これが夢なら良かったのに 拾弐※三つ編みちゃんと夢主の仲悪いです。
パリンといとも容易くそれは粉々に砕けた。これで四度目。他人を死に追いやるのは四度目になる。彼の見せる夢の中に現れる精神の核。見た目は色が付いた硝子玉だ。これを壊された夢の宿主は廃人となり、あの人が食べやすくなる。この鬼狩りの核を破壊すれば、またあの幸せな夢を見せてもらえる。私が思う、幸せな夢を。
「よくやってくれた。君は仕事のできる子だねぇ」
崩れゆく夢から覚めると、目の前にはあの人がいた。いつものニヒルなあの笑みを浮かべて、「後は任せて」とだけ言い、左手の甲を私に見せるようにして挙げる。そこには唇の無い口が付いていて、それが「お眠り」と唱えると、私を夢幻の世界へ連れて行ってくれる。ああ、これでまたあの時間に行ける。家族との、幸せな時間を――。
「ぐっ……!? がはっ……!」
突如、あの人が苦しげに胸を押さえて蹲った。どうしたのか、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。心配になって助け起こし、顔色を見た。元々死人のように白い肌をしている人だが、今はどこか青白く具合が悪そうだ。彼は鬼だ。鬼は人間を超えた肉体を持ち、病気などに罹る訳が無い。病気ではないとすると、思い当たることは一つしか無かった。
「また……邪魔をするのか。安実……!」
安実。度々、この人の口から聞く名前だった。彼の話では、彼の中にいるもう一人の人格だそうだが、時々こうして彼の邪魔をしようと心臓を強く締め付けてくるらしい。やっと幸せな夢を見られると思っていたのにその直前で邪魔をされ、私は一気に頭に血が上るのをどこか冷静に感じていた。
衝動のままに彼の胸倉を掴み上げ、額同士がくっつく程に顔を近づけて、叫んだ。
「またあんたなの!? 私達の邪魔しないでよっ!! 引っ込め! この人の中から消えろっ!!」
冗談じゃない。ここまできて夢を見せてもらえないなんて許せない。それで正義でも振りかざしているつもりなのか。私達を誰一人として救えないくせに……!
安実とは直接話したことは何度かある。初めて彼女と話したのは、丁度彼の協力者が私を含めて四人になった最近のことだ。四人全員が呼び出され、あの人は目の前で彼女と交代した。初対面は何だか気の弱そうなお嬢さんという雰囲気だった。姿はあの人そのままだから、変わったと言えば表情と纏う雰囲気くらいで、所作がいちいち癇に障る女々しいやつだった。そのちぐはぐな感じが気味が悪かったのを覚えている。その時、聞いた第一声が私達と彼女との立場の違いがまざまざと突きつけられた瞬間だった。
「みんな、こんなこと止めよう」
作戦を聞いた後だったので、彼女の指している『こんなこと』がすぐに分かった。人を殺すのは止めよう。陥れるのは止めよう。そんなことをしても私達が本当に救われはしない。そんなこと、言われなくても痛い程に分かっている。
だからこそ腹が立った。あんたに何が分かるのよ。自分の体すら無い、幽霊みたいなあんたに。あの人の体でしか生きられないあんたに……!
もう私達には後が無い。私は食うに困った家族に売られたところをあの人に救われた。次に入った男は、父親が作った借金のせいで離散したというし、その次に入った女は恋人と駆け落ちして、その先で失ったし、最近入った男は結核で先の人生に絶望している。もう、どうしようもないのに。失った大切なものは二度と戻って来ないのに。
こいつは何を言っているんだ?
「じゃあ、止めるわ」
私の言葉に、あいつはほっと安堵したように息を吐く。でも、その期待を裏切ってやる。
「止めるから、あんたが私達を救ってよ」
「……え?」
まるで考えていなかった。あいつの表情はそう語っていた。その表情と態度が私の怒りに火を点けた。
あの人の体だとしても頭に血が上っていて、加減できなかった。思い切りその胸倉を掴んで揺さぶりながら訴える。
「ねぇ! そこまで言うんだったら、あんたが私達を助けてよっ! 私を家族に会わせなさいよっ! あいつの父親の借金払いなさいよっ! あの子の恋人に会わせてやりなさいよっ! 結核を治してみなさいよっ!! できないくせに! できないくせにっ!!」
次第に力が入らなくなって、私は手を放してその場に蹲って泣いた。彼女は、怯えてただ突っ立ったまま、私を見下ろしているだけだった。
私はただ、彼女に正論を言われたことの意趣返しをしたかっただけかもしれない。でも、どうしてもせずにはいられなかった。根本的な解決が何も無い、生ぬるい場所で育った甘ちゃんに仕返しをしたくて堪らなかった。きっと世の中から見れば、正しいのは彼女の方だ。でも、今の私達にとって彼女の答えは場違いでしかない。失ったものを取り戻すには、どうしてもあの人の夢が必要だった。
だから、私はこうしてあの人の邪魔をする彼女を許せない。あの人が苦しみだすと、決まって私が怒鳴りつけることにしている。そうすると、彼女は怯んで引っ込んでしまうのが常だ。今回も例に漏れず、やっと苦しさが無くなったのか、あの人は胸から手を離した。
「ありがとう。君のお陰でまた苦しくなくなったよ」
「いえ、それなら良かったです。約束通り、夢を見せて頂ければ」
「そうだったねぇ。じゃあ、席に座って」
いつものように座席に座って、その時が来るのを待つ。これでいい。家族に会えるなら、これからも私はどんなことでもするだろう。
「お眠りぃ」
厭に優しい声であの人が呟くと、私の意識は真っ直ぐ眠りに落ちていった。
目の前で泣き喚く三つ編みの少女に、私は何もしてあげられなかった。改めて目の前に突きつけられた彼らの状況に、ただ自分の無力さを嘆くことしかできなかった。私は、魘夢は鬼だ。人に夢を見せ、人を喰い、殺すことはできてもそれで救うことはできない。何より、彼がそれを許さないだろうことは身をもって知っている。私は、無力だ。
でも、それでもそこで立ち止まってはいけない。考えることを止めたら、それこそ誰も救われない。恨まれてもいい。憎まれてもいい。私は、私だけは正しくあらねばならない。たとえ、それが彼らを傷付けることになっても、一度決めたことを曲げるつもりは無い。今は無理でも、いつかきっと――。
なんて、思ってるんだろうなぁ。
三つ編みの少女を見下ろす安実の横顔を眺めながら、魘夢は冷静にそう分析した。この状況を招いた本人で当事者であるというのに、彼はどこまでも他人事としか思っていなかった。
彼はそんなことより、安実が慈しんでいる対象、人間から彼女が責められている様を見ているのが愉快で仕方なかった。今まで正しいと信じて疑っていなかった『人のためになることをする』という信念を、当の人間に真っ向から否定される。魘夢にとってこれ程面白いことも無かった。他人への恨み、憎しみ、妬みを持っている彼らの中で、唯一安実だけが異質な存在だった。
魘夢の食事が終わり、協力者達との顔合わせも終わった後、彼らと別れ、魘夢はにやにや笑いを浮かべながら安実に言う。
「どうだった? 安実。自分が救おうとしてる奴らに否定される気分は?」
「悲しかった? 悔しかった?」と聞いてくる魘夢に、安実は毅然とした態度で返した。その纏う気配に悲しみも悔しさも感じられない。あるのは、決意だけだ。
「魘夢。あなたがどんな手を使おうと、私は絶対諦めない。絶対折れたりしない。今は無理でも、私はいつかきっと……」
「…………いつもの夢物語だねぇ。じゃあ、その夢物語が実現するよう、精々頑張ってね。安実」
一瞬、不機嫌そうに無表情になった魘夢だが、すぐに余裕の笑みを浮かべる。お前は決して俺に勝てる訳は無いけれどとでも言いたげに。
実際彼にとって、安実が自分に勝てる要素など全く無いのだ。人格の主導権は自分が完全に握っていると言ってもいい上に、彼女はお人好しな性格なので、他人を人質に取って少し脅したり罰を与えれば、言うことを聞く。人としても鬼としても自分と比べれば、意志薄弱で遙かに弱い。野心を持つ自分とは正反対な性格だ。
どうしてこんなものが自分の中にいるのか分からないが、彼にとっては考える価値も無い程に些細なことだ。今はこのか弱い可愛い存在を自分なりに慈しみ、愛し、ゆっくりと自分好みに壊すことを至上の喜びとしている。
「大好きだよ、安実」
いつもの愛の告白。しかし、それは同時に死刑宣告でもあると知っているのは、魘夢ただ一人。ゆっくりと時間をかけて、俺という毒でその心を壊してやろう。だって、安実の全ては俺のものなんだから。他の誰にも渡すものか。
最早魘夢の中でとうの昔に姉弟愛を超越した情動が静かに、また激しく彼の胸を焦がしていた。それを表に出さないようひた隠し、まずは告白を無視したことと生意気な態度を取った罰を与えようと、魘夢は口を開く。
「安実、君にはやって貰いたいことがあるから、先にやってしまおうね」
「……やって貰いたいこと?」
きっと彼女は怖くて痛くて泣き喚くだろうなぁ。その時はまたじわじわ苦しめながら追い詰めてあげる。俺という存在を刻み込むために。
これから起こる『楽しいこと』に思いを馳せながら、魘夢はほくそ笑み、左手に付いた口は舌なめずりをした。