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    花のような君へ小さな花花に君を想う花のような君へ小さな花

     やわらかい金髪、優しげな凛々しい顔立ち。
     そして、世界でただひとつの海色の瞳。
     そこに、白、黄色、水色、薄紫、淡い紅色。
     その景色を、アニはただ見つめていた。





    「それで、ファルコのやつ、いっつも私のやることに口出ししてくるし、気安くさわってくるし、なにか言いたそうにじっと見てくるし……ほんとなんなの!?なんで私の世話を焼こうとするの!?いくら私が好きだからって!ありえない!ファルコのくせに!」
    「まあ、自分に惚れてる男から過保護にされて戸惑う気持ちはわかるよ」
     大樹のすきまからこぼれ落ちてくる日差しが、二人の少女を照らしている。
     大きく息を吸うと森林の香りがしみこんできた。
    「で?なんであんたは、私にそんな話をしてるの?」
     伐採用のナイフを隙のない仕草でふるい、切り倒した大木から、こまかい枝を切り落とす。
    落とした枝をまとめ、もちあげたとき、思わぬことを言われてしまった。
    「だって、アニさんはアルミンさんと愛しあってるでしょ?だから、アニさんなら恋愛のことはよくわかるかもって。こういうときどうしたらいいのか聞くなら、実際に恋愛してる人のほうがいいでしょ?」
     せっかくまとめた枝を落としてしまった。バラバラと音をたてて地面にころがり落ちる。
    ため息をはいて横を見ると、こちらを純粋そうな目で見つめるガビ・ブラウンの栗色の瞳と目があった。
    「あんた、私が恋愛の達人に見えるの?」
    「違うの?」
    「違う」
     羞恥を隠すように前髪をかきあげた。木漏れ日の下で輝く金髪がアニ・レオンハートの白い頬をくすぐった。
    「恋なんてものをしているかどうか、今だって私は……わかっていない」
     落とした枝をまとめて、アニはなにかを振り切るように縄で強くしばった。



     『天と地の戦い』から数か月。
     カレンダーが機能しなかった期間がすくなくとも一ケ月はあったため、今日が正確には何月何日なのかわからない。
    人類にとって『空白の数か月』の正確な日付や記録が残ったのは、彼らが日付を再び記録しはじめ、アルミン・アルレルトらが手記として後代に記憶を残したからである。

    戦いを生きのびたスラトア要塞の人々は、残骸となった飛行艇を修理し、『地鳴らし』から逃げきった人々が点在する場所を調べた。次に機関車を直し、人類が多い場所へ移住。文明的な建物が残っている場所に、孤立していた『難民』たちを集め、人々は細々とではあるが新しい社会を形成しつつあった。

    今日は材木を確保するためアニをはじめ力仕事を担当する人々は森林地帯に来ていた。多くの地表が巨人に踏み荒らされたなかで、残った木々は貴重な資源だ。復興に必要な最低限の木々を伐採し、家屋の建設に利用する。

    立体起動を使える五名があらかじめ巨木の枝を切り落とし、それから幹を伐採した。
     新緑のなか、次々と枝を落としていく彼らの動きに、人々は感嘆する。
    彼らの中空を舞うような立体起動の動きを『天使』や『鳥』になぞらえる人は多く、人類に対する献身的な態度とあいまって、すでに彼らは英雄として崇拝されつつあった。

     『英雄』と他人に思われることは、アニの心になじまなかった。
     幼い頃は『戦士』であることを求められた。
    島に入ってからは『兵士』と呼ばれた。
     どの呼び名もくだらないと思う。
     結局どの呼び名も、他人や社会から『そうあれ』と望まれた者が受けるラベルでしかない。
    『戦士』と呼ばれた者が戦っているとき、そう名付けた者は酒を飲む。
    『兵士』と呼ばれる者が戦死するとき、王都ではチェスゲームに興じる貴族がいる。
    どの世界もクソったれで、称号を誇らしく思う気にはなれなかった。

     だが、いまは『英雄』という飾り言葉が自分たちを守っている。
    彼が構築した『英雄』という枠組みによって、自分たちは生かされていくだろう。将来を思うと気が滅入るが、そんな道をなんとか切り開いていこうとする彼のことは、なるべく支えてやりたいと思う。思ってはいるが……

    アニは大きく息を吐いた。その『彼』と自分が、周囲からはどう見えているのか、改めてガビのような子供から知らされるのは複雑だ。
    アニはガビたちとともに切り倒した大木から細かい枝を切り離していた。百メートル離れたところでは、他の仲間たちが大木の枝を切り落としている。他の人々から離れてアニと二人きりになったときに、ガビがふいに幼馴染のファルコとの悩みを打ち明けてきたのだ。
    「ええっ!?恋してるかわからないのにあんなキスするの!?」
    「あっあんなキスって!なにがっ!?」
     自分でも赤面していることがアニには痛いほどわかった。
    「戦いが終わったとき、すっすごい熱烈に、きっキスしてたでしょ!?」
    「あっあれは!なんていうか、そのときの勢いっていうか……あるでしょ!」
    「わっわかんない!」
    「わっ私だってよくわからない……」
     ガビの混じり気のない幼い視線を受け止めきれず、アニは目をそらしてナイフをふるい、また枝を切った。
    森林浴は人間にとって良い作用をおよぼすらしいが、アニにはあまり気持ちの良い場所ではない。壁外調査で巨大樹の森に追いつめられたこと。そのときに犯した数々の罪を思いだす。

    他人の感情どころか、人間の命さえ価値を見出せなかった自分が、他人から恋愛相談される未来があるとは思わなかった。

     島の人々を地獄に陥れ、仲間を巨人に喰わせ、多くの人々を蟲を踏み潰すように殺してきた。そんな自分が、生き残ったうえに惚れた相手に愛されるなど。赦されるはずがない。望むことさえ罪深い。

     そんなまともな理性や良識は、生き残ったアルミン・アルレルトの海色の瞳を見た瞬間、吹き飛んでしまった。

     最後の戦いのあと、地獄を生き延びることができた奇跡に人々が歓喜していたとき。アニは自分から青年に身を預け、接吻した。『すべてのことがどうでもいい』と思って生きてきたが、あのときこそなにもかもがどうでもよかった。
    ただ、アルミンが生きている。そのことを確かめたかった。
    それだけでよかった。
     やすっぽい熱情かもしれないが、恋とはそういうものかもしれない。
     
    「アニさんとアルミンさんって、美男美女だしすごい愛しあってる感じがするし、お似合いだし、英雄同士だし、『二人みたいな恋がしたい』って言ってる女の子とかいるよ?」
     細かい枝をまとめてしばりながら、ガビは頬を紅潮させてアニを見あげた。皮肉っぽく笑ってアニはまたナイフを振った。小さな枝がかさりと地面に落ちる。こまかい枝が地面にかさなり、まだ背の低い小さな花が枝に隠れていく。
    「笑えないね。私たちみたいなのなんか、お勧めしない」
    「そうなの?私から見てもお二人はお似合いだと思うけど……」
     目を細めて、アニはやや乱暴にナイフを枝にふるった。
    「私たちは敵同士だった。殺しあいも騙しあいもした。そんないいものじゃなかったよ。他人がどう思うかは知らないけど」
     あたかかくなってはきたが、森のなかはまだ肌寒く感じられた。

     アルミン・アルレルトと出会って以降のことをアニは反芻した。
     なるべく誰とも深く関わらないようにしてきたが、他人の懐に入るのがうまい彼には、たびたびアニの内面の芯の部分にまで踏み込まれそうになった。いや、既に踏み込まれていたのだろう。彼の頭の良さを考えれば、殺しておくほうが得策だとわかっていたのに、それでも殺せなかった。騙されたとわかっていても憎めなかった。
    そんな自分たちが、少女たちに羨まれる『恋人の象徴』と見られるのは皮肉なものだ。自分たちが歩んできた道は、とても他人に推奨できるような楽なものでも、甘やかなものでもない。

     あの青年を愛する自分というものを、アニはまだ自分のなかに定着させられずにいた。そもそも心というものが自分にあるかも不明瞭だった。
    島では他人と極力かかわらないようにしてきたが、努めてそうしなくても自分はもともと不愛想で、暗くて、冷たい人間だ。くだらなくて、つまらない人間だ。そんな自分に、人並みに誰かを思う心があることが今でもよくわからない。まして恋愛感情などは。

     あのときは自分から口づけしたものの、それ以降アニは自分からあの青年に恋人としてふるまうことはなかなかできなかった。多くの命を奪ったことへの罪悪感と、誰かに恋する自分への戸惑いなどがアニの足を絡めとり、青年との未来に素直に歩みだせずにいる。
     彼と何度も口づけをかわしたが、アニのほうからすることはほとんどない。彼から「キスしてもいい?」と尋ねられれば応じたし、不意打ちを食らうこともある。彼からのキスがあまりにスマートで、やり返してやりたくなったときだけ自分から口を奪った。
     
    あの青年は自分をどう思っているのだろう?
     あんなに言葉の使い方がうまく、饒舌な彼が、岩のなかにいるわけでもないのに無口な自分といてつまらなくならないのだろうか?彼が注いでくれる深い愛情にろくに応えられない自分を薄情には思わないのだろうか?
     アニは眉をゆがめて目を閉じた。
     罪を忘れることはできない。かといって、けじめをつけるために彼を突き放すことも嫌で、そのくせ彼への想いに向き合えずにいる。結局、自分は体制にもそのときの感情にもながされやすいのだろう。中途半端な自分に嫌気がさしてアニはため息を吐いた。
    「……私もけっこうお二人に憧れてるって言ったら、迷惑?」
     手を止めて、アニはガビを見下ろした。幼い瞳が困惑している。アニからすれば親戚の子供のようなガビから羨まれるほど、自分たちは円満に見えるのだろうか。
    あのときの彼との口づけを目撃したガビには、その光景が強烈だったのだろう。それ以降も何度か彼とキスしているところを目撃されてしまったことがある。たいていはすぐにファルコがガビの目を塞ぐのだが、見た記憶は消せないだろう。
    (アルミンが急にキスしてきたりするから……)
     別に秘匿しているわけではないが、おおっぴらにしたいわけではない。触れ合うときは二人きりのときにしてはいるが、時おり青年は人目をはばからないし、自分もそうするときがある。
    二人でいるところを馬面の仲間に目撃され『おいお前ら!ところかまわずいちゃつくんじゃねー!いたいけな子供が見たら教育に悪いだろうが!』とニヤケ半分にからかわれたことが一度や二度ではない。そんな調子だから、いつのまにか他人に羨まれたりするのだろう。周囲の人たちから見れば、自分たちは単に『若い恋人たち』としか認識されないのかもしれない。

     さきほどとは違う意味でアニは頬を赤らめた。周囲の人々はともかく、ガビの期待は裏切りたくないような気がした。
    「……いや……そんなことはない。あり、がとう……」
     どうしてこんな小さな御礼すら自分はまともに言えないのだろう。
    「でも、私たちが、あんたが思うようないい関係とは限らないよ」
    「いいの。私からすると二人って、なんていうか、いいなって、思うから……」
    「そう……」
     自分がガビと同い年のころ、自分は彼女ほど感情も表情もゆたかではなかった。
     ガビほど純粋でも直情でもなく、もっと冷めてひねくれていた。
     自分よりガビのほうが素直で可愛いとアニは思う。
    「悪いね。相談してもらっておいて、ろくなこと言えなくて」
     こういうとき彼ならもっと相手に寄り添った相談をしてくれるのだろうと思う。
     枝をまとめおえたガビは、ふとその場に座り込み、ちいさな白い花を撫でた。
    「ううん。なんか、アニさんもけっこう戸惑ってたりするんだと思ったら、ちょっと嬉しかった。ファルコに告白されてからずっと調子が狂っちゃってるから、どうしたらいいのかなって。前みたいに気楽にやりたいんだけど、うまくいかなくて」
    「前に戻りたいの?」
    「え?」
    「『前』ってファルコから告白される前ってことでしょ?戻りたいの?その頃に」
     アニもその場にそっと座った。生い茂る草のなかに、小さな花が点在する。
    アニは淡紅色のちいさな花に手をのばした。触れることはない。花を愛でるのは自分には合わないと思っていた。花を好むどころか、虫をつぶしていたような自分だ。綺麗で、可愛いものとはきっと自分は縁がない。
    「やだ。戻りたくない……」
     ガビはその場にうずくまった。体を丸める少女の姿は、まだ硬い花の蕾を思わせた。
    「じゃあ、いいんじゃない?そのままで」
    「え?」
     蓮に似たちいさな花をアニはながめた。
    「どうしたらいいかわからないけど、前には戻りたくないんでしょ?だったらそのままでいいんじゃない?あんたはたぶん、慣れてないんだよ。自分が好かれてることに」
    「そう……なのかな……」
    「別に以前の関係に戻りたいってわけじゃないなら、それでいいんじゃない?慣れなくても、一緒にいれば……」
     アニも膝を抱えた。ガビに言った言葉が自分にも向けられていると気づいた。
     アルミンに想われることと、自分がアルミンを想っていること。
     単純な相思相愛なはずなのに、自分のほうがそれに慣れることができずにいる。
     でも失うのも怖くて、慣れないけれど、そばにいる。
     それが今のアニの心境だった。
     つくづくガビに偉そうなことを言える立場ではないと思う。
    「私からしたら、あんたとファルコのほうが私たちよりずっとお似合いだよ」
    「そっそんなこと!ないよ……」
     赤面するガビにアニはちいさく笑った。
    ガビには自分よりずっとまともな恋愛をしてほしい。自分などを見習って、素敵な男性からの求愛にろくに応えられないような、可愛げのない女にならなくていい。

     遠くから大木が倒れる音が響いてきた。アルミンたちが木を切り倒したのだろう。なんとなく今すぐ彼の海色の瞳を見たいような気がして、そんな甘い自分を振り払うようにアニは立ちあがった。早春の風が木々を揺らし、アニの頬を撫でていった。




    花に君を想う



    「ちょっと聞きたいことがあるんですが……」
    「なに?」
    「アニさんとどうやってうまくいったんですか?」
     革袋から飲みこんだ水を、アルミンは盛大に噴きだした。
     鳥のさえずりが森に響く。
     大木を切り倒し、休憩していたところを、神妙な顔のファルコ・グライスに話しかけられ、アルミンは地面に腰を下ろした。すぐ横に並んで座ったファルコはなぜか体を縮めるように体育座りをして声をひそめてきた。

     アルミンは周囲を見回した。ともに木の伐採に精を出している人々や、仲間たちは別の所で休憩している。二人きりの会話をするのに安全であることを確認し、アルミンは口元の水をぬぐった。
    「ごめん、えっと、どうして今それを聞くの?」
    「すいません!忙しいときに変なこと聞いちゃって」
    「いや、いいんだけど……。ガビとなにかあったの?」
    「いや!なにもないです!決して!でも、逆になさすぎて、困っているというか!」
    「ああ……なるほど」
     革袋の蓋をとじて、アルミンはおおきく一呼吸した。
     今日は朝から森で伐採作業をしていた。そろそろ休みたいと思っていたところだったので、彼は休憩がてら少年の恋愛相談を受けることにした。

     体育座りをして赤面しながら、ファルコは年上の青年に彼の大切な想いについて語り始めた。
    「おれ、あいつに告白したことあるんですよ。そのときはいつ巨人になってしまうかわからなかったので、思い残すことのないように、おれの気持ちを伝えておきたくて……。お前に巨人を継承してほしくない。長生きしてほしいって」
     さざなみが聞こえる。
    あのとき『道』で最後に語りあった幼馴染の情けない横顔がアルミンの脳裏に浮かんだ。
    彼は黒髪の美しい幼馴染を愛していながら、彼女の未来を考え、ついに想いを告げることはなかった。
    とんだ格好つけ野郎だ。想いを告げられずに残されるミカサのことを考えろ。
    今でも言ってやりたいことが山ほどある。ファルコのように一度くらい素直に、なにも考えずにとくかく気持ちをぶつけてみてほしかった。あのときの青空を思い出し、アルミンは胸の奥が軋むのを感じた。

    アルミンは横に座る少年をながめた。
    『彼』はファルコに自分を重ねていたのかもしれない。
    「おれの気持ち知ってるくせに、ガビのやつ、前よりよけいにあたりが強いっていうか……。おれがあいつを手伝おうとすると、なんか過剰に拒否されるというか……。もしかしておれ、あいつに嫌われてますかね……」
     アルミンは思わず額に手をあてた。ファルコとガビとはあの戦い以来、日々顔をあわせる間柄だ。二人がお互いを想いあっていることはよく知っている。おそらくガビは幼馴染を急に男性として意識しはじめた自分に戸惑っているのだろう。それがファルコからすると「避けられている」と感じるらしい。
    アルミンはファルコにやや同情した。
    幼馴染から向けられる好意の正体が判別できないところまで、エレンに似なくていいのに……

    ファルコは緊張しているのかやたらに頭を掻いた。
    「その、おれから見ると、アルミンさんって、けっこうアニさんから素っ気なく扱われたりすることあるじゃないですか。あ、すいません、けっこうひどい言い方でしたね」
    「いや。うん。そうだね。そういうとこあるね。アニだから」
     アルミンは上を向き、ファルコに見られただろう過去の自分たちを反芻した。
     彼女が拒否反応を起こさない距離をちゃんと計算して接しているつもりだが、『これくらいいけるかな?』と思って強く踏み込むと、押し返されたり頬をつねられたりすることがある。ファルコが言っている『素っ気なく扱われる』とはあれらのことだろう。
    「でも、お二人はすごく愛しあってるなっていうのはわかるんです。よくきっキスとかしてらっしゃるし」
    「ああ……ごめんね。ちゃんと隠れてるつもりなんだけど、つい……」
     青年は頬を赤らめて金の頭を掻いた。
    「だから、その、おれも……いつかそうなれたらなって……どうしたらなれますか!?お二人みたいに!すごく!仲睦まじく!」
    「『仲睦まじく』かあ……」
     青年はため息をゆっくり吐いた。ふと目の前のちいさな花と目があう。細かい花弁がよりあつまった白い花。花びらの白さに、アニ・レオンハートの肌の白さを思い浮かべる。
     
     現在のアニとの関係は『恋人以上、恋人未満』という微妙なラインを保っている。
     ファルコの言うとおり口づけをかわすことはできるが、アニのほうはまだ『恋人』という状況を受け入れられずにいる。愛情表現するのはいつもアルミンのほうだった。抱きしめたり額にキスしたりすると、彼女がその白い頬を真っ赤にするところがアルミンにはたまらなく愛しい。そして同時に、彼女が感じている怖れがその薄氷色の瞳に揺れているのがわかり、不安が灯る。

    多くの人を残酷に殺した自分が、生き残っただけでも厚かましいのに、愛する人と想いを交わしあうなど、赦されるはずがない。ぬぐいされない罪悪感と、恋そのものに対する戸惑いがアニをがんじがらめにしているのだろう。

    罪の意識はアルミンにもあるが、それで未来の可能性を狭めようとは思わない。割りきるわけでもない。ただ、罪悪感と共生していく。そうすることが現在考えうる最善策だとアルミンは信じている。
    「ファルコ、君は僕たちを愛しあってると感じてくれたみたいだけど……。僕にはまだ実感がないんだ。本当にアニにどう思われてるかはわからない」
    「え?なにいってるんですか?キスしてる間柄なのに!?あんな濃厚なキスを!?」
    「うん!ごめんね人前でしちゃって!いったん僕たちのキスのことは忘れてくれるかな!?」
     一応、彼女のことを考えて二人きりのときに触れるようにはしているが、どうしようもなく今すぐに唇を奪いたい、という衝動にかられ、それに逆らわないことも多々あった。ファルコにも他の人にもいろいろと見られていただろう。
     次からはもっと人目を気にしよう、と心に誓いつつアルミンは咳払いした。
    「なんていうかな……アニから『好き』とか、そういうわかりやすい言葉はもらってないし、僕は何度か伝えたけど、僕の言葉が彼女にとっては重荷になることもあるだろうし。だからあんまり言わないようにしてる。そのうち、もっと僕たちがお互いの気持ちに慣れてきて、この世界を生きることにも慣れてきたら、毎日でも彼女に想いを伝えたい。そんな日がくればいいと思う」
    手をのばし、ちいさな白い花にアルミンはそっと触れた。手のなかで揺れる白い花弁。
    アルミンにはアニはこのちいさな花のように思えた。
    一見、怖そうで肉体的には強いが、心のなかはすこしの風にさえ揺れてしまう野の花のように脆弱な部分がアニにはある。自分は彼女のその脆弱さにつけこんで騙そうとした。本来、彼女に憎まれてもしかたがなかっただろう。
    自分たちのスキンシップを傍で見ていたファルコからすれば羨ましいかもしれないが、期待されているほど安泰ではない。
    「ファルコ、君からみたら、僕たちはうまくいってて羨ましいかもしれない。でも僕たちは、君たちみたいにずっと仲の良い幼馴染ってわけじゃない。むしろ敵同士で……いろいろあったんだ。彼女に謝りたいことも、なじってほしいこともたくさんある」
     壁内でのアニとのさまざまな出来事がアルミンのなかで去来した。
     自分を殺さなかった巨人。
     彼女を陥れると覚悟した日。
     アニの氷のように美しい笑い声。
     水晶のなかに閉じこもった彼女に話し続けた日々。
     氷解した彼女と再会して、ゆっくり会話できるときなど永遠に訪れないかもしれないと思っていた。彼女が水晶から出てきてくれたとしても、彼女が違う世界の人間であることに変わりはない。
     自分たちはどうしようもなく敵同士だった。
     それがいま、こうして慣れないながらもアニがそばにいてくれる。
     それだけでもありがたい話なのだ。
     アルミンは花が崩れないように慎重に白い花弁を撫でた。
    「僕たちがこうして生き残って一緒にいられる。それだけでも奇跡だと思う。だから、その奇跡に戸惑うのはしかたがないんだ。アニはとても繊細だから、傷つけないように、すこしずつ慣れていってくれたらなって……」
    アニも自分に好意を向けてくれていることは船上で確認できたとアルミンは思っている。ただ確信というほど安心もしていない。彼女との関係は氷の上を歩いているようだ。いつ足元が割れて、彼女が氷のなかに落ちてしまうか。そしてまた氷のなかに閉じこもったり、消えてしまったりして、二度と手の届かないところにいってしまうのではないか。そんな不安が常につきまとっていた。
    だからいきなり踏み込んで、彼女の心を荒らしたりしたくない。
    彼女が怯えて逃げていってしまわないように、慎重に距離をつめていけたらいい。
     手のなかの白い花にアニを重ね、アルミンはやさしく花弁を撫でつづけた。

     花を愛でるアルミンの横顔をファルコは見つめた。
     綺麗な金髪に、やさしげな顔立ち。男の自分から見ても『綺麗な人だな』と思う。美人のアニと並ぶと、金髪に青い目の圧巻の美男美女で、文句のつけようがないほどお似合いだ。
    立体起動で戦えて、明晰な頭脳を持ち、ファルコからするとアルミンは非のうちどころのない人物だ。仲間の誤りを正すためなら巨人の口に飛び込む度胸もある。そんな完璧に見える彼でも、恋人に対して不安を抱くのがファルコには意外に思えた。そしてわずかに親近感を覚えた。

     パイを食べているアニと合流したときのアルミンの様子をファルコは思い出した。それまで優しくて冷静に見えたアルミンが、アニに対しては他とは違う隙の多い態度を見せた。あのときは緊迫した状況だったので深く考えなかったが、今にして思えばあれが二人の四年ぶりの再会だったのだろう。
    二人が今の関係に行きつくには相当な紆余曲折があったはずだ。だからこそ自分の恋路の参考にさせてほしかったのだが……
    (やっぱり、俺みたいなやつが急に聞いたりしちゃいけなかったかな。アルミンさんに悪いことをした……)
    「あっ!」
     ふいに声をあげたアルミンにファルコは肩を揺らした。
    「どっどうしたんですか?」
    「そうだ。これにすればいいんだ……」
     それまで愛し気に撫でていた花をアルミンが急に手折ったのでファルコはぎょっとした。青年はその場にある花をいくらか選びながら摘んでいく。
    「あっあの、アルミンさん?どうしたんですか急に?どうして花を……」
    「それで、今後の作戦についてだけど、ガビの性格から考えて今はあんまりグイグイいかないほうがいいと思うんだ」
    「えっ!?あっ!はっはい!」
     急に自分の話題を振られてファルコは体育座りをしたまま姿勢を正した。
     花を摘みながらアルミンはなめらかに話す。
    「僕は思うんだけど、ガビはちょっと捻くれてみせようとするところがあるだろ?そういう相手は正面から攻撃してもはじき返されるだけだから、ちょっと回り道して少しずつ距離をつめて、相手の死角から一気に攻撃するほうが成功率が高い。具体的には、好意を言葉や態度でぶつけつづけるんじゃなくて、すこし距離をとって相手に興味がないふりをする。正面から気持ちをぶつけつづけるのもたしかに一つの手段だけど、その場合は狭い範囲に同じ攻撃をつづけて一点突破を狙うことになる。いま君を意識してよけいに分厚い壁をつくっているガビには通用しない可能性が高い。すでに相手に気持ちを伝えてあるんだから、むしろここは距離をとって、引くのと近づくのをつねに繰り返し、相手の注意をひきつけておいて……」
     よどみなく話し続けるアルミンを見ながらファルコは震えた。
    (怖い!この人!そうだった。アルミンさんってこういう人だった!すごく良い人だけどただ者じゃない。さすが頭脳と天性の弁舌力で人類をけん引する英雄。ものすごく具体的な作戦を考えてくれそうだけど、これもしかしてすごく話が長くなるんじゃ……)
     ファルコはこの青年に恋の悩みを打ち明けたことを後悔しはじめていた。



    花のような君へ


     翌日、アルミン、アニ、ジャン、コニー、ライナー、ピークの六人は現在の住処である集落を出て、『街』に向かった。『地鳴らし』で踏み潰されずに済んだ地域は『街』と呼ばれ、近代的な建物が多く残っていた。ここに暮らしているのはもともとの住民と一部の避難民だ。スラトア要塞の生存者やエルディア人の多くは、町はずれの空き地に自分たちで居住区を建設し、『街』に比べれば粗末な家に暮らしている。生存者のなかで人種差別をするべきではないという共通認識はあるが、それでもエルディア人に対する差別意識は完全にはなくならない。また蔑視されることに慣れすぎたエルディア人のほうが遠慮して、ほとんどのエルディア人は街ではなく、避難所ともいえる町はずれの集落に流れついた。

     今日は生存者をまとめている者たちとの会合があった。生き残ったマーレ軍の中で最も階級が高いミュラー長官とアルミンが中心となって、今後の復興や政治体制について議論が展開される。
    一応、自分たちも『英雄』の端くれとして同席はするが、こういう場はほとんどアルミンが一人で仕事をしている。あとはせいぜいジャンやピークが良いタイミングで援護するくらいだ。コニーはおそらく話の半分以上を理解していない。ライナーは他の皆の警護役。自分はアルミンのボディガードくらいしか役に立たないだろう。
     自分の倍以上の年齢の大人たちに対して、アルミンは人類の未来の展望を語っていく。こういうときのアルミン・アルレルトは無敵だ。意見の食い違う者を理解し、常に最善の道を模索してまとめていく。彼は頭をフル回転させて必死なのだろうが、他の誰かに同じ芸当ができるとは思わない。彼のおかげでエルディア人は、個人レベルの差別はあれども、社会の一部として生存できている。

     会合の広いテーブルに着き、積極的に議論するアルミンを、アニは隣の席から眺めていた。男性にしては細い首筋と、薄くみえる肩。まだ非力で劣等生だった訓練兵時代の彼を思い出す。この体に壁内と壁外のエルディア人の存亡がかかっている。それらを背負うにはたよりない肩だ。
     この青年との関係はまだアニの中で消化しきれていないが、『英雄』として険しい道を生きる彼を支えたいとは思う。できれば、なるべく近くで……





     会合を終え、アルミンたち一行は昼過ぎには集落に戻った。
     『街』よりも森に近い集落は、風のなかに草の香りがまじっている。よく晴れた日だ。アニは空を見あげた。淡い青にいくつかの雲が散りばめられている。暖かい春風がアニの金髪を揺らした。
    「おかえり。帰ってくるのを待ってたんだ。さあ、昼飯にしよう」
     集落につくなり父にそう言われてアニは眉間に皺をよせた。
     街に出ているあいだに忘れてしまったが、今日は朝から集落の人々の視線を感じていた。食料は限られているからいつも集団で一度に食事を作り、皆で食卓を共にすることが多い。とはいえたった六人の帰りを待つ必要はないはずだ。
     疑問に思っているアニの横をすりぬけてジャン・キルシュタインは「あー腹減った!さっさと飯にしようぜ!」とアニの背中を軽く叩き、広場に歩いていく。コニー、ピーク、ライナーも続く。
    「昼飯だー!」
    「ほら、行くよアニちゃん」
    「先に行ってるぞ」
     妙に意味深に感じるピーク(彼女はいつもそうだが)の言い方に疑問を深めたアニは、かたわらのアルミンを見あげた。青年はいつものやさしげな笑顔で「行こう、アニ」としか言わない。
    「ねえ、なんか隠してる?」
    「アニにとって悪いことじゃないよ。たぶん」
     アニは口を尖らせた。答えてはくれないらしい。すました顔で答えるアルミンがすこし憎たらしく思えた。





    「HAPPY BIRTHDAY ANNIE!」

     人々の歓声が青空に響きわたる。
     アニは目をおおきく開いてその光景を見ていた。
     今日は晴れているから、いつもの集会所兼食堂の建物ではなく、広場のテーブルで食事をする、ということしか聞いていなかった。
     掛け声とともに太鼓が慣らされ、伝統的な音楽の演奏がはじまる。
     アニは表情の選択に困った。
     父に手招きされ、長テーブルの端、いわゆる主賓席に座らされる。
     できれば目立つ場所にいたくなかったが、父とアルミンの笑顔と、はやし立てるジャンたちの様子に選択肢はないのだと悟った。
    「まだ正確かどうかはわからないけど、計算したら、たぶん今日だと思うんだ。三月二十二日」
     つい先ほどまであれだけ喋っていたのに、少しも喉が枯れないのか、アルミンはなめらかに説明しはじめた。



     生き延びるのに精いっぱいな人々は一度カレンダーを忘れてしまった。
     どうにか生活できるようになり、人々は『地鳴らし』の日を記録し、そこから記憶を頼りに計算して日付けを取り戻しつつある。日付計測の報告を受けたアルミンはアニの誕生日が近いことに気づいた。そこでアニの父に了承を得て、集落の人々に呼びかけ、アニの誕生会をささやかに開くことにしたのだった。
    説明を受けてもアニの困惑は消えない。
    「誕生日を祝っている余裕なんてないでしょ?私の誕生会なんかしてていいの?」
     主賓席のアニの隣り、長テーブルの端の席に座りながらアルミンは微笑んだ。
    「余裕がないからこそだよ。生きるためだけに日々を送るのはそろそろ限界だと思う。いまは食料を確保できているし、これからは誰かの誕生日や季節のお祭りを積極的にしていくべきだと思う。生存本能だけで人類は生きていけないよ。すこしずつ文化的な生活を取り戻さないと」
     アルミンの説明に軽くうなずきつつ、彼の対面にアニの父レオンハートは座った。二人が主賓席のアニを囲む形なのだが、アニに最も近い席にアニの父親とアルミンが座ることをもはや誰も疑問に思わないらしい。
     広場に並ぶ長テーブルにはいつもより少し豪華な食事と、食卓を飾る花、そして珍しく甘いパイが載っていた。
    「たまたまアニの誕生日が、この村での最初のお祝いになっただけだよ。ほら、今日はアニの大好きなパイを作ってもらったんだ。ちょっと贅沢だけどたまにはいいよね?」
    「べっ別に好物ってわけじゃ……」
    「え?でも甘いもの好きだよね?」
    「甘いものは好きだけど……」
     アニは目を閉じて赤面した。四年ぶりにアルミンと再会したとき、パイを貪り食って情けない顔をしていたことは思い出したくない。そんなアニの心理をまったく意に介さないコニーはアニを指さして笑った。
    「そうだよな!アニはパイが大好きだったよな!あのときのアニの顔ほんっと面白かったぜー!」
    「やめなよコニー!あれはっ……四年ぶりの食事だったからだよ!それに、僕はあのときのアニも可愛いと思……」
    「やめな!コニー、あんたあとで覚えときな」
    「え?なんで?いーじゃん。パイが好きでも」
    「……そういうことじゃないんじゃないか?」
    「へぇ~。私もそのお話、知りたいなあ」
     無邪気なコニーにライナー、ピークがそれぞれ会話に加わる。
     アルミンの隣りに座ったジャンは、主賓席で固まっているアニに木製ジョッキを掲げてみせた。
    「まあ、アニ。お前はこういうの苦手だろうが今日は我慢しろ。俺たちはお前の誕生日を口実にして久々にパイを食いてぇんだ。おとなしく祝われてろ」
     そういう考え方もあるのか、と思っているとまたコニー、ライナー、ピークが続く。
    「そうだよアニ。お前を祝うために今日は肉を出してくれるんだぜ?ことわるなよ?ことわらないでくれ!」
    「おれたちがお前を祝いたいのはたしかだ。ジャンの言うとおり、ここは黙って祝われてくれ。特にアルミンの好意を無下にしないでほしい」
    「そうだよお。アニちゃんのお誕生日をお祝いしたいからって、何日も前からみんなに根回しして、アニちゃんのお父さんにも頭をさげてたアルミンの、アニちゃんへ愛を台無しにしちゃかわいそうだよ」
    「ピーク、それは言わないでって……」
     アニはすぐそばにいるアルミンを見つめた。アニの視線を受けたアルミンはうつむいた。
    「あんた……」
    「たいしたことはしてないよ。それに、僕は自分のしたいことをしただけだから。アニがこういうの苦手だってわかってるけど、どうしてもお祝いしたくて……」
     アニは顔を横に振る。自分の揺れる金髪がすこし鬱陶しい。
    「別に怒ってるわけじゃないよ。ただ、こういうのに慣れてないから、どうしたらいいかわからないだけ」
     うつむくアニの木製ジョッキに、アニの父レオンハートはお茶を注いだ。
    「おれからもお願いする。アニ、おれたちにお前を祝わせてくれ。考えてみりゃ、お前の誕生日なんて、ろくに祝ってやったことがねえ。だから今日はお前の二十一年分のお祝いをしてやりてぇんだ。アルミン君もみんなもお前を祝いたいと言ってくれている。ここはおれたちに付き合ってくれ」
    「父さん……」
     昔に比べると父の目はずいぶんとやさしくなったとアニは思う。自分が『そう』と思って見ているからかもしれない。やっと穏やかな日々を共に暮らせるようになった父親にそう言われては、断る理由は見つからない。
    「お前はそこに座ってパイ食ってりゃいいんだよ。ほら!始めるぞ!宴会だ!」
     ジャンの掛け声で人々が歓声をあげる。
     アルミンはアニの父に声をかけた。
    「レオンハートさん、ひとことお願いします」
     レオンハートは木製ジョッキを掲げた。
    「今日はうちの娘のためにみんないろいろとありがとう。楽しくやってくれ。アニ、お誕生日おめでとう」
     人々の「おめでとう」の大合唱が青空に響きわたる。
     どんな顔をしたらいいのか困ったアニは、赤面しつつ一礼してジョッキを掲げた。
     乾杯の音と談笑が広場に波打つようにひろがっていく。
     次々にアニに挨拶する人がやってきては、アニ、アニの父、そしてアルミンに声をかけ、乾杯をする。
    「いつもありがとうねアニさん」
    「感謝してるよ」
    「若いのに本当によく働いてくれて、ありがたいよ」
    「このあいだうちの子の世話をしてくれてありがとうね」
    「すてきなお嬢さんで羨ましいわレオンハートさん」
    「頑張ったねアルミン君。良い誕生会だと思うよ」
     アニはなんとか笑顔らしい顔を作って『どうも』と返すのが精いっぱいだった。
     隣で『ありがとうございます。皆さんが協力してくれたおかげです』と流暢に答えるアルミンに比べると、我ながら言葉数が少なすぎると思う。

     挨拶にきてくれる人々が途切れ、アニはジョッキをテーブルに置いてため息をついた。父に「疲れたか?」と問われ、アニはジョッキのなかを見つめた。今日は嗜好品の紅茶がふるまわれている。酒が手に入らない今では最も贅沢な飲み物といえた。ひとつひとつ確認するようにアニは話した。
    「別に……ただ、こういうのは慣れないから。今まで誰かに褒めてもらえるようなことはしてきてない。でも今は、自分がなにかをしたことで、助けられた人がいる。その人たちにこうやって感謝される。そう悪いものでもないんだね」
     ジョッキを揺らすと紅茶のやわらかい芳香が広がっていく。

     幼い頃、褒められることといったら人を殺すことだった。
     でも実際は、人を殺して本当に褒めてくれた人などいない。
     今、アニに乾杯しにきてくれた人たちは、これまでアニがなんらかの形で手助けした人々だ。彼らに心から感謝されることは、アニに快い感覚を与えてくれた。これからも、誰かの助けになることができたらいい。それくらいで罪は消えないとしても……
    「これからいくらでも感謝される機会はやってくるさ。お前はそれだけ人の役にたってるんだからな」
     父に暖かい声音で言われ、アニは微笑した。
     あらためて親子で小さな乾杯をすると、離れた場所で人々と談笑しているアルミンの笑い声が聞こえてきた。アニは自然と彼の姿を目で追った。
     人々のなかに紛れると、不思議とアルミンはまわりに誰もいないときより際立って見える。彼のやわらかな金髪と整った顔立ちがそうさせるのだろうか。いつからかアニはアルミンだけはどんな遠くにいても見つけられるようになっていた。
    「ところでお前、彼とは結婚するのか?」
     唐突にレオンハートは声をひそめて娘に尋ねた。
     アニは口に運んだ紅茶を拭きだした。
    「急にっ……なにっ!?」
    「なに今さら照れてんだ。お前たちが『いい仲』なのはみんな知ってるだろ。お前ももう二十一だろ?結婚していておかしくない歳だ。おれもそろそろ腹くくらなきゃいけないかと思ってよ」
     赤面しながらアニは父親を睨んだ。揶揄するような口調だがレオンハートもやや顔が赤い。彼も照れくさいのだろう。
    「そんなの……考えたことない……」
    「そうか。まだ先か」
    「まだっていうか……父さん、アルミンのこと、反対してるんじゃないの?」
     ジョッキを持つ手を震わせながらアニは尋ねた。
     アニの父は『娘の恋人』に対して拒否反応をしめしたことはないが、一定の距離を保っているように思えた。アルミンのほうもそれを察しているのか、あまり父に対して踏み込んでくることはなく、逆に恐れるでもなく父の望む距離を保っている。
    「おれは別に反対してねーよ。アルミン君は頭もいいし、性格もいいし、よくできた青年だ。お前にゃもったいないと思うくらいだよ」
    「じゃあ、なんで仲良くしないの?」
     レオンハートはばつが悪そうに頭を掻いた。
    「そりゃ、おめぇ、おれはそう出来た人間じゃねーんだ。お前がいきなりあんな上玉つれこんでくるから、おれとしてもどう付き合ったらいいか、困ってんだ」
    「……別につれこんだわけじゃ……」
    「まあ、とにかくだ。おれはあの子のことは認めてるし、お前たちのことを反対もしない。ただ、おれにも覚悟する時間はほしいから、まあ、決まりそうだったら早めに教えてくれ」
    「そんなの……わかんないっ!」
     アニは紅茶を勢いよく飲み、ジョッキをテーブルに置いた。挨拶まわりを終えて席に戻ってきたアルミンは、ジョッキの置き方がやや乱暴だったアニに驚いた。
    「アニ?どうしたの?なにかあった?」
     赤面したままアニはアルミンを睨んだ。よりによって親子でこんな話題をしているときに戻ってこなくてもいいのに。アニからのいわれのない怒りの視線にアルミンは戸惑った。
    「え!?なんで!?」
    「気にしないでくれアルミン君。それより、いろいろとありがとうな」
    「あ……こちらこそ。レオンハートさんも、いろいろとありがとうございます」
     青年を哀れに思ったのか、レオンハートは木製ジョッキを掲げ、アルミンはそれに応じて丁寧に乾杯した。アルミンは頬を赤らめて口を尖らせるアニの顔をのぞきこんだ。
    「アニ、ごめんね。やっぱりこういうのは苦手だったよね」
    「別に。迷惑だなんて思ってないよ。ただ慣れないだけ」
    「そっか。じゃあ、これから渡すものも迷惑じゃないといいんだけど」
     アニは顔をあげた。自分の椅子に引っ掛けていた鞄をアルミンは手に取った。立ちあがってアニの前に来る。つられてアニも立ちあがった。
    「そうかしこまらないで。たいしたものじゃないから」
     アルミンはやわらかい鞄のなかに手を入れる。『お?なんだなんだ?』とはやし立てるジャンの声が聞こえる。青年が鞄から慎重に取り出したものを見て、アニは息を飲んだ。
    「今はこういうものくらいしか用意できないけど、なにかアニに贈りたくて」
     力を入れれば崩れてしまいそうなそれを、アルミンは両手でそっとアニに差し出した。
    「お誕生日おめでとう。アニ」

     白、黄色、水色、薄紫、淡い紅色。
     大きいもの、小さいもの。
     それらが絡みあって、綺麗な円を描いている。

     やわらかい金髪、優しげな凛々しい顔立ち。
     そして、世界でただひとつの海色の瞳。
     そこに、白、黄色、水色、薄紫、淡い紅色。
     美しい青年が花冠をアニにさしだしている。
     その景色を、アニはただ見つめていた。

     
     アルミンをはじめ、今は誰も財産らしいものはもっていない。
     最低限の物だけで生きていくのに必死な時代だ。
     貨幣経済がなくなるほど原始に戻ったわけではないが、生活に必要ではないものを売買するほどの余裕はない。それでもせっかく生き残って迎えた初めてのアニの誕生日なのだ。いまできる限りの最高のものにしたい。ささやかな誕生日の宴会を実現するため、アルミンは皆に示し合わせ、事前に街で紅茶やパイの材料を用意してもらった。そして皆で祝うものとは別に、なにか一つは自分だけの贈り物をアニに渡したいと思っていた。
     ファルコと話しているときに花を贈ることを思いつき、どうせなら花冠に、と思ったが、これはなかなかうまくいかなかった。変にこだわりすぎて上手な花冠にならなかったのだ。結局、ピークたちに手伝ってもらって完成したので、自分ひとりのプレゼントとはいかなくなったが。

     色とりどりの花冠を見て、アニは固まってしまった。
     この反応はアルミンには想定内だ。アニは自分に花が似あうことも、花を贈られる価値があることも知らないから。
    「アニ、ちょっといいかな?」
     目を大きく開いて動かなくなってしまったアニの金の頭に、アルミンは花冠をかぶせた。落ちないように、崩れないように慎重に。
     アニ・レオンハートの金の髪を、白、黄色、水色、薄紫、淡い紅色、そして緑が彩る。
     日の光を受けた金髪は輝いていて、白い肌と薄氷色の瞳が花々とあいまっていっそう美しく見えた。

     この姿が見たかった。

     やさしい世界で、花とともに生きるアニ・レオンハートが見たかった。
     アルミンのなかで、アニとの苦しかった思い出がわきあがってくる。
     彼女を氷に囚われていたときも、彼女を失わないといけなかったときも、
     本当はやさしい世界にいる彼女が見たかった。
     花を愛でることのできる世界で、彼女とともにありたかった。
     花を踏み潰す世界で苦しむ彼女は、もう見たくない。
     いつから彼女に対してそんな感情を抱いたのだろう。
    もしかしたらずっと昔から……

    「綺麗だよアニ。とても……」

     青年は頬を染めて、やさしく微笑んだ。
     天使みたいな奴だと思っていた。今も天使みたいだ。
     日の光を受けた金髪が煌めいている。
     頬を染めたアルミンの海の瞳が、感激で揺れている。
     足下から湧き上がってくる感情のかたまりが、体中をかけぬけて、アニの両眼からこぼれ落ちた。アルミンは青の瞳を大きく開いた。硬直したり赤面したりする反応は予測していたが、泣いてしまうとは思わなかった。涙をこぼしはじめたアニにアルミンは動揺する。
    「ごっごめん!やっぱり、やりすぎたよね!?そんなつもりじゃなかったんだ……アニに喜んでもらいたかったんだけど……余計なことだったよね……本当にごめん!」
     身振り手振りでアルミンは泣いてしまったアニに謝罪した。レオンハートやジャン、ライナーたちが立ちあがって心配げにこちらを見ているのがわかる。
     アニはうつむいた。目から垂れてくる熱がぼたぼたと地面に落ちていく。

     花なんて似合わない。
     自分はそんな可愛げのある女じゃない。
     『かよわい乙女』と言ってみたところで、冗談にしか聞こえない。
     そんなことはわかっている。それでも、どこかで『そうじゃない自分』がいると叫んでいた。花を愛でるような穏やかな時間。そんなものを望む資格すらないのに。自分は多くの人を踏み潰してきた。残酷に殺してきた。何かを求めることなど許されない。
     
     綺麗な若者が自分に花をさしだした。
     花冠で飾ってきた。
     青年は白い頬を染め、海色の瞳を輝かせて『綺麗だ』と言った。
     その光景が視覚から脳に伝達され、アニの心に届いたとき、彼女の体内を蚕食し、蝕んでいたものが涙となって流れ出ていった。

     もう、いいのかもしれない。

     アニの涙は止まらなかった。
     自分を自戒の鞭でしばりあげるのはもうしなくていいのかもしれない。
     罪の意識で自分を痛めつけるのは生涯やめてはいけないのだろう。
     でも、そのために、この青年を求める自分を、もう抑えていたくない。
     自分を『花』として愛してくれる人が目の前にいる。

     それだけでいい。

     アニは花冠をゆっくりと自分の頭から外した。アニの金糸の髪が揺れる。
    「悪いけど、これじゃ祝ってもらった気がしない」
    青年は目を曇らせた。
    「おいアニ!なにいってんだお前!せっかくアルミン君が……」
    「そうだよね。ただ摘んできた花くらいじゃ、お祝いにならないよね……」
    声を荒げるレオンハートを遮るように、アルミンはうつむいて言った。こういうときの彼の顔は苦手だ。可哀想でやりきれない。昔からそうだった。
    アニは取り外した花冠をもちあげ、アルミンの頭に乗せた。外れないようにぎゅっと金の頭に押し込む。
    「えっ!?」
     贈ったはずの花冠を自分につけられて、アルミンは困惑した。
     花冠をつけたアルミンを眺めてアニは苦笑する。やさしい顔立ちの青年に花はよく似あっている。きっと自分がつけるよりしっくりきているはずだ。
    「まったく、あんたって奴は……昔からそのへんの女の子より可愛かったもんね。あんたのほうが似合うよ」
    「え!?そっそんなことないよ!アニのほうが……」
     困惑するアルミン・アルレルトの頬を両手で包み、ひきよせて、アニはすばやく口づけした。やわらかいぬくもりを口で包む。青年のくぐもった声が漏れた。彼がどんな顔をしているのか見たい気がしたが、いまは目を閉じる。父やライナーたちが息を飲んだのが目をとじていてもわかった。
     顔を離してやると、青年は顔を真っ赤にして、混乱した青い目で見つめてくる。アニは微笑んだ。こういう、困った顔は好きだ。もっと困らせてやりたくなる。
    「これくらいしてもらわないと、祝ってもらった気にならない」
     青年はもともと大きな目をさらに開いて息を飲んだ。
     
    すこしだけ赦せる気がした。
    ほんの一瞬でも、この男を求める自分を。
     
     アニはアルミンの頬をやさしく包んだ。

     近くで見るアニの薄氷色の瞳が煌めいている。
     頬を赤らめ、微笑んでいるアニが眩しくて、アルミンは眩暈がした。自分でも耳まで赤くなったのがわかる。先ほどの感触がまだ信じられなくて、脳が機能していない。
    「アニ!お前!やりやがったな!」
     嬉しそうなジャンの声を、アルミンはぼんやりと聴いた。
    「おーし!今年のアニへの誕生日プレゼントはこいつだ!おいお前ら!アルミンを飾れ!今日の主役への捧げものだ!」
     コニー、ライナーが素早く立ち上がった。ジャン、ピーク、ファルコ、ガビ、他の人々もその食卓にかざられていた花を取り、どこかからリボンをとってきてアルミンを囲った。
    「えっ!?ちょっと待って!みんな!」
     ライナーに羽交い絞めにされ、ジャンとコニーに動きを封じられたアルミンは、ピークらに嬉々として飾り付けられた。
    「大人しくしろアルミン。お前に拒否権はない」
    「ええっ!?離してよライナー!」
    「いいからじっとしとけ。おい!まだ飾れるものあるだろ!?」
    「ちょっと!ジャン!」
    「なあ、いっそアルミンにパイを載せるって手もあるんじゃねーか?」
    「あるわけねーだろ!飾り付けがお前、盛り付けになっちまうだろうが!」
    「やっぱりリボンは外せないよねえ。顔がいいと飾り甲斐があるなー」
    「アルミンさんならこれも似合うよ!」
    「すいませんアルミンさん、これも似合うと思います!」
    「ちょっと!ピーク!ファルコにガビまで!」
    「おい、飾りつけが甘いぞ。これも使え」
    「ちょっ!兵長!!」
     アルミンが皆に揉みくちゃにされるのを、アニはどうするべきかと思いつつ見守っていた。
    「よーし!もういいだろう。完成だ!どうだアニ!これがお前への誕生日プレゼントだ!」
     アルミンを囲っていた仲間たちが、アルミンを輪の中から突き出した。
     よろめいてアニの前に立ったアルミンは、髪に花冠だけでなく、水色のリボンをつけられていた。両手にも腰にもピンクや赤、青のリボンを巻かれ、ところどころに花をつけられ、首にもネクタイのように赤いリボンを巻かれていた。寄せ集めの飾りなので色に統一感はないが、先ほどより『プレゼント』らしい印象が強くなった。
     頭にリボンをつけ足され、さらに女の子っぽくされたアルミンは赤面して項垂れている。アニは笑った。アルミンも、そしてアルミンを『プレゼント』に仕立てる仲間たちも、自分にはもったいない連中だと心から思えた。
     アニは手をのばし、青年の首にかけられた赤いリボンを引っ張った。引き寄せられた青年は赤い顔でアニを見つめる。
    「そうだね。誕生日プレゼントはこれがいい」
     アニの瞳はいつも以上に挑発的で、アルミンは息を飲んだ。
    女の子みたいに飾られた不本意は、彼女の目を見た瞬間に吹き飛んでしまった。
    プレゼントを贈ったら、アニなら固まったり怒ったり無言になったり、あるいは表面上はそっけなくするだろうとアルミンは予測していた。そしてそれへの対応策もちゃんと計算してきた。今のアニの様子は予測の範囲外だ。こんな妖艶ともいえる顔で微笑まれるとは思わなかった。彼女のなかで何かのスイッチが入ったのだろうか。
    アニの艶やかな唇が動く。その様子がやけに遅く感じられた。
    「ねえ、アルミン。今日は私の誕生日で、あんたは誕生日プレゼントってことだから、私が好きにしていいんでしょ?」
    「うっうん……それは、いいけど……」
     いつになく積極的なアニに、アルミンは鼓動を速めた。
    「アニはいいの?僕なんかがプレゼントで。僕じゃ……」
    「あんたは本当に……もう黙りな」
    「んぐっ!」
     アニに首のリボンを引っ張られ、アルミンはまた唇を奪われた。
     周囲の歓声を聞きながら『人前ではやらないようにしよう、って誓ったばかりなのに』とアルミンは思った。きっと今ごろファルコがガビの目を押さえているのだろう。レオンハートはどう思っているだろうか。様々な考えが巡ったが、アニのやわらかい唇と体温に頭が痺れてきて、アルミンは我慢しないことに決めてしまった。アニの小さな体を抱きしめ、自分から唇を重ねる。
    アニは手をのばして、青年の首に手を絡め、頭を引き寄せた。
     アルミンとのキスは紅茶の味がした。この小さな口を吸いつくしてやりたい。背後で父がどう思っていようとかまわない。アニは自ら唇を青年に押しつけ、抱きしめた。
     戸惑いもためらいも、罪も消えないが、今日だけは自分の中の花のような部分を我慢しない。今日は自分の誕生日なのだ。そう言い聞かせ、アニはアルミン・アルレルトとの口づけに自らを溶かした。


     娘が若者と接吻するさまを、レオンハートは頬杖をつきながら眺めていた。
     娘はまだ結婚について考えていないと口では言っているが、この様子では覚悟はしておいたほうがよさそうだ。


     どこからか飛んできた鳥が広場の上空を横切った。
     鳥が落とした羽がひらひらと舞い、アニの金髪に落ちていった。






























    -----------------------------------------------
    それぞれが見ていた花は一応、3/22の誕生花のイメージでした

    アニが見ていた花
    レンゲソウ
    花言葉「あなたと一緒なら苦痛が和らぐ」

    アルミンが撫でていた花
    イベリス
    花言葉「甘い誘惑」「初恋の思い出」「心をひきつける」

    花言葉がそれぞれのお互いへのイメージになる感じにしました。
    ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
    れむ/D・K Link Message Mute
    2024/03/22 20:00:00

    花のような君へ

    人気作品アーカイブ入り (2024/03/22)

    アニ誕生日ネタ。アルアニ。ファルガビ要素有り。
    「天と地の戦い」から三か月後くらいのイメージです。
    両想いになったものの、アルミンの想いにうまく応えられないアニ。
    その後の世界観は捏造です。
    初めて書いたAOT小説なので、色々と不勉強なところはご容赦くださいませ。

    #AOT #アルアニ #アニ・レオンハート  #アルミン・アルレルト

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    • AOT エレミカ
      本誌の最終回を見たあとに泣きながら描きました
      墓石の文字が読めなかったので間違ってますがご容赦ください。
      れむ/D・K
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