いそがしく 時計の動く 師走かな ときどき、気まぐれに。
かつての大尉のようにふらりと店に顕れる金髪の大きな猫は、今夜もポアロに顕れた。
そろそろかなあ、という梓の勘はバッチリあたった。
この間来てから数週間経ったこと。そして、明日が定休日だということ。なんの因果か幸運か、梓のタイミングと多忙を極める降谷の時間が少しゆとりを持つ、そのタイミングがかっちりと合う時があり、その時梓は「そろそろかしら」と思う。
そろそろ――その後に続く言葉は、よくわからない。
元従業員、現常連の警察官は、大尉よりも不規則だったし、大尉よりもお行儀が良かった。
ラストオーダーが過ぎ、残っていたお客様も会計を済ませて出ていった。
外の看板の電気を落とし、ドアにクローズドのドアプレートをかけて、梓は店内に入る。少し表に出ただけで肺がたちまち冷たい空気で満たされて、梓は肩をすくめた。
手をこすりながら早足で店内に戻る梓を、降谷は面白そうにカウンターから見つめている。
冬の夜は凍える寒さで、クリスマスから続く年末の慌ただしさと賑やかさに、街はまだまだ眠らないようだった。
「降谷さんの職場は、忘年会とかないんですか?」
「ないですね。手が空いたものと連れ合って少し飲みに行くこともありますが……年またぎはだいたいシームレスなので」
予想された通りの答えに、梓はひどく落胆した。仕事納め、という言葉は、どうやら彼の周りには存在しないらしい。
日夜治安維持のために働く方々、お疲れさまです。そして盆も正月も関係なく、すべての働く方々、ありがとう。
米花町には新年会があるけれど、降谷も連れて行ったら駄目かしらと梓は真剣に考える。
もし、時間が合えば……けれど安室/降谷の説明がややこしいかしら。みんな、するりと受け入れてくれそうな気がするけれどーーかつて、安室を迎え入れた時のように。
むうと考え込む梓を横目に、降谷は立ち上がった。
「早く片付けを済ませてしまいましょう。手伝います」
高そうなジャケットを脱いで腕まくりを始める降谷に、梓は「助かります」と頭を下げた。
もう店員じゃないのだから、と遠慮したのも最初の数回で、どう言っても降谷は引かないのだから、こちらも気持ちよく手伝ってもらったほうが良い。
「年末って、そわそわしません?」
バックヤードからモップを持って戻ってきた降谷に、梓は笑顔を向けた。レジ前の伝票の計算をしながらだから、会話は少し慎重になる。
「そわそわ、ですか?」
「みんな、新年をお迎えする準備をしてるでしょう?」
心躍る街の喧騒を思い出して、梓は破顔した。
「どこに行っても、人が多くて。みんな目一杯お買い物してるじゃないですか。お客さんが沢山荷物抱えてて、カートの中はいっぱい。スーパーにも普段見ないようなごちそうが並んでるし」
「カニとか、鰤鍋のセットとか」
「そうそう。おせちの具材を見るのも好きですね」
降谷の答えに、梓は笑う。
「クリスマス前から、数の子買っちゃいました。好きなんですよね、松前漬け。伊達巻なんか二本めを購入済みです」
「美味しいですね」
「ねえ、期間限定だと思うと、つい。飲食店も人が多くて賑やかだし。悪いニュースなんか少しだけ遠ざかって、景気が良くていいなあって思うんです」
びっくりするほど大きなお酒の瓶を抱えている人とか、お正月飾りを玄関に飾る人とか。常連さんの「味噌を仕込んだ」「もち米を買った」という会話を聞くのも、情緒があってとても良い。
「良いお年を」という挨拶も好きだ。
良いお年を。
じゃあ、また来年。
「そわそわして、なんだか家に居たくないんです」
梓の言葉に、降谷が瞬きをした。
「夜遊びしたくなっちゃうんですよね」
「夜遊び、ですか」
普段朝が早い梓は、あまり夜出歩くことはない。しかしこの季節だけは、どうにも真っ直ぐに家に帰るのが惜しいと思ってしまうのだった。
「火の用心」と言って夜回りの子どもと大人が鳴らす拍子木の音を聞きながら、しばしば梓は仕事終わりに夜の街に出る。
歳末の街の空気、寒い夜のイルミネーションと、どこか浮足立つ心を持て余しつつも踊るように。
「一人で、ですか? 夜歩きは感心しませんね」
かすかに眉をひそめる降谷に、梓は肩をすくめてみせた。こんなところで、兄貴風を吹かせられたらたまらない。
「一人だったり、緑さんとか友人と一緒だったりしますけど」
梓の夜遊びなど、健全でささやかだ。
夜遅くまでやっている喫茶店に行って本を読んだり、ケーキやパフェを食べにいたり。デパ地下を当てもなくさまよって素敵なクッキーやチョコレートを手に入れたり、ラーメンを食べに行ったり、たまに少し飲酒もしてみたり。
隣に座ったお兄さんににっこりと微笑まれても、礼儀正しく挨拶を返して、それっきりだ。
「降谷さん、わたしと夜遊びしませんか」
なんだか急に、あの空気の中に降谷を放り込んでみたくなった。
幸い本日車は修理中らしいし(年末なので立て込んでいて、なかなか返ってこないそうだ)絶好の機会だ。
「街に繰り出して、楽しく過ごしましょう」
警察は歳末警戒に身を引き締めている頃だか、そんなことは今は忘れるべきだ。
だってこんなに、外は賑やかなんだから。
「いいですね」
降谷は鷹揚に頷いた。
「酔っ払った梓さんを、しばらく見ていませんから」
「あら、それはこちらの台詞です。いつも、上品にしか呑まないんだから」
降谷を見上げて、梓は微笑む。
「たのしく、お酒を呑みましょう」
そう言うと、降谷は少し困ったように「いいんですかねえ」と頬をかいた。
2022/12/31 良いお年を!
(いそがしく 時計の動く 師走哉 正岡子規)