Fierté de l'artisan 森の奥、多くの者が見落としてもおかしくないような茸を、ニスロクは見つけた。匂いを嗅ぎ、目と鼻で状態を確かめる。良い頃合い品とわかると、丁寧に摘み取った。
「黒い宝石だ」
仕事の予定を確かめる。幸い、急がなければならない依頼はない。
「急がなければ」
食べごろを逃さぬように。途中で食材を探しながらアジトへ向かった。
ニスロクに気付いた青年が、きつめの三白眼を和ませた。
「おう、ニスロクじゃねえか。元気にしてるか?元気なら何よりだ」
「ラウム」
「おう、ラウムだ。アンタの料理美味かったぜ。俺は受けた恩は返す。なあ、何かできることはあるか?」
言葉は乱暴だが、口調は温かい。しかし、料理の助手をさせる気にもなれず、荷運びの用もない。今日作る料理は一人分なので、ニスロクが持ってきた分で事足りる。
「今のところないな」
「そっか。何かあったらいつでも声かけてくれよな!」
去ろうとした青年をニスロクは呼び止めた。
「待て」
「ん?何だ?」
「お前、ここは長いのか?」
「長いか短いかっていえば、一番古顔なのはブネ達だけどな。ここにいる連中の顔と名前くらいは分かるぜ」
呼んできてやろうか?と自らの胸を指さすラウムへ、ニスロクは頷いた。
「今日はいるのか?」
ニスロクも含めて、ソロモンと縁を結んだメギド達全員がアジトにいるわけではない。全員が仲良しこよしという訳でもないのは、メギドクエストで明らかになっている。最も、目の前の男は、料理のことしか考えていないのはラウムにも分かる。探しているということは、食材に関することか、料理の依頼をした者がいるのだろう。
「誰か分かれば呼んでくるくらいはいいぜ」
「そうか。では、柘榴みたいな赤い髪の男だ。カイムと言ったか?背の高い、我が君我が君と騒がしい男なんだが」
「ああ、いるぜ。今日はアジトの部屋の整理してる」
「整理?」
メギドは概して整頓が苦手だ。怪訝そうな顔をするニスロクの前で、ラウムが声を作った。
「我が君のお住まいをごみ溜めにしておけません!だってさ。でも、アイツ呼ぶんならソロモンに頼んだ方がいい」
「承知した。それと、厨房が開いていれば使いたい」
「そっちは今見てきてやるよ」
「ありがたい」
踵を返したニスロクの黒髪が、折からの風に大きくなびいた。
最初は眉をひそめたカイムだが、ソロモンが話を聞いてくれというと手を止めて厨房へ向かった。
「何かお手伝いいたしましょうか?」
「では、そこのジャガイモの皮を剥いてもらおう」
「我が君のために料理を作ってくださるのなら、いくらでも手伝って差し上げますよ」
芝居がかった口調だが、調理をするカイムの手つきは正確だ。おそらく、日常的に料理をしていた時期があるのだろう。ニスロクは少しばかりカイムに対する認識を改めた。
「おや、キッシュですか。いいですね」
目を細めて微笑む口元には、いつもの冷ややかさはない。
「好きか?」
「ええ」
「それは良かった」
ニスロクが天火にキッシュの皿を入れた。焼く間に包丁を研ぎ直す。
「?我が君に私の好物など関係ないでしょう?」
首を傾げながら、カイムは使った道具を洗った。
焼けるのを待つ間にスープも作る。黒い宝石と呼ばれる茸が珍重される理由は、希少性と味の良さだけでなく、その芳香にもある、素材の味を引き立て、深みを増し、食欲をそそる香りだ。シトリーがいたら食べたい、と美しい顔に恍惚の笑みを浮かべたことだろうここにいない女戦士の顔を思い出したカイムがくすりと笑った。
「どうした?」
「いえ、ここには貴方の料理のファンがいますから。申し訳ないですが、我が君の分を確保した残りしか彼女には差し上げられませんが」
「そいつのために俺は来たわけではない」
「では、誰の……ああ、聞くまでもありませんね」
カイムが髪をかきあげた。揺れる赤にニスロクは、林檎より柘榴を連想した。遠い異国で冥府の実、人肉の味とも呼ばれる果実の赤だ。
スープをよそい、焼けたキッシュを切り分ける。
「お前の部屋はどこだ?」
「特に決まっておりません」
「では、ここで食え。早くしないと冷める」
「これは、我が君のための料理ではないのですか?」
「この前、お前から黒い宝石を譲り受けただろう?」
シャックスのために特製のキノコ料理を作った時のことを言っているのだろう。すると、カイムは首を横に振った。
「あれは、我が君のためのものです。我が君が使ってよいとおっしゃったのですから、貴方はただ料理をすれば良かったのです」
「俺は、お前のためにこれを作った」
「はい?」
食材を見た時、思い出したのだという。
「食材の恩は料理で返す。それだけだ」
「いかにもメギドな私達らしいですねえ」
カイムがクスクスと笑った。仰々しいほど大げさに髪をかきあげ、上を向く。
「ですが、我が君をさしおいて私が食べるわけには参りません」
「では、ソロモンを呼べ」
幸い、キッシュは大皿料理で切り分けて食べることができる。スープも一人当たりの量は減るが、取り分ければ良いだけのことだ。ニスロクは厨房の入り口を指さした。
「かしこまりました」
道化師が、完璧なお辞儀をした。
少年がキッシュを口に運ぶ。
「うん、うまい!シトリーがいたら悔しがるだろうなあ」
「そうですね」
相槌を打ちながらカイムもキッシュを食べる。丁寧な所作は、異端審問官という特殊な身分で、厳しい教えを受けてきたことをうかがわせる。夢中で平らげてくれる相手も嬉しいが、綺麗に食べる者を見るのは悪い気がしない。皿を傾け、スープの最後の一滴まで飲み干すソロモンと、ナフキンで上品に口を拭うカイムをニスロクは交互に眺めた。
「ごちそうさん。俺まで食べちまったけど、二人ともありがとうな」
快活に笑うソロモンへ、カイムがにっこりと笑い返した。
「我が君に喜んでいただけるのが、私めの歓びでございます」
「もうちょっと気楽に接してくれると嬉しいんだけどな。まあ、仕方ないか」
メギド達の口調や仕草は全員独特で、それは個を重んじる彼らの在り方にも深くかかわっている。彼らの立ち居振る舞いにソロモンも慣れてきていた。
「我が君、今日は女王陛下とご会談ではありませんか?」
「おっとそうだった。俺行かなきゃ。後片付けできなくてごめんな!」
ぱたぱたと走り去るソロモンを、カイムが見送った。
「では、私も片づけを終えたら戻ります」
「待て」
ニスロクがカイムの目を覗き込んだ。
「お前、まだ満たされていないな?」
ニスロクは、料理で多くの者を満たしてきた。ある者は美食に満ちたり、ある者は思い出の料理に心が満たされたと喜んだ。料理より高額な依頼料と高価な食材を使わせる特権に快感を覚えている者もいないわけではなかったが、それでも、依頼人の求める何かを満たしてきたのだ。しかし、目の前の男は違う。まだ、空っぽだ。おどけた仕草に、仰々しいまでの言葉に上手く隠しているが、虚無を抱えている。
ニスロクの視線を受け止めたカイムが、秀麗な顔に笑みを張り付けた。
「私は道化でございます。道化は王あっての者、私の実などどうでもよいのです」
くるりとその場で一回転する。異端審問官の赤に彩られた、道化の衣裳が翻った。
「道化でも腹は減る」
「ええ。ですから、また我が君のために料理を作りに来てくださいね」
笑い続けるカイムのおとがいをニスロクが掴んだ。
「離していただけますか?」
「また来る。その時はお前と、ソロモンの好物を教えろ」
料理人は腕を振るい、腹と心を満たす。誇りにかけて、ニスロクは告げた。
カイムは厨房を片付けてから部屋の整理に戻った。
「誰も、私を満たせる者などいないのですよ」
小さく呟いた。この胸の虚無は、何をしても埋まらない。学び、知識を身につけ、人に会って異端を問いただした。いくら問答を重ねても、答えは得られなかった。この身を捧げると決めたソロモンでさえも、満たすことのできない虚無をおどけた仕草に隠して、道化は一人で踊った。