無防備 エンディングが流れ始め、それまで緊張していた体はやっと解れた。現世が忙しくて久しぶりに本丸に帰って来た審神者は、録画しておいた番組を刀剣達と見ようと再生機器を一式持ち込んだのだ。録画した番組は心霊番組。周りを短刀達と石切丸、にっかり青江で固め、挑み終わったところだった。
「おもしろかったです!」
「邪気を感じないものもあったけれどね」
「さっきやってた、幽霊が来たっていうのはほ、ほんとなんですかぁ?」
「あれは場の雰囲気を盛り上げる為だよ。まぁ、寄って来るのは寄って来るんだけどね」
「ええ~っ!?」
「…………いまつるちゃん」
それまで黙り込んでいた審神者が今剣を呼んだ。瞳を輝かせて振り返る今剣は相変わらず、無邪気で愛らしい。余程気に入ったのか、もう一度見たいなどと言っているが。やや顔色が悪い審神者の様子に気付き、顔を覗き込んで来る。
「どうしました? あるじさま、おかおがまっさおです! だいじょうぶですか? どこかいたいんですか?」
「だ、だいじょぶ……だけど、ある意味大丈夫じゃない、かも」
「ぼくにおてつだいできること、ありますか?」
〝怖くなったんだね〟と石切丸は密かに思ったが、今剣の健気な振る舞いを見ていると口には出せない。そして、次に彼女が言い出すであろう内容も彼には容易に想像できた。
「一緒にお風呂入ろう!? お願い!」
「あるじさまとおふろですか!?」
〝ああ、やっぱり〟と石切丸は苦笑する。青江も同じことを考えていたようで、おかしそうに笑っている。他の短刀達が「ずるい!」と言い出すが、生憎彼らは既に入浴を済ませてしまっている。中には文句を言いながらも既に眠そうに瞼を擦っている者もいる。今剣に迫る短刀達を見兼ねた薬研藤四郎の指示で、今剣以外の短刀達は渋々といった様子で自室へ歩き去って行った。残された今剣は嬉しそうに審神者を見上げ、花が咲いたような笑顔を向ける。
「いきましょう。あるじさま」
力強く頷いて、審神者は彼の手を取った。
「おっふろ~、おっふろ~。あるじさまと、おっふろ~」
着替えを持って弾むようについて来る今剣に癒されながらも、審神者の目は嫌でも周囲を警戒してしまう。これで何か見えてしまったらどうしようと考えるが、知らないうちに近づかれるというのも嫌なので、どうしても周囲に気を配らずにはいられない。そんな彼女の様子に今剣は眉尻を下げた。
「……あるじさまはぼくとおふろ、ほんとはいやなんですか?」
「え? ど、どうしてそう思うの?」
「だって、さっきからあるじさま、ぼくのほうをみてくれないから……」
「そ、それは……」
二人は足を止め、お互いに見つめ合った。今剣の不安そうな目に審神者は言葉に詰まった。心霊番組を見て怖くなったからという理由は些か恥ずかしいが、今剣に悲しそうな顔をさせるくらいならと彼女は口を開いた。
「あ、あの……笑わないって約束してくれる?」
「? はいっ」
「あの、ね。えっと、こ、怖く、なっちゃったの」
それを聞いて今剣は不思議そうに小首を傾げた後、口元に手をやり、上品に笑った。赤面して顔を顰める審神者に今剣はそっと彼女に近づいて耳打ちした。
「あるじさま、かわいいです」
「なっ!? か、かわっ、かわっ…………か、からかわないのっ」
そうして、じゃれ合いながらも脱衣所に入り、服を脱ぐ。ふと、視線を感じた審神者は一瞬恐ろしい想像が脳裏を掠めるも、なるべく落ち着いて振り向けば、呆けた様子の今剣がいた。
「どうしたの?」
「……え。いえ、なんでもないです」
慌てて仕度の続きを再開する今剣を不思議に思うも、審神者はあまり気にせず、入浴の準備を終えて少し待っていると、今剣も準備を終えて一緒に浴場へ入る。人数が多いこの本丸では、この大浴場一つきりで普段は政府から派遣される式神が維持管理している。掛け湯をしてゆっくり身を沈めると、すぐ隣に今剣も座った。楽しそうに笑い声を零す今剣に審神者は声を掛ける。
「なに? いまつるちゃん」
「ぼく、あるじさまとこうしておふろにはいるの、すごくうれしいです。いつもは岩融や粟田口のこたちといっしょなので」
「そういえば、こうしていまつるちゃんと二人きりってなかなか無いもんね」
「はい。ふたりきり……」
どうにも浴場に入ってから様子のおかしい今剣に、審神者は体の調子が悪いのではと心配の意味を込めて彼の赤い瞳を覗き込む。彼女の目から逃れるように慌てて顔を背けた今剣はいそいそと洗い場へ向かう。心なしか頬が桃色に染まっている。頭から桶でお湯を掛けている今剣を見てあの長さで洗髪するのは大変だろうと、髪を一生懸命まとめようとしている彼を驚かさないように審神者は背後に膝をついて座り込んだ。
「あるじさま?」
「いまつるちゃんの髪、長くて大変でしょう? 私が洗ってあげる」
「あ、え、あるじさま」
遠慮する今剣に「子供は遠慮しないの」と言って、審神者は彼の髪を優しく洗い始める。その間、今剣にしては非常に珍しく言葉少なで大人しかった。
髪も体も洗い終わり、もう一度お湯に浸かって終わりというところで今剣は背後へ振り返る。その表情は普段の彼と変わりない無邪気そのものだ。
〝悩み事でもあったのかな〟と審神者が思ったのも束の間、握っていたタオルを取られた。
「え?」
「こんどはぼくがあるじさまをあらってあげます!」
笑顔でそう言ったかと思うと、胸の間に泡だらけのタオルを押し付けられ、厭にゆっくりとした手つきで洗われる。強い力で擦られているせいか、少し赤くなってしまっている。
「い、いまつるちゃんっ。ちょっと、痛い」
「あ、ごめんなさいっ。あるじさま」
慌てた様子でタオルを引っ込ませると、今剣は背後へ回る。「じゃあ、つぎはせなかをやりますね」と言って今度は優しく滑らせるように洗い始めた。
「さっきはごめんなさい、あるじさま。ちからかげんがよくわからなくて……」
彼が言うには、背中を流すのは大抵岩融相手なので、つい癖で力を込めてしまったらしい。それも仕方ないかと納得し、審神者は少ししょげている今剣を励ます。彼女の言葉に元来、明るい性分の今剣はすぐに元気を取り戻した。上機嫌ににこにこと笑う彼は無邪気そのものだ。背中を洗い終わり、タオルを受け取ろうと手を伸ばした審神者だが、今剣の手によってそれは叶わなかった。
「いまつるちゃん?」
「あるじさま、まえもぼくがあらってあげます」
衝撃的な発言をした直後、正面に回り込んだ今剣は泡だらけの手で審神者の腕を掴み、優しく滑らせる。
「い、いまつるちゃん!? ま、前は自分で……」
「ぼくがしたいんです。……だめですか?」
懇願するような潤んだ瞳に彼女はうっと言葉を詰まらせる。少し考えているうちにも彼の手は容赦なく、進み始めてしまう。慌てて止めようと彼の手首を掴むも、相手は付喪神だ。力では敵う筈もなく、彼女の手に構うことなく、今剣の手は胸に到達した。するりと脇から撫ぜられてびくりと肩が震える。「あるじさまはやわらかいですねー」と無邪気に笑う今剣に初めて恐怖を覚えた審神者は、不安げな目を彼に向ける。それを見ると、不敵な笑みを浮かべた彼は彼女の耳に唇を寄せた。
「あるじさま、ぼくだって……おとこのこなんですよ?」
そう囁くと、今剣は耳たぶにキスを一つ落とした。触れるように軽いものだが、彼女の頭を混乱させるには十分過ぎるほど甘い。状況が上手く飲み込めず、呆然としている彼女を置いてさっさと体を流した今剣は最後に一言残して浴場を出て行った。
「あるじさま、これからはきをつけてくださいね」
扉が閉まり、やっと何をされたか理解した審神者の体は男性のものへと変化する。今更、緊急措置を取っても後の祭りだが、そうせざるを得ない。
「明日の今剣のおやつを無しにしてもらおう」
真っ赤な顔を両手で覆うように隠し、言えたのはただその一言だけだった。