海神と迷子 14※ご注意※
・原作には登場しないオリキャラ扱いのギリシャ神様が登場します。
・キャラ崩壊
それでも良いよという方のみ、次ページへどうぞ
ゆさゆさと肩を揺すられる感覚と振動、どこか遠くから聞こえてくる老年の男の声に、千栄理はゆっくりと目を覚ました。
「人間よ、ここで何をしているのです」
千栄理の目の前には、魚の鰭のような耳を持ち、目の下と額に星を思わせる隈取りのようなラインが引かれた、執事服を着ている高年の男がいた。彼女が目を覚ましたのを見るや、すぐさま立ち上がり、少し距離を取る。初めて見る人だと思うと、千栄理は挨拶をする為、立ち上がろうとした。しかし、なんだか体に力が入らず、少しもたげた頭は再び地面に付く形となってしまう。体に力が入らないばかりか、厭に熱い。熱くて胸の辺りが苦しいのだ。呼吸がしづらく、自然と荒くなる息に、目の前の男はただ冷たい眼差しを向けている。
「ここは我が主ポセイドン様の聖域です。お前のような人間が入り込んで良い場所ではない。出て行きなさい」
男の言っていることは聞こえるが、体が動かない。早く立ち上がらなければと思う千栄理は、転がって体勢を変えようとするが、転がることすら上手くできない。どうしようどうしようと気持ちばかりが焦ってしまう中、湖が割れ、ポセイドンが姿を現した。
相も変わらず、汚された下界の海に辟易しながら、ポセイドンは戻ってきた。またあの長い階段を昇り、千栄理が待っているであろう湖の畔に出た瞬間、彼は動きを完全に止めた。
目の前には毛布に隠れるように倒れている千栄理の姿。それをどうしたものかと持て余している様子の従者。一目で状況を理解し、同時に千栄理の様子がおかしいことに気付いたポセイドンは、毛布ごと彼女を抱き上げ、従者に一言放つ。
「戻ったか、プロテウス。……これは余と契りを交わした人間だ。相応に扱え」
従者プロテウスは一瞬、己の耳を疑ったが、そのまま歩き去る主人に付き従うと、真っ直ぐ自室に帰る姿に、先程聞いたことは聞き違いではないと理解した。
ベッドに千栄理を寝かせたポセイドンは、彼女の顔色を見るため、少し毛布をずらす。頬が上気しているが、それとは対照的に顔色は少し青白くなっている。呼吸も荒く、苦しそうで異常に汗をかいていた。
「プロテウス、アスクレピオスを」
「承知致しました」
普段の主人とは少し違う様子を察知したプロテウスは、足早に部屋を出て行く。残されたポセイドンは千栄理の頬に手を添えてだいたいの体温を計る。熱があるのは確実で、ポセイドンは数刻前の自分に舌を打った。その声にふと、目を覚ました千栄理が口元に笑みを浮かべ、「お帰りなさい、ポセイドンさん」と呟く。
「だから、ここに戻っていろと言った。千栄理、何故、余の言うことを聞かぬ」
「はぁ……はぁ……な、まえ、呼んでくれました、ね……」
「そのようなこと、どうでも良い。応えろ」
「……ポセイドン、さんに……はぁ……はやく、あいたかったから……」
湖畔で待っていたら、帰って来たあなたに一番に「お帰り」を言えるから。彼女はただそれだけの為に、あの寒い地下でひたすらにポセイドンを待っていたのだ。たとえ、それが孤独という冷たさを凌ぐ為でも、彼女は健気に自分だけを待っていたと考えると、ポセイドンは脱力し、自分の前髪をくしゃりと乱して笑った。
「本当に馬鹿か、貴様」
「ごめん……なさい……」
「良い。寝ていろ。すぐに医者が来る」
汗ばむ千栄理の額を撫でると、彼女は気持ち良さそうに目を細め、ぽつりと零した。
「ポセイドンさんの手……冷たくて、気持ちいいです……」
離さないでと言うように、自分の手を重ねる千栄理に、ポセイドンはゆっくりとベッドに上がり、彼女を潰さないよう細心の注意を払って隣に寝転ぶ。
「……うつっちゃいます」
「神は病になど罹らん。寝ろ」
頬に滑らせたポセイドンの手をきゅっと握って、千栄理は目を閉じた。
ものの数分で寝息が聞こえてくることに、ポセイドンは内心安堵した。先程よりいくらか顔色は良くなった気がする。しばらくそうしていたが、起こさないようゆっくりとベッドから離れようとしたところで、無造作に投げた視線の先にプロテウスとアスクレピオスが口を開けたまま、こちらを凝視している姿があった。白衣を一応という形で着ているアスクレピオスは肩までの猫っ毛を無造作に右肩へ垂らすような形で適当に結い、無精髭もそのままに煙草を咥えている。彼の肩に乗っている蛇がちらと舌を覗かせた。
咄嗟に槍を持ち出し、「忘れろ」と脅し上げる。孤高の海神が一人の女に付きっきりの姿を見られては流石に恥ずかしいようだった。
「落ち着いてください! ポセイドン様! アスクレピオス様をお連れ致しました!」
「大叔父様、武器出してちゃ患者診れないんすけど」
慌てふためくプロテウスと煙草を口端に辛うじて咥え、のんびり構えているアスクレピオスをポセイドンはじっと見ていたが、やがて槍を下ろし、ベッドから少し離れる。
「診ろ」
「へいへい」
アスクレピオスがベッドに近付くと、肩に乗っている蛇が姿を変え、彼の右目に蛇をモチーフにしたスコープが現れる。カチカチとレンズ周りの蛇が周り、何かを計測しているようだった。
「あー……症状は熱だけな感じすか?」
「ええ。そのようです」
「…………貴様、病人の前だぞ。煙草を消せ」
「ヤニが無ェと頭が回らなくなっちまってんですよ。毎日激務なもんで。大叔父様の依頼じゃなかったら、すぐ来ませんて」
「無駄口を叩くな」
「はいはいっと」
そこでふと、千栄理が目を覚まし、目の前のアスクレピオスに少し困惑しているようだった。
「……あの……?」
「あ、起きた。おはよ。千栄理ちゃん、だっけ? 俺はアスクレピオス。大叔父様のポセイドンさんに呼ばれて、君を診に来た。……まぁ、お医者さんだよ」
「お医者、さん……」
まだ意識が朦朧としているのか、あまり分かっていなさそうな千栄理に、アスクレピオスはスコープを通して様々な箇所を診ているらしく、「呼吸器官は異常なし、と」とメモ書き同然のカルテに書き込んでいく。それからも診察を続け、彼が下した結果は——
「こりゃ、神嫁によくある魂の疲労っすね」
「魂の疲労……ですか」
「嫁ではない」
むすっとした顔をするポセイドンに、アスクレピオスは淀んだ目つきで否定の意味を込めて手を振る。
「いや、大叔父様。そこは正直全然関係無くて、要するに肉体から魂を抜かれて起こる、一種のショック状態……あ〜……知恵熱みたいな感じすよ。神嫁になった子は皆起こるんで一日寝てれば、治ります」
「そうか」
「では、何か冷たい物でもお持ちしましょうか? ポセイドン様」
こくりと頷くポセイドンに「畏まりました」と一礼してプロテウスは退室する。アスクレピオスは千栄理にも同じように説明し、何やらポケットを探って何かを手に取ると彼女の手に握らせた。
「はい、お大事に」
そっと握られた手の中の物を見ると、そこには赤いチェックのフィルムに包まれたキャンディが握られていた。千栄理が礼を言うと、彼は「いいよいいよ」と言って、塩飴だと説明する。
「熱を下げるのに水分補給と塩分も一緒にね。後は普通の風邪と同じ対処してたら大丈夫だから」
「ありがとうございます、アスクレピオスさん」
「ん……」
最後にぽふぽふと千栄理の頭を撫でてアスクレピオスは「じゃあ、帰りますわー」と言ってポセイドンに一礼し、退室した。部屋に二人きりになると、ポセイドンはベッドに座り、千栄理の頭に触れる。頭に次いで頬に触れると、また「寝ろ」とだけ発する。その手を軽く握って千栄理も「はい」とだけ応え、ゆっくりと横になった。