休むのも仕事のうち「はぁ……」
眠い。審神者は出かけた欠伸を噛み殺して手元に目をやった。入浴を終えてからずっと文机に向かい、書類を作ったり、整理したりと忙しくしているが、全然終わる気配が無い。それもこれも、連隊戦のデータが膨大である上に政府が事細かに報告するように言ってきたせいだった。人間として最低限の身だしなみは整えてはいるが、かれこれ徹夜して三日目に突入しようとしている。斜め後ろで同じく書類を整理している近侍へし切長谷部も目の下に濃い隈を作り、さきほど審神者が渡した二杯目のブラックコーヒーを飲みながら黙々と作業をしている。目も据わっており、短刀達が見たら泣き出すほどだ。もう二人共限界に近い。
少し目を休ませようと書類から目を離せば、怒涛の勢いで眠気が襲って来る。その度、落ちてなるものかと慌ててコーヒーやレッドブルを口内に流し込んで誤魔化していたが、それも効かなくなってきている。度重なる刺激物の投入で胃も限界だ。正直、今すぐにでも布団に潜って寝てしまいたい。しかし、文机に視線を送れば、否でも目に入るやりかけの仕事。これを全部片付けなければ、寝られない。がくがくと赤べこのように激しく船を漕ぎつつ、作業を続ける。審神者の頭には最早眠ることしか無かった。眠い、眠い、寝たい、寝たい。もうここまで来たら手だけでなく口も動かさないと机に倒れ込みそうだ。そう思い、審神者は同じく頑張ってくれている近侍へ話しかける。
「はしぇべ……だいじょぶ? すこしねる?」
「まだ行けますよ。死ななきゃ安い……」
「死にそう……」
「頑張って下さい、主。仕事ではそう簡単に死にませんよ」
「いや、あのね、過労死のかのうせいががががが……」
「主、少しいいかい?」
何とか精神を繋ぎ止める会話をしていると、部屋の外から声がかかった。朦朧とする意識の中でその声の主は最近、来たばかりの髭切のものだと分かる。時計を見ると、真夜中だった。こんな夜遅くに何の用事だろうと彼女は手を休めずに入るよう言うと、障子を静かに開けて髭切が入って来る。
「失礼するよ。おお、こんな遅くまで仕事かい? 話は本当だったみたいだね」
「話?」
顔を上げることもなく、こちらを一瞥しただけで仕事を続ける彼女に気を悪くした様子も無く、髭切は審神者のすぐ隣に腰を下ろす。
「うん。みんな主が徹夜で仕事をしているから心配だと言っていてね。様子を見に来たんだ」
「必要無いな。俺がついている」
ゆったりとした彼の言葉を跳ね除けるように長谷部が口を挟む。燭台切が作った夜食のおにぎりを一口頬張りながらも手は休まない。寝不足のせいで態度が悪くなっている長谷部に困ったような笑顔を浮かべて、髭切は口を開いた。
「主、仕事も大事だけど、少し寝た方がいいよ。寝不足はお肌に毒なんだろう?」
加州清光が言っていたよ、と優しい目を向ける彼に審神者はぶんぶんと首を振った。
「だめ。これ明日の朝までに終わんないとだから」
「では、後は僕がやっておくよ。幸い、書類仕事はやったことがあるし」
「で、でも……。やっぱりだめ。これは審神者の仕事だし、私がやらないと」
こうして話している時間も惜しいとばかりに机にかじりつく彼女の手を素早く掴んで止めた。
「うあっ!? ずれた! もうっ、何するの! 髭切!」
抗議しようと彼の方へ目を向けた審神者はあまりの近い距離に思わず、息を飲んだ。いつになく真剣な表情の髭切は彼女の背後から手を回してペンを放させる。
「君はいつも僕達の為に頑張ってくれているけれど、無理はしちゃいけないよ。心配なんだ。みんなも、僕も」
良い子だからおやすみ、と頭を撫でてくる彼に抵抗しようと机に向かおうとするが、耳元で囁かれた言葉に彼女は諦めた。
「僕が君を甘やかしたいんだよ。頑張り屋さんな君だから、たまには僕達に甘えて欲しいなぁ」
「……分かっ、た」
「隣の部屋に布団を敷いておいたよ。湯たんぽも入ってるからね。ちゃんと肩までかけて寝るんだよ」
そう言うと、手を引かれて隣の部屋に連れて行かれ、あれよあれよという間に布団に寝かされてしまった。些か納得できないが、布団に入ってしまえば、それまで耐えてきた睡魔が一気に押し寄せ、審神者はものの三秒ほどで眠ってしまった。
「頑張ったね、主。おやすみ、良い夢を」
眠る彼女の頭を撫でて髭切は長谷部の許へ向かった。
♦♦♦
審神者が起きたのは翌日で、昨日の記憶が曖昧な彼女は仕事が残っていると思い、慌てて部屋を出た。急いで自室へ戻ると、そこには文机に倒れ込んで眠っている長谷部と書類を片付けている髭切がいた。障子を開ける音で気づいた彼は審神者に笑顔を向ける。
「おはよう、主。よく眠れたかな?」
「え、あの、仕事は……」
「ああ、今終わって片付けているところだよ。後はこんのすけに任せようねぇ」
まとめた書類を文机に置いたところで、髭切はふらついた。倒れたらいけないと慌てて彼の腕を掴み、支える。
「あ……。すまないね、ちょっと疲れたみたいだ。徹夜なんて初めてだから」
「もう休んで下さい。私が使った布団、そのままですけど」
「うん。あはは、かっこつかないね。本当は颯爽とこの場を後にしたいんだけど、そうもいかないみたいだ」
何とか隣の部屋までふらつく髭切を連れて行き、布団に寝かせる。上着を脱がせて壁にかけると、掛け布団をかけてやる。
「いいえ、かっこよかったですよ。ありがとうございます、髭切さん」
彼の白くふんわりとした髪を撫でると、嬉しそうに目を細めた。かと思うと、そのまますうすうと寝息を立て始める。自分と同じく頑張ってくれた長谷部にも毛布を持って行こうと立ち上がろうとした審神者だが、何かに引き止められ、それは叶わなかった。
「え? あ……もう、髭切さんったら」
幸せそうな笑みを口元に浮かべた髭切の手は彼女の服の裾を掴んで放さなかった。