ジャンケンで負けた方が一枚脱ぐ大包三日
二振りして宴会を抜け出した。
他の連中の目を気にするのが面倒になったからだ。
酒というのはいつまでも酔い続けられるものではないし、夜だっていつまでも続くわけではない。
誰の部屋でも良かったが、三日月の部屋の方が近かった。気分が良くてつい声が大きくなりかけては、人差し指を立てた三日月に「しい」と言われながら部屋に縺れ込んで、灯りもつけずにそのまましばらく絡み合う。
だいぶ我慢していたのだ。宴の傍らちらと相手に目をやっては目配せを送り返すようなことを繰り返し、それでも距離が近づけばきっと箍が外れてしまうと思い頑なに別々の輪に留まり続けた。
自分たちはだいたいそういう風に過ごしている。だから誰も気付いていないはずだと、大包平はそう思っている。
ところが、実は三日月宗近は大包平のものなのだ。誰も気付いてはいないがそうなのだ。大包平は勝者である。何の、と言われても困るが、運命の勝者と言ってもいいだろうし、刃生の勝者という表現もある。とにかく俺の勝ちなのだ、見ろ。
誰にともなくそのような猛る気持ちを一通り噛み締める。美味い。
三日月宗近はちょうどいいくらいの強さで大包平の背に腕を回し、とても意味深い調子でそこをゆっくりと撫でる。ふわふわとした幸福感が大包平を襲い、夜の長さを思って腕に力を込めた。
少し離れた広間から、いまだ宴たけなわにある刀達の笑いや、唱和する声が夜風に乗ってやってくる。それが、何だか煽られているような、大勢に見物されているような奇妙な興奮を呼び起こし、大包平は三日月に口付けた。三日月は口を三日月型にしてからゆっくり開く。部屋が暗いので互いの皮膚の感覚は鋭敏だ。暗い巣穴で交尾する獣もこんな気持ちに違いない。大包平は三日月の着ていたものを思い出しながら、帯の辺りを探った。ところがだ。
「大包平、じゃんけんをしよう」
甘ったるい唾液で濡れた唇で、三日月宗近はそんなことを言い出したのである。
「……今か?」
「そうだ」
三日月の顔は期待に輝いている。いや、暗くてよく見えないが彼はいま確かにそういう声を出した。
「じゃんけんをして、負けた方が一枚ずつ脱ぐ」
お前……大包平は思わず呻いた。それは野球拳とかいうやつではないか。本丸の中でも飛び抜けて羽目板の緩い連中が……そう言えばさっき誰かがやっていた。
「やろう」
三日月宗近は渾身の色気を振り絞り、艶の付喪神が生まれるのではないかと思えるほどの声でねだった。これを買わない大包平ではない。
「わかった、受けて立とう」
その代わり、と言って大包平は身を起こした。
「灯りをつけるぞ」
「もちろんだ」
三日月の部屋には電気照明というものがなく、油を燃やす昔ながらの燭台があるだけ。灯りを入れても大して明るくはならない。それが逆に艶かしい陰影を生んで、三日月の白い頬が柔い色に揺れている。大包平はこの趣向を気に入り始めていた。むろん、負けるつもりは一毛もない。この、歴史上二つとない優美の刀に、ストリップショーをさせてやるのだ。
その決意を知ってか知らずか、三日月宗近は瞳を潤ませて微笑んだ。
「じゃんけんほい!」
三連勝である。
これまでの戦績上三日月宗近に対するじゃんけんの成績は負け越しであったはずだ。が、今夜の大包平は違った。負ける気がしない。
三日月宗近は目を細め、「強いなあ」と言いながら瑠璃色の大物から頭を抜いた。乱された髪が頬にかかり、焚き染めた香りがふわりと漂う。それを無造作に傍に落とした。
今日の三日月宗近の装いは、防具抜きの狩衣だ。宴席だったこともあり、いつもの作務衣よりはだいぶ手駒がある。対する大包平もまた、防具なしの正装である。枚数はこちらの方がずっと不利だ。しかし大包平にはツキがある。おまけに三日月宗近は酔っている。この妙な遊戯を思いついた時点でそれはもう相当酔っているはずである。
「俺の勝ちだな」
不敵に笑い、もうひと勝負する。やはり大包平の勝ちだった。
三日月宗近は袴の紐を緩める。いつもなら手を貸すところだが、今日は違う。大包平はふんぞり返って三日月が衣を落とすのを見物するのだ。不器用と言いながら三日月も、今夜はいつもより指先がよく動く。見られているのをーーしかもただ見ているわけではなく、夜の奥深く二振りを待っている秘めたる宴の余興として目を楽しませるのだーー知りながら、より大包平を喜ばせるように衣をはいでゆくのだから、彼もその気である。
「じゃんけんほい!」
掛け声の色気のないことだけが悔やまれる。が、勝負と色欲の悪魔合体に血を滾らせる身にとって、この程度の瑕疵など目を止めるに値しない。三日月宗近は美しい。匂うが如く、滴るが如く美しい。そのうえ、大包平に惚れている。自分から袴をほどき、足を抜き出し、単をはだけて肩から落として見せ、花弁のように崩れ落ちた幾重もの絹の上で、ふくれた花芯のような肌をわずか残された小袖と肌袴で隠し、濡れた目をしてこちらを見つめるほどに骨抜きである。この、高貴な男が。
「じゃんけんほい!!!」
「よしッ!」
大包平は拳を握りしめた。これで三日月宗近の身に残るはあと一枚だ。
「大包平」
三日月宗近は首を小さく横に倒し、ゆったりと尋ねる。
「どちらがいい?」
無論、小袖を脱ぐか肌袴を脱ぐかという意味だ。大包平はしばらく思案し、「下」と短く所望した。三日月宗近は恭しくも「御意」と答え、しずしずと下袴の紐を解きゆっくりとずらす。燭台を左に置き、これまでに脱がされた色々の衣類の真ん中で膝立ちして、いかにも不本意という仕草で、白い肌着がゆるゆる降りてゆく。しかし不本意であるはずなどないのだ。その証拠に俯いた三日月宗近の華奢な口元には明らかな笑みがある。大包平は手を伸ばし、その顎を掬い上げた。
「こっちを向けよ」
「……ご無体な」
耳元を赤くして三日月はそんなことを言う。戯れ以外の何かであるはずもないのに、思わずごくり喉が鳴るような、儚げな風情がある。下履がはらりと微かな音を立て膝まで落ちる。遠くに宴席のざわめき。
「まだ何もしていない。無体はこれからだ」
三日月は顎に絡む大包平の指を取り、唇に当てた。
「俺を、負かすか?」
「当然だ」
「「じゃんけんほい!!!!」」
「……強いな、俺の負けだ。大包平」
三日月宗近は剥かれた果実のように、あるいは羽化したばかりのまだ白く畳まれた翅をもつ生き物のようになった。触れたら指の形に色が変わってしまうのではないかと思うほどに無垢で、しかし触れられるためだけに座っている。
大包平は華々しい勝利の余韻を楽しみ、その報酬の美しさを楽しむ。古代ローマの英雄にもこれほどの褒美をとった者はなかっただろう。
「今宵はお前のものだ、好きになされよ」
三日月宗近が雰囲気たっぷりにそんなことを言う。
「悪くない」
手を伸ばし、王が美しい奴隷にするように頬を撫で、頬に流れる髪と額を隠す髪を手のひらで避け、品定めする目でじっくりを顔を眺める。
三日月宗近は大包平にこんな風に見られるのが好きなのだ。今も瞳を蕩けさせ、薄く開いた唇で息をしている。いじらしいと思うと同時に、制御できないほどの飢餓感がうまれる。大包平は、己の手綱を手放した。そのひととき、背から湧き上がるような喜びを味わうことができる。三日月宗近を抱き寄せると、自分がまだカフスも緩めずにいることを思い出し、大包平は胸のボタンを毟るように外す。ところがその焦る指を、三日月宗近がそっと押さえた。
「だめだぞ。俺はまだ一つも勝っていないからな」
「は……?」
何の話か、問いかけたところで大包平は正気に戻り思い出した。じゃんけんの話だ、きっと。まさか、まだ続いているのか……?
「もちろんだ。もうひと勝負するか?」
負けなければ三日月と同じ姿になれないのだとしたら、勝負するより他にないだろう。
「お前が負けたら?」
もう脱ぐものが一つもない三日月宗近はそうだなあ、と首を傾げて、「ならお前の言うことを何でも聞こう」と答えた。もうここまで来て何でももないだろうと思ったが「縛るなり写真を撮るなり好きにすればいい」と言うのでそれで手を打った。
「じゃんけん、ほい」
ささやくような三日月宗近の合図に合わせて手を出す。
また勝った。
おいまて、もう負けていいんだぞと、大包平は握った拳に語りかける。今度こそしっかりやってくれ。
「じゃんけんほい」
「おい、冗談だろう!?」
どうなっているんだ、と大包平さすがに頭を抱えた。もうこの際シャツはいい。せめてパンツを何とかしなければ。いや、待てよ。
「三日月宗近、……お前俺の癖を盗んでいるな?」
問われた三日月は悪びれずに小さくうなずいた。この上なく嬉しそうに。
「貴様……」
易々と盗まれたことも悔しいが、ここまで気づかなかったのがまた悔しい。
大包平は文句を言ってやろうと口を開いたが、三日月宗近の顔を見るやどうでも良くなってしまって、取り敢えず言った。
「わかったから早く勝てよ」
口にすると笑いそうになる。この刀はわざわざ好き好んで自分から全敗してストリップショーを演じた上に、「なんでも言うことを聞く」カードを二枚も寄越したのだ。
「そんなに俺にいたぶられたいのか」
三日月はコクコクと二回うなずいて、大包平に掌を見せた。大包平は堂々たる後出しで拳を出して、そのまま三日月のうなじを引き寄せ口付けた。
「お前といるときはいつもいやらしいことばかり考えている」
離れ際に甘ったるい声で三日月宗近が囁いて、大包平は「よくわかった」と笑った。
おわり