになり、同じくどろどろの銭を握りしめてきたというのは学園中既知の事実であった。ここは名にし負う天下一の忍者、大川平治渦正の学園だというのに。い組はエリート、は組は鈍臭い、そんなことは決して言わないようにと先生が繰り返し教えてくださったので、私たちは言わなくともは組がそのような組であることは重々承知の上であったし、善法寺伊作の存在によってそれは更に明白な事実となった。
     そんなどんくさい連中のさらにびりっけつであるところの善法寺伊作と同じ保健委員会に配属されてしまったことは、私の人生でも指折りの汚点であった。初め教室から出て顔を合わせた時、善法寺伊作はどうしたわけか私の顔を見るなり「もしかして保健委員会?」とのたもうた。今思い返せば持ったままの外れクジを見たのかもしれない、あいつはそういう小賢しいところのある奴だった。そうして私がしぶしぶ頷くのを見るや否や、善法寺伊作はぱあっと顔を明るくして突然に私の手を引いた。
     出会ったばかりだというのに何の躊躇もなく。嫌がられることを想像もしないような笑顔で。
     善法寺伊作の手は生暖かくて、ざらざらしているのに湿気っぽくて、不快だった。思わず脳裏に牛糞が浮かんで振り払うと、善法寺伊作は悲しみも怒りもない、何も分からないような顔をして「ごめんね」なんて殊勝に謝ってみせた。そうしてこちらのことをちらちらと窺いながら、謝る素振りもなく私の横を歩き続ける――その時の私の胸中を走った不快感といったら!その時私は善法寺伊作とは近づかないように過ごすことを心に誓った。実家への手紙にもそう書いた。母親からは「お前の性根が曲がっているのではないか」と返って来たので、破って捨てた。

     善法寺伊作は甘ったれた人間であった。どのように育てられればこうなるのかと思うくらい、誰よりも多くポカをして、人に迷惑をかける度輪の真ん中で申し訳なさそうな顔で笑った。私はその悪びれない顔が何よりも嫌いだった。
    「伊作は、まあ、伊作だからな」
     そんな風に庇いたてる他の面子のことも好きになれなかった。しでかす件数が多いから異様に思っているだけではないのか。私は善法寺伊作の顔を決して視界に入れないよう細心の注意を払い、皆が手を止めている間も黙々と作業を続けた。作業することは嫌いではなかった。生家の冬のことを思えば大した量ではなかった。誰より先に終わらせる度、新野先生に褒められる度、胸のすく思いがした。そうした時には必ず善法寺伊作の目線を背中で感じた。この上なく気分が良かった。
     善法寺伊作はそのように迷惑ばかりかける人間であったから、同室になった食満留三郎も大層苦労しているようだった。一度奴が大きな怪我をしたとき、新野先生経由で呼ばれた食満留三郎は痛々し気な顔で善法寺伊作の肩を担ぎ、生温いほどにやさしい声で励ましながら連れて出ていった。
    「お前は保健委員なのに、怪我したら一人で帰ることもできないのか」
     後日二人になった時そうあざ笑うと奴ははっとした顔をして、一つ頷いて、その日からようやく、食満留三郎が迎えに来ることはなくなった。
     人がいないと何もできない奴。迷惑しかかけない奴。それでも、何故か、いつの間にか。善法寺伊作は随分と新野先生に気にいられていた。私の知らない膏薬を、教えてもらっていない手技を、善法寺伊作は当然のように扱いこなした。委員長までもが奴に一目を置いた。新野先生を探すとき、まずは善法寺伊作に声を掛けるのが当たり前になった。
     私はその期以来保健委員をしなくなった。

     善法寺伊作は保健委員を務め続けた。「誰よりも保健委員らしいやつだ」という評価をされるようになった。誰よりも自分一人で知識を抱え込んでいる癖して「また保健委員か」と残念そうに歩く背中を自分の教室から見続けた。
     私は様々な委員会を転々とした。一度だけ食満留三郎とも同じ委員会になった。個人的に、食満のことは高く買っていた。面倒見もよく、忍耐力もあり、成績もいい。何故は組なのか分からないくらいだ。出来る事であればきちんと話してみたかった、と遠くから眺めていれば目が合って、何か思い出したような顔で話しかけられた。
    「なあ、お前前保健委員やってた奴だよな。伊作から聞いてるよ。いい奴だって」
     同じ委員会で嬉しい、と笑んで差し伸べられた手に、喉が干上がるような心地がした。
     いい奴ぶったつもりか、あの男は。
     疑心暗鬼で過ごしたその期、食満もあの男も私に特別何か接触してくることはなかった。

     善法寺伊作は次期保健委員長になるのではないかと噂されるようになった。まだ四年生だというのに、その前提で皆が話すようになった。
     私はどこの委員会でも、自分に出来る精一杯のことをした。用具委員会では皆が飽きる手入れを必ず最後までやり通した。図書委員会では暗号と修補を覚え、体育委員会ではどんなに遠くの山を走らされても、どんなに急な大会の準備があっても、文句ひとつ言わなかった。
     大会の最中足を挫き救護場所へ行くと、善法寺伊作は腕を包帯で厳重に固定された状態でゴザに横たわっていた。そうして私に気づき片腕で身を起こす。
    「どうしたんだい、捻挫? 見せて」
     明るい笑顔。『まあ僕程の怪我ではなさそうだけど』と続けられたような心地がした。
     踵を返せばその足首を掴まれた。振り払うように一歩踏み出すと、ごん、と嫌な衝撃が足に響いた。善法寺伊作が地面に頭をぶつけた音だった。
    「お前、何なんだよ」
    「何が」
    「触るな」
    「でも怪我してるし」
    「離せ、気持ち悪い」
    「でも」
    「うるさい!」
     もがいてももがいても掴む手は緩まない。怖くなって、もう片足で、必死になって手首を踏み潰した。善法寺伊作という男からおおよそ聞いたことがないような低い呻き声が漏れた。
     逃げるように走った。走って、走って、自分の部屋まで戻って、古褌を裂いて足首を固定した。
     戻ればもう大会は終わりかけていた。組の仲間に心配されながら見渡せば奴の姿があった。両腕には真っ白な包帯が巻かれていた。ふと視線がこちらを向いたが、私は何もないような顔で友人と笑って歩き去った。背中に視線がいつまでも張り付いていた。その日中、その翌日も何日も何日も。だが善法寺伊作は私に声をかけることはなかった。いつの間にか視線は外され、素知らぬ顔で人に囲まれていた。
     善法寺伊作は変わらない。私が何をしようとも。あいつに何があろうとも。私がどれだけ無視しようと、友人同士の輪の中で私が否定するようなことを溢してしまっても。そこに通りがかっても、表情ひとつ、態度ひとつ変わらない。揺るがない。
     路傍の石にでもなったような心地がした。あいつか、さもなくば私が。

     善法寺伊作は正式に次期保健委員長になることが決まった。普通引き継ぎなんてあってないような委員会活動の中で、張り切った先輩と二人、せっせと予算案を作る姿はままごとのようでいっそ滑稽だった。
     実家から手紙が来た。
     父親が倒れたこと。兄が家を継ぐこと。その補助となるため急ぎ戻るよう、母とは思えぬ荒々しい筆で書かれていた。いつものように破って捨てた。

     学園長先生も担任の先生も手慣れた様子で退学の手続きを進めてくださった。馬借の手配もして下さり、私はすぐにでも発てることになった。同室の男にその旨を告げれば、涙ぐみながら「向こうへ行っても元気でな」と手を握ってくれた。
     何もかもがあっという間だった。
     意味もなく、置き忘れたものはないかと歩き回った。図書室。用具倉庫。体育倉庫。月見亭。廊下。そうして教室。誰かに呼び止められて振り向けば一番見たくない顔があった。大きく舌打ちをした。やはり顔色一つ変わらなかった。
    「もう行くの」
     静かな声だった。この男にしては珍しく笑顔でもなかった。ただ平らかな穏やかさだけがそこにあった。
    「だとしたら」
    「昨晩はゆっくり眠れたかい」
    「お前には関係ないだろう」
     いつかのように背を向ければいつかのように手首が掴まれた。振り払えばあっけなく剥がれる。睨んだ私に善法寺伊作は小さな包みを差し出してきた。蘇芳で染められた手拭い。中には包帯と、いくらかの薬包と膏薬。そのいずれにも何の記載もない。使うべき量も薬名も。それでもその薬の色には見覚えがあった。
     善法寺伊作が新野先生と初めて作っていた薬だ。
    「私は」
    「うん」
     深く、深く息を吸う。
    「お前が嫌いだ」
     善法寺伊作は驚かなかった。
    「そうなんだ」
    「嫌いだ、顔も見たくない」
    「うん」
    「甘ったれで。人に頼ってばかりで。十にもなって自分の尻も自分で拭けやしない。私の村ならお前みたいな奴七つになる前に姥捨山行きだ」
    「そうか」
    「いつも。いつもいつもいつも。目障りだ。ずっと目障りだった。自己顕示欲の塊なんだろう、お前、すぐ人の気を引こうとして。いい所ばっかり持っていきやがって。周りの奴らがお前のこと、どんな目で見てたか知ってるか。お前は、いつもそうやって、おれの、」
     喉が燃えるように熱い。
    「おれのことなんか、どうでもいいくせに」
    「……………」
     善法寺伊作は困ったように眉を下げた。口角がほんの少し動いて、それでも唇は開かない。
    「おれは。私は。お前となんか、一緒の学年になりたくなかった」
     こんなことを言ってもお前はきっと何も思わないのだろう。悲しみもしない。責めもしない。内心がどうであれ、それがこの男を善法寺伊作たらしめる尊厳なのだと私は良く理解していた。
     善法寺伊作は目を瞑り、ゆっくりと一つ息をついてから開いた。
     眉も目も口も、おおよそ表情と呼べるものは全て、元通りの位置に戻っていた。
    「君が、僕のことを嫌いでも」
    「…………」
    「僕は、君に怪我して欲しくないって、そう思っているよ」
     嚙んで含めるような言い方だった。思わず鼻から息が漏れた。
    「お前がそう思わない人間がいるのか」
     善法寺伊作はもう一度黙り込んだ。
     私は蘇芳染の包みを縛り直してその場を離れた。

     善法寺伊作がその後どうなったのか私は知らない。
     私は実家に戻り、兄嫁の妹を嫁に貰った。十年が経ち娘と息子は七つを越えた。
     善法寺伊作が嫌いだ。出会った日から今もなお。出来る事ならばあの男が、学園にいたあの頃のまま、誰も知らない山奥で辛酸を舐めて暮らしていることを、心の底から願っている。
    NonohiO0o Link Message Mute
    2022/06/20 1:11:58

    路傍の石

    伊作に対してクソデカ感情を抱くモブ視点の話です。ギャレリア初めてなのでテスト
    #忍玉-腐 #善法寺伊作 #モブ

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