海神と恋人 28※※ご注意※※
・始皇帝夢ではありません。
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「は。大層美しく年若い娘だそうで、希?の民を次々と治癒の魔術で癒しているのだとか」
側近の話に、始皇帝は「ほう」と前のめりになって聞いている。しかし、そこから先の話は噂に尾ひれが付いて、突飛な話になっていた。大勢の人の前で宙に浮いて見せたとか、彼女に微笑まれると、向こう一年健康に暮らせるとか、死者をも蘇らせたとか。どれも根拠の無いものばかりだ。
そんな話でもかつて不老不死を求めた始皇帝は側近から全て聞き終えると、好奇心を刺激されるまま、王座からぴょんと飛び上がり、「では、我が宮にその娘を招待する。朕が直々に迎えに行くとしよう」と言って冠を脱ぎ捨て、さっさと出て行こうとした。そこを素早い動きで阻止しようとした側近だが、さっと身を引いて躱されてしまう。
「何をするか」
「陛下、今回こそは宮をお出にならず、私共にお任せください。その娘のことは我々が正式に、丁重に迎えます故」
「不好。それこそならぬ。王たる朕が顔も見せず、使者のみ寄越して我が国に来いと言うのは、礼を欠くというもの。それに、その娘、朕の目で見極めたい」
「は……? あっ!?」
そう言ったかと思うと、始皇帝は跪いている側近の頭上を軽々飛び越え、そのまま真っ直ぐに異常とも言える身体能力で突き進む。楼閣から生身で飛び出し、すぐ下、といっても数百メートルの高さから飛び降りた始皇帝は、城下町の民家の屋根に着地すると、何事も無かったかのように屋根から屋根へ飛び移り、真反対に位置するギリシア地区を目指す。楼閣からさっさと出て行ってしまった主人の後ろ姿を、側近は「ああ、今日もダメだった」と肩を落として見送るしか無く、すぐに迎えの兵を向かわせようと指示を出すのだった。
千栄理が各国で女神扱いされていた頃、当の本人は女神騒動が少し落ち着いた広場にある土産物店で、ポセイドンへの土産を選んでいた。店員や周りの人々が色々勧めたり、見せてくれたりしていたが、これだと思う物がなかなか見付からない。どうしようかと商品棚を眺めていると、ある一画に目が留まった。
そこは棚の一部を囲っており、分かりやすくオーダーメイドのお守り石コーナーと書いてあった。壁には並べてある石の説明表が貼られており、色とりどりの小さな宝石達がガラスの皿に入れて並んでいる。色も形も種類は多種多様で、どれも美しい。興味を惹かれた千栄理は、レジにいる店主に訊いてみようと近付いた。
「すみません、あそこのコーナーは?」
「ああ、あれは石で好きなアクセサリーを造るサービスですよ。昔からお守りにしている女性に人気のものです。と言っても、あまり高価な石ではなく、一般向けの土産物です。アムピトリテ様がお気に留める程のものでは……」
「お守り? じゃあ、中に何か入れられたりできるんですか?」
コーナーの説明をしていた店主は、何故女神ともあろう尊いお方がこんな物に興味を持つのかと、訝しく思いながらも説明を続ける。
「ええ。想い人の写真を入れて大事にしたり、単純に銀粉や金箔を入れて目立たせたりもします。ただ、その場合、強度がやや低くなってしまうのが難点でございまして」
「じゃあ、私、これにします」
「えっ!?」と一瞬、こんな物でいいのかと思った店主だが、嬉しそうに壁に貼り出されている石の説明表を見ながら選んでいる千栄理を見ていると、差し出がましいことは言わない方がいいと思い、開きかけた口を噤んだ。石を選ぶ段階になると、自分の為に色々な土産物を提案してくれた周囲の人々に礼を言って、自分達の生活に戻るよう彼女が言うと、人々は恐縮しつつも、言われた通りにしていった。カストル達は外で待たせているので、早く選んでしまおうと、千栄理はもう一度、石の説明表を見た。
さて、ポセイドンへの贈り物として相応しいのはどれが良いかなと考えていると、ある二つの石の説明を見て、千栄理はすぐに決めた。アクセサリーの種類も決めて、それらの注文カードを持って店主に渡す。
「どのくらいで出来ますか?」
「アムピトリテ様ならば、超特急で加工いたしますよ。早くて明日にでも……」
「え? あの、先約が入っているなら、そちらを優先して頂けませんか? 私は急ぎじゃないので」
「え? よろしいのですか?」
「はい。私は特別な人じゃないので」
店主は千栄理の言葉に不思議そうな顔をしていたが、「女神様がそう仰るなら」と言って、他の客と同じように一番遅い予約として受け付けた。出来上がるのは一週間後だと言われて引換券をもらい、千栄理は広場へ戻った。
広場ではカストル達が千栄理の帰りを待っていて、合流した彼女は「お待たせしてしまってごめんなさい」と謝るも、彼らは気にするなと温かく迎えてくれた。ジェラートはあの騒動で落としてしまっていたので、また新しく買い直し、四人でベンチに座って食べていると、彼らに話しかける者が居た。
四人が座っている真正面に立ったその男は、着ている服からして高貴な身分の者だと分かる。両肩と腹を出すような黒いハイネックに、赤と金の上着が日光に照らされて眩しい。よく見ると、上着には見事な中国風の竜の刺繍が施されている。そして、何より目を引くのはその両目を覆っている目隠しだった。赤い、橋のような模様が入った白い布で覆われているので、一同は一瞬相手は盲目かと思ったが、それにしては動きに一切の淀みがない。男は明るい笑顔を浮かべて、噂の女神はどこかと尋ねてきた。どこか偉そうな態度と口調に加えて、千栄理の噂を聞きつけてやって来たという辺りが怪我を治しに来たというより、好奇心で彼女を見に来たのだと思い、少し苛立ったカストル達だが、努めて冷静に千栄理を隠そうと口を開いた。
「いや、僕らは女神様を見ていなくて、よく分からないな」
「……そうか。それは困ったな。女神なる者がいたら、朕の国に招待し、民を癒やしてもらおうと思っていたのだが、ここに居ないのであれば、仕方ない。他を捜すとしよう」
「あの、あなたの国って、そんなに多くの人が怪我やご病気に?」
これ以上、面倒事に巻き込まれたくないカストル達が制止するも、千栄理は話だけでも聞きたいと言うと、男は「好!」と言って、アーマーリングを付けた手で彼女の手を取った。突然のスキンシップに千栄理はびくりと肩を震わせるも、特に嫌な顔はしない。
「朕の話を聞いてくれるか! そなたは気が利くな。名は何という?」
「私、春川千栄理と申します」
「春川……そなた、日本の者か?」
「へ? は、はい。そうです」
男は千栄理が日本人だと聞いて何やら考えていたが、数回頷いてにこっと微笑んだ。
「そうか、そなただったか。では――」
ひょい、と軽々と千栄理を抱き上げた男はカストル達に向かって「この娘、我が宮に迎え入れるぞ」とだけ言い残し、そのままさっさと立ち去ってしまった。あまりにも堂々とした誘拐事件に、一瞬何を言われたのか分からなかったカストル達は千栄理が連れて行かれる様を見ていたかと思うと、漸く理解したようで皆一様に「えっ? えっ?」と戸惑いの声を上げつつも、青ざめて叫んだ。
「う、うわぁああああっ!! 誘拐ーーーーーーっ!!」
跳躍し、国境の壁をひた走る男の腕の中で千栄理は、カストル達の許へ返してと抵抗していた。だが、男は彼女の抵抗などまるで効いていない。
「いやっ! 下ろしてください! 私、あなたの国には行きませんっ!」
「そう言うな、女神よ。あのままそなたを放置していたら、邪な輩に利用されてしまうやもしれんぞ? それよりは朕の許にいた方が安全だ」
「カストルさん達はそんなことしませんっ! 放してぇ! そ、それに、あなたは誰なんですか!?」
「む? 朕か? 知らずに答えていたのか」
そこで突然立ち止まった男は人当たりの良い笑みを浮かべる。
「朕は中国、いや、世界で唯一の王・始皇帝。治癒の女神よ、朕はそなたを我が宮に迎える為、参じた次第だ」
「始、皇帝……?」
その名前、否、称号に千栄理は先程の自分の発言に青ざめた。始皇帝。かつて古代中国の天下統一を成し得た始まりの王その人が今、自分の目の前にいることに、いっそ恐怖すら覚えた。