藤の囲い※ご注意
・優しい長谷部はいません。
・死表現があります。
・神隠しネタです。
・こんのすけが惨い目に遭ってます。
最後に裏設定的なものがあります。苦手な方はご注意を。
頬を撫でる風と瞼をちらちらと照らす月の光で審神者は目を覚ました。ふと、重ねた手の上に項垂れていた頭を上げると、そよ風に乗って鼻孔を擽る甘い匂い。非常に濃い、頭がくらくらするほどの香りに審神者の頭もすぐに覚めた。辺りを見回すと、風に揺れてさわさわとカーテンのようなものが揺れる。先程からちらちらと揺らめく月光は、そのカーテンのようなものが揺れる度にできる隙間から差し込んで来ていた。よく目を凝らして見ると、そのカーテンのようなものは藤の花だと分かる。この濃く甘い匂いの正体だ。審神者は、藤棚に囲まれるようにして一脚のベンチのような椅子に凭れて眠っていたらしい。
「ここ、どこ?」
あまりにも現実離れした場所に、審神者は訝しげに首を傾げた。
〝確か、本丸にいた筈なんだけど……〟
眠る前の記憶を辿っても自分の足で本丸から出た覚えは無い。かと言って誰かに運ばれたとしても、本丸の庭にこんな見事な藤棚も無い。一生懸命考えようとする彼女だが、辺りに立ち込める濃い藤の香りのせいか上手く考えがまとまらない。ぼうっと藤棚が風に揺られている様を見ていると、不意にそれらを掻き分けて男が一人。
煤色の髪に薄青紫の瞳に濃紫のカソック。男は審神者の前に歩み寄って来ると、跪いて恭しく一礼する。
「主」
「……長谷部?」
風に揺れて二人の髪と藤棚が揺れる。花弁が舞うこの空間はこの世のものとは思えないほど、美しかった。忠臣へし切長谷部は、呆然と辺りを見回す審神者に微笑みかける。その笑みはまるで、安心して下さいとでも言いたげだ。
「長谷部、ここはどこ?」
「一度、主をここへお連れしたかったのです。俺の気に入りの場所なので」
「長谷部の……?」
「はい。前に主が仰っていたでしょう? 藤の花が好きだと」
そう言って長谷部は審神者の髪についた花弁を優しく取り去る。一瞬、頭を撫でられるのかと少し身構えた審神者に、長谷部は思わずといった様子で笑みを零す。その瞳に宿る光は既に敬愛ではなく、恋慕であった。そんな彼に気付かず、審神者は辺りを見回してみた。彼女が見たところ、ここには自分と長谷部しかいないように見える。
「ねぇ長谷部、他のみんなは――」
「主。冷えてきましたから、どうぞこちらへ」
それだけ言うと、彼はまるで壊れ物でも扱うように彼女の手を取り、椅子から離れると藤棚をもう片方の腕で押し上げた。その向こうには青く丸い月に照らされた立派な屋敷。更に屋敷の奥には、星空に包まれるようにして広大な草原が広がっている。ここからでは果ては見えない。
その幻想的な風景に審神者は感嘆の声を漏らす。自分は今どこにいるのか、本丸は大丈夫なのか、他にも様々な心配事が彼女の脳裏を掠めるが、長谷部の瞳を見返すと何故だかそれらは全て解決したような心地になる。今までに感じたことの無い感覚に不思議がっていると、長谷部が彼女の手を引く。審神者は促されるまま、長谷部と共に屋敷へ向かう。
前方から吹いて来た冷たい風に髪が靡いた。なんとなく振り返ると風に煽られ、ざわざわと藤棚が蠢く。その様はまるでこちらを飲み込もうとしている怪物か何かのようだった。その光景に恐怖した審神者は握られている彼の手を強く握り返す。
「主?」
「ごめん。ちょっと怖くなって……」
「大丈夫ですよ。俺が傍にいますから」
心配はいらないと彼も審神者の手を握っている手にほんの少し力を込める。その手に勇気づけられた彼女は、やっと微笑む心の余裕ができてきた。彼と一緒なら、もう何も怖くないとさえ思える。
屋敷の中は不思議と暖かい空気に包まれ、審神者はほうと息を吐いた。明かりを灯し終わった長谷部が「今夜は少し、冷えるようですね」と、独り言のように呟き、寒くはないかと彼女の身を案じる。それに笑顔で大丈夫だと告げると、安心したように微笑を浮かべる長谷部。改めて部屋の中を見回すと、蝋燭の明かりだけではよく分からないが、随分広い部屋らしいことは分かる。
〝ちょっと本丸に似てるかも……〟
そう思うと同時に審神者は急に他の刀剣男士達のことが気になった。この屋敷に入ってからまるで人の気配が無い。自分と長谷部以外。彼に訊いてみようと目を向けると、いつの間にか彼の手には温かいお茶が用意されていた。
「どうぞ、主」
「ありがとう」
差し出された湯呑を受け取ると、甘い香りが立ち上った。さきほどの藤棚を思わせるその香りに、また彼女の頭は霞がかったようにぼんやりとし始める。透きとおった茶色の中に吸い込まれそうだ。不思議な香りのお茶だと思いながらも、少し冷えた手を温め、審神者はゆっくりとお茶を一口飲んだ。
「美味しい」
「お褒めに預かり、光栄です。茶を淹れるのはあまり得意ではないのですが」
「ううん、そんなことないよ。なんだか不思議な香りだけど、何のお茶なの?」
「さあ、生憎とそういった物には詳しくないので。申し訳ございません」
「そっかぁ。ちょっと残念」
「本当に申し訳ありません」
「ううん。長谷部は悪くないよ。ただ、鶯さんやおじいちゃんが喜ぶかなって思って」
それを聞くと、長谷部は小さく笑い声を漏らす。審神者もそれにつられて笑みを零した。薄暗い部屋の中、他愛も無い話をしていると、包み込まれるような安心感とゆるゆるとした睡魔が訪れる。うとうとと船を漕ぎ始めた審神者を見て、長谷部は毛布を持って来た。
「はせべ……なんだか眠い……」
「主、こちらへ」
主君である女の手を引いて自分の方に導くと、長谷部は彼女の頭をそっと己の膝の上に乗せ、毛布をかけてやる。そうすると、数分もしないうちに彼女は目を閉じて眠る準備を始めた。
「はせべ……ごめん。少しだけだから……少し、だけ」
「ええ。主命とあらば」
幼児を寝かしつけるように彼女の髪に触れ、長谷部は幸せそうに目を細めた。
♦♦♦
真夜中。月も顔を出さない暗闇の中で長谷部は審神者の部屋を訪れた。やりかけの書類やその傍にある硯と筆。短刀達からもらった折り紙に彼女の誕生日に皆で作った造花の置物。他にも彼女の私物がたくさんあったが、今それらは粉々に破壊されて転がっていた。そして、部屋の中心に審神者自身も同じようにして倒れていた。彼女の目からは既に生気は失われ、よく出来た人形のように真っ白い手足も投げ出されていた。その形の良い唇に触れてみると、手袋越しでも無機物特有の冷たさが伝わってくる。もうこの唇が長谷部と呼ぶ日は来ない。この瞳が自分を映すことも来はしない。この白く、小さな手が触れてくることも無い。大切な人が死んで、悲しくない者はいないだろう。絶望に打ちひしがれない者もいないだろう。
〝だが、俺は違う〟
ふと、顔を上げると、文机の上にもう動かなくなったこんのすけが無造作に置かれている。その腹の中で一際輝く光があった。長谷部は顔にこびりついた返り血を乱暴に拭うと、こんのすけを持ち上げ、腹を切り裂いた。中から頼りなく明滅している光が彼の手の中に落ちてくる。それを大事そうに抱き締め、愛おしそうに顔を埋める。
「主、行きましょう。前にあなたが見たがっていた藤の花を見に」
眠ってしまった審神者の頭を優しく撫でる。大事に大事に。壊さないよう壊さないよう。心の底から愛しているこの人を一生守ると誓ったのだ。
「ずっと共に」
これから始まる幸福な日々を夢見て、長谷部は笑みを深める。深めずにはいられなかった。
「ねぇ?主」
ちょっとした裏設定的なもの
時間軸
最後から冒頭へが正しい時間の流れです。長谷部が病むほどに審神者を好きになって神隠ししてまおうというお話。
藤棚・屋敷・草原等
長谷部の神域という設定です。屋敷は和風でも洋風でもお好きなように。ご想像にお任せします。
長谷部が出したお茶
肉体から切り離された魂を長期保存・リセットさせる為に飲ませています。私の思う神隠しとは、肉体から魂を無理矢理引っぺがして神域に連れて行ってるという解釈なので、油断すると魂が元の肉体に戻りたがり、記憶も蘇ってしまいます。記憶が完全に蘇ると今の状況に絶望して消滅するという設定です。消滅させない為に自分の神域に自生している植物や神気を込めたお茶を飲ませて肉体との繋がりを弱め、記憶をリセットさせる必要があるので、これから長谷部は一日一杯審神者さんに飲ませなければいけない日々が続きます。ただの介護じゃん。
こんのすけ
破壊された後、剥がしたての審神者さんの魂を一時保存する入れ物にされてしまいました。ほっとくとすぐ昇天したり、幽霊になってしまうので管狐である彼の霊力でシェルターを作り、保存させていました。今回の長谷部は悪い子ですね。