海神と迷子 23※※ご注意※※
・オリジナル扱いのギリシャ神様がいる
・ニブルヘルについてちょっとだけオリジナル設定が加わってます
・キャラ崩壊
以上のことを踏まえて、それでも大丈夫という方は、次ページへどうぞ
目を覚ますと、千栄理はポセイドンの部屋に帰って来ていた。ベッドに寝かされ、体はすっかり乾いている。まだ覚醒し切っていない頭で周りを見ようと上体を起こすと、すぐ傍にポセイドンの姿があった。彼は千栄理の意識が戻ったと分かると、名前を呼び、頬に触れる。
「……ポセイドンさん、私…………」
「ケルピーに誑かされた。あのまま放っていたら、お前は死んでいただろう」
『死ぬ』という単語に千栄理は不思議そうな顔をした。自分は既に一度死んで天界にいるのに、これ以上の死があるのかと。彼女の表情から察したポセイドンは微かに暗い瞳で淡々と告げる。
「この天界にあっても死からは免れえぬ。魂魄であるお前も、神である余すらも……」
「……もし、ここで死んじゃったら、どうなるんですか?」
少しの間、沈黙するポセイドン。その瞳は彼にしては非常に珍しく、迷っているようだった。しかし、それも少しの間のことで、彼は答えを出す。
「消滅する。死体はそのままか、神たる余が許せば、魂の完全消滅となり、跡形も無く消える」
呆然。その単語をそのまま体現した表情に、ポセイドンは何も言わなかった。次第に千栄理の体が震えだし、そのまま後ろに倒れそうになったところを、咄嗟にポセイドンが彼女の手を掴み、腕の中に収めた。指先がひどく冷えている。まるで寒さに震えるように千栄理は縮こまり、ポセイドンの胸に縋る。
「……そ、んな……私、知らなくて……」
「……言っていなかった。余の傍に居れば、死とは無縁だと思っていた」
「ごめん、なさい……ポセ……さ…………ごめんなさい……!」
「良い。お前を、水霊などに渡すつもりは無い」
腕の中で何度も謝りながら泣く千栄理に、ポセイドンは抱き締める力を僅かに強めた。その時、部屋の扉が開く音がし、カップを載せた盆を持ってプロテウスが入って来た。
「ポセイドン様、ホットミルクをお持ちしました。……千栄理様?」
「プロテウス、それを寄越せ」
「はっ」
プロテウスからホットミルクの入ったカップを受け取り、ポセイドンは彼女を優しく離してその手にカップを持たせる。
「ひどく冷えている。千栄理、少し落ち着け」
「ん……ふっ…………うぅ……」
カップから移った熱が逃げないうちに、ポセイドンは彼女の頬を包むように手を添え、涙を拭ってやる。じんわりと彼の手から伝わる熱に、千栄理は漸く自分の生を実感できた気がした。同時に、自分は自分で思っている以上に弱く、下界にいた頃のように簡単に安全が確保されている訳ではないのだとも身をもって知った。
ホットミルクを飲み終える頃には、だいぶ気持ちも落ち着いて、改めて千栄理は謝った。
「ごめんなさい、ポセイドンさん。私、自分で自分の身は何となく守れるつもりでいました。でも……」
不安げな顔で言い淀む彼女の手をポセイドンはそっと掴む。顔を上げた彼女と、今度はしっかり目を合わせる。
「……今度は迷わず、余を呼べ」
「はい……。あ、ポセイドンさん。お仕事は?」
「今日は行かん」
「え。だめですよ。お仕事はちゃんとしないと……」
「一日休んだところでどうということはない。お前が溺れたから尚更だ」
「う……」
痛いところを突かれて、千栄理はそれ以上、何も言えなかった。「体が冷えているから少し眠れ」と言われ、千栄理は横になる。プロテウスが毛布や布団を掛けてくれ、ポセイドンが頭を撫でてくれる。彼女の不安の残滓すら残さぬように彼女が眠るまで、続けていた。
ふと、千栄理は眠りに落ちる直前にあることに気付いた。自分が溺れたくらいで仕事を休むなど、きっと出会った頃の彼ならしなかっただろう、と。もしかしてと思ったのを最後に、千栄理の意識は夢の底に落ちていった。
翌日、千栄理は自分が起きると、傍らでまだ眠っているであろうポセイドンを起こそうと、隣を見た。
「お、はようございます。ポセイドンさん」
隣へ目を向けると、ポセイドンは既に起きていて、じっと彼女の寝顔を眺めていたようだった。
「起きたか」
「はい。今日はヘラクレスさんが迎えに来てくれるので、城門で待ち合わせしてるんです」
「彼奴と共にいるうちはいいが、一人になれば……」
「大丈夫です。危なくなったら、お守りを使います」
「分かっていれば、良い」
そこでふと、千栄理は少し気になっていたことを訊いてみた。胸元の水晶のネックレスを指で摘んでまじまじと見る。
「あの、ポセイドンさん。そういえば、この水晶の中に入ってるのって、松の葉ですか?」
「そうだ。城門の近くにあるだろう。我が聖樹だが、それがどうした」
「いえ、私の故郷にも海辺によく植わっているので、懐かしいなって」
「ほう……」
ぽふ、とポセイドンの手が頭に乗せられたかと思うと、そのままゆっくり撫でられる。どうしたのだろうと千栄理が大人しくしていると、ポセイドンはふと微笑む。その笑みは今まで見たことのないくらい穏やかで優しいものだった。
「余は、お前の国にも手を伸ばしていたのか。知らなかった」
かっと何故か頬が熱くなって、千栄理は反射的に顔を背けた。取り繕おうと発した言葉が震えて、ちゃんと隠せたか不安になる。視線をどこかに落ち着けようとして、咄嗟に時計を見ると、ヘラクレスとの待ち合わせの時間までもう間も無い。驚きと焦りで大声を上げた彼女に、ポセイドンはすぐ顔をしかめ、「朝から煩いぞ、貴様」と窘めた。
「ひーん!」と意味の無い鳴き声を発しながら、プロテウスに手伝ってもらい、何とか出かける支度をし、千栄理は大急ぎで城門へ走った。ヘルメスの靴は一応、持って来ているが、未だ使うつもりはない。
城門を開けると、既にヘラクレスは彼女を待っていた。慌てて謝る千栄理に、彼は気にしなくていいと言ってくれたが、千栄理はもう一度謝り、城門を閉めた。
朝食を食べた後、ヘルメスの靴を借りたはいいが、練習が必要だとヘスティアに話すと、彼女は了承してくれ、今日の配達分を用意してくれる。
「昨日はギリシャ神達にご挨拶したから、今日はインド神達のところに行ってもらおうかしら」
「インド神様……えっと……」
「あら、知らない? あそこはシヴァさんが最高神なんだけれど」
「……お名前は、聞いたことあります」
「あら、シヴァさん可哀想に」と言いたげに苦笑するヘスティアに、千栄理は申し訳なくなって「やっぱり、失礼ですよね」と肩を落とす。それを見てヘスティアは少し考え、「でも、シヴァさんなら大丈夫よ。分かってくれるわ」と助言してくれた。
「後はそうね、今日は北欧神のところにもご挨拶に行かなきゃ。ヘラクレス。悪いけど、今日だけお手伝いお願いしてもいいかしら。今日はシヴァさんのところだけでも量が凄いから」
「オレで良ければ、是非」
ヘラクレスにパンを渡すヘスティアに訊けば、インド神話最高神のシヴァには正妻であるパールヴァティ以外にも第二夫人のカーリー、第三夫人のドゥルガーと、他にも妻としている女神達がいるので、その子供達も共に住んでいると考えると、相当数のパンを運ぶことになる。気の遠くなるような作業になってしまうのではと戦慄する千栄理の様子に、ヘスティアはおかしそうに声を上げて笑う。
「心配しないで。普段は業者さんに頼んでるの。今回はシヴァさんに千栄理ちゃんからご挨拶に行ってもらいたいから、配達をお願いしたのよ」
「あ、そうなんですか。良かったぁ……」
「ふふ、びっくりさせちゃったわね。えっと、後は……これとこれとこれを入れて……。はい、シヴァさんの配達分。お願いね」
昨日とは違って大きなリュックに詰められたパンを受け取ると、なかなかの重みが千栄理の両手に掛かる。ヘスティアに訊くと、これだけで朝食用のパンだけがぎっしり入っているというのだから、驚きだ。この後、彼女はシヴァの宮殿宛にまだまだ作らなければならないらしく、千栄理は「お疲れ様です!」と送った。
「ありがとう。千栄理ちゃんも配達頑張ってね」
「はいっ!」
「千栄理、重いならオレが持とうか?」
「大丈夫です! 頑張ります!」
昨日より重いが、このくらい運び切らなければこの仕事は務まらないと意気込む千栄理を隣を歩くヘラクレスは心配そうに見つめ、彼女に気付かれないように後ろからリュックを少し支えた。