生意気な後輩 マレウスとのダンスを終えたロロは、人混みから少し離れ、外気を吸おうとテラスへ出た。皆にジュースを配った監督生は、その後ろ姿を見つけると、同じようにジュースを持って彼の後を追いかける。
「お疲れ様です。ロロさん」
びくり、と少し肩を震わせてばっとこちらへ振り返ったロロは、相手が監督生だと分かると、「ああ、卿か」と僅かにほっとしたような表情を見せる。差し出されたジュースをそっと受け取る彼の隣に監督生も歩み寄って並び立つ。空にはまるであんな事件など最初から起こっていなかったように、嫌味なくらいの満天の星が輝いていた。星から目を背けるように手摺に背を預けるロロに監督生は、特に何も触れず、「綺麗ですね」と星を見ている。
「……卿は、何も訊かないのかね」
「さっき全部聞きましたよ。ツノ太郎から。なんでロロさんがあんなことをしたのか、その後の罰のことも」
「……そうか」
ロロは監督生の表情を覗き見る。その穏やかな横顔からは怒りや憎しみは感じられなかった。と思った瞬間、監督生は淡々と告げる。
「僕、怒ってるんです。ロロさんに」
「は……」
ごく自然にロロを見つめる監督生の瞳は静かなもので、彼は一瞬、よく理解できなかった。一拍遅れて監督生の放った言葉の意味を理解したロロは、はは、と侮蔑とも自嘲とも取れる笑みを浮かべる。
「なんだ、卿も私に恨み言でも言いに来たのか」
「言ってやりたいところですよ。紅蓮の花のせいで、グリムやデュース達、先生まで危ない目に遭って皆魔力を失いかけるし、あんなに穏やかで優しかったロロさんは嘘つきテロリストだし」
「嘘つきテロリスト……」
「でも……あの時、ロロさんの言うことも、ちょっと……分かるなって思っちゃったんです」
「あの時?」
一気につらつらと言いたい放題に言ったせいで渇いた喉を潤そうと、ジュースを一口飲み、監督生は続ける。
「お祭りの日、ロロさんが魔法士に囲まれて生活するのは大変だろうって言ってくれた時です。確かに魔法士の皆との学校生活は楽しいですけど、時々、僕一人だけ魔法が使えないことに、凄く寂しく感じることもあって……」
以前なら、ここで口を挟むだろうロロだが、今は大人しくジュースを飲みつつ、黙って聞いていた。
「そういう時、思っちゃうんです。魔法が無かった世界に戻りたいって」
「……戻る?」
「自分、異世界人なんです。……まぁ、言っても信じられないでしょうけれど」
「……いや、信じるとも」
表情からロロが何を考えているのか、測ろうとした監督生だったが、常の無表情なので、よく分からなかった。簡単に現状を説明すると、彼はそっと探りを入れるように訊いてくる。
「帰る宛はあるのかね?」
「宛はあっても、方法が未だに分からなくて……。学園長がノーブルベルカレッジになら、何らかの手がかりがあるんじゃないかって言ってたんですけどね」
実際には手がかりすら、見つけられずに事件に巻き込まれた訳だが、監督生は敢えてそこには触れなかった。その意図をロロも分かっているのか、何事か逡巡した後、非常に言いにくそうな表情で切り出した。
「この学園には……ナイトレイブンカレッジ程ではないが、転移魔法についての専門書もいくつかある。卿の都合が良ければ、明日帰る前に図書室に案内しよう」
「本当ですかっ!?」
嬉しさのあまり、いきなり手を掴んできた監督生に些か驚いたロロは、またびくっと肩を震わせたが、それだけだった。
「ありがとうございます!」
するりと監督生の手と満面の笑顔から逃げるように手を抜き、口元にハンカチを当ててロロは聞こえるか聞こえないかくらいの声音で言った。
「では、明日早朝に部屋まで迎えに行こう。下手に動き回られて迷子になられては、かなわないからな」
「はいっ! 楽しみにしてますね」
その時、マレウスに呼ばれた監督生は「じゃあ、また」と言い残して会場へ戻って行く。その後ろ姿を見送りながら、ロロはぽつりと零した。
「魔法は、楽しい……。……私は………………」
その後に続く言葉は終ぞ無かった。
次の日、早朝。約束通り、部屋を訪ねて来たロロに、相棒のグリムは驚いていたが、事情を話すと、早朝ということもあってか、「んじゃあ、オレ様まだ寝てるんだゾ」と言ってベッドに潜る。それに苦笑いを浮かべた監督生はロロと連れ立って図書室へ向かった。
「それにしても、ロロさん。昨日の今日でよく許可が出ましたね」
「それは嫌味かね?」
「……まぁ、ちょっとだけ」
「全く……。……私は卿の恨みも買ってしまったようだな」
「あんなことして、買わない方がおかしいですよ」
「……卿はいいのかね?」
急に足を止めたロロにつられて、監督生も歩みを止める。何の意図でそういう質問をしてきたのかは、相変わらず殆ど表情に変化の無いロロなので、分からないが、特に深く考えず、監督生は素直に訊いた。
「どういう意味ですか?」
「卿は今、『あんなことをした男』と誰もいない場所で二人きりだが……」
「ああ、そのことですか。大丈夫ですよ。ロロさん、昨日先輩達に凄く怒られたし、事件起こしたばかりだから、下手なことはできないでしょう? それに……あなたはツノ太郎に勝てないので、大丈夫かなって」
その答えを聞いて損したと言うように、ロロは眉間に皺を寄せ、腕を組んで苛立たしげに右手の人差し指でとんとんと二の腕を叩く。
「生意気な……」
「たまに言われます」
「まぁ、いい。私も魔法が使えない者に暴力を振るう趣味は無い」
「ロロさんが良識ある人で本当に良かったです」
「卿は本当に生意気だがな」
「アズール先輩のが移ったんですよ、きっと」
「アズール・アーシェングロットか。あの男にも腹が立つ……!」
イライラと怒りながら歩き出したロロの後を、監督生は忍び笑いをしながらついて行った。
図書室に着くと、鍵を開けたロロは監督生を中へ招き入れる。柔らかな絨毯が敷かれているお陰で読書の邪魔になる靴音が響かないので、監督生は密かに高級な絨毯かもとどうでもいいことを考えていた。すたすたと迷いなく、奥の本棚へ進んだロロはある本棚の前で止まり、いくつか本を出して次々監督生に持たせる。この世界の本は小柄な監督生にとってはどれもこれも大きくて重い。持たされたこの本達も例に漏れず、大きくて重かった。両手に容赦なく伸し掛る重みに監督生は思わず呟く。
「あの、ロロさん。重いです」
それを聞くと、ロロはふっ、と小馬鹿にしたように笑い、「随分と卿はか弱いのだな」と嫌味を言った。この野郎、さっきの仕返しかと思った監督生だが、最初に煽ったのは自分だと思い出し、内心で反省した。
本を一通り持たされて机が置かれたスペースまで戻ると、ロロは監督生に一冊一冊の内容について簡単に説明する。
「こちらは転移魔法の概略。こちらは基礎、応用。転移魔法に関する陣、構成……は卿には不要か」
「何ですか、その言い方」
「何も? 実際、不要だろう?」
「まぁ、そうですけど……」
含みのある言い方に引っ掛かるものを感じた監督生だったが、あまり気にしないように心がけて本を開いた。少し読んでみるも、転移魔法自体が非常に高度な魔法のため、まだ一年生の監督生には分からないことだらけだ。
「……ロロさん」
「何だね?」
「……わ……かんない、です」
「君は本当に魔法士養成学校の生徒かね?」
「一年で習う範囲を思い出してくださいよ……! 僕、異世界人! 分からないことの方が圧倒的に多いです!」
喚く監督生に呆れて、これでもかと大仰に溜息をついたロロは、本を開いてうんうん唸っている監督生の隣に座って、一緒に本を覗き込む。
「分からないところはどこだね?」
「うわ、近っ!?」
「何でもいいだろう。ほら、私が教えてやるから、さっさと言いたまえ」
「ロロさんってツノ太郎ばりに偉そうだな」と喉まで出かかった一言を無理やり飲み込み、途方に暮れた調子で「もう全部分かんないです……」と言うと、「だろうな」とロロも同意した。
それからはロロに分からないところを教えて貰ったが、監督生の理解力が未だ追いつかないのと、意外にも懇切丁寧な教え方をするロロの組み合わせでは、思ったよりも時間を食い、あっという間に帰り支度をしなければ間に合わない時刻になってしまった。
「すみません、ロロさん」
「いや、なに。他人に教えるのは慣れているが、少し丁寧にやり過ぎたようだ」
「本音は?」
「君があまりにも馬鹿で困る」
「申し訳ないです……」
ちくしょうと思いはしたが、実際分からないのだから仕方がない。今回はここで諦めるしかないかと重い腰を上げた監督生に、ロロは一枚の紙を差し出す。
「? 何ですか?」
「私の連絡先だ。……本を貸し出すことはできないが、転移魔法の基礎くらいは教えてやってもいいのだよ。もののついでに君が帰る方法の手がかり程度の情報も、気が向いたら知らせてやらなくもない」
渋々といった表情で電話番号が書かれている紙を差し出すロロに、「そんな渋い顔しなくても……」と零した監督生だったが、有り難く受け取ることにした。すぐにその場でポケットから出したスマホにその番号を打ち、ワンコールだけ電話を入れると、ロロの内ポケットの中で聖歌のようなメロディーが流れる。スマホを取り出すロロに監督生は「それ、僕の番号です。良かったら登録しておいてください」とだけ言った。
「ふん……考えておこう」
「じゃあ、本戻しましょうか」
「いや、君は早く帰り支度をした方が良いのではないかね? モーゼズ先生を待たせては後が面倒だろう?」
「ああ、そうだ。すみません。では、お言葉に甘えさせていただきます」
先に図書室を出た監督生はロロと一緒に来た道を戻ろうと辺りを見回したが、見回せば見回す程、どの道も通ったような気がして分からなくなってくる。
「えっと……」
「まだいたのかね」
本を戻した様子のロロが扉をきっちり閉めて監督生の背後に立つ。いきなり真後ろから声を掛けられたので、監督生は思わずびくりと震えたが、すぐ振り返ってほっとした。
「もう、びっくりさせないでくださいよ。ロロさん」
「君があまりにもぐずぐずしていたからだろう。君達の部屋はこちらだ」
それだけ言ってさっさと歩き出すロロの後を監督生は追った。
ロロの案内のお陰で何とか帰りの集合時間に間に合った監督生は、忘れ物はないかと軽く荷物の確認をしていた。闇の鏡にはまだ道を繋げていないうちに、また後ろからロロに話しかけられる。
「監督生くん」
「あ、ロロさん。どうしました?」
すっと彼が差し出したのは、タオル地のハンカチ。よく見ると、それは監督生の物だ。
「さっき、そこで落としていたのだよ」
「わぁ、すみません」
「どうした? 監督生。大丈夫か?」
監督生の前にいたデュースがこちらを振り返ってくれたが、監督生は「大丈夫」と告げてハンカチを受け取る。
「ありがとうございます、ロロさん」
「いや、君は少々抜けているところがあるようだな」
その時、鏡への道が開け、一人一人入って行く中、ぐい、とロロに胸倉を掴まれて引き寄せられた監督生に彼が囁く。
「帰ったら、マレウス・ドラコニアにこう伝えておけ。『次はこうはいかんからな』と」
「ふなっ!? ロロ、オマエまだ諦めてなかったんだゾ!?」
「……良いですよ。でも、次も勝つのはツノ太郎でしょうけど」
「子分は子分でいい気になってやがるし……。オマエが戦う訳じゃねぇだろ」
放されると監督生は服に寄った皺を整え、荷物を持ち直して何事も無かったかのようにグリムに声を掛ける。
「行こう、グリム」
「おう!」
白々しく、「交流会、ありがとうございました」と礼を述べて鏡の向こうへ去って行く監督生の背中を睨み付け、ロロは憎々しげに呟いた。
「本当に生意気な……!」
素直なところがかつての弟に少しだけ似ているなと思ったことをロロは後悔した。