3.5-13 友情パンチ! ロランドの全身から黒いオーラが立ち上っている。身体は人魚の姿に戻って下半身は軟体になり、肌の色は青白く、髪は硬質化している。手には鋭い爪が生え、顔には黒いインクのような液体で、口元に笑った時のようなラインと頬には涙のマークが浮き出ている。どことなく、道化を思わせるメイクだ。左目にはフランボワーズを思い起こさせる色の炎が灯っている。また、全身に黒いインクのような物でできた操り糸が絡み付き、背後に佇むクマのぬいぐるみのような化身と繋がっている。その化身は全身継ぎ接ぎだらけで、薄汚れているようにも見えた。
「オーバーブロット……!! 何とか他の生徒は避難させましたが、あの認識能力を操る魔法が厄介ですね」
戻って来たアズールは三つ子達を背後に庇う。双子もアズールの両脇を守るように一歩前に出た。
「アズールん時と同じ……!」
「ええ、早くロランドさんを正気に戻さなければ、僕達も危険です!」
「ぼ、僕達も加勢します!」
「足手まといにはなりたくないからな」
「こ、怖いけど、頑張るよ!」
恐怖で膝が笑いながらも、三つ子もマジカルペンを手にアズールの背後から出て一歩、前へ出る。ぎろりとロランドは憎しみを込めてアズールを見る。その目はまともな人間の光を宿してはいなかった。
「お前らは皆等しく、何の価値も無いゴミだ。ゴミはゴミらしく、廃棄処分しなきゃなぁ!」
「ロランド……。早いとこ、正気に戻さねぇと厄介なんだろ。やってやろうじゃねぇか!」
「ロランド……先輩、嫌な人だったけど、死なせる訳にはいかない」
「行くぞ、デュース! ジャック! グリム!」
「お前が偉そうにするな、エース!」
「言い争ってる場合か! 来るぞ!」
「オレ様も加勢するんだゾ!」
ロランドの魔法により、また周りの景色が歪み、形を変えていく。地面や建物が捻り、曲がり、一つの形を作っていく。巨大な槍の形になったそれらは、雨のように監督生達に降り注いだ。ジョットのユニーク魔法でまたそれらは打ち消され、消えていく。突き刺さる直前で消えたそれらに、ロランドは益々怒りを助長させたようだった。
「邪魔をするな! ジョットォ!! どうせ捨てられるゴミの分際でぇ!!」
「お前の手の内は知ってんだよ。おい、お前ら! あいつの魔法は俺が打ち消す! その間にお前らはロランドをボコボコにしろ!」
「命令すんなよ、アコヤちゃん!」
「皆、ジョット先輩の言う通りにしよう! お願いします! ジョット先輩!」
「任せろ!」
ロランドのユニーク魔法は次々とジョットに打ち消され、アズール達の攻撃が通るようになっていく。
「ぐぅううう……! 生意気なぁ……っ!」
水の魔法や火の魔法、時折大釜が飛び交う中、ロランドはアズールに集中して攻撃しているように見えた。
「お前さえ……! お前さえ、いなければ……! アズール・アーシェングロットォオオオ!!」
「いつまでも僕に拘っているようでは、勝てませんよ……!」
アズールの言う通り、ロランドには彼の姿しか眼中に無いのか、両脇からの双子の攻撃やジャックを中心とした一年生達の攻撃を受けても尚、彼はアズールただ一人を親の仇のように睨んでいる。隙を見つけては攻撃し、魔法が飛んでくれば、下がって避ける。そんなことを繰り返しながらも、少しずつだが、ロランドは押されていた。アズールの氷の礫が腹にめり込み、少量の血を吐くロランド。それが止めとなった。
「どうして……どうして誰も僕に従わない!? どうして誰も僕を見ない!? 僕は……僕はただ、離れて欲しくないだけなのに……。認めて欲しいだけなのに……!」
その言葉を最後に化身は消え去り、ロランドの姿も元に戻る。気絶したロランドに真っ先に駆け寄ったのは、ジョットだった。
※※※
ロランドは夢を見ていた。幼い頃の夢。まだ自分が愛されていたと確信していた頃の夢だ。同時にどうして自分はこうなってしまったのか、記憶を辿る。
小さい頃から、ロランドは両親に言い聞かされていた。オルソ家に恥じない跡取りであれ、と。可笑しいな、と幼いながらに思っていた。ある日突然、祖父の事業が上手く行って、ある日突然、家は裕福になり、ある日突然、両親は変わってしまった。オルソ家に相応しい人魚でいなさい。いつの間にか、それが両親の口癖になった。でも、ロランドにはそれがどういう意味なのか、よく分からなかった。今までそんなことを言われたことなど無かったからだ。
今までと同じものを食べようとすると、使用人や母に叱られた。オルソ家の長男がそんなものを食べてはいけないと言われて、取り上げられた。家庭教師が来るようになって、学校の勉強の他に、よく分からないマナーだの、学問だのを習うようになった。習い事も増えて遊ぶ時間も無いくらい毎日が忙しくなった。
エレメンタリースクールに行っても、かつての友達は何故か皆寄り付かなくなった。代わりに、陰で「成金」とか「オルソ家のおぼっちゃま」とか言われるようになった。そんな毎日に、ロランドは段々疲れていった。
ある日の学校帰り。一人で泳いでいると、何だか家に帰るのが億劫に感じた。少し寄り道をしようかと思ったロランドは、今まで通ったことの無い方へ泳いで行った。そのまま泳いでいると、近くの岩陰が何だか騒がしいことに気が付いた。興味をそそられてそちらへ向かい、怖々覗いてみると、そこには三人の不良に囲まれたジョットがいた。彼とは前に一度だけ話したことがある。家族で彼の両親が経営している宝石店へ行った時、待ち疲れてぐずる妹をあやしてもらったことがあった。いじめられているんだろうか。助けに入った方が良いのかな。考え込んでいるうちに、不良達がジョットに迫った。
「ジョット、約束のもんは持って来たかよ」
「あ? 約束? 何のことだ?」
「おいおい、トボけてんじゃねぇよ。金だよ、金! お前ん家の売上金、持って来るって約束したじゃねぇか」
すると、ジョットはわざとらしく「あ~」と意味の無い声を出し、次いでにやりと笑った。
「テメェらにやる金なんざ、1マドルも無ぇから忘れてた」
それから逆上した不良達を、ジョットはものの二分程度で伸してしまった。魔法を自分の拳に纏わせて相手に叩き込む姿は恐ろしいけれど、どこか美しさを感じさせた。
「ジョット、大丈夫かい?」
おずおずとロランドが声を掛けると、一瞬だけジョットは彼を睨み付けたが、相手がロランドだと分かると、少し表情を和らげた。
「なんだ、テメェか」
「怪我とか、してない?」
「俺がする訳無ぇだろ。で、オルソ家のご子息サマが俺みてぇな不良に何の用だ?」
ジョットの明け透けな物言いに、不思議とロランドは不快に思わなかった。むしろ、普通に自分に接してくれる彼に好感すら抱いた。だから、ロランドも正直に言えたかもしれない。
「別に、君に用事があった訳じゃないんだ。ただちょっと、家に帰りたくないなって、思って……」
「ふーん……んじゃ、家出すっか」
「え……?」
ぐい、と手を引かれてロランドはジョットの肩に掴まるように言われ、素直に従う。
「しっかり掴まってろよ」
手首から糸を出してできるだけ遠くの岩に投げて引っ掛け、腕力だけで糸を手繰り寄せて一気に移動する。
「わっ……凄いね、ジョット」
「ははは。だろ?」
「君は家出なんて、したことあるのかい?」
「しょっちゅうだな。親父の奴がうるせぇから、家になんて居たくねぇしよ」
「平気なの?」
「全然! 親父だって諦めてるしな。俺じゃなくて、姉ちゃんが跡継ぐし」
それからロランドとジョットは一日だけ家出をした。もちろん、ロランドは両親に対して後ろめたい気持ちはあったが、それよりジョットと過ごした時間の方がずっと満たされていて、生きていると感じられた。それまで彼らはあまり話したことが無かったが、その日は朝までお互いの話をして過ごした。ジョットは口調こそ乱暴だったが、嫌な感じはしなかった。それどころか、ロランドにとって彼との時間は他の誰より楽しかった。
「じゃあな、ロランド。気を付けて帰れよ」
「うん。付き合ってくれてありがとう、ジョット」
「礼なんていいって。また家出したくなったら、言えよ」
「うん!」
翌朝、いくらか軽くなった気持ちで、ロランドは家に帰った。でも、何も言わずに一日家を空けてしまったから、きっと両親は心配しているだろう。まずは謝らなければ。そう思い、ロランドは真っ先に両親の許へ行った。
「なんだ、あんた生きてたの」
母に会って、最初に言われた言葉がそれだった。聞き間違いかと思ったが、父の言葉にこれは現実なのだと思い知らされた。
「なんで帰って来たんだ、ロランド」
心底面倒そうな、困ったような顔をした父はロランドを一瞥しただけで、その場から立ち去っていく。その後ろ姿に所在なげに手を伸ばすも、届くことは無かった。
その日を境に、ロランドは死んだ者として扱われるようになった。食事を用意して貰えることは無く、弟、妹達には無視をされた。ロランドの私物は全て弟に明け渡された。そんな彼を哀れに思った一部の使用人達は、お腹を空かせたロランドに簡単な食事を用意してくれていた。
被食者の世界では一度親元から離れ、消息を絶った個体は死んだものとされ、一切の期待をされなくなる。存在すら認めてもらえない。今まで両親の愛情を一身に受けていると思っていたロランドの中で、それは全く違うのだと刻まれた。自分は単なるオルソ家の跡取りという人形でしかなく、その役を務められない者は愛される資格も無い。今はロランドのすぐ下の弟が両親の愛情を一身に受けていた。僕は捨てられた。僕の代わりなんて、いくらでもいる。そう思うと、暗澹たる絶望がロランドの頭を支配し、思考を奪った。
「お願いです! 僕をまた息子として扱って下さい……! 今度は絶対逃げません! 逆らいません! お願いします……お願いします……!」
毎日ロランドは両親に頭を下げ、懇願した。今、両親に見放されたら、彼に帰る場所はどこにも無くなってしまう。死者として生きるより、人形として生きた方がまだましだった。そうやって毎日懇願をして一月が過ぎた頃、父の方が折れた。
「ロランド、お前を我が息子としてもう一度、迎え入れよう。だが、次にお前が失敗した時は、分かっているな?」
次は無い。暗にそう言われたが、ロランドにとって以前の生活に戻れるなら、何でもするという気すらあった。
「はい! はい……! ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
それから死に物狂いで勉強し、習い事も毎日全てこなして、人形として精一杯生きた。ジョットともあの日以来、会話することも無く、ただ必死に両親の期待に応えようとした。そして、ここナイトレイヴンカレッジに入学が決まった。
「でも……」
嬉しくはなかった。そんな感情、本当にあったのだろうかとも思った。僕はただ、両親の期待に応えようとしていただけ。自分の意思で頑張っていた訳じゃない。でも、寮長になれば。自分でなりたいと思った寮長になれば、変えられると思っていた。何かが変わると思っていた。だから、前寮長にもアズールにも決闘を挑んだのに、負けた。何が違う? あいつらと僕、一体何が違うって言うんだ! 悔しくて、悲しくて、情けなくて、同時に凄く怖くなった。また捨てられると思った。そう思うと、過呼吸になる。不安と絶望が一度に襲って来る。怖くて堪らない。だから、今度は奪ってやったのに。アズールから寮長の座を奪ってやったのに、また負けた。どうして。どうして、僕じゃない? 周りはいつもあいつばかり見る。僕は一番にならなくちゃいけなかったのに。……ああ、そうか。僕はただ、誰かに自分を認めて欲しかっただけだったんだ。認めて……愛されたかった。漸くロランドは、自分の気持ちを認めることができた。
「……ンド…………ランド……! …………おい、テメェ! いい加減起きろ!」
ごっ、と頬に衝撃が走った。痛みで目を開けると、目の前には怒りと心配が混ざったような表情のジョットがいて、その隣には三つ子がいて、ロランドの周りにはアズール達と監督生達がいた。
「ちょ、ジョットさん! 流石にグーで殴るのはダメですよ!」
ピーノが慌ててジョットの腕を両手で掴んで押さえる。ロランドが正気付いたと気付くと、拳を下ろし、彼の頭をきつく抱き締めた。
「ジョッ……ト……?」
「…………マジで死んだかと思った。心配、させんじゃねぇよ。心臓止まったかと思ったわ」
乱暴な口調とは裏腹に背中を撫でる手はひどく優しくて、ジョットの方が身長が低いから、首が痛いけど、それでもロランドは嬉しくて涙が出た。
「ごめ……ごめん、なさい。ごめんなさい、ジョット……! みんな……!」
自分はまだ愛されている。実の両親には見放されても、ジョットだけは決して見捨てなかった。ロランドは久しぶりに感情のまま、泣いた。