プリンをつくる以蔵さん(帝都騎殺) インバネスコートを脱いで細紐の端を口に咥える。
腕を交差させ細紐を着物の袖に引っかけ、そのまま腕から肩へ背中へと紐をまわす。反対側の肩から前と紐を通し。同じ動作をもう一回。両端を結べばたすき掛けの完成だ。
「これで邪魔にならんぜよ」
そう胸を張った以蔵に厨房の主・エミヤは首を振った。
「許可出来ない。この割烹着を着るように」
差し出された白いフリルの付いた割烹着は明らかに女物だったが、江戸時代には無かったものなので以蔵はそれに気づかず大人しく袖を通した。
「こがなんを着ちょったらかえって動きにくいぜよ」
「服が汚れるだろう?」
「そがなん、魔力で編み直せばええ」
以蔵の言葉にエミヤは人差し指を立てた。
「『魔力は?』」
「『節約』」
「よろしい」
それはカルデアの限られた電力でサーヴァント達を現界させているマスターから彼らが常々言われているスローガンだ。
きちんと覚えていて繰り返した以蔵に頷いて、エミヤは彼と共に夜明け前の他には誰もいないカウンターキッチンへと向かった。
そこには既に耐熱カップやボウルなどの準備が出来ていた。
「リクエストされたプリンだが、今回は簡単な手順にしてみた。慎重にすれば失敗することはないので安心するといい」
「よろしゅう頼む」
ぺこり、と頭を下げた以蔵にエミヤは顔をほころばせた。
プリンが食べたいと言ったのは目の前の以蔵ではなく、エミヤと同じように抑止力と契約した維新の英雄らしい。
人理修復を成し得た今、サーヴァントはレイシフト以外でカルデアの外に出ることを禁じられている。搬入される物資も限られているため、プリンのような嗜好品は優先度が低くなかなか手に入らない。
そこで諦めず。この見るからに料理などしたことがない男は、あまり交流のないエミヤに頭を下げて作り方を請うてきたのだ。
「愛されているな、彼は」
「そがなんやないき」
顔を逸らせた以蔵にエミヤは笑みを深めた。
エミヤとそうたいして享年が違わないであろう青年のこの素直な反応に、摩耗の果てを見たエミヤは目を細めた。
岡田以蔵は感情を隠さない。怒りも悲しみも慟哭も喜びも彼はそのままに表出させる。
その瑞々しさが、かの英雄の心のよりどころになっているのだろうか。エミヤは、たまに見かける彼が以蔵に向ける笑みを思い出した。
抑止力の行使は地獄を行脚するのに似ている。多数の幸福のために少数を殺し尽くす。
いつも人好きのする笑みを浮かべているかの英雄がたおやかな女性と共に歩んできた道のりを想像すると、エミヤは彼が何故あんな顔で笑えるのか分からない。
「岡田以蔵」
呼ぶと拷問の末処刑された人斬りは振り返る。
「なんちゃあ?」
よく見ればその顔は年齢に似合わない幼さが残っていた。
人の顔は経験に応じて容貌を変える。その経験を積むまもなく死んだ青年にエミヤは新しい経験を促した。
「プリンは出来上がってから冷ますのに時間がかかる。はじめようか」
◆
電子レンジでエミヤがカラメルソースを作る傍ら、以蔵は言われた通りに泡立て器で卵と牛乳と砂糖を混ぜていた。
言われた通りに以蔵はエミヤが最初見せてくれた手本の通りに泡立て器を動かす。
その様子を確かめてエミヤはカラメルソースが入ったカップを並べていく。手本用を含め4つだ。
「ちょっとコツがいるんだが。動きをコピー出来るというのは便利なものだな」
「こがなん剣術に比べたら簡単ちや」
お前が言うな、と複数人に突っ込まれそうな事を言うエミヤに答えながらも、以蔵は真剣な顔でボウルをかき混ぜ続けている。
カチャカチャと泡立て器が規則正しく小さな音を立てる。
エミヤは台所で自分以外の人が立てる音を聞くのが好きだった。
思い出すのは、歌うような軽やかな包丁の音。具材が煮えるくつくつという音。居間から聞こえるテレビの音に、時折こちらに投げかけられる「士郎、まだー?」という声。
「これでええか?」
以蔵に聞かれてエミヤは瞬きをして意識を戻した。
「ああ、大丈夫だ」
中身が綺麗に混ぜられたボウルを受け取り、エミヤはカラメルソースが入ったカップに漉し器を通して流し入れる。
「8分目ほどまでにした方がいい」
エミヤの動きを見つめていた以蔵に、そう言ってボウルを渡すと以蔵は器用にエミヤの動きをそっくり真似してみせた。
―――なぜ、これほどの才能を暗殺に使ってしまったのか。
動きをトレースするには、秀でた観察眼と優れた身体能力が必要だ。それをもっと別のことに使えば、とエミヤは思い。同じことを自分が何度も言われたことを思い出した。
岡田以蔵の暗殺は信じた師のために行なわれたらしい。頭が悪いと自称する彼は幼なじみではなく、師を信じてその手を汚した。
―――その末路が、拷問の果ての打ち首だ。
自分のものではない動機を抱いて人を殺してきた彼はその時何を思ったのだろう。
裏切り者と詰っていた男のために菓子を習いに来たこの人は。自分と違って人間味が残るこの人は。きっと自分と違ってその最期に満足など覚えなかっただろう。
死にたくない、とサーヴァントになってまで言う岡田以蔵は、エミヤには人間そのものに見えた。
エミヤは人間を愛していると、いつか誰かに言われた覚えがある。
愛しているから、その醜さに磨耗するのだと。
岡田以蔵は悪人だ。彼は人斬りだけでなく強盗を何度も行った。それはエミヤも分かっている。
だけど、今、道を違えた幼なじみのためにお菓子を作ってやろうとする心は、決して醜いものではない。
感傷を胸にしまってエミヤはカップをふたつ並べて電子レンジに入れた。とりあえず1分で設定して中身が加熱される様子を観察する。
透明なカップの中で卵色の液体がゆっくりと泡立っていく。それが全体に広がった瞬間に停止ボタンを押す。取り出してみれば均一に火が通っているように見えた。
「うん。これでいい」
頷くエミヤの横で、その手元を覗き込んだ以蔵は不思議そうに口を開いた。
「こがなん食べれられるのか?」
「ああ、君はプリンを見た事がなかったのか。―――冷やせば固まって食べやすくなる。出来上がったら君もひとつ食べてみるといい」
残りふたつも電子レンジに入れて、エミヤは加熱ボタンを押す。その横で以蔵も電子レンジの中でふたつのカップがくるくるとまわるのを眺める。
「まっこと不思議な絡繰りじゃなぁ」
「君の生きた時代から見れば、現代は不思議なものばかりだろうね」
「おんしはこの時代の者やきな。―――わしなんぞ、聖杯とマスターがなけりゃ、部屋に入ることも出来んぜよ」
「ちがいない」
苦笑したエミヤは、先程と同じタイミングで停止ボタンを押す。ピー!という音に反応して今度は以蔵が電子レンジを開けた。カップを取り出そうと手を突っ込む。
「あちっ!」
「手のひら全体で持つのではなく、指先だけで支えるんだ」
加熱されたカップの熱さに驚く以蔵にエミヤはコツを教える。
トレイを差し出すと以蔵は器用にカップを取り出してその上に乗せる。ひとつ、ふたつ。それに、エミヤが先程加熱した分のふたつを足せば、よっつのカップがトレイの上で並んだ。
「これを冷蔵庫で1時間ほど冷やせば出来上がりだ」
「ありがとう。お礼は後で支払うきに」
「気にしないでいい」
エミヤが笑うと以蔵は首を傾げた。
「卵も牛の乳も安いものやないろう?」
「現代ではそれほど高価なものではないよ」
納得の出来ない様子の以蔵にエミヤは笑いかけた。
「じゃあ、お代に彼の事を聞かせてくれないかな? 教科書に載った偉人の幼い頃の話なんてこんな時でもないと聞くことが出来ないから」
「―――そがなんでええなら」
「じゃあ、プリンが冷えるまで。維新の英雄の話を聞かせてもらおうかな」
岡田以蔵に椅子を勧めて、エミヤは急須にお湯を注いだ。
◆
坂本龍馬がマスターの部屋から帰って来たのは朝方の事だった。
用事が終わればすぐに食堂に来いと岡田以蔵に呼び出されていた彼は、相棒のお竜さんを連れて食堂に足を踏み入れる。
朝食の味噌汁の匂いがふわりと漂う食堂にはふたりしかいない。
まだ朝食の時間には早いが調理はもう終わっているのだろう、その証拠に厨房の主であるエミヤが椅子に腰掛けて、以蔵とお茶を飲んでいた。
「以蔵、さん?」
龍馬の声に振り向いた彼は白いフリルの割烹着を着ていた。
「以蔵さん。わしに毎朝味噌汁を作っとーせ」
「何を言いゆう。エミヤがちゃんと作ってくれちゅうやろ?」
「そういう意味ではないと思うが」
苦笑したエミヤが立ち上がって冷蔵庫に向かう。
「以蔵、皿を出してもらっていいかな」
「分かった」
以蔵も立ち上がり食器棚へと向かう。ふと振り返り、彼は金色の目を細めた。
「龍馬もお竜も、はよ座りぃや」
「う、うん」
促されて龍馬とお竜さんがカウンターの前に腰を下ろすのを見て、エミヤが笑みを浮かべた。
「食事とデザート。どちらが先がいいかな?」
わざわざ聞かれるということは、その質問に意味があるということだ。
「では、デザートからお願いしようかな」
エミヤの意図を読み取った龍馬の答えは正解だったらしい。エミヤの笑みが深まった。
そこに以蔵が金色の器を持って戻って来る。
金色の、見慣れた、器だ。
「以蔵さんっ! それ!」
「聖杯じゃ」
当たり前のように以蔵は答えて、何も入っていないその聖杯を持つ。その金色の器にエミヤが冷蔵庫から出したカップを逆さに置いた。以蔵の手がそれを押さえ、エミヤが一歩下がる。
くるん、と以蔵がその場で一回転した。ふわりと、白い割烹着の裾が翻る。
意味不明の行動に龍馬の思考もくるんとまわる。
龍馬は知らなかったが、崩れやすいプリンを器に移すには、こうやって回転して遠心力を与えてやると綺麗にカップから落ちるのだ。
戸惑う龍馬の前に以蔵は聖杯を置いた。以蔵の骨張った手が逆さになったカップをそっと持ち上げる。
ふるふるとその体を震わせて卵色の物体が現れた。
「…プリン」
龍馬が顔を上げると、以蔵がこちらを見ていた。プリンのように甘い色の瞳で。
「れべるま、おめでとう龍馬。これはわしからのお祝いじゃ」
聖杯の数は限られている。サーヴァントの能力の限界を突破させるこのマジックアイテムは、ごくごく一部のサーヴァントにしか与えられないものなのだ。それを、ついさっきまでレベル上げが後回しにされていた龍馬に与えられるはずはない。
ここ数日以蔵がマスターと一緒にイベントに走り回っていたのは知っていた。人型特攻を持つ以蔵はよほど相性が悪い相手でない限り優秀なアタッカーとなる。
そのイベントで集めた種火で龍馬は先程やっと最終再臨出来た。
そしてイベントが終わると新しい聖杯が手に入る。以蔵が今龍馬の前に置いたこの聖杯は、きっと以蔵がそのイベントで手に入れたものだ。
「以蔵さんはいいの?」
龍馬の声は震えていた。
このプリンは明らかに市販品ではない。以蔵の服装から推測するなら彼が作ってくれたものだろう。
あの時代の土佐の武士が、菓子を作るために厨房に立つことに抵抗を覚えないはずはない。
しかも、そう親しくなかったエミヤに教わってまで!
「わしはええ、早う食べ」
以蔵が微笑む。
エミヤがお竜さんの横に、普通の皿に載せたプリンを置いた。
「お竜さんも食べていいのか?」
「おんしを仲間はずれにするわけ無いろう。蛙の代わりにはならんが」
「いいや。お竜さんはこれがいい。―――よかったな。リョーマ。以蔵の目の色に似ていて食べてみたいと言っていたからな」
「お竜さん!」
プリンが食べたい理由を暴露され慌てた龍馬に以蔵は一歩引いた。
「わしの目玉はうまくないぜよ」
「食べないよ! …いや、別の意味では食べたいけど」
「食べる…」
龍馬の言葉の意味を理解して以蔵は顔を伏せた。その耳が赤くなっているのが見えて、龍馬は胸がいっぱいになる。
以蔵の性格上嫌なら烈火の如く怒り狂うだろう。
「食べていい?」
龍馬の確認に以蔵が金色の瞳を蕩かせて頷いた。
「…ええぜよ」
「いただきます!」
渾身の思いで両手を合わせ、龍馬はスプーンを手に取る。
まずは目の前のプリンからだ。
艶を押さえた金色のデザートスプーンでやわらかい卵色の側面からすくい取る。生まれた断面にカラメルソースが流れ落ちて器である稀少なアーティファクトを汚した。
この光景に何人の魔術師が発狂するだろう。
しかし、この場にいるのは魔術使いと人斬りと商人だけで、その真の価値が分るものはいない。
特にこの商人にとって、聖杯そのものではなく聖杯を用意した者の方が価値ある存在だった。
この小さなスプーンに載ったプリンでさえ、龍馬は同じ量の黄金を積まれても譲らないだろう。
以蔵が作ったプリンはスプーンの上でなめらかな断面を小さく揺らしている。
それが食べて欲しいと訴えているようで、龍馬はたまらず口を開けた。
スプーンを口内に運べばつるり、と舌の上に冷ややかな感触が触れる。ゆっくりと崩すと柔らかい甘みが口いっぱいに広がった。
思わず顔を綻ばせた龍馬につられたように以蔵が微笑む。
―――この瞬間を、坂本龍馬は地獄の底でも忘れないだろう。
岡田以蔵が幸せそうだったから。