3.5-12 窮地デュエル! アズールからロランドへ、決闘の申し込みがあった日から二日後。決闘の場が設けられた。場所はオクタヴィネル寮の入り口広場。観客は殆どがオクタヴィネル寮生だったが、その中には監督生達の姿もある。挑戦者は前寮長のアズール・アーシェングロット。迎え撃つのは、現寮長ロランド・オルソ。余裕の笑みを見せるアズールに対して、ロランドはいくらか顔色が優れないように見えた。
「三日ぶりですね、ロランドさん」
「アズール2年生、その後どうだい? ウツボ二匹と洞穴で野宿でもしているのかな? ふふふ」
ロランドの失礼な物言いに一瞬、怒りに身を任せそうになったアズールだが、寸前のところで何とか抑え付ける。彼も負けじと言い返してやる。
「随分なご挨拶ですね。普段、地面を這い蹲ってばかりいるから、そんな卑屈な物言いしかできないんでしょうか。可哀想な人だ」
二人の舌戦はどんどん過激さを増していく。
「……そちらこそ、人生で初めて負け組になったんだろう? 僕には分からないからねぇ。負け組の気持ちというものが。どういうものなんだい?」
「あなたには分かりたくても分からないでしょうねぇ。今までこんな風に真っ向から戦ったことが無いのでしょう。いつも後ろから相手を叩きのめすことしか頭に無い、臆病者の考え方ですね。ああ、ここに来る前にも、こちらの寮生の方が仰っていましたよ。今回の寮長は支配者として、経営者として最低最悪だと――」
「口を慎まないか、アズール。それ以上の暴言は許さない」
「あなたが最初に仕掛けたことでしょう。まぁ、いいです。さっさと始めましょうか。こんな茶番に付き合っている程、僕も暇ではないので」
「…………誰のせいでこうなったと思っているんだ」
小声で呟いたつもりだろうが、アズールにはしっかり彼の言葉が届いていた。憎々しげに呟かれた言葉を無視して、アズールは定位置に立つ。ロランドも彼を睨み付けながら、定位置に立った。
「それでは、これよりオクタヴィネル寮の決闘を行います! 魔法以外の攻撃は一切禁止、私がこの手鏡を投げて落ちた時が決闘開始の合図です。それでは……」
学園長がぶんっ、と手鏡を高く投げ、地面に落ちてがしゃんっ、と音が鳴ったと同時に開始の宣言をされる。しかし、二人はお互いに相手の様子を窺っているらしく、すぐに戦いは始まらなかった。睨み合いになる中、ロランドはアズールに呼び掛ける。
「先攻はそちらに譲ろう。どこからでも掛かって来るといい」
「そうですか。では、お言葉に甘えて……」
アズールが詠唱をし、魔法石の付いた杖で地面をとん、と軽く一突きすると、ロランドの足下にたちまち水の柱が昇って彼を巻き込んだ。かに見えた。
「何……!?」
見ると、水の柱はまるで見当違いの場所に発生しており、ロランドは小馬鹿にしたように笑う。
「ふふ。どこを狙っているんだい? アズール2年生。眼鏡の度が合っていないんじゃないか?」
「お返しだ」という呟きと共にロランドのマジカルペンが光り、二つの火球が放たれる。それは単純な軌道で右に身を躱せば、すぐに避けられる。そう判断してアズールは半歩右に移ろうとした。しかし、片方の火球が一瞬消え、半歩移動した先に唐突に現れた。反射的に小さい水の魔法で弾くも、火球の勢いを殺し切れず、少し頬を掠った。
「アズール!」
「大丈夫です。少し掠っただけだ」
ジェイドの声に応えながら、微熱と少しの痛みが走る頬を手の甲で押さえ、どういうことだとアズールは考える。確かにロランドの火球は避けた筈だ。アズールは奇妙な違和感を覚えた。あの一瞬消えた魔法に、何か意味がある。考えている間にも、ロランドの攻撃の手は緩まない。
「ほらほら、休んでいる暇は無いよ、アズール2年生!」
ロランドのペンから黒く禍々しい光りの帯が放たれる。また一瞬、アズールの視界から完全に消え、あり得ない方向から現れた。今度はまともに受けてしまったアズールは後方に吹き飛び、起き上がらない。学園長がアズールの敗北と判断しかけたが、ロランドは追い撃ちをかけようとアズールに近づく。
「ふふふふふ……あはははははははっ! 良い様だな、アズール・アーシェングロット!! やはり、お前は僕より下だ! あれほど啖呵を切っておいて、この有り様とは、いっそ笑えてくるよ」
アズールの顔をもっとよく見ようと、ロランドが彼の顔の近くに屈み込んだ時だった。弾かれたように起き上がったアズールは、ロランドのペンが握られている方の手首を掴み、ぎりぎりと締め上げる。
「なに!? お前、起きて……」
「これだけあなたに近付けば、ユニーク魔法は使えないでしょう!」
「アーシェングロットくん! 暴力行為は――」
「学園長! これは暴力行為ではありません! 僕は彼に手を貸して頂いてるだけです!」
「な、何を言っている! 放せ……!」
掴まれている方の腕を振ろうとしたロランドに、アズールはにやりと笑って忠告する。
「いいんですか? ここで腕を振って僕の身体のどこかに当たれば、立派な暴力行為ですよ!」
「くっ……!」
そうこうしているうちにアズールの魔法石が光り、みるみるうちに氷の塊が作られる。逃げようとするロランドの手首を握り、アズールは口元を歪めて笑ってみせた。
「僕の魔法は痛いですよ」
青い光が弾け、ロランドの身体に氷の礫がめり込んだ。当たる直前にアズールがロランドの手首を放したせいで、ロランドは反対側に吹き飛ばされる。回復魔法を使い、傷と服の損傷を治したアズールは立ち上がり、ずれた眼鏡を直しながらロランドに呼び掛ける。
「暫くは動けないでしょう。無理はしない方が良いですよ。ロランドさん、あなた決闘が始まる前からユニーク魔法を使っていたでしょう。戦っている間、ずっと発動させていたので、精度が落ちたんです。一瞬だけあなたの魔法が消えたように見えたのは、僕の認識能力を操作していたからです。実際、僕の認識から外れただけで、魔法自体は実体を持っていましたから」
「ぐ、うぅ……」
立ち上がろうとするロランドだが、痛むのか少し身動ぎしただけだった。動けない様子のロランドに、学園長が彼の敗北を宣言する。ジョットが駆け寄ってロランドの上体を起こす。そこからアズールは彼の今までの犯行について暴露することにした。
「では、ここであなたが言っていた証拠を提示しましょうか。あなたがオクタヴィネル寮いじめ問題を仕組んだ犯人だということを!」
「アーシェングロットくん、ここでそういうことをやってしまうのは……」
「おや、良いじゃないですか。学園長。裁判も決闘もこういった公の場でやるものですよ。では、まずあなたが犯人だという証拠を見せましょうか。ジェイド!」
アズールの声にジェイドは二枚の紙を持って来た。アズールはそれを受け取ると、観衆に見えるように広げてみせた。そこにはそれぞれ似ている魔法陣が赤いインクで描かれていた。
「まず、あなたは僕になりすまし、僕の悪評を広めようとピーノさん、ティーノさん、ルキーノさんの三人にこの魔法陣が描かれた紙を渡していました。こちらの魔法陣は解読したところ、対象の姿を別の姿に見せる幻覚魔法が三種類描かれています。それぞれ容姿・声・匂いです。学園長、ご確認を」
アズールが掲げた右手に持っている紙を学園長に渡し、確かにアズールの言う通り、三種類の魔法陣が描かれ、尚且つ正しく発動するものと確認された。
「そして、こちらがロランドさんがすり替えた方の魔法陣です。子供の悪戯に使うような火の魔法ですが、慌てて作成したせいで一部間違っており、これでは魔法は発動できません」
左手に持っている魔法陣の一部を指すアズール。確かにそこだけが左右対称の式では無くなっており、基本的に左右対称が求められる魔法陣の世界では、何の意味も持たないものになってしまっている。この紙を調べ直したあの時、アズールはこの一点に気付き、ロランドが犯人だと確信したのだ。これも学園長からの確認が取れ、間違いなくアズールの言っていることが正しいと証明された。
「そして、今日は証人を呼んであります。ティーノさん、お願いします」
その言葉に導かれるようにしてティーノが観衆の中からおずおずと進み出てくる。アズールの隣に立つと、彼の質問に一つずつ答えていく。
「ティーノさん、あなたは最初、どんなことを言われてこの紙を渡されましたか?」
「おれ達三つ子をロランド先輩が呼び出して……アズール寮長になりすまして、悪評を広めて欲しいって、言われました……。おれ達、お互いを人質にされてて、逆らえなくて……」
ティーノの証言に、ピーノとルキーノがばつの悪そうな表情を浮かべる。二人も心のどこかで悔いていたようだった。更にアズールはもう一人、証人を呼んでいると言う。
「サミュエルさん、こちらへ」
呼ばれたサミュエルは何の迷いも無く、アズールの隣に立つ。その姿にロランドは驚き、目を見開いた。
「な、なんでそっちに行くんだ? サミュエル2年生……。君はこちら側の筈だ! それにティーノ1年生もそうだ! 彼に記憶を消させた筈なのに、どうして!?」
「おや、もう隠そうともしないんですねぇ。記憶を消させたそうですが、どうだったんですか? サミュエルさん」
「…………僕のユニーク魔法、
無知とは罪なりは、相手の記憶の一部を消去する。消された記憶は二度と戻らない。だから、僕はティーノの記憶から前の日の夕飯の記憶を消した」
「…………はあ?」
まだよく理解していない様子のロランドに、サミュエルの隣に来たフロイドが追い撃ちを掛ける。
「まだ分かんねーの? ヤコウガイ先輩。イモガイちゃんはぁ、途中からオレらのミカタだったって訳」
「逆スパイ、という単語をご存知ですか? 今回、サミュエルさんには途中から大活躍して頂いたんですよ。しかし、些か危ない賭けでしたね。サミュエルさんが自分から裏切ってくれなければ、僕達も危ないところでした」
ジェイドとフロイドにそう解説され、それまで黙っていたサミュエルが、徐に口を開く。
「ロランド……先輩、あなたは僕がフロイドに嫉妬していると言っていましたよね。だけど、僕がこいつに向ける感情はそれだけじゃない。嫉妬する以上に、僕はこいつらに逆らった方が面倒だと思ったからだ」
「人の弱みを握って利用するような奴らに、積極的に逆らおうとする奴の気が知れない」とサミュエルは溜め息交じりに呟いた。次々明かされる事実に、ロランドはもう何も発言することができない。今の今までサミュエルが裏切っているなんて考えもしなかったのだから、当然だろう。
「そして、サミュエルさんとイデアさんが集めて頂いた証拠は、先程の魔法陣とこれです」
次にジェイドが取り出したのは、ジャック達が取りに行ったあの書類だった。アズールが広げて見せると、そこにはマジカメのあるアカウントの記事が印刷されていた。
「これは今回の黒幕の過去の記事です。僕の悪評が流される数日前の記事を読み上げます。『アズール・アーシェングロットを陥れる計画を練った。詳細は僕の部屋で教える』。現在、記事自体は削除されていましたが、マジカメのサーバーには残っていましたよ。ご協力頂いたのは、イデア・シュラウドさんです。その証明として、ここに彼のサインを頂いています」
アズールが書類の裏を見せると、確かにそこにはイデアのサインがある。ジャック達が見慣れないと思ったサインは彼のものだった。
「そして、彼にこのアカウントの発信元を調べて頂きました。セキュリティが強固でかなり時間は掛かりましたがね。すると、大変面白い事実が発覚したんです」
一拍置いて、アズールはとびきりの嫌らしい笑みを浮かべた。
「このアカウントの発信元は……ロランドさん! あなたの部屋からだったんですよ! 記事が作成されたのは夜中の十一時。他にも、僕を陥れる計画について同様の内容の記事がいくつか散見されますが、その時、ロランドさんは一体どこにいらっしゃったんでしょう。当然、夜の十一時になんて外出されませんよねぇ? 反論はありますか? 反論がある場合は、念の為、このアカウントは本当に自分ではないと証明できればの話ですが」
ロランドは何も答えない。放心しているようだった。
「あなたはジョットさんや三つ子を使って、僕の悪評を広め、オクタヴィネル寮生がいじめに遭うように仕向けた。僕の評判を落として寮長から退かせるために。だから、寮長選挙なんてものをやろうと言い出したり、署名活動をした。全ては自分が寮長になるために!」
ざわざわと観衆が騒ぎ始める。その中心にいるアズールとロランド。両者共、身動き一つしない。ここでロランドが認めなければ、今度こそアズールは容赦しないつもりでいた。しかし、ロランドは俯いていたかと思うと、乾いた笑いを零す。
「はは……ははは。はははははは……」
そして、背後にいるジョットに縋り付いたかと思うと、ロランドは命令した。
「ジョット……時間を巻き戻せ。お前のユニーク魔法なら、できるだろ? この決闘を、やり直すんだ……。次は僕が勝つ! 絶対に! だから、早くしろ!」
いきなりそんなことを言われたジョットは、戸惑いの表情を隠さずに首を左右に振る。
「無理よ。ロランド、あなたも分かっているでしょう? 私のユニーク魔法は、荒唐無稽な嘘は実現しないって。時間を巻き戻すなんて、できる訳ないじゃない……!」
ジョットの言葉にロランドの中で何かが切れたらしく、怒りの形相で彼の頬を打つと声を荒げた。ジョットの眼鏡が衝撃で吹き飛んだ。よろよろと立ち上がったロランドの目の前に蹲るジョット。
「煩い! お前は僕の言うことを、ただ黙って聞いていればいいんだっ!!」
打たれた頬を手で押さえ、次に顔を上げた時、ジョットはロランドを睨み、はっきりと言った。
「ああ、分かった。もう、いい。もう、お前には付いて行けない」
今までの柔和な口調とは打って変わって、ジョットはぶっきらぼうな口調で冷たく言い放った。それに驚く間も無く、ジョットはピーノとルキーノの手を引いてアズール達の隣へ歩いて行く。
「なんだよ……お前も僕の敵になるのか……? ジョット。お前も、僕を裏切るっていうのか?」
「今のお前は間違ってる。俺は……俺達はお前の道具じゃない。俺はそんな奴に付いて行きたい訳じゃない。自分の主人くらい、自分で決める」
「そうですね。ロランドさん、魔法や経営の勉強はできるようですが、人の心の勉強が足りなかったとしか言いようがありませんね」
「人を道具としてしか見られない方は、人の上に立つ資格はありません」
「そうそう。それと、ヤコウガイ先輩ってあんま面白くなさそうだしねぇ~」
「違う…………違う、違う違う違う違う違う! こんなの嘘だ。僕が……僕が、捨てられるなんて……嘘だ、そんなの……嘘だ……!」
ジョットにすら見限られ、ロランドはいよいよ一人ぼっちとなってしまった。かっと目を見開き、焦燥に突き動かされるようにジョットに手を伸ばすが、それすら視線を逸らされて拒絶されてしまう。捨てられる。その言葉が彼の頭の中を巡り、呼吸もままならない。過呼吸気味になり、自分の胸を押さえ付けながらもロランドは叫んだ。
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……! 捨て、られる……! この僕が、また……嫌だ! 嫌だ! 捨てられるのは嫌だっ!! あんな惨めな思いをするのはもう嫌だっ!」
様子のおかしい彼に、アズール達は警戒する。ロランドはその場に蹲り、子供のように喚いている。「嫌だ嫌だ、捨てないで」と。観衆も彼の異様な姿に、距離を取った。しかし、それも少しの間で、ぴたりとロランドは黙ったかと思うと、顔を上げた。その表情は全てを諦めたような絶望した顔だった。
「いや、違う。捨てられるんじゃない……僕が捨ててやるんだ。僕を認めない奴らなんて、僕が捨ててやればいい。ははは……そうだ。僕が捨ててやる! 僕が、お前らみたいなゴミ共を!! もうあの輝く日々は戻って来ない! もうお前なんて好きじゃない!
君の隣に!!」
黒くどろどろした液体のような物がロランドの身体から溢れ出す。彼のユニーク魔法により、監督生は周りの景色が油絵のようにどんどん形を失っていくのを見た。そのグロテスクな光景に、吐き気を覚えたが、ジョットがロランドの前に出てユニーク魔法を使った。
「大したものだね、君は。恐れ入ったよ。それでは、お近づきの印をあげよう。
素敵な商売!」
ロランドのユニーク魔法によってどろどろに溶けた景色が再構成されていく。気が付くと、周りには蹲っている生徒が多くいた。皆、あの光景に酔ったのだろう。
「アズール! 俺がロランドを押さえる! その間に他の奴らを避難させろ! 邪魔だ!」
「分かりました。学園長、皆さんを安全なところへお願いします!」
アズールと学園長が観衆を避難させている間にも、ロランドは魔法で無差別に攻撃する。それらをジョットと双子が魔法で打ち消していく。
「いけませんっ、ロランドさん! このまま魔法を使い続ければ、あなた、オーバーブロットしてしまいますよ!」
「煩い! 煩い! もうどうでもいいんだよ! 全部、全部……! みんなみんな、僕の目の前から消えろ!! あははははははははっ!!!!」
アズールの制止の声にもロランドは聞く耳を持たない。真っ黒な澱がロランドの魔法石を染め上げた。