美貌の人妻とのキスの後、煙草を切らしてるんで口寂しくてなといった男が誰だったかを思い出すのに数日かかった。脳内検索能力の多大なる衰えをひしひしと感じる。最初はカサブランカ的なクラシック洋画かと思って当たりをつけたもののそういえばこれはマンガのセリフであった。ちょっと前のいかにもなシチュではある。この口寂しいから唇吸っちゃったというのはまあ欲望の言い訳と照れ隠しだろうけど、実際ふと訪れる手持無沙汰さがそういう行為につながることはあるだろうなと思うことも無くはない(どっちだよ)。例えばMT乗りがたまにAT車を運転したりするような時である。街中だとMTはもう意味もなくギアをガチャガチャさせつつ運転しているようなところがあり、それに付随して左足も何も考えずにクラッチを踏む。右足のアクセルとブレーキを併用しつつ、であるのだがこれがATになるとその左手(左ハンドルなら右手)左足は途端に行きどころを喪う。だって運転中はすることがないのだ。ギアは車が勝手に操作してくれるしクラッチはそこにない。そこで助手席の受けである。
自分が攻めならこれはほぼ間違いなく助手席の受けの手を握る。確実にと言っても良い。なんだったら太腿だって揉む。だって手持無沙汰だから。しかし残念ながらその手はそこらへんでストップである。運転に支障が出るような行為は厳に慎まねばならない。操作しているのはシミュレーターではない。天下の公道を走る鋼鉄の塊りであり実際に相当の凶器になり得る代物であるのだから。この寸止めチッ!というようなところが運転中のあれこれの醍醐味ではなかろうか。違うか。もちろん車をどっかに入れてそのままずっぽりしけ込むのもありだなとも思うし、いやあ真昼間からそんな暇じゃねえだろ後がある的な思いもある。自分は攻めではないし助手席に受けもいないのでそういう事態は起こらないのだが、手持無沙汰がいろいろな思考(だいたいはくだらない)を運んでくるのは確かだな。しかし助手席とはいえ今やナビもGoogle先生もいて助手も何もありはしないのだが。かなり頼れるナビは実際もう必要ないのである。ペットボトルの蓋を開けてやるくらいが関の山かも…。
何故今こんなことを書いているのかというと、先日外国人が聞いてるユーミンのベスト10とやらでほんっとうに久々に耳にした曲があったからだ。「DOWNTOWN BOY」、不良とお嬢のピュア&ロストラブ、今日本ではベスト10どころかベスト50くらいまで間口を広げても選ばれはしないんじゃないかというような曲が何と7位。感覚の相違を感じずにいられない。歌詞がわからないからこそということはあるのかもしれないな、だいたい「電話さえ取り次がない」という状況自体プライベートでは昨今あり得ないかもしれないしなあ、とまあそういうこれもまた一昔前の曲なのだが、これを聞いて思ったのが、あーこれ二次の不死川…? であった。(異論しかないかもしれないネ~ハハハ)だいたい歌い出しが「あんなにナイーブなひとにはそれまであったことなかった私」である。自分が風花か風夢の女子であったならばこれはもう刺さりまくりだろう。道しるべで「あなたがやさしすぎるから」と言ったカナエちゃん、君は一体不死川の何を知っているというんだい… ナイーブかあ、ナイーブねえ、うん、ナイーブかもしれんね、あれだけオラついておいて匡近とカナエには優しすぎると思われ、悲鳴嶼さんには根は素直と言われ、飯をやった犬に懐かれる程にはナイーブかもしれない。「俺は親父含めこういう馬鹿みてぇな持論を当たり前みたいに演説する奴らの話を、耳にタコができるほど聞いてきてんだ。真面に受け取るんじゃねぇよ」とほろ苦く笑うほどには確かにナイーブであろう。ナイーブという言葉の持つ良くも悪くも取りようがあるその響き、繊細であればこそそれとは真逆の態度を取り、しかし隠しきれない漏れ出す本質というものがかえってその繊細さを際立たせる結果になっているという事態そのものがその言葉を体現する。ナイーブ、うん。ところでこの歌、当時は当然バイクだと思っていたのだが今回聞いてみていやこれは四輪かもしれんなと思った。真実はどうなんですかね。ユーミンの詳しいことは何も知らないので恐縮である。ちなみにラストがリフレインで終わる曲はカラオケで歌いにくいのであまりチョイスしないよ。
12.27 追記
一晩おいて読んだところ、言葉がわからないから、ではなく逆にわかるからウケているのかもしれないと思った。身分違いの恋って今も昔もあちらの鉄板だものね。