あなたの巣の中で彼はいつもうなじを噛んだ。
息を荒げ、背後から獣の様に腰を打ち付け、高ぶる熱の最高潮を狙って肩や首をべろべろと嬲った。
彼は私を、キャンディーを舐める様に全身を舐めしゃぶった。
まるで麻薬の成分でも染み出しているのかと思うほど熱心に吸い出し、痕を残す。
そして快楽の絶頂の瞬間、私の身の全てに自身を刻みつけ、果てるのだ。
うなじを噛むのはアルファの本能。
最近の私がもっぱら噛むのは枕であるけど、その衝動はよく理解している。
この世に存在する二つの性。
男女の性とバース性。
生命の1%に発生するオメガ性はアルファ性を凶暴にする。
オメガが発する抗い難い強力な発情フェロモンが、たとえ双方が望まずとも支配し、オメガを巡る争いを起こす。
10歳でアルファに目覚めた私は、バース性が自分の潜在能力に依存する強さだと気付いた。
しかしフェロモンがその能力を邪魔している。
度々発情フェロモン惑わされながら、私はバース性をコントロールする事が人間を守る為になると悟った。
アルファとオメガの高い潜在能力が、魔族との戦いに打ち勝つだろうと信じたからだ。
かくして私は心身を鍛え、コントロール薬を調合し、自らの信念で世界を救った。
バルトスから託されたヒュンケルがアルファである事を見抜いた時、私は勇者アバンから家庭教師へとジョブチェンジした。
子供の頃から教育出来れば、バース性による偏見を無くす事が出来るかもしれない。
そんな思いで、アルファの子供達に輝聖石を託した。
生き別れたヒュンケルと再会したとき、私は自分の信念が間違ってはいなかった事を証明したのだ。
そしてヒュンケルがフェロモンに左右される事なくパートナーとして選んだ時、私は私の調合したコントロール薬は、どこまで抗えるだろう? と、彼の手を取りながら神に祈った。
御伽噺のように語られる「運命の番」
それが現れた時、彼は私を捨てるのだろうか? 私は彼を捨てるのだろうか。
久しぶりに屋敷に戻ってみると、部屋はヒュンケルが去ったときのまま静まり返っていた。
彼は全国各地に復興支援に旅をしていて、年に数回帰ってくる。
私もフローラ様の執政を手伝ってほとんど此処へは帰らないので、屋敷の中は少し誇りっぽい。
祖国の為にとあれこれ動いていたのだけれど、少し無理をし過ぎたようで体調を崩し、本日フローラ様直々に屋敷に叩き込まれてしまった。
ヒュンケルが使ったカップ。
ヒュンケルが読んだ本。
ヒュンケルと過ごしたソファ。
屋敷には彼の足跡がそこ此処に残る。
会えない時はヒュンケルの事はあまり考えない様にしていた。
想うと寂しくなるから。
きっと元気でいるだろうと信じている。
一年前までは、少年だったヒュンケルを探してずっと考えていたのに、彼と愛し合うようになってからは、以前とは違う心で彼を想っている。
クローゼットで室内着に着替えていると、ヒュンケルに与えたコットンのシャツが目に入った。
旅には向かないからと彼が屋敷に置いていったもの。
麻よりも柔らかく、絹よりも素朴な白に袖を通した。
カチリとしたシャツは肩が凝るというので、袖がボリュームのある形だった。
ふわりと匂ったのは石鹸の香り。
彼の香りはもうしないけれど、一緒にお風呂に入った時を思い出した。
若い盛りの彼の様子に、いたずらに刺激して返り討ちにあった。
彼のシャツを羽織りながら、彼が肌触りが良いと言っていた、彼のお気に入りのブランケットをベッドへ連れて行く。
クッションを何個も並べてそれを背にしてシーツに潜り込み、ブランケット抱え込んでベッドの中で丸くなる。
背中に当たるクッションが、ヒュンケルの腕の中にいるような錯覚を起こさせる。
少し頭がぼーっとする。
熱があるのかもしれない。
風邪を引くと人恋しくなるものだ。
そろそろヒュンケルが旅から帰ってくる頃だろう。
いつも、旅の疲れもあるだろうけれど、自分の罪に打ちのめされ少しやつれて帰ってくる。
そんなヒュンケルを癒すため、羽を休める巣の中をあたためて、彼が帰ってくるのを待っているのだ。