海神と迷子 29※※ご注意※※
・キャラ崩壊
・ロキの毒舌が酷い
以上のことを踏まえて、それでも大丈夫という方は、次ページへどうぞ
ふるふると必死にしがみついてる千栄理を、ポセイドンは振り払うことができなかった。代わりに槍を下ろし、ロキと瞳から視線を外す。彼から殺気と戦意が消えたことに、ロキは驚愕した。
「……ウソでしょ? あのポセイドンさんが人間如きに従うの?」
目の前の光景が信じられないと言うように、驚愕の表情のまま固まるロキ。かと思うと、まるで新しい玩具を見付けた悪童のように歪んだ笑みを浮かべる。武器をしまい、ポセイドンの目の前まで滑るように飛び、にやにや笑いを浮かべて毒を吐く。
「あの最恐神ポセイドンさんが、たかが人間のオンナノコの命令にあっさり従っちゃうんだ? ヤメテ〜コロサナイデ〜って、泣いてお願いされただけで? あはははははっ! マジかぁ〜。こんな笑えることあるぅ〜? 海の神も落ちたもんだねぇ〜」
「ポセイドンさんのこと、悪く言わないでくださいっ!!!!」
ポセイドンがロキを威圧しようと、ついと顔を上げた瞬間、この場で一際大きな声を発したのは、依然として彼の腰にしがみついている千栄理だった。未だ目に涙を浮かべていたが、ポセイドンの腰から手を放すと、ロキの前に進み出る。
「確かに悪いのは私です。お二人の気持ちも考えないで、勝手なことを言ったから……。ごめんなさい。でもっ、あなたにポセイドンさんの悪口を言われる筋合いはありませんっ!!」
未だ体に残る恐怖と緊張に抗い、ぷるぷると震えながらも千栄理は強気にロキを睨む。涙目で睨まれても全く怖くはなかったが、何だか怒られたような気がしたロキは一瞬、口を半開きにして無防備な表情を晒したかと思うと、すぐに邪悪な笑みを浮かべた。
「へぇ〜? ビビりでお花畑の癖に言うじゃん。良い子ちゃん振っちゃってさ。お前、やっぱ嫌いだよ。ポセイドンさんもさぁ、そんなにそいつのこと大事なら、城の奥にでも鎖で繋いで閉じ込めときゃいいじゃん。正直、すっごい迷惑」
「…………貴様のようにか?」
ぴり、とまた空気がひりつく。また戦闘が始まるのではと危惧する千栄理は、不安げにポセイドンを見上げる。
「……ーい…………おーい……」
そこに遠くから聞き覚えのある声がし、そちらへ目を向けた千栄理は、オレンジ色の長髪を揺らしながら走って来るヘラクレスの姿を見付けた。助かったと思い、彼に向かって手を振る。
「ヘラクレスさん!」
「……ちぇっ。ヘラクレスちゃんが来ちゃったか」
「ロキ様、そろそろ……」
「うん。じゃあ、ボク達はお暇するよ。これ以上、ここにいたってしょうがないし。じゃあね」
すたっ、と着地して千栄理の横を通り過ぎて行くロキ。すれ違い様、「あれで許されたなんて思うなよ」と唸るような低い声で言い残し、ロキと瞳は音も無く、去って行った。
「千栄理、大丈夫か!? 怪我は……って顔……っ! 切れてるじゃないか!」
「大丈夫です。私より、ポセイドンさんが……」
見ると、ポセイドンはそのまま帰ろうとし、千栄理に腰布を掴まれて止まった。再び腰に巻き付く彼女の方を見るポセイドン。やろうと思えば、そのまま彼女を引きずって帰ることもできるが、流石にそれはしなかった。
「まだ何かあるのか」
「ポセイドンさん、怪我してます。私ももう帰るだけなので、一緒に帰りましょう? 左手、冷やさないとダメです」
「この程度、問題無い」
「ダメです。バイ菌が入って悪化したら、大変ですし、それに、ポセイドンさんは私が熱を出した時、お医者さんを呼んでくれました。だから、そのお返しです」
「…………好きにしろ」
ポセイドンと一緒に帰るということでヘラクレスはここで別れようと言った。ここまで来てもらって申し訳ない、お茶を飲んで行かないかと千栄理は誘ったが、彼はこのまま人間達の街に向かうと言って去ってしまった。
戦闘で荒らされた道が気になったが、汚れてしまうし、今はポセイドンの手当を優先するため、仕方なく千栄理はできる範囲で土を均し、ポセイドンと帰路に着く。火傷を負った左手に千栄理は「気休めにしかなりませんけれど」と自分のハンカチを簡単に巻く。
「ポセイドンさん、来てくれてありがとうございます」
「……お前が祈ったから、余は応えた。それだけだ」
ハンカチを巻きながら会話をする千栄理は、ぱっと顔を上げて「神様だからですか?」と冗談っぽく言う。そんな彼女にポセイドンは口元を緩ませるだけだったが、彼女にはちゃんと伝わっていた。そっと、ポセイドンの手が千栄理の頬に添えられる。怪我をした方だ。
「……お前に、傷を付けてしまった」
「ポセイドンさんのせいじゃないです。私が悪いんですから」
そのまま黙って見つめていたかと思うと、ポセイドンは身を屈め、顔を近付ける。単純にポセイドンの整った顔と距離を縮められ、照れる千栄理の頬に何か柔らかく、温かい感触があった。
「…………え?」
離れた後も依然として変わらぬ無表情のまま、「帰るぞ」とだけ言って先に歩き出してしまうポセイドン。残された千栄理は頬を赤らめ、その場に呆然と立ち尽くしていたが、どんどん小さくなる彼の後ろ姿に、はっと我に返って追いかけた。今までずっと彼は彼女のことを「嫁ではない」と言っていた。ならば、先程の行為には何の意味があるのだろうと、千栄理は彼を追いかけながら、漠然と考えていた。
城に帰り着いてポセイドンの部屋に戻った際、プロテウスに怪我のことを報告すると、彼は慌てふためいて、アスクレピオスの診療所へ連絡をしようとしたが、「大したことではない」とポセイドンに止められた。怪我をした本人達が冷静そのものだった為か、プロテウスは割とすぐに落ち着きを取り戻し、救急箱を取って来て、千栄理の手当をしてくれた。その間、ポセイドンは近くにいた水の召使いの体に左手を突っ込んで冷やしていたが、すぐにプロテウスに諭され、召使いは解放される。わたわたと若干嫌そうに両手を上げ下げしていた召使いは、解放されると、安堵の息を吐くような仕草をしてから退室して行く。
「痕が残らないと良いのですが……」
「大丈夫ですよ。ちょっと切れただけですし」
「ですが、女性たるもの、お顔に傷など創っては……。やはり、ポセイドン様が責任を取るしかなくなってしまいますので」
「おい、妙なことを言うな」
正確に言えば、ロキに付けられた傷なのだから、責任を取らせる人物としては彼が該当する。しかし、プロテウスの中ではそうではなかったらしい。ポセイドンの方へ振り向き、眉間に皺を寄せて恭しく礼をし、彼に進言した。
「ポセイドン様。差し出がましいとは思いますが、そろそろ千栄理様のお立場を定めなくてはなりません。千栄理様がこの城に来てから、もうかれこれ一月も経っています。千栄理様のためにも、この方に相応しい立場が必要かと」
「必要無い」
ぴしゃりと言い捨て、ポセイドンは手当もせず、仕事に行くようで、壁に立て掛けてあった槍を持って足早に部屋を出ようとする。プロテウスの制止の声も無視して、ポセイドンは退室してしまった。聞く耳を持たない主人に、プロテウスは重い溜息を吐いて、救急箱を片付け始める。その手伝いをしながら、千栄理は訊いてみた。
「プロテウスさん。私の立場、ってどういうことですか?」
彼女の不思議そうな表情に、プロテウスは言おうか言うまいか逡巡し、やがて諦めたように語り始める。
「私は千栄理様がポセイドン様と契りを結ばれたと聞いた時、初めはあの方の従者として契ったのだと思いました。ですが、ポセイドン様の仰ることには、従者でも無ければ、神嫁でもない。と」
確かに千栄理もポセイドンの口から同じことを聞いたことがある。肯定の意で千栄理が頷くと、彼は続けた。
「しかし、いつまでもその状態ではいられません。お二人の間に、周りから見てもはっきりとした関係、立場がありませんと、今回のように千栄理様やポセイドン様に危害を加えようと近付いて来る輩も増えてしまうでしょう。ポセイドン様が一度、千栄理様の立場をはっきり宣言して頂ければ、それ自体が抑止力を持ちます」
「でも、ポセイドンさんは必要無いと……」
救急箱をしまったプロテウスはもう一度、溜息を吐く。
「あの方のことですから、何も考えていないことは無いとは思いますが、これからどうなさいますのやら。私は心配です」
ポセイドンは自分をどうするつもりなのか、さっきの行為は何を意味しているのか。思い出し、また頬に熱を感じながらも、千栄理はポセイドンの気持ちが分からず、俯いた。