3.5-9 約束ブレイク! 監督生はまた夢を見ていた。
ピンク色のクマのぬいぐるみは、檻を模した籠にそれぞれおもちゃ達を閉じ込めると、ここのルールを演説で言い聞かせる。それはクマのぬいぐるみに無理矢理従わせる理不尽なルールだった。それに不満を露わにするおもちゃ達を無視し、演説が終わってさっさと去って行くクマのぬいぐるみの後ろ姿を見送りながら、漠然と監督生は思った。
出て行って欲しくないなら独裁なんてしなければいいのに、と。
※※※
いつものように日光とグリムの声に起こされた監督生は、未だぼーっとする頭で夢の内容を反芻していた。今日は待ちに待った土曜日。ティーノとの約束の日だ。
「おはよう、グリム」
「遅いんだゾ! それより子分、今日はティーノとの約束の日だからな。忘れてねーだろうな?」
少し船を漕ぎつつ、「覚えてるよ」と言う監督生にグリムは「へへん!」と得意気な顔をする。
「オレ様だって、ちゃんと覚えてたんだゾ。じゃあ、朝飯食いに行こうぜー」
今日は土曜日だが、授業はあるので登校しなければならない。寝起きでまだ少し怠い身体を叩き起こし、監督生はのそのそと制服に着替え始めた。
いつもの待ち合わせ場所に行くと、既にエースとデュースが待っていた。
「おっはよー、監督生」
「おはよう。監督生、グリム。いよいよだな」
「正直不安しか無いけど、なるようになれって感じだわ」
「二人共、校舎に近づいたら、その話はダメだからね」
監督生の指摘にはっと気が付いた二人は、途端に黙り込む。二人はいつかのティーノと同じように、辺りをきょろきょろと見回した。相も変わらず、周囲に変化は無い。
「気にしててもしょうがないよ、二人共。それより早く行かないと遅刻しちゃうよ」
「それもそうね。じゃあ、行きますか」
いつもと同じように欠伸を噛み殺しながら、監督生達は校舎に向かって歩を進めた。
※※※
いつもと同じように授業を受け、いつもと同じようにちょっとした騒動を起こし、いつもと同じように怒られ、いつもと同じように宿題をちょっと増やされ、遂に約束の夜が来た。大勢で付いて行くのは目立つので、ティーノの後を追うのは、魔法が使えない故にあまり警戒されない監督生といざという時、口を割らせるジェイドが行くことになった。約束の時間少し前まで誰が行くか、マジカメで相談し合っていた彼らだが、最終的に決まったのがこの二人だった。それからは驚くほどすんなり話がまとまり、オンボロ寮までジェイドが迎えに行くことになって、監督生は談話室で待つことにした。
「オレ様の分までしっかり働いて来るんだゾ~」
なんてグリムは言っている。自分は出かけなくて良いものだから、気楽そのものだ。それにちょっと仕返しの意味も込めて、監督生はグリムの両頬を抓んで引き伸ばす。「痛ぇ、放せ」と騒ぎ、短い前足と後ろ足をばたつかせてグリムは抗議した。引き伸ばされた顔が可笑しくて、監督生は「そんなこと言う口はこの口か!」と笑った。
「おやおや。随分と楽しそうですね、監督生さん、グリムくん」
聞き覚えのある声が廊下から聞こえてきた。そちらへ目を向けると、ひょっこりと談話室の扉からジェイドが顔を覗かせていた。
「ジェイド先輩、お疲れ様です」
「お疲れ様です、監督生さん。お迎えに上がりました」
グリムから手を放して立ち上がると、ジェイドに近づきながら監督生はぺこりと頭を下げる。
「すみません、遠いのにわざわざ……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。あなた一人で先に行かれて、犯人さんに捕まってしまっても面倒ですから。……それはそれで面白そうですけどね」
「相変わらず、考えることが物騒なんだゾ」
人の悪い笑みを浮かべるジェイドに苦笑いを送り、監督生はグリムの方へ振り向き、先に寝ているように言った。が、グリムは「子分が働いてるのを労ってやるのも親分のツトメなんだゾ」と言って不敵に笑った。最近見た映画の影響か、今夜のグリムは親分風を吹かせたい気分らしい。
「じゃあ、留守番よろしくね。親分」
「大船にツナ缶と一緒に乗ったつもりでいてくれていいんだゾ!」
「ふふふ。何それ、おっかしい。行ってきます」
自分の胸をどんと叩いて変な言い回しをするグリムに、監督生の緊張が少し解れたところで二人は出発した。ティーノは必ず寮から出て行くので、鏡舎から出たところで後を追う予定だ。
「少し急ぎますよ」
「え? うわっ」
ジェイドの一言を合図にぐい、と腰に腕を回され、そのまま肩に担ぎ上げられる。ぐるんっと回った視界に混乱していると、すぐに地面とジェイドの足、辛うじて背中が見えた。そこで漸く、監督生は俵を担ぐようにして持ち上げられたのだと理解した。ジェイドが走る振動に揺られながら、監督生は口で抵抗した。下手に暴れると落ちそうになるからだ。
「ちょっ……ジェイド、先輩! 自分でっ……自分で走れますから!」
しかし、いくら監督生がそう言ってもジェイドは素気なく返す。
「いえ、あなたの小さい歩幅で走るより、僕の歩幅で走った方が速いですから。それに、こうすればはぐれませんし。はぐれた稚魚を捜して、ティーノさんを見失っては本末転倒ですから」
「う……うぅ……はい」
隙の無い意見に、ぐうの音も出なかった。
鏡舎に着くと、ほぼ同時に小さな人影が出てきた。ティーノだ。闇に紛れるためか、式典服を着てフードを深く被っている。顔は見えない。誰かに顔を見られたくないためだろう。こちらも万一のことを考えて、ジェイドは監督生になるべく足音を消すように指示する。それに彼女がこくこくと頷いたのを確認して、ジェイドは監督生を先導しながら後を追う。
しかし、どうしたことか、ティーノは厭に速度を上げて走る。まるでこちらを振り切るように、どんどん速度を上げるティーノに違和感を覚えながらも、二人は付いて行くことしかできない。鏡舎から植物園、メインストリート、学園裏の森と彼の動きは二人以外の尾行を撒こうとしているのではなく、本当にこちらを振り切ろうとしているようにしか思えない。しかも、その間彼は全く止まる気配が無い。
こちらも体力が落ちてきて、ティーノとの距離がどんどん開いていく。それに伴って、違和感も強くなってくる。何故、彼は話がしたいと申し出て来たのに、止まる気配が無いのか。
「ティーノ君……全然、止まる気配、無いですね……!」
「ええ……そうですね……!」
それからも転々と場所を変え、中庭に出た時、普通の人間より体力がある人魚のジェイドでも、流石に少し息が切れてきた。このままでは振り切られてしまう。
足止めをしようとジェイドがマジカルペンを取り出し、魔法を掛けた。背後から足を狙った魔法を驚くべき反射で察知したティーノもマジカルペンを取り出し、煙幕を張る。完全に話をする気は無いと二人は判断したが、遅かった。濃い煙はなかなか晴れず、そのまま動き回るのも危険なので、二人は身動きが取れなかった。やっと晴れた頃には、ティーノの姿はどこにも無かった。
「ティーノ君、どうしちゃったんでしょう……? あんなに追い詰められて、話をしたいって言ってくれてたのに」
落胆する監督生に構わず、ジェイドは先程までティーノが立っていたであろう場所に屈み込み、痕跡を辿ろうとしているようだった。特に何も言わず、何かを見つけたらしいジェイドはそれを取って立ち上がる。
「ジェイド先輩? 何かあったんですか?」
「これが落ちていました」
彼が見せたのは、四つ折りにされた形跡がある一枚の紙だった。折られた面には赤いインクで複雑な魔法陣が描かれている。もしかして、ティーノが落とした物だろうか。そういった意味を込めて、監督生はジェイドを見上げる。ジェイドは一度だけ頷くと、口を開いた。
「残念ながら、僕にもよく読み取れない箇所があります。アズールに見て頂きましょう。彼なら、この魔法陣から作成者まで読み取れると思いますよ」
「そんなことできるんですか?」
驚く監督生にジェイドは邪気の無い笑みを浮かべる。
「当然ですよ、アズールですから」
※※※
翌日の放課後、VIPルームに集まった監督生達は昨日発見された紙をアズールに渡した。今日は全員参加のミーティングもあるので、調査に参加している全員がいる。
「ジェイド、何故昨日拾った時点で僕に報告しなかったんですか?」
「申し訳ございません。昨夜、既にアズールは眠ってしまっていたので、起こすのも忍びなく思いまして」
「関係ありません。手掛かりを見つけたらすぐ僕に報せろと言った筈ですよ。一度言ったことも守れないような無能はいりません。次もやったら、副寮長から退いてもらいます」
「畏まりました」
「ま、まぁまぁ、ジェイド先輩はアズール先輩のことを思って……」
「監督生さんには関係の無いことです。僕はジェイドに言っているのですから」
簡単に言い負かされてしまった監督生は、黙るしかない。困った顔でジェイドを見ると、彼は涼しい顔で微笑んでいる。これは庇い損だったかと考えているうちに、ロランドがアズールに申し出た。
「寮長。その魔法陣が描かれた紙ですが、宜しければ僕が調べても構いませんか?」
「ロランドさん……いえ、これは僕が調べます。あなたには別件で……」
「ですが、寮長。このところ、ラウンジの経営と事件の調査でお疲れでは? 僕に任せて頂ければ、責任を持って調査、迅速に報告致します」
恭しく礼をするロランドに、アズールは逡巡すると、「ええ、良いでしょう」とロランドに紙を渡した。
「良い報告を期待していますよ、ロランドさん」
「ええ、もちろんです。では、僕はこれで失礼させて貰うよ」
監督生達に一度微笑みかけて、ロランドは紙を片手にVIPルームを出て行く。その背中を見送って、アズール達はティーノに言及した。
「ティーノさんは如何致しましょう? 昨日は撒かれてしまい、結局お話を伺うことができませんでした」
「またですか。これで二度目ですね、ジェイド。本格的に副寮長を下ろしてやろうか」
「そんな……! 酷いです、アズール。僕は頑張りましたのに……しくしく」
「嘘泣きは止めろ。……こほん。ティーノさんのことですか。そうですね……撒かれてしまったのは正直、痛手です。同時に彼にはこちらに協力する気が無いと見ていいでしょう。今後の彼についてですが、今は放置します。信用できませんから」
「え~。じゃあ、どうすんの? 黄色ヒオウギちゃんとあの変な紙ぐらいしか手掛かり無ぇじゃん」
フロイドの尤もな意見に一同は頭を悩ませる。ティーノに協力する気が無いとすれば、後はロランドの報告を待つしかない。ここでまた行き詰まってしまったと、一同は黙り込んでしまった。
※※※
アズール達が集まる少し前。ルキーノは中庭を必死の形相で捜索していた。昨日、遠隔魔法の魔法陣が描かれた紙を落としたのだ。どうしよう、バレたらきっとティーノと同じ目に遭う。今度は兄弟だけじゃ済まないかもしれない。そう考えると、それだけは嫌だと焦りだけが加速する。心当たりのある場所は全て探した。しかし、未だ目当ての紙は見つからない。夢中になって探しているうちに、こつんと見覚えのある革靴に手が当たった。
「ひぇぅっ……!」
咄嗟に後ろに下がって、恐る恐るその革靴の主を見る。しかし、そこにはルキーノの恐れていた人物はいなかった。
「どうした? ルキーノ」
そこにいたのはサミュエルだった。取り乱したルキーノを蔑むでもなく、哀れみの目を向けるでもなく、ただ静かにそこに立っている。彼の目から読み取れる感情は僅かだが、侮蔑の感情は見えない。別にルキーノを責めている訳でも無い。しかし、却って静かなその目が彼に言い訳を言わせた。
「ち、違うんです。サミュエル先輩……お、ボク、昨日あの二人を撒くのに必死で、それで……それで、気が付かなくって……わざとじゃないんです! つい不注意で……こ、このことは誰にも言わないで! お願いします! お願いします!」
「………………ルキーノ」
何か言おうとしたサミュエルだったが、ルキーノはそれ以上、何も聞きたくなくて「それじゃあ、ボクはこれで」と早口に言ってその場を立ち去った。
後に一人残されたサミュエルは、ルキーノの後ろ姿を黙って見送っていた。
※※※
「寮長、解析が終わったよ」
あれから二十分程度でロランドは戻ってきた。片手には先程の紙が握られており、彼はテーブルに広げた。改めて見てみると、それは赤いインクで幾つもの陣を複雑に組み合わせて組まれているようだった。そこから読み取れる情報を、ロランドが説明していく。
「大まかな種類に分けると、この魔法陣は三種類の効果が組まれている。一つは火の玉を作り出す魔法、二つ目は火の玉の軌道を操る魔法、三つ目はタイミングを図って火の玉を蒸発させる魔法だ」
「火の玉? じゃあ、今回の事件とは関係無さそうですねぇ」
ジョットの意見に眉を寄せるアズールだが、「続けて」と先を促す。
「この三つの陣の他に、細かく指定が入っている。いつ・どこで火の玉を出現させるか、と」
「ほう。ちなみに指定された内容は分かりますか?」
「これから読み取れる範囲だと明日の午後四時に……座標から言ってオクタヴィネル寮の廊下になっている。確か、これはティーノが落とした物だったね。それなら悪戯の範囲で使う魔法陣だと思うよ」
「なるほど。ありがとうございます、ロランドさん。よく分かりました」
「なんだぁ、事件には関係無さそうじゃん」
にこやかにロランドから紙を受け取るアズールと、それを見ながらぼやくエース。「あまり力になれなくて、済まないね」と謝るロランドに、アズールは「いえいえ、とんでもありません」と笑顔で返した。
※※※
その日の夜。呼び出されたルキーノの顔色は青白かった。彼に呼び出された時、既に事情を知っているような口調だったからだ。自分もティーノのように、仕置きをされるんじゃないかと心底びくびくしていた。部屋の扉が開き、彼が入って来た。びくりと肩が揺れる。恐怖で身体が強張り、振り向けない。彼はゆっくりこちらに近づいて来て、片手でルキーノの肩を抱くように包み込まれる。背後でぱたん、と扉の閉まる音を合図に、彼ロランドは口を開いた。
「残念だよ、ルキーノ1年生。どうしたんだい? 昨日は」
「ぼ……ボク、昨日、逃げるのに必死で……落としたことに気が付かなくって………………わざとじゃないんです! 許して下さい、ロランド先輩……! つい不注意で……」
彼の方へ振り向き、必死に謝るルキーノに、ロランドは溜め息を吐いて哀れみの目を向ける。
「ああ、可哀想に。こんなに震えて。怖がることは無いよ。君はもう、罰することは決まっているんだから」
「……え?」
「もうあの輝く日々は戻って来ない。もうお前なんか好きじゃない。
君の隣に」
「あ……うぅ……! うぇぁああああああっ!!」
がくがくと全身が震え、後退りをするルキーノとその姿をただただ無関心に見ているロランド。ルキーノは何も無い空間を手で振り払いながら、怯え、叫び、やがて気を失った。それを見届けているロランドに、彼の背後にいたジョットは声を掛けた。
「終わったかしら?」
「ああ、終わったよ。全く、冷や冷やさせてくれるね。この兄弟は。お陰で偽物を急拵えする羽目になった」
「……まぁ、ティーノちゃんとルキーノちゃんはともかく、ピーノちゃんは大丈夫だと思うけど……ロランド、大丈夫?」
見ると、ロランドの顔色は僅かに悪い。少し苛立っているようにも見えた。ジョットの気遣いの言葉に、ロランドは首を振って否定する。
「大丈夫だ。……そうだ、大丈夫。僕はちゃんとできている……」
そう独り言のように呟いて、ロランドは米神を指で押さえる。眉を顰めて彼はジョットに向き直り、念を押すように言った。
「僕らの計画は順調だ。ジョット、くれぐれもあいつらに気取られるような真似はするなよ」
「ええ、大丈夫よ。任せておいて」
安心させるように飴を咥えて微笑むジョットは、倒れたルキーノを抱えて部屋を出た。部屋に残されたロランドは、扉が閉まると傍らにある椅子に座り、深い溜め息を一つ零した。