透明色は何色か灰色の街。鈍色がかった薄手の雲が予期せぬ雨で街を濡らす。
掠れた街並みを見下ろせる場所で、僕と彼女は絵を描いていた。
彼女は街に落ちるライトの海に目もくれずに、ただ入道雲を描いていた。
キャンバスと筆がすれる微かな音、息の音、窓を伝う雫の音。それらを塗りつぶすように、誰も訪れない美術室は雨のノックが寂しく響く。
止まないノックに息を乱され、先に静寂を破ったのは、僕だった。
「その絵みたいな透明感ってどうやってだすのさ」
別段仲が良くもない僕たちだったが、今は同じ穴の狢。帰るに帰れない仲だ。
「透明感って、どの色」
冷めた目つきした彼女は、想像していたよりも突飛なことを話し始めた。
「いや、なんというか絵の全体の雰囲気というか」
彼女は筆を置いて、ぐいと背筋を伸ばした。そして、僕の質問に答えないまま言葉を続けた。
「透明って何色」
「えっと、白とか、かな」
僕も少し、筆をおいた。
「なら、真っ白なキャンバスが一番透明感のある絵なの」
「いやその、えっとね。そもそも透明って色じゃないと思うんだ。無色透明とか言うじゃない」
「そうね、私も色じゃないと思うわ。ただ、色でもあるとも思う。もしもそれが色だとして、いったい絵の具のチューブから何色が出てくるのか。あるいは塗ったら何色になるのか。それも分からない。けれど――」
そういうと彼女は新しいキャンバスに水色を刷り込む。黄緑、黄色、橙と薄いグラデーションで白を染めていく。
彼女が何をしているのかは良くわからなかった。わからなかったが、ただ見惚れていた。いつの間にか外のノックの音がすでに止んでいるのに気がつかないくらいには。
一通りキャンバスに色を刷り込んだ彼女は、窓際にそれをおいた。いつのまにか雲の切れ間から顔を出していた夕焼けと、そのグラデーションは繋がっていた。
僕が不躾な賛美を口からこぼす前に、彼女は言葉を紡いだ。
「ほら、透明色」
彼女の言葉に、僕は何も言えなくなった。
そうして彼女はイーゼルに描きかけの入道雲を乗せ、何も告げずにそのまま帰ってしまった。
少しの間、無言で僕は彼女の透明色を眺めて、また筆を取った。
そして色味のない不格好な灰色の街を描きあげ、壁にキャンバスを立て掛けた。丁度置き去りにされた透明色の、右下あたりだ。
「多分これが、僕の透明色だ」
羽虫が寄る蛍光灯の光を落とし、僕は帰路へとついた。